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書類が書けない勇者はお断りします〜追放された受付係の新しい窓口には、今日も魔王軍が番号札を取って順番待ちをしています〜  作者: 今井 幻


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第6話「最初の差戻しざまぁ」

 翌朝。

 旧棟臨時窓口の受付板に、ユースは番号札の束を並べ直していた。


 朝の光が高窓から斜めに差し込んでいる。埃っぽい旧棟の空気に、古い書架の匂いが混じる。昨日までとは違うのは、カウンターの左側に、もう一つの文具立てと帳票受けが置かれていることだった。


 セフィアの席。


 彼女はすでに着席していた。照合メモの束を手元に揃え、教会側帳票の参照索引を開いている。淡い金髪が、朝の光を受けて白っぽく光った。


「おはようございます」


「おはようございます」


 それだけだった。


 ユースは番号札を整え終えると、処理待ち棚から昨日の連絡書を取り出した。勇者支援課からの通知。討伐報酬の前借り申請が本日持ち込まれる旨。


 一読して、棚に戻す。


 セフィアが視線だけで追い、それから自分のメモ束の一枚目をめくった。


 何も言わない。


 二人とも、今日来るものが何かを知っている。


  *


 開廷時刻を過ぎると、待合室に申請者が集まり始めた。


 旧棟の臨時窓口は正規窓口に比べて狭く、待合の長椅子も四脚しかない。だが申請案件の振り分けで回されてくる者は日に日に増えていた。


 最初の番号札を取ったのは、中央庁の庶務係だった。備品台帳の照合申請。不備はない。ユースが確認し、セフィアが教会側の受領記録と突合し、受理印を押す。


 次は商会の代理人。通商認可の更新。一箇所だけ記載漏れがあり、ユースが指差した。代理人は頷き、その場で書き足し、再提出。受理。


 三番目は――。


 長椅子の端に、小柄な人影が座っていた。


 使い古された革鞄を膝に抱え、番号札を両手で握っている。旅装は埃にまみれ、長い道のりを歩いてきたことが見て取れた。地方から来た者特有の、窓口への怯えのようなものが姿勢に滲んでいる。


 薬師だろうか。鞄の留め具に、乾燥薬草の破片が挟まっている。


 だが三番の順番が来る前に、待合室の空気が変わった。


  *


 足音が先に聞こえた。


 旧棟の石廊下に響く、重い靴音。一人ではない。三人分。だが先頭の足音だけが異様に荒い。


 扉が開いた――というより、押し開けられた。


 金の装飾が施された胸当て。深紅のマント。端麗な顔立ち。


 アルヴェイン・クロス。


 光焔の勇者が、旧棟の臨時窓口に立っていた。


 後ろには勇者支援課の書記官が二人、青い顔で控えている。おそらく案内役として同行させられたのだろう。一人は書類束を胸に抱え、もう一人は視線を床に落としたまま動かない。


 アルヴェインはカウンターへまっすぐ歩いてきた。


 番号札を取らなかった。


 待合室の申請者たちが、長椅子から身を引く。あの薬師も、鞄を抱え直して椅子の端ににじった。


「報酬の前借りだ」


 アルヴェインは封筒をカウンターに放った。中から書類の紙片が滑り出し、数枚が扇状に散らばる。


「急ぎだ。今日中に通せ」


 ユースは書類に手を伸ばさなかった。


「番号札をお取りください」


 声の温度は、さっきの庶務係にも、商会の代理人にも向けたものと変わらない。


 アルヴェインの眉が動いた。


「何?」


「順番にお呼びします。番号札は入口の発券台にあります」


 沈黙。


 待合室の空気が、薄い膜のように張りつめた。


 アルヴェインの顎が上がる。見下ろす角度。かつて勇者支援課の窓口で何度も見た、あの角度だった。


「――俺が誰か分かっているのか」


「存じております。番号札をお取りください」


 セフィアが隣で帳票をめくる音だけが、やけに大きく聞こえた。


 数秒。


 アルヴェインは舌打ちをして、入口の発券台へ戻った。番号札を引きちぎるように取り、長椅子には座らず、壁に背を預けて腕を組む。


 ユースは三番の番号を呼んだ。


「三番の方、どうぞ」


 あの薬師が、おずおずと立ち上がった。


  *


 薬師の申請は、治療薬流通許可の事前相談だった。正式な申請書ではなく、記載要件の確認。ユースは必要な様式番号と添付書類の一覧を紙に書き出し、記載上の注意点を三箇所指差した。


「ここと、ここと、ここ。この三箇所が揃っていれば受理審査に回せます」


 薬師は何度も頷き、メモを取った。


 その間、アルヴェインの靴が石床を鳴らし続けていた。苛立ちが足音になっている。


 薬師が席を立つ。ユースに小さく頭を下げて、待合室へ戻った。鞄を抱えたまま、長椅子の端に座り直す。帰らないらしい。


 ユースは次の番号を呼んだ。


「四番の方」


 アルヴェインが壁から背を離した。


 番号札を握り潰すようにしてカウンターの前に立つ。書記官二人が、その後ろで固まっている。


 ユースは手を差し出した。


「申請書類をお願いします」


 カウンターに散らばったままの書類を、ユースは封筒ごと手元に引き寄せた。


  *


 討伐報酬の前借り申請。


 正式様式は第七号乙。封筒の中身は全てバラの一枚紙で、申請書本体、討伐受注書の写し、現場指揮官の確認印付き書類、経費明細、そして――戦果報告書。戦果報告は討伐一件につき一枚の所定用紙で、案件番号が右上に振られている。


 ユースはまず事務書類を手早く仕分けた。申請書本体、受注書の写し、指揮官確認、経費明細をカウンターの右端にまとめて置く。


 次に、戦果報告書だけを抜き出し、案件番号順に並べ直した。一件目、二件目、三件目――と、左から順にカウンターの上に並んでいく。全部で十件あった。


 ユースの指が、一件目から順に紙面を辿る。案件番号、日付、討伐対象、場所、結果。指先の動きは速い。一件あたり数秒。


 三件目で、その速度が僅かに落ちた。


 指先が、日付欄の上で止まっている。


 セフィアの視線がそこへ動いた。


 ユースは三件目の紙をカウンターの上でセフィアの側へ少しずらした。指先が日付欄を押さえたまま。


 セフィアが身を寄せ、自分の照合メモを横に並べた。三件目の報告書とメモが、カウンターの上で隣り合う。


 アルヴェインは腕を組んだまま、カウンターの向こうを見下ろしている。ユースが書類を仕分けていること自体には、まだ疑いを持っていない。


 セフィアの指が、照合メモの行を辿った。ゆっくりと。正確に。


 やがてその指が止まった。


 セフィアはユースへ視線を送った。小さく、一度だけ頷く。


 ユースはその視線を受け、残りの戦果報告へ目を戻した。四件目、五件目――と順に確認し、事務書類にも一通り目を通して、全ての紙から手を離した。


「少々お待ちください。照合中です」


「照合? 何の照合だ」


「規程上の手続きです」


 アルヴェインの眉が寄る。だが「規程」という言葉には、かつてこの男を何度も黙らせた重さがある。不承不承、口を閉じた。


 ユースはカウンターに並んだ十件分の戦果報告書と事務書類一式をまとめ、セフィアの手元へ渡した。


 セフィアが受け取る。戦果報告書を案件番号順に戻し、一件目から照合メモおよび教会側帳票の参照索引と照らし合わせていく。


 三件目。先ほど確認済みの一枚。小さな付箋を貼り、カウンターの左端へ抜き出して置いた。


 四件目は確認後、裏返して脇へ。


 五件目で手が止まった。照合メモの別の行と照らし合わせる。教会側帳票の索引を繰る音が、静かなカウンターに響いた。付箋が貼られ、三件目の隣に並べられた。


 六件目、七件目は脇へ。


 八件目。


 三枚目の付箋。五件目の隣に置かれた。


 カウンターの左端に、三枚の戦果報告書が横並びになっている。案件番号三、五、八。それぞれの付箋の横に、セフィアの照合メモの該当ページが添えてある。


 ユースが一瞥した。


 それだけで十分だったらしい。


「アルヴェイン・クロス様」


 名前を呼ぶ声に、感情はない。


「戦果報告の三件目について確認いたします」


「何だ。不備か」


「日付をお教えください。討伐が行われた日時です」


 カウンターの左端に並んだ三枚のうち、一番手前――三件目の報告書は、アルヴェインの側からも文字が読める向きで置かれている。アルヴェインは身を乗り出し、自分の署名が入った紙面を見下ろした。


「……第七月十二日だ。書いてあるだろう」


 ユースは頷かなかった。


 代わりにセフィアが、三件目の横に添えていた教会側帳票をカウンターの中央へ押し出した。


「第七月十二日」


 セフィアの声は柔らかかった。上品で、穏やかで、窓口業務にふさわしい丁寧さだった。


「その日付ですと――」


 帳票の該当行を、白い指先がなぞる。


「――アルヴェイン・クロス様は、討伐現場ではなく、王都中央教会の施術室にいらっしゃるはずですが」


 待合室が、凍った。


 音が消えた――というのとは少し違う。それまで聞こえていた衣擦れや咳払いや番号札の紙音が、一斉に止んだ。全員が息を詰めている。


 アルヴェインの口が開いた。閉じた。もう一度開いた。


「……何を」


「教会側の施術記録です」


 セフィアは帳票の向きを変え、アルヴェインの側へ差し出した。笑みは崩さない。


「第七月十二日、午前第二刻から午後第五刻まで。左腕裂傷の治癒施術、施術担当司祭の署名入り。受付番号もございます」


 アルヴェインの視線が帳票の上で泳いだ。


「待て。それは――別の案件で――」


「討伐現場は王都から馬で六刻の距離です。午前第二刻に施術室にいらした方が、同日中に現場で戦果を上げることは、物理的に不可能かと存じます」


 セフィアの語尾は最後まで敬語だった。


 声量も変わらない。笑みも変わらない。


 ただ述べている事実だけが、刃物のように正確だった。


 アルヴェインの顔から血の気が引いていく。


 セフィアは三件目の紙を脇へ寄せ、その隣に並んでいた五件目と八件目を指先で示した。それぞれの付箋の横に、照合メモの該当ページが添えてある。


「五件目と八件目につきましても、同様の不一致がございます。五件目は教会施術記録の日付、八件目は王都南門の宿泊台帳の記録と一致しておりません」


 淡々と。一つ一つ。


 ユースはその間に、差戻し票を取り出していた。右端にまとめてあった事務書類から申請書本体――様式第七号乙――を引き抜き、所定の位置に赤い付箋を貼る。


「本申請は、戦果報告書の記載内容と教会側施術記録および宿泊台帳との間に、計三件の重大な不一致が認められます」


 ユースの声が、窓口の空気を切った。


「差戻し。不正疑義付き」


 差戻し印が、様式第七号乙の決裁欄に押された。乾いた、短い音が旧棟の石壁に響く。


  *


「ふざけるな」


 アルヴェインの声は低かった。


 怒鳴り声ではない。喉の奥から搾り出すような、押し殺した激昂。


「たかが日付の――」


「不正疑義付きの差戻しは、再申請の前に監査局への報告義務が発生します」


 ユースが同じ音量で、同じ温度で、手続きの続きを述べた。


「不正疑義が付された場合、申請原本は監査局への報告用として窓口側で保全いたします」


 カウンターの上――付箋の貼られた三枚の戦果報告と、差戻し印の押された様式第七号乙。それらはアルヴェインの手には戻らない。


 ユースは差戻し通知票の控えを一枚作成し、カウンターの縁に置いた。


「こちらが差戻し通知の控えです。再申請をご希望の場合は、監査局の照会完了後に改めてお越しください」


 淡々と。正確に。


 窓口業務として、一分の隙もなく。


 アルヴェインの拳が震えた。カウンターの縁を掴む指が白くなる。


「俺は勇者だぞ。こんな――」


 言葉が途切れた。カウンターの向こうで、ユースが既に次の帳票へ手を伸ばしている。セフィアの照合メモと付箋付きの戦果報告書が、動かぬ証拠としてカウンターに並んだまま。


 言い逃れの余地は、紙が塞いでいた。


「お引き取りください。次の方をお呼びします」


 ユースの視線は、もうアルヴェインを見ていなかった。


 アルヴェインは数秒、カウンターの前に立ち尽くした。カウンターの縁に置かれた差戻し通知票の控えには、目もくれなかった。


 それから踵を返した。マントの裾が石床を叩く。足音が荒い。扉が開き、閉じ、靴音が廊下の奥へ消えていく。


 書記官の一人がカウンターの縁から差戻し通知票の控えを掴み取り、もう一人とともに慌てて追いかけた。振り返りかけた書記官の目が、カウンターに残された書類の山を一瞬見たが――何も言えないまま、走り去った。


  *


 静寂が残った。


 待合室の申請者たちは、誰も動かなかった。


 やがて、庶務係らしき男が小さく息を吐いた。隣の女性が、膝の上の書類を握り直した。


 誰も、声を出さない。


 ユースはカウンターの上を整え始めた。付箋の付いた三枚の戦果報告書、差戻し印の押された様式第七号乙、残りの事務書類と戦果報告書を元の封筒にまとめ、「不正疑義・監査局報告用」の保管票を添えてファイルに綴じた。セフィアの照合メモは彼女の手元に戻る。


 セフィアは自分のメモ束に、新しい一行を書き加えていた。


 ペンを置く。顔を上げる。


「次の方、どうぞ」


 その声はさっきと同じだった。柔らかく、上品で、窓口にふさわしい丁寧さ。


 先ほどアルヴェインに向けた笑みと、今この瞬間の笑みが、まったく同じ形をしていることに――待合室の何人かは気づいたかもしれない。


 次の番号の申請者が恐る恐るカウンターに近づき、書類を差し出した。ユースは受け取り、確認し、受理印を押した。いつもと同じ手順で。


 窓口は止まらない。


  *


 午前の処理が一巡した頃、ユースはふと気づいた。


 長椅子の端に、あの薬師がまだ座っている。


 事前相談はとうに終わっている。帰ってもいいはずだった。


 だが薬師は鞄を膝に抱えたまま、窓口の方を見ていた。


 怯えの色は、もうなかった。


 代わりに、何か確かめるような目をしている。さっきの一部始終を――勇者の不正が差し戻され、その前後で窓口の態度が一切変わらなかったことを、この目で見た者の顔だった。


 薬師は立ち上がった。


 鞄から、別の書類を一枚取り出す。


 先ほどの事前相談用のメモではない。正式な申請書だった。何度も書き直した跡がある。角が擦れ、折り目がついている。他の窓口で何度か弾かれたのだろう。


 薬師はカウンターに近づき、番号札を取った。


 ユースの視線が、一瞬だけその申請書の表紙に触れた。


 治療薬流通許可申請。


 薬師は長椅子に戻り、順番を待った。番号札を、今度は両手ではなく片手で握っている。


  *


 午後の光が、旧棟の高窓から差し込み始めた。


 セフィアが照合メモの束を整理しながら、小さな声で言った。


「三件とも、初見で分かったんですか」


 ユースはペンを動かす手を止めなかった。


「五年分を一人で通していましたから」


 それだけだった。


 セフィアは帳票に目を戻した。口元に、かすかな笑みが浮かんでいる。


 だがその笑みの種類を、ユースは確かめなかった。


 次の帳票を開く。ペンが走る。


 窓口の日常が、静かに続いていく。

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