表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書類が書けない勇者はお断りします〜追放された受付係の新しい窓口には、今日も魔王軍が番号札を取って順番待ちをしています〜  作者: 今井 幻


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/27

第18話「腐敗官僚ギデオン」

 翌朝、セフィアは腕に革装の冊子を抱えて旧棟の廊下を歩いてきた。

 いつもより足が速い。


「取れました」


 受付台の端に冊子を置く。表紙には『監督補佐官 権限規程写(教会書庫保管本)』と墨書されていた。

 ユースは処理中の帳票から手を離さず、視線だけを冊子へ落とした。


「昨日の閉庫直前に申請して、今朝の開庫と同時に受け取りました。審査補佐官見習いの閲覧範囲ぎりぎりでしたけど」


 セフィアが少し得意そうに言う。

 ユースは帳票の最終行に印を入れてから、冊子を手に取った。

 革の綴じ紐を解く。紙は古いが、転写は正確だった。

 頁をめくる速度は、通常の帳票を確認するときと変わらない。

 七頁。

 指が止まった。


「第三条第二項」


 セフィアが覗き込む。


「――『上位監督機関の指示に対する異議申立権を有する。ただし、当該指示が戦時運用規程に基づく場合はこの限りでない』」


 ユースは頁を閉じた。


「穴です」


「……戦時運用規程。平時には使われない条項ですよね?」


「使われないだけで、死文ではありません」


 セフィアの笑みが消えた。

 ユースは冊子を受付台の奥、封書の隣に並べた。


「回答は、もう少し後にします」


  *


 午前の鐘が鳴った。

 通常案件を三件。辺境砦からの補給再認可の追加書類が一件。いずれも不備なく処理が進む。

 四件目の封筒は、色が違った。

 王都中央庁の通常便ではない。監督院の内部便封筒――薄い灰色に金の細線が入った、法務関連部署の書式だった。

 ユースは封を切り、中身を取り出した。

 予備照会書。

 勇者パーティー関連の補給再認可について、第三窓口臨時担当への事前確認を求める書面だった。

 一枚目。書式番号、日付、案件概要。正確。

 二枚目。関連法令の引用、先行判例の整理、必要添付の一覧。すべて現行様式に準拠している。

 三枚目。照会の具体的論点。補給停止の根拠条文と、再認可に必要な手続きの照合。法令番号に一桁の誤りもない。

 ユースの指が、起案欄の上で止まった。


 **起案:財務監督院法務局 ギデオン・ヴァルカス**


 三枚とも、隅々まで正しかった。

 勇者案件でこの精度の書類が届いたことは、一度もない。

 ユースがアルヴェインの不備を一人で直していた頃にも、こんな品質のものは見たことがなかった。なぜなら、勇者側にこれを書ける人間がいなかったからだ。


「セフィアさん」


 名前を呼ばれて、セフィアが受付台の横から覗いた。

 ユースは起案欄を指で示した。

 セフィアの視線がその名前に触れた瞬間、彼女の口元からいつもの柔らかさが消えた。


「……ギデオン・ヴァルカス」


 復唱する声が、半音低い。


「ご存じですか」


「名前だけは」


 セフィアは冊子の上に両手を重ね、少し間を置いてから言った。

「財務監督院法務局の次長です。教会の認可審査でも、たまにこの方の名前が書類に載ることがあります」


「評判は」


「――温厚で、丁寧で、絶対に声を荒らげない方だそうです」


 それだけ聞けば美徳だった。だがセフィアの声には、称賛の色が一切なかった。

「教会の先輩審査官が一人、この方の案件で配置換えになりました。書類上は自己都合です。でも、異動の直前に照合で一箇所だけ疑義を出したんです。その翌週でした」


 ユースは照会書に視線を戻した。


「窓口で怒鳴る相手とは、違いますね」


 セフィアの声に、初めて硬さが混じった。


「ええ。怒鳴らない代わりに、条文で人を消す方です」


  *


 ユースは予備照会書を、受付台の処理棚に入れた。

 右端ではなく、中央の「保留」の仕切りだった。


「……受理しないんですか?」


 セフィアが訊いた。


「予備照会です。正式申請ではありません」


「不備は」


「ありません」


 セフィアが首を傾げた。

 不備がないなら、回答を返すのが通常の処理だ。差戻す根拠がなければ、保留にする理由もない。

 だが予備照会には、正式申請と違って回答期限に猶予がある。三営業日。規程上、即日回答の義務はない。


「不備がないことが不備です」


 ユースは短く言った。

 セフィアはその言葉を、数秒かけて噛んだ。

 勇者案件で、不備のない書類が届くことは、本来ありえない。それが届いたということは、勇者パーティーの外に書類を書いた人間がいる。

 そしてその人間は、第三窓口の処理基準を正確に知っている。


「……この照会自体が、偵察ですか」


 ユースは答えなかった。

 帳票棚から次の案件を取り出し、通常業務に戻った。


  *


 その日の処理は、十一件。

 補償関連の返送が二件、辺境砦の追加書類確認が一件、教会経由の治療認可照合が三件、その他通常案件が五件。いずれも過不足なく処理された。

 窓口を閉める頃、西日が旧棟の廊下に差し込んでいた。

 セフィアが先に退出し、ユースは受付台の帳票を整え終えてから席を立った。


 廊下に出る。

 旧棟の通路は、本庁舎と違って人通りが少ない。壁の漆喰は古く、窓枠の木は乾いている。夕方のこの時間帯は、自分以外の足音を聞くことはほとんどない。

 だが今日は、あった。

 向こうから一人、歩いてくる。


 外套の仕立てが上等だった。生地の厚みと縫い目の間隔で分かる。中央庁の制服ではない。監督院系統の、しかも上位の仕立て。

 男はユースの三歩手前で立ち止まった。


「お疲れさまです。臨時窓口の方ですね」


 穏やかな声だった。

 昨夜、アルヴェインに声をかけた男の特徴が、ユースの記憶と重なった。――上等な外套。終始柔らかい表情。そして、

 足音。

 革靴ではない。廊下の木板の上なのに、ほとんど音がしない。絨毯の上を歩くような足取り。


「法務局のギデオン・ヴァルカスと申します。本日、予備照会をお送りしました」


 男は丁寧に名乗った。微笑みは崩れない。


「先ほど保留棚に入れていただいたようですね。回答期限内にご対応いただければ結構です」


 ユースは一つだけ確認した。

 保留棚に入れたのは、窓口の内側の処理だ。外部からは見えない。

 この男は、窓口の中を見ていたか、見ていた人間から聞いている。


「ご丁寧にありがとうございます。回答は期限内にお返しします」


 ユースはそれだけ返した。

 ギデオンは微笑んだまま、軽く頭を下げた。


「よろしくお願いいたします。――良い窓口ですね。整理が行き届いている」


 世辞には聞こえなかった。

 品定めの声だった。

 ギデオンはそのまま廊下を歩き去った。足音はやはり、ほとんど聞こえない。


 ユースは動かなかった。

 廊下に西日が落ちている。ギデオンの影が壁に伸び、角を曲がって消えた。

 ユースの右手が、帳票を持つときの位置にあった。

 何も持っていないのに、指が帳票の角を押さえる形を取っている。

 五秒。

 ユースは手を下ろし、歩き出した。

 歩幅は普段と変わらない。

 ただ、旧棟を出るまで一度も振り返らなかった。


  *


 翌朝。

 受付台の上に、内部便の封筒がもう一通届いていた。

 今度は予備照会ではない。

 正式申請だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ