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書類が書けない勇者はお断りします〜追放された受付係の新しい窓口には、今日も魔王軍が番号札を取って順番待ちをしています〜  作者: 今井 幻


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第17話「監督院のスカウト」

 朝の鐘が鳴る前に、ユースは旧棟臨時窓口の受付台に五件分の補償送付書を並べ終えていた。

 算定根拠の差し替え、教会治療記録との照合結果の転記、被害者側届出資料の参照番号。すべてが揃った状態で、正式送付の封緘だけが残っている。

 封蝋を溶かす小さな炎が、薄暗い旧棟の窓口を橙色に照らした。


 五通。

 一通ずつ、ユースは封を落としていく。蝋が固まるまでの数秒を、次の封書の位置合わせに使う。無駄な動きがない。


 三通目の封蝋を押さえたとき、廊下の奥で足音がした。

 昨日の夕方と同じ足音だった。革靴の踵が石廊下に残す、少しだけ長い反響。ただし今朝は止まらない。通り過ぎていく。


 ユースは封蝋から指を離し、四通目に手を伸ばした。


  *


 セフィアが到着したのは、朝の鐘が鳴り終わってすぐだった。


「おはようございます。……もう封緘まで終わっていますね」


「仮設診療所への照合催促も出します。書式はこちらに」


 ユースが差し出した催促状の下書きを、セフィアは受け取りながら目を通す。宛先、照会番号、催促理由の三行。必要なことだけが書かれている。


「完璧です。教会側の便で午前中に届けられます」


「お願いします」


 セフィアは催促状を鞄にしまい、次に受付台の上を見た。五通の封書の隣に、もう一通。宛先が違う。


「――これは」


「旧法的整理に対する正式照会です。『緊急災害対応』の綴りを基礎資料として、当時の法的整理過程に疑義ありとする照会を、監査記録管理部門へ送付します」


 セフィアは一瞬だけ目を細めた。

 昨日、旧案件棚の最奥から正式照会対象の位置へ移された綴り。あれが今日、正式に照会として外へ出る。


「勇者案件の庇護を、記録上でも終わらせるんですね」


 ユースは頷かなかった。封書の位置を揃え直しただけだった。

 だが、それが答えだった。


  *


 午前の通常案件を三件処理し、補償送付の五通を正式便に託し、催促状をセフィアが教会便に乗せた。

 旧法的整理への照会も、監査記録管理部門宛ての便に載せた。


 午後に入り、窓口が一時的に空いた。

 そのとき、旧棟の廊下を歩いてくる足音があった。

 今朝、通り過ぎていった足音と同じものだった。ただし今度は、窓口の前で止まった。


「――臨時窓口は営業中かな」


 声は穏やかだった。中年の、落ち着いた声。

 ユースが顔を上げると、窓口の外に一人の男が立っていた。灰色の外套に、左胸の紋章。監督院の正規職員章。ただし通常の連絡係が着ける位置より高い――上席章だった。


「営業中です。番号札をお取りください」


 ユースの声に抑揚はない。

 男は少し意外そうな顔をしたが、素直に番号札を取り、待合席に腰を下ろした。窓口には他に誰もいない。


「一番でお待ちの方、どうぞ」


 わずか三秒の間だった。だがユースはその三秒を省略しなかった。

 男が窓口の前に立つ。セフィアは少し離れた補佐席から、静かにその紋章の位置を見ていた。


「監督院管理統括部、連絡担当のレーゲンと申します。本日は申請ではなく、打診に参りました」


「打診は窓口業務の範疇外です。ただし、お話は伺います」


 レーゲンは一拍置いて、内ポケットから薄い封書を取り出した。封蝋は監督院の正式紋。


「率直に申し上げます。監督院上層部は、ユース・グレイナー臨時整理要員に対し、監督補佐官待遇での正式配属を打診いたします」


 窓口の空気が、わずかに変わった。

 セフィアのペンが止まった。

 ユースのペンは止まらなかった。


「根拠は」


「辺境砦からの感謝文書、被害者補償案件の正規化処理、魔王軍補給案件への中立運用実績。いずれも臨時整理要員の権限範囲を超えた成果です。上層部は、あなたの処理能力を正式な権限の下で活用したいと考えています」


 レーゲンの声は丁寧だったが、言葉の選び方に滲むものがあった。「活用」。その一語が、この打診の本質を告げていた。

 ユースは封書を受け取らなかった。

 受付台の上に置かれたそれを、一度だけ見た。


「質問があります」


「どうぞ」


「監督補佐官待遇で付与される権限は、現場の規程運用に対する監査・是正を含みますか」


 レーゲンは一瞬だけ間を置いた。想定していた質問ではなかったのだろう。報酬でも待遇でも配属先でもなく、権限の中身を訊かれた。


「……含みます。監督補佐官は、現場判断権限と監査補助権限を有します」


「では、その権限は、上層部の意向による運用の差し止めや例外処理の指示を拒否する根拠になりますか」


 今度の沈黙は、少し長かった。

 レーゲンの表情が変わった。穏やかさの下に、小さな警戒が混じった。


「……それは、具体的にはどのような状況を想定されていますか」


「想定ではありません」


 ユースは受付台の上の封書を見たまま、静かに言った。


「規程を守らせるための権限であれば、検討します。ただし、都合の良い案件を都合の良い形で通すための穴埋め要員としてなら、お断りします」


 旧棟の窓から差す午後の光が、封書の封蝋に細い線を引いた。

 レーゲンはしばらくユースを見ていた.それから、わずかに首を傾げた。


「……即答をいただけないのは想定内です。封書はお預けしますので、ご検討ください」


「受領します。回答は書面でお返しします」


「結構です」


 レーゲンは一礼して窓口を離れた。足音が廊下を戻っていく。昨日から何度も聞いた、革靴の長い反響。

 彼はおそらく、昨日から何度も旧棟を訪れていた。窓口の業務を観察し、ユースの処理を見ていた。そのうえで、今日この時間を選んだ。


 ユースは封書を受付台の端に寄せ、次の帳票に手を伸ばした。


  *


「……監督補佐官待遇」


 セフィアが口を開いたのは、レーゲンの足音が完全に消えてからだった。


「聞こえていましたか」


「窓口の三歩後ろにいて聞こえない補佐官見習いがいたら、それは配置ミスです」


 セフィアはペンを回しながら、少しだけ声を落とした。


「正直に言えば、驚きました。監督院が臨時整理要員に補佐官待遇を出すのは、私の知る限り前例がありません」


「前例がないのは、臨時整理要員に勇者案件と魔王軍案件を同時に処理させた前例がないからでしょう」


「それはそうですが」


 セフィアは受付台の端に置かれた封書を一瞥した。


「受けるんですか」


「条件次第です」


「条件、ですか」


「権限の中身を確認します。監督補佐官の権限規程は教会側にも写しがあるはずです。照合をお願いできますか」


 セフィアは小さく息をついた。


「……打診を受けた直後に、まず権限規程の照合から入る人を、私は他に知りません」


「必要な手順です」


「ええ。だから私はここにいるんです」


 セフィアはペンを置き、補佐席の帳票を整えた。その手つきは、いつもより少しだけ丁寧だった。


「明日、教会書庫から該当規程の写しを取り寄せます。閲覧権限は審査補佐官見習いの範囲で足ります」


「お願いします」


 それだけだった。

 ユースは窓口に戻り、午後の残り案件に取りかかった。監督補佐官待遇の封書は、受付台の端で、他の未処理書類と同じ扱いのまま置かれていた。

 特別な場所には、置かない。


  *


 夕刻。窓口を閉め、セフィアが先に旧棟を出た後。

 ユースは帳票の最終確認をしながら、ふと手を止めた。


 今日送付した六通。補償五件、旧法的整理への照会一件。そして受領した封書一通。

 三年間、勇者案件を破綻させないことだけが仕事だった。差し戻されれば直し、不備があれば埋め、怒鳴られても窓口を閉めなかった。


 それが正しかったのか、間違っていたのか。

 ユースはその問いを考えなかった。考えても帳票は片づかない。


 ただ、昨日動かした綴りのことを思った。正式照会対象の位置に移した、「緊急災害対応」の綴り。あれを動かしたことで、庇護は終わった。庇護が終われば、残るのは記録だけだ。

 記録は嘘をつかない。正しく整理されていれば。


 ユースは席を立ち、帳票棚の前で一度だけ振り返った。

 受付台の上に、監督院の封書がある。


 権限。

 規程を守らせるための力。

 それが本当に与えられるなら――使い道は、もう決まっている。


 旧棟の廊下に、ユースの足音だけが響いた。


  *


 同じ夕刻。

 王都の中心街に近い、安宿の前。


 アルヴェイン・クロスは宿の扉を睨んでいた。三軒目の宿も、公費精算の停止を理由に宿泊を断った。手持ちの私費で入れる宿は、もうこの界隈には残っていない。


「――勇者殿」


 背後から、声がかかった。

 穏やかな声だった。だが、これまでアルヴェインに声をかけてきた誰とも違う種類の穏やかさだった。同情でも、嘲笑でも、恐れでもない。


「窓口で怒鳴っても、書類は通りませんよ」


 アルヴェインが振り返る。

 薄暮の中に、一人の男が立っていた。外套の仕立ては上等で、表情は終始柔らかい。


「誰だ」


「通りすがりの、少し法律に詳しい者です」


 男は微笑んだ。


「窓口は怒鳴って突破するものではありません。条文で、無力化するものです」


 アルヴェインの目が、初めて怒り以外の色を帯びた。

 男はそれ以上名乗らず、薄暮の中へ歩き去った。

 その足音は、革靴ではなかった。もっと静かな、絨毯の上を歩くような足取りだった。

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