第13話「初めての正式称賛」
数日が過ぎた。
旧棟臨時窓口の業務は変わらない。流通認可の照会、地方からの進捗確認、教会経由の治療資材認可の中継処理。
ただ、案件の色が少しずつ変わっていた。
辺境方面からの照会が増えている。治療資材の追加要請、避難区域の再画定に伴う通行許可の確認、臨時補給ルートの認可状況の問い合わせ。
どれも、補給線の鈍化が波及した結果だった。
ユースは一件ずつ確認し、不備のないものは処理し、足りないものには必要事項を付記して返送した。
セフィアが照合台帳を繰りながら言った。
「辺境の治療資材、教会監査室の承認が昨日付で下りたそうです。搬入経路の再認可待ちがあと二件」
「経路認可は通行管理局の管轄です。こちらからは出せません」
「ですよね。でも、向こうの担当が照合の書き方で迷っているみたいで、教会受付に問い合わせが来ていました」
「書式の見本を添えて返してください。判断は向こうがすることです」
セフィアは「はい」と答えて、見本の写しを取りに棚へ向かった。
午前中は、そうした小さな対応の積み重ねで過ぎた。
*
昼を少し回った頃だった。
旧棟の廊下に、革靴の足音が近づいてきた。
連絡係の青年が、封筒を一通持って臨時窓口の前に立った。革靴は磨かれているが、裾に乾いた泥が薄くこびりついている。中央庁の市内便ではない。
「臨時窓口担当、ユース・グレイナー殿宛てです。辺境砦経由の公文書便で到着しました」
封筒には監督院の受付印と、辺境砦の発信印が並んでいた。
ユースは受領印を押し、封筒を受け取った。
連絡係が去った後、セフィアが照合台帳から顔を上げた。
「辺境砦から直接ですか。誠に珍しいですね」
ユースは封を切った。
中には、公式書式に則った文書が一枚。署名欄には辺境砦の運用責任者の名と、砦長の副署があった。
文書の件名は――
**「緊急災害対応処理に係る住民避難完了の確認および謝意の通達」**
ユースの目が、本文の一行で止まった。
「……」
セフィアが首を傾げた。
「ユースさん?」
ユースは文書を机に置いた。
セフィアが覗き込む。その目が、本文の一節を追った。
> |第三窓口臨時担当ユース・グレイナーによる緊急災害対応処理(物資振替処理および避難誘導の法的整理)の適正な執行により、王都郊外焼失区域の住民避難が完了し、被害補償の受給経路が確保されたことを、ここに公式記録として確認する。
セフィアの手が、照合台帳の上で止まった。
「これ――」
「先日の避難案件の件です」
ユースの声は、いつもと変わらなかった。
あの夜のことだった。アルヴェインが避難誘導の終わる前に聖剣の広域殲滅技を放ち、荷車列と倉庫区画を焼いた。現場報告書は虚偽記載。
ユースは三日徹夜で、あの被害を「緊急災害対応」として法的に整理し直した。物資の振替先を探し、避難経路の認可を通し、被害者が補償を受けられるルートを一本だけ残した。
その処理が、辺境にまで届いていた。
焼失区域から避難した住民の一部は辺境方面へ移動しており、砦が受け入れを担当していた。ユースの処理がなければ、補償申請の根拠そのものが消えていた。砦の担当官は、後から書類を遡って、ようやくその事実に気づいたのだろう。
セフィアは文書を二度読んだ。
それから、静かに顔を上げた。
「ユースさん」
「何ですか」
「ちゃんと、あなたの仕事で助かった人がいます」
ユースは答えなかった。
文書を手に取り、日付と署名を確認した。書式に不備はない。正式な公文書として受理できる。
「受領記録に入れます」
「……はい」
セフィアは少しだけ間を置いてから、受領台帳を開いた。
ユースが文書番号と日付を読み上げ、セフィアが記入する。いつもの手順だった。
記入が終わると、セフィアは文書を受領控えの束に綴じようとした。
そして、一瞬だけ手を止めた。
「あの。これ、控えの束じゃなくて――」
セフィアは机の端、帳票と照合台帳の間にある小さな空間を示した。
「ここに置いておいてもいいですか」
ユースは視線だけをそちらへ向けた。
「業務上の文書です。受領控えに綴じてください」
「……分かりました」
セフィアは素直に文書を綴じた。
だが、その横顔にはかすかな――本当にかすかな――笑みが残っていた。
*
午後の業務に戻る。
地方からの流通認可更新。教会経由の治療資材追加認可の中継。辺境砦方面の通行許可照会への回答書作成。
どれも通常案件だった。ユースは一件ずつ開き、確認し、処理した。
帳票を捌く手は正確で、迷いがない。
ただ一度だけ、ユースの右手が胸ポケットの上を通り過ぎた。
制服の布越しに、折れた万年筆の金属片が硬い輪郭を伝えている。
その手は何にも触れず、そのまま次の帳票へ下りた。
セフィアは気づいていたが、何も言わなかった。
*
夕刻前。
旧棟の廊下を通る足音が、また少しだけ増えていた。
若手職員が通りがかりに窓口の中を覗いていく回数が、ここ数日で目に見えて増えている。用があるわけではない。帳票を抱えたまま、視線だけを投げて通り過ぎる。
セフィアが小声で言った。
「また覗いてましたよ、今の人」
「業務に支障がなければ構いません」
「噂、広がってますね。補給線の件もそうですけど、今日の文書が届いたことも――連絡係の方、受付を通ってますから」
ユースは照会票の回答欄に記入しながら答えた。
「事実の伝達に意見はありません」
セフィアは筆を止めて、少しだけ考えるような顔をした。
「でも、良いことだと思います」
「何がですか」
「正しく処理したことが、正しく記録されたということです。それは――制度が本来やるべきことですから」
ユースの筆が止まることはなかった。
回答欄の記入を終え、確認印を押し、次の帳票を開いた。
辺境砦方面の臨時補給ルート照会。回答期限は明日。経路認可は通行管理局管轄だが、物資品目の確認はこちらで対応できる。
対応を始めた。
*
夕方の鐘が鳴る少し前だった。
セフィアが教会受付からの伝言票を持って戻ってきた。
「教会受付に、勇者支援課経由の照会が一件来ているそうです」
ユースの筆が止まった。
「勇者支援課」
「はい。内容は――『第三窓口旧担当者への面会要請に関する手続き照会』だそうです」
ユースは伝言票を受け取った。
差出人の記載はない。ただ、照会の経路が勇者支援課を通っていた。
「面会要請の様式は、監督院の規程で定められています」
ユースはそれだけ言って、伝言票を処理済みの束に入れた。
セフィアが少しだけ目を細めた。
「様式をご存じないのでしたら、教会の月一講座をご案内しましょうか――と、お伝えしておきますね」
ユースは答えなかった。
次の帳票を開いた。
旧棟の窓から差す光が、橙色に傾いている。
受領控えの束の中で、辺境砦からの文書が他の帳票と同じ厚さで収まっていた。
特別扱いはしない。正しい文書を、正しい場所に綴じる。
それだけのことだった。




