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書類が書けない勇者はお断りします〜追放された受付係の新しい窓口には、今日も魔王軍が番号札を取って順番待ちをしています〜  作者: 今井 幻


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第12話「魔王軍の補給線、書類で崩れる」

 次の頁にも、同じ記号があった。

 ユースは指先で欄外の注記を辿りながら、帳票を一枚ずつ捲っていった。五枚目。七枚目。九枚目。


 記号の配列は微妙に異なるが、構造は同じだった。

 召喚獣維持契約の各条項に対し、失効条件が個別に注記されている。現代の書式では省略されている項目――Loss of Continuityと呼ばれる連続性断絶の判定基準が、神代記法で丁寧に書き込まれていた。


 ユースはドレヴァンの差戻し票を手元に引き寄せた。

 現行の補給契約。品目一覧。輸送手段の紐づけ。

 そして、召喚獣維持契約との接続欄。


 五年前の契約書では、この接続欄に失効条件が明記されている。現行書式ではその欄自体が消えている。だが、消えたのは欄だけだ。条件そのものは、世界法の基層に残っている。


 ユースは差戻し票の品目欄と、古い契約書の失効条件を突き合わせた。

 三品目が引っかかる。


 輸送魔獣の維持に必要な魔力補給資材。その調達契約が、補給契約の更新と連動している。補給契約が差し戻された状態では、魔力補給資材の調達認可も宙に浮く。調達認可が宙に浮けば、輸送魔獣への魔力供給が途切れる。


 供給が途切れれば、維持契約の連続性が断絶する。

 連続性が断絶すれば――Loss of Continuity。

 失効。


 ユースは帳票を閉じた。


「セフィアさん」


「はい」


「ドレヴァンの差戻し票の控え、正式記録として綴じてください。日付と受理番号を振って、閲覧台帳にも反映を」


 セフィアの筆が動き出す音がした。


「……これ、どのくらい影響がありますか」


「分かりません」


 嘘ではなかった。失効条件の存在は確認できた。だが、魔王軍側がどの程度の規模で輸送魔獣を運用しているか、正確な数字はユースの手元にはない。


 ただ、一つだけ確実なことがある。

 ドレヴァンが次に契約更新を持ち込んだとき、この差戻し票が効く。


 そして、ドレヴァンは必ず来る。補給将が補給契約を放置できるはずがない。


 ユースは机の上を整えた。古い契約書を帳票棚の所定位置へ戻し、差戻し票の控えを綴じ終えたセフィアから受け取って、確認印を押した。


 窓の外はもう暗い。


「今日はここまでにしましょう」


 セフィアが筆記具を片付けながら、小さく言った。


「ユースさん」


「はい」


「あの記号、読める人は他にいるんですか」


 ユースは少し考えた。


「いないと思います」


 セフィアの手が止まった。


「……それは」


「だから、記録に残します」


 ユースは綴じた帳票の背表紙を軽く叩いた。


「読める人間がいなくても、記録が正しければ、監査は機能します」


 セフィアは何か言いかけて、やめた。代わりに帳票棚의扉を閉め、施錠した。

 鍵の音が、静かな旧棟に響いた。


  *


 四日後。

 ドレヴァンが来た。

 今度は菓子折りなしだった。


 旧棟の臨時窓口に現れた魔王軍補給将は、前回と同じく正装だったが、表情が違った。余裕がない。


「契約更新の件だ」


 番号札を取り、順番を待ち、窓口の前に座った。それだけで、この男が実務屋であることが分かる。怒鳴らない。割り込まない。ただ、早く処理してほしいという切迫だけが、書類を差し出す手の速さに滲んでいた。


 ユースは受け取った。

 補給契約更新申請。前回の差戻し指摘事項を全て修正済み。眷属印も揃っている。書式も正しい。


 通常なら、受理できる。


 ユースは申請書の三枚目を開いた。

 品目欄。輸送手段の紐づけ。召喚獣維持契約との接続記載。


「ドレヴァン殿」


「何だ」


「品目欄の第七項から第九項、輸送魔獣による搬送指定になっていますが、維持契約の有効期限をご確認ください」


 ドレヴァンの眉が動いた。


「有効期限は来月末だ。まだ切れていない」


「維持契約本体はそうです。ですが、魔力補給資材の調達認可が、前回の差戻し期間中に更新時期を跨いでいます」


 沈黙。


 ユースは差戻し票の控えを出した。日付が入っている。


「差戻し期間中、補給契約は未成立です。未成立期間中の調達認可は連動して保留状態になります。保留状態のまま更新時期を跨いだ場合――」


「連続性の断絶か」


 ドレヴァンが言った。

 声に怒りはなかった。理解の速さだけがあった。


 ユースは頷いた。


「第七項から第九項の輸送手段を、維持契約に依存しない方式へ変更するか、もしくは調達認可の遡及更新を先に通していただく必要があります。現状のままでは、この三品目は受理できません」


「調達認可の遡及更新には、維持契約側の連続性証明が要る」


「はい」


「連続性が切れているから遡及できない、と」


「そうなります」


 ドレヴァンは申請書を見下ろした。


 待合室は静かだった。午前中の一般申請者はすでに捌けており、旧棟の臨時窓口には魔王軍側の申請だけが残っている。


 セフィアが隣席で、照合台帳を静かに開いていた。何も言わない。ただ、必要な記録がすぐに出せるよう、頁を押さえている。


 ドレヴァンは顔を上げた。


「……この失効条件、現行書式には載っていないはずだが」


「載っていません」


「では、なぜ分かる」


 ユースは古い契約書を出さなかった。出す必要がない。差戻し票と現行規程の接続関係だけで、指摘は成立する。


「規程上の根拠は、世界法基層条項の連続性要件です。現行書式から欄が消えていても、条件自体は有効です」


 ドレヴァンは数秒、ユースの顔を見た。

 それから申請書を引き取った。


「差戻しだな」


「はい。差戻しです」


 ドレヴァンは立ち上がった。

 去り際、振り返らずに言った。


「うちの連中にも、お前の半分でいいから帳票を読む目があればな」


 ユースは返事をしなかった。

 窓口札の番号が、一つ進んだ。


  *


 変化が起きたのは、それから六日後だった。

 最初に届いたのは、辺境方面の通行管理局からの照会だった。


『魔王軍側の輸送部隊が、第四中継地点において補給物資の搬入を停止した模様。搬入停止の原因として、輸送魔獣三体の契約失効が確認されている。当局としては通行認可の整合確認を行いたく、関連する差戻し記録の写しを求める』


 ユースは照会書を読み、差戻し票の写しを作成し、送付票を添えて返送した。


 翌日、別の照会が来た。今度は補給監査室からだった。


『辺境第六補給線において、魔王軍側の物資輸送が七割減となった旨の報告あり。原因調査のため、関連する窓口処理記録の提出を求める』


 ユースは同じ手順で対応した。記録の写し。送付票。確認印。


 その翌日。

 セフィアが午前の教会監査室訪問から戻ってきたとき、いつもと歩調が違った。


「ユースさん」


「はい」


「教会の受付で聞いたんですが」


 セフィアは自分の席に着きながら、照合台帳を開いた。声は平坦だったが、指先が頁を探す速度が速い。


「辺境の駐留司祭から緊急の治療資材要請が来ているそうです。魔王軍の補給線が鈍化した影響で、前線付近の村落への物資供給が滞っていると」


「魔王軍側の物資が止まれば、略奪が増えます」


「はい。それで治療需要が跳ねていると」


 ユースは帳票から顔を上げなかった。


「治療資材の追加認可は、教会監査室の管轄です」


「そうですね。ただ」


 セフィアは照合台帳の頁を指で押さえた。

 教会の受付の方が、不思議そうに言っていました」


「何を」


「『たかが差戻しで、なぜ前線の補給線が止まるのか』と」


 ユースは筆を置いた。

 旧棟の窓から差し込む午前の光が、机の上の帳票を白く照らしている。


「差戻しで止まったんじゃありません」


 セフィアが首を傾げた。


「正しく処理した結果、正しくない契約が維持できなくなっただけです」


 セフィアは一拍置いて、小さく頷いた。


「……それを理解できる方が、教会にどれだけいるか」


「理解する必要はありません。記録が正しければ、制度が勝手に動きます」


 廊下の向こうで、若手職員が二人、声を潜めて話しているのが聞こえた。


「――旧棟の臨時窓口、知ってるか」


「ああ、元の勇者支援課の」


「あそこの差戻し一つで、辺境の魔王軍が止まったらしい」


「嘘だろ」


「補給監査室が記録請求したって話だぞ。本当に書類一枚で――」


 声が遠ざかった。


 ユースは筆を取り直した。次の帳票を開く。通常案件の経費精算。不備なし。受理印を押す。


 セフィアが隣で、照合台帳に新しい項目を書き足していた。

 日付。照会元。内容。対応状況。

 彼女の筆跡は相変わらず丁寧だった。一画も乱れない。


  *


 さらに二日後、旧棟の臨時窓口に見慣れない封筒が届いた。

 差出は、王国監督院・運用監査部。


 ユースは封を切った。

 中身は一枚の照会書だった。書式は定型だが、文面に微妙な含みがあった。


『第三窓口臨時担当による魔王軍関連案件の差戻し処理について、当該処理が辺境方面の戦況に与えた影響の有無を確認したく、処理経緯の報告を求める』


「影響の有無」ではない。影響があったから照会が来ている。

 これは確認ではなく、牽制だ。

 あるいは、評価かもしれない。


 ユースにはどちらでも同じだった。

 報告書の雛形を引き出し、事実だけを書いた。差戻し日時。差戻し理由。根拠条項。それ以上は書かない。意図も感想も不要だ。


「ユースさん」


 セフィアが照会書を覗き込んだ。


「運用監査部、ですか」


「はい」


「……上が動いていますね」


 ユースは報告書に確認印を押した。


「動くでしょう。窓口処理が戦況に影響を与えたという報告が、二つの部署から同時に上がっていますから」


「怖くないんですか」


「何がですか」


「上に目をつけられること」


 ユースは封筒を裏返し、返送先を確認した。


「不備のある申請を差し戻しただけです。それで上が動くなら、上の方にこそ確認すべき不備があるということです」


 セフィアの筆が、一瞬だけ止まった。

 それから、何も言わずに照合台帳の記入を再開した。


 午後の光が傾き始めていた。

 旧棟の廊下を、連絡係の足音が通り過ぎていく。通常業務の伝票束を抱えた若手が、臨時窓口の前を通るたびに、中を一瞬だけ覗いていった。


 噂は広がっている。

 だがユースの机の上は変わらない。帳票。差戻し票。照合台帳。筆記具。確認印。


 正しいものを通し、間違ったものを止める。

 それだけだ。


 ユースは次の帳票を開いた。

 通常案件。地方からの流通認可の進捗照会。回答期限は明後日。


 対応を始めようとしたとき、セフィアが声をかけた。


「あ、ユースさん。教会工房から伝言です」


「万年筆の件ですか」


「はい。あと数日で鑑定結果が出るそうです。ただ――」


 セフィアは伝言の紙片を見た。


「『合金の配合に関して、想定外の所見がある。詳細は結果通知書にて報告する』と」


 ユースの手が、胸ポケットの上で止まった。

 折れた万年筆の金属片が、制服の布越しに硬い感触を伝えている。


「分かりました」


 ユースはそれだけ言って、手を下ろした。


 流通認可の照会票を開く。不備なし。回答書の作成に入る。

 旧棟の窓の外で、夕方の鐘が鳴った。

 王都の空に、秋の雲が高く流れている。

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