第11話「旧案件の棚卸し」
四枚目は、公費精算だった。
宿泊費と装備修繕費の二重計上。勇者パーティーの斥候が提出した精算書に、同一日付の宿泊費が二件入っていた。
当時のユースは、一件を「遠征補助費」へ振り替えている。
振替伝票には、ユースの字で細かい補足が添えてあった。経理局の照合で弾かれないよう、勘定科目を変え、日付の根拠となる出発命令書の写しまで挟んである。
この一枚を通すために、少なくとも三枚の補足資料を作っていた。
ユースは付箋を剥がした。
補足資料を抜き、振替伝票を元の精算書に戻す。二重計上は二重計上として、帳票の表面に戻った。
五枚目。
通行証の名義使い回し。武闘家の通行証を僧侶が借用した記録。本来は個人認証が必要だが、ユースが「同行者帯同」の書式に書き換えて通していた。
帯同書式を抜く。
名義使い回しの原本が、そのまま残る。
「……六件目」
セフィアの声が、隣の机から聞こえた。
ユースは顔を上げなかった。
「治療記録の日付です。僧侶の施術申請と、教会側の受付日が二日ずれています」
「それは私が通した分ではありません」
「分かっています。でも、こちらの照合台帳と突き合わせると、ずれた二日間に別の患者の優先枠が入っています。僧侶が割り込む形で処理されていて――」
セフィアの筆記具が机を叩く音がした。小さく、一度だけ。
「これ、優先順の改竄ですね」
ユースは六枚目の帳票を受け取り、台帳と並べた。
確かに、日付が合わない。
教会側の受付印の位置も、通常の押印位置から半行ずれている。ユースが処理した形跡ではない。勇者パーティー側が、教会の窓口で直接ごり押ししたものだろう。
付箋を貼った。
「これは教会側の記録と照合が必要です。今の段階では保留にしておきます」
「了解です」
セフィアの返事には、先ほどまでとは違う硬さがあった。
ユースは気にせず、七枚目をめくった。
*
夜が深くなっていた。
旧棟の窓から差す光は、もう月明かりだけだった。
三年分の旧勇者案件――帳票の束は厚い。討伐受注、報酬請求、補給認可、通行証発行、治療申請。正常に処理された案件も含めれば、数十枚に及ぶ。
その三分の二ほどを消化していた。
問題のある帳票には、すべて付箋を貼ってある。温情で繕ったもの、勇者パーティー側が勝手にごり押ししたもの。付箋の色を分けて、左端に寄せた。
聖剣無認可行使の遡及処理。公費の二重計上。通行証の名義流用。虚偽記載の疑いがある戦果報告。治療記録の不整合。
付箋の数は、まだ増え続けている。
そして付箋のついた帳票のすべてに、ユースの手書きの補足資料がついていた。
一件あたり、最低でも二枚。多いものは五枚。
セフィアの手が止まっていることに、ユースは気づいていた。
照合用の筆記具を持ったまま、付箋の並んだ帳票の山を見ている気配がする。
「……これを」
声が、低かった。
「ずっと一人で?」
ユースは次の帳票をめくった。
「業務です」
「三年分の勇者案件を、全部この精度で――」
「温情が精度を求めるのは当然です。正規の処理なら補足資料は要りません。不備を不備のまま弾けばいいだけですから」
セフィアは何か言いかけて、やめた。
代わりに、照合台帳を引き寄せる音がした。
「……次、見ます」
筆記具の音が戻った。
ユースはそれ以上、何も言わなかった。
*
翌朝。
帳票の束は、すべてめくり終えていた。
付箋のついた帳票を、ユースは案件番号順に並べ直した。
聖剣無認可行使の遡及処理が四件。公費の二重計上が三件。通行証の名義流用が二件。虚偽記載の疑いがある戦果報告が三件。治療記録の不整合が二件。
温情処理の合計は、十四件。
補足資料だけで四十枚を超えていた。
ユースは旧棟の窓口を開ける前に、棚卸し結果の清書に取りかかった。
清書といっても、やることは単純だった。
温情で挟んでいた補足資料を抜く。振替伝票を剥がす。代替様式を元の書式に戻す。
それだけで、帳票は「不備のある原本」に戻る。
ユースの三年間の仕事が、一枚ずつ消えていく。
消えていく、というのは正確ではない。
正しい場所に戻っていく。
最初からそこにあるべきだったものが、ようやく正しい棚に収まる。
一件目。聖剣無認可行使――王都郊外殲滅事案。
「緊急災害対応」として処理した際の経路図、避難完了時刻の照合表、事由認定調書。すべてユースが起こした補足資料だった。
それを抜く。
残るのは、「聖剣使用許可の更新失効中に広域殲滅技を無認可で使用した」という事実だけだった。
二件目。公費二重計上――宿泊費精算。
振替伝票と勘定科目の変更書を抜く。同一日付の二重請求が、そのまま表に出る。
三件目。通行証名義流用。
帯同書式を剥がす。個人認証なしの借用記録が露出する。
十四件すべての清書が終わった帳票を、ユースは正式な確認照会の書式に転記した。
照会先は三箇所。
経理局。教会監査室。通行管理局。
それぞれに、「旧勇者案件に関する記録の確認照会」として、案件番号と帳票番号を添えた。
セフィアが出勤してきたのは、ユースが三通目の照会書を書き終えた直後だった。
「おはようございます」
「照会書を三通出します。経理局と通行管理局は午前中に私が本庁舎へ持参します。教会監査室は――」
「午後、私が持って行きます。治療記録の不整合二件の補足も添えたいので」
ユースは頷いた。
封をした照会書のうち二通を鞄に入れ、窓口の木札を「受付中」に返してから、本庁舎へ向かった。
*
二日が過ぎた。
各機関から順に回答が届いた。
最初に届いたのは通行管理局だった。
「通行証名義の照合結果――帯同書式の承認手続きに不備を確認しました。正規の個人認証記録が存在しないため、当該使用は名義流用として記録を更新します」
翌日、経理局。
「旧勇者案件・公費精算に関する確認照会の件――該当する振替伝票の原議が存在しないことを確認しました。当該精算は二重計上の疑いがあるため、経理局側でも追加調査を行います」
教会監査室の回答は、セフィアが直接受け取りに行った。
三日目の午前、セフィアは教会監査室から戻ると、回答書を机に置いた。
「教会側の回答です。治療記録の日付不整合について照合完了、該当期間の優先枠に承認手順を経ていない割り込みが二件、受付担当への聴取を行う予定――とのことです」
ユースは三通の回答を並べ、それぞれに受領印を押した。
温情で隠されていた不備が、三つの機関で同時に正式記録となった。
「それと」
セフィアが、回答書の写しを照合台帳に転記しながら続けた。
「今朝、教会の受付で聞いたんですが――勇者様が経理局で怒鳴ったらしいですよ。昨日のことだそうです」
ユースは手を止めなかった。
「照会の件ですか」
「確認照会の通知が勇者支援課経由で届いた翌朝に、本庁舎の経理局窓口へ直接乗り込んだとか。『今さら昔の話を蒸し返すな』と。昨日の昼にはもう教会まで噂が回っていたらしくて」
「窓口業界の噂は早いですね」
「本当に。ただ、照会元が旧棟の臨時窓口だと知った途端に黙ったそうです」
ユースは回答書を綴じた。
これで終わりではない。
残りの案件――虚偽戦果報告の三件は、討伐管理局への照会が必要になる。こちらは証憑の照合に時間がかかる。
だが、最初の三通の照会だけで十分な波紋は広がる。
経理局が追加調査を始めれば、公費精算の全件が再チェック対象になる。通行管理局が記録を更新すれば、過去の移動履歴との矛盾が芋づる式に出てくる。教会が聴取を始めれば、治療認可の優先順の改竄が表面化する。
ユースがやったことは、補足資料を抜いて照会書を出しただけだ。
制度が勝手に動く。
正しい記録を正しい場所に戻せば、あとは各機関の監査手順が自動的に不備を拾い上げていく。
セフィアが台帳を閉じながら、独り言のように呟いた。
「勇者パーティーの皆さん、今ごろ何通の確認通知を受け取っているんでしょうね」
ユースは答えなかった。
午後の帳票に手を伸ばす。
旧勇者案件の棚卸しは一段落した。次は通常業務の継続案件――魔王軍関連の帳票整理だ。
ドレヴァンが持ち込んだ補給契約の差戻し票の控えと、関連する過去の契約書束。旧棟の保管棚には、勇者案件だけでなく、魔王軍関連の古い帳票も移管されていた。
ユースは契約書束の最初の頁を開いた。
補給物資の品目、数量、輸送手段、契約期間。
見慣れた書式だ。ただし、古い。五年以上前のものだろう。紙質が違う。
二頁目をめくった。
三頁目。
四頁目で、手が止まった。
欄外に、見慣れない記号が並んでいた。
現代の帳票書式にはない配列。数字でも文字でもない、紋様に近い記号群が、契約条項の余白に小さく刻まれている。
ユースは記号の列を目で追った。
三行。
読めた。
召喚獣維持契約の欄外に書き込まれた、失効条件の注記だった。
現代の窓口職員なら、ただの汚れか装飾だと思って読み飛ばす。だが、ユースには読めた。
失効条件は明確だった。
ユースは帳票を閉じず、記号の列に指を添えた。
「セフィアさん」
「はい」
「ドレヴァンの差戻し票、手元にありますか」
「ここに」
セフィアが控えの票を差し出す。ユースはそれを古い契約書の横に並べた。
現代の補給契約と、五年前の召喚獣維持契約。
品目と輸送手段の紐づけが、欄外の注記で条件分岐している。
そして、その条件は――今のドレヴァンの契約更新に、そのまま適用される。
ユースは差戻し票の端に、小さく印をつけた。
「これ」
セフィアが身を乗り出す気配がした。
ユースは古い契約書の欄外を指で示した。
「切れますね」
窓の外では、旧棟の中庭に夕暮れの影が落ち始めていた。
セフィアの筆記具が、机の上で止まっている。
ユースは差戻し票を閉じず、次の頁をめくった。




