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書類が書けない勇者はお断りします〜追放された受付係の新しい窓口には、今日も魔王軍が番号札を取って順番待ちをしています〜  作者: 今井 幻


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第1話「勇者案件は朝から様式不備」

 朝の鐘が三つ鳴る前に、第三窓口の帳票棚はもう満杯だった。


 王都中央庁、世界法運用局、勇者支援課。

 その最奥に据えられた窓口番号「3」の札の下で、灰色の髪をきっちり分けた青年が、今日最初の申請書を開いている。


 ユース・グレイナー。

 受付係。


「――聖剣使用許可更新申請。有効期限、先月末」


 声に抑揚はない。

 万年筆の先が書面を辿り、不備欄に小さな印をつける。黒銀の軸が、窓口の薄い朝日を一瞬だけ拾った。


 期限切れ。


 差戻し理由を窓口控えに転記し、原本を返却トレイへ載せる。


 次。


 討伐報酬請求書。

 証憑として添付されるべき現場立会人の署名が、三名分のうち二名欠落している。残る一名の筆跡は、本人のものと明らかに異なる。


 不備事項を窓口控えへ記録。原本は返却トレイへ。


 次。


 治療申請書。

 患者氏名欄に「勇者パーティー全員」とだけ書かれている。個人識別番号も、症状記載も、施術希望日も空白。


 ユースはその申請書を裏返し、記載例が印刷されている面を上にして、返却トレイに載せた。


 差戻し。


 次。


 補給認可申請書。数量欄に「必要なだけ」。


「――これは様式以前の問題だった」


 返却トレイに載せる。窓口控えに不備内容を書き添える。


 勇者支援課の朝は、毎日こうして始まる。


  *


「おい、まだ終わらねえのか」


 窓口の向こうで、声が空気を割った。


 待合の椅子に浅く腰掛けた男が、長い脚を組み替えながら苛立たしげに腕を振る。金の刺繍が入った白いマントが、動くたびに大仰に翻った。


 アルヴェイン・クロス。

 光焔こうえんの勇者。


 王国公認勇者パーティーのリーダーにして、この窓口が扱う案件の、ほぼすべての発生源。


「聖剣の更新と報酬の前借り、あと補給。全部だ。今日中に通せ」


 待合室の空気が、一段冷えた。

 隣に座っていた商人風の申請者が、書類を抱えたまま椅子をわずかにずらす。その向かいの老婦人は、番号札を握る手に力を込めて視線を落とした。


 ユースは顔を上げなかった。


 手元の窓口控えに最後の一行を書き終え、万年筆を置く。


「更新申請は先ほど差戻しました。証憑添付が不足しています。返却トレイにお戻ししてありますので、ご確認ください」


「は?」


 アルヴェインが椅子から立ち上がった。

 マントの裾が、待合の床を掃く。二歩で窓口の仕切りまで詰め寄り、カウンターに片手を叩きつけた。


 硬い音が、天井の高い庁舎に反響する。


 返却トレイの書類束が、気流で端がめくれた。

 ユースの表情は変わらない。


「勇者命令だ」


 アルヴェインは低く、しかし待合室の隅まで届く声で言った。


「俺が通せと言ったら通るんだよ。いつもそうだろうが」


 ユースの視線が、ようやく書面から離れた。


 窓口越しに、勇者の顔を見る。

 端麗な造作。自信に満ちた眼差し。怒りというより、格下への矯正――そういう色が浮かんでいる。


 ユースは二秒ほどその顔を見て、視線を手元に戻した。


「証憑を揃えてお持ちください。受付番号は再発行いたします」


 抑揚のない声が、勇者の命令をスルーした。


 アルヴェインの顎が、わずかに引き攣る。


「……てめえ、誰に口きいてんだ」


「第三窓口です。次の方、どうぞ」


 番号表示が一つ進んだ。

 商人風の男が、おずおずと立ち上がる。アルヴェインの背中を迂回しながら窓口へ近づき、申請書を差し出す手が小さく震えていた。


 アルヴェインは返却トレイの書類束を乱暴にひったくり、舌打ちを一つ残してマントを翻した。


「おい、誰かまとめとけ。俺は先に行く」


 待合室の入口で、勇者パーティーの斥候らしき男が慌てて書類を受け取る。アルヴェインはそのまま振り返りもせず、庁舎の廊下へ消えていった。


 扉が閉まる音。


 残された空間に、番号札の紙が擦れる微かな音だけが戻ってくる。


 商人の男が小声で言った。


「……あの、いつもあんな感じなんですか」


「申請内容をお聞かせください」


 ユースの声は、一ミリも変わっていなかった。


  *


 昼の鐘が鳴り、窓口の受付札が裏返される。


「本日の受付は終了しました」


 最後の申請者を見送ったユースは、窓口の仕切り板を下ろし、事務スペースの奥へ戻った。


 受付は昼で締まるが、閉庁は夕刻の鐘だ。そして夕刻の鐘が鳴ったところで、窓口担当の仕事が終わるわけではない。


 事務机の上には、今日の窓口控えが綴じられた処理簿と、勇者パーティーの登録台帳が三冊。加えて、過去半年分の提出記録綴りが棚から出してある。


 ユースはこれらを開いた。


 差戻しで終わりではない。

 次に持ち込まれた時に通せるよう、窓口側の職権で用意できるものを全て先回りして揃える。それが第三窓口の――正確には、ユース・グレイナーだけの――日課だった。


 まず、聖剣使用許可の遡及更新。


 有効期限は先月末で切れている。本来なら更新は事前申請が原則であり、失効後の遡及は認められない。


 だが――世界法運用規程、第三編第七章、第四十二条の二。


「やむを得ない事由により期限内の申請が困難であった場合、主管窓口の裁量により、事後十四日以内に限り遡及更新を受理することができる」


 期限切れから、今日で十二日目。あと二日。


 問題は「やむを得ない事由」の認定だった。


 申請者が自分で事由書を書くのが通常の手続きだが、勇者パーティーにそれを期待するのは、魚に木登りを求めるようなものだった。彼らは次も白紙同然の書類を持ってくる。そして期限を過ぎる。


 ただし――同規程第四十二条の三。


「主管窓口は、客観的記録に基づきやむを得ない事由の存在を認定した場合、職権により事由認定調書を作成し、遡及申請に添付することができる」


 窓口担当には、申請者に代わって事由を「認定」する職権がある。代筆ではない。窓口が客観記録を精査し、規程上の要件を満たすと判断した場合にのみ発行できる公文書だ。


 ユースは勇者パーティーの出撃記録簿を開いた。


 指が日付と帰還報告の項を辿る。


 出撃日、帰還日、任務区域、活動日数。

 これらを照合すれば、「前線における継続的任務従事のため、期限内に帰還して申請する余裕がなかった」という事由が――かろうじて――認定できる。


 かろうじて、だ。


 実際には余裕はあった。アルヴェインが帰還後に申請所へ立ち寄る気がなかっただけだ。だが記録上の数字だけを見れば、規程が定める「合理的遅延」の範囲内に収まる。


 ユースは事由認定調書の様式を一枚取り出し、客観記録の参照番号と、認定根拠となる条項を書き込んだ。万年筆の線が、一画の迷いもなく欄を埋めていく。


 さらに、監査で事由認定の妥当性を問われた場合に備え、照合メモを二枚作成し、調書の間に挟む。


 ここまでで、聖剣使用許可の遡及更新は――次に申請が持ち込まれれば、通る。


 次。


 討伐報酬請求の証憑不足。


 立会人署名の欠落は、申請者側でなければ補えない。だが、証憑そのものを別の系統で代替することは、窓口の職権照会で可能だった。


 世界法運用規程、第五編、第百七条の三。


「証憑資料の一部が滅失または毀損した場合、主管窓口は関係機関へ職権照会を行い、代替証明の提出を求めることができる」


 ユースは照会票の様式を取り出した。宛先は前線司令部。請求内容は「任務完了確認書の発行依頼」。


 前線司令部が発行する任務完了確認書は、立会人署名とは別系統の公的証明だが、討伐の事実を証明する機能は同等に持つ。


 ただし、前線司令部がこの確認書を発行するには、討伐対象の確認記録が先に提出されていなければならない。


 ユースは勇者パーティーの過去三ヶ月分の提出記録を確認した。


「――あった」


 二ヶ月前、別件の討伐で提出された確認記録の中に、今回の対象と同一区域での活動記録が含まれている。日付と場所を照合すれば、傍証として援用できる。この参照番号を照会票に書き添えておけば、前線司令部側の発行手続きも早い。


 照会票を書き上げ、明朝一番で発送できるよう封筒に入れる。


 これで、確認書が届き次第――報酬請求も通る。


 次。


 治療申請。


「勇者パーティー全員」は論外だが、この不備には窓口側で打てる手がある。


 同規程第二編、第三十一条の四。


「記載不備が軽微であり、かつ窓口が保有する登録情報から正確な補正が可能である場合、主管窓口は職権補正通知書を発行し、申請者の次回再提出時に添付させることができる」


 要するに、窓口側が「あなたの申請のここが間違っています、正しくはこうです」と公式に通知する文書を作成する権限だ。申請者の名前で書類を書き直すのではない。窓口の名義で補正内容を特定し、再提出の手間を最小化する。


 ユースは勇者パーティーの登録台帳を開き、四名分の個人識別番号を確認した。直近の任務報告書に記載された負傷概要と照合し、職権補正通知書に転記する。


 これを次回差戻し時に申請書と一緒に渡せば、勇者パーティー側は通知書の内容を申請書に書き写すだけで済む。それすらやるかどうかは怪しいが、少なくとも窓口側の準備は完了する。


 最後。


 補給認可の「必要なだけ」。


 同規程第六編、第八十九条の二。


「数量の記載が不適切または不明確である場合、主管窓口は過去の供給実績に基づき、標準供給数量のみなし調書を作成することができる。ただし、申請者が当該数量を承諾した場合に限り、みなし調書を添付した再申請を受理する」


 ユースは過去半年分の補給台帳を開き、品目ごとの供給数量を洗い出した。


 万年筆が、数字の列をみなし調書へ刻んでいく。


 黒銀の軸が手の中で回るたび、インクの線が正確に欄を埋める。算出根拠となる過去実績の参照番号を付し、標準偏差の範囲内に収まる数量を記載する。


 これを次回申請時に提示し、申請者が承諾の署名を入れれば――補給認可も通る。


 全ての帳票を処理簿へ綴じ、照会票を封筒にまとめ、窓口控えの最終行に本日の対応件数を記入する。


 窓口の外では「勇者命令だ」の一言で済まされていたものの裏側が、ここにある。


 ユースは最後の帳票を処理済みの棚へ移した。


 窓口端末の時刻表示に、ちらと目をやる。


 夕刻の閉庁鐘はとうに過ぎている。庁舎の窓の向こうは、すっかり夜の色だった。


  *


 中央庁の東棟、監査記録室。


 灯りの落ちかけた廊下を、二人の監査官が並んで歩いていた。


「今期の勇者案件、結局また全部通ってるな」


 一人が帳簿を小脇に抱えたまま言った。もう一人は、眼鏡の位置を直しながら首を傾げる。


「通ってるんじゃない。通されてるんだ」


「同じだろう」


「全然違う」


 眼鏡の監査官が足を止めた。


「お前、勇者案件の帳票、ちゃんと見たか。事由認定調書の根拠構成。代替証明の職権照会。職権補正通知の精度。みなし調書の算出根拠。――全部、一人でやってるんだぞ」


「第三窓口の? あの地味なやつ?」


「地味とかそういう話じゃない」


 監査官は声を落とした。


「あの案件群は、普通なら半年前に破綻してる。聖剣の更新だけで三回、失効と遡及を繰り返してる。討伐報酬は証憑不備が常態化してて、本来なら不正疑義で凍結されてもおかしくない。治療申請は毎回白紙同然だし、補給は数量詐称すれすれだ」


「……それが、全部通ってる」


「通ってる。一件も監査指摘が出てない。あの窓口担当が、毎回、こっちが突く前に職権の範囲内で全部塞いでるからだ。条文の使い方が尋常じゃない。規程のどこに穴があって、どの職権を組み合わせれば合法的に通せるか、全部見えてる」


 廊下の窓から差し込んでいた夕暮れの光は、もうなかった。


 壁掛けの灯りだけが、二人の影を長く廊下に落としている。


「正直な話――」


 眼鏡の監査官が、帳簿を握り直した。


「あいつがいなくなったら、勇者案件は翌週に崩壊する。冗談じゃなく」


「そこまでか」


「そこまでだ。俺たちの仕事が楽なのは、あの窓口が先に全部片付けてるからだ。――ありがたいとは思ってるが、正直、薄気味悪い」


 足音が遠ざかっていく。


 廊下に静寂が戻った。


  *


 事務スペースに、ユースだけが残っていた。


 処理済みの帳票を棚に収め、明日の照会票の発送準備を終え、万年筆のインクを拭う。


 黒銀の軸を布で包み、胸ポケットへ戻す。


 窓口端末の電源を落とそうとした、その時だった。


 端末の隅に、赤い表示が点滅した。


 緊急通報。


 ユースの指が止まる。


 通報区分――王都郊外、魔獣掃討作戦。

 発報元――前線監視塔。

 内容――


『勇者パーティー・リーダー、アルヴェイン・クロス。避難誘導完了前に、聖剣の広域殲滅技を無認可使用。避難民荷車列および倉庫区画に被害発生。詳細は続報』


 赤い文字が、暗い事務スペースの壁に反射していた。


 ユースは端末の画面を見つめた。


 数秒。


 それから、処理済みの棚に手を伸ばした。


 たった今収めたばかりの聖剣使用許可の事由認定調書――遡及更新を通すために仕上げた一式を、引き抜く。


 今日、閉庁を過ぎてまで組み上げた職権処理の全て。

 事由認定の根拠構成。

 照会票の準備。

 職権補正通知。

 みなし調書。


 その全てが、今この瞬間、根底から意味を変えた。


 更新が失効している状態での、広域殲滅技の無認可使用。

 避難完了前の攻撃。

 民間被害。


 ユースは事由認定調書を机に広げ、新しい様式を一枚引き出した。


 緊急案件処理票。


 万年筆の蓋を開ける。


 黒銀の軸が、夜の事務室でひとすじ、鈍く光った。


 今夜は長くなる。

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