エピローグ
三つの鍵が一点に収束し、荒野の空間に残留していた青い光がクラリッサの肉体へと流れ込んだ。 摂氏四十度を超えていた体温が急速に低下し、過剰に発達した筋肉組織が自己分解を起こしながら再構成されていく。 骨格は内側から軋む音を立てて短縮し、強靭な四肢の関節は、かつての公爵令嬢としての細い骨の規格へと押し戻された。 全身を覆っていた銀色の毛並みは、毛根からの脱落と同時に、透き通るような白い肌へと置換された。 膨大な熱エネルギーが放出され、周囲の空気が白く揺らめく中、そこには一人の少女が立っていた。
彼女の容姿は、かつての美しさを超え、明るく、澄んだ輪郭を持っていた。 鼻筋は通り、唇は淡い桃色を呈し、瞳は灰色の輝きを増している。 しかし、頭頂部には三角形の耳が立ち、腰からは銀色の長い尾が伸びていた。 それらは、一度人知を超えた領域に達した肉体が、完全な種別としての「人間」に戻りきらなかった物理的な証左であった。 クラリッサは、自身の掌を見つめた。 鋭利な爪は後退し、指先には柔らかい皮膚が戻っている。 彼女は自身の重心がかつての高さに戻ったことを確認し、ゆっくりと膝の屈伸を行った。
「完璧だわ。ああ、本当に完璧。」
不意に、背後から高周波の振動を伴う声が響いた。 魔女アーシュラが、空中に固定された椅子に座ったまま、こちらを見下ろしていた。 彼女の手には、これまでの全行程が克明に記された手帳が握られ、ペンを走らせる指先は生理的な興奮で小刻みに震えている。 アーシュラは椅子から飛び降り、クラリッサの周囲を円を描くように歩き回った。 彼女の眼球は最大まで散大し、クラリッサの耳の先端の動き、尾の柔らかな毛並みを、熱を帯びた視線で走査し続けていた。
「この結末を待っていたのよ。公爵令嬢が獣に堕ち、すべてを奪われ、それでも自らの意志で立ち上がる。そして最後に、この愛らしい耳と尻尾を残して人の姿を取り戻す。最高だわ。これ以上の『推し』の姿がこの世にあるかしら。」
アーシュラは手帳を胸に抱き締め、身体を左右に揺らした。 彼女の顔面は紅潮し、呼吸の周期は平時の二倍に達している。 「私はあなたの熱烈なファンなの、クラリッサ。この惨劇も、この呪いも、すべてはあなたという物語を最高の形に仕上げるための舞台装置に過ぎないわ。あなたのファンとして、最前列でこの光景を見られたことに感謝するわ。」
アーシュラは、クラリッサの頬に手を伸ばそうとしたが、指先が触れる直前で自制するように手を引っ込めた。 「でも、これ以上近づいたら、ファンとしての境界線を越えてしまいそう。……さあ、私はもう行くわ。私のコレクションに、また一つ最高の記録が加わったもの。」
魔女の身体が、物理的な質量を喪失し、朝日の光に透けていく。 「逃げなさい、クラリッサ。新しい王としてのあなたの物語を、また別の特等席から見守らせてもらうわね。」
アーシュラの姿が完全に消失した瞬間、空間を支配していた異常な気圧が解消された。 ミレーユが即座に駆け寄り、クラリッサの肩に、紋章が刻まれた厚手の外套を掛けた。 クラリッサは、外套の重みを肩で受け止め、自らの新しい身体の感覚を確認した。 背後に残された耳が、周囲の騎士たちが武器を置く音を鋭敏に捉え、尾が風を切り、無意識に平衡を保つ。 彼女は一度だけ深く息を吐き、レオニードの前に立った。
王子は泥の上に座り込み、目の前の少女を、ただ呆然と見上げていた。 クラリッサは言葉を発しなかった。 彼女は泥の中に突き刺さっていた宝剣を右手で抜き取り、それを杖代わりにして、城門へと向かって歩き出した。 カトリーヌは主の影に寄り添い、ノエルは紋章旗を高く掲げてその後を追った。 武装を失った三千の騎士たちの間を、耳と尻尾を持った令嬢が、静かに、しかし確実な足取りで通り抜けていく。
朝日が、彼女の銀色の髪と尾を白熱させ、荒野に一本の長い光の道を形成した。 魔女が去り、王子が失墜し、後に残されたのは、自らの足で立つことを選んだ一人の少女の背中だけだった。 彼女は一度も振り返ることなく、新しい歴史の始まりを告げる城門へと、その歩みを進めていった。




