第一通 8月24日
いつもいつも花だけ供えるというのも芸がないから、手紙を書いてきた。
お前が死んでから何年経つんだろうな。
もう忘れてしまった。
そのくらい時間が過ぎたというのに、休みが来る度お前の墓に手を合わせる。
どうしてなんだろうか。
お前が居なくなって寂しいとか帰ってきてほしいとか、愛しいとかそういう理由もあるんだろう。
でも、一番は恨んでいるからなんだろうな。
お前をどんなに愛して、尽くして、泣いたか、知らないまま逝ってしまったから。
それに報いてくれる前に居なくなったから。
割に合わない、あまりにも。
たったそれだけの理由で私はこんなことを続けているのだから、感情なんてものは非合理で、唾棄すべきものなんだろうな。
お前のせいでより一層そう思うようになった。
お前の死を、私はいまだに必然だとは考えられない。
あれのどこに必然があった? ただの無軌道だ。
ただの我儘だ。
そうやってお前は、最後の最後まで私を置き去りにした。
ましてや、お前のくだらない理想で死んだのだから、なおさらだ。
誰も救わず、何も変えず、ただ自分の激情を正義と呼び替えて突っ走った末の死など、愚かしいとしか言いようがない。
クーデターごときで歴史を動かせると思ったのか。
本当に愚かしい。
それでも私は、お前のことを忘れられない。
お前が何を考えて、何を見て、何を求めていたのか、私は知りたいと願ってしまう。
墓の下に居る者に何かを求めるなど、無益を通り越して愚かだというのに。
もう一度、お前の声を聞きたいと思ってしまう。
私はお前を本当に愛してなんかいなかったんだろうな。
お前を救うことよりも、私が救われることばかりを願っていたのだから。
だから、こんな風になったのだろうか。
もっと私がお前を理解して向き合っていれば、こうはならなかったのではないか。
全部私のせいなのか?
答えてくれよ。