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エピソード2 『英雄と硝煙』

大陸歴1650年 夏 交易都市ロウワン


 午前六時、ロウワンの朝は早い。


 交易都市であるこの街は、夜明けと共に動き出す。荷車のきしむ音、荷を積んだ馬のいななき、商人のどなる声と、それに反応する小商人たちの罵声――騒がしさに目を覚まさぬ者などいない。


 エイデン・ノアは、目覚ましの鐘の前に目を覚ましていた。それは訓練された兵士としての習慣であり、体に染み付いた生き延びるための癖でもあった。


 木製の質素な寝台に寝起きし、服を整える。

 片脚を通すたび、かつての戦場で受けた古傷が痛む。魔力回路の一部は今も損壊したままで、朝はとくに魔力の流れが悪い。


「……はぁ」


 膝を軽く叩き、呼吸を整えると、彼は私兵の詰所へと向かうべく外へ出た。


 セザンヌの邸宅はロウワン中心部に位置する。中央広場から見てやや南寄り、石畳の街路をひとつ奥に入った場所。外観こそ整っているが、城でも貴族の屋敷でもなく、妙に“混ぜ物”めいた建築だった。


 帝国建築の骨組みに、王国の飾り梁、エイデンでも分かるその趣味の悪さは意図的にごった煮にしたとしか思えない。


 そしてこの屋敷の裏手にあるのが、エイデンたち私兵の詰所だ。現在、私兵として仕えているのは、エイデンを含めて六名。うち五名は元兵士、残る一名は元々は帝都で学者だった男だ。


「おっとこれは、ノア中尉殿。今日もお早いご出勤で 」


 訓練場の隅でナイフを振っていたのはカイルという男だ。アストレア出身の元王国兵で、妙に人懐っこい奴というのがエイデンの今のところの見解だ。


「その"中尉"ってはやめろと言っただろカイル」


「呼び捨てにしろってのは無理な話ですよ。なんせ我らが"英雄"だ」


「英雄なんて呼び方はやめてくれ。……そんなもん着て戦えたのは国があった頃だけだ」


「……そんなことは」


叱られた犬のように肩を落とすカイル、それを見てエイデンもまたいたたまれない気持ちになった。


戦争に負けそれでもまだ希望を持っているのだろう。彼は拠り所が欲しいのだ。故にエイデンの事を英雄と呼んでいる。


「カイル」


「……はい」


「俺はもう英雄じゃないが……同じ地獄をくぐった“戦友”だ。それは変わらん」


「……中尉」


言ってて恥ずかしくなる台詞だが、カイルは確かに同じ戦場を生きた兄弟だ。支えてやりたいし、今はともに背中を預け合い役目を果たしたい。


「ありがとうございます。ノア中尉」


「だから中尉は…はぁとりあえず飯でも食おう。セザンヌの所に行くのはそれからでもいいだろ」


「了解です。すぐに準備します!」


カイルはナイフをしまうと嬉しそうに私兵の詰所へと駆けて行った。その後ろ姿は本当に犬のようでエイデンは再度、溜息を吐いた。



 朝食後、エイデンたちはセザンヌの部屋へ集合した。


 命令を受け取るのは一日一度。日によっては仕事がなく、町の整備や警備の手伝いに回されることもある。


「今日の当番は……エイデンとカイルね」


 セザンヌは薄く化粧を施し、香水の香りをまとわせた姿で現れると、指先で名を指名した。


「北西の街道、ガルツ峠からの報告よ。たぶんハウルウルフが出てるらしいわ。荷馬車が一台丸ごと襲われてる」


「獣避けはなかったのか?」


「あったみたい。でも反応しなかったっていうの。ちょっと気になるでしょ?」


 エイデンは頷いた。


「出発はいつだ?」


「準備ができ次第。午前中には発って、日が暮れる前には戻ってきて。何か変な兆候があれば、報告だけでいいわ。しばらくあそこは通行止めにするから無理に倒す必要はないわよ?」


「了解」


エイデンとカイルはそれだけ言うと足早に執務室から退出しすぐに準備を始め数十分もしないうちに馬に跨り駆け出した。


 出立前、エイデンはロウワンの門をくぐる。そこには帝国軍の衛兵が立っていた。


「おい、そこの。身分証を――」


「あぁ、こいつはガルドス伯爵んとこの私兵だよ。顔パスだ」


 兵のひとりが、別の衛兵を制した。

 どうやら顔を覚えられていたようだ。


「すまんな。こいつ新人でこっちに来たばかりなんだ」


「気にすんなそんな日もあるさ」


 エイデンは頷いて通過する。衛兵たちは口を閉ざしたが、その視線には「警戒」が混じっていた。


 セザンヌの私兵は、帝国軍から見れば「準合法な戦力」でしかない。完全な軍属でもなく、貴族の私的武力として分類されている。下手に動けば「反逆予備軍」になりかねない存在。エイデン自身、それは百も承知だった。


エイデンたちが通り抜けた後に新人の衛兵がその背中を見ながら口を開いた。


「にしても異様な圧がある奴ですね」


「お前は知らんだろうがあの先頭の男は先の戦争で【北壁の大狼(ノルヴァルグ)】って呼ばれてたらしい」


「本物ですか?」


「さぁな。本物だったら落ちぶれたもんだよ変態貴族の私兵とはな」


「まったくですね」



 ◆



 街道に出ると、ロウワンの喧騒はすぐ遠のく。

 あとは馬のいななきと、車輪の軋む音、風に揺れる草のざわめきだけが道を彩った。


「あの、ノア中…ノアさん」


「エイデンでいいぞって最初に会ったときに言っただろ」


「あまり慣れなくて、すみません」


「まぁいいよ。で、なんだ?」


 馬を並べながら、カイルが問いかけに首だけそちらに向ける。


「アナタは、ずっとここにいる気ですか?」


「……そらどういう意味だ?」


「いや、なんとなく。王国の人間で、あれだけの“名”を持ってた人が、ずっと辺境でこそこそしてるの、違和感あるというか」


「違和感があるなら忘れろ。俺はただ与えられた役目をこなしてるだけさ。それが辺境でも帝都でも変わんねぇよ」


 エイデンはそう言って目を閉じた。浮かぶのは、焼かれた村と、死んでいった仲間の顔だった。


「……すみません。つい…」


「いいさ」


エイデンは、目を開けると、遠くの空に舞う鷲の影を見上げた。


「俺は、俺が立つべき場所に立つ。ただそれだけだ」




 

峠に着いた頃には既に昼を回っていた。


峠の風は冷たく、重い灰色の雲が低く垂れ込めていた。霧のような湿気が肌を湿らせ、草木のざわめきが遠くでこだまする。


エイデンは馬上から降りて、薄暗い道の先をじっと見据えていた。呼吸は静かだが、心臓の鼓動が胸の奥で激しく響く。


カイルが隣で小さく息をつき、小銃の引き金を確かめる音が耳に入る。


「見えた……奴らだ」


視線の先、闇に溶け込むように三体の影が揺れている。そこから漂う、獣の匂い。古びた血と、まだ生々しい痛みの混じった臭気が鼻を突いた。ハウルウルフの鋭い目が、暗闇の中でぎらりと光る。


体長約三メートル程の狼。気性が荒く魔獣ですら狩りの対象である大型の肉食獣。それが徒党を組んで襲ってくるのだ荷馬車などひとたまりもないないだろう。


風がまた一度強まり、草がざわざわと音を立てた。エイデンの心臓は音に合わせて跳ねる。全身が張り詰め、まるで弓の弦のように緊張で満たされた。


「カイル、準備はいいか?」


「はい、いつでも」


小銃の冷たさが掌に伝わる。指先の感覚は研ぎ澄まされ、微かな動きにも反応する。肩越しに漂う空気の振動、敵の呼吸、地面を踏みしめる足音も、すべてが手に取るようにわかる。


エイデンはゆっくり息を吸い込むと、わずかに目を細めた。時間が、限られている。


「……撃て」


銃声が山々に鋭く響き渡る。第一弾が獣の肩を貫き、地面に跳ね返る砂埃が立った。獣は咆哮をあげ、激しくのたうち回る。だが、傷はすでに深い。


次の瞬間、カイルの銃からも鋭い音が連続で鳴り響いた。銃弾が獣の脚を捉え、獣の動きは鈍く、足元がおぼつかなくなっていく。草を踏む音が乱れ、湿った土に血が滲む。


一頭はほぼ無力化したがもう二頭が牙を剥いた。


「くそっ、気を付けろ速いぞ!」


獣が咆哮しながら突進してくる。エイデンは馬を押しとどめ、狭い峠道のわずかな隙間に身を潜めた。身体中に張り詰めた神経が痛みのように走る。肺は酸素を求めて熱く膨らみ、手が僅かに震えた。


銃を握る手に集中し、目の前の動きを追う。獣の瞳は狂気と恐怖の入り混じった光を放つ。


「カイル、左だ!後ろからも来る!」


背後から別の獣の足音が響き、木の枝が折れる音が飛び込む。カイルはすぐに身をひるがえし、引き金を引いた。銃弾が風を切り、獣の胴体に命中。獣は大きく喉を鳴らして倒れ込んだ。


その時、最初の獣がまだ立ち上がろうとしているのを目の端で捉えた。それに目線を奪われた瞬間に三体目が間合いを詰める。銃声と獣の咆哮が入り混じる。エイデンは一瞬、視界が揺らいだ気がした。胸の奥が締め付けられるように苦しく、背筋に冷たい汗が流れる。


足下には三頭目のハウスウルフが横たわっている。痙攣しながら絶命に向かうその獣から目線を外し最初に撃ったやつに目線を向けた。


「……クソったれめ」


彼は自分に言い聞かせるように呟いた。生き延びるための唯一の術は、ここで立ち止まらないこと。


再び銃を構え、呼吸を調節する。息を吐きながら、引き金を引く。その感触は重く、だが確実だった。


最初の獣も膝をつき、目がうつろになった。風が一瞬静まり、周囲の世界が張り詰めた空気で満たされる。湿った土と血の匂いが鼻腔を刺激した。


エイデンはぐっと銃を握り締め、馬の鞍に手を置いた。カイルも同様に息を荒げながらこちらを見ている。言葉はなくとも、二人の間に流れるのは生死を共にした者だけが理解できる緊張と安堵の瞬間だった。


だが、ふと視線を獣の身体に落とすと、そこには彼らが撃たれる以前から受けていた傷が、深く生々しく刻まれていた。細い線状の傷、消えかけた血痕。彼らはただの襲撃者ではなかった。何かから逃げてきたのだ。


その後、峠を降り、静かな街道を馬で急ぐエイデンとカイル。風はまだ冷たく、木々の葉擦れが低くささやいた。二人の心には、あの獣たちの負傷の痕跡が重くのしかかっていた。


「……街に戻ったら、あの荷馬車の生き残りから話を聞きましょう」


カイルがつぶやく。彼の声はまだ震えていたが、確かな決意がこもっていた。


荷馬車の残骸は、街外れの小屋の脇にあった。焼け焦げた車輪、散乱した荷物。馬はもはやいななかなかったが、一人の男が傷を押さえながら怯えた目でこちらを見ていた。


「やあ……アンタたちは?」


生き残りの男は声がかすれ、体を震わせながら立っていた。彼の顔には泥と血が混ざり、腕には包帯が巻かれている。


エイデンがゆっくりと歩み寄る。


「俺たちがアンタをロウワンまで護衛する。その前に何が起こったか話してくれ」


男は視線を落とし、何度か喉を鳴らしてから小さく頷いた。


「……奴らは森の中から急に出てきたんだ。すでに動きがおかしかった。血を流して、足を引きずって……何かに追われているようだった」


彼の言葉は震えていたが、どこか切実だった。


「獣避けは作動したのか?」


「……あった。だが効かなかった。獣は無理やり突っ込んできた。普通ならあんなことは……」


言葉を切った。男の目が遠くを見ている。


「それで……どうした?」


「仲間と何とか逃げたが、ほとんどが捕まった。俺だけが、ここまで辿り着いた」


エイデンは静かに頷いた。


「何か心当たりは?」


男は首を横に振った。


「いや、わからない。ただ……奴らは、どこかから逃げてきた。狂っているようだったよ」


カイルが鋭く言葉を続ける。


「狂ってる…?」


「わからない。ただ、異様だった。普通のハウスウルスとは違う、何かに怯えているように見えた」


沈黙が二人の間を支配した。空気が重く、時 間だけが過ぎていく。


再び街のセザンヌの邸宅。薄明かりの執務室には静かな緊張感が漂っていた。


エイデンは報告書のように簡潔に、だが詳細に事の次第を話す。


「峠での戦闘は迅速に終えたが、ハウスウルフたちはすでに負傷していた」


セザンヌは椅子に座ったまま、冷静に聞いている。


「獣避けは機能しなかった。荷馬車の生き残りの話では、狂気じみた状態で突っ込んできたらしい。おそらく何かから逃げてきたんだと思う」


彼女は細い眉を寄せ、静かに答えた。


「……それは厄介ね。何かが、あの森に起きているのかもしれない」


エイデンは一息ついて答えた。


「あぁ。慎重な調査と警戒が必要だ。街の安全を第一に考えながら、状況を見極めていかないといけない」


セザンヌは薄く微笑んだ。


「そうね。とりあえず今日は二人ともよくやってくれたわ。しばらくは監視を強化し、情報収集に努めて。何か変化があったら即座に対応しましょう」


エイデンは小さく頷き、決意を新たに執務室を後にした。


セザンヌ邸からの帰り道、夕闇が街をゆっくりと包み込んでいた。エイデンの足取りは、緊張の反動もあり、どこか重く鈍い。腕に感じる銃の反動や、冷えた風が皮膚を刺す感触が、戦闘の疲労を改めて思い起こさせる。


「エイデンさん、今日はこの辺で失礼します」


隣を歩くカイルが軽く笑いながら声をかけてきた。彼の表情はすでに戦闘の後とは思えぬほど明るく、疲れを見せない。


「ああ、俺はこのまま宿に戻るよ。お前は……?」


「街へちょっと顔を出していきます」


「……女か?」


「いやいや、そんなんじゃ…」


「隠すなよ"軍曹"」


「それは卑怯では!?」


「冗談だよ。ほらさっさと行きな」


エイデンの言葉に、カイルは苦笑を浮かべ

彼は夜の街へと消えていった。


宿までの通りにはすでに娼婦たちが明かりの下に集い、華やかな衣装を身に纏い、夜の闇に誘う声をあげている。


甘い香りと色香が漂う中、エイデンは躊躇いなくその中へと歩みを進めていった。


体中にじわりと疲労が染み渡り、歩幅がますます小さくなっていく。背筋に重みがのしかかり、頭の中の雑音もだんだん薄れていくようだ。


歓楽街の入り口を過ぎると、彼に向けられる視線が鋭くなった。誘いの声も途切れず、何度か軽い言葉をかけられた。


「遠慮しておくよ」


風に乗る甘い声にそっと首を振り、彼はただ静かに答え足を急がせた。


やがて、エイデンはいつもの宿の前にたどり着く。宿の入り口のランプが暖かい橙色の光を放ち、彼を迎え入れるかのように揺れている。


店の中から女将の視線を感じ、エイデンは小さく挨拶を返すと、無言でカウンターに腰を下ろした。女将は何も言わずに、彼の好みの酒と少しの残り物の料理を差し出す。


「ありがとう」


エイデンは言葉少なに杯を受け取り、その温かさに少しだけ心がほぐれた。


酒の香りを鼻先に感じながら、ゆっくりと一口ずつ味わう。戦いの緊張感と疲労、そして静かな夜の温もりが彼の体と心を包み込んだ。


酒と共に差し出された料理を小皿に取り、戸惑いながらもその女将の心遣いに甘えた。日々の孤独や重責が一瞬だけ遠のく。


やがて彼は静かな自室へと戻り、扉を閉めた。外の喧騒とは無縁の、小さな安息の空間がそこにあった。






更新が遅くなりました。

お盆はあれです。Gジェネやってました。

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