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エピソード11 彼が軍靴を履いた日Ⅰ

 

 大陸歴1644年 アストレア王国


 アストレア王国の冬は長く、街の空はいつも鉛のように重かった。

 王都の北区、商家が並ぶ細い通りの一角。

 そこでカイル・ロンドは生まれ育った。

 店は魔道具を扱う小さな商家だった。家業はそこそこに繁盛しており、父母も兄も真面目で、何の不足もない暮らしだった。


 ただ――変化がなかった。


 朝は鐘の音で目を覚まし、倉庫の戸を開ける。昼は兄と共に客の相手をし、夜は帳簿を手伝う。

 日々の営みは穏やかで、退屈で、どこまでも同じだった。店を継ぐのは兄、幼い頃から決まっていた。

 では自分は?特に何者でもなかった。


 窓の外を眺めれば、街を行く兵士の姿が見えた。

 銃を下げ、胸を張り勇ましいその姿に胸の奥が熱くなった。

 あれが特別な人間の姿だと、幼い幻想が囁いた。

 彼はそれを羨んだ。

 家の外に出たことのない、凡庸な自分とは違う世界。

 血を流し、名を刻み、物語に残る者たち。


 ――戦争が始まったのは、そんな頃だった。


 魔導王朝クオンザールとの国境紛争。

 北部高原に築かれたノルム城塞が最前線となり、軍は新兵の募集を始めた。

 街角に立つ徴兵官の声が、雪の降る空気の中に響く。


「祖国のために剣を取れ! アストレアを守る勇者を求む!」


 最初に友人が志願した。

 次にもう一人、また一人。

 街がざわつく中、カイルの胸もざわめいた。

 父は反対した。母も泣いた。

 そして兄は静かに言った。


「家を出るのはいい。でも、戦場なんかに夢を見て何になる?」


 その言葉が、かえって彼の心を決めた。

 夢を見て何が悪い。

 特別になりたい。

 凡庸なままでは終われない。


 開戦から一年後の十八の春、カイル・ロンドは志願兵として入隊した。


 訓練隊は王都郊外の旧砦を改装した施設にあった。

 石造りの壁、鉄の門。吹きさらしの広場には木銃を握る若者が列をなす。

 朝は日の出前から集合し、日が沈むまで訓練が続く。

 走り、打ち、組み、転がされ、罵倒さ

 る。

 飯はまずく、寝床は寒い。

 それでもカイルは燃えていた。


 訓練では誰よりも速く動き、走り込みでは誰よりも先に丘を駆け上がった。

 体格体力は上の下、魔力は平均よりやや多いぐらい。

  訓練成績は常に上位。

 次第に同期の中でも「優等生」として知られるようになった。


 そんなある日、教官たちの前に一人の女性が現れた。

 軍服に身を包み、髪を後ろで束ねた長身の士官。

 左目には黒い眼帯。

 右目だけで若者たちを一瞥すると、その視線の鋭さに全員が背筋を伸ばした。


「今日から新たに臨時助教として加わる、アリシア・アントマイネ少尉だ。彼女は前線帰りだ!お前たちは少尉から多くを学べ!」


 彼女は無言で一歩前に出た。

「怠け者は叩き出すから覚悟して」

 短く、それだけ言って踵を返す。


 その瞬間、カイルの目が釘付けになった。

 堂々とした立ち姿。声に宿る静かな力。

 そして何よりその眼差し。

 命のやり取りを知る者だけが持つ冷たい光。


 初めて見た“本物”だった。


 その後、エリシアは彼らの実技訓練を担当した。

 射撃、剣術、戦術、部隊行動。

 指導は厳しかった。だが理にかなっており無駄がない。

 カイルは何度も叩き伏せられ、木剣で手を腫らしながらも食らいついた。


「何度も同じところを狙われるのは、相手を見てない証拠よ」


「はいっ!」


「声を張り上げても剣は速くならない」

 

「……はい」


 いつしか、彼女の言葉一つ一つが心に残るようになっていた。

 尊敬と、憧れ。

 それが別の何かに変わるのに、時間はかからなかった。


 訓練期間は約半年間、その日は最後の成績上位者の発表が行われた。

 名簿の中に、カイルの名もあった。

 教官たちは満足げに頷き、エリシアもわずかに口元を緩めた。


「お前たちは来月から部隊配属だ。希望はあるか?」


「前線です!」


 カイルは迷わず言った。

 鍛えた力を、戦場で試したかった。

 特別になるなら、血の中しかないと信じていた。


 だが――結果は違った。


 配属先は王都守備隊。戦場から最も遠い、安全な後方。


「なんで……」


 報告書を握りしめたカイルは呆然と立ち尽くした。

 同じ成績だった同期の何人かは北部方面軍へ送られている。自分だけが、後方。


 そんなカイルを見かねてかエリシアが声をかけてきた。


「不満そうね」


「当然っす。俺は戦いたかった」


「どうして?」


「少尉みたいになりたいから…貴女のような特別に」


「戦えば特別になれると思ってるの?」


  その問いに、言葉が詰まった。


「違うとは言いません。でも、俺は力を証明したい」


「証明って、誰に?」


「……自分にです」


 アリシアは少しだけ目を細め、そして静かに言った。


  「それなら、どこに配属されても関係ないわ。自分を誇れるようになるのは、戦場じゃなくてもできるもの」


 それが慰めだとはわかっていた。

 それでも、その言葉が胸に残った。


「それに私も王都守備隊に行くわ。訓練隊の教官は転属までの繋ぎ。部隊は違うかもしれないけど、今後もよろくしねロンド二等兵」


 王都守備隊に配属されてからの日々は、再び変わり映えのない日常だった。

 巡回、詰所の勤務、訓練。

 ただ、勤務隊舎の片隅にはいつもエリシアの姿があった。

 彼女は今や上官として、時に指導し、時に見守っていた。


 カイルは時折、訓練の後に雑談を交わすようになった。

 最初は業務の報告だけだったが、次第に他愛ない会話へと変わっていった。

 エリシアが好きな茶葉の話。

 北部での凍えるような夜の話。

 そして、いつか戦が終わったら何をしたいかという話。

 彼女は遠くを見つめて言った。


「静かな場所に、小さな家を建てたいわ。湖畔が近くにある場所にね」


 その横顔が、あまりに綺麗だった。

 カイルは、いつかその夢を一緒に見たいと思った。


 彼女の厳しさの裏にある優しさを知るたび、心が揺れた。

 いつしか、カイルのなかでアリシアは大きな存在となっていた。


 そして開戦から三年の月日が流れた。

 戦況は守勢である王国が未だ有利な状況が続き、王都守備隊もその規模がカイル着隊時に三個連隊規模であったのが一個連隊規模、約五百人にまで縮小され、最近では王都最後の守備隊(レガリア・オーダー)と揶揄されるようになっていた。

 カイルも未だ戦場を知らずその熱が冷めないまでもこの現実を受け入れてしまっている自分がいた。


  その晩、カイルが軍曹に昇進したことで所属する分隊の仲間が宴会を開いてくれていた。


 その夜は穏やかだった。

 戦の足音が迫っているといっても、それはまだ遠い。

 石畳を流れる風には香辛料の匂いが混じり、広場には灯籠の灯がゆらめいていた。


 任務明けの兵たちが十数人、顔を赤くして並ぶ小さな酒場。

 木の扉を開けた瞬間に、温かい喧騒と酒の匂いが全身を包み込む。

 長卓に座れば、すぐに笑い声と歌が交じる。


「おい、カイル!あの隊長の目線、最近優しいんじゃないか?」


 からかい半分の声に、カイルは苦笑してグラスを傾けた。


「いや、そんなはず……いや、そんな気がしないでも……」


「ほら見ろ、顔が真っ赤だ!やっぱり気になってるんだな!」


「違いますって……!」


 笑いが広がる。

 気のいい仲間たちの声、木製のコップのぶつかる音、店の奥の楽士が奏でる笛の旋律。

 そのすべてが、どこか遠い夢のように感じられた。

  本当に今が戦時かと疑いたくなるようなそんな穏やかな時間。


 カイルは彼女の顔を思い出していた。

 いつも毅然として、どんな任務にも冷静に臨む。

 だが、時折、誰も見ていないと思っているのかほんの一瞬、寂しそうな目をすることがある。

 それが頭から離れなかった。


「おい、カイル。聞いてるか?」


 仲間の一人が肩を叩いた。


「なぁ、もし戦争が終わったらさ。どんな女と暮らしたい?」


「そりゃ決まってるだろ、美人で気立てが良くて料理上手な……」


「違う、違う!そんな理屈じゃねぇんだよ、心が惹かれるってやつだ!」


  酒の勢いで誰もが笑い、語り合う。


  カイルは頬杖をついて、小さく呟いた。


「……そういう人なら、もういるよ」


「おっ、誰だよ!」


「言えるわけないだろ!」


 その瞬間、笑い声の向こう店の外の窓辺を、影が通り過ぎた。


 黒い軍帽。

 赤いマントの端が夜風に揺れる。

 月明かりの下、街路を歩いていたのはアリシア・アントマイネだった。

 

「……少尉?」


 思わず呟いた声に、仲間たちが振り返る。 アリシアもこちらに気づいたのか一瞬だけ立ち止まり、扉を開けて店に入る。

 店内の喧騒が一拍遅れて静まった。


「楽しそうね」


 その声音は少し呆れ、少しだけ笑っていた。

 彼女は指でグラスを軽く叩いた。


「酒も女もほどほどにしなさい。いざという時に、戦えないわよ?」


 その言葉に場がざわめく。

 けれどカイルだけは、目を離せなかった。

 酒と鼓動が混じり合い、頭の奥が熱を持つ。

 気づけば、立ち上がっていた。


「俺は――」


 その声は少し震えていた。

 周囲の兵たちが息をのむ。


「俺は、貴女以外に興味ありません!」


 一瞬、時が止まった。

 誰もが言葉を失い、アリシアの片目だけがゆっくりと開かれた。

 彼女の頬が、かすかに赤く染まる。


「……まったく。酔いが過ぎるわ」


 そう言って、彼女は踵を返し、夜の街へと戻っていった。

 背にかかる月光の白さが、妙に綺麗だった。


 その夜、カイルは笑われ、叩かれ、散々に茶化された。

 だが心の奥では、不思議なほど後悔はなかった。むしろ胸の奥に、確かな熱が残っていた。


  翌日。空気は澄み、雲の流れが早かった。

 城壁の上に立つと、遠くの山脈が青く霞んで見える。

 その下、街はまだ眠っていた。

 夜の出来事が夢だったように思えたそのとき。


「昨夜の酔いは、抜けた?」


 背後から静かな声。

 振り返ると、アリシアがいた。

 黒い軍服の襟を風に揺らしながら、淡い笑みを浮かべている。


「少尉!」


「呼び方、硬いわね。もう少し、砕いてもいいのよ」


 そう言って、彼女は手すりに寄りかかった。

 風が髪を撫でる。彼女の睫毛の影が頬に落ちて、儚く揺れた。


「そういえば昇進したんですってね、おめでとうロンド軍曹」


「いえ、ありがとうございます」


「昨日はその宴会だったんでしょ?それなのに仕事に出ても大丈夫なの?」


「はい、自分はそんなに呑んではいませんから。それに……」


「それに?」


「ここに来れば貴女に会えそうな気がしたので」


「……そう」


 アリシアは風でなびく髪を耳に掛けながらカイルの次の言葉を待った。


「……少尉は昨日のこと、覚えてますか?」


「ええ。忘れられるほど軽い言葉じゃなかったわ」


「……あれは、酔った勢いとかじゃなくて」


「……」


「本気です」


 アリシアはしばらく沈黙した。

 その沈黙が、風よりも痛かった。

 ようやく彼女は息をつくように笑い、目を伏せた。


「あなたは、本当に不器用ね」


「え?」


「告白しておいて、顔が真っ赤じゃない。……でも」


 彼女はそっと、カイルの胸元を指で押した。


「嘘を言う人の心音じゃない。聞こえる?」


 鼓動が二人の間に響いていた。

 カイルは、ただ頷くことしかできなかった。

 エリシアの唇がわずかに震え、微笑が零れる。


「――戦争が終わったら、またその言葉を聞かせて」


「……約束します」


「ええ、約束よ」


 風が二人の間を通り抜け、花の香りを運んでいく。

 その時のアリシアは、戦場の英雄ではなく、ひとりの女性だった。

 カイルはその姿を、焼きつけるように見つめていた。


 ――その時間が、永遠に続くと信じていた。


 しかし、それは淡く儚い願いだった。


 その翌年、大陸歴1648年の春。


 北部高原最大の激戦地であるノルン城塞が陥落した。


お疲れ様です。

赤ワニ太郎です。


最近、寒くなり指が悴んで執筆速度が低下してます。

……嘘です。本当に単純に遅いだけです。別にサボってる訳じゃないです!

だから見捨てないで!

頑張るから見捨てないで……


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