エピソード10 森の異変Ⅱ
お疲れ様です!
二週間のインペルダウン生活を終え無事帰還しました!
「来いよ、化物。第二ラウンドだ」
吐き出された白い息が夜気に消える。
その音は、雪を割って進む氷の刃のように鋭かった。
エイデンは銃口をわずかに傾け、視界の先にある影を睨み据えた。
銀世界の中で黒い輪郭が浮き彫りになり、月光を吸い込むような艶を帯びた異形の体がゆらりと揺れる。
自分の呼吸音すらやけに遠く感じる緊張のなかで先に動いたのは化物の方だった。
雪を踏む音ひとつなく、ただ影が跳ねる。
その瞬間、エイデンの右腕が閃いた。
その軌道に向け撃つ。槓桿を引いて更にもう一撃。銃弾は一つは胴体をもう一つは足への直撃が見えたが手応えはない。
空気が撓むような低音。弾丸は装甲の表面で消滅した。
「やっぱり駄目か。なら強化弾丸はどうよ」
魔力を弾頭に集める。より厚くより鋭くまさに必殺の魔弾を形成する。
化物がそれに警戒しなかったのは既に三発の銃弾を受けて平気だったからだろう。
エイデンにとってそれは僥倖だった。
そして爆ぜる。
圧が四方へ散り、雪が蒸発する。
肉を打つ音と、金属の裂ける音が重なり合い。
そして化物の左肩を正確に貫いた。
「!?!?」
驚愕と動揺が言葉なくとも伝わる。
エイデンもこのまま押し込みたいところだったが、自身の小銃を見て舌打ちするしかなかった。
「許容範囲外か」
見れば銃身は衝撃に耐えられず花を咲かせていた。
先程の一撃なら化物の命に届く。そう判断したエイデンが周囲を確認すると残っている銃は二丁。
カイルが持つものとオーエンが放り投げたもののみだった。
「カイル!強化弾丸ならこいつの装甲を破れる。俺が隙を作る。そこにありったけの叩き込め!」
「り、了解!」
勝機は見出した。あとは目の前の荒振る獣にどのようにして隙を作らせるかだった。
しかし、その小さな希望を打ち砕くように化物がとった次の行動がエイデンたちを戦慄させ、その思考を遅らせた。
「『炎』……『構成』……『形状構築』……『照準固定』……『記録炎弾』」
詠唱。それは魔導師が魔法を扱う際に唱える呪文。より早くより短説に、魔導師同士の戦いは相手から先手を奪うことこそが勝利条件の一つだと捉えても差し支えない。
その詠唱は確かに炎系統下位魔法の一つ『火球』を構成する基本的な術式だった。
詠唱も遅く並の魔導師なら即座に対応して然るべきものだった。
ならばなぜエイデンの反応が遅れたのか、それは余りにシンプルだった。
「魔獣が魔法だと…」
魔獣とは『魔』に侵された『獣』のことを指す。言語など解さずその膂力のみだけで脅威と成りうる存在だ。
それがエイデンが見てきた魔獣であり、言ってしまえばそれが一般常識だった。
あり得ないことが、眼前で起きている事実。それがエイデンの思考を遅らせた。
「『解放』」
術式が解法され火球は木々を薙ぎ払いながらエイデンへと迫る。そしてそれは下位魔法とするには余りにも規格外の圧を放っていた。
「ッ…!」
エイデンは遅れて魔力で自身を守る防壁を形成するが火球の威力を殺し切れずにそのまま後方へと吹き飛ばされた。
「エイデンさん!」
カイルが叫ぶ。
しかし、それは過ちだったとカイルは遅れて気付いた。
その声に反応したのか、化物がカイルの方に向き直ったからだ。
ゆっくりとした足取りだった。驚異にすらされたいないのがその様でよく分かる。
だというのにカイルは動けずにいた。銃を構えることも逃げ出すことも出来ずに迫る死に対して余りにも無防備だった。
蛇に睨まれた蛙とはこういうこと言うのだろうとカイルは思う。
気付けば化物と自身との距離は僅か五歩程しか残っていなかった。
奴が腕を振り上げる。それが振りかざされればカイルは死ぬ。それが分かっていても何も、何もできなかった。
ーーあぁ、まただ。あの夜から俺は何一つ…
静寂のなか死が振りかざされる。
その刹那、一発の銃声が空気を切り裂き今まさに振り下ろそうとした黒腕を穿つ。
腕は皮一枚で繋がりダラリとぶら下がる。
悲鳴のような奇声を上げて化物はカイルの前から大きく跳躍して距離を取った。
「お前の相手は俺だろ」
額から血を流しオーエンが捨てた銃で狙撃を敢行したエイデンが化物を見据えながら、ゆっくりと立ち上がった。
本来なら今ので仕留めたかった。身体へのダメージが標準を狂わせたことにエイデンは歯噛みする。
残された銃は一丁、次で確実に仕留めるしかない。
覚悟を決めたエイデンがコートを脱ぎ捨て胸当てを外した。
腰から一振りの短刀を抜き放つとそこに魔力を這わせる。
「カイル、俺も魔法を使う。使用後はしばらくまともに動けん。だから頼むぞ」
「………」
返事はないがそれに構ってる時間はなかった。今は仲間を信じるだけだ。
エイデンは呼吸を整えると真っ直ぐに標的を見据える。向こうも向こうで警戒しているのか動きはなかった。
「鉄血共鳴」
短い詠唱が夜を裂く。
その直後、彼の魔力がうねり血の流れが爆ぜる。神経が共鳴し筋繊維が一斉に膨張する。
そして動く。
その姿が閃光の様に掻き消え次の瞬間には化物の懐にエイデンは潜り込んでいた。
そして刃が奔る。
ーーオルスヴェル二式
ほぼ同時に放たれた二本の斬撃の軌跡はその首元を浅くだが斬り裂いた。
オルスヴェル流剣術。それはアストレア王国にて騎士の時代に生まれた数多ある剣術のひとつ。今や儀礼用か演武にしか用いられることしかなくなった古の技。
戦場で叩き込まれ白兵戦においてエイデンが最も信頼を持って使用した剣技であった。
それが今、化物の外皮に二本の傷を付けた。
ーーオルスヴェル三式
立て続けに三本の牙が化物を襲う。
堪らず化物はエイデンを振り払おうとその巨躯を奮うがエイデンはわずかに後退しながらも刃を繰り出す。
上下左右から繰り出される連撃に化物の装甲が軋み、ひびが走り、黒い液体が雪へ散った。
「ガァァァァ!」
化物が叫ぶ。怨嗟と怒りに満ちたその絶叫が大気を揺らす。
それを間近で受けたエイデンも一方的だった攻撃の態勢を崩し距離を取った。
そしてそんな隙を見逃されるはずがなかった。
化物は先ほど撃ち抜かれた方の腕を大きく鞭のように振った。
薄皮一枚で繋がっていたそれは千切れエイデンに向け矢のように放たれた。
「ッ!?」
全くの想定外だったその攻撃を避け切れずエイデンの左腕は吹き飛んだ。
そして畳み掛けるように今度は化物の猛攻が始まった。
「『形状構築』……『記録・炎弾』……『水』……『記録・水弾』……『解放』」
先程より早くかつ二重詠唱という魔導師でも難易度の高い技を化物はまるで息でもするかのようにやってのけた。
そしてその全てが必殺級の威力、エイデンはそのほぼ全てをまともに受ける羽目になった。
化物は嗤った。嬉々として嗤った。醜悪に嗤った。その全てを吐き出すように大きく嗤った。
雪煙の向こう側はどうなっているのだろうか。グチャグチャだろうか、形も残ってないだろうか、そう言いたげに化物は嗤っていた。
ーーが
「何がそんなに可笑しいんだお前」
その雪煙を切り裂いてエイデンは五体満足の状態で再び化物の懐に飛び込んだ。
ーーオルスヴェル 一式
さらに早くそして深く、エイデンの刃が化物を捉える。
「ガァ、ガァァァァ!?」
何故、何故、何故、化物の脳裏に疑問が浮かぶ。大抵の生物はその黒腕の一撫でで終わる。自分より大きい生物でも軽く腕を払うだけでそれは肉塊に変わる。
なのに何故、この自分より小さい生物は生きている?何故、何故、何故ーー
「疑問か化物、俺が殺せないことが分からないか?」
その動揺を見透かしたようにエイデンは口を開く。
ーーオルスヴェルニ式
「まぁだからって教える義理もないがな」
ーーオルスヴェル三式
「お前はここで死ぬ。それだけ分かってれば十分だ」
ーーオルスヴェル四式
化物は、ここで確信した。自分の外皮を砕く攻撃然り、一撃で破壊できない耐久力然り、これまで対峙してきたどの生物よりも高速で動く様を見て、化物の本能は確信した。これは"敵"であると。
「お前は気付くのが遅かったんだよ。自分が狩られる側だってことにな」
ーーオルスヴェル五式!
叩き込まれた無数の斬撃が雪を黒く染める。
——今ならやれる。
そう確信した刹那、視界の端が暗転した。 反射的に膝をつく。
斜め後方、音もなく腕が伸びてきた。
鋭い爪が頬を掠め、雪に血が弧を描く。
エイデンは顔をしかめながら、地を蹴った。
反撃。
肘を支点に全身を回転させ、黒い胴を蹴り飛ばす。爆ぜた雪が白煙を巻き上げ、二人の姿を包み込む。
その中で、金属音のような鳴動が幾度も響く。
斬撃。反撃。
斬撃と血飛沫が交互に交わり、雪面が赤黒く染まっていく。
そして——
化物の胴体が大きくのけぞった。
エイデンの短刀が、深くめり込んでいた。
「破ッ!」
声と同時に、自身の魔力を一気に流し込む。
体内の筋肉が共振し、魔力の導線が焼ける。
流し込まれた魔力が傷口を更に押し広げ黒い外皮が裂け、中から黒紫の液体が噴き出した。
エイデンは腕を払って距離を取った。
呼吸は荒いが、視線は切らさない。
相手は確実に傷ついている。
だが、動きは鈍らない。
背骨が蛇のようにしなり、地を這うように迫ってくる。
「くそ……」
エイデンは短刀を構え直す。
そのとき、耳の奥でノイズが走った。
低い、うなるような音。
地鳴りのようでもあり、脳内で鳴る金属音のようでもある。
視界が揺らぐ。
《鉄血共鳴》の副作用が始まった。
エイデンの魔法《鉄血共鳴》の能力。
それは筋肉、血液、細胞、神経を通る生体電気に至るまでその全てを『増幅』させるもの。
故に通常、人体ではありえない動きや可動、不死身とも言える回復力が可能だった。
しかし、これにはデメリットも大きい。
一つは魔力使用量が尋常ではなく使用時間は全盛期で十五分、今では古傷なども邪魔をして約五分がいいところだった。
そしてもう一つは使用後は魔力を練ることすら満足にいかない上にまともに動くことすらできない。
そしてその副作用の片鱗が始まったということは時間制限が近いこと指していた。
しかし、いやそれ故に止めない。
あと一撃、それで終わらせる。
「カイル!右側から撃て!囲め!」
返答がない。
視線を一瞬だけ送る。
カイルは雪の中、銃を構えたまま硬直していた。
その表情には、戦士の面影はない
エイデンは舌打ちをして、前を向く。
化物が跳躍した。
真っ直ぐに、矢のように飛び込んでくる。
避ける間もなく、その腕がエイデンの胸を薙いだ。
厚い筋肉が裂け抉られる。
傷口が焼ける。焦げる匂いが鼻をついた。
だがその瞬間、化物の動きが一瞬止まった。
先ほどの一撃で砕いた胴の装甲が、軋みながら崩れていく。
エイデンは左腕を逆手に握り、全身の力を一点に収束させる。
「——共鳴・臨界開放!」
世界が爆ぜた。
雪が一瞬で吹き飛び、森が鳴動する。
波動が地面を揺らし空気を裂く。
その中心、エイデンの拳が黒い胸郭を貫いた。
重い音。
骨が砕け、肉が潰れ、空気が押し出される。
化物が後方へ吹き飛ぶ。
樹をなぎ倒し、雪煙を巻き上げながら地に沈む。
エイデンは膝をつき、荒く息を吐いた。
視界が赤く滲む。
限界だった。
内側から焼けるような痛みが脳を突き上げる。
それでも、敵は動かなくなっていた。
「……はぁ……終わり、か……」
息をつき、短刀を構え直したそのとき——
黒い影が、かすかに動いた。
まだ、生きている。
だが、エイデンの脚が動かない。
カイルの援護が要る。
彼は振り返り、叫んだ。
「カイル!トドメを刺せ!今しかねぇ!」
返事はない。
代わりに、風の音。
雪を踏む小さな音。
カイルはやはりその場に立ち尽くしていた。
銃口はわずかに震え、引き金に指をかけていない。
彼の目は恐怖に見開かれ口がかすかに動く。
「オレは……オレは……」
次の瞬間、化物の身体が再び跳ね上がった。
エイデンが振り向く間もなく、その姿は雪煙の中へと消えていった。
——取り逃した。
白の森が再び沈黙を取り戻す。風が吹き抜け、遠くで雪の塊が落ちる音がした。血の匂いだけが残る。
化物の姿は雪煙に消え、風だけが枝を揺らす。静寂は凍りつき、息遣いすら雪に飲まれるようだった。
エイデンは膝をつき、肩越しに周囲を睨む。
血と雪が混ざり、靴底に軋みを生む。
心臓の鼓動が、耳の奥で暴れる。 魔法の余韻で筋肉は熱く、頭は鈍く重い。
だが、視線は鋭く呼吸は整っていた。
「……カイル。何してる」
低く、しかし苛立ちを滲ませた声。
声は森に吸われる。だが、カイルには届いた。
カイルは雪の上に立ち尽くす。
銃を握った手は震え、膝は固まったまま。恐怖に、体が硬直していた。
生への執着。逃げたくなる衝動。それが彼を支配していた。
心の中で繰り返されるのは、戦場での死の記憶。
そして逃げた自分自身の烙印だった。




