庭園
「まさか、リシャの結婚相手のことでこんな早々に悩まされるなんて…」
リンウッドが天井を仰ぐ。
使者スカイラーが帰って、私はリンウッドと改めて話し合うことになった。
「番って、生涯ただ1人の伴侶ってことでしょう?もしお相手の方と私が結婚ってなると、相手の方にこちらに来てもらうことになりますわよね?」
私は妖精王アシェルナの愛し子で、次期大公だ。
彼の方の加護を捨て、一族までも捨てて竜族の番となることはできない。
そもそも愛し子が自分の加護を捨てるなんてあり得ない。
だからこそ愛し子同士は婚姻できないとされているのだ。
「お相手は竜族でも名門のバイルズ家の人だ。それなりに竜性が強いはずだ」
「あちらも一族を捨てれないということかしら?」
「それはまだ早い結論だ。リシャが愛し子であることはカイングベルグ大公もわかっておいでだ。一族を抜けて番であるお前と結婚するか、そもそもこの出会いは無かったことになるかのどちらかだろう」
「無かったことに……ですか」
どうしてだろう、心にチクリと痛みが走る。
「そこらへんは、今度会ってからの判断にはなるだろう」
リンウッドがジッと私を見てくる。
「番の組み合わせは竜の一族同士が多いが、2番目に多いのが竜の一族とうちの一族との組み合わせなんだ」
「意外…ですわね」
妖精の加護を受けている者は竜の加護を受けている者を苦手としていると思っていた。
「それには妖精達の性質が関係している。妖精王は生涯の伴侶を湖の妖精セレーナとしたと伝えられている。また、そこら辺にいる妖精達も特定の相手とペアになっていることが多い。うちの研究者の見解では、妖精達もまた竜の番のようにただ1人の相手をパートナーにしているのではないかと考えられている。つまり、妖精やその加護を受けるボク達にも番という性質がある可能性が高い」
そういえば庭で飛び回る妖精達も雌雄のペアが多かったように思える。
「私は妖精王の影響を色濃く受けているから…」
「番の性質がリシャにもあるかもしれないんだ」
「なるほど」
「リシャは将来多くの時間を領地で過ごすことになる。番同士は長期間離れることはできない。番相手は領地に住んでもらわなきゃ、お互いに変調をきたす」
竜の加護と妖精の加護、それぞれの加護を持つ者同士が結婚する場合、妖精の加護を持つ者が一族から離れ竜の一族と結婚することが多い。
それは竜の一族が妖精が多いアシェルナの領地に長期滞在することが難しいからだ。
もし私の伴侶となる人が領地に受け入れられないなら、当人がどう思っても番うことは難しいだろう。
「せっかく運命の人かもしれないのに……」
こうして彼のことを考えるだけで、もう一度会いたくなってしまう。
「あー、リシャに見合う男を探すより難題だ…」
「とにかく会って確かめてみないと。やっぱり違うとなるかもしれませんし」
リンウッドに軽く言ってみるが、ため息で返されてしまった。
そして約束の日。
私はギャザリンの中心部にある公園へとやってきていた。
ここにはお金を出せば貸しきれるエリアがあり、そこの庭園が待ち合わせの場所だった。
案内された東屋には2人分のお茶とたくさんのお菓子が用意されていた。
「カイングベルグ大公より、少しでもリラックスしてお待ち下さいとのことです」
カイングベルグ大公の気遣いに感謝して、宝石のような見た目のタルトを手に取った。
「たしか大公は甘い物がお好きだという話だ」
「お兄様は食べないの?」
「ボクは……いいや」
私以上に落ち着きの無いリンウッドが、ソワソワと周りを見渡す。
私のティーカップが空になる頃を見計らって、侍女達が離れていく。
「アシェルナ大公子様大公女様、わざわざご足労いただき、申し訳ございません」
この前使者として来たスカイラーがやってくる。
「もうすぐカイングベルグ大公とヘルベルトがそれぞれやって参ります。大公女様がどのように感じたか、私めに伝えていただけるとありがたいことにございます」
そう言って丁寧にお辞儀する。
程なくしてこちらの東屋に向かってくる赤毛が木々の間から見えてくる。
カイングベルグ大公の赤毛だ。
「カイングベルグ大公がいらっしゃいました。大公女様の許可なく必要以上に近寄ることは無いのでご安心下さい」
私が少し緊張したのがわかったのかもしれない。
チラリと兄の方を見ると、リンウッドが肩を竦める。
兄はそこまで聞こえてないだろうが、庭園にいた妖精達がカイングベルグ大公が近寄ると悲鳴を上げているのだ。
怖がった妖精達がこの東屋に逃げ込んできている。
側に控えているスカイラーや侍女は妖精達が見えていない。
実際は私の腰まである髪に妖精達が縋り付いている状況だ。
家から連れてきた護衛騎士も妖精が見えるので、あまりの妖精達の量に追い払った方がいいのか判断しかねていた。
「大丈夫よ…カイングベルグ大公は怖くないわ」
耳元で妖精達の悲鳴が聞こえて、顔を顰めそうになる。
だけどここで顔を顰めてしまえば、スカイラーに誤解を与えてしまうかもしれない。
ここは淑女教育で培ったポーカーフェイスで微笑みを保つ。
「今日は無理を言ってわざわざ来てもらって済まなかったね。アシェルナ嬢、改めて挨拶をさせてくれ。オレはカイングベルグ大公の名を戴いているゼインツという。気軽にゼインツと呼んでもらっても構わない」
カイングベルグ大公が片手を胸に当て、恭しく礼をしてくれる。
舞台役者のような大仰な素振りは、私を怖がらせない配慮なのかもしれない。
「ご丁寧にありがとうございます。私はアシェルナ大公が娘、リシャーミルと申します。妖精王の次なる吾子として、長くお付き合いすることになるカイングベルグ大公にも、ぜひ兄のように気安く接していただきたいですわ」
私ひ椅子から立ち上がり、軽くスカートのさを摘んで礼を返す。
家同士が対等な関係であるからこそできる挨拶だ。
「リシャーミル嬢とこのように会話してもらえるだけで嬉しいものだな」
カイングベルグ大公は私の様子にホッとした様子を見せる。
「実はリシャーミル嬢が妖精達から愛されている存在だと聞いていてな。オレは姿を見ただけでも嫌われてしまうかと心配していたのだ」
まさかカイングベルグ大公がそんな心配をしていたなんて。
たしかに妖精達の怯えようから見たら、私もそういう可能性があったのかもしれない。
これから先も三大大公の者として顔を合わす機会が多くなる相手だ。
それなのにいちいち怖がっていたりしたら、とうていやっていけない。
この前の夜会で私は恐慌状態になったし、私がカイングベルグ大公を怖がっていた可能性も捨てきれなかったから、今日のような場を設けられたということなのだろう。
「オレとリシャーミル嬢は大丈夫そうだから、ヘルベルトを連れてくる。もう少し、この場で待っていて欲しい」
「わかりましたわ」
ヘルベルト大公が足取り軽く、緑の中に消えていく。
彼の姿が消えて、ようやく妖精達も大人しくなった。
『あー、こわかった』
『やっといなくなったわ』
『これだからあの竜はイヤよ』
神話の時代から生きている妖精達はいないはずなのだが、妖精達が竜達に蹂躙された恐怖は引き継がれているようだった。
妖精達もようやく落ち着いた様子だ。
リンウッドはそんな妖精達の様子に首をかしげていた。
茂みの向こうから、ヘルベルトがやってくる。
だんだんと緊張してくる私と相対して、妖精達はどこか楽しそうだ。
カイングベルグ大公の時とは違って、ヘルベルトな怯えることなく歓迎ムードとも思える妖精達の状態に、リンウッドは不思議でならない。
他の竜の加護を受けている人と違って、竜族は格別だ。
そこに在るだけで妖精達は嫌がる。
それなのに、妖精達は逃げ隠れもせずに飛び回っているのだ。
「そこまでにございます、ヘルベルト様」
いつの間にか東屋の外に出たスカイラーが、ヘルベルトの歩みを止める。
カイングベルグ大公が先ほど立って挨拶してくれた位置より遥かに後方で、ヘルベルトは立ち止まり、私の方を見た。
私とヘルベルトの視線が合う。
「あ………」
何か言おうとしても、声が出ない。
それはヘルベルトも同様のようで、口を開けたまま身動きしない。
ただ、私とヘルベルトが見つめ合う時間が過ぎる。
妖精達のはしゃぎ声も木々のざわめきも私の耳には届かない。
ただ、ヘルベルトの一挙手一投足を見ていた。
「わ、私は、ヘルベルト・バイルズ…と申します」
ぎこちない動作で、ヘルベルトが手を胸に当てる。
「どうかもう一歩、近づく許可をもらえないでしょうか、愛しいひと」
甘く優しくヘルベルトが問う。
視界の端でスカイラーが首を横に振っていたが、私は気にせずにヘルベルトに頷いた。
私の許可を得たヘルベルトが2歩、3歩と歩き、そしてその場に片膝を付いた。
「許されるならば、あなたの名前をお聞かせ下さい」
片膝を付いたヘルベルトが真っ直ぐに私を見つめる。
私は数段上の東屋から彼を見下ろすことになる。
「どうかその場から動かれないで下さい。お話しになるなら、その場で」
私が立ち上がってヘルベルトの側に行こうとしたことがわかったのだろう。
スカイラーが厳しい顔をして、私を止める。
周りを見れば、リンウッドが少し腰を浮かした状態。
いつの間にかヘルベルトの両脇には護衛の騎士が待機していた。
これ以上の接触は不測の事態が起きることを危惧しているのだ。
「私はリシャーミル・アシェルナと申します。今はこの距離からでごめんなさい」
ヘルベルトが首を横に振る。
ヘルベルトを見れば、彼の手は何かに耐えるように膝の上で固く握られていた。
「いつか、貴女のおそばに参ること…許していただけますか?」
ヘルベルトの瞳は揺るぎない目をしていた。
彼はここに来る時にすでにすべてを捨てる覚悟をしていたのかもしれない。
「…あなたをお待ちしておりますわ」
私の言葉に安堵したようにヘルベルトが微笑む。
私はその笑顔に魅入ってしまった。
「カイングベルグ大公、ヘルベルト様が限界にございます!」
急にスカイラーが声を上げる。
すると、茂みの中から数人の騎士達が出てくる。
「申し訳ないが、ヘルベルトは連れて行くよ、リシャーミル嬢」
共に出できたカイングベルグ大公が、私とヘルベルトの視界を遮るように立つ。
「イヤだっ、はなせっ、なんでだよっ!?」
ヘルベルト大公達の人垣の向こうから、ヘルベルトの悲鳴が聞こえる。
「お前ら、はなせぇ!!」
ヘルベルトの暴れる気配。
「あ……待って……」
私は思わず立ち上がる。
「ダメだ、リシャ」
東屋から出ようとする私を、リンウッドが両肩を掴んで止める。
「なんで、お兄様!」
「ごめんね、リシャ。まだ接触はさせられないんだ」
リンウッドの腕が私の腹に回り、私はその場から動けないようにホールドされてしまった。
リンウッドの腕が外れないかともがく私の前で、ヘルベルトは数人の男性に抱えられて連れて行かれてしまう。
「あぁ…っ」
思わず声が漏れた。