公王子
ヴァーデリング公国、首都ギャザリン。
その中央にあるシュテインス城ではこの国の王主催の夜会が開かれていた。
ヴァーデリング公王の宣言により始まった夜会は、各々がグラスを手に歓談をしていた。
私はそんな中で、自分のパートナーの男を探している。
残念ながら城での仕事で、私の屋敷に迎えに来れる状況ではなかったパートナーは、公王一家のいる夜会の中心にいるだろう。
私は自分が周囲の視線を集めているのをわかってはいるが、そんなことは気にせずに会場を歩く。
立ち止まれば、たちまちに人に話しかけられるに決まっているのだ。
私の話しかけるなオーラに周りが躊躇っているうちに目的地似つかなければならない。
城での夜会は本当に久しぶりに出席する。
前に出席したのは、私のデビュタントの時か。
それ以外は、私は領地に引っ込んでいる。
だから、この城にほとんど知り合いはいない。
唯一まともに会話したことがあるのが、私の今宵のパートナーなのだが。
「失礼、レディ…」
目の前に1人の男性が立って私の行く手を遮る。
周囲のざわめきが一際大きくなる。
「貴女のような美しい方がお一人なんて…。私とぜひ踊っていただけませんか?」
目の前の絢爛豪華な服を身に纏う男が私に手を差し出す。
ダンスの誘い。
普通の令嬢なら喜ぶだろうそれ。
何故なら目の前の男はこの国の公王子、ラフェルなのだから。
しかし私は微動だにしない。
「レディ?」
ダンスの誘いなど断られたことのないラフェルが不思議そうに首をかしげる。
「ら、ラフェル様……」
周囲のざわめきは、私をダンスに誘うラフェルのせいでさらにうるさくなっている。
「ラフェル殿、私がどなたかおわかりにならないの?」
ラフェルの手を取る代わりに、私は扇子を取り出して開く。
「貴女とは初めてお会いすると記憶しておりますが。先に私から名乗るべきですね。わた…」
「あなたのことはよく存じてますわよ、ラフェル殿」
ラフェルの言葉を私は遮る。
なんと頭の回らない男なのだろう。
ラフェルはヴァーデリング公国の第一公王子。
そんな人間を敬称も付けずに『殿』呼びできる存在は、公王家シュテインス家と並ぶ三大大公家の人間のみだ。
「それに、私には婚約者がおります。ダンスは遠慮いましますわ、ラフェル殿」
「婚約者?側にはおられないようだが。それなら、私と共に一曲どうだろうか、レディ」
なおも食い下がるラフェルに呆れてしまう。
この騒動の意味がわかっている周りの貴族たちは、ラフェルに冷ややかな視線を送っているが。彼自身はまったく気にならないらしい。
「私は貴女のその美しい姿を一目見て虜になってしまった。ぜひ、その名を教えてはもらえないだろうか」
左手は胸に置き、右手は私に差し出される。
再びラフェルにされた女性を誘う所作。
それを見て、周りの貴族はヒソヒソと囁き合う。
私が誰で、自分がどんな失態をしているかわかっていないのはラフェルのみだ。
周りを取り囲む人々は、私達に注目している。
「そこまでだ」
私はようやく待ち人が来て、ホッとする。
「何をなさっているのですか?」
ようやく来た私のパートナー。
ラフェルに負けず劣らずの美丈夫の低い声がラフェルにかけられる。
「遅いですわ、ヘルベルト」
「済まない、リシャ」
私の婚約者、ヘルベルト・サザリスはラフェルの視界から私を隠すように立ちはだかる。
「ヘルベルト、今、私がそのレディにお誘いしているのだが?」
ラフェルが不快そうに眉をひそめる。
「へえ?」
その一言で、ヘルベルトが怒っているのがわかる。
冷気というか殺気というか、そういうものがヘルベルトから滲み出てくる。
「ラフェル様はこのヒトが誰かわかってないのか?」
「さすがにこのような美しい方であっても今日初めてお会いしたレディが誰かなど…」
「本当におわかりにならないのか」
さすがのヘルベルトも呆れたため息をつく。
私は翠の瞳に金の波打つ髪をしている。
この形容をしているのは、この国ではアシェルナ大公の一族のみだ。
そして、アシェルナ大公直系の令嬢は私、リシャーミルだけだ。
アシェルナ大公家は公国の三大大公家の一つ。
公王家の人間がアシェルナ大公家の特徴ある私がわからないなど、許されることではない。
「ヘルベルト、どうやらこの方は本当にわからないようですから、正式にご挨拶いたしましょう」
開いていた扇子をパチリと閉じる。
ヘルベルトは私の方を見て、仕方なさそうに私の前からどく。
「ラフェル・シュテインス、お初にお目にかかります。私はアシェルナ大公が娘、リシャーミル・アシェルナと申します。そしてせっかくのお誘いですが、私はここにいるヘルベルトと婚約をしております。彼を差し置いて貴方となんかダンスを踊ることは有りませんわ」
ラフェル相手にカテーシーなどしない。
何故なら、大公家の人間は公王家と対等であるから。
だから私はラフェルを先ほどから『様付け』はしていない。
「そ、そなたがリシャーミル嬢でしたか」
私の正体がようやくわかって、ラフェルは焦り出して視線を彷徨わせる。
「ようやくわかっていただけて、光栄ですわ」
にっこりと微笑んでやれば、ラフェルの頬が赤くなる。
このくらいで照れるなんて。
「リシャ、君の笑顔には破壊力があるのだから、むやみに振りまくのはやめてくれ」
苦虫を噛み潰したようなヘルベルトが、私の腰に手を回す。
「そんな、ヘルベルトこそそこら辺の女子に愛想を振りまいていらっしゃるじゃないですか」
そうヘルベルトに返す私の視線の先には、ピンクのフリフリのドレスを着た少女がこちらに向かって来るのが見える。
「リシャ、意地悪を言わないでくれ」
「私、貴方がエスコートしてくれなかったの、ちっっっとも気にしてませんから」
「それは…どうしようもないだろ」
ヘルベルトが情けない声を出す。
そんなやり取りをしているが、目の前には青ざめているラフェル、そして鼻息荒いピンクのドレスがいた。