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Episode14/3.葉月瑠衣

「覚悟を決めた瞳をしていましたよ。それも大輝さんの力の前では無理だと諭されてーー瑠衣は痛みから逃れるために身投げしたんです」

「痛みだと? なにが痛いと言うのかね!」


「瑠衣の腕は見たことありますよね?」

「……いいや。ほとんど帰れぬ仕事だからな。瑠美、きみなら見たことあるだろう?」


 あれ?

 予想に反して大輝さんは瑠衣の腕にある大量の切り傷の跡はご存じない?


 瑠美さんは困った顔をすると、静かに口を開いた。


「ごめんなさい。常に長袖でいるし、私たちに隠してるみたいに警戒してて、私も見たことないの。豊花くん、教えてくれないかしら?」

「そういえば、私も半袖の瑠衣は見たことないわね」


 家族にすら隠していたのか。


「少なくとも左腕には、自分で付けた大量の切り傷の跡で肌が埋まってました」

「なに!? そのようなバカなこと、なぜうちの娘が!?」


 大輝さんは激昂する。


「最初はありすと連絡が取れなくなった絶望から、自殺しようと切ったみたいです」


 しかし、リストカットで死に至ることはほとんどない。偶然なのか意図していたのか、腕が切断されなかったのは、無意識で手加減したのかもしれない。


 でも、確かなことはある。


「それから瑠衣は、痛みから一時的に逃れるために、何度も何度も腕を切り、それで痛みを誤魔化していたみたいです」

「痛みから逃れるために腕を切る? 馬鹿馬鹿しい!」


「体に痛みを与え、()の痛みから逃れていたんです。一時的にしか目を逸らせないので、何度も何度も繰り返し肉体に痛みを与えることにしてたんです」

「……河川くん一人と別れるのが、そんなにも苦痛だと言いたいのかね?」


 僕は椅子から立ち上がり、リビングの引き出しに潜めた“同人誌(それ)”を取り出して、テーブルに置いて大輝さんに差し出した。


「どうぞ。瑠衣の部屋にあったものです。これを読めば、瑠衣がありすのことをどれほど好いているのかわかります。ありすと別れたあと探したんでしょうね。大切そうにしてました」


 本棚に並べてあった、昨日少し読ませてもらった物。


 ーー瑠衣が純愛だと言い張る18禁のオリジナル百合系同人誌。


 ありすに酷似したキャラが、瑠衣の体験と同じようなシチュエーションで主人公を助けて始まる純愛ストーリー(瑠衣談)。

 内容の半分以上がベッドシーンの同人誌を、果たしてエロ本ではないといえるのかは疑問だけど……。


「なにかね? 最近このような絵を様々な場所で見かけるが、流行っているのかね?」


 たしかに最近、美少女イラストを街中で見る機会は増えた気がする。

 物心ついたときから、既に街中でも見かけることが稀にあったし。


 それどころか、最近は童話までこれと同じ分類に思える。

 いわゆる萌え絵? と言うのか、それと遜色ないイラストが使われ始めている。


 しかし、大輝さんの表情から察するに、そういう知識は皆無みたいだ。


 瑠璃も同人誌という物をよく知らないらしい。

 なんだろうこれ?

  といった目で眺めている。


「なんなのそれ? やたらと大きなサイズの本ね。まったく、瑠衣の無駄な買い物癖は直りそうにないわね。まあ、自分のお金(小遣い)をなんに使おうと私が口を挟むことじゃ……ん? この表紙の右の子、やたらとありす(あいつ)に似てない? え、このマーク……あっ、ちょ、ちょっと!? これ、まさか……ちょっと豊花! パパになに読ませる気なの!?」


 瑠璃は気がついたみたいだ。

 瑠衣が見せてくれた同人誌の表紙にも、端のほうにしっかりR-18と明記されている。


 表紙にいるのが二人の女の子ということを照らし合わせれば、内容の推測もできるだろう。


 瑠璃は非常に気まずそうな顔をしながら、大輝さんが同人誌(パンドラの箱)を開けるのを見守っている。

 瑠衣みたいにいきなり引ったくることはしなさそうで一安心だ。


「ありすが好きすぎて堪らなくなり、探しに探して見つけ出した逸品です。どうぞご覧になってください。ありすに似ているでしょう? どれほどありすが大好きなのか読めばわかりますから」


「ふむ、そこまで言うのであれば一読しようではないか。まったく、あの()はどうしてこうもよくわからない物ばかり買ってくるのか……む、なに? なに!? エロ本ではないかぁああ! なんのつもりできみはこのような物を私に見せた!? 未成年の娘が近くにいるのだぞ! 少しは気をつかいたまえ!」


 大輝さんはパラパラとページを捲ると、突如慌て出して同人誌を押し返してきた。

 いったんテーブルの端に乗せると、改めてきちんと説明する。


 誰が、なにを、なんために買い、どのような内容だと思っているのか。


「瑠衣いわく純愛らしいですよ? 純愛。瑠衣はこれを純愛だからエロ本ではないと言い張っていました。そしてヒロインはありすに酷似しており、主人公は瑠衣みたいに助けられていますよね? ありすと瑠衣が出会うことになった理由、ご存知ですか?」

「……たしかに、瑠衣を暴漢から救ったと清水くん経由で聞いていた。だが、なぜ河川くんに拘る?」


 その理由は僕にもわからない。

 でも、当時誰からも無視されいじめられもしているなか、唯一の友達とも呼べる仲になった相手だ。


 孤独に慣れていた瑠衣は、ありすと出会ったがために、孤独に対して耐性がなくなったのだろう。

 そして、出会いかたも劇的だ。


 ありすに救われたーーまるで、この同人誌のように……。


「瑠衣に友達がいなかったのは存じてますよね? 今でも友達と呼べるのは僕とありす、二人だけです。憶測ですが、瑠衣は友達という存在に強く固執しているんだと思います」 

 

 大輝さんは瑠衣の父親だ。

 話していて似ている部分があるのを感じる。


 瑠璃ほど似ているとは思わないけど、瑠衣にも大輝さんに似ているところはちゃんとある。


「瑠衣とありすを引き離したら、取り返しのつかないことが起こりますよ。断言します。友達として関わってきた日数は浅くても、それくらいわかります。やると決めたら意地でもやり遂げるまで諦めないでしょう」

「……」


「なんせ、ありすがいなくなってから今日までずっと、ありすと再会するのを諦めていなかったんです。言葉とは裏腹に、ずっと心に残りつづけてました」


 そう。

 僕を初めての友達と言ったりしても、ありすに執着していることが、この同人誌や言動の数々、ありすと再会したときの反応を見ていれば自ずとわかる。


「忘れていると思っていたよ。思い出さないようにするために、今回の依頼も瑠衣に姿を見せないよう、近づかないよう配慮したつもりだったが……すべて、無駄だったのか……」


「大輝さんの娘です。瑠衣と自分を重ねてみれば、似ているところがあります。たとえば、どんな手段を用いようと、自分の考えを曲げずに押し通そうとするとこーー大輝さんなら瑠衣の気持ちもわかるんじゃないですか?」


「嫌みかね?」大輝さんは苦笑した。「……ふぅ、私も歳かね? 意地を張るにも体力が持たなくなってきたよ」


 大輝さんは椅子に座り直して呟いた。

 瑠美さんは最初から話そうとしている内容を、ありすの怪我を目撃して察していたのだろうか。


 全貌を話し終えても、驚く様子は見せない。


 さすがに大量のリスカ跡を聞いたときは少し戸惑いを見せたが、それ以降はニコニコと微笑んだままだ。


 瑠璃は、妹が持っていた18禁の同人誌を父親に見せられたからか、戸惑っているらしい。

 なにかを言いかけ同人誌に手を伸ばし、すぐに手を引いたりと、奇っ怪な動作を繰り返している。


「……それか、偶々きょう、無理を通される側の気持ちが理解できる出来事に巻き込まれたからかね。まあ、どちらにせよ」


 大輝さんはしばらく沈黙し、やがて眉間のシワを緩めた。


「礼を言うよ、杉井くん。私に教えてくれて……。危うく、大切なのは娘なのかプライドなのか、どちらかわからなくなるところだった。これで、後悔せずに済みそうだ」


 大輝さんは苦笑いしたまま、僕に礼を述べた。

 どうすれば伝わるのかいろいろ言葉にしたり同人誌を用意したりしたけど、とりあえず、説得は無意味ではなかったらしい。


「ありがとうございます。そしてすみません……強く楯突いてしまって」


「きみは礼を言われる側だろう? 瑠衣の気持ちを考えていなかった。河川くんに対しても高圧的な態度を取ってしまった。無駄に意地を張っていると、きみのおかげで自覚したよ。理不尽によってプライドが破られた私は」

 大輝さんは包帯でぐるぐる巻きにされた片手を見る。

「そのプライドを取り戻す方法ばかり思案していた。でも、きみのおかげかな? 少し、気持ちが楽になったよ」


 ホッとした。

 思っていたほど頑固じゃなかった。

 これなら、瑠璃や瑠衣の頑固さとさほど変わらない。 


 瑠璃も瑠衣も、外見は瑠美さんに似ている代わり、内面は大輝さんに似ていることが、大輝さんと対話してわかった。


「あら、帰ってきたみたい」


 玄関が開く音が聴こえた。


「そのようだ。さて、私は私の役割を果たすとするかね」


 二人の足音がリビングに向かってくるのがわかる。

 すぐにリビングに瑠衣とありすが姿を見せた。


 ありすの左手は肘から包帯を巻いて曲げた位置で固定されており、右腕には何ヵ所かの擦り傷が窺えた。

 瑠衣は大丈夫だったようで、両手を自由に動かせている。


「あ、お父さん……ただいま……」


 瑠衣は父親が帰って来ていることに気づくと、声を潜め小声で挨拶する。

 しかし、大輝さんを睨むような眼で凝視していた。


 僕は二人にまだなにも話していない。

 問題が解決しているなど知りようがない。


 二人には、僕がなにをするか、さきに伝えておいてもよかったかもしれない……。

 成功すると確信していたけど、僕が勝手に成功すると思い込んでいただけで、説得に失敗する可能性も十分あった。


 それを踏まえると、さきに伝えていたとしても、あまり状況は変わらなかった気もする。

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