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Episode61/1.日常?⑤

(128.)

 昨晩、心身共に疲弊していたせいか、寝て起きたら既に十時を過ぎていた。

 鎮痛剤で生理痛はだいぶマシになったが、常に股に違和感があるのはどうしても慣れない。


 世の女性は、これを長い間経験して痛みや不快感に慣れていくのだろうか?

 女性のほうが男性より痛みに耐性があるーーといった話を耳にしたことがあるが、本当なのかと疑いたくなる。


ーーまあ、実際にその性別を体験するには、性転換手術でも不可能だ。完全なる男性を経験し、完全なる女性となった豊花以外にはわからないことだろう。それより、休日は愛のある我が家に赴くのが慣例になるのではなかったのか?ーー


 それは……ユタカだって言わなくてもわかっているでしょ?

 昨晩に隙を見つけて沙鳥に懇願したし、だからといって異能力者保護団体にもまわさないでほしいと、少しわがままを伝えていたのだ。


 そのときは別の議論に集中していて無視されたと思っていたけど、寝起き直後にベルベルを確認すると、仕方ないから土日は来なくてもいいとメッセージが送られてきているのを確認できた。


 しかし、来週は月曜日から中間試験(テスト)が始まる。

 いくらまだ二度目の生理だからといえ、愛のある我が家に酷使されたり瑠衣にナイフ戦の指導を受けたりしていたとはいえ、問答無用でテストはやってくるのである。


 と、頼るべき年上の学生が近場に居るじゃないかと思い立ち、私は部屋を飛び出して裕希姉の部屋を激しくノックする。

 数秒経つまえに、ムスッとした表情の裕希姉がドアを開けて顔を出してきた。


「なんか用?」

「いや、実は高校二年の中間テストで、勉強まったくしていなくて、記憶力も悪いから赤点確実なんだ。裕希姉、一夜漬けのレベルで勉強教えてくれない?」


 裕希姉は苦虫を噛み潰したような表情をしたあと、髪を軽く掻く。


「ゆったーには悪いけど、私これから新たなバイト先の初日なんだよね」

「マジか……」


 裕希姉は私の肩を叩く。


「どっちにしろさ? ゆったーに勉強教えられるほど私頭できてないし。まっ、ドンマイ! がんばれファイトだ!」

「ええ……裕希姉大学生でしょ?」

「大学なんて選ばなきゃバカでも入れるよ。そもそも高二で学んだ知識なんて憶えてないっつーの。んじゃね?」


 裕希姉は着替えを終えていたのか、私服で「一番近場にあるマグドナルドで働いてるから、暇なら来てにゃー」と捨て台詞なのか謎の宣伝なのかを口にすると、自室から出て玄関へと向かってしまった。


 ……記憶力がポンコツなのは遺伝なのか?

 え、遺伝子レベルで記憶力が悪い家系なのか?


 玄関から、裕希姉の「ゆったーっ!」と呼ぶ声が響いてくる。

 私は慌てて玄関まで足早に向かうと、裕希姉が昨晩貸してくれた鎮痛剤が入った箱を手渡してきた。


「ゆったーは身体年齢15歳未満なのが心配だけど、実年齢17にそろそろなるんだから、イブプロフェンが主成分の鎮痛剤でも問題ないっしょ?」

「え、あ、うん……どうなんだろ?」

「そもそも昨日飲ませちゃったし」

「ええ……」


 裕希姉からイブプロフェンが主成分の鎮痛剤を箱ごと受け取ると、裕希姉は玄関を開け新たなバイト先へと旅立った。

 ……旅立ったというか、普通に出勤しただけだけど。


ーーこのままでは赤点確実。補習も確定で、愛のある我が家に平日通うのもできなくなってしまうな。留年だけは避けなければ、葉月瑠衣と同学年、葉月瑠璃が先輩になってしまうぞ?ーー


 ユタカに言われなくてもわかっているって!


 でも、頼れる人間ーーハッとなり、今のユタカの台詞から勉強を教えてもらう候補に新たに一人挙がった。

 瑠璃は授業を受けているだけで、少なくとも赤点は避けている。テスト勉強なんてする必要ないなどと言っていた気もする!


 そんな天才肌の瑠璃から学べば、少しでも知識が身に付くかもしれない!


ーー何処まで他人頼りなのだ……。今までのテストはどうだったんだ?ーー


 私は急いで瑠璃に電話をする。

 コールが鳴っている間に、乱雑に引き出しに入れていた一学期のテスト数枚を漁り引き抜くと、机にバンと乗せ、数枚のテスト用紙を真横に滑らせスライドさせた。


『もしもし、豊花? どうしたのよ?』

「あのさ……言いにくいんだけど、やっぱりテスト勉強教えてくれない?」


ーー国語22点、社会(地理歴史)26点、英語……2点! 数学…………0点!? 前回も赤点まみれではないか! むしろよく英語を2点もとれたな? こちらのほうが奇跡だろう。ーー


 うるさい!

 補習繰り返して留年間逃れたわ!

 バカ高校だからその辺り甘いんだよ!

 私は文系でも理系でもないんだ!

 言うなれば無系だ!

 

『ごめん、今日と明日は無理なのよ……私もこれから異能力者保護団体に向かわなきゃならないし。警戒レベル5のままで、捜査課は全動員らしいのよ』

「え……全動員?」


 ふと、沙鳥が各所に協力の連絡をしていたのを思い出す。

 異能力者保護団体にも無論、話題に挙げていた。


 現在、神奈川県では、警察も異能力者保護団体系列も異能力犯罪死刑執行代理人も、愛のある我が家および下部組織も、大海組というヤクザまで総動員している様子が、瑠璃の話から伺えた。


 しかし、今回は瑠璃の身が危ないといった直感は働かない。

 偶然働かないだけなのか、本当に危ない目に遭わないと口に出さない直感が判断しているのか、区別しにくい。


 私には、沙鳥から独断専行の許可を得ている。

 だけどーーここで、予言とも捉えられる直感が働いた。


 少なくとも土日に瑠璃が危険な目に遭わず、むしろ来週のいつか……私の身の安全のほうが危うい事態に陥る可能性が高い……と。ただし、命の危機とまでは至らないことも。


 私の身のほうが……危険?


『あ、ちょっと瑠衣!?』

「あ、ん、え? ちょっと瑠璃?」


 ガサガサと音がしたあと、電話口の相手が変わった。


『豊花、テスト勉強、私と、する?』

「へ?」


 一年生の留年がもっとも近いとされる(杉井豊花脳内調べ)瑠衣に、二年生の私が勉強を教わる、と?

 藁にもすがる思いで、是非もなしといった勢いで、瑠璃から瑠衣に変わった電話相手に問いかける。


「瑠衣……一年生なのに、二年生の二学期中間テストを私に教えられる知識はあるの?」

『無』


 思わず、だったらじゃあなんで訊いてきたんだと叫びたくなってしまい、ギリギリで我慢する。


『豊花が、私に、テスト勉強、教えてくれるかな、って』


「え、いや、いやいや」

『いやいやいや』

「いやいやいやいや無理だから!」


 自慢じゃないが、私は毎回テスト直前の数日に集中して頭に叩き込み、数日経過したら勉強した中身を忘却するといった過程を繰り返している。


 要するに、逐一学んだことは忘れていっているんだ。

 穴の空いたバケツに知識という名の水を注いでいるだけに等しい。注いだ水はバケツの底からチョロチョロと溢れていき、最期にはなにも残らない。


ーー豊花に足りないのは復習だな……。忘却など存在しないが、当人が想起できなければ忘却と何ら変わらない。ーー


『ありす? 勉強、豊花に、教えられる?』


 近場にありすが居たのか、瑠衣は何やらありすに問いたらしい。


 少し通話口から離れた場所から、「小卒で中学通わず殺し屋の道を進んだ私が、どう杉井に教えろって言うのさ? 第一、私だってこれから仕事」という呆れた声をしたありすの言葉が若干聴こえてきた。


『無理、だって』

「言われずともわかってるよ……ありがとう」


 おそらく横に居た瑠璃がスマホを瑠衣から取り返したのか、テストとは無関係な内容を問い質してきた。


『ちょっと豊花? 未来さんから聞いたんだけど、これから異能力者保護団体にはほとんど来ずに、愛のある我が家メインで活動するって本当なの?』


 瑠璃の声には、顔は見えずとも、怒りが少し含まれているのが私にはわかった。


「うん……でも、一応第4級異能力特殊捜査官の立場は保持するって沙鳥さんからは聞いたけど」

『特例ばかりじゃない、わかってる? いくら同盟云々言ったって、愛のある我が家は完全に犯罪組織なのよ?』

「わかってる。でも……」


 瑠璃を守れる可能性が高いのは、異能力者保護団体という組織の歯車になるより、ある程度わがままを受け入れてくれ、いざとなれば独断専行も許してくれる愛のある我が家に所属していたほうが、瑠璃の身を守れると思ったんだ……。


 悩みに悩んだけど、今でも私のその考えは、変わらない……。


 異能力特殊捜査官になろうと、見知らぬ異能力捜査員を守るばかりで、毎回瑠璃と共に行動できる可能性は限りなく低いと判断したのだ。


『……詳しい理由や内容は、異能力者保護団体に行ってから未来さんか美夜さん辺りに話を聞くけど……私は落胆したのよ? 私の気持ち、わかってくれてるの? ……ぜったいに……無茶しないでよね……』


 瑠璃はそれだけ言い残すと、通話を切った。


 最後に、瑠璃は残念がる気持ちと同時に、小声で私の身の危険を案じてくれた。


 ……。


ーー葉月瑠璃も豊花と等しく、大事な相手が危険に曝されるのをよしとしない性格なのだろう。互いに、私が守る、いや私が守るの延長では、果たして関係は進展するのかな?ーー


 わかっているよ……。

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