Episode60/ー偽神領域の支配ー
(??.)
ーー相模原市某所。時計の針が朝の十時を回ったところ。
天気は晴れ。日差しがまだまだ強いと感じられる気温をしていた。
土曜日なこともあり、美成神教と書かれた教会に似ているようで和風の要素も無理やり組み合わせたような施設に、次々と人々が入り口から入って行く。
中には百人規模の信者が既に集まっていた。
そこから、着物の童女ーー澄と、姉よりはマシとはいえ、癖毛の酷い女性ーー嵐山愛の二人は、近場で観察するため、少し離れた位置に居た。
次第に入る信者や関係者が減るのを確認し、澄は愛に入り口でタイミングを見計らい中に居る信者を一人も外へ出さないよう指示した。
「わかってますよ~んきゃらりーんっ!」
「本当に理解しておるのか? 少し不安じゃがのぅ」
ーーまあ、失敗したとて、さして計画に支障はないがの。
澄は嵐山愛に気負う必要はないと暗に伝えたあと、教会入り口へ正面から入るため自然な足並みで歩を進め始めた。
「あらあら、幼い子ねぇ」
「こんな小学生低学年の子まで、大変だろうに訪ねてくるのは、やはり美成様の人徳あっての為せるものね~」
おばさんとお婆さん風の女性二人は、澄が教会に入るのを物珍しそうな目では見るが、警戒されるようなことはなかった。
澄は建物内に足を踏み入れた。
中には何列にも並べられている長椅子と、映画館のように奥へ行くほど段差で下がる椅子を横目に、道の中心を堂々とした風貌で歩きつづける。
既に施設に入った段階で、壇上に美成恵が居ることを、澄は即座に察していた。
いや、驚異的な視力あってこそ、美成恵の存在を確信できていた。
「皆さん、そろそろお集まりのよーーッ!?」
奥の壇上に座っていた美成恵は、立ち上がったあと信者の皆へ言葉をかけている最中、壇上に向かってくる澄の姿を見るなり、声にならない息をヒッと吐く。
「そ、その方を入れさせないでください! 皆様方、その怪物を叩き出してください!」
美成恵は言い方が悪かった。
ーーいや、言い方を変えたとしても、たった数百人の信者の力では、逆立ちしても対応などできなかっただろう。
信者たちは、口々に「怪物?」「どこかしら?」と呟き、ざわざわとざわめき始める。
しかし、一市民には、一見和服を着ているだけの物珍しくはあるが単なる幼い童女と怪物が結び付かないでいた。
「そこの化け物でしてよ! その幼女を誰かお止めになられて!」
美成恵は信者に向かって叫びながら、同時に異能力を用いて、灰色の奇形をした怪物を無だった筈の空間へ、数十秒ほど時間をかけて創造した。
壇上に向かう階段を上がり始めた時点で、ようやく喧しくざわめきだっていた信者たちは慌て始める。
もっとも、なにが危ないのか、一信者には到底理解が追い付かない。
澄は会場の皆にも聴こえるよう、大きく口を開ける。
「神の娘を騙る詐欺師“美成恵”よ、昨日ぶりじゃの? お主はわしの麾下に……いや、間違えたわい」
澄は数歩で美成恵に触れられる距離まで躙り寄る。
「美成恵、わしらの隷下になれ」
澄の不躾な発言と突発的な行動に対して、美成恵は眉を吊り上げ顔を真っ赤に染める。
「ひとのテリトリーに無作法で入ってくるなんて、なんてデリカシーのない行為かしら!」
「ほう? わしらの根城を襲撃しておきながら、なんとも相反した戯言じゃのう? これがだぶるすたんだーどというヤツか」
美成恵の創造した異形が澄へと殴りかかる。
たしかに澄には命中した。それも顔面である。
しかし、澄の素肌に傷痕ひとつ付けられていなかった。
「な!? 繰り返し暴れまわってよくてよ!」
美成恵は焦っていた。
前回のような原理不明の技を使われたら負ける。要するに不利な戦いだと思っているためだ。
だが、澄にとって戦いに際しては、不利も有利も、有理も無理も議題にすらならない。
なにひとつ、関係ないのであった。
異形が歪な拳を灰色の肉塊から腕を数本、厭らしい音と共に生やすと、再び澄に飛びかかる。
しかしーー。
「ーー血界」
澄が“血界”と唱えた瞬間、異形はその須臾の間を以て跡形もなく消滅してしまった。
並行して一瞬のうちに施設内部や明かりのために吊らされたライトも含め、様々な、いろいろな赤色によって染まり尽くす。
座っていた信者の肌色すら濃い紅に染まり、壁は朱となり、ありとあらゆる真っ赤に侵食されてしまった建物内部に居た信者たちは、恐怖のあまりパニックを引き起こした。
美成を助けようとする敬虔な信者。建物外へ逃げ出そうとする信者。茫然自失となり座ったまま固まってしまう信者と、各々が多岐に渡る行動に移す。
「汝等全員、その場から一度も動くな」
だが、澄は幼い身体や口許からどのように出したのか周りには理解できないほど、透き通る大きな声で、宗教施設に居る信者も美成恵も、誰一人身動きするなと一言で命じた。
その声を聴いたものは全員、澄という存在に恐怖を覚え、身動きを止め、ある者は固まってしまい、ある者は立ち尽くし茫然としてしまう。
その宗教施設内への入り口に、美成恵からすると、おそらく真横に居る化け物の仲間と思しき人物ーー嵐山愛が仁王立ちをし、両ひじを曲げ手のひらを腰に当てて待ち構えていた。
美成恵ですら、おそらく愛のある我が家の一員とは理解したものの、相手がどのような異能力者か判断できず、焦りの余り額から頬に、頬を伝い地面に、数滴の雫が地面に流れて落ちる。
「異能力、使ってみてはどうかの? 本来の神の娘たるわしのまえで、使えるものなら使ってみせるのじゃ。もしやできぬとは申さぬじゃろうな? これほどの信者に見守られた絶好の力を示す機会を逃すなど、せぬはずじゃ」
震えて座り込んでしまった美成と接近した澄は、さらに煽るように言葉をつづける。
「このままじゃと、お主が神の娘じゃと騙り騙した信者ら全員、跡形もなくなるーー犠牲になってしまうのじゃが……自らを信じる者を救うことすらできぬのか、美成恵?」
わざと響く声で、信者にも会話が聴こえるように美成恵へ澄は語りかける。
実際には、美成恵は先ほどから異能力を発露しようとしているが、澄の血界とやらの能力が発現して以降、微塵も異能力が発露できなくなっていた。
「ここに集った偽物の神の創造者ーー美成恵の信徒に告ぐ。わしはこやつのような神の娘を名乗る偽りの詐欺師ではない、本物の神の手により地上に誕生した神の娘じゃ」
信者たちへ透き通る大きな声で話しかける。
澄は沙鳥に依頼されたとおり、教祖が神格化される恐れもなく、宗教を信者まるごと奪い活用するための言動を、演説を語り始める。
「わしは異能力者ではないがのう……神の娘じゃから言っておくぞ? 異能力者になる人物は決して神が選別しているわけじゃなかろうて。要するにじゃ……異能力者が一市民より偉いなぞ、こやつに刷り込まれたバカな思想は、今を以て即刻棄てよ。誤った認知を正せ」
「で、ですが美成様は無から有を生み出し、我等の不安を取り除き……」
震える声で信者のひとりが口出しする。
しかし、澄の言は止まらない。
「正しい神の娘を目にして、わしの前に居る、わしが少し力を使えばなにひとつ異能力は扱えず、恐怖で縮こまるばかり、守るべき信徒を前になにもせず、震えて座り込む惨めな存在が、汝等の教祖か? さぞや祭り上げている神も下らぬ存在なのじゃろうな。のう?」
ーー美成恵よ?
死神に等しい存在から肩を叩かれた美成恵は、必死に歯を食い絞め、どうにかする手段をひたすら考えを巡らせていた。
それしかできないでいた。
ここにリーダーの皐月が居たとて、状況は変わらないのを理解している。
皐月自身、澄や夢に対して異能力者ではない旨を認識して、それをすぐさま美成恵にも情報共有していたからである。
澄は施設の前で、いつの間にか腕を組み、しかして仁王立ちしたままの仲間ーー嵐山愛へと視線を送る。
すると、嵐山愛は「新しい神ーー御神体となる澄さまさまの話、ちゃんと聞いてねぇ~きゃはっ!」と口許を抑えて嗤い、壇上へと歩みを始めた。
「そもそも存在干渉型の異能力者は、基本、無から有を生み出すか、有を無に帰すか、それが基本的な能力じゃ」
嵐山愛が壇上を、いや、美成恵を目指す最中も、澄は信者へ目を向け目の前から透き通る声で説明していく。
「わしの知る限りでも、無から人間を生み出す異能力者。無から新世界を創造した異能力者。人間や物を跡形もなく消し去る異能力者ーー美成恵より規模の大きな存在干渉型の異能力者なぞ数えきれぬほど見てきたわい」
信者は恐怖によってか、話に聞き入ってか、次第に落ち着いたかのように、立っていた皆も椅子に腰を下ろしはじめる。
「無から有を創造するからなどとおかしな根拠は、異能力者が身近にいない市民にしか通用せぬ。美成恵ごとき一異能力者が、神の娘の名を騙るなぞ言語道断。決して許せぬ愚考じゃ」
壇上に登りきった嵐山愛は、これまた嵐山沙鳥の命令を忠実にこなすため、美成恵の手を握り立たせた。
「その点、わしはあらやる異能力を、異能力者を無力化できる。そして、何者でも破壊できる。国すらも。軽傷程度ならわしにも治癒するちからがあるわい。なぜなら、わしこそ正しい神の娘だからじゃ。信徒共は暫し、美成恵が再び壇上に戻るまでその場で待機せい」
言い終えたあと、壇上の真横にある扉を開き、なかを確認したあと、「都合のよい部屋じゃ」と呟き、澄は嵐山愛へ、美成恵を室内に連れてくるよう目と軽く振った首で合図を送る。
「さあさあ、どうなっちゃうのかにゃん! きらりーん! 死ぬまで幕が降りない絶望の始まりかもね?」
直後、嵐山愛は声のボリュームを酷く下げた。
「ーーお姉ちゃんを殺そうとした恨み、必ず晴らすつもりだよ? ……覚えとけ」
嵐山愛は、美成恵の耳許で、限りなく小声でそう伝えた。
質素なテーブルと椅子だけ置かれた部屋に連れられ、美成恵は半ば無理やり椅子に座らされる。
今だけ指示に従い後から逃げる覚悟を決めた美成恵であったが、そこに待っていたのは、ある種の死より厳しい裁定であった。
「美成恵ーーお主はこれからわしら愛のある我が家および愛のある我が家下部組織、異能力者保護団体などの隷下じゃ。無論、信者ごとじゃからの? 勘違いなぞするでないぞ」
「じゃあ、お姉ちゃんに言われたとおりの内容で異能力を使っちゃうからね~?」
「な、なにをーー」
その澄が語る内容は残酷な奴隷宣言と表するほかがなかった。
愛のある我が家に危害を加えない。
愛のある我が家の命令を破らない。
さらにはアルストロメリアなど愛のある我が家の下部組織に危害を加えないこと。
そして、知っている情報や知識を問われたら、前述した組織と後述する組織の構成員には嘘偽りなく必ず答えること。
愛のある我が家の情報を皐月に伝えないこと。うっかりも認められない。
異能力者保護団体に属す者。異能力犯罪死刑執行代理人。
果てには警察や検察、官僚、政治家、国家公務員への加害を禁じる旨。
澄は次から次へと嵐山愛が交わす約束という名の強制命令の異能力の内容を、手早く伝えていく。
「そ、そんなことって……」
「まだあるから忘れぬようにのぅ? 今よりお主が崇め奉るのは澄という名の神の娘……わしじゃ。お主は教祖のままで許してやるぞ?」
到底、守れない命令だった。
逃げ出す覚悟を強める美成であったが、最悪の異能力者が隣に佇んでいることを理解していなかった。
いや、異能力を見たことがないのだから、ある意味、まだ助かる手だてを考えるのは当然といえよう。
「これより信者への説教も言葉も命令も、お主の行動も行為も思惑も、すべてわしの命じたままに暮らせばいいのじゃ。献金も財産もわしらが奪い尽くすし、逃げるのも容認できぬが……雀の涙ほどの給金は出してやるから、生きていくぶんには安心せい」
「以上で終わりだね? ささっ、美成恵ーー小指を出してねん?」
「な、なにを?」
澄が美成の腕を掴み、敵うはずのない腕力で右手を持ち上げ、小指を無理やり開かせ、嵐山愛の差し出す小指と無理やり絡ませる。
「指切りげんまんっーー今澄さんが命じた内容ひとつでも破ったらーー命はお~しまいっ。指切った!」
美成恵のからだがびくんとまな板の上の魚のように強く跳ねた。
「なっ!?」
キッと表情を鋭くした美成恵は、条件反射のように思わず嵐山愛に空いた片腕で殴りかかろとする。
しかし直前、心臓が苦しくなり、あと一歩で絶命していたと理解した。理解、してしまったのである。
そこで、美成恵は悟った。
もはや生き残るには、愛のある我が家に服従する選択肢しか未来がないことをーー。
「美成恵、悦べ! 本物の神の娘の隷下になれた誉れに感涙せよ!」
「……」
美成恵は、顔を真っ青にして固まってしまっていた。
その肩を澄は掴む。恐怖からか美成恵は身体をビクッと揺らし、やがて病気のように振戦が激しさを増した。
「屈辱的じゃろう? 己の居場所をめちゃくちゃにされるのは。じゃが、さきにめちゃくちゃにしてきたのは汝等じゃ。悪く思うでないぞ? 生まれ変わったーーわしらの一存で動く教祖様による新しい宗教を、存分に楽しむがよい」
やがて、澄は室内から壇上に戻った際に発する言葉を、嵐山沙鳥と澄の二人で書いた演説の台本を、頭に叩き込めと言いながら美成恵に渡したのであったーー。




