Episode52/2.操霊術
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夢の寝ている部屋にある魔法円に瑠奈と共に立ち、朱音が来るのを待つ。
朱音は『持っていく物があるから』と部屋から出ていってしまった。少しの間のあと、朱音は部屋に入ってきた。大きな袋を両手で運んで……。
「朱音、なにしてんのさ? また覚醒剤の?」
「ああ。赤リンとヨウ素、水酸化ナトリウムが減っていたかと思ってね」
なにやら覚醒剤密造の原料らしい。
「向こうでも調達できるけど、こういった細々した物はできる限りこちらで用意しておこうと思うし。さあ、行くよ?」
朱音が魔法円に入ると、再びあの気持ち悪さがやってくる。
車に酔ったような、エレベーターでスクワットしたときのような、なにか名状しがたい感覚に襲われる。
辺りが、いや、私の視界が純白に染まっていくーー。
白色の視界が晴れて、前回訪れた“ルーナエアウラ”の私室へとやって来た。
やがて、「もう出てもいいよ」と言われ、私はふらふらしながら魔法円の外へと歩いた。
「訓練は室内でやるから、今回は余所に出掛ける必要はないよ」
瑠奈も魔法円から出ると、私に側に寄るよう言ってきた。
「フレアを呼ぶ必要は?」
『はいはーい、わたしはいつでもいますよ!』
フレアが体から抜け出し、隣へ現れる。
「いや、まだ精霊操術じゃなくて基礎の操霊術だから要らない要らない」
瑠奈の返事に、フレアはしゅんとしながら部屋のベッドに座り、『なら、わたしは見学してます』と拗ねた口調で言った。
「ぼくは約束どおり帰るから」朱音はルーナエアウラの部屋の端に、持ち込んだ覚醒剤密造に扱うと思しき材料を置く。「寝たあと迎えに来るけど、いいね?」
「こっちで寝りゃいいのに……布団、空いてるよ?」
瑠奈は、過去に自身が寝ていたであろうベッドを指差し、もっともなことを口にする。
「生憎、向こうでまだ寝るまえに済ませなくちゃならないことがあるからね。こっちに麻黄があるからって、エフェドリンからの密造だけじゃ賄えない。別の原料も来る予定なんだよ。じゃあね」
朱音は思ったより多忙なのか。
寝るとか言っておきながら、実際は眠るのは仕事の合間の、まさに昼寝くらいの扱いなのかもしれない。
朱音は不満げな顔の瑠奈を見ながら魔法円に戻り、少しずつ姿を消して、やがて全身が見えなり、気配も消え去った。
「まったく。朱音はわたしを警戒してるだけじゃん。言い訳くさい。別にきょうは手出ししないよ、豊花の訓練するんだし」
ぶつくさ愚痴るように独り言を言いながら、瑠奈は私に顔を向けた。
そのまま手のひらを胸に当てる。
「ちょっ!?」
「違う違う。小さなおっぱい楽しんでるわけじゃない。今から霊子ーーマナを無理やり心臓に注ぐから。まずはマナがどんな物か、感覚で理解してもらいたいだけだよ」
にやけ面で言われても信用ならない。
感覚で……か。
「いくよ~?」
心臓がドクンと一度高く跳ね、圧迫されている感覚が一瞬だけした。
それが心臓から全身を擽るように巡り、何処かに漏れ出たような錯覚を抱く。
ーー錯覚ではないのではないか?ーー
え?
「いま、豊花に送った霊子は、心臓に貯蔵されずに、自由に全身を駆け巡り体外に漏れたんだけど、それはわかった?」
「いまのが……マナ?」
初めて体感する。空気のようでいて存在感があり、重くて軽い、全身を巡る酸素のように、それでいて酸素とは違い全身を巡る感覚がわかる。
言葉では言い表せない。
ーー不思議な感覚だった。
「精霊操術師も聖霊操術師も神霊操術師も、基礎の基礎として操霊術があって、み~んな操霊術師なんだよ」
瑠奈は「操霊術っていうのは、精霊が属性を付与する素を……霊子を操る術のことだね」とつづけて言う。
いきなりフレアの協力の元、精霊操術が扱えるわけじゃないのか……わかってはいたけど、大変そうだ。
私に扱えるのか不安になるけど、私は戦う力がほしいんだ。真面目に習おう。
私は直感、よくて感覚を利用した、ナイフでの戦術しか知らない。
これだけじゃ、ありすのような殺し屋にさえ抵抗できない。瑠衣に模擬戦で敵わない程なんだ。
「操霊術は、主に三つの技術に分けられる。一般的に霊子吸収、霊子貯蔵、霊子操作の三つ。わたしは魔女序列の平均にしては、霊子貯蔵が苦手なんだよね」
瑠奈は説明を始めた。
私は真剣に話を聞く。
霊子吸収は、辺りの空気に混じって漂っているマナを体内に吸収する技術。
吸収速度には個人差があり、基本的に吸収と操作を並行で扱える精霊操術師は少ない。瑠奈のような魔女序列の名誉を与えられるような精霊操術師くらいしかできない。
そのうえ、吸収量より使用量のほうが高くなるのが普通で、一般的には体内にマナを貯蔵した状態で活用するという。
そこで霊子貯蔵が重要になる。霊子吸収で集めたマナを心臓に蓄えておき、常に貯めて備えておく技術。
貯蔵量には個人差があり、蓄えられる限度が違う。これは扱う精霊操術の規模が大きくなるほど、大量の貯蔵が必要になることを意味する。
精霊操術師などの最奥、秘術である同一化と界系奥義は、まさにこの貯蔵量が足りないと、習得すら不可能だという。
瑠奈は貯蔵量が低いとはいえ、それはアリシュエールのトップクラスーー魔女序列基準であり、七位の瑠奈ーールーナエアウラにしては少ないというだけの話。
界系奥義を習得すれば、二柱の精霊の力を借りて、同一化と並行してふたつ扱えるだけの貯蔵はあるらしい。
そして、これらを扱うためにも一番重要なのが霊子操作。マナのコントロール。
自身の心臓に触れさせ己の支配下に置いたマナを、体内・体外問わず、自由自在に操りマナを移動させたり、展開させたりするコントロール力を指す。
霊子吸収が遅くても、霊子貯蔵が少なくても、操霊術師にはなれる。
しかし、霊子操作ができなければ、まずスタート地点にさえ立てない。
幸い、霊子貯蔵以外は繰り返しの訓練で鍛えられるうえ、霊子貯蔵も繰り返すたびに許容量が微量ずつ上がっていくのが救いだ。
しかし、やはり才能による部分が大きく、操る感覚さえ理解できない場合は、訓練といっても、なにもしていないのと同義になる。
「精霊操術師の奥義は精霊喚起による同一化と界系奥義だけど、操霊術の奥義は操霊剣と言われていて、精霊のちからを借りずマナだけで剣を作り出し、最低でも30秒は現界を維持できて、なおかつ手許から離しても消えないようにすることだよ」
まあ、と瑠奈は言葉をつづける。
「ある程度操霊術が扱えるようになったら、精霊操術師になるためのフレア? だっけ? の力を借りて、火の精霊操術を使う訓練を始めるけど。操霊剣が出せたって、単なる物理的な剣に勝てないもん」
瑠奈はそう言い終えた。
「わかった。えっと……まずはなにからすればいいの?」
「まずは、さっきのでマナの比類ない感覚は掴めた? 掴めてないなら、精霊操術師になること自体おすすめできなくなるけど」
「それは……一応なんとなくわかった」
ーー豊花……ここからは感覚の異能力を使う場面ではないか? 感覚優先作業なら、役に立つと思うぞ?ーー
うん。私もさっきの段階から、使っていればよかったと思った。
「ーー感覚」
私は訓練のまえに、小さくそれを唱えた。
「まずは、両手をつかっておにぎりを捏ねるように、手のひらの形をつくってみて? 真ん中の空間は空けたまま。で、おにぎりを握るように」
瑠奈は手のひらで、透明なおにぎりを握るように、手のひらの位置は動かさないまま、真ん中の空間を微量に広げたり狭めたりするように、手のひらを上下させて見せた。
私もそれを真似て、同じように指を自然に弛緩し、両手のひらを上下に分け、真ん中の空気を握るように揉むように両手を軽く上下させる。
「そこに、さっき心臓に与えたのと同じような不思議なものーーマナがあるのを感じない? それを集めるように意識して捏ねる」
「マナがあるのが……」
マナを集めよう集めようと意識しながら繰り返していると、やがて手のひらの真ん中の空気に、なにか異物感があり、圧で押し返される錯覚が始まった。




