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Episode06/3.男女の性差

「こんのっーー大バカッ!」

「いっ!」 


 瑠璃は瑠衣の頭をグーで殴り怒鳴った。

 瑠衣の奇妙な狂気に当てられていたからか、僕まで変な雰囲気にのまれていたけど……瑠璃のおかげで意識が正常に戻った。


「瑠衣、あんたねぇ!? いま自分が何をしたのかわかってるの? 法律違反! 犯罪行為よ!? 許可なく異能力は使うなって、あれほど口を酸っぱくして言ったでしょ!? 法律でも最初に指摘される部分なのよ、わかってるの? 私はあんたの姉だけど、異能力特殊捜査官でもあるのよ! 普通は見逃しちゃダメな立場なの、理解してるの!?」


 瑠璃ってあまり怒らないと思っていたけど、意外と激情家だ。

 そんな感想を抱くほどの勢いで、瑠璃は瑠衣を叱責していた。


 うーん、別に他人を害さなければ、勝手に使ってもいい気がするけど……。

 今の異能力の法律って、きちんと調べたら理不尽なものが多そうだ。


「姉さん、うるさい。こんなの、バレない。姉さん、頭固すぎるだけ。異能力を使った犯罪、お金を稼ぐ集団、聞いたことあるけど? 私を責める暇があるなら、その労力、そっちを捕まえるために、使わなきゃ」


 瑠衣も瑠衣で、故意なのか不作為なのかは判別できないが、結果として瑠璃を煽ってしまっている。


「あ、あんたって本ッ当にわがままよね。一回くらい少年院に入って頭冷やしたほうがいいんじゃない? といっても、異能力を使った犯罪は未成年者だろうと教育部併設異能力者研究所送りになるけど。いつか人を殺すんじゃないかって、心配で心配でしょうがないのよ。ちょっとは私の気持ちもわかって」


 気のせいだろうか?

 人を殺す、と聞いたとき、瑠衣の視線が游いだ気がする。


 まあ、そんなことは置いておいて……。


 なんだか僕が能力を訊いたせいで言い争いが始まってしまったような感じがして、なかなかに気まずい。


 ふと、カッターに切られた対象に目をやった。

 中心から歪曲を描いて横へと伸びて端から出た、長く細い、深い溝。


 カッターで机の硬度に、こんなサクッと刺せるものじゃないし、やっぱり、これが瑠衣の異能力と関係するのだろう。


 となると、カッターの刃を鋭利にできるような力? 

 そう考えると、少し怖くなる。


 あんなちゃちなカッターを冗談混じりにでも向けられて、軽い気持ちでつついてきただけで、こんな服なんか簡単に通過して、皮膚や骨をスッと空けながら通り抜け、容易に心臓まで届いてしまうほどの切れ味。


 僕の異能力には他人を害する要素なんて微塵もない。


 だけど、瑠衣みたいな殺傷性を内包している異能力のほうが、むしろ一般的な異能力者なのかもしれない。

 だとしたら、知らず知らずのところに危険は潜んでいるのかも……。


 異能力者保護団体での待ち時間で説明を少し受けたけど、僕のように自分の意思では発動できない、解除できない異能力者は、特例として犯罪行為をしなければ捕まることはないらしいけど……。


「る、瑠璃? あのさ、とりあえず怒るのはやめて、早くお昼食べない? ほら、休み時間、もうすぐ半分過ぎるし」


 いつまでも終わらなさそうだったため、僕は仲裁に入った。


「いいこと、言う。豊花、正しい。姉さん、サイコ」


 いやいや、どう考えてもサイコなのは瑠衣、きみだよ。

 サイコなのは紛れもなくきみだ。


 あんなニタニタ嗤って危険な異能力を嬉々として実演するくらいだし。


「あんたねぇ……はあ、わかったわ。お昼にしましょ。だけど、もう二度と異能力は使わないって約束しなさい。OK?」

「JK、姉さんは、JK2」


「……」

「うそうそ、わかった。約束する。姉さん、冗談通じない」


 今さっきまであんなに狂った表情を浮かべていたのに、瑠衣からはもう、あの狂気は消え去っていた。

 さっきまでの雰囲気が全く感じられない。


 まるで、他人のように……。


「でも、豊花はやっぱ、女の子らしく、したほうがいい。そのほうが、いいと思う」

「え、そんなに変? 僕って言い慣れてるから、今から変えるのは結構無理があるんだけど……」


「あと、その、サイズの合ってない服じゃ、胸チラ。上から見ると、乳首がバッチリ」

「うっそぉ!?」


 慌てて下を向き胸元を確かめてみる。


 サイズが大きかったのか、たしかに上から覗くように見ると、さくらんぼが『こんにちは』と言ってくるような服装になっていた。


 少し崩れていた服装をただし、見えないように工夫する。


「ブラジャー、着けない、の?」

「そうね。いくら元は男だからって、ちょっとは周りの目を考えたほうがいいわよ。きっと、ずぼらがレベルマックスになったら露出狂で捕まりかねないし」


 葉月姉妹の挟撃がはじまる。

 いや、まあ、それに関しては……。


「胸になにか着けることなんて今まで一度もなかったから、違和感ありそうだし、ちょっとなぁ……」


 男時代の尊厳が残留しているのか、どこかで胸の下着には抵抗感があった。


「AだかBだか知らないけどさ、ブラしないと垂れるの早いわよ? ちっちゃくても垂れるものなんだし、一生女の姿で暮らすつもりなら、着けたほうがいいんじゃない?」

「垂れるの!?」


 こんなサイズで!?


 小さなみかんが2つぶらさがっているような軽い重さしかない、そのわりには違和感は拭えない、コイツらが垂れると仰るのか?


 と、瑠衣がとんとんと肩を叩いてきた。


「豊花、これからはこう。まず腕を、なよなよ振って、走って登校する。話すとき、自分のことを、『わたくし』って言う。地べたに座るときは、女の子座り。トイレに行くなら、『お花を摘みに』で。語尾は『ですわ、ますわ』で統一」 


「そんな女の子、一度も見たことないんだけど?」


 厳しすぎる『女らしさ』だった。

 というか本人からしてできていない。


 大和撫子と言われるような人でさえ、そこまでしないんじゃないかな?


「あっ、あと、化粧するの?」

「へ? い、いや、そんな、化粧なんてするわけないじゃないか」


「それ、凄腕のナチュラルメイク、じゃないの? 本当に、すっぴん? スキンケアとかは?」

「いやいやいや、わからないって。だから、つい先日まで僕は男だったんだって。いきなり化粧なんてできるわけないし、する必要性も全く感じない」


 着飾らなくてもかわいいのだから、肌を痛めると云われている化粧はわざわざする必要ないはずだ。

 自分贔屓な目線があるかもしれないけど、わざわざメイクの仕方を覚える気にはなれない。


「たしかに豊花なら化粧要らずよね、その顔。というより、瑠衣? そもそもあんただって他人(ひと)に言えるほど化粧してないでしょうが。欲しいって言うから化粧水やら乳液やら買い、欲しいと言うからマスカラファンデアイシャドーその他色々プレゼントしてあげたのに……あんた、すぐに使うのやめたわよね?」


「いや、怠いし、面倒。姉さん、知ってる? 学生が、化粧するの、肌の老化、早めてしまう。ほら?」

「なんで要らない物おねだりしたのよ、あんたってやつは!」


 どうやら、化粧しているのかと訊いてきた本人が化粧していなかったらしい。

 なんじゃそりゃ……。


「一応、化粧水、付けてる」


「そのくらい普通、誰でもするわよ……。私が言いたいのは、使わないなら化粧品なんてねだるなってこと」


「でも、社会人の化粧は、マナー。すっぴんは、マナー違反。働いてる、姉さんは、化粧してる?」


 え、そうなの?


 瑠衣が言うとおりだとすれば、社会人は化粧しなくちゃいけないみたいだ。


 化粧しないとマナー違反……なんだその謎ルール。

 自分が知らないだけで、実は男にも隠しルールとかあったりしたのかな?


「化粧くらいするわよ、失礼ね。そりゃあ、学校にまではしてこないけど。保護団体に行くときくらいしてるわよ」


 たしかに、言われてみると、異能力者保護団体で会ったときの瑠璃は、今より少し大人びていた気がする。


「姉さん、学生手帳、見たことないの? 校則に、しっかり、本校生徒は、化粧したらダメ、って書いてあるよ? 校則違反」


「いや、別に学校に来るときにしなきゃいいだけの話でしょ?」

「学生は、化粧ダメ。でも、社会人になったら、化粧はマナー。変」


 たしかに、学校では化粧してはいけないと煩く言われるのに、社会に出た瞬間、今度は化粧しなければ非常識扱いを受けるなんて、なんだかあべこべだ。

 そもそも、みんな誰に教えてもらって化粧を始めるのか、僕には見当もつかない。


 僕がもしもこのまま成長して社会人になったとして、化粧ができなかったら非常識人というレッテルが貼られてしまうのだろうか?


 内心、ちょっと焦ってきた。


 まさかそういった常識があるだなんて、今まで全く知らなかった。


「そろそろお昼終わりね。行きましょ、豊花」

「え、ああ、うん」


 瑠璃が手を差し出してきたから、思わず握ってしまった。

 立ったあとに慌てて、すぐに手放してしまったけど。


「それじゃ瑠衣? 問題起こさないようにしなさいよね?」

「はーい……ぐぅ……」


 ーーもう寝るんかーいっ!

 授業が始まるまえから既に入眠体勢に移る瑠衣を見て、ついつい頭の中で突っ込んでしまった。


「あれはいいの?」


「本当ならダメだけど……いいのよ、強い薬出されてるし。できれば真面目に授業受けてほしいけど、最悪、問題行動さえ起こさなければそれでいいわ」


「問題行動? 強い薬?」


 瑠璃は僕の疑問には返答せず、話をつづけた。


「豊花には、瑠衣と仲良くなってほしいの。あの子、異能力者なうえ、侵食率が上がっているせいか、たまにおかしくなるのよ。だからみんな怖がって、誰からも話しかけられなくて……ひとりも友達がいないの。だから」


 ーー同じ異能力者である豊花に、瑠衣の友達になってほしい。


 瑠璃はそう続けた。


 わざわざ昼休みに僕を誘って、一年のクラスまで連れてきた理由はこれか。


 元からあり得ない可能性だったけど、もしかして僕に好意があるんじゃないかという薄い期待が、ものの見事に裏切られてしまった。


 いや、まあ、そもそも女の子になっている僕に、同じ女である瑠璃が好意を向けるなんて、普通じゃ考えられないか。


 2年B組の前までたどり着くと、裕璃もどこからか教室に帰ってきていて、鉢合わせしそうになる。

 それを見ていた瑠璃は、いきなり僕の肩や背中をフレンドリーにタッチしてきた。


「また明日もお願いね?」

 と、裕璃にまで聞こえるような声で言うとーー。

「またね、“豊花”」


 そう言って自分の教室に戻っていった。


 ……なんだろう?


 裕璃を見た瞬間、急に僕に対して親しいアピールをするかのようにボディタッチを始めるし、なんだか“豊花”の部分を強調していたような気がする。


 それを見ていただろう裕璃の様子を窺う。

 なにか戸惑っているかのような、そんな雰囲気でチラチラ見てきていた。


 僕に視線を向けてはいるものの、なにかを言おうとして、やっぱりやめる、その繰り返しの動作をする。


 裕璃のことが、瑠璃や瑠衣と話していたからか、次第にどうでもよくなってきていた僕は、もう気にしないようにと教室に入った。

 椅子に座り、ふとした拍子に気づいた当たり前のことを思案する。


 今さら気づいた。当たり前の問題。

 今の自分は“身体年齢14歳の女の子”なのだ。


 ーーそれはつまり、いくら女の子と親しくなっても、友達までという事実。


 結婚相手は女性ではなく男性になるという常識。

 それすら忘れていた現実。


 今さらになって、バカでもわかるこんな“当然”に気がつき、少しだけ、ほんの少しだけ、僕は女になったことを後悔してしまった。 


 ……でも、例え冴えない男子高校生のままだったとしても、異性と恋愛できた可能性は0に近いだろう。

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