Episode42/4.赤羽裕璃
「……ふ~ん?」
「え?」
裕璃は少しいたずらっ子の様に背を曲げて、わざとらしく僕を上目遣いで見る。
「いま上の空になっている最中、実際に異霊体と会話してたんだ?」
「え? ああ、うん」
少しの間なら違和感を悟られないけど、傍目から見ると熟考しているように見えるより、上の空に見える場合のほうが多いのか。
「その異霊体が言っているんだよ。裕璃が異能力者になる条件は満たしていた。金沢の行為や僕が裕璃を拒絶して悲しませたせいで、心の傷を負った。異霊体にとって、それは幽体に孔が空いていると映るんだって」
裕璃はわざとらしい態度を改めると、真剣な表情で僕の瞳を真っ直ぐ見る。
「異霊体は幽体に孔がなければ憑依できない。つまり、裕璃が心に傷を負わなければ、異能力者になることはなかったんだよ」
「それってつまり……豊花も傷付いていたんだよね? 瑠璃ちゃんから聞かされた話とかを踏まえるに、私が金沢先輩と付き合ったから……でも、どうして?」
答えにくい質問をされる。
でも、僕はここで内心のすべてを裕璃に打ち明けるつもりだ。
今までの思い出も語る。
……最期の別れになるかもしれないからだ。
沙鳥は成果次第で、また会えると言っていたけど、それは逆に言えば期待に応えることができなかったら、二度と会うことは叶わないのを同時に意味する言葉だ。
だから、僕は今から建前の話はやめにする。
すべて正直に話す。
聞かれなかろうと、話しつづける。答えるのが恥ずかしい質問にも包み隠さず返答する。会話も交わす。悔いが残らないように……。
ーー僕は身勝手に裕璃へ贖罪したい気持ちで、もう一度話したいがために、愛のある我が家の力を借りた。
沙鳥に言われなくても、これは僕自身が選んだ願望の顛末だ。もう、否定しない。
真っ正面から正直に受け入れる。
だからこそ、最後になるかもしれない裕璃には、せめて誠実でいたいんだ。
「僕は裕璃のことが好きだった。大切な友人としても、初恋相手としても、裕璃が好きだったんだ……」
「豊花も……私のことが好きだった?」
裕璃は少し驚いた表情を浮かべる。
「一番長い付き合いの初恋相手の女の子が、僕の全く知らない金沢ってヤツと付き合う事になったって言われて、僕は自覚してるよりショックを受けたみたいなんだ」
ーーああ。幽体に孔が空くほど心を負傷していた。だからこそ、私は豊花に憑依できた。そして出逢えたとも言えるが……。ーー
「そこに異霊体ーーこれから異霊体をユタカと呼ぶね? ユタカに憑依されて、僕は異能力者になって女体化したんだよ」
「そっか……授業では異能力者は誰でもなる可能性がある病のようなものーーって教わったけど、実際には少し違うんだね?」
「そうなんだよね……難しい話だけど」
僕は頷き返事する。
窓の外を見ると、夕陽が沈むのと同時に、空から夜が下りてくる。
「じゃあ、お互い様じゃん。私のせいで豊花は異能力者になった。私は豊花の言葉で異能力者になった。そうだとしたら、豊花が悪いとは言えないかな。それにーー豊花は私みたいに暴れたり、ましてや私や金沢先輩を殺すなんてしなかったよね?」
「いやーー違うよ」
僕は自分の黒い部分も、包み隠さず伝えると決めた。
心の底で自覚していなかった部分まで暴露するつもりだ。
「裕璃が誰と付き合おうと、自由なんだよ。勝手に僕ひとり部屋で傷ついてただけ。けど、裕璃は犯罪被害に遭ったし、僕が感情的になり裕璃に強い言葉を浴びせた。ある意味、僕も加害者だよ。裕璃と僕じゃ異能力者になったは同じでも過程が違う」
「慰めてくれてるの? 私は犯罪者なのに……」
「本心だよ。僕はさらに、裕璃に男ができたとき、裕璃が処女じゃなくなっちゃうなんて、そんなことまで考えてた……本当に……最低なヤツだ」
そこで偶然、それこそ真の星の巡りとも言える瑠璃との邂逅を果たした。
その瑠璃にやさしくされて、コロッと瑠璃に惚れた。
今は、瑠璃に惚れているのはそんなに単純な理由じゃないけど、当時は本当に、単純な理由で恋心が芽生えたんだと思う。
裕璃と瑠璃は正義感という点で、一見似ているようにも思えた。
それが、あんな簡単に恋心を抱く相手が変わった原因のひとつかもしれない。
裕璃は僕をいじめから救ってくれたし、自分の犯した罪を赦すことができないと自分に対して言ってもいた。
でも、瑠璃たちと友達付き合いをつづけていくうちに、二人は違うとわかっていき、次第に決定的に違うところまである事がわかった。
そこに魅力を感じたし、惹かれたのも事実だ。
だからこそ、気づいた事もある。
当初、裕璃に恋した理由は、仲良くしてくれて、更にはいじめから守ってくれた張本人だったから。
なのに、僕は次第に、裕璃を性的な部分に抱く、恋心というより、性欲ばかりの目で見るようになっていた。
「それに、たしかに裕璃は罪を犯した。それも殺人という許されない罪だ。でも、それがさっき僕が口にした異霊体との合体事故に繋がるんだよ。全てとは言わないよ? でも、それが引き金になり、普段の裕璃なら絶対にしないことを起こす羽目になった、最大の原因なんだよ」
「……その合体事故って、どういうこと?」
僕は裕璃に、なるべく専門用語を控えて、わかりやすく丁寧に説明した。
異霊体は、心を負傷している人に誰彼構わず憑依するわけじゃない。
裕璃は異能力者になったのだから、干渉系統があることは知識としても知っただろうし、授業でも学んでいる。
異能力者ではなく、異霊体が物質干渉、身体干渉、精神干渉、概念干渉、存在干渉、特殊系統の六つの特性のいずれか、または複数を持っている。
だから、心の傷を負った原因や悩み事を解決するのに、適した異霊体が“普通は”憑依する。
そのうえ、幽体との相性もあり、如何に異霊体が憑依対象の悩みを解消できる特性を持っていたとしても、相性の合わない人間には、“基本的に”憑依しない。
裕璃にそれらを伝えていく。
「普通は……基本的に……つまり、私は例外的に、その相性が合わない異霊体に憑依されたってこと?」
「あの事件の日、裕璃を見たユタカは、真っ先に裕璃が合体事故を起こしてるって気づいて教えてくれたんだ。合体事故最中は精神が不安定で、大抵は自滅的な行為を働き、直ぐに命を落とすか、研究所に死ぬまで収容されることになる。宮前区の集団連続投身事件は有名だし知ってるよね?」
「うん、知ってる……あれも合体事故で引き起こされた事件だったの?」
「どうやらそうらしい。大抵はああやって自滅的な願望とズレた目的のための異能力が発現したりして、直ぐに自滅するんだって。だからーー裕璃の起こした殺人も、裕璃は悪くないとは言わないけど、確実に言えるのは、決して裕璃だけが悪いわけじゃないんだよ」
「…………」
裕璃は戸惑いを顔に浮かべて、少しの間、口を噤む。
まさか、とは思いつつも、事件当時の記憶が、どこか他人事を見ているような、ふわふわとした中身しか思い出せないのを裕璃は自覚している。
けれど、現代において、異霊体と異能力者の合体事故は、高杉さんですらユタカに教わり知ったくらいだ。
世間には、まだ公開されていない情報だ。
だからこそ、世間は、民意は、司法は、異能力者保護団体さえもーー裕璃の事情を酌んではくれない。
ある種、僕には心神喪失で無罪に当たる事例とも思えた。
「だけど……やっぱり、一番悪いのは私なんだよ。遺族にお金を払うーーこれを朱音ちゃんから拒否されて、償う機会を失ったけど」
「え? 朱音は拒否したの?」
「聞いていなかった? あっ、ユタカちゃん? と話していたんだね?」
察しがよくて助かる。
裕璃は自分が悪いと認めつつも、先程までのなにか覚悟を決めて冷静な表情に、明るさまで少し、ほんの少しだけど、甦った気がした。
いま目の前にいる裕璃は、僕が昔から知っている裕璃に限りなく戻りつつあるのを感じた。
ーー奇跡だ。合体事故を起こした異能力者が、こうもまともな心身に戻れるとは……。しかし、いつまた合体事故の影響が現れるかわからない。ーー
うん。そこは気をつけるべきだね。
「裕璃、今は落ち着いてると思うけど、沙鳥さんに渡された薬ーー異霊体侵食阻害薬とも云われているんだけど、大丈夫だからと飲むのを勝手にやめないようにしてね?」
「え? うん。これってどんな効果があるのかな?」
裕璃は手に持つ袋を持ち上げた。
中には沙鳥の渡した薬が入っている。
「不穏とか不安、怒りなどを抑える鎮静作用があるらしい。元は精神科の薬だけど、異霊体に侵食される原因のひとつは、それらマイナス感情の昂りなんだって」
「異霊体の侵食……」
「異能力者が異能力を使ったり、マイナス感情が高まったりするたびに、異霊体侵食率が上昇していくんだって。侵食率が100%になったら、幽体が、心が異霊体と完全に融合して、人格が変わっちゃうんだよ」
僕は自分の推測も交えた説明をつづける。
「相性の悪い異霊体なのは変わらない。その異霊体に心が侵食されて、裕璃の人格が変わってほしくないんだ」
「ユタカちゃんと会話できるわりに、異霊体に厳しいんだね?」
ーーいいや? 合体事故を起こす異霊体なぞ迷惑だ。私ではないほかの異霊体でもそう考えると思うぞ?ーー
「ユタカも合体事故なんて起こす異霊体は迷惑以外のなんでもないってさ」
「あははっ、同じ異霊体なのに、ユタカちゃんまで否定しているんだ?」
裕璃は朗らかに笑う。
だいぶ、顔色は明るくなってきた。
「……豊花」
「ん?」
裕璃は笑顔で思い出を語る。
「小学生の頃、豊花がいじめに遭っているのを見て、私は正義感で豊花を助けたんだけど……それからいろいろ有ったよね? 懐かしいよ」
「……うん。長い間……一緒に帰ったり、遊んだり、宮下と三人で遊んだこともあるよね?」
懐かしい気分に、僕まで浸ってくる。
「私もいつの間にか、豊花が初恋の相手だったみたい。長い付き合いだからこそ、この感情が恋だってわかったのは、最近になってから……瑠璃ちゃんに教えてもらってからになっちゃった」
裕璃は笑顔のまま、瞳に涙を一粒浮かべる。
それを腕で拭う。
少し心配になるけど、いまは黙って裕璃の話を聞くことにした。
「豊花も私が初恋相手だったんだよね? なのに……何処で間違えちゃったんだろ?」
「それは……」
「んーん、言われなくてもわかってるよ。それに……今の豊花は、瑠璃ちゃんのことを愛してるんだよね?」
「……まだ、単なる友達止まりだけどね」
愛しているは言い過ぎだけど……。
大切な存在だと、認識されたのは間違いない。
けど、そこから恋愛に発展していくとは、今はとてもじゃないけど思えない。
片想いからどう関係を進展していくかーーしかも同性の立場からーー今の僕にはまだ、わからない。
「私も私でケジメをつける。まだ諦め切れない気持ちはあるけど、豊花の恋路の邪魔になるから、もうおしまいにする。豊花の新しい恋を応援するね。少し悔しい気持ちもあるけど、本当だよ?」
「うん……ありがとう。そして……ごめん」
こんな僕を好きになってくれて……。
男時代の僕に恋心を抱いてくれた相手は、裕璃だけだ。
不可逆の性装逆転という、ユタカがよく言う異能力の名前どおり、それは、後にも先にも変わらない唯一の事実となった。
裕璃はベッドから立ち上がると、僕に握手を求めてきた。
僕はそれを受け入れ、しっかり握手を交わした。
「私こそ、ありがとう。そして、ごめんね。私はこの十字架を背負いながら、これからは過ちを犯さないように、新たな人生を歩いていく」
裕璃が謝る必要はないと思うけど、裕璃自身の言葉を否定するのはもうやめた。
素直に、お互い礼と謝罪を交わし、互いに受け入れる。
そして、最後に再び、僕は口にする。
大事なことだからーー。
「これからも、裕璃は僕の大事な友達だよ。ずっとね」
「うん。私もそう想いつづけるから」
と、そのとき部屋の扉が開いた。
「そろそろいいか?」
赤羽さんが部屋に入ってくる。
後ろには、衣服がいたるところ焦げてぐったりしている瑠奈に、肩を貸して立たせている朱音も帰ってきていた。
裕璃の表情が明るくなっているのを見たからか、赤羽さんはさっきみたいに無茶な言動はしなかった。
僕も決心した。
裕璃は僕の大事な友達のひとりなんだ。
これから裕璃に、新しい友達や、そして、恋心を抱く相手に、この世界で巡り会えるだろう。
僕はそうなることを願っている。
裕璃が、三人の人間を殺したのなんてわかっている。
裕璃自身、未だに自分への罰を望んでいることだって、なんとなくわかっている。
でも……。
それでも僕は思う。
願わくは、裕璃の人生が……新たな生が、祝福に満ちたものでありますようにーー。
※次話から始まる第四章/杉井豊花(破)の投稿開始まで少し間を空けるか、投稿頻度を減らしてスローペースでの投稿にするか、どちらかになります。読んでくださっている方には、待たせてしまうこと、非常に申し訳なく思います……。引き続きお付き合いいただけると幸いです。




