Episode41/4.人工の世界
(91.)
瑠奈の風の精霊操術によって、朱音、僕、そして戸惑っていた裕璃と赤羽さんの順で、窓から外に飛び降り、どうにか全員が空中浮遊の状態になった。
この独特な浮遊感は怖くもあり、同時に何処かファンタジーな現象だと感じられた。
以前は一瞬で飛翔し上がり、一気に廃ホテルの屋上に着地したからか、今回ほどの特徴的な感覚を抱いたのは初めてだった。
城ーーというより、どちらかと問われたら城塞に近い。その上空へ、瑠奈は以前のように僕らを連れて一気に飛翔した。
そのまま方向転換し、城の背面に向けて飛行を始める。
「空中浮遊より飛翔や飛行のほうがマナの消費は少ないし、使用難度も低いんだよね」
そう言いながら、城の背後ーー崖の下に広がっている草原の上空を、瑠奈は僕らを連れて真っ直ぐ飛びつづけた。
空中浮遊のほうが簡単そうだけど、この世界の魔法使いーー精霊操術師にとっては、浮遊より飛行のほうが消費する労力は違うらしい。
ふと、裕璃の顔色を窺う。
相変わらず不安そうな表情を浮かべていて、徐々に胸が苦しくなる。
本当に、僕の行動は正しかったのか?
単なる僕の驕りに過ぎなかったんじゃないか?
実際、裕璃は人殺しの罪に対して罪悪感を覚えていて、自分自身を赦すことなんてできない……そう口にしていたし……。
そういう思考が無意識から沸々と湧き上がるが、その思考を振り払うように、僕は首を強く振る。
瑠奈は飛ぶ際に、辺りに精霊操術を展開して、生身で飛ぶリスクを軽減していると聞いた気がする。
だからこそ、飛行最中に感じる風圧などは最低限に抑えられていて、不快感もほとんど抱かない。
少し進んだ先で、下方に広がる草原が見た目を変えた。
先端が丸い、特徴的な形をした草花になったのだ。
さらに、そこには数十名の人々が、ひたすらなにかを繰り返している。
あれは、いったい……?
ーー芥子だな。時期が現実基準で考えると微妙に異なるが、おそらく芥子から阿片を採取しているのだろう。しかし、規模が大きいな?ーー
あれが芥子……?
芥子畑が非常に広い面積で栽培されていた。
ーーモルヒネに精製すると言っていたな? 芥子の樹脂には不純物が含まれている。日本には密輸しないと言っていたが、量的にはコレでも不足しているのではないか?ーー
そうなの?
一面芥子が広まっているように見えるけど……。
ーーこの世界では、いったい誰がどのような用途で使っているのかわからない。つまり断言はできない。一部が使うのであれば十分なのかもしれないが……。ーー
その地帯を飛んでいくと、やがて森林地帯に突入した。
上空からでも、木々が生えていて鬱蒼とした雰囲気を感じ取れる。
少しすると、その森林の中に、やや広い範囲に木が生えておらず、その代わり二つの建物が距離を挟んで建っている地点まで辿り着いた。
瑠奈はその場で飛行を止める。
その二つある建物の片方ーーやけに頑丈につくられている印象を覚える建物の前へ、全員で舞い降りる。
地面に足が接地するまえに一瞬だけ落下の速度が落ちる。ふんわりとしたまま、僕を含めた五人は無事に着地した。
「なんだか妙な臭いが漂っているんですが……朱音さん、これっていったい?」
目の前にある頑強に見える建物から変な匂いが少し漂っている気がして、僕は思わず鼻を摘まんでしまう。
裕璃も同様の違和感を覚えたのか、朱音に視線を向けている。
「覚醒剤の製造過程で、どうしても悪臭が発生するんだ。でも、工場の換気が正常に働いている証左でもあるよ」
朱音は少し離れた距離にある建物に目線を向けて、指を指した。
「あっちがバーミリオン構成員の寮だ。主に覚醒剤製造とモルヒネ精製をする者が住んでいる。阿片採取は下っ端の仕事だから、寮にはいないけど」
朱音は裕璃に目配せして、説明をつづけた。
「裕璃ーーきみはこれから、あそこで暮らしながら主に工場で働いてもらうことになる。国王公認の組織だから安心してほしい」
「え……街からこんなに離れているのに、本当に努力次第で、豊花やお父さん、お母さんに会えるんですか?」でも……と裕璃はつづける。「それが人殺しに対する罰なんですね……」
裕璃は寂しそうな表情で、半ば諦めを含んだ口調で朱音に問う。
いや、犯罪の罰に犯罪への加担をさせられるのは、罪に対する罰でも更正活動でも何でもない。
愛のある我が家の利となることを体よくさせられるだけじゃないか。
「安心してくれ。バーミリオンの寮にも、瑠奈のような風の精霊操術師が二名住んでいるんだ。給金として支払われる銀貨で街に買い物に行きたい場合は、そのひとに連れていってもらえる。それに、沙鳥は基本的に約束を破らない」
僕からすると、沙鳥にそんな誠実な印象は微塵も抱けないんだけど……。
しかし、裕璃はその答えに納得したのか、それ以上、返事はしなかった。
裕璃は自分の犯した罪を認識しているし、罰を受けるべきだと考えている。
それこそ、研究所で受けただろう実験という名の拷問さえ、自暴自棄になり容認している節がある。
異霊体と合体事故を起こしていた様子は、今の裕璃には見受けられない。
口にはできないけど、あのとき校門の奥で遭遇した裕璃は、明らかに狂っていた。
人を殺したあと、笑顔で訳のわからない言葉を語りかけてきた裕璃と今の裕璃は、明確に違う。
元々の裕璃にあった溌剌な雰囲気は、今の裕璃には感じられないけど……。
ーー合体事故は初動が危ないと話したが、それを乗り越えても、精神は不安定なままだ。もしかすれば、徐々に精神が安定する可能性もあるが、望みは薄いぞ。断言はしないでおくが……。だが、薬によって精神の不安定さを抑える効果は望める。ーー
裕璃に薬を飲み忘れないよう、僕からも念のため伝えたほうがいいのかな?
「国王には、後でぼくと瑠奈から説明しておく。正式にアリシュエールの民と認めてもらうよ」
朱音は、このアリシュエールという国の王様とツテがあるのか。
いや、たしかに王様と話し合える間柄でないなら、勝手にこんな工場を建てたうえ、覚醒剤やモルヒネなんかの製造は認められないだろうけど……領主とかではなく王様か……。
ふと、突如として、僕はなにか衝動に駆られ、思わず後ろを振り向いた。
ほとんど反射的に、だ。
誰かの気配を感じて、咄嗟に振り向くようにーー。
そこには、こちらを人差し指を咥えて見ている、幼女に近い顔立ちと背丈をした橙色の髪の少女の姿があった。
背丈は澄と同じくらいで、少女というより幼女と言ったほうが正しい外見だろう。
その女の子は、僕たちを見つめて立ち尽くしていた。
こんな場所に居るには、例え異世界だとしても違和感を抱いてしまう。
しかし、それよりも、もっと気になることがある。
ーーその姿は半透明でいて、少女の体を貫通し、奥の木々まで僕の視界に映っていた。
「これから工場の中から二、三人、裕璃の仲間になる人を連れてくるから、待っていてくれ。マスクもしないで入るのは少なからずリスクもあるからね」
朱音の声が背後から聞こえると、工場と云われている建物の扉を開く音が耳に届いた。
瞬間ーー刺激臭とでも言えばいいのか。
嗅いだことのない幾何学的な独特の悪臭が、背中を向けている僕の鼻腔まで擽ってきて、思わずウッと息を呑んでしまう。
「豊花? どうしたの?」
僕が工場の背後を見ていることに気がついた裕璃は、僕の視線の先を見る。
しかし……。
「なにもないけど、あの森に何か気になることでもあった?」
僕は裕璃に顔を向けると、裕璃は本当に誰も見えていないかの様に、困惑を顔に浮かべていた。
赤羽さんや瑠奈も僕の異変に気がついたのか、身を翻し工場に背を向ける。
「いや、あそこに」
僕は半透明の少女が居た地点を指で指し、視線を戻すとーー。
「ーーッ!?」
橙色の髪の少女は、いつの間にか僕の真横に立っていた。
袖や裾にヒラヒラが付いた特徴的な白のワンピースが少し揺れて、直ぐに止まる。
少女は僕だけを凝視していた。
さっきまで“僕ら”を眺めていた少女が、今は“僕だけ”を見つめているのだ。
『わたしが見えるんですか? わたしを見ていましたよね? 見えているのですよね?』
セミロングの髪の毛を揺らしながら、妙なテンションで弱々しく屈伸してぴょんぴょん跳ねている。
なのに、裕璃も赤羽さんも、ましてや瑠奈にさえ、この少女が見えていない様子だった。
「豊花? もしかしなくても精霊か聖霊、ましてや神霊の姿が見えてる? いや、神霊は初潮が過ぎた女の子に近寄るわけないからーー精霊?」
瑠奈は僕に疑問をぶつける。
けど、僕には精霊や聖霊、ましてや神霊なんて、どんな姿をしているのか一ミクロンも知らない。
訊かれても答えに窮して困るだけだ。
『です! そちらの風精霊操術師さんが言うとおり、火の精霊、フレアと申します! 契約しませんか? 契約したほうがいいですよ? 契約したほうが絶対いいですよ! 初めての契約ですが舐めないでくださいわたし頑張りますよ貴女も初契約ですよね初めての契約相手にいかがですか!?』
妙にぐいぐい来られるが、どうやら自称“火の精霊”には触れることができないみたいだ。
さっきから密着し過ぎて、フレアとやらの腕や足が肉体に触れるが、透過して触れている感覚が全くない。
「瑠奈……さん? 火の精霊って言ってい……ます。契約しませんか、とか。初めての契約だけど頑張ります、とか。契約相手になりませんかって、契約を交わしたほうがいいって滅茶苦茶強く主張しているんだけど……いや、主張されているんですが」
「わたし相手には敬語も敬称も不要だよ? わたしと豊花ちゃんの仲じゃん!」
瑠奈とはまだほとんど関わりがないのに、妙に馴れ馴れしい口調で、今困っている出来事とは一切関係のないことを口にした。
瑠奈は見た目明らかに年下だけど……実年齢が二十歳だと知っても、ぐいぐい来るから、たしかにタメ口で接しそうになる。
だから、その提案自体は純粋に助かることだ。
けど……。
「いや、そんなことより、この子が言っているとおり、この少女は火の精霊とやらなの? 半透明なんだけど……契約を交わしたほうがいいって」
実際に、試しにタメ口で話してみた。
瑠奈は気にする素振りもなく、答えてくれた。
「相性の良い精霊は、人によりハッキリ見えるかは別れるけど、通常半透明な姿で視認できるよ。でも火の精霊なのに、人形? うーん、髪色は?」