Episode38/2.計画
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舞香と違い、御薬袋は転移の完了まで、若干時間がかかることが理解できた。
舞香は、空間の概念に干渉して空間と空間を置換して居場所を転移する。触れなくても空間置換はできるが、その場合は余分に疲弊してしまう。だからなるべく舞香に触れていないとならない。
でも、メリットとして、所持している物を相手の体内の空間を指定して置換させたり、手を触れた対象の体を上半身だけ転移させて殺害することもできる。
欠点は、今さっきまでの細かく転移した様子を窺えばわかる。
射程が御薬袋より短いのだ。
逆に御薬袋は、距離の概念に干渉して、舞香より長い距離ーー超長距離の移動が可能。それも、舞香とは異なり、近場に寄るだけで発動できる。
だけど欠点として、異能力が発現するまでーー舞香と比較するとーー数秒のタイムラグがあり、咄嗟の対応には適していないのだろう。
これこそが、沙鳥がまえに口にしていた、戦闘でこそ真価が発揮できる舞香と、御薬袋の大きな違いなのだと思えた。
「概ね間違いありません。付け加えるのであれば、御薬袋さんは転移先に人などがいた場合、異能力は不発に終わります」
沙鳥はチャイムを鳴らさず、一軒家ーーふたつめの拠点、塒2の前でスマホを取り出すと、画面をフリックし始める。
「ですが、舞香さんは転移先に人だろうが物だろうが存在したとしても、その空間と置換し、問答無用で異能力は発現します」
その話を聞いて、なおさら御薬袋が戦闘には適していない理由が理解できた。
沙鳥がスマホをポケットに戻すと同時に、玄関が開いた。
そこから朱音が顔を出す。
「無事に終わったみたいだね?」
朱音は全裸の裕璃をちらりと見ると、そう言葉にする。
「ええ。では、まずは赤羽さんに裕璃さんが起きるのを見守ってもらい、その間に刀子さんを招き入れ、話し合いを終わらせましょう」
沙鳥は朱音に返事をすると、これからすべき事を口にした。
……おかしい。
裕璃を助け出せたことは素直にうれしい。
でも、いくらなんでもスムーズに事が運びすぎだ。
異能力封じの異能力者も現れなかったし、異能力者研究所の専属になった第1級異能力特殊捜査官の高杉さんも、都合良く拳銃を持っておらず、無抵抗で舞香にやられてしまった。
さらには、裕璃の居場所を探すどころか、予め裕璃の居場所を把握していたかのように、最短で裕璃の居た第二実験室へと舞香は迷わず転移した。
舞香の口にした言葉を思い返しても、警戒していたのは刀子さんただひとりだけのような気さえしてくる。
なにかがおかしい。
計画の目的はーー裕璃を研究所から連れ出すことじゃない?
ーー豊花……もう手遅れだ。きみは裕璃の救出を願うべきではなかった。嵐山沙鳥、彼女の口にしている計画は、決して赤羽裕璃を研究所から救出することではない。ーー
ユタカ?
ーー豊花が赤羽裕璃を助けたいと強く思う気持ちがある限り、嵐山沙鳥の“計画”に狂いは発生し得なかったのだ。そして、嵐山沙鳥の提案を断った場合、赤羽裕璃は研究所から救われることはなかった。だから、赤羽裕璃の助けを乞う限りに於いては、豊花、きみは八方塞がりだったのだ。ーー
ちょっと待って?
いったいどういうこと?
裕璃の救出が計画の目的じゃなかったの?
じゃあ、沙鳥はなにを指して計画と言っていたわけ?
「本当にお喋りですね、貴女の異霊体は……。ですが、もはや家族となった貴女にはどうにもできません。儀式でも言いました。”背信に赦しを施すことはない“ーー我々を裏切ること、それは即ち、貴女の大切な者全員が犠牲になることを意味します」
一気に不穏な空気が漂い始める。
裕璃を無事に、研究所から救い出せた。
なのに、今の沙鳥の言動で、ホッとしていた感情がごちゃごちゃに掻き乱されてしまう。
「裕璃!」
赤羽さんが、リビングから舞香に駆け寄り、裕璃を譲り受けて両手で抱えた。
「今はまだほとんど気絶状態、復活しても暫く意識が朦朧としていると思うから暴れたりしないけど、意識を十分に取り戻したら、裕璃が暴れる可能性も少なくないわ。案内するから、赤羽さんは娘の容態を見守っていてくれないかしら?」
そう言うと、舞香は一階の廊下の奥に見える部屋へ赤羽さんを連れていく。
赤羽さんは一瞬だけ立ち止まり、僕へと顔を向けた。
「豊花ちゃん……本当にすまない。本当に……悪かった……」
赤羽さんは何度も僕へ謝ると、再び舞香についていった。
ーーまだわからないか、豊花? 沙鳥が宣う計画の目的、目当ては、決して裕璃を救助することなどではない。豊花、きみを……。ーー
ユタカは沙鳥の様子を窺っている気がした。
しかし、沙鳥はもう横から口を出してこない。
暗に、もはや僕にはどうにもできない状況に至ったと判断しているかのように……。
ーーきみを……愛のある我が家に加える。それが、嵐山沙鳥が口にしていた“計画”の真の目的だ。ーー
それをユタカに言われ、思わず愕然としてしまう。
……けど、よくよく考えてみれば、いや、考えてみなくてもーー沙鳥たち愛のある我が家に、裕璃を助ける理由はなにもない。
はじめから、沙鳥は裕璃を助けるのを餌に、僕を勧誘していたじゃないか。
裕璃のことで頭がいっぱいだった僕は、安易に差し出された手を握ってしまった。
裕璃を助けたいと願う気持ちがある限り、計画が破綻することは万が一にもあり得ない。
いつからだ?
いつから、この計画は立案されていた?
「酷い言われようですね? 私はマッチポンプのように裕璃さんを操り人形にしたわけではありませんよ? 放置すれば裕璃さんは廃ホテルで確実に刀子さんにより殺害されていたでしょう」
沙鳥は僕をリビングへと案内する。
そこには、暇そうな表情でスマホを見ている瑠奈がソファーに座り、あとは、顔を喜色に染めた鏡子、その二人がいるだけで、ほかには誰の姿も見当たらなかった。
「……豊花さん……私は……信じていました……やっぱり……やさしい人ですね……」
鏡子はなにか僕に対して期待していたのか、信頼を裏切らなかったとでも言いたげに、僕に対して嬉しそうな声色でそう言ってくる。
「おっ、さっきぶりだね可愛い子ちゃん! それは置いといて、あのさ、沙鳥? この割られた窓ガラスどうすんの? 放置しておくつもり?」
窓ガラスを見ると、何故か外からガムテープが貼られていて、その部分だけガラスが割られているのに気づく。
それに対して、沙鳥は「後で業者を呼びますので、しばらく我慢してください」とだけ瑠奈に返事する。
「我々が逃亡の手引きをしていなければ、あの廃ホテルから抜け出した裕璃さんは、真っ先に殺されていたでしょうね?」
御薬袋と朱音がソファーに腰かける。
「逃亡の手引き……?」
リベリオンズに頼るほか、助かる手段がないと言っていた裕璃が、どうやって現場から逃げたのか。
その埋まらなかった疑問を解消するかのような言動を、沙鳥は自然と口にする。
沙鳥はソファーに座ると、「豊花さんも遠慮せず。貴女はもう家族なんですから」と言い手招きした。
僕は言われるがまま、ソファーの端にちょこんと座った。
「大海さんの舎弟に、ちょうど相模原市に拠点を置く組があったのは助かりました。中道興業の組長さんと、大海さんには感謝してもしきれませんね」
沙鳥はスマホを取り出すと、「後始末として、刀子さんを呼び出します」と呟くように言うと、おそらく刀子さんに対して何らかのメッセージを送った。
ーー助かる筈のなかった赤羽裕璃を助けて、仲間に引き入れたい豊花に対する餌として利用したのか。ーー
つまりーー少なくとも、沙鳥はあの時点で、僕の異能力に価値を見出だし、僕を愛のある我が家に入れる計画を立てていた……?
ーー豊花を揺さぶるために偶然を装い沙鳥や鏡子は豊花に接触したのだな? そして、事情を赤羽に伝えて、赤羽からも豊花に接触させた。そして、豊花の正常な思考を奪い、考える余地を与えないために、タイミングを見計らい赤羽裕璃を研究所に保護させたのも……すべて貴様の思惑だったというわけか。ーー
戸惑いを隠せない僕に代わり、ユタカは沙鳥を問い詰める。
しかし、それに返答することなく、沙鳥は僕の目を見つめる。
「捕らえたおバカ三人組の狼藉は本当に想定外でしたが、おかげで取引材料が棚からぼた餅ーー結果として我々の正当性を示す材料が増えましたので、感謝半分、憎しみ半分といったところですね」
そして、沙鳥は重要な事を口にした。
「最初に断っておきますが、裕璃さんはもう現世で平穏無事には暮らせません。父親の赤羽さんには予め伝えておきましたがーー」
沙鳥はつづけて言う。
「ーー裕璃さんには、異世界で暮らしながら働いてもらうことになります」
は?
異世界?
なにを言っているんだ、このひと……?
「瑠奈ーールーナエアウラさん。夢ーーアリーシャさん。この二人の生まれ故郷……そこで、裕璃さんには、とある仕事をしていただくことになります」
僕はあまりにも突拍子のない発言に、暫く返事をすることすらままならなくなったのであった。




