過去の夢
「クラム! またですか!」
「これはお嬢様。こんな所に来るものではありませんよ」
「貴方の姿が見えたからよ。それよりその血は」
「自分のじゃありませんので」
ああ、これは夢だ。まだお屋敷に勤めていた頃の。
これは一仕事終えた後、屋敷の裏にある井戸で体と服を洗っていた時だ。
冬の最中で、少し寒かったな。
俺はローサム商業自治区という都市を運営する5大商家の一つ、スカーラリア家で働いていた。
とは言っても、表には出ない仕事だったけどな。
まあ、こういった豪商や貴族様なんかには、常に敵が存在するって事だ。
目の前の彼女はここの娘、ジュネルミント・スカーラリア。通称ジュネル。
この時は俺より3つ年上の19歳だったが、俺よりも頭一つ低かった。
美しいグリーンの髪と同じ色の瞳。小顔でキリリとした美人。そして背の低さを感じさせない見事なプロポーションで、中身を知らない相手からの縁談話は数知れず。
俺から見ても、非の打ちどころの無いお嬢様だった。性格以外は。
普段からドレスより鎧を纏い、剣や槍を振るっては街道に出没するモンスターや盗賊狩りなんかを行っていた。
俺が裏だとすれば彼女は表……と言いたいが、それは自警団や傭兵の仕事だ。
町を支配する豪商の娘がそんな事をしていたら、それはもう奇行でしかない。いわゆるおてんば娘とでも言おうか。
本来の表の仕事っていうのは、人を使って金を稼ぐことなんだよな。
そんな訳で、適齢期を過ぎているってのに浮いた話は何も無し。
まあ親は嘆いていたが、真っ直ぐな人だったよ。
この時も、俺の仕事に文句を言いにわざわざ来たって訳だ。
「またお父様の命令? それともお兄様かしら。どちらにせよ、今度は何をして来たの」
「それはお嬢様相手でも秘密ですよ。むしろ話したら、自分の首が飛びます。ここは穏便に済ませてくれるとありがたいんですけどね」
「口を出せないのは分かっているわよ。わたしは……当主でも代行でもないんだから」
「まあそういう事です。自分みたいな人間がいないと、むしろ治安ってのは守れないんですよ」
「そんな事は無いと思うけど、確かにどうかしらね。それより、別の仕事をしたいとは思わないの?」
「考えた事も無いですし、そんな暇も無いですよ。これでも忙しいんです」
「……ふう。ねえ、もしもよ、もしも貴方が今の仕事よりもやりたい事があるのなら、ここから出て行っても良いのよ」
「自分は一応、買われた身ですので。それにここでの暮らしは気に入っているんですよ。何せ飢える事が無い。大体、お嬢様にそんな権限は無いでしょう」
「でもお金なら渡せるわ。そして、貴方が本気で他国に逃げるなら、誰も追う事は出来ない。違うかしら?」
「違いはしませんけどね。ただ自分にも恩ってものがありますので」
「恩なんて、言葉でしか知らないくせに……」
人の耳では聞こえない小さな声。まあ聞こえるけどね。
それに、ちゃんとどんな行動をとるのかくらいは知っていますよ。
そういった常識くらいは知らないと、仕事とかできないのでね。
「それで、そこからどうすれば良いんですかね?」
「……そうね。どこか遠く、何なら別の国でも良いわ。誰も知らないような辺境の田舎の村で静かに暮らすのはどう? そこで畑でも耕して、結婚して、静かに暮らすの。少なくとも今の生活よりずっとましだと思うわ」
「残念ながら、今ひとつピンときませんねえ。それよりお嬢様こそ、そろそろ剣から楽器に持ち替えたらどうですか? 旦那様も心配していますよ」
「余計なお世話だわ!」
そういうと、くるりと踵を返して去って行った。
考えてみれば、あれが最後に会った時だったか。
序章が終わり、次回より新章に入ります。
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