2話
中学校で改めてΩの性質を聞いた日、3ヶ月1度のヒートを必ず管理しようと決めた。
高校の修学旅行の日、Ωの部屋とαの部屋は離れていたが、その日の夜に事件は起きた。同室のΩがαを招きいれてしまったのだ。複数のαが風呂上がりを待って部屋にいた。扉をあければその部屋はαのフェロモンに溢れていた。
その時が初めてヒートだった。
幸い俺はヒート経験者の母親が心配して抑制剤を持たせてくれていたおかげで被害はなかった。それでも後ろにいた同室の奴は抑制剤なんてなくて、導かれるように部屋に入っていく。俺は同室の奴を止めることも出来ず足を竦ませて立っていた。扉を閉めることも出来ず乱れていく目の前の人達を見ていた。
部屋の前に立っている俺を見た教師が異変に気づき、ことは収束したが、あれは今でも若干のトラウマになっていた。
そして今の俺もきっとあの時のように酷い状態なのだと思う。
「目を覚まされましたか」
ぼんやりとした頭は整理がつかす、目の前の人が誰だか分からなかった。ただ意識を失うまでのように寒くはなかった。
「まだはっきりとはしてないようですね。とりあえずこのままもう一度お眠りください。状況はその時説明致しますから」
何かが燃えているよう音とふんわりと暖かいものが体を包む全てに身を任すように意識を手放した。
飛び起きるように目を開けると、そこは知らない部屋だった。目の前の大きな窓から日差しが差し込んでいた。
漫画で見るような広い部屋と思い出せない意識を無くす前の記憶。
扉を叩く音に体が跳ねる。
「あ!目を覚ましたんですね!!」
扉を開けたのはネズミの獣人だった。小走りでワゴンを押してこちらに向かってくる。
「あのここって……」
「それは給仕長が説明します!今はこれで体拭いてください!私は給仕長を呼んできます!」
ネズミの獣人は体が小さく成人でも大きくて150cm程度までしか大きくならない。体格の割に大きなワゴンをベッドの付近に置くと、頭を下げて出ていった。
「あったかい…」
ワゴンの上に置かれていた桶の中には適度に温められたお湯が入っていた。タオルを浸して、体に当てればじんわりと温かさが広がる。
しばらくすると先程よりは控えめなノックが聞こえた。返事をすれば、人間の女性が入ってきた。
「お加減はいかがでしょうか」
「えっと…今のところはなんともありません」
彼女はその返事を聞いて、ワゴンを廊下に出した。
給仕がいるところからすると、ここは大分お金がある人が住んでるところのようだ。思わずベッドの上に正座をする。
「椅子に座ってもよろしいでしょうか」
「え、あ、す、座ってください」
「失礼します」
女性にあまりにも表情がなく、緊張する。
近くから持ってきた椅子に座ると、笑うこともなく、こちらを見つめる。なんとも言えない気持ちのまま思わず下を向く。迷惑をかけているのはこちらだというのに。
「この屋敷の給仕長をしております。アオンと申します。お名前をお伺いしても?」
「ミリシャっていいます」
「ミリシャ様ですね」
「いや、様とかつけられるほどの人じゃないんで…」
苦笑いするが、目の前の女性はこちらの声が聞こえていないかのように話を続けた。
「ミリシャ様がこちらにいる経由についてお話します。まずこの森の1部はこの屋敷の持ち主アンベリュ様の物です。昨晩定期の周辺警備巡回の際に貴方が男性に襲われているところを発見いたしました。近くにいたもう1人の人間の男性が必死に止めたおかげかミリシャ様の上半身は脱がされていましたが、行為は行われていませんでした」
淡々と読み上げるように告げていく。というか上は脱がされていたのか。
「襲っていた方は鎮静剤による処置を行い、街までお送りいたしました。人間の男性に後日謝罪を行うように伝えましたが、酔っ払ってご友人の方と共に森まで追いかけた自分たちも悪いので謝罪はいらないとの事でした。しかし状況を見る限りではミリシャ様のヒートによる影響であの方達へご迷惑をお掛けしているようでしたので、もう一度そのことをお伝えしましたが、謝罪はいらないと言い去ったので、ミリシャ様を保護し今に至ります」
包み隠すことなく、告げられた事実に頭が上がらず、本当に申し訳ないと思う気持ちと、必死に止めてくれたという人間の方には感謝しかなかった。彼がいなければ今頃は…。
「しかし1晩寝て治まったということは恐らく貴方も強制的にヒートを起こされたのですね」
なんと責められるのかと、下を向いていると声色も変わらないままアオンさんはそういった。顔を上げると、不可解そうに首を傾げていた。
「違うのですか?」
「いや!そうです!その昨日はバイトがあって…」
彼女にバイト先でのことを伝える。今頃店長は怒り心頭し、俺を辞めさせると息巻いてることだろう。
「分かりました。アンベリュ様には今回の件をお伝えしておきます」
「信じてくれるんですか?」
「嘘を言ったのですか?」
「言ってないですけど…普通αがΩを襲うなんてことないっていう人が多いんで…」
修学旅行のあの日だってそうだ。俺は薬を飲んでいたが、きっかけは1人のΩだったが、始まりはαだった。それでもそんなこと信じてくれるはずがなかった。
「すみませんが、私はβのためαとΩの事は詳しく知りません。貴方が嘘ではないというのであればそれを信じることしか出来ません」
それだけ言うと立ち上がり、椅子を元に戻した。そして引き出しから小さなベルを取り出すと、サイドテーブルの上にそれを置いた。
「お帰りの際はこのベルを鳴らし、扉をあけて右手の玄関からお帰りください。そこからは警備の者が街までご案内するようになっていますので」
入ってきた時と同じ角度で頭を下げ、出ていこうとするのを呼び止める。
「その、アンベリュ様にもお礼を言いたいんですが…」
「アンベリュ様は2日後まで帰ってきません。お礼をするのであれば2日後に再度お訪ねください」
それだけいうと、もう一度頭を下げ去っていった。
屋敷の主にお礼を言わずに帰るのは申し訳ないが、2日間もここにいられないのも確かだった。
どうするかを考え、サイドテーブル置かれた小さなメモ用紙にお礼の文と再度来ることを書き残してこの屋敷を出た。
玄関を出ると、顔が傷だらけの体格のいい男がいた。その男は俺を見下ろすと着いてこいと言わんばかりに歩き出した。俺の身長も高いが、それより高いとは恐らく獣人なのだろう。
森の入口までくると、お礼の言葉も聞かずに森に帰っていった。屋敷から入口までかなりの距離があり、途中から獣道のような所を通ったので、あの屋敷が孤立している事がわかった。
「アンベリュさんってどんな人なんだろ」
アオンさんの話からして、あの警備の人が助けてくれたのだろうが、獣道を歩くのに必死でお礼を言えなかった。屋敷の持ち主にもお礼を言えてないし、とりあえずものを持って行こう。
それにまずはバイト先のトラブルが待っている。痛くなる頭を抑えて、バイト先に向かった。