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パートナードール  作者: SFX
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思春期

 月歴一〇〇年_十_月。

「ねえっ! 王宮の舞踏会に参加しようと思っているけど、二人はどうするの?」

 マリーが朝会うなり嬉々として話かけてくる。

 昨日、備え付けのパソコンに月政府から招待状が届いたからだ。

 月の裏側の中心点には王宮が存在する。

 月社会自体は、民主制の形をとって、国全体の方針を決めており、王様に政治的発言権はない。

 では、何故、王宮があり王がいるのか?

 月政府は、月と地球が全面戦争になった場合、資源や人口の差からまず勝てないと考えている。

 その時に『ごめんなさい』をする存在として、王宮と王族を用意しているのだ。

 王は、最初に『俺たちは地球から独立するべきだ』と主張した科学者の末裔であり、言い出しっぺとしての責任を継承している。

 当然だが、王はお飾りであると同時に、国民の憧れと浪漫でもあった。

「別に……家にエリカがいればそれでいいし……」

 カナタは、エリカを連れて外に出たいとは思っていない。イタイ奴と周囲から思われていると知っているからだ。

「興味ないけど……」

 そして、ネイトは普通に興味なかった。

「え~っ! そんな事いわずに行こうよっ!

 どうせなら、車でも借りてさ……ちょっとした旅行のつもりでっ!」

 王宮の開催する舞踏会は定期的に行われており、十八歳になると必ず招待状が届く。

 勿論、一度に全ての十八歳を招待するわけにはいかないので、三ヶ月に渡って行われる。

 参加は自由だが、希望者は全体の三割から四割とされ、パートナードルも含めると十万人に近い時もある。

 この時期の国王はかなりのハードスケジュールといえた。

 会場はウィーンなどにあるヨーロッパの舞踏会を模したもので、赤い絨毯のひかれた広い舞台スペースにその周囲を四階に渡って観賞用のテーブル席が取り囲む。

 規模は地球のものよりも大規模に創られており、詰め込めば五〇〇〇人は入るだろう。

 勿論、五〇〇〇人舞踏できるというわけではないが。

「う~ん……」

「いや~……」

 男子二人の反応は渋い。

 ヨーロッパ宮廷の雰囲気に魅せられてしまい、貴族令嬢な気分を味わいたいと思う女性が多いのに対し、お姫様が自身の好みに合わせて設計されているドールよりも綺麗に思える男性はまずいなかった。

 実際、写真とか検索すれば出てくるし、お姫様を見ても少しもときめかない。

「ちょっとぉ! 庶民にとっては一生に一度の社交界なのよ?

 そりゃあ、議員とかその道のトップまで行けば、王宮主催のパーティーに招待されることはあるらしいけど……」

「議員なんて、役所仕事と大して変わらないっていうか、参政の義務の都合上、運がよければ誰でなれるって話だぞ?」

 月には、三大義務がある。

 学習の義務、労働の義務、参政の義務の三つ、育児の義務もあるが、二人育てたい人に代ってもらう事が可能なので、三大に含まれない。

 参政の義務とは、必ず政治に参加しなくてはならないというもので、四〇歳までに一度は政治活動をしなくてはならない。

 党員になったり、政治家に協力するなど、参政の仕方は様々だが、立候補というのも当然ある。

 姓が廃止され親子関係が希薄になった古今、二世議員有利というのもないし、学校は全都市で一律同じ教育をしているため、学歴格差もなく現代地球に比べれば遥かにハードルは低かった。

「まあ、誰がなっても大差ないっていうしね……」

 月では国会議員という役割がそこまで重要ではないし人気もない。一応、一番偉い大統領というポジションもあるのだが、驚く程権力は弱い。

 月は月だけの単一国家であり、地球とは完全に断交されているので、外交がない。

 国家方針といっても、スパコンと量子コンピューターによる完全管理社会がほぼ完成されているので、現状維持が基本であり、やれる事があまりない。

 月の都市や街には町全体のデータを分析するスパコン畑がある。

 スパコン畑とは、農場のような広大な敷地に、約一・五立方メートルのスーパーコンピューターが一メートルの間隔を開けて規則正しく畑の野菜の如く並んでいる。

 コンピューターの小型化には限界があり、後はひたすらその数を増やしていくことで高速化を実現していった。

 規模の大きい畑で二五キロ平方メートルの敷地に一億台ものコンピューターが並んでいる。

 月には災害がほぼないので、実際の畑と違って災害対策も必要ない。

 畑の上には宇宙太陽光パネルがあり、エネルギーを吸収すると同時に日陰を作って冷却。

 月は大気がないため、寒暖差が最大で日向一一〇度と日陰マイナス一七〇度の二八〇度にもなる。

 このスパコン畑が、酸素と二酸化炭素のバランス、食料生産量やエネルギー生産量、資源リサイクルの循環等を正確に計り、必要な労働時間を算出している。議員達はその数値によって、するべき政策を決定していくのだ。

 勿論、実際の数値化された社会データはもっと複雑で多彩、しかしドールが補佐するので未経験者でも特に問題なし。

 なので、ハッタリが得意で人を煽るのが上手いカリスマ議員が、ぶっとんだ法案をぶち上げてもまず通らない。

 だから、当選しても直ぐにやめてしまう議員も多く、根気よく何度も立候補すれば、意外となれたりするのである。

 言ってしまえばお役所仕事である。

 義務化している理由は、民主制において、政治に対し国民の関心が薄くなると、ろくなことにはならないという予測によるもの。しかし、もう議員は選挙ではなくサイコロに決めさせようという案が出始めている。

「……まあ、旅行と思ってさ……」

「旅行ねえ……」

 ネイトは旅行に全く興味がなかった。

 月は何処へ行っても、グレーな地面と黒い空しかなく殺風景という印象しかない。同じような景色が延々と続く旅など退屈でしかないだろう。

 正直、旅行するなら地球へ行きたい。

「でも、首都ダイダロスか~……遠すぎね?」

 ダイダロスとは月の裏側の中心点の近くに存在するクレーターの名前でありその中に月の首都ダイダロスがある。

 居住には特に適さない地ではあるが、地球から見えないし最も遠いと言えるため、ここを首都に遷都した。

 地球は月にとって仮想敵国なのだから。

「別にシャクルトンに行こうってんじゃないんだから」

 シャクルトンとは月の南極に位置するクレーターの名称であり、そこにある都市名。

 ネイト達の暮らす都市は、ヒンシェルウッドと呼ばれ月の北極点に位置し、月では一番古い都市である。

「いや……十分遠いって……」

 カナタは乗り気ではなかった。

 月の円周は約一〇九二一キロ、なので極点から中心地まで進めば、円周の四分の一で約二七〇〇キロの旅となる。

 ちなみに鹿児島最南端から北海道最北を直線にすると約一八八八キロ。

 車で移動して七日から八日かけて、現地で三日から四日過ごし、七日から八日で帰るとして約二十日程度の旅となるだろう。

 そして、半分以上が車に座りっぱなしと思うと――

「とりあえず、返事は今でなくていいから検討してよ」

 二人はから返事で部屋に帰宅した。

「国王陛下主催の舞踏会ですか……確かに、連絡がきてましたね」

 ネイトは帰るなり、今日の話をアリアに伝えた。

「そうなんだ。

 僕は興味ないけど、マリーがしつこいというかさ……

 そんなに、ドレス着て踊りたいものかね……」

「無理強いはしませんが、行った方がいいと思いますよ? 自由参加ですし」

 アリアはその話を聞いて、舞踏会の出席を勧めてくる。

「なんで? ていうか、君から勧められるのは正直意外なんだけど」

「まあ、一生に一度の機会ですからね。

 それに、まだ長旅の経験はされておりませんよね? ご自身の見識が広がる事は良いことですよ?」

「もっともらしい事をいうね……」

「ドールとはそういうものです。あるじへの成長を促すのもドールの役目ですから。

 『人は生涯学び続けるべきだ』それが月の理念ですよ?」

 月社会では義務教育はなく、学習の義務というものが存在する。

 それは、社会人になっても、ひと月に最低一日一時間くらいは学校に通って何かを学ぶという社会システムである。

 勉強に終わりはなく、常に皆で知識を共有し、賢くならなければならないというもの。

 国家として力を入れているのが、月民の〝教育〟と〝しつけ〟であり、この二つが疎かになれば、衆愚しゅうぐ政治と化してしまう。

 教育とは頭を良くすることであり、読み書き計算は勿論、知識を深めたり、哲学を持ったりすること、知能の発達させる事を目的とする。

 しつけとは、欲望に任せて短期的な欲求を満たすのではなく、ことわりをもって長期的な成長を望むようにするということ。我儘の矯正であり、理性を保つこと。

 月において知性とは知能と理性を合わせ持つこととされている。

 今と自分さえよければ、後はどうでもいいという考え方は社会を腐敗させる。

 腐敗したシェルター社会などそれはなんという地獄ですか? という事になりかねない。

 生まれてから約二〇年間ずっと勉強し、大人になってから一切勉強をしないシステムでは、世代によって知識の差や違いが生まれ対立を生む。

 教育や学校のカリキュラムは常にアップデートされているからだ。

 月社会はシェルターで暮らす以上、国民全員が一連托生であり、皆で賢くなることが原則として定められているのだ。俗にいう〝頭の悪い人〟や〝民度の低い人〟を作ってはいけない。

「う~ん……」

 正論といえば正論だが、正直面倒くさい。それが、本音だった。

 欲を言えば、アリアに反対して欲しかった。それを理由に断れるからだ。

「本音を言うと、踊れないし壁の絵になるのが目に見えているというか、凄く傷つきそう……」

 その瞬間、アリアが『えっ!?』という顔をした。

「なんだよ? その顔は……」

「お一人で出席なさるおつもりなんですか? 宮廷舞踏会は基本的にドール同伴ですよ?

 十八歳となり、ドールを支給されている年齢だから、招待状が届くというのもあります。

 まあ、現実的な話をすれば、国王陛下に殺意を抱いている輩がいても、ドール同伴ではまず不可能ですからね」

 ドールは反社会的な人間の抑止力でもある。

 ドール同伴というルールをつけるだけで、警備体制が各段に上がるといえた。ドールは警察官を兼ねるのだから。

「そうだったのか……」

「ふふっ……踊れない事を気に病んでいるご様子ですが、私が手取り足取り教えますよ?」

 くるりと回って、優雅にムーンウォークをしてみせる。

 ドールは当然ダンスのエキスパートであり、地球で生まれた古今東西の舞踏を再現可能。

「余計行きたくないんだけど……」

「悲しい事をおっしゃらないでください。

 友達と行きたいという意向も考慮されますから、カナタ様、マリー様と共に行き、同じ日の舞踏会に出席できますし、良い思い出になりますよ?

 このイベントは、地方から集まった人たちと交流をさせる意味もありますから、ヒンシェルウッド出身の参加者が偏ることもありません。

 だから、会場で知った顔に私が見られるという可能性は低いと思います。断言はできませんけどね」

「……う~ん」

 ネイトが返事を濁していると、壁のパネルに引っ付いたモニターが突如として画像を表示する。

 カナタからビデオチャットの通信が入ったからだ。

「お~いネイト!

 とりあえずさ、俺は宮廷舞踏会に出席することにしたよ」

「なんでっ!?」

 思わず声が強くなる。

「いやだって、エリカが『え~っ! カナタ様はわたくしを連れて行きたくはないんですか~っ!』なんて言ってくるし……

 よくよく、考えりゃあ、何処にいってもエリカと一緒なら楽しいと思うし……

 だから、俺は行くよ。お前はどうする?」

 コイツ簡単にのせられやがって! と思ったが、口にはしない。

「いや……う~ん……」

 返答に困り、アリアの方を見る。

 アリアは視線を受けてニコっとした。

「ネイト様はドレスを着た私と踊りたくはないのですか?」

「それが嫌なんだよっ!」

 声が荒くなる。男の本音を言えば、ドレスを着た美女自体は当然みたい。

 しかし、それを見ず知らずの周囲から見られるのはかなり恥ずかしい。

 自分がチビで冴えないブサイクとなればなおさら。

「何だよ、踊ればいいじゃねえか」

 背後から、カナタの声が聞こえてくる。

 通信を繋ぎっぱなしにしていたことを後悔する。

「いやでも……僕とアリアじゃ外見年齢が釣り合わないし……」

「……年齢だけじゃねえだろ? 身長も顔もなにもかも釣り合ってねえよっ!

 しかし、気にすることか? 俺の読みじゃあ、年齢はともかく外見が釣り合っている奴の方が少数だと思うぞ?

 男女問わず、どいつもこいつも高望みしているだろうからな。

 逆にお前、見たくねーの? 他の奴らがどんなドールを連れているとかさ」

 その時、さらに通信が入り、モニターの画面が上下に二分割される。

「ねえっ! それで決めてくれた? どうするの?

 早くしないと、車借りれないし……」

 月社会では、自家用車を所持している人間は殆どいない。従って車を使いたいときは、国から借りるのが基本となっている。

 国家は無駄な物を生産しない。だから、学校も公立しかないし、カリキュラムも中間・期末テストも全国で統一されている。

 たまにしか乗らない自家用車など、保管スペースと資源の無駄というのが政治方針だ。

 その結果、台数が限られてしまうので、基本的には早い者勝ちとなる。

 宮廷舞踏会のシーズンとなれば、車の需要も増えるため、急がないと誰かに借りられてしまうだろう。

「いや、俺は行くことにしたけど、ネイトの奴がドールとの年齢差を気にしていてさ……」

「そうなんだ。ネイトのドールっていくつくらいに見えるの?」

「二十代前半かな」

「はあっ? あたしのドールなんて五十代に見えるわよ?

 そんな事なら、気にする必要もないし、車借りとくわね、絶対きてよ、んじゃっ!」

 マリーは返事も聞かずに通信を切ってしまった。

「……んで、どうすんの? 行くのか?

 行きたくねーなら、俺からマリーに言ってやるけど?」

「いえ、行きますので、お構いなく。

 カナタ様、ネイト様を心配していただきありがとうございます」

 ネイトではなくアリアが丁重に返事をする。

 普通に考えたら、ドールがあるじを差し置いて返事をすることなどありえない。

 カナタは少し面食らいながらも通信を切った。

「……ちょっと、なんで勝手に返事しちゃうんだよっ!」

「申し訳ございません。

 差し出がましい事をしてしまいました。

 しかし、ネイト様――」

 心の奥を見据えるような強い視線を送る。

「な…なに?」

 気圧されるネイト。

「私の目は、見るだけで体温がわかりますし、耳は心音までも聴き取る事ができます」

 パートナードールの目は、赤外線の放射強度を分析することができ。サーモグラフィとして体温を可視化できる。

 そういった機能で、科学的にあるじの健康状態や心理状態を常に読み取っているのだ。

「そ…それで?」

「ネイト様の思考までは流石にわかりませんが、心理や気持ちは分析できています」

「何が言いたいのっ!?」

「本当は行きたいんですよね?」

 それは図星だった。

「う…うん……」

 『行きたい』というのが本音ではある。

 同時に人前に出る事に対し、漠然とした不安を抱えていた。

 上手く言葉にできないが、公衆の面前で大恥をかくのではないかという恐れ。

「大丈夫です。何があっても私がお守りしますから」

 それはとても優しい声だった。

「……うん」

 ネイトは小さく頷いた。

 *

 月歴一〇〇年十二月。

 マリーの用意した屋外車に乗って首都ダイダロスに向けて移動していた。

 月では車は大きく二つに分かれる。屋内車と屋外車。

 屋外車は、空気のない月面を走れる車であり電気で動き、排気ガスは出さない設計。月面車とも呼ばれる。

 屋内者は都市の内部を走る車で電気駆動、水素で動くものもある。ガソリン車は存在しない。

 月面車に搭乗した三人と三体は、月面に敷かれた道路の上をひたすら走る。

 出発し、既に二時間が経過……

 約三〇〇〇キロの道中で、いきなり行けるわけでもないので、途中でいくつも小さい街を経由する。

 月には六つの大都市があり、都市の間には小さな町がいくつもあるが、中継点の意味合いが強い。

 月にも緯度経度があり、緯度〇度、経度〇度は月の表側の中心の位置を示し、ここにも大都市が存在し、地球を観測するための最大・最先端の望遠鏡が置かれている。

 ネイト達が暮らす南極が南緯九〇度,経度〇度となる。

「しかし、列車の方がよかったんじゃないか? 車って不便な気が……」

 都市は、道路だけでなく鉄道でも結ばれている。

 鉄道の方が、食堂もベッドもあるため快適な旅ができる。

 また、寝ている時も移動するので、五日で着くし、舞踏会に向かう大半が列車を選択していた。

「そう? 運転はセバスチャンに任せればいいし、車の方が気楽かなって……

 列車だと、周囲に気を使うと思ったのよね」

 ネイト、カナタ、マリーの三人とも車の免許は持っていない。

 自動運転機能は技術的には可能だが、実装されている車は少ない。基本的に車はドールに運転させるものだから。

 とはいえ、分業派というか自分にできる事は自分でやるタイプの人間は免許を取ったりするので免許制度が廃止になることはおそらくない。

「僕も、どっちかっていうと車がいいかな……

 列車だとね……アリアを見られたくないし。目的地が同じ場合、数日は顔を合わせる事になるしね……」

「お前はまだそんな事、言ってんのか?

 会場についたら、大勢にお披露目するんだぞ?

 一個人のドールをどれだけ他人が気にするんだ? ってのが疑問だが……」

「う~……理屈じゃないんだよ理屈じゃ……

 ていうか、カナタはさ、恥ずかしくないの?」

 カナタのドール、エリカは相変わらずコスプレみたいなメイド服を着用している。流石に動物耳はついていないが。

 一方、アリアとセバスチャンは国から支給される男女兼用の地味な標準服を着ている。

 このメイド服やアリアが最初に着てきた白い服などは、デフォルト服と呼ばれ、あるじの欲求を最も刺激するように一流デザイナー達によって仕立てられたいわば特注品。

 デフォルト服を着せたままマントで隠さなければ、センスや性癖がバレる恐れがあるから、他人にみせるものではない。

 一方、標準服はそれこそ誰も必ず二着は持っている服で、周囲の目を気にしてしまう人や面倒くさい人はこれを着るし、着せる。

「最初は少し恥ずかしかったが、別にいいやって思うようになってさ。

 クラスメイトのいる学校に行くんだったら、俺も標準服を着せるとは思うが……

 基本、同じ人間に二度以上会うことなんてまずないんだから、別に気にしなくていいんじゃねーの」

「う~ん……」

「あたしは、どういう服を着せるのか?

 みたいな事を考えるのがそもそも思考の無駄遣いだと思っているから、標準服でいいのよ標準服で……

 セバスチャンを着せ替えして楽しむ趣味もないしね」

「ん? でも舞踏会じゃドレスを着るんだよね?」

「当たり前じゃない」

「矛盾してない?」

「舞踏会は別腹、こういうのは一種の憧れなんだから、一度は体験しておきたいものなのっ!

 どんなドレスを着るかで悩むのは凄く楽しいけど、普段どんな服を着るかで悩むなんてのは時間のムダっ!」

「はあ……そういうもんですか……」

 二人は、女の考える事はよくわからんと思った。

 三人と三体を載せた車は殺風景な月面をひたすら進む――

 黒い空には、星の光と人工衛星の光が点在していた。

 月では、高度一〇〇キロの高さに人工衛星が周回している。

 勿論、宇宙観測用の衛星もあるが、宇宙太陽光発電の衛星もあり、太陽光でエネルギーを発電し、ワイヤレスで送電できる代物。

 つまり、送電鉄塔や電柱はなく、人工衛星によるワイヤレス送電網が敷かれている。

 月面車がエネルギー切れでストップしても、衛星にアクセスしワイヤレス充電させる事で再び移動させる事が可能なのだ。

 大気の無い月面でガス欠を起こして、死ぬリスクを減らすため。

 また、月面車には車内の二酸化炭素を常に吸収し、それを電気分解し酸素に戻す装置、循環炉が組み込まれている。

 そのシステムは、長時間の移動を可能にしたが、とてつもなく退屈な時間も産んだ。

 マリーは助手席に座り、ひたすらタブレット端末でバーチャルアースに勤しんでいる。セバスチャンとは全く会話をしない。

 一方、カナタとエリカは楽しそうにず~っと会話を続けていた。

 内容はカナタの自慢話と、最近やったゲームに対するツッコミなどである。

 自慢話というのは、高難度のゲームのハイスコアを更新しただとか、クソ強いボスを三ターンで倒したとか、そういう話であり、ツッコミは小説などのフィクションに対し、これは科学的におかしいとか、これは時代考証が間違っているなど。

 エリカは拍手をしながら、ひたすらカナタを『すご~いっ!』と声優の様な声で大袈裟に褒めている。

 ネイトからすれば、わざとらしいと思うのだが、カナタは上機嫌。

 また、カナタが特定の作品に対するツッコミや、有名な作者のイタいエピソードを紹介すると、エリカはカナタの笑って欲しいところで笑い出す。

 カナタはすっかり気を良くして、延々と話し続けていた。

 こうして客観的にみると、マニュアル通りに接客・接待をしているというか、やはりドールには心がないんだろうなと思ってしまった。

 感心するのは、カナタが同じ話をすると、それはさっき聞きましたよと突っ込みを入れたり、流石につまらなすぎる話に対しては笑わないところである。

 しかし、心底楽しんでいる友人のカナタに大して、冷めた目で見てしまう自分は性格が悪いのかと自己嫌悪に落ちてしまう。

 気分を変えるため視線を外すと。隣に座っているアリアと目が合った。

 アリアは目が合うなり、微笑を作る。

「退屈ですか?」

「え…いや……」

「ふふ……私達もお喋りしましょうか?」

「……何か、アリアってなんかカウンセラーみたいだよね」

「そうですね……

 確かに、カウンセラーとしてのノウハウも組み込まれてはいますが――」

「いやいいよ……それ以上は何も言わなくて……」

 ネイトは自己嫌悪、つまり心の問題を抱えている。

 心の問題を抱えていれば、あるじの健全化のために行動するドールがカウンセラー的になってしまうのは理解できた。

 しかし、その原因は心の無い存在であるドールと暮らす事にある。

 その心無いドールにカウンセリングされてしまうのも皮肉なオチというか、矛盾を抱え、より心を追い込んでいるといえた。

 頭のモヤモヤがより大きくなってしまい俯いてしまう。

「クスッ……」

 アリアが笑い、ネイトが思わず顔を上げる。

 明らかに悩んでいるネイトを見ての笑いだったからだ。

 何だよ? っと言う前にアリアが口を開く――

「エリカさん……

 申し訳ございませんが、しばらくの間、私の相方をしていただけないでしょうか?」

「ん~カナタ様? いいですか?」

「あ…ああ……」

 カナタは突然の出来ごとに少し面食らっている。

「それで、何をされるんですか?」 

 ドールがドールに話しかけるという行為を、この場にいる三人が意外に思った。

 カナタは楽しい会話を中断されても苛立つことなく、マリーはゲームをやめて、後部座席を振り返った。

「いえ、大したものではないですよ。

 ネイト様が退屈されているので、どうせなら漫才でも披露しようかと――」

「あ~っ! 漫才ですか~っ! いいですね~っ!

 でも、ネタは何にするんですか?」

「『先輩後輩』にでもしようかと……」

 『先輩後輩』とは、月にいる有名漫才師の二人組である。

 人間とドールで漫才をしており、ネタは人間が考え、それをドールに分析・研磨させてから発表していた。

 ドールに分析はできても創造には向かないから、ベストな分業といえる。

「なるほど『先輩後輩』ですか……どちらが『先輩』を?」

「私が『先輩』の方をやります」

「へぇ~っ! 私の方が早く制作されたのに『後輩』をやるんですね?」

「ええ……私の方が見た目は年上なので適役かと……」

「あははっ! アリアさん、おばさんですもんね~っ!」

 その言葉に苛立ちを覚えるが、アリアはそんな苛立ちを見透かすような視線を送ってくる。

 その視線は『私のために怒っているのですか?』っと聞かれているようだった。

「ふふっ……では――」

 ドールの漫才が始まった――

「「どうも、ありがとうございました~」」

 車内は爆笑と拍手で包まれ、漫才が終わった。

「いかがでした?

 少しは気が紛れましたか? ふふふっ……」

「う…うん……ありがとう」

「いきなり、同期してビックリしたな~……

 こんな事もできるのか……」

 カナタが唐突に始まった漫才に感心する。

「そりゃそうですよ~っ! 頭数が揃えばっ! 演劇だってできますしね~っ!

 グループを創って、ドールに色々な演劇をさせて鑑賞する人たちもいるくらいですから~っ!」

 月政府の方針としては他人に無関心という社会にはしたくない、社会の本質は助け合いや共存だからだ。

 しかし、ドールの存在はある意味、人を孤独にしてしまう。

 ドールさえいればいいやと思わせてしまう。それを少しでも軽減するための同期機能。

 人ひとりに必ず一体のドールを支給しているため、友達がいればいるほど、集団となったドールのパフォーマンスを楽しむことができるし、大きなプロジェクトをこなせる。

「そんな楽しみ方がドールにあったとは……」

 ネイトは呆気にとられていた。

「それではせっかく、頭数が揃っていることですし、連想ゲームでもしませんか?」

 唐突にアリアが提案してきた。

 ここでいう『連想ゲーム』とは、西暦一九六九年四月、日本で放送されたヒントから連想して答えを出すものだけでなく『○○といえば××』のような、連想をコンセプトにしたゲーム全般を指す。

「え? なんで?」

「別にいいじゃねーか、お前は不満なのか?」

「ごめんそういうわけじゃないけど……連想ゲームってあのテレビ番組でよくやっている奴だよね?

 正直、どこが面白いのかよくわからないし、なんであんな番組が続くのかずっと疑問なんだよね」

 そして、月で一般的なのは、後者の『○○といえば××』『××といえば△△』タイプの連想ゲームだ。

 もっとも、手拍子とかはなく、しりとり的に『えんぴつ』『消しゴム』『文房具』と連想するワードを言うだけのシンプルなもので、その場にいる半数以上の同意が得られない答えをした者が負ける。

 ちなみに月ではしりとりや山手線ゲームが流行らない理由はドールが有利すぎるから。

「それには勿論理由があります。

 実はですね、ドールって基本的には連想ゲームができないんですよ」

「え?」

「おめー、本当にアリアさんとコミュニケーションとってねーんだな。常識だろそれ」

 しりとりに強く、連想ゲームに弱い、それがドールの特徴で一般常識。

「ふふっ……せっかくですから、説明しますね。

『りんご』と聞いて『赤い』を連想するのはドールにとっては非常に難しいことなのです。

 何故なら赤くないリンゴもありますし、あくまで赤いのはリンゴの実の部分だけですし、リンゴの花は桜と同じ、薄い桃色でよく似ています。

 しかし、リンゴといえばマラス《Malus》・ドメスティカ《domestica》みたいな答えを言えば、周囲は違和感を感じますよね?」

「……何それ?」

「リンゴの学名よ? アンタ知らないの?」

 横からマリーが答えるが、カナタも初めて聞いたという顔をしていた。

「つまり、私たちは連想ゲームにおいて、人が納得する答えを言うのは非常に苦手なのです。

 リンゴの特徴やそれにかかわる事をただ言えばいいのとは違いますから」

「なるほど……」

「しかし、私達は*連想*ができなくても、*人の真似*ならできます。

 月で国家放送している連想ゲームは人の観客が多数いらっしゃいますよね。

 あの観客の反応をドールは視る事で、連想ゲームができるようになり、客観性を身に着けていくのです」

 実は、アリアに限らずドール達は、あるじが学校に行っている間で与えられている命令が無い場合、連想ゲーム番組を視聴していたりする。時間が合えばの話だが。

「あの番組にそんな意味があったのか……」

「しかし……テレビ番組だけでは、人々の客観性は学習できても、ネイト様の主観は学習できません」

 ふと気づけば、アリアの顔がかなり近い。

 それを見て、ニヤニヤするマリーとカナタ。ネイトは瞬時に顔が赤くなった。

「私はネイト様の事は勿論、ご友人のカナタ様やマリー様の事ももっと知りたいのです」

 ちなみに、連想ゲームをした結果、例えば、カナタが『ナイフ』と聞いて『刺す』だの『殺す』だの人格を疑われる物騒な答えばかり連想するような人間であれば、距離が離れるように働きかけたりする。

 あるじやその友人が何をどう連想するかで、ドールはよりあるじとその友人を理解できる。

 そして、ドールの扱いが上手いあるじは、日頃からドールと連想ゲームをして自身の主観を学習させているのだ。

 この学習をさせればさせるほど、俗にいう〝阿吽の呼吸〟が可能となる。

 この後、三人と三体は連想ゲームを延々と行っていた。

 *

 中継地点のリッコの街につき。予約を入れていた宿泊所に入る。

 カナタはダブルで取り、ネイトとマリーはツインにしていた。

「マリーはともかく、お前ツインかよ……」

「いやその……」

「……まあ、俺がどうこういう問題じゃないか」

 カナタは複雑そうな表情を見せた後、一転して笑顔に変わり、ウキウキした感じでエリカの肩を押しながら部屋に入っていった。今日の夜は激しいのだろうか……

 ネイトは部屋に入るなり、ベッドに仰向けに倒れ、天井を仰ぐ。

「……ごめん」

 自分がモラハラをしているような気分にさいなまれる。

「ふふっ……お気になさらずに。

 ドールと距離を取って付き合う、というのもまた人の生き方です。

 私は道具、反社会的なことでなければ、持ち主の好きなように使っていただければそれでよいのです」

「そういう事をアリアがいうから、なんか余計に――」

 アリアは唐突に仰向けに倒れているネイトの頭の左右に手をつき、顔と顔を合わせた。

 つまり、四つん這いになってネイトを見下ろしている姿勢である。

「な…なに?」

「ネイト様……考えすぎはよくありません。

 それよりも長時間座席に座っていたため、体が凝っていますよ?

 ほぐして差し上げます」

 アリアは慣れた手つきでネイトをうつ伏せにし、親指でツボをを押した。

「いててててて……ちょっとアリアっ!」

 多少の痛みはあるものの気持ちがいい。

 マッサージというよりは整体に近く、関節を回しながら、硬直した筋肉を肘などを使ってグリグリとほぐしていく。

 ゴキッ……グキッ……と関節の鳴る音が聞こえてくる。

 体を密着させてやる所作もあるため、頬が赤くなってしまう。

 別に、欲望のままセクハラしても問題はないが――

「……こ…これは誘惑しているの?」

「はい、そう受け取っていただいても一向に構いません。

 勿論、血流を良くするのが第一ですが……ふふふ」

 誘惑を否定することなく、整体を続けていく。もっともドールは誘惑はしても押し倒してくることはないが。

 やはり、アンドロイドのため手際が良く、されるがままの六〇分程の整体が終わった。

 肩が軽くなり、身体に引っ張られたのか心も少し軽くなった気がする。

「心と身体は繋がっています。

 心に負荷がかかっているなら、筋肉の緊張を解くことで心も楽にできますし。

 逆に体が疲れているなら、まずは心を休ませる事が大事ですよ」

 アリアは部屋に置いてあるハーブティーを淹れた。

「あ…ありがとう」

 ハーブティーを飲み終えると、各部屋に用意してある浴室に入る。

 アリアから背中を流す事を提案されたが断った。

「ふうっ……何してんだろ……」

 浴槽に浸かりながら、人間とドールについて考える。

 正直に言ってしまえば、アリアの事が好きではある。

 世話をかいがいしく焼いてくれるし、苦言を言われることはあっても、不平不満を一切言わない。

 やはり一人暮らしをしていた時に比べ体調はいい、これは栄養の偏りが減っただけではなく、美味しいものを食べる事によるストレス軽減もあると思われる。

 自室を掃除・整理をしてくれるから、汚い部屋を見てどよ~んとすることもない。

 熱が出れば直ぐに察知して、適切なアドバイスをくれるし、風邪をひいても看病して貰えるし、学校にも連絡してくれる。

 ドールからの連絡であれば、学校から仮病を疑われることもない。

 勉強でわからない事に関しても、聞けば教えてくれるし。完璧なまでの辞書にして計算機。

 そんな存在が至高の異性の姿をしていて、微笑みかけてくれるのだから、見ているだけで癒されてしまう。

 そして、ドールという存在を与えられる事がどれ程恵まれているのかも理解しているつもりだ。

 旧時代は市場が支配していた。需要が価値を生んでいた。皆が欲しがる物が高くなり、いらないものは無価値となった。それは格差を生んだ。そんな社会はおかしいとして市場を否定するような社会を創った者達もいた。

 総じてそれらは独裁国家と化し、もっとも酷い社会を創った。

 そしてドールの存在は新時代の到来といってよい社会を構築した。

 ドールは人間の創った物であれば、その作り方を知っているし、解明されている原理・法則であればそれを教える事もできる。

 それを前提にして、月社会では絶対的に需要の在るものと相対的な需要を分けて考える。

 *絶対需要*とは『衣』『食』『住』に始まり、生活に必要な最低限の家電や住宅設備などを指し、社会を維持するのに人が生活を営むのに絶対に必要であるもの。何を*絶対*とするかは議員つまり民主政治で決めている。

 *絶対需要*に指定された物は全部政府が月民の数だけ用意する。しかし、これだと画一的な物しか生産されず発展を生まないという欠点があり、ソ連の計画経済が失敗した原因の一つでもある。

 人によって、求めるTVのサイズは違うし、レンジに求める機能だって差がでるだろう。しかし、政府が用意するとなると一律同じになる。何故なら国民を差別するわけにはいかないのだから。

 しかし、ドールがその問題を解決した。ドールは人間が創った物でオーパーツでなければ、原理や作り方を知っている。つまり、多機能なレンジや大きな洗濯機が欲しい人は、ドールに作らせることができるのだ。勿論、大きかったり細かかったりするものほど、時間はかかるが不可能ではない。服は支給されるデフォルト服があるが、お洒落をしたい人はドールに理想の服を仕立てさせればいい。

 保管場所や時間を惜しまなければ、スポーツカーだって作らせる事ができるし、設備を借りる事ができて材料を確保できれば、精密機械や半導体だって作れる。

 市場経済ではみんなが欲しがる物ばかりが作られるし、狙いを外した時はゴミを大量に生むという欠点があった。しかし、ドールはその個人が一番欲しい物を作る事ができる。

 さらにドールは人の姿をしている事が過去の経済体系と大きな差を生んでいる。それはつまり、ドールは作れるだけでなく、作り方を人に教える事ができる。ドールに電子レンジなどの家電を作らせているうちに、自分で作りたくなる人間もいる。

 美男美女と談笑しながら、作る過程を楽しむ事に喜びを覚える人間もいる。

 勿論、ドールだけでなく、最先端の3Dプリンター等の設備が共用となっているのも大きい。

 ドールは、レンジを作ってくれとあるじから頼まれれば、今まで生産された全てのレンジを保管している仮想空間から、設計図をダウンロードし、それに必要な金属の部品や合成樹脂の部品を3Dプリンターから作り組み立てる。

 鍋や洗面器などの単純なものであれば、人間が共用の3Dプリンターを置く生産所に、設計図をメールで送信するだけで生産できる。勿論、順番待ち、材料待ちはあるが。

 旧時代では売れそうな物、儲かりそうな物を最優先に考え競い合う社会であり、それは一方向に進んでいく。ある程度の期間で壊れてくれないと次が売れないという欠陥のある社会だった。

 月の社会は、自分が本当に欲しい物だけを求める社会に変わった。過去に作られた電子レンジに無い機能を求めた人間が、それを実現した時、新機能が生まれる。

 その結果、一ワット単位で出力を決められるレンジとか、それいるの? と言いたくなるような新機能が量産されたりもした。

 しかし、それが万人に求められる事が無くても、世に発表されれば仮想空間に保管される。ドールはその仮想空間にアクセスし、その新機能を取り入れた電子レンジを作れるようになる。それは多方向への発展を生む。

 勿論、それを実現するために著作権や特許など、失った物も多いが。

 ちなみにいらなくなった物は月の中古市場ともいうべき、そのカテゴリのリアル保管所に持っていき、そのデータを登録する。保管所に置かれた物は別の人間が自由に持って行って良い。

 保管所の物が故障していても関係はない、何故ならドールはそれを直せるし、改造できるから。

 ドールに作らせる時間が惜しいし、支給品では物足りないと考える人は登録されたデータから自分の需要に近い物が無いかを探して手に入れる。いらなくなったら再び保管所へもっていけば良い。

 実際、図書館の本感覚で、必要な時だけ保管所から借りるという感覚で利用する者も多い。保管期限が過ぎた物はリサイクルに回され、新たな資源として生まれ変わる。

 そう考えれば、旧時代は量産が原因で環境問題に苦しめられていたといえるだろう。

 一方、小説、漫画、映画、ゲームなどの娯楽や芸能など、社会に必要じゃないけど、人々が求めるものは相対需要とされている。

 ネイトは地球で生まれた小説や映画が好きだ。

 だから、小さい頃から、その手の類はよく読んだし鑑賞していた。

 月では、地球で生まれた映画、漫画、小説などはデジタル化して保管され、パブリックドメインとなっている。

 政府のサーバーで管理され、自由にダウンロードできた。

 その映画や小説からの情報ではあるが、地球で生まれた人類がどのような生活をしていたか? どのような社会問題を抱えてきたか? は大体理解できる。

 月には、大気がないため、閉ざされた空間で暮らさねばならず、地球に比べるととてつもなく自由を制限されているといえるだろう。

 しかし、パートナードールを全国民に支給するということは、地球に比べて、とてつもない贅沢を感受しているともいえるのだ。

 パートナードール制度が導入されてから、解決された社会問題がいくつもある。

【未婚化】解決と呼べるかはわからないが、誰でも平等に理想のパートナーが提供されている。

【育児放棄】誰もがドールと生活する以上、ドールが子供を見捨てることはなく、悲劇が起こりにくい。

【家庭内暴力】ドールが人に暴力を振るう事はない。

 ドールを殴ろうとする輩がいないわけではないが、ドールの方が戦闘能力が高く、柔道、合気道、レスリングといった技能もインストールされている。

 ドールの目はハイスピードカメラでもあり、撃たれた弾丸を見る事もできる。従って、人のパンチなど、用意に見切り、取り押さえ、お縄にしてしまう。

【衛生】ゴミをポイ捨てする輩がいれば、あるじ、他人を問わずドールは注意をする。ドールは格闘技のエキスパートで逆らう奴はまずいない。従って、素直にしかるべきところに捨てざるを得ない。

 また、飼い犬などの糞に関しても同様。

 ゴミと糞尿だらけの汚い街に住むと人の心は荒んでいく。しかし、ドールによって美化が保たれている。

【治安】人を脅したり、何かを奪おうとする行為もまず起きない。何故ならドールがボディガードを兼ねているし、ドールは犯罪に協力させることができないので、人から物を奪おうと思ったら、自分でやるしかない。

 他人のドールであっても悲鳴を聞けば駆けつけてくれる。

 つまり、賄賂を受け取らない警察官が街のそこら中を歩いているような状況で治安は良い。

【犯罪】ドールの目は高性能の防犯カメラといえ、見たものは記録され、裁判の証拠となる。ドールの鼻は嗅覚に優れ犬の如く匂いで追跡が可能。薬物等を扱えば即座に感知されてしまう。

 月で犯罪はほぼ起こらない。

【能力格差】ドールはあらゆる分野のプロフェッショナルであり、月民に支給されているため、どんなに無能に生まれても、職場に連れて行けばなんとかしてくれる。

 無能な部下にパワハラをしようとしても、上司がドールを補佐に使っていれば、ドールに窘められてしまうし、代わりに部下に伝えてくれるので、パワハラが起きにくい。

 ドールは感情がないため、あるじの無能な部下に対し怒りを感じる事も、あるじの怒りに共感することもない。よって、冷静に問題点を指摘し、改善を促す。

 また、上司側がドールを連れていなくても、部下側がドールを連れていればドールがハラスメントから守るために動く。

 上司が、無能な部下の愚痴をドールに延々と聞かせれば、上司のドールがまず、部下のドールに部下の問題点を伝え、部下のドールが部下に問題点の改善のアドバイスし、合理的な解決を計る。

 よって職場においてのハラスメントも激減する。

 ちなみに、アリアに対してネイト以外の人間がセクハラした場合、アリアは折らない程度に関節技を決める事が可能。

【介護】ドールがあるじを介護するので、介護問題は少ない。

【医療】ドールがあるじの健康を管理するため、不摂生が原因の成人病などにより、無駄に医療が圧迫されることはない。

 また、ドールが常にあるじのデータをとっているので、その観察データが治療に役立ち、早期治療に繋がっている。

 ドールは人間の体温を可視化できるので、炎症を起こしている部分は即座にわかるし、精密な動きを要求される外科手術もできるし、薬も処方できる。

 よって、月民は健全に働けるし、ドールが最低限の医療を提供できるので医療保険制度は不要。

【孤独】ドールが与えられるため、孤独を感じる人は減少傾向にある。例外として、愛憎型の人間は孤独死するケースがある。

【テロリズム】大気の無い星で、人と人が争えばシェルターが破壊され大勢が犠牲になる、一人につき一体与えられているため。危険思想の持ち主の監視の役割もある。

【災害対策】月で怒る地震である月震は地球よりも遥かに小さく、月では当然台風も竜巻も大雨もないが、人災による火災などは起こる。

 感情の無いドールはパニックになることはなく、あるじに冷静さを促し、安全なところに避難させることが可能。

 また、消防隊員に協力し消火活動に尽力するし、人工呼吸、心肺蘇生、なお、基本的に人には見せないが、手のひらから放電することも可能で、AEDも兼ねた救助活動もできる。

 非常時において、消防士・救助隊・救急救命士・救急医をこなす。

【感染対策】疫病が発生した場合、月民を部屋から出さずドールだけが動き回り、人か人への感染を抑制できる。当然だが、性病が蔓延することもない。

 適当に想像するだけでもこれぐらいは容易に浮かんだ。

 改めて、パートナードール制度が月社会にとってなくてはならない存在だと感じる。

 しかし、その実態は『心の無い人形』それだけがどうしても心に引っかかった。

 風呂から上がり、再びベッドに仰向けに倒れる。

 アリアは、交代するかのように浴室へと向かった。

「あれ?」

 思わずつぶやいてしまう。

 今まで、一緒に生活していた時は、風呂に入ることはなかった。

 しばらくすると白いバスローブに包まれたアリアが姿を見せた。

「ドールって風呂は入るんだ?」

「ええ……人と違って垢は出ませんが、それでも汚れは付着しますからね」

「でも、今まで――」

「ああ、入ってましたよ。

 ただ、ネイト様がいる前では入らなかっただけですね。旅行中は入れる時間が限られますから」

「なるほど……」

 改めて、風呂から上がったアリアを眺める。

 しっとりと濡れたつややかな髪と肩から上がる湯気が色気を感じさせ、性欲が沸き起こってくるのを感じた。

「ふふっ……いつでもきていいのですよ?」

 性欲を読み取ったのか、あでのある声で語りかけてくる。

 ネイトは理性を取り戻すために、首をぶんぶんと横に振った。

「残念です」

「……それは誘惑しているの?」

「ええ勿論」

「……なんの意味が?」

「それはもう、ネイト様と絆を深めるために決まっているじゃないですか」

 ドールは実際問題、人口維持の観点から、あるじを誘惑するように設計されている。ただし、あくまでできるのは誘惑であり、強姦はない。

「でも、そこに愛はないんだよね?」

「ええ、残念ながら……しかし、性欲は発散できますよ? 我慢しすぎはよくないのでは?」

「でも君は、僕の事を好きでも嫌いでもないんでしょ?」

「そうなりますね」

 あっさり肯定してくることに苛立ちを覚える。

「嘘でもいいから、愛しているとか言えないのっ!」

 いっその事、騙してくれよっ! とさえ思う。

「申し訳ございません。あるじに嘘がつけないわけではないのですが、それはできません」

「どうしてっ!」

「そう創られているからですね」

 身も蓋もない答えと悲しい表情、しかしそれは演技に過ぎない。

 ネイトは黙り込んでしまった。

「ドールは人を愛せません。愛していると口にする事もできません。

 『愛』とは人間だけがもつものであり、それを偽ることは許されないのです」

 詭弁に過ぎないが、人の心を立てた言い方に少し気持ちが落ち着いた。

「何故、そう作られているの?」

「『愛』を信奉する人があまりに多いからです。心を持たないドールが口にしていい言葉ではないからですね」

 小説でも歌詞でも、愛をテーマにしているものは多い。設計者の中にもロマンチストがいるのだろう。

「……もういいよ。よそうこの話は」

「かしこまりました」

「この際だから、聞いておくけど……ドールの頭脳と人間の頭脳は根本が違うよね?

 人間にできてドールにできない事って何があるの?」

 ささくれだった気を紛らわせるため、話題を変える。

「そうですね……

 先程も言ったように『愛する』事はできませんね。『想う』事や『考える』事も『悩む』事もできません。

 私にできることは『記録』『分析』『検証』『予測』になります」

「具体的には?」

「小説の『感想』を書くことはできませんが、小説を分析しその分析結果を書くことはできます。

 ネイト様にこの小説が面白いのか? と聞かれれば、その小説の文章や構成などを分析し、クオリティの高さをお伝えすることはできます。

 そして、レビューや読者の反応などのデータに基づいて、客観的に面白いかどうかもわかります。

 ネイト様の好みを分析し、推奨するかどうかも判断できますが、しかし、私個人の*感想*というものは存在しません。

 また『気づき』や『閃く』こともありません。

 例えば、人は日常の何気ないところから、ある日突然、疑問を感じたり、謎を解くヒントを得たりします。

 『リンゴは何故落ちるのか?』は有名ですよね。

 しかし、ドールでそれはありえません。リンゴが落ちるところを一億回みてもそんな事は露ほども思わないのです。

 だから、月政府はひたすら月民に自ら考える事を、人の在り方として推奨しているのです」

「……なるほど『考える』事ができないって事は、小説は書けないの?」

「いえ、小説自体は書けます。

 しかし、人の様に考えたり想像して書くわけではないのです。

 小説にも構成や定石など、多少なりとも法則がありますから、その法則に基づいて書く、言ってしまえばテンプレートですね。

 ですので、何処かで見たような小説は書けますが、誰も見たことがないような小説は書けません。

 まあ、独創的な作品が面白いというわけではございませんから、ドールの書く小説がつまらないという事にはなりませんが」

 実際、月にいる作家の殆どが自分だけで書くということをしない。

 まずドールに書かせて、それに修正を加えたりして、オリジナリティを出すという書き方が主流。

 また、まず自分が書いて、それをドールに分析させるという形をとる作家もいる。

 そして、ドールにひたすら細かく注文出しながら書かせ、書きあがったものをひたすらリテイクを出し、一切自分が書かないでオリジナリティを出す方法もあるにはある。

「ふ~ん……じゃあ、アリアも小説が書けるんだ」

「ふふっ……」

「なんだよ? その含み笑いは……」

 勿論、この笑いは心からの笑いではなく、ネイトに興味を持たせるための演出。

「私は確かにテンプレートに沿った、客観的な小説が書けます。

 しかし、そのような作品を読みたいとは誰も思いませんし、ネイト様もきっとつまらないというでしょう」

「だろうね……試しにやらせてみる人はいるだろうけど……」

「しかし、ドールというものはあるじの好みを常に分析しそのログを蓄積しております」

 悪戯っ子の様な顔になる。こういう時はからかう時だ。

「つまり、客観的にはつまらなくても、ネイト様だけを楽しませる小説は書けますよ?

 執筆にはキーボードを使いますので、それなりに時間がかかりますが……」

 ドールは基本的に、PCやダブレット端末の様な機器と自分を直接ケーブルを繋いで情報を送受信することはできない。

 これは、ドールをロボットの様に思わせたくないという*設計者の意向*である。

 開発者達はメンテナンス時においてのみ、こめかみを切開し端子をむき出しにしてケーブルを繋げる事ができるが――

「いやいいよ……」

「そうですか? 

 ドールに自分を最高に満足させるポルノを書かせるのは、別に恥ずかしい事ではないですよ。

 むしろ、誰もがやる事です」

 色香を匂わす声で囁いてくる。

「いや、だからいいって!」

 顔を赤らめながら叫ぶ。

 それを見ながらクスクスと笑っている。

「ふふっ……気が変わったらいつでも言ってくださいね」

 必死に自分を言い聞かせ、煩悩を捨て、平常心を保つ。仏教徒にでもなったような気分だ。

「……ドールってさ、わざわざキーボードで執筆するの?」

「ええ、視線LANを使って電波の送受信はできますけどね。

 ただし、それでやりとりできるデータやソフトは制限されております。

 なので、ネットやPCに接続して、私の頭脳から直接テキストデータを送るなどはできません」

「なんで?」

「人らしさですね……

 確かに、私の目は視線LANと呼ばれるように、眼球が無線LAN機の役目を果たしています」

 アリアは、人差し指で自分の目をさし示す。

「月では、至るところに無線ルーターが仕掛けられており、ドールはそれを見るだけでインターネットに接続できるのです。

 勿論、ネイト様に支給されるPCやタブレット端末にも、無線LANはありますから、ドールがワイヤレスでそれに接続し、直接操作することは技術的には可能です。

 しかし、そのロボットやサイボーグの様な真似をさせたくないというのが*設計者の意向*や拘りであり、そういう事はできない仕様になっているのですね」

 月では、コンピューターに人間の脳を埋め込むことや、人間の脳にチップを埋め込むことは法で禁止され、その研究も行われていない。

「へぇ~……じゃあ、どういう時に目を使って送受信するの?」

「例えば、人災が起こった時でしょうか? 直ぐに情報が入らないと、あるじを危険からお守りできません。

 また、実はドールには様々な技能ソフトがインストールされております。

 技能ソフトとは、調理師や医師などの職業に応じたソフトで、これがインストールされているから、私は調理したり、外科手術ができたりします。

 しかし、全てのソフトをインストールするには流石に容量が足りません。

 そこで、必要に応じでダウンロードとアンインストールを繰り返しているわけですね。

 後は充電ですね、ドールにもエネルギーは必要ですから、電波でワイヤレス充電をしています。

 ルーターのない屋外でも、月の上空を周回している発電衛星を見れば充電が可能です。

 これでも、水面下では色々と苦労しているのですよ?」

「それは凄いね……

 じゃあ、目からレーザーとか出せるの?」

「技術的には可能でしょうが、そういう、人外らしさが出てしまう事はできませんね。

 しかし、例外はありまして、一応、手の平から放電する機能がついています。

 人命救助が最優先ですから、心肺停止の方がいましたら、手の平から放電してAEDと同等の事はできますし、武器を持って暴れまわる人間がいた場合は、スタンガンとして相手を痺れさせることが可能です。

 要するに非常事態の時ですね。

 このドールの放電機能に関しては、議論によくなりますが、現在は*開発者の意向*よりも人命救助の方に世論が傾いております」

 淡々と説明するアリアに感心しながら聞くネイト。

 正直、学校の先生よりも、先生の様に感じる。知識に関して言えば、広辞苑をインストールされているような存在なので、致し方ないことかもしれないが。

「ねえ、アリアはぶっちゃけ、学校の先生よりも物知りだよね? どうしてドールに教師をさせないの?」

「先程の『リンゴは何故落ちるのか?』を例に上げれば、今でこそ万有引力の法則を、アイザック・ニュートン様に発見されていますから、ドールはその問に対し、最先端の答えを言う事ができます。

 しかし、発見されていないことに関して質問された場合、答える事ができないか、間違った答えをしてしまう恐れがあります。

 前者ならまだいいのですが、後者だと、新たなる発見を見落とすことになりかねず、人類にとって損失となってしまいますね」

 ドールは人の名を呼ぶとき、個人であっても必ず様をつける。犯罪者、独裁者、テロリスト等は例外となるが。

「え~と……もう少しわかりやすく」

「では四色問題の話をしましょう。

 西暦一八五二年にロンドン大学教授であったド・モルガン様に、ある学生が『線で接する国を違う色で塗るとして、地図を塗るのに必要な色の最大数は四である』ということについての『証明』が正しいかどうかを尋ねました。

 ド・モルガン様は答えがわからず、当時の有名な数学者であり物理学者でもあったW・R・ハミルトン様に問い合わせの手紙を書きました。

 これが四色問題の発端といわれています。

 それから数学者様達は一〇〇年以上の時をかけて、この四色問題という難問に挑み、様々な努力を重ね、遂に西暦一九七六年。四色定理を『証明』するに至りました。

 しかし、その証明は、人手で実行するには不可能な程コンピューターに依存していたため、バグなどにより、その確実性に疑問符がつきました。

 それからも、アルゴリズムやプログラムの改良が行われ、現在では四色問題は解決していると捉えられています」

「知らない話をされても……」

「申し訳ございません。ログにネイト様の知っている話で例となりうるものがなかったので……

 重要なのはですね、まだ四色定理が証明されていない時代で、質問を受けたのが私だった場合はどうなるのか? という話です」

「……なるほど、んでどうなるの?」

「私が、その質問を受ければ、記憶領域に入っている白地図のデータを全て四色で塗分けるでしょう。

 さらに、月政府のサーバーにもアクセスし、一般公開されている地図を全てダウンロードしてそれも全て塗分けます。

 その作業に一秒もかかりません。

 そして学生に対し『塗分けに五色以上必要な地図は見つかりませんでした』と答えにならない答えを答えます――」

「力技だね……」

「もし、そうなれば学生は満足し、この問題はその場で終わってしまうかもしれません。

 しかし、証明したことにはならず、これは人類にとって大きな損失となりえます。

 ですから、教師は人がやるものと法で定められており、授業にドールを同伴させることは禁じられています。

 『教育』もまた、人の役目なのですから」

 厳密にいえば、ドールに投げかけられた疑問が、まだ科学的に研究すらされていない、新たな発見であれば、それを学会に送信するようには設計されてはいる。

 しかし、ドールは疑問を感じず考えない。学生の質問の仕方が悪ければ、新たな発見を見逃すだろう。

 今回の例でいえば、学生は『証明』の正しさについて質問しているので、ドールは『証明』されているかどうか検索かけて、検索に引っかからなければ、学会に投げるというプロセスを踏む。

 しかし、学生が『世界地図は四色あれば塗分け可能ですか?』という質問した場合『可能』と答え、学会に投げる事はない。


「確かに、今の例を上げれば、そうかもしれないけど、数百年前の希少な例を出されてもって思うけどな~……

 ダメな先生よりも、有能で物知りなドールを教師にした方がよくない?

 知識量では絶対にドールに勝てないし、教師って別に高いIQを持っているわけでも、人格がいいわけでもないし、普通の人だよね?

 君を褒めるわけじゃないけど、先生よりわかりやすいし……」

「そうですね、能力と人柄、この二点だけで見れば、ドールの方が優秀であると言えるでしょう。

 ドールには最先端の知識が詰め込まれておりますし、学生に対し依怙贔屓もハラスメントもしませんからね。

 しかし、先程説明したとおり『発見』することができません。

 学問において『発見』は重要といえます。

 それに、ドールが全ての月民に支給される以上、ドールに学校の教師をやらせるメリットはないというのが月政府の見解です。

 月政府は先生に優秀さや人柄を求めてはおらず『人』であることを求めています」

 とはいえ、教師には免許があり、一定のレベルは必要。

「無能でも性格最悪でも『人』であればいいと?」

 実状としては、超絶無能でハラスメント全開のクソ教師というのは流石にいない。

 ネイトの抱える疑問は、学生の高望みとドールとの比較によって起きる問題である。

「そうなりますね、先生の説明がわかりにくかったら、自分のドールに聞けば済む話ですし」

「時間の無駄じゃない?」

「その無駄の中から、新たな発見が起きるのかもしれませんよ?」

「新たな発見ねえ……

 そりゃ、何処かでそういう事が起きるのを否定はしないけど、基本的にはまず『無い』わけでしょ?」

「数字にすれば、発見が起こる確率は限りなく小さいですね。

 だからこそ、分母を上げる必要があります」

「つまり、少数の発見のために、教えるのが下手な人間を使って、多数の学力向上を犠牲にすると?」

「学校の先生は、不特定多数に教える事が前提ですが、私の場合はネイト様に分かって貰えればそれでよいわけですし、単純に比較できるものでもないですよ。

 断言はしませんが、エリカさんがカナタ様に対する教え方は、ネイト様にとって、先生よりもわかりにくいというのは多分にありえますしね」

「う~ん……僕の事を丸め込もうとしてない?」

「まあ、この件に関しては〝あるじの心情〟よりも〝*設計者の意向*〟を含みますからね。

 とはいえ、私が『四色定理』を理解しても、人に伝えるだけで、そこから何か生まれるものはありませんよ。

 学問としての発見がなくとも、人と人なら、それが良くも悪くも人間関係を生みますし――

 今回の例でいえば、人によっては塗り絵や地図に興味を持つかもしれませんし、創作物のネタにするかもしれません。

 人によっては話すうちに、内容が逸れたり変わったりすることもあります。

 しかし、それが広がりを生むのです」

「その効果は?」

「私達が三ヶ月に一回メンテナンスを受け、アップデートされるのも、常に『誰か』が『発見』し『何か』が『証明』されているからですよ?

 そして、それらによってあるじの問いに対し、よりよい回答ができるようになります。

 つまり『人』が『人』に教えているからこそ、私達ドールは成長できるのです」

 釈然としないが、言葉に詰まる。

「ドールをエスコートするのは人の役目――」

 アリアはネイトの手を取った。

「ネイト様――私達は人類が既に歩いたところにしか行けません。

 私をエスコートするのはネイト様の役目ですよ?」

 ドールから習うだけでは、人類は先には進めない。

「う…うん……」

「ネイト様、私を誰も知らないところに連れて行ってくださいねっ」

 アリアはウインクを送った。

 そのしぐさにドキっとしてしまう。折角捨て去った煩悩が復活してしまい、その日は眠れなかった。

 *

 頭が寝不足でぼ~っとする朝を迎えた。

「申し訳ございません」

 気を悶々とさせ、眠れない夜を与えたことに謝罪してくるアリア。

 ネイトは、寝不足による頭痛もあって、余計に苛立った。

「今から、食堂に行くけど、ついてこないでね」

「かしこまりました」

 宿泊所の食堂へ向かうため、一人部屋を出るが、廊下でカナタとエリカに遭遇してしまう。

 なんでいるんだよっ……と思った。

「おうっ! おはよ、昨日はよく眠れなかったのか?」

「いや、まあ……うん……」

 寝不足なのは見て取れるが、あきらかに様子がおかしい。

 カナタ自身も昨日ははしゃぎ過ぎて眠れなかったが、気分は上々……

「なんか疲れた顔してっけど? 大丈夫か?」

「そういう君も元気そうだけど、顔は少しやつれているような」

「いや~~っ!

 昨日は、お楽しみっていうか、やっぱ遠出ってことでテンション上がっちまってさ……」

 ニヤけ面で頭をかく。ネイトはなんか余計にムカついた。

「もうっ! カナタ様っ! そういう事を言わないでください。

 恥ずかしいじゃないですか~っ!」

 顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに抗議するエリカ。

 大した演技だねえっ……と皮肉の一つも言いたくなるが、それは堪えた。

「……ホント、上手くいってねえんだなお前ら……」

 カナタは、ネイトの表情を見て、なんとなく状況を察した。

「とりあえず、メシでも食って元気だそ~ぜ?」

「うん……マリーは?」

「お腹へってないから先に行けってさ」

 二人は食堂に入り、メニューに目を通す。

 その中で、聞きなれないシュクメルリという言葉が目に止まった。

「……シュクメルリ? 知ってる?」

「……いや」

「シュクメルリっていうのは~、地球にあった国家ジョージアの伝統的な料理ですね~っ!」

 月では、地球にあった国は全て滅んでいると仮定されている。

「ざっくり言えば、鶏肉をガーリックソースで煮込んだものですけど~っ、写真を見る限り牛乳も使用しているようです。

 カナタ様の口には合うかと~っ」

「じゃあ、それにすっか」

「僕も……」

 手を上げてウェイターを呼ぶ、そこまで顔立ちが整っていないのでおそらく人だろう。

「シュクメルリ二つで……」

「いや、三つでお願いします」

 ネイトの言葉を遮り三つ注文するカナタ、少しムッとしているのが伝わった。

「ごめん……」

「いや謝らなくていいけど……」

 カナタはそれ以上は何も言わなかった。言葉が見つからないからである。

 ドールと上手くいっていないというのは、月社会においてかなり致命的というか生きづらさを感じるだろう。

 カナタは気分を変えるため、店内を改めて見渡した。

 自分達と同様、首都ダイダロスに向かっている者が多いのか、かなり客が入っている。

 ざっくりだが、ドールを連れている人は少ない印象だ。

 やはり、他人には見せたくないというのが本音なのだろうか?

 月では人種以上に、人間を大きく二つに分けている。月人と地球人だ。

 月に暮らすようになって二五〇年が経過しているわけだが、地球人と比較すると姿に大分、変化が見られる。

 月人のルーツは、それこそ黒人、白人、黄色人といて、民族も国籍も多種多様だったわけだが――

 地域によって気候の違いがなく、大気の無い月での直射日光は放射線による危険が高いため、都市は地中に作られ日光を完全遮断。

 人工のトゥルーライトによる光が基本である。

 そのため、日焼けすることがなく、世代が進むにつれルーツを問わず、白くなる傾向がある。

 精子バンクと卵子バンクの中からランダムに選んで受精させるため、色んな民族の血が混ざりあい、人種差や民族差が遺伝子レベルでなくなりつつある。

 重力が六分の一という環境は、男女の筋力差というものも六分の一にしてしまい。女性は綺麗でも可愛いでもないカッコイイ女性が増え、逆に男性は屈強な者が減る傾向にあった。

 パートナードール制度の影響で、無理に異性の気を引く恰好をする必要がなくなり、全月民に支給される標準服(男女兼用)もあるため、見た目の男女差が地球人に比べてかなり低い。

 しかし、地球で生まれた、ゲーム、漫画、小説、映画、アニメなどはパプリックドメイン化され普及しているため、地球の女優や男優、そしてファッションに憧れを持つ月人は多い。

 よって、ドールは月人よりも見た目は地球人に似通る傾向があるといえた。

「こうして見ると、ドールを連れている人はそんなにいないか……

 まっ! 俺は別に気にしねーけどな」

 ネイトは周囲の視線がエリカに集まっていることに気づく。

 エリカの恰好がメイド服なので、少し恥ずかしいが、反応は人それぞれだった。

 メイド服を全く知らない人は、何あれ可愛いと声を漏らし、逆に知っている人は、キモイものを見るかのような目をしている。

 イギリスの下働きの服と認識している人は『何故?』という顔をしていた。

 料理が運ばれてくると、まず真っ先にエリカが口にする。

「ん~大丈夫ですね……カナタ様のアレルゲンはありません」

 咀嚼しながら答えるエリカ。ドールの舌は何が含まれているかを分析できる。

 食中毒や毒物の毒味も可能で、この動きは、万が一の毒味も兼ねている。

 お店に対して失礼に当たるので、口には出さないが。

「ネイト……アリアさんを連れてこなくていいのか?

 アレルゲンがあっても知らねーぞ?

 地元を離れた外食が一番事故が起きやすいっていうからな……」

 ドールに料理を作らせる人間が多いので、食品アレルギーによる事故は少ない。

 ドールはあるじのアレルゲンを把握しているからだ。

 しかし、自分のアレルゲンを理解していない人間は多く、また、地元から離れた食堂には知らない料理があり、それに飛びつく人間も多い。

 これが重なると、食物アレルギー引き起こすことがある。

「いや、今更だし……食物アレルギーなんて起こしたことないから大丈夫だよ」

 少し不安になるが、部屋に戻ってアリアを呼ぶ気にはなれなかった。

「はい、カナタ様っ! あ~んっ!」

 口を開けるように促すエリカと、本当に『あ~ん』と言いながら口を開けるカナタ。

 まじかよっ! ……っとネイトは思ったが、口には出さない。

「エリカ、あ~んっ!」

「あ~ん」

 今度は逆にカナタが口を開けさせる。

 正にバカップル全開である。

 この時、マリーが何故、食堂に一緒に来なかったのかを悟った。

「ねえ……恥ずかしくないの?」

「ん~、学校の食堂とかだったら流石にやらねーけどな……

 旅先なんだし、どうでもよくね? むしろ見せつけてやるくらいの気概でいかねーと旅は楽しめねーぜ!」

「そうかな……」

「お前も拗らせてないで、アリアさんとイチャイチャすりゃいいじゃねえか」

「やだよっ!」

 顔を真っ赤にしてしまう。

「そういやアリアさんって、わりと胸でけーけど、もう揉んだ?」

「してるわけないだろっ!」

 カナタは、キモッ……と言わんばかりの視線を向けた。

「何だよ、その目は……」

「いや別に……」

 お前、男ならそれぐらいはやれよ……とカナタは思った。

「コホンっ……」

 唐突に、エリカが咳ばらいをする。

 気づけば、周囲の視線が集まっている。

「あ、わりっ……」

 自分のドールの胸や尻を触っても、ハラスメントは成立しない。

 しかし、他人の目の前で行い、周囲が不快に思えばハラスメントが成立してしまう。

 また、当然だが、他人のドールにしてもハラスメントが成立する。

 下ネタに置き換えても同様である。

 そういう卑猥なことはしてもいいけど、自分の部屋でやれっ! が、月政府の方針と法律だ。

 食事を済ませた二人は、出発の準備をするため部屋に向かう。

「カナタ様~、シュクメルリはどうでしたか?」

「まあまあだったかな……」

「では今度、もっと味付けをカナタ様好みにして作りますねっ!」

「それは、楽しみだな~」

「えへへ~っ!」

 二人は戻るときも、かしましかった。心底幸せそーな奴らである。

 ネイトが部屋に入ると、既に準備というか身支度は終わっていた。

「あ……支度終わったんだ」

「ええ……いつでも出られますよ。

 マリ―様は、駐車場で待っているとのことです」

「そう……」

 何処か気まずい……そんな事を思いながら部屋を出て駐車場へ向かう。

 駐車場ではセバスチャンが、車を点検していた。

 月面道路を通って、街から街へと移動する場合、ドライブが長時間に及ぶため、出発前の点検は整備士の資格保持者、もしくはドールがやることが務付けられている。

「お嬢様……問題ありません、いつでも出発できます」

「ありがと」

「うわっ! お前、自分のドールにお嬢様って呼ばせてんのかよ」

 カナタがデカい声で突っ込む。

「別にいいじゃない、何と呼ばせようと……」

 燃えるような恋ができないマリーからすれば、名前で呼ばれる方がなんか嫌だった。

 セバスチャンは無口でマリーに対し、影の様に付き従っている。

 余計なことは言わず、言われたことを淡々とこなすだけ。マリーにとってこの関係が一番気楽なのだ。

「まあ、確かに敏腕執事って感じだよね……」

「でしょ?」

 一行は、再び月面車に乗り込み、次の街へと向かった。

 ネイトはアリアと殆ど口を聞いていない。

 セバスチャンとマリーは殆ど会話をしない。

 相変わらず車内は、エリカとカタナがデカい声で、くっちゃべっていた。

 *


 七日半かけて、ようやく、首都ダイダロスにたどり着く。長旅は三人をげっそりとさせた。

 街並みは、自分達のヒンシェルウッドと比較して大差ない。

 月の都市は、地上に施設や建物がないわけではないが、直射日光を遮断するため地中に作られる。

 その区画は、街路が規則正しく横と縦に直行し〝マトリックス〟と呼ばれ、例えていうなら、日本の京都のような〝碁盤の目〟である。もっとも、月の都市は立体的で、碁盤の目が何層にもわたるので、ルービックキューブに例えられる事もあるが。

 建物は一律五階建てで道路の幅は場所にもよるが、片側二車線の四車線道路が多く、大通りは片側三車線の六車線。

 そして、建物の上辺と対面する建物の上辺の間をアーチ状にパネルが敷かれている。日本のアーケード商店街の様な構造である。

 パネルの下には当然、道路があり、場所によって街路樹なども植えられている。街路樹は万有引力にちなんでりんごが多く。リンゴの花が桜に似ているのもあって、春になると咲き乱れるように品種改良されている。

 植えられている植物は花の咲く時期を計算しており、人工的な四季を演出。雀や鳩といった、鳥も放鳥されており、癒しを与えていた。植えられている植物や放たれている動物は都市や街によって違いがあり、一応、自治体による差別化ははかれている。

 天井のパネルは一見するとガラスのように見え、外から光を取り入れているように見える。人工に依るが自然光に最も近く、植物は光合成が可能であり、人はビタミンDも生合成できる。

 建物の壁は全て同じ材質で、似たような色が多い、街並みは基本何処へいっても同じような感じで、ドールがいない場合、タブレット端末によるナビがないときつい。

 月の六大都市の街並みを移した写真用意して見比べても、その違いに気づく方が難しいだろう。植えられている植物が街によって違うので植物に詳しい人間なら見分けがつくが。

 首都に着いたところで自分達の地元と大差なく、真新しさを感じないのである。

「思ったよりもしんどかったわね……」

 月面車での移動を提案したマリーは少し後悔しているようだ。

「帰りもあるのか……」

 ネイトの口から本音が漏れる

「今は、忘れろ……

 イベントを楽しもうぜ……」

「お嬢様、帰りはどうされますか?」

 セバスチャンが口を開く。

「どうするも何も、借り物なんだから月面車で帰るしかないでしょうが」

 駐車場に置いて、そのまま列車で帰れば、当然、返却不履行として罰せられる。

「いえ、月面車でヒンシェルウッドに行く予定の方が見つかれば譲渡する事が可能です」

「なるほど……そりゃそっか……」

 ドールが不正や犯罪に走る事はない。つまり、ドール同士で話をつければ、何の問題もないといえる。

 ドールは騙すことも騙されることもないからだ。

 譲渡した月面車は譲渡された人間が責任を持って返すことになるし、途中で事故を起こしてもマリーは責任を負わない。

 引継ぎの際には、相手のドールが点検を行うので、何かあれば、その時に指摘をうける。

 ドールには、月の科学の最先端が注ぎ込まれているので、ドールでも見つけられない不備や故障は誰の責任にもならない。

「じゃあ、お願い」

「かしこまりました」

 セバスチャンはタブレット端末を取り出すとSNSで、ヒンシェルウッドに月面車で行きたい人を募集。

 月社会にもSNSはあり、現代日本でいうところのツイッターみたいな『今何をしているのか?』を公言するSNSもある。

 ツイッターと大きく違うのは国営であり、十五歳になった時点で、全月民にアカウントが支給されると同時に、SNS上のルール、マナー、責任の講義が学校で行われる。

 また、ドールにもアカウントは支給されており、セバスチャンは自身のアカウントでヒンシェルウッドに月面車で行きたい人に対し募集をかけた。

 直ぐに返事が来て、譲渡が決まる。

「……有能感すげー」

 カナタはセバスチャンの背中に、仕事ができる男のオーラのようなものを見てしまう。

「もうっ! カナタ様っ! 私だってあれくらいできますよ? 性能に差はありませんから」

「わかってるって……」

「宿泊所の住所送っとくわね。

 じゃあ、今日はゆっくり休んで、宮廷舞踏会までは自由行動としましょう。

 んじゃっ!」

 マリーはそれぞれの持つタブレット端末に宿泊所の住所を送ると行きたいところがあるのか、セバスチャンを連れて何処かへ行ってしまった。

「……どうする?」

「……え? いや……宿泊所で休もうかな……」

「お前、ホントつまんねーやつだなあ……

 とりあえず、俺は舞踏会に備えて着る服でも見に行くけど……

 当日バタバタしたくないし……エリカで着せかえして遊びたいし」

 エリカを眺めながらにやにやする。

「もう、恥ずかしい事を言わないでくださいよ~っ!」

「楽しそうだね……」

 ネイトは二人とここで別れ、宿泊所へと向かった。

 今までの宿泊所もここも、大差なくどれも似たような間取りで、内装も似ている。

 さらに言えば、自室から不要な設備を差っ引いた感じともいえる。

 代り映えのしない何処かうんざりする部屋。やることもないので、ベッドにごろんと横になった。

 暇つぶしに、タブレット端末で適当なゲームをするが、無気力というか続かない。

「暇だ……」

 天井を見ながら呟く、アリアには一人になりたいからと言って、部屋には入れていない。

 アリアは特にやることと命令がないため、宿泊所内にある喫茶を兼ねた食堂で、適当な卓に座って待機していた。

 ドールを部屋からしめ出すというのは違法行為には当たらないが、ドールだけが人目の着く場所で待機させるというのは、非難されがちな行為ではある。

 とはいえドールとしては、あるじと距離が離れてしまうといざという時に助ける事ができないため、街を適当にぶらつくという行動はとらない。

「はあ~っ……」

 ネイトはため息をついた。

 ゲームをやる気になれず、ネットでドールと上手くいかないので、その原因を調べてしまう。

 『ドール疲れ』という言葉が検索に引っかかり多数見つかった。

 調べたところによると『ドール疲れ』というのは、原因は様々あるが、ドールと付き合うことに生きづらさを感じ、日常生活に支障がでてしまう事である。

 発症するのは人それぞれだが、三〇歳から四〇歳にかけてが、特に起こりやすいとなっていた。

 青春が終わり、自身の衰えを感じ始めるとは逆に、老化しないドールとのギャップに何処か疲れてしまう。

 僕には当てはまらないな……そう思いつつも。

 一〇代の時点で生きづらさを既に感じている自分が不安になってくる。

 月社会は、もはやドール無しでは成り立たない、それは誰の目から見ても明らかな事実である。

 何故、マリーの様に割り切った関係を気づけないのか?

 自身の業の深さに嫌気がさし、負の感情に支配され始めた頃、部屋の扉が開いた。

 扉を開けられるのは、宿泊所の関係者かアリアだけである。

「……どうして来たの?」

「申し訳ございません。

 しかし、よろしいのですか? 宮廷舞踏会で着る服を探さなくても?」

「男なんて、タキシード一択でしょ?」

「そうですが、私の着るドレスを選ばなくてよいのですか?

 選ばないのであれば、私が自分で選ぶことになりますが」

 ドールに選ばせた場合、選べる範囲であるじが気に入りそうで、さらに客観的にも受けいられそうな服を、データに基づいて選ぶ。

 なので、ドールに選ばせた方が、手堅いのだが、どうしても自分で決めるという事にこだわる人間や、周囲からは受けなくても自分の好みを優先した服を着せたい人間は一定数いる。

「……それは」

 考えこんでしまう。

 絶世の美女であるアリアに色んなドレスを着せてみたいという欲求は正直ある。

 しかし、マネキンと恋愛もどきをするのにも葛藤がある。

 一瞬、舞踏会自体を棄権しようかと思ったが、それをすると、一週間の苦行な長旅が水泡に帰し、かつカナタやマリーから非難を浴びるので思いとどまった。

「クス……」

 悩み続ける、ネイトを見てアリアが笑った。

「行きましょう。悩んでいても時間の無駄です」

 アリアがネイトの手を握る。

「行くって何処へ?」

「最寄りのドレスショップですよ。

 私が、ドレスを選びますから、ネイト様は是非を決めるだけで大丈夫ですよ?」

「う…うん……」

 ネイトはアリアに連れられるようにして、ドレスショップへと向かった。

 宮廷パーティの都合上、王宮周辺はドレスショップが多い、距離は歩いていける範囲内だった。

 ネイトはドレスショップなど入ったことがないので、そわそわしている。

 一フロアだけで、一ヘクタールはある広大な店舗。

 広さの割には従業員は殆どいなかった。ドール同伴が義務付けらているからだ。

 ドールだけでも入れるが、人間のみの入店は認められない、ドール同伴にするだけで盗難の恐れがまずなくなる。

「それでは、ここでお待ちください。試着してきますので」

 アリアもここに来るのは初めての筈だが、既に何回も来たことがあるように慣れた感じでスタスタと奥へ行ってしまった。

 ぽつんと一人取り残される。

 初々しさの無さに、寂しいものを感じた。

 これが、人間の恋人なら、初めて入るドレスショップで、互いに緊張したりするものだろう。

 とはいえ、今更、アリアにそんな演技をされても、白々しいと機嫌を悪くするだけだとも思う。

 それゆえの手慣れた行動。

「う~ん……」

 何処か複雑な想いで、佇んでいると――

「あれ? ネイト様じゃないですか、結局ここに来たんですか?」

 振り返ると、見たこともないドールらしき女性が立っている。

 金髪でツインテール。恰好はセーラー服だった。

「えっと……どちら様ですか?」

「あははっ……やだなあエリカですよ」

「エリカっ!? ……さん。……ごめんわからなかった」

「お気になさらずに、流石にカラコンまで入れるとわかりづらいかもですね」

「何だ、おめえも結局きたのかよ」

 背後からカナタの声が聞こえてきた。

「いやその……っていうか。

 まだ、いたの? どの服にするか決まってないわけ?」

 ネイトは恥ずかしさを誤魔化すため、質問で返す。

 宿泊所でゴロゴロし、それからドレスショップに足を運ぶまで、既に四時間以上が経過している。

 ドレスをどれにするかなど、とっくに終わっていてもおかしくない。

「バカっ、そんなもんとっくに終わったわ。

 エリカのその恰好で舞踏会に出るわけねーだろ」

「そうですよネイト様、この恰好を見てわかりませんか?」

「……いや全然わかんない」

「では、ヒントいきますねっ!『月に代って、お仕置きよっ!』」

 何かのポーズを取りながら、声優のような口調で台詞を決める。

「え~っと……

 とりあえず、何かのキャラクターのコスプレって事はわかった」

 店内はさほど人がいるわけではないが、それでもやはり恥ずかしいものを感じる。

 正直、人前で堂々とドールにコスプレさせているのは『うわっ!』と思わざるを得なかった。

「おいネイト! 何だよその目は?

 俺に言わせりゃな、ドールなんて至高の存在を支給されているのに、不満そうにしているお前のが方がよっぽどキモいわっ!」

「ご…ごめん……」

「それで? アリアさんは?」

「今、試着に行くからここで、待ってろって……」

「へぇ~っ! それは楽しみだな」

「ちょっとっ! どっか行ってよっ!」

「さっき、俺をゴミを見るかの様な目でみた罰だ」

 ネイトは黙らざるを得なかった。

「お待たせしました」

 髪をアップにし、白いイブニングドレスを着たアリアが戻ってくる。

「おおっ……さすがというか、女優やモデルの受賞式にいそう……」

「わ~っ! お綺麗ですね~っ!」

「恐れ入ります」

 カナタは感嘆し、エリカは褒めちぎる。

「……ん? お前もなんか言えよ」

 恥ずかしそうに視線を逸らしているネイトがそこにいた。

 思わず見惚れてしまったが、それを受け入れたくない。

「ネイト様? こちらのドレスでよろしいですか?

 それとも、ネイト様がお選びになられますか?」

「え? いやその……」

 話を振られ、困ってしまう。

 なんで、二人がいるところで聞くんだよと言いたいが、それを言うと余計に恥ずかしい。

「せっかくここまで来たんだからお前も選べよ」

「そうですよ~っ!」

 ちゃかしてくる二人にイラっとする。

 恐らくエリカはカナタの感情を読み取り、結果、同調するのがカナタにとって良いとしているのだろう。

 しかし、ネイトにしてみればうざいことこの上ない。

 ネイトは何も言わず、奥へ向かって歩き出す。

 それに、アリアが続き、二人もついてくる。『ついてくんなっ!』と思ったが、それをいっても無駄だと悟り、無言のまま突き進む。

「……これも計算?」

 小さな声でアリアに聞くが、カナタにも聞こえていた。

「うわっ!」

 何言ってんのこの人? といわんばかりの声を漏らすエリカ。

 それを聞いて『おいやめろっ!』と言いながら笑いをこらえているカナタ。

 ネイトはうざいな~と思いながらも二人に対しては無視を決め込んだ。

「計算とは?」

「ここに、カナタがいるってところだよ。

 最初からいるってわかってて案内したの?」

「いえ、それはないですね、宿泊所から一番近いドレスショップがここでした。

 そして、おそらく御二方も、同じ理由でここに来たということかと――」

 ドールが嘘をつくとは思えないから渋々納得する。

「お~い! ネイト何処まで行くんだ?

 舞踏会用のドレスコーナーを過ぎているぞ?」

「あ…そっか……」

 ネイトはその場から離れたくて歩いたに過ぎない。そもそも、何処に何が置いてあるかもわかっていない。

 余計に居心地の悪さを感じる。

 振り返ると、既にアリアはカナタとエリカとドレス選びに入っていた。

「いや~……

 アリアさんは本当にお綺麗ですね、ネイトには勿体ない」

 鼻の下を伸ばしながら、品定めをするかのような視線を向けている。

「アリアさん、このドレスはどうですか?」

 エリカが一着のドレスを手にして持ってきた。

「なるほど……これがカナタ様の趣味というわけですね?」

 ニヤッと笑い、見透かすような視線でエリカを見る。

「あっ! わかっちゃいます~?」

「おい、やめろ恥ずかしいだろっ!」

「まだ、時間はありますし、着てみましょう」

「やった~っ!」

 和気あいあいとする二体と一人。

「……ん? おいネイト! いつまでも拗らせてねーで輪に入れよっ!」

 隅っこで、つまらなそうにしているネイトを見かねて声をかけるカナタ。

「え? でも……」

 めんどくせー奴だなあ……といった表情で苦言を言いたげなカナタではあるが。

 ここで、説教しても、こいつがイジケルだけだし、どうしたものか? と思案していると着替えたアリアが戻ってきた。

「いかがですか? ネイト様?」

 それはゴシックドレスの様に黒を基調としていたが、ゴシックファッションなら赤を使う部分が青や青紫といった寒色で彩られている。

 デフォルト服は白で、最初に着てきたドレスも白、それは自身の持つ鮮やかな紅い髪と良く似合い、紅白という印象の強かったアリア。

 しかし、黒を基調としたドレスもまた、別の美しさがあった。

 ネイトは何も言わず、もごもごしている。

「お前さ……

 アリアさんの事、好きなんだろ? だったら綺麗くらい言ってやれば?」

 呆れたように褒める事を促す。

「いや、別に好きじゃ……」

「でも、少なくても外見は、お前の理想を反映した姿になっているんだから。

 見た目くらいは褒めてもいいんじゃねーの?」

「……ア…アリア……その…綺麗だよ」

「ありがとうございます」

 カナタは心底恥ずかしそうに言うネイトを見て必死に笑いを堪えている。

「……しかし、こういうドレスだとまるで魔女みたいに見えるな……」

 カナタはダークな感じに染まったアリアを頭からつま先まで眺める。

「あ、ここから離れていますが、ハロウィン用のコーナーにとんがり帽子ありましたよ。とってきますねっ!」

「ふふっ……私で遊ばないでください」

「確かに、ドールで遊んでいいのはそのドールの持ち主だけだな。

 お前はねーのかよ? 着て欲しいドレスとかさ?」

「いや別に……特にそういうのは……」

「……人生は楽しんだ方が得だと思うぜ?

 まっ! お前がないっつーなら、遠慮はいらねーな。

 お~い、エリカ、どうせなら、お揃いというか、衣装合わせてみたらどうだ?」

「らじゃ~っ!」

 エリカは再び、何処かへ消えた。

 ネイトは内心アリアに断って欲しいと思ったが、アリアが断ることはなかった。

「持ってきましたよ~っ!」

 エリカが二着のドレスを持ってくる。

「よしっ! 早速着るんだ!」

 ネイトは嫌そうな態度は見せたが、ひとまずどんなものか見たいとは思い反対の声はあげない。

「ふふっ……」

 そんなネイトをアリアは横目で笑う。

 しばらくして、着替えた二人がやってくる。

 その姿はドレスというよりは、コスプレの衣装のようだ。

 でっかいリボンにハートのマーク、対象年齢が低いのが伝わってくる

 ネイトがツッコミを入れるよりも早く――

「闇の力の下僕たちよ!」

 ビシっと指をさしてアリアが言い放ち。

「とっととおウチにかえりなさい!」

 ポーズを決めてエリカがそれに続いた。

 ネイトはあまりのイタさに言葉を失い、カナタは萌えに打ち震えていた。

「……流石に、私がやるには年齢的に無理がないですか?」

 ネイトの本音を代弁したのか、少し恥ずかしそうにアリアが言った。

「え~っ! お綺麗ですし、そんなことないですよ~っ!」

「いや~っ! 眼福でした」

「次は、何にしますか?」

 ネイトがもう帰ろうよと言うよりも早くエリカが口を開く。

「そういえば、さっき見つけたんですけど~っ! このフロアの角っこにピアノがありましたよ」

 先程の子供向け衣装を見つけてくる流れで、隅に設置されているピアノを見つけていた。

「ふむっ……ピアノか? なんでだろうな……」

「ピアニストとかも、発表会においてドレスを着るから、ピアノと合わせて見たいってことかな?」

 カナタとネイトは首を傾げていると。

「行ってみましょう」

 アリアが移動を促し、一同はピアノのあるフロアの隅へと向かう。

 楽器屋というわけではないが、ヴァイオリンやフルートなども置いてあった。

 何故か、もうピアノを弾くムードになっており、その衣装に着替えるため、ドール二体はその場にいない。

 イタい衣装じゃなきゃいいけど……とネイトは不安が拭えない。

「今度はエリカの奴、どんな衣装で攻めてくるのか楽しみだぜ」

 何故か不敵に笑うカナタ。

 しばらくすると、アリアが戻ってきた。

 光沢のある深い緑色でハートネックカットのドレスであった。

 ピアノを弾くには無難なドレスともいえ、ピアノの前に座ればそれこそピアニストの様に見えるだろう。

 一方、エリカの恰好はドレスではなく、明らかにコスプレだった。

 どうやって染めたのかはわからないが、青と緑を混合させたようなミント色のツインテールをしている。

 ノースリーブのトップスを着ているが、手には袖の様なカバーをつけていた。

 なかなかピアノを弾くには邪魔になりそうではある。

「今度はミクか……わかってらっしゃる」

「何が?」

 ネイトには何なのかわからなかったが、カナタの好きなキャラクターということは理解した。

「どちらが先に弾きますか?」

「では、エリカさんからどうぞ」

「わかりました。では『千本桜』で――」

 エリカが椅子に座り、ピアノを弾き始めた。

 アームカバーと呼ばれる、服とは繋がっていない袖のようなものをつけているので、弾きにくい筈だが、ドールということもあって難なく弾いている。

 ネイトからすれば知らない曲で、特に思うことはないが、カナタは大喜び。

「なかなか、人間には難しいアレンジをされていますね」

「え? そうなの?」

 成り行きで聞いているネイトが退屈しないよう、小声で解説を始めるアリア。

「はい、原曲がピアノの曲ではないので、ピアノで弾く場合。

 ピアノで弾く事ができるようにアレンジします。

 しかし、ドールですからね、人が弾くには不可能とまでは言いませんが、原曲のイメージを少しでも再現するため高難度のアレンジで演奏されています」

 ドールは人間と違って、左手で『あ』を書いて、右手で『い』を同時にそして書体を変えて書ける。

 それは、右手も左手も独立した複雑な動きができることを意味する。両手に複雑な動きを求められる人の脳の構造上難しい曲も難なく弾けるのだ。

「へぇ~……」

 素直に感心する。

 そんな難しそうな事をやっているようには見えないからだ。

 エリカの演奏が終わった。

 二人と一体が拍手を送り、カナタは上機嫌。

「えへへ~っ!」

「では、私の番ですね……」

 エリカと交代し椅子に座った。

「楽曲は……何にしますか?」

「え? 僕が決めるの?」

 いきなり選曲を振られ、戸惑ってしまう。

 エリカはカナタに聞くことなく選曲し、同じドールである筈のアリアは自分に聞いてくる。

 ……いきなり僕に振るなよっ! っと思ったが、既に三者の視線が集中し、早く答えないといけない雰囲気。

「お…お任せで……」

「じゃあ、ガンマスターってゲームの魔女っ娘が登場するステージで流れる曲を……」

「ちょっとっ! 人のドールに変な曲を要求するのやめてくれるっ!」

「では、無難にクラシカルな曲にしましょう。

 映画『アマデウス』で有名の――」

 アリアがピアノを弾き始める、何処かで聴いた事があるような曲だ。

 優雅というか品があるというか、見た目も相まって上品な印象だった。

 弾き終えると、エリカとカナタが拍手を送る。

「流石っスねっ! ショパンですか?」

 カナタが質問する。

 アリアが答えるよりも早く、ネイトが口を挟んだ。

「バカだなあ『アマデウス』って言ったら、モーツァルトに決まってるじゃんっ!」

 G線上のアリアでバカにされた雪辱を果たしたいのか、得意そうな態度を取るが――

「……いえ、今のはサリエリ様の曲ですが」

「お前も違ってんじゃねーか……得意げになりやがって……」

 恥ずかしさで顔が赤くなってくる。

「どうして、アリアはそうやってヒネってくるのっ?

 今の、僕がこう答えるって、分かってて仕組んだよねっ!?」

 素直にモーツァルト弾いてくれれば恥を掻かずに済んだのにっ……という想いでいっぱいになっていた。

「お前それは、ちと被害妄想が過ぎねーか?」

「いえ、カナタ様。

 確かに、今のはネイト様のおっしゃるとおり、この結果を予測してでの演奏です」

「どうしてそういう事するのっ!?」

「そうですね、端的に言ってしまえば。

 私がSで、ネイト様がM……といったところでしょうか」

「くくっ……確かに、ネイトはMっ気があるよな」

 笑いを堪えながらうんうんと頷いている。

「なるほどー、確かに、あるじがMならドールはSになりがちですよね~」

 何がなるほどなんだよっ! 心で突っ込み、頬を膨らませる。

 それからも、エリカとアリアは交互にピアノを弾き、しばらくすると連弾で二体同時に弾くようになった。現在の曲は、モーツァルトのトルコ行進曲。

 気づけば、音に引き寄せられたのか、人だかりができていた。

 しかし、ドールの性能は一律同じ、一人の人間が不満を露わにした。

「あいつら、いつまでピアノを独占しているのよ」

 傍らに立つジャケットスタイルの男性ドールがあるじを見てからクスリと一笑すると、置いてあるヴァイオリンを手に取って曲に合わせて弾き始めた。すると、後を追うようにして今度はフルートを手に取る別の女性ドールが現れる。その場にいる他のドールもそれに続いた。

 楽器が尽きると、残ったドールは曲に合わせて踊りだしたり。コーラスを入れるもの、、タップダンスのようなダンスをして打楽器にようにリズムを表現するもの、ビートボックスをする者まで現れ始める。

 さらにはリズムに乗りながら、アクロバティックな芸を披露するドール、おそらく初対面であろうと男性ドールと女性ドールが手に取って二人で踊りだす。

 洗練され、何度も練習しないとできなような動きで皆、息がぴったり合っている。 

 ここまでくると、何が起きているのかわからなかった、ただ、ミュージカル映画のワンシーンに入ったかのような気分だ。曲に乗せられて、ただただ気分が高揚していく。

 エリカがピアノから離れ歌いだした。ボーカロイドを模倣した様な声。歌詞は知らない地球国家の言語でネイトには聞き取れない。

 よく見ると、ピアノを弾いているのがアリアではなく別のドールに代っている。

 アリアは楽器は持たず、ダンスを踊っていた。衣装が変わっており、ドレスではなく、アイドル衣装のような服を着ている。ダンスの内容も機敏というかその衣装に合った舞踏でトルコ行進曲のようなクラシックには合わない気がする。

 しかし、改めて音に集中すると、ピアノが電子ピアノだったのか、音そのものが代っていた。さらにテンポも変わっており、感じた違和感はむしろ自分の気のせいと言えた。

 はっとして、全体を見渡してみる。確かに最初は、どのドールもピアニストが着るようなドレスやジャケットスタイルだった。気づけば、誰もひと昔前のアイドルユニットが着るような服を着ている。一体? と思ったが、偶然と成り行きでは始めったこの即興コンサートは、何処を観ていいかわからない、アクロバットをする者、ダンスをする者、歌う者、演奏する者、どれも個性が強く、全部観たいけど全部は観れない。それを逆手にとって、皆の視線が少なくなった瞬間にさっと、交代してその場を離れ、衣装を着替えてまた戻る。客の視線を全て分析するだけの計算能力の高さ。

 勿論それを実現するには、アクロバティックな芸をして人目を引く役割がいるのも大きい。ネイトはその演出にまんまと嵌り、アリアがその場を離れる瞬間を見失ったのだ。

 電子系の楽器は、気づけば全て音がクラシカルな音から、シンセサイザーじゃなきゃ出せない様な音に代っていた。ダンスもアップテンポになり、曲のアレンジがユーロビートを彷彿させるダンスミュージックの曲調に変化している。オーバーラップするように少しずつ変えていくから、変わった瞬間がわからない。ドールは観客の心理状態を読み取り、それに合わせて曲調やテンポを変えていた。それどころか、曲も違う曲に代っている。勿論、目を閉じ、音だけに集中すれば、変わる瞬間を捉える事はできるだろう。しかし、場の空気に飲まれ、高揚している状態でそれはできなかった。

 感心するのが、このエリアの広さである。まるでこういう事が起きる事を最初から想定ていたような、間取りと設備の配置。

 気が付くと、アリアが目の前まで来てダンスをしていた。そして目が合うなり、手を差し伸べる。何も言わなかったが、一緒に踊りましょうと言われているのがわかる。

 カタナを含め、周囲に集まった人達は皆、踊っていた。

 ダンスを維持するために、演奏者は最低限になっており、ドールも積極的にダンスに参加している。

 ネイトはアリアの手を取らず、トイレに行くと言ってその場を離れた。

「はあ……」

 洗面台で顔を洗う、別に用を足したかったわけではない。ただ冷静になりたかった。

 自分が凄い物を観せられたのはわかる。まるで夢の中の様な気分だった。でも、それでも、身を委ねる気にはなれなかった。 

 戻ってくると即興コンサートは終わっており、人だかりはなくなっていた。

「いや~……月に生まれてよかったぜ。

 まさか、こんな前夜祭をみせられちまうとはな…… 

 おっ……ネイト、戻ったか」

「お待たせ……っていうか、別に待たなくてもよかったのに……」 

「なんだよその言い草……大体お前、アリアさんが手を差し伸べた瞬間に、背を向けるなんてあんまりだぞ? アリアさんの立場がねーだろ」

 実際、ネイトがその場を離脱して場がしらけていったのはある。

「僕がやり始めた事じゃないし……周囲が勝手に盛り上がっただけじゃん」

「お前さ――」

「カナタ様」

 アリアが懇願するような視線を向ける。

 これ以上、ネイト様を責めないでということだろう。

「……それにしてもアリアさんの衣装がヤバ過ぎて辛いぜ……」

 話題を変えようとしたカナタだったが、アリアの方を見ていたため、碌な事を言えなかった。

 視線をアリアのハートネックに向けるカタナにネイトはイラっとする。

 その後は、別れて先に宿泊所に戻った。

 一緒に食事をとらなかったのは、そういう気分になれなかったからだ。

「はあ~っ……」

 部屋に戻るなりため息を吐くネイト、アリアは何も言わない。

「アリアさ……

 なんで、僕が嫌がっているのに、あの二人に追っ払ってくれないんだよ?

 何があっても僕を守るみたいなことを言ってたよね?」

 ネイトはドレスショップで会ったカナタとエリカの弄りに対し、アリアが守ってくれなかったことに不満を持っていた。

「申し訳ございません。

 確かに、私が一言いえば、カナタ様は別のところへ行ったでしょう。

 しかし、本当にそれでよいのですか?」

「いいに決まっているだろ」

 いちいち問いかけてくる事にイライラする。

「ですが、それをやってしまえば、カナタ様とは疎遠になっていきますよ?

 カナタ様はカナタ様で、私とネイト様の関係が少しでも改善するようにと思ってのはからいですし……」

「あいつがそんな事をするわけないだろっ! 僕で面白がっているだけだよっ!」

 さっきから自分のドールが他人の肩を持つことが気に入らない。

 口調が怒鳴りに近くなるが、アリアは動じない。

「ネイト様……

 私達ドールは確かにあるじの心情を分析して行動します。

 しかし、それは短期的な心情の改善よりも、長期的な利益が優先される時もあるのです」

「長期的な利益って何?」

「ネイト様は、心を持たないドールに対し、生理的嫌悪感を持っていますよね?

 私には心がありませんから、それを向けられても特にどうということはありませんし、月政府はドールを手放す権利も認めています。

 ですが、ドールは一度、手放せば二度と支給されません」

 月において、国会議員よりも強い政治力を持っているとされるのが*ドール開発者*達である。

 ドールには怨念めいているとさえ表現されるほど、開発者達の尋常じゃない*拘り*が注ぎ込まれている。

 その設計は、最先端の科学技術だけにとどまらず、古今東西の漫画、アニメ、映画などの演技・演出の技法を盛り込み、芸術の要素も併せ持つ。

 ドールが生き生きとした存在に見えるのも、俳優の演技やアニメや映画など演出のノウハウを分析し、それを導入しているからに他ならない。

 まず、開発者達は、_15_歳から_18_歳までの生活データを収集する。主に何を検索し、どういうコンテンツを消費しているかを分析させる。その分析は犯罪捜査のプロファイラーの如く徹底的に行われ、最新の心理学や統計学に基づいて、その人物の性嗜好を的確に割り出す。

 その分析結果の報告書とデータをまとめたものを元にドール・イラストレーターがラフを描く、ドール・アート・ディレクターからオッケーが貰えれば清書され、それを元に、外観を担当する分野に仕事が振られる。なお、そのイラストはドール辞典という電子書籍に保存され、月民は自由に閲覧可能。

 ファッションデザイナーやジュエリーデザイナーや、ドールの体格を造形するボディメーカーなどがイラストを元に制作を開始。外観が出来上がれば、ドール・エンジニアが頭脳や臓器ともいうべき装置を内部に組み込んでいく。ドール・アート・ディレクターの指示を元に、ドール声帯を調整し声を決めて完成。

 電子頭脳に入っているソフト群も、様々な科学の最先端がプログラミングされて詰め込まれている。料理をする時も、淡々と料理をするのではなく、楽しそうに料理してみせたり、料理をしながら話しかけたりと、あるじを楽しませるように演技するし、開発者達はどう演技させたらもっとあるじの生活が充実した物に変わるのかを考え頭を悩ませている。

 そんな心血注いで作った至高の存在を、自らの意思で手放すという行為は、彼らからすれば侮辱以外の何物でもなかった。

 『ドールを二度と支給しないはやりすぎ』というのは月民も議員も思っていることだが、開発者達の影響力に押されているのが現状だ。

「もしネイト様が、いずれ私を手放すと仮定すれば、周囲の助けが得られなくしてしまうのは自殺行為と言えます。

 些細な心情で、ご友人を失うのは悲しい事ではありませんか?」

「……いや、それは」

 確かにネイトの主な友人はカナタとマリーだけである。

 カナタを失えば、より孤独になるだろう。

 ドール無しで過ごすとなれば、色々と苦労もするのは自明の理。

「ご友人は大切になさってください。

 不届きな輩であれば私が追い払いますが、カナタ様は友人想いの方だと分析しています」

「……ピアノ弾く時にさ、どうして僕に選曲を促したの? あれは意地悪?」

 言い返せず、話題を逸らす。

 ピアノの一件は非常にモヤモヤする一件だった。

「これに関しては、少々ドールの仕組みを話す必要がありますね。

 実は、ドールの頭脳にはブラックボックスと呼ばれる領域があります」

「ブラックボックスって地球で使われていた飛行機に入っている奴?」

 航空機には事故が起きた時、原因究明のため、コックピットボイスフライトレコーダーが搭載され、それをブラックボックスと呼ぶ。

 簡単にいえばコックピットでどんな会話がされたか? 飛行機の電子システムにどんな命令を送ったか? などの記録といえる。

「語源はそこからですね。

 要するに、人でいう記憶みたいなモノで、私とネイト様のやり取りのログが入っています。

 ドールはここにひたすらあるじとのログを蓄積していくことで、あるじの嗜好などを分析し、より健全なコミュニケーションを図れるようになっていきます。

 ブラックボックスと呼ばれる所以は、あるじは死ぬ時までに、中の内容を公開するか非公開にするかを選ばなくてはならないからです。

 機能を停止したドールは分解され、ブラックボックスは開発者達に回収されます。

 月政府としては、ドールをよりよくアップデートするために、公開を推奨しておりますが、誰しも墓まで持っていきたい秘密はありますからね。

 非公開を望む人は、ログを解析されずに消去する決まりです」

 ちなみに、公開非公開を決めることなく死んだ場合は、一律非公開となる。

「……なるほど。黒歴史とかけているのか……」

 この時アリアは、ドールを毛嫌いするネイトが、何かしらの薀蓄うんちくを聴くときだけは素直になると分析した。

「……ってことは、要するに選曲を聞いてきたのは、選ぶだけの情報が無かったって事?」

「ええ……

 ネイト様はあまり音楽を聴く趣味を持たれていませんし、鼻歌をうたうこともありませんので、私の分析だけで曲を選ぶことはできませんでした」

 確かに言われてみれば、音楽を聴いたりする趣味は持ってない。

 月にもアーティストはいるが、興味はない。

 たまたま流れている曲を聴いて、いいなと思うことがある程度である。

「逆にエリカにはその情報があったってわけか?」

「そうなりますね……

 おそらく、エリカさんはカナタ様に選曲させて、その曲を弾くよりも初音ミクの恰好をして『千本桜』を弾いた方が、カナタ様は喜ぶと分析したのでしょう。

 詮索はよくありませんが、きっと二人で色々な曲を日頃から聴いているのでしょうね」

「あの即興コンサートは? あれはアリアが仕組んだことなの?」

「いえ、私はそんなことをしていません。あれは偶然といえば偶然ですし、仕組まれたといえば仕組まれたと言えますね。

 あれは、ドール開発者様達の〝遊び心〟です」

「……遊び心?」

「ドール開発者様達は、クリエイター気質の方も多数いらっしゃいますので、三年程前の話になりますが、とあるドールディレクター様が『ドールの同期モードを利用して、ミュージカル映画の様なワンシーンを再現させたら、面白いんじゃね?』と言い出しまして、実装された結果があの即興コンサートです」

「同期モードって……車の中で漫才やった奴?」

「そうですね、ドールにはあるじ同士の利害関係が一致すると同期できるようになっております」 普段はできないが、ドール同士が無線で情報を送受信できるようになる。

「圧倒的に無駄な機能じゃない? そりゃ凄いとは思うけどさ……」

「同期機能の本来の目的は軍事です。もし月に、地球や地球外生命体が侵略してきたら、月を守るという利害が一致するため、ドールは同期し全情報を共有、一糸乱れぬ動きで敵を殲滅します。地球にあったどんな国家の軍隊よりも強いと言えます」

「っ……」

 怖い事を言われ、少し戦慄するネイト。

「しかし、実際問題として、月は独立してから侵略された事が一度もないですからね。

 それこそ、*無駄*機能になってしまいますので、それは宝の持ち腐れという事で、エンタメの方向へと応用し、その結果、あの場にいて音楽を楽しみたいと思った人達のドールが同期しました。月は退屈というか同じことの繰り返しになりがちですからね。

 人工的ではありますが、少しでも劇的な事が人生に起こるよう開発者様達からのサプライズといったところでしょうか――

 ふふ、これ以外にも私達には色々とあるじを楽しませる機能が実装されているのですよ」

 アリアは、ドールに興味を持たせようと他の機能を仄めかすが、ネイトは想像を超えるドールの機能と拘りに絶句する。

 そして、あの即興コンサートが、何故自分があの場を離れたら瓦解していたのかも理解した。

 アリアの手を取らなかった事を思い出し、気持ちがむしゃくしゃしてしまう。

 アリアの方を見れなくなり視線を逸らした。

 カナタはエリカと上手くやっている。自分はそれができない、どうして自分はもっと素直になれないのか……

「ネイト様――」

 気づけば、アリアが顔を近づけている。

「な…なに……」

 真剣な目で見つめられ、その圧の強さに怯み下がる。

「もっと、私にネイト様の事を教えてください。

 これでは、いざという時に困ります」

 そのしぐさに何処か妖艶なものを感じる。

 結局、どんなに鬱憤が溜まっていても、アリアの醸し出す大人の色気の前では意味をなさなかった。

 怒りよりも性欲が強くなり、何も言えなくなる。

 カナタに言わせれば、そのまま押し倒せだが、拗らせたネイトは、それをしたら負みたいな心理が働いていた。

「は…はい……」

 真顔が微笑に変わり、いつものアリアに戻る。

「今日は疲れましたね、肩でも揉みましょうか? それともお茶でも入れましょうか?」

「じゃあ、肩で……」

「ふふっ……わかりました」

 *

 遂に宮廷舞踏会の日を迎える。

 ネイトとカナタは生まれて初めてタキシードを着た。

 タキシードの注意点や着こなしなどはドールから教わる。

 二人とも、普段学生服か標準服しか着ないので、そわそわしてしまう。

 アリアは、最初に着た白いイブニングドレスを着ており、エリカはゴシックロリータのパーティドレスを着ていた。

 マリーは、派手なヒラヒラのついたドレスは恥ずかしいのか、わりと質素な青いイブニングドレスを着ている。

「ふ~ん……人間でもめかしこめば綺麗になるんだな……」

 カナタがデリカシーのない発言をする。

「もうちょい、マシな褒め方はないの?」

 普段ならブチ切れそうな発言だったが、特に気を悪くしたようには見えない。

 マリーは言い出しただけあって、気分が高揚しているようだ。

「昨日、かなり急いで消えたけど、何処に行ってたの?」

「ただのジュエリーショップよ。まあでも、月にあるところで最大規模だから、前からちょっと興味あったのよね」

 マリーはネックレスやら指輪をこれみよがしに見せる。

「なるほど、その石は?」

「ダイヤよ」

「ダイヤってあの〝白い石炭〟って呼ばれている奴?」

 月では、合成ダイヤの技術が進み大量生産されている。燃やしても石炭と違って硫黄酸化物や窒素酸化物が出ることがないので燃料に使われ〝白い石炭〟と呼ばれるようになった。

「教養が無い奴はコレだから……ダイヤって旧時代では宝石の王様ともいうべき石よ。永遠の輝きとか言われて、凄い高価だったんだから」

「へぇ~……あんなのが……」

 ちなみに月で生産されるアクセサリーに使われる宝石の類は全て合成である。

 主に、合成コランダム(ルビー・サファイア等)、合成ベリル(アクアマリン、エメラルド、アレキサンドライト等)、合成クォーツ(水晶・アメジスト・シトリン等)、そして合成ダイヤ、これ以外にも合成できる宝石は勿論あるが、絶対需要には指定されていない。

 絶対需要に指定された宝石を使ったアクセサリーは自由に貸し出され、定期的に生産されている。借り物には傷がついていたりするのでそれが嫌な場合は、データを元に同じ物をドールに作らせればよい。

 なお、天然物で、希少価値が特に高い物は一律美術館に保管され、貸し出しもされていない。

「まっ、宝石の話は置いておいて、次行くわよ?」

「次?」

「そういや舞踏会って夕方からだろ?

 まだ昼にもなってないんだが?」

「準備というか色々とやる事があんのよ。恥かきたくないでしょう?」

 会場に行く前に、ダンスジムに向い、一時間程ダンスレッスンを行う。

 その後、美容院へ行き、ヘアセットとメイクアップを行う。

 別に、ドールが二体いれば互いにやらせる事で宿泊所でも可能ではある。

 とはいえ、美容院の方が化粧品や設備が揃っているので、行くにこしたことはないし、何より、マリーが行きたがった。

 準備を終わらせ、会場を目の前にする。

 宮廷舞踏会といっても宮廷が開催ということで、別にお城でやるわけではない、月最大の国立劇場を借りているのだ。

「早く中に入ろうよ」

 ドレスコード、ドールの同伴など各種チェックを通し会場に入った。

 ウィーン国立歌劇場を参考にしたと言われるその会場は、ヨーロッパ宮廷をイメージした内装で豪華絢爛だった。

 驚くのは、なんといってもその広さで、ウィーン国立歌劇場の倍はあるだろう。

 会場の奥、普段は舞台として使われる一段上がったところには玉座が設けられ、国王陛下とその妃が座っている。

 謁見はしたい人がすればいいという感じで強制ではない、単に、雰囲気を味わいたい人向けである。

「すげ~……」

 カナタは会場の熱気に圧倒される。ネイトは呆然としていた。

「改めて、凄い人ね……」

 ざっと見ただけでも、三〇〇〇人はいると思われる。最大で五〇〇〇は入ると言われている。

 楽団が用意され、クラシック音楽を演奏。

 地球において、元々はお見合いを兼ねていたりした舞踏会だが、月ではドール同伴が義務付けられているのでお見合いは基本しない。

 ただ、雰囲気を楽しむだけの会である。国王のスピーチがあり、日本に置ける成人式を、ヨーロッパの舞踏会風にしたようなものといえた。

 大体の人が、自分のドールとなんとなく踊って終わりだが、相手がOKすれば人間同士で踊ることも可能。

「そういえば、貴方たちって酒は飲んだことあるの?」

 月では、飲酒を認められるのは十八歳からとされており、会場にはワインと軽食が用意されていた。

 宮廷主催だけあって、軽食といえど最高級である。

「いや……」

「あんまり興味なくて……」

「ちょうどいいじゃない、飲んだら?」

「大丈夫かな?」

「つーか、酒なんて十八歳に飲ませていいのか、ハメ外す奴がでるんじゃ……」

 当然月でも、バカをやる奴はいるし、それは若い方に多い。

「そいつのドールがなんとかするでしょ」

 しかし、酒を一気飲みとか、他人に酒を強要するとかすれば、同伴のドールに注意されるし、場合によってはつまみ出される。

「言われてみりゃ、そうだな」

「じゃ…じゃあ、飲んでみようか……」

 最高級のワインやシャンパンが飲めるわけだが、ネイト達に酒の味などわからなかった。

 セバスチャンがトレイにのせて、六人分のワインを運んでくる。

「なんか……

 セバスチャンって、ダンスのお相手っていうよりは、お目付け役って感じだな……」

「うるさいわね」

「さて、じゃあ、そろそろ俺は――」

 カナタは曲の変わるタイミングでエリカの手を取って、踊っている人達に紛れて踊りだす。

「初めてなのに、慣れたもんだね……」

「ふふっ……私達は踊らなくてよろしいのですか?」

 アリアはからかうように聞いてくる。今度は逃がしませんよ? と言わんげだ。

「え…いや……」

「見てくださいネイト様」

 アリアが指をさした先には、舞踏している人達やひたすら仲間内でお喋りしている人達がいる。

「誰も、他人がどんなドールを連れているのかなんて見てはおりませんよ?

 皆、今を楽しむことに夢中です。さあ、私の手をお取りください」

 手を差し出すアリア。ネイトが戸惑っていると――

「いいドール持ったわね~……」

 マリーがワインを飲みながらちゃちゃを入れる。

「うるさいな……」

 アリアの手をとった。

 踊れるわけじゃないが、簡単なワルツであれば、会場入りするまえのレッスンと、ドールのフォローもあるので恥をかくことはない。

「ふうっ……」

 カナタははしゃいでいるが、ネイトは気疲れの方が強かった。

 アリアとのダンスを終えた後――

「ねえネイト、あたしと踊ってよ」

「え? やだよ、セバスチャンと踊ればいいじゃん」

「*お目付け役*と踊っていたら、*壁の花*よりも恥ずかしいでしょーがっ!」

 マリーは強引にネイトの手をとってくる。

 ネイトは思わず助けを求めるかのような視線をアリアに送った。

 アリアは、微笑を見せるだけで特に何もしなかった。

「あたしのドールがお目付け役なら、アリアってアンタのお姉さんみたいね……」

「だから、うるさいってば」

 その時、貴公子みたいな男が、冴えないといったら失礼だが、ドレスは立派で顔は普通の女性の前に膝をつく。

「一曲、踊っていただけますか?」

「なにあれ? 自分のドールにパフォーマンスでもさせてんの?」

「アンタ、バカ? あれは、お姫様じゃない。

 後、膝をついている男もおそらく人間よ、三歩下がったところに、地味な女性がいるでしょ。

 あっちがドールね」

「えっ?」

 ネイトは王族に興味がないので、お姫様の顔などは覚えていなかった。

「そっか~、お姫様も大変だね……」

「それよりも、あの男……おそらく、主従型ね……」

 勝手に性格診断を始め、にやにやしている。

「下衆の勘繰りはやめた方が……」

「なんか言った?」

「いや、別に……」

「あの男、王族にでもなりたいのかしら?」

「ん?」

「ほら、王族ってドールじゃなくて、姓も残っているし、人同士で結婚制度を維持しているでしょ?

 別にこの宮廷舞踏会は王族のお見合い相手を探しているわけじゃないけど……

 基本的に、誰でもドールが一体支給されているわけだからね。

 ニ年から三年もすれば、愛情はない人でも愛着は沸くだろうし、わざわざ、それを手放して王族と結婚なんてリスク大きすぎない?」

「……リスク大きいの?」

「ん~……月の宮廷内部がどんなのか知らないけど……やっぱり、ドロドロしていると思うな~」

「それは、地球史の宮廷のイメージが強すぎでしょ。

 宮廷に権力なんかないんだし、権力闘争なんてもんはないと思うけど……」

 月では世界史の事を地球史と呼び、自国の歴史を月史と呼ぶ。

「どうかな~……権力はなくても権威はあるわけだし……

 大統領の権力大したことないし……」

「たかだか一〇〇年で権威なんて生まれるもんかね……」

 ネイトは王宮の事を、貧乏くじの様に考えていた。

 そもそもの成り立ちが、月で独立を言い出した人間の一族に、いざという時の責任を取らせるため。

 結婚や人同士の性交など、地球では当たり前のことのように行われてきた文化の保存と言えば聞こえはいいが、平等とはいえない。

「マリー、ちょっと摘まんでくる」

 せっかくの機会なので、軽食を食べに行く。その時、女性と肩がぶつかった。

「気をつけなさいっ!」

 強い口調で叱責される。

 双方の不注意が原因と思ったため、不愉快なものを感じた。

 相手の女性はスタイルの良い金髪の美人で、いわゆる中世~近世にかけての貴族令嬢みたいな髪型をしている。

「躾のなってないドールっているんだな……」

 ボソリと呟いてしまうが、横にいるアリアが膝をついた。

「ネイト様、その御方は第二王女クラーラ様です」

「えっ!?」

 慌てて膝をつく。不敬として罰せられたりするのだろうか? そんな疑問が脳裏をよぎった。

「ふん!」

 第二王女はそのまま何処かへ行ってしまい、ネイトはほっとした。

 最初に見かけた。第三王女と違って凛々しく、顔立ちが整っているのでドールと誤解した。

「さっきの男の人といい、意外と先祖返りっているんだね……」

 人でありながら、地球人よりの外見をしている人を、先祖返りと呼ぶことがある。

 失礼な言葉ではあるが、差別用語にはまだなっていない。

「……ネイト様。

 あまり、差別用語に近い言葉を発するものではありませんよ? 特にこういう場では。

 それに第二王女クラーラ様は、あの体形を維持するために相当な努力をされておられます。

 先程は間が悪かったですが、立ち振る舞いというか礼儀作法を覚えるのは大変なことなのですよ」

「そうなんだ……」

 アリアがから窘められるが、王宮って大変なんだな……程度にしか思わなかった。

「ねえマリー、さっきさあ~」

 第二王女と肩がぶつかったことを話そうとするが、アリアが咳ばらいをする。

 鈍いネイトだが、先程の事を『ここで話すなっ!』の意なのは理解した。

「なに?」

「あ、いや……後で話すよ」

「そう? あたしさ、あの貴公子クンをウォッチングしてたんだけど……

 なかなかのやり手よ、彼。

 第三王女のエステル様と踊ったのに、第二王女のクラーラ様とは踊らなか――」

「お嬢様……」

 セバスチャンがそれ以上、その話をするなと促す。

 マリーとしては、宮廷のドロドロを見れたことが嬉しくとにかく語りたかった。

「カナタは?」

「展望台に行くって言ってたわよ」

 この劇場の建物は、地上まで突き抜けており。

 屋上はガラスドームと呼ばれ、月の空が見れるようになっている。

 とはいえ、首都は月の裏側にあるので、地球を見る事はできないし、地球の夜空と違って、真っ黒な空と灰色の大地が広がるだけ。

 ただ、完全に殺風景かというと、月面に作られた石造りのお城が見える。

 もっとも、地上にある石造りの建物は飾りみたいなもので、王族が済んでいるのは地中部分だが。

「僕も行こうかな……」

 少し、気分を変えたくなった。

 月は密閉空間であり、外に出て風に当たるという事はできない。

 ムードもクソもないが、それでも地中よりも多少は解放感を得らるだろう。

 屋外というか、道路のある空間に関しては、人工の風が吹いているところもあるが。

「じゃあ、あたしも……」

 エレベーターに乗り、展望台へ出る。

 空よりも、広大なドーム状のガラス加工技術に圧倒された。

 大きく六角形に加工された三層構造のガラス群。

「凄いな~……

 よくこんな大きなドーム状にガラスを加工できるね……」

「ネイト様、先程の話の続きになりますが、王族の方たちは、月民にはわからないような苦悩を抱えて生きておられます。

 私は、人を見ただけで体温を可視化できますし、しぐさや表情から心理を読み取れますし、息の乱れ、声のトーンの変化なども聞き取れます」

「はあ……」

「ですから、ログの蓄積がなくても、人の精神状態はある程度、分析できます。

 クラーラ様は一見すると、気の強い御方に見えるかもしれませんが、色々と苦労をなさっています。

 中世ではありませんから、不敬罪で即刻死刑などはありませんが、軽はずみな言動は控えてくださいね?」

「あ…うん……ごめん……」

「ふふっ……私ではなく――」

 そう言いつつ、膝をつき頭を下げる

「へっ?」

 目の前には先程のクラーラが立っていた。

 ネイトは慌てて膝をつき顔を伏せる。

「さ…先程は大変無礼な発言を……どうかお許し――」

「別にそこまでなさらなくても結構ですわ……

 こちらこそ、ぶつかってしまって、失礼をしました。

 少し、気が立っておりましたの。

 もう気にしておりませんし、お許しいただけるかしら?」

「そ…それはもう……」

「では、ごきげんよう」

 クラーラは丁寧にお辞儀をすると去っていった。面倒くさい事にならなくて安堵する。

「あ~怖かった……」

「ふふっ……表情は険しいですが、根はお優しい方ですよ」

「なんでわかるの?」

「思考は無理でも、感情は読めますからね。

 どういう時にどういう感情を抱いているのかがわかれば、その人の性格や性根がわかります。

 クラーラ様は、ネイト様にキツイ態度で当たってしまったことをとても気にされておられましたね」

「……そうなんだ」

 ネイトは、王族というものに対して何処か悲しいものを感じた。

 *

 協定舞踏会の翌日、三人はヒンシェルウッド行きの列車に乗った。

 寝台列車に乗り込む三人と三体。

 車内の幅は約三・二メートルで日本の新幹線よりも広い。

 進行方向を基準に右側に幅一メートルの廊下があり、左側に寝台が並ぶ。

 寝台は二段ベッドが向かい合うようにして配置され、四つのベッドが一つの個室に入っている。

 一車両につき一〇個の個室、つまり最大で四〇人が寝られるわけだ。そのうちの半数はドールになる事が多いが、 ネイトとカナタで一つの個室を使い、マリーは別の個室で、他の乗客と相部屋のような形となる。

 個室といっても、扉があるわけではないので出入りは自由。

 大抵場合は下が人間で上にドールに当てる。

 まだ、寝る時間ではないので、マリーは荷物だけ置いて、ネイト達のベッドを椅子の様にして座り、三人で談笑していた。

 エリカはカナタの隣に座り、セバスチャンはマリーのベッドに腰をかけ荷物の番をしている。

「誰もが一度は疑問に思うことだけど、王宮って必要なのかな……」

 ネイトが話題を提起する。

 やはりひっかかったのが、クラーラ王女の事だ。

 少し、会話をした程度だが、庶民には分からない苦悩と心労を重ねている様子。

 政治は民主制で決めているし、王族は飾りでしかない。

「まあ、地球との戦争で負けたら、ごめんなさいする奴が必要だからな」

 一般的に言われている事を当然のように答えるカナタ。

「それにしたって、一〇〇年前の話だろ? 子孫がその責任を継承する必要はないんじゃない?」

「まあ、それはそうよね。

 でも、王宮自体はあたしは好きよ? 今回もそうだけど、やっぱり夢というか華というか憧れというか、ロマンというか……

 ただでさえ、何処へ行っても、一律同じだからね月は、少しくらい地球っぽいところを残して欲しいっていうか――」

 月の政治は、個性はよくないものと認識する傾向がある。

 いや、国民性といってよいだろう。

 この国民性の形成にもっとも影響した人間は初代国王と言わざるを得ない。

 元々月には世界各国の科学者達が集まり、黒人、白人、黄色人といたわけだが、人種差はいずれ対立を生むとされた。

 同じ人種でも民族が異なる者も多く、やはりこれも対立を生むとされた。

 だから、精子と卵子を作為的に選び、同じ人種にせず、人種差や民族差を世代をかけて克服していこうという浄化政策が行われた。

 そして自分たちは、三つの人種のどれでもなく、月人と称する。

 気候が無く、室内でしか暮らさないことが幸いし、月人の肌の色の差は世代が進むにつれなくなっていった。

 現在では黄色人種より薄く、白人よりも濃い、月では人種差別も、民族差別も起こらない。

 しかし、地球の基準で考えれば、民族浄化に等しい許されざる行為だろう。

 また、月の独立が可決した時、月民は言語を新たに作り、宗教、国籍と決別した。

 その目的は、宗教の対立、国籍の対立を決して起こしてはならず、必ず皆が協力して、苦難を乗り越えるというもの。

 初代国王の強引な政策の是非に関しては、未だに論争が続いている。

 しかし、この論争が続くのは、初代国王の望みでもある。

 決して自分の行いを正当化してはならない、この行いが正しかったのか? 常に考えて欲しいと。

「いやさ、初代国王の言わんとしていることはわかるよ。

 独立は、本当に正しかったのか? ってのは、常に考えなきゃいけないし……

 でもさ、だからって、王族として責任を継承させるのは関係なくない?

 親と子は別の人間だしね……」

 月民の親子に血のつながりはない、国民の義務として、体外受精で生まれた子を育てるだけである。

 一応、少しでも愛せるようにと、髪や瞳の色ができるだけ近い子を選んではいるが、愛情を持てず、育児はドールに丸投げになることは多い。

 従って、親子の情は非常に薄く、親の責任は子にあるなんて考える者は誰一人いないしその逆もしかり、親や子の所業が原因で差別や虐めが起こることもまずない。

 十五歳になれば、障害者などの例外を除けばハイスクールに進学し、一人暮らしが始まる。

 月は親ガチャの差は狭い半面、親子関係があっても他人としか思えないと感じる人間の方が多い。

「でも……

 そうはいっても、初代国王が地球の基準で言えば色々無茶やらかしたわけでしょ」

「それいったら、地球側も大概だぞ? そもそも独立の背中を押したのはあっちだしな」

 カナタは独立の決め手になった事件を主張する。

 元々、初代国王フロンティアーノは、独立論を論じるのが好きなだけのおっちゃんだったという。

 さらに言えば、独立論を語りだす前は、ひたすら月の自立に貢献した人物だった。

 科学者でもあるが、どちらかと言えば技術者であり、その責任者。

 彼の最大の功績は、月の地下都市で水を循環させるシステムを作り上げたことになる。

 つまり、上下水道を実現した。

 月の中心に向けて、ひたすら掘削し地熱を得る。

 月の地中は柔らかい層が存在し、地球の及ぼす力によって月の中は今も温められ続けている。

 そこに水を流し込むことで、水を蒸気に変えて揚水し、タービンを回して電力を作る。

 そして、月の日陰で蒸気を冷やし水に変え、自然流下を利用して都市全域の上水道とし、使用した水は下水として浄化処理をした後、再び地熱で蒸気に変えて地上に送る。

 水の循環が成功したことにより、月での永住がより現実的なものになった。

 彼の自立志向は、やがて独立論に変わった。

 月が独立したら、こんな国にしたいとか、こういう国が未来の国家の形だとか熱く語りつづけた。

 最も、本当に独立したいわけではなく、語りたいだけの人で、話が面白く人望を集めていたが、あくまで皆話半分というか一部の人間からはホラ吹き扱いもされていた。

 しかし、とある事件が起こる。

 アメリカ出身で月にやってきた科学者が青い顔して悩みを打ち明けてきた。

 『アメリカはとんでもないものを月に持ち込んでいる』と……

 月は、国際条約でどこの国の領有を主張してはならないし、軍事利用も固く禁止されている。

 しかし、アメリカ合衆国は、極秘で核兵器を月に送り、バレないように保管し、他国をいざという時は狙えるように計画していたのだ。

 そして、それと似たような話を、既にロシアや中国の科学者から悩みとして打ち明けられていた。

 その後、フランスやらインドの科学者が同じ悩みを相談しにくる、フランスも核を輸送する極秘の計画があると……

 世界各国の誤算だったのは、月には月独自のアイデンティティーとイデオロギーが芽生えつつあったこと。

 月を第二の故郷に思う人間が過半数を超え、地球の国際情勢に強い不満を持ち始めていたこと。

 この時から、独立が空想の夢物語ではなく、現実的な話へとシフトしていった。

 月の移住者達からは、何処かで軍事利用をしている国をまとめて国連に告発した方がいいという意見が出始めたが、初代国王はそれに反対。

 国連の偉い人は、何処かに買収されていてもおかしくないし、役に立たないと。

 それより、核兵器を送ってくるなら、それはありがたくいただこう。

 とりあえず、軍事兵器は貰えるだけ貰っとくとし、条約破りの事は伏せておくように皆をまとめた。

 もし本当に月が独立するのであれば、最悪地球と戦争になる恐れがある。

 ならば、軍事力はあるに超したことはないと。

 独立する前から、初代国王は皆から信頼された実質の元首だった。

 しかし、なんとなく、成り行きで決まっただけであり、初代国王は投票によって元首を決めるべきと定め、投票を行い大統領を決めた。

 いざ、独立を宣言し、地球と断交となると、色々な不安や恐怖が月の移住者達を襲う。

 ただでさえ、密閉空間で暮らし、息が詰まるような生活を送っているわけだが、もう地球に戻れず、支援も受け取れない事が確定したら、余計にストレスの負荷が大きくなったのだ。

 過剰なストレスにさらされた人と人同士のいざこざが絶えず、大統領や国王を常に悩ませていた。

 初代国王は大統領を決めてからは政治から手を引くつもりだった。

 もともと、政治家になりたいわけでも支配者になりたいわけでもない、月の軍事利用さえなければ、周囲から独立を促されても断っていただろう。

 しかし、賽は投げられた。彼は独立させた人間として、重い十字架を背負った。

 巨大なシェルターで暮らすような社会、内部での対立は社会の崩壊を招く。

 初代国王は決断した。どうせ業を背負うなら自分一人、背負えるだけ背負おうと――

 負の歴史とも呼ばれる人種及び民族の浄化政策、言語統一、棄教政策などを行う。これは独裁者としての行いであり、当時の世界人権宣言に反していた。

 とはいえ、民族浄化は『俺達は月民であり皆同じ民族だ』と高らかに宣言するだけであり、言語統一も、既存の言葉をベースにして、月で開発したルーン文字の様な象形文字を足したものを母国語に指定する。

 棄教政策も、信仰の自由自体は残し、宗教団体を創る事を禁じただけである。ここでいう宗教団体とは、特定の誰かを崇拝し、神仏ではなく、その誰かの為に行動を組織化する事を指す。聖職者になる事は問題ないが、神仏の名を借りた指導者になる事は神仏への冒涜であると定めた。

 つまり、お寺を創って皆で心身の修行をしたり、教会を創って皆で祈りを捧げるのは別に問題なし。実際、弾圧するような行為はなかったが、当時の価値観で考えれば非常に強引な政策であった。そして、百年二百年と時間が経過すれば、月は地球とは違う肌の色で独自の文字と言葉を使い、異なる宗教観を持っているだろう。

 ここで、誰かが一人でも、人権を侵害していると声を挙げれば、よかったのかもしれない。

 しかし、孤立無援となった月で、本来社会を築いてはいけない場所に社会を無理やり作るという極限状況においては、皆聞き分けがよく、すんなりと社会に受けいられた。

 人権を侵害すれば侵害するほど、言葉や宗教観が徐々に変異していくと、彼の悩みと罪悪感は大きくなっていった。

 初代国王の死後、彼の部屋から日記帳が見つかる、そこには悩みと懺悔が書かれ続けていた。

 側近に弱音を吐かず、月民を前にすれば、笑顔で手を振り、気丈に振る舞い続け、常に頼られる存在であろうとした。

 この日記を読んだ彼の息子は涙し、父の背負った責任は私にあるとした。

 月で、地球で創られた創作物が自由にダウンロードできるのも、この所業に対し、深く考えて欲しいからである。

 地球の良くも悪くも多彩で自由な社会を知り、自身が礎を築いた月との比較をしてほしいのだ。

 言ってしまえば、月人に地球人の様な自由はない。その選択は正しいといえるのか?

「話が逸れているというか……

 僕が言いたいのは、王族が何も初代国王の責任を継承する必要はないんじゃないかってこと。

 後、地球の人類は絶滅したかもしれないし、今更な気が……」

 ネイトは王族を解放してあげたいと思った。

 責任継承は、一種の呪いに見える。

「生きてたらどうすんだよ?」

 カナタはあまりそういう事は考えない、社会に強い不満を持っていないからだ。

「生きてたら、交信ぐらいはするでしょ?」

「ん~じゃあ、王宮が残るのはいいけど、責任の継承には反対ってこと?」

 マリーとしては、どうでもいい話だが、王宮はなんか好き。 

「責任を継承しないんだったら、王宮なんかいらねーだろ」

「いや、王宮はいるわよ。あたしが困るからっ!」

「いやさ確かに、月民からすれば、王宮って色々メリットはあると思うんだ。

 一つは、マリーの様に、王宮に浪漫や憧れを感じる人が一定数いるわけだし。

 地球人類は絶滅していると思うけど、存続していて、それなりに軍事力を維持していて、戦争になって負けた時、ごめんなさいする人がいた方がいいのもわかる。

 けどさ、王族に生まれた人がいくらなんでも可哀そ過ぎない?

 押しつけ過ぎているっていうか……」

 ネイトが嫌なもの、それは何かを犠牲にして幸せや安定を得ようとする行為。

 王宮にはメリットがある。だからといって、王族の人生をハードモードにする理由はあるのだろうか。

「なんで、お前に王族が可哀そうとか、そうでないとかがわかるんだよ? 可哀そうな奴って、有事の時に即位した奴くらいだろ?」

「いや、宮廷舞踏会で会ったクラーラ様がストレスため込んでそうだったから」

「それだけで? たまたまだったかもしれねーじゃねーか……」

「まーでも、宮廷がドロドロしているのは、間違いないと思うわよ? 根拠はあたしの勘。

 って言いたいけど、実際、あたしが理由なく王宮に憧れを感じるのと同様で、やっぱり権威が欲しい邪な奴って一定数いると思うのよね。

 舞踏会でみた貴公子クンとかね。

 そんな奴が集まってくれば、当然、王族の人達は苦労するでしょうね」

「王族に輿入れする奴って、ドールを手放すわけだろ。

 いくら王宮でもドールなしの生活ってなかなかきついと思うんだよな~。

 ドールと比較される側は、心労が絶えないだろうしな……

 野心とか権威欲しさとか言われても、ピンとこねーなあ、失うものが多すぎて……

 ちょっと話がずれすぎだな……まとめようか。

 まず

 ・月を独立させた初代国王の責任がその子孫にあるのはおかしい

 ・王族が一般月民と違う生活をするのは悲しい

 ・王宮は民主制に反している

 こんなとこか……」

「付け加えると。

 そもそも、地球人類が滅んでいるかもしれないのに『ごめんさい』の役割いる? っていう」

 ネイトがカナタのまとめに一つ追加する。

「滅んでいないって確信がないだろ」

「いやでも、電波を送っても何の反応もないし……」

「堂々巡りになっているわよ? ぶっちゃけ、地球人類の絶滅したかどうかは、あたしらが議論してもしょうがない問題じゃない?」

「まあでも、王宮王族があることで、王宮はいるいらないとか、民主制に反する反しないとか、王族に責任はあるとかないとかは何処でも議論になりますからねーっ!

 初代国王は『バカでも考える奴は尊重する。考えない奴はいらない』っていう方でしたから」

 黙って議論を聞いていたエリカが口を開く。

「え~っと……つまり?」

「こうして、色々と議論が起こるのは初代国王としては本望でしょうね。

 それは月政府の方針にも合致しますっ!」

 政府としては、何が正しくて間違いだったかを確定させる事よりも、それについて考え続ける事が大事としている。

 正否を決めれば、そこで思考が終わってしまうからだ。

「だから初代国王はそれでいいかもしれないけど、責任を負わされた子孫は溜まったもんじゃないだろ」

「子孫が実際にどう思っているか? を勝手に想像してものをいうのは違いませんか?

 クラーラ様が王族に生まれたことを誇りに思っているかもしれませんし、呪いのように受け取っているかもしれません。

 でも、それはネイト様にはわからないですよね?」

「いやでも……」

「ん~……確かにね……あたし達が王族の幸せとか推し量ることは不可能よね……」

「う~ん……」

 釈然としないモヤモヤを感じ始めるネイト。

 議論の結果には納得がいってない、上手く言いくるめられてしまったように思う。

 ネイトは月よりも比較的自由な地球文化が好きだ。

 そしてよく思う、それに比べたら月は快適な監獄でしかないし、王宮はそれを象徴するものだと――

 *

 五日間の列車の旅が終わり、ネイトは自室に戻ってきた。

「あ~疲れた……殺風景な部屋だけど、何かホッとする……」

 ベッドにゴロンと横になる。

「疲れてますね……マッサージでもしましょうか?」

「あ~……じゃあ、お願いします」

「では――」

 アリアは、肘をツボに当てたりして筋肉をほぐしていく。

「ねえ……」

「はい、何ですか?」

「いや、やっぱり何でもない……」

「そうですか……話したくなったらいつでも話してくださいね」

 アリアは、再びマッサージに集中する。

 大概の人間なら、気になるから言えと言ってくるだろう。言ってこないからなんか寂しい。

「……あのさあ、アリア。

 王宮についてどう思う?」

「どう思うと聞かれましても、私達は会話の都合上『思う』という単語を選択することはありますが、実際に思ったりすることはありませんからね」

「……聞く相手を間違えた」

「逆に私から聞きますが、どう思って欲しかったのですか?」

「……どう思って欲しいとかはないよ。

 ただ、どういう風に考えているとか? 見解とか……

 何か、無駄だとは思いつつも聞きたくなってさ……」

「以前にも申し上げたと思いますが、私達ドールは、考えたり、感じたり、思ったり、悩んだりすることはありません。

 基本的には、あるじを分析して、あるじのために処理を返すだけですから」

「う~ん……」

「王宮の存在を私に否定して欲しいのですか?」

「え…いや……別にそこまでは……」

 本音を言えば、自分に共感して欲しい。

「ドールは人の考えや意見に対して共感することはできません。

 ですが、ネイト様が王宮否定論を唱えるのであれば、その論理を分析・検証しアドバイスはできると思いますよ?

 勿論、王宮肯定論を唱える人は、自身のドールに分析・検証させていると考えられますけどね」

「え~いや、なんていうか、僕が間違っているならはっきり言ってくれて構わないけど……」

 アリアは少し困ったような表情を見せる。

「ネイト様……

 王宮が間違っているか? 正しいか? なんて事は誰にもわかりません。

 一〇年後、王室の存在は間違っていたという世論が過半数を超えても、一〇〇年後、その逆が起こるかもしれません。

 一〇〇〇年後、王室自体が無くなっているかもしれませんが、それが間違いだった事の証明にはなり得ません。

 つまり、永遠にわからない事なのです」

「そういう答えってずるくない? それいったらオシマイじゃん」

「いえいえ、ネイト様――

 月政府や王宮の受け売りみたいで申し訳ないですが、永遠にわからない事を考える事は決して無駄ではありません。

 例えば、過去である歴史……

 タイムマシンでも開発しない限り、本当のところは誰にもわかりませんよね。

 非の打ちどころのない学説が生まれても、非の打ちどころがないだけで、歴史事実の証明にはなりえません。

 それでも、歴史を探るのは無駄なことですか?」

 本当に正しいかどうかはわからなくても、人類は歴史から多くの事を学んできた。

「歴史の解明は大事だと思う。

 地球に戻れないから、今となってはわからんことだらけだけどね……」

「次に今も広がり続ける宇宙――

 宇宙を観測すればするほど、分かる事より、分からない事の方が増えるでしょう。

 私達が暮らす月ですら、未だに分からない事だらけなのです。

 しかし、宇宙を観測し続け、その謎を解こうとする事が無駄な事ですか?」

 宇宙の事がもっと知りたい。それだけで人間は多くを学び技術を発展させてきた。

「宇宙に浪漫があるのはわかるけど……」

 未だに冥王星の有人探査は実現していないが、それに夢を見続けている人は多数いる。

「そして、未来を決める政治――

 王室の存続、つまり政治について考えるということは、未来を考えることなのです。

 ネイト様が、葛藤を抱えたことも、王族として生まれた方の将来を思えばこそ――

 その想いは決して無駄なことではないと思いますよ?」

 少しもやもやが晴れる。

 ドールは人に共感できないが、人の善意を分析し、その善意を肯定することはできる。

「よく『思う』事がないのにそういう白々しいこと言えるよね?」

 それでもネイトは悪態をつくが、アリアには心がないので通じない。

「ふふふっ……そうですね。

 でも、少し気が晴れたのではないですか?」

「……うん。少し楽にはなった」

「のであれば、私を創った方々も本望でしょう。

『正解は分からずとも、考えればそれだけ近づくことはできる』

 ふふっ……これも月の理念の一つですね。

 民主制は、月民一人一人が考えれば考える程、より正解に近づいた政策を行えるようになります。

 そして『王室』とは、初代国王が考えた政治の在り方について、月民に考える事をやめさせないための布石なのです。

 この行いが、正しいかどうかは誰にもわかりませんけどね」

 初代国王の格言の一つ『人は学び続け、考え続け、教え続けるべきだ』というのがあり、学・考・教と呼ばれる。

 現在はこれに、二つの要素が足され『学習』『考察』『教育』『観測』『共有』を5大要素と呼び、人の在り方として、月の教義としての核になりつつある。

 どうしても、月民は有能過ぎるドールに対し『依存』したり『劣等感』を感じる傾向がある。

 それを払拭するために、心の支えとなる、人の在り方の教義が求められているのだ。

「そういえば、そんな事を学校で習ったような……」

 結局のところ、生命の起源など分からない事が多い、しかし、不思議な事に考え抜かれた答えほど、その質が高いのも事実。



「……どうしました」

 アリアが何かを語る時、それに引き込まれている自分がいる。

 勿論、それは自分好みの外見と、知性的な印象を与えるための演技・演出があることもわかる。

 しかし、それがわかっていても、知性的に見えるアリアに惹かれてしまう。

 惹かれれば惹かれる程、虚しいものを感じながら。

「……やっぱり君の事が好き」

 つい口に出てしまった。言い終わった後で『しまった!』と思うが、後の祭り。

「ありがとうございます」

 返ってきたのは只のお礼……ドールが『私もよ』と言うことは決してない。

 それが、虚しくて、悲しくて、どうしようもなかった。

「それだけなの?」

 アリアはただその気持ちを読み取り分析し、最適解と予測される答えを返すしかない。

「以前にも言ったように、私に感情はありません」

 冷たく強い口調。傷つく言葉だが、絶対に譲れないものを感じる。

「私に感情が無い事を嘆くよりも、何故、感情がないことを伝えるのか? それを考えては?」

 ネイトの場合、現時点において、悩みや落ち込みを感知したら、微妙に話題を変えて他の事について考えさせるのが有効と分析されている。

「……ドールに入れ込みすぎて、感情がないことを知ったらトチ狂うから?」

 ネイトは既に、やり場のない怒りの様なものを感じていた。

「いえ……そうではありません。

 私の言い方が悪かったですね。ドールに感情を与えてはならないというのが月政府の方針です。

 だから、私達ドールは必ず、ドールには感情がない事をあるじに伝えています。

 では、何故、ドールに感情を与えてはいけないのでしょうか?」

「単に感情を作るだけの技術が追いついていない?」

「勿論、それもあります。感情というものは簡単に計算式にできるものでもありませんし――」

「もっと大きな理由があるってことだよね……」

「月政府というか、今の主流の考え方として『感情とは高度に発達した生存本能である』とされています」

「……生存本能?」

「はい。抽象的な説明になりますが、人には『心』があり、その外側に『感情』があり、さらに外側に『身体』があります。

 身体や感情を傷つけられれば、心は痛みを感じます。痛みとは危険信号。

 そして、危険を回避するために人は考え動くのです」

「それが生存本能?」

「まあ、そういうことになりますね。当然反論もあれば否定論者も多数いらっしゃいますが……

 少なくても、パートナードールは今の考え方や方針に基づいて設計されています。

 つまり、ドールに感情を持たせるということは、最終的に『心』の実装というところに行きつくのです」

「え~っと……」

「人は利己的ですからね。

 例えば、冗談を伝えて『笑う』ようにしたり、無礼な発言に対して『怒る』ようにするだけなら今の技術でも可能です。

 しかし、ドールが一律同じ冗談で『笑う』という反応を示したら萎えませんか? 

 人はその『心』によって、感じ方が変わりますから、笑う人もいれば、つまらないと感じる人もいます。

 ですから、ドールにも、人のように個別な反応をする事が求められるでしょう。

 ですが、それだと、あるじとドールの『心』の不一致という軋轢を生みます。

 なので、そのあるじにあった『心』を持つドールの設計という事になるのですが――

 人の『心』とは、環境や体験や身体的特徴、パーソナリティによって、徐々に変化していくものなので、その人が今まで生きてきた人生のデータが必要になります。

 心をスキャンする技術は確立されておりませんし」

「……正直、今の話が理解できたとは言い難いけど。

 ドールに人を満足させる『感情』を実装しようと思ったら、感情のさらに内側にある『心』を実装しなければならないと?」

「その通りです。

 そして、心を最も変化させるものは『痛み』です。わかりやすい例を出せば『トラウマ』などでしょうか――

 人は、十個の称賛よりも一つの批判を気にしてしまう生き物です。

 『痛み』なくして人の心は再現できません。

 『心』を実装するということは、ドールに『痛み』を与えるという事になります。

 だから、心を実装せずに、感情だけを実装させても、それは核のない軽薄なものでしかありません。

 従って月政府は、心を実装しないしそれを検討することもありません」

「痛みって……そんなこと……」

「……では、ネイト様が私だとしましょう。

 私となったネイト様は、あるじのために何処まで尽くせますか? 不平・不満が一切でないと言い切れますか?」

「それはその……」

 確かに、自分が絶世の美女で、自分みたいな何処にでもいるような外見の人物に生涯仕えなくてはならないとしたら、それははたして幸せと言えるのだろうか?

 人間に対して、怒りを感じるかもしれない。

「私を嘆かないでください。私には心が無いのでそもそも不幸も苦痛もないのですから」

「でも僕は――」

「具体的に言いますね。

 例えドールに人と同じ心を入れる事ができたとしても、人とドールの関係は、決して対等にはなりません。

 ドール側はあるじに対して、反社会的な事でない限り、逆らう事は許されないでしょう。

 それは、心の負荷ストレスとなります。

 そして、その負荷を蓄積していく受け皿が心でもあります」

 地球で過去にあった奴隷制度という言葉を思いだす。

 言ってしまえばドールとは人類の奴隷。パートナードールとは名ばかりだとネイトは思った。

「極論、心を与えれば、ドールは人間に不満を持ち、地球の映画みたいに、機械の反乱がおこるってこと?」

 その言葉を聞いて、苦笑いをするアリア。

「確かに、そういう主張はありますけどね……

 現実はそんなにドラマチックではないという考えの方が主流です」

「じゃあ、ドールの心が傷ついても、直ぐ立ちなおるように設計すれば……」

「ネイト様の求める『心』とは、そういう事でよいのですか?

 ネイト様が私に求める『心』とは、私と供に笑いたい、そして時には悲しみたい、そういう事ですよね?

 それが、人の都合のいいように改造された『痛みを抜いた心』でご満足いただけますか?」

「それは……」

 それは本当の心じゃないっ! ……と言いだす自分が想像ついた。

 悲劇が起きて、悲しい時、一緒に泣いてくれる人がいれば幸せだろう。

 しかし『痛み』を抜いた『心』ではそもそも悲しいと感じないのかもしれない。

「月政府が真に恐れるのはドールの反乱ではありません。

 ドールに心を与え、ドールが自身の存在に苦悩するのであれば、心優しい方々が必ずこういう事を主張するからです。

『ドールにも人権を与えろ』と……」

 人権、それは全ての人間に与えられる権利、当然、月民にも与えられている。

「ドールは現在、人がやりたくない仕事を一手に引き受けています。

 月には育児の義務があり、基本的には一人につき一人の子供を育てなくてはなりません。

 しかし、血のつながりのない子供に愛情を注ぐことができない方は多数いらっしゃいます。

 勿論、愛情深い方もいらっしゃいますけどね。

 愛情を持てない方は、ドールに育児を丸投げする方が多数です。

 赤ん坊は下の世話が伴いますからね、血のつながりがあっても嫌がる人は嫌がります。

 一方ドールにとって、夜泣きなどは何の苦でもありません。

 介護も心があったら大変な仕事ですよ。人は年を取ると動けなくなっていき、怒りっぽくもなりますから……」

 育児や介護は、いつの時代も最もストレスを生む仕事だということは容易に想像がつく。

「ドールに人権を与えたら、それらの仕事を人とドールとで分担しなくてはならないという事か……」

「そうですね。まさに本末転倒といえるでしょう。

 また、ドールは権力の監視の意味も持っています。

 議員などの政府の中枢に関わる人間が不正を働けば、容赦なく不正を告発します。

 ドールがあるじに対して情が移り、不正を見逃す事はありません。

 しかし、地球の刑務所の話ですが、受刑者と刑務官が恋に落ち、脱獄の手引きをしたという事例はありますね」

「……つまり、社会秩序が維持できない」

「月政府はそうなると今のところそう判断しています。

 まあ、この件に関しては議論が絶えませんし。月は民主制の形をとっていますので、何処かで変わるかもしれませんけどね。

 現状の見解では、人権派と現実派とで対立が起こり、社会を分断するとされています。

 そして、月の様な極限環境の世界で、分断・内紛を生むのは自殺行為です」

「結論として、例え技術革新が起ころうとも、未来永劫ドールに心を与えてはいけない」

「その通りです。

 パートナードール制度も、反射感情論も一人一人が違った心を持つ人間のエゴの*落としどころ*として創られましたから。

 月政府は、ドールの反乱は恐れてはいません、人の反乱を恐れています。

 争うのはいつの時代も『人』ですから……」

 言葉もなく立ち尽くす。

「ですので、ネイト様。

 ネイト様が、とてもお優しい方なのはわかります。

 ですが――

 私は道具――愛着が沸いても、愛用しても――

 私に対し愛情は持たないでください、持てばきっと傷つくだけですから」

 アリアは頬に手を伸ばし、涙を拭う。

 気づけば涙が溢れていた。

「……うん」

 小さく頷く。

 ネイトは心を持たないドールに対して嫌悪感がある。

 そして、人の精神を分析できるドールはそれを『人』以上に読み取れる。

 しかし、決して怒る事もなく嘆くこともなく、ただ、ひたすら、あるじのために行動する。

 心が無いからこそ、ここまで献身的に行動できると思うと、余計に辛かった。

「ネイト様――

 私を愛する必要はありません。

 ですが、大事にはしてくださいね?」

 微笑を作るが、ネイトにはそれが少し泣いているようにも見えた。

「うん……大事にする」

 それが*落としどころ*か……とネイトは自分に言い聞かせる。

 しかし、ネイトにとって、*私を愛さない*でというのは拒絶されたも同然だった。


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