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パートナードール  作者: SFX
7/14

地球探査

 西暦二三〇五年九月十三日午前八時――

 地球に降り立ってから、一日が経過。

 ネイトが朝、目を覚ますと、テントの中にアリアはいなかった。

「……アリア!?」

 不安に駆られ、テントを出ようとするが防護服を着ていない。

 防護服は一人では着る事もできない服である。

 冷静であれば、防護服なしでテントを出るという愚かな行動はしないが、今のネイトはパニック状態に近く、強引にテントを開けようとしたその時――

「ネイト様!」

 テントの外から、叱責するような声が聞こえた。

「アリア、一体どこいってたっ!」

 恐怖を誤魔化すため怒鳴り散らす。

「ネイト様が起きるまでの間、少し調査をしておりました」

 アリアがテントを開け中に入ってくる。外の空気が入り込むが、多少なら問題はない。

 別に、テントの外に出たからといって、直ぐに毒が回って死ぬようなことはないし、まず、最初に目や喉に痛みを感じ始め、気分が悪くなる程度である。

「そ…そう……朝起きたらいないからさ……」

「申し訳ございません」

 ネイトのパニック反応は、アリアの予測を大きく超えていた。

 アリアはネイトから離れた場所にいても、防護服を着ていなくても、心音などを常に分析している。

 起きれば起きたと分かるし、呼吸が乱れれば何かあったと気づける。

 当然、今回、アリアがいないことで軽いパニックを起こした事も直ぐに感知し、即座にテントに引き返していた。

「……それで、いつ出発する?」

「朝食を食べてからと言いたいところですが……

 ネイト様のお顔の色が優れませんね……今日は休みますか?」

「このままテントに一日中いるってことか?」

「はい……というよりも、実際問題動けますか?」

 ネイトは全身筋肉痛である。精神状態を言えば、防護服を着たくはなく見るのも嫌。

 ただでさえ、重力に苦しめられているのに重さが二五キロもあり、着るにはアリアに手伝って貰わないといけないし、手際のいいドールを用いても着衣に一五分はかかってしまう。

 股間の部分を装着するのは羞恥プレイでもあった。

「いやその……」

 しかし、探査で地球に着ており、時間は限られている。二日目でいきなり休むというのも情けない話だ。

「調査は私が行います。このテントの周辺を散歩するだけですから……

 ロケット発射台や街にいっても、収穫がある可能性は低いですし、急ぐ必要はないかと」

 昨日の調査状況からして、街がまともに機能している事はないだろう。

 慌てていく必要はないかもしれない。

「わかったよ……今日は一日ここで休む……」

 アリアは固形物の食料をネイトに渡し、テントを後にする。

 一人になると、再び不安に襲われた。

「早く戻ってこいよ……」

 泣きはしないものの、毛布をひっかぶって横になった。

 筋肉痛のせいで、寝返りをうつのも辛い。

「ネイト様……」

 テントの外からアリアの声がする。

「うわっ! なんだよ? 調査に行ったんじゃなかったの?」

「いえ……ネイト様の精神状態を考えると、とても一人にさせられる状況ではないかと」

 再び中に入ってくる。

 内心は戻ってきてくれて嬉しいが、同時に恥ずかしくもあり、頬が赤くなった。

「ふふっ……恥ずかしがらなくてもいいのですよ?」

「別に恥ずかしがってないよっ!」

「クスッ……

 私は、てっきり普段『心の無いドールなんて!』という考えを持っているのに、そのドールが傍にいることで安心してしまう自分を恥じているかと思いました。

 違うのであれば、再び調査に戻りますが? 本当にそれでよろしいのですか?」

 相変わらずからかってくる。

 虚勢を張る事は、ドールの目に対し、何の意味もなさない。

「それはその……その通りです……行かないで……」

 意地を張らずに素直に認めた。その目は涙ぐんでいる。

「わかりました、では今日はここにいましょう」

「ごめん……」

 恐怖もさることながら、悔しさも大きかった。

 地球探査という大業に関わりながら、自身の無能ぶりのせいで、有能な探査機の足を引っ張っている。

「謝ることではないですよ? 私はネイト様のドールなのですから」

 いつもながらに微笑を作った。

「……僕が寝ている間は、ずっと外に出てたの?」

「ずっとではないですが、まあ、それなりに調査はしておりましたね」

「気を紛らわしたいし、分かったことがあったら教えてくれる?」

「未だ哺乳類や鳥類などは未確認ですね……

 人の痕跡も見つけられておりません……」

 本当にこれからの地球は昆虫が支配者となるのだろうか?

「何も進展はないって事か……」

「ネイト様的にはそうなってしまいますが……

 しかし、月は今、初の地球有人探査で大騒ぎですよ?」

「そうなのっ?」

「私には月の情報が手に入りますからね……

 実は昨日の夜に、初めて情報を送ったのですが、早速、テレビで放映されてました。

 視聴率なんと四〇%越えですねっ!」

 子供の様に嬉々として語ってくる。

「四十って……んなバカな……MGT決勝の二倍だと?」

 月では視聴率が一〇%を超える番組は大人気番組で高視聴率と呼ばれ、月で二〇%を超える番組は『ムーンズ・ゴット・タレント(略称MGT)』の決勝戦だけである。

 ネイト自身、テレビは殆ど観ないし、気になるニュースは全てアリアに要約させていた。

「月民は基本的に退屈していますからね……」

 そう言われると説得力を感じる。

 ネイトも月を監獄のように思っているからだ。

「でも、得られた情報って殺風景な荒野だけだろ? 生き物も碌に見つかってないし……」

 ネイトは今のところ延々と広がる荒野と朽ちた町しか見ていない。

「いえいえ、ネイト様はよく仰っていたではありませんか。

 月の風景なんて、黒い星空と、灰色の大地だけで、何処へいっても面白くないと……

 地味な荒野の風景画像であっても、退屈している月民からしたら興奮モノですよ?」

「そうなんだ……」

 月政府は、太陽系の惑星やその衛星に探査機を送ったりはしている。

 金星、火星、エウロパ、タイタン、頑張れば居住できそうな星だが、送られてきた映像がTVで放送されても高視聴率を取ったりはしない。生命はそれだけ偉大ということなのだろうか。

「画像に限らず、分析した音や匂い、そして味までをデータとして送ってますから、SNSも色々と活発になってますね。

 カナブンの味データから、同じような味を作ったり、食感を近づけたりなどしている人もいます」

 月には食べられる物質を扱う食用3Dプリンターもある。これを使えば、食べられるカナブンをプリントアウトできたりもする。

「うげっ……アリア……いや、何でもない」

 ネイト的には自分のドールに、ゲテモノ喰いみたいなイメージはついて欲しくない。

 しかし、やるなっ! というのも恥ずかしい……

「それに私が地球で活動しているだけで、ドール開発者達からすれば、貴重なデータが得られます。

 バーチャルアースのエンジニア達も当然ですが、皆私達の送る情報に釘付けですよ」

「それはまあ、そうだろうけど……」

 バーチャルアースとは月にある人気オンラインソフトで仮想空間に地球を再現しそれを体験するというもの。

「これが何なのか、知ってますか?」

 野球で使う木製のバットとボールを見せる。

「……野球のバットとボールだよね?」

 どう考えても地球探査に不要な物、そして月では驚く程スポーツが流行らない。

 これは重力が六分の一だからというのが通説で、地球のスポーツ映像と比較するとどうしてもしょぼいし、地球の記録を更新することができないからと言われている。

 唯一、月で根強く流行るのはウインドスポーツで、月の重力は地球の六分の一で、気圧が地球と同等となれば、簡単に空を飛ぶことができるから。

 なので、ネイトは野球を知っていても、やったこともなければ観戦したこともない。

「そうです。私にはメジャーリーガーのピッチングやバッティングを再現できる技能ソフトがインストールされていますが、実際に再現できているかどうかは長年の疑問だったわけです。

 単純に重力が違いますからね。

 ですから、地球に降り立った以上、本当に再現できているか検証していたわけです」

「……結果は?」

 アリアは得意げに笑うとVサインをした。

「勿論成功です!

 後、スリーマイケルを達成しました。

 ふふっ! 技能ソフト開発者の方々によるSNSでの興奮した書き込みが多数観測されましたよ」

「スリーマイケルって何?」

「マイケルジャクソン様、マイケルジョーダン様、マイクタイソン様の事ですが」

 伝説のボクサー・マイクタイソンの本名はマイケル・ジェラルド・タイソン。

「知らないよっ!」 

 正直、あまり興味の無い分野で、よくわからないし嬉しくもない。

 その感情を読み取ったのか、今度はシャドウボクシングや踊ったり、バスケのシュートを放つ動きをしてみせる。洗練された機敏な動きは伝わってきた。

 しかし、ネイトはスポーツに興味がない。

 月でも一応ボクシングやバスケを嗜む人もいるにはいるが、やはり重さが無いせいか、迫力にかけるというか、コレジャナイ感が強く人気が出ない。

「今のがスリーマイケルの動きを再現した動作です」

「いや、そういうことじゃなくて……」

 アリアはネイトが眠った後、夜中、バッティングをしたりボールを投げたり、シャドウボクシングをしていたわけだ。その絵面を想像すると、奇行でしかない。

 人間として見立てれば、関わっちゃいけない人の類である。

 それをアリアの姿、つまり自分の理想とする異性の姿でして欲しくなかった。

「あいつら……僕のドールに変な事させやがって……」

 月にはアスリートの映像が残っているため、マニアックな人は地球のアスリートを信奉し、それをドールで再現するために人生を捧げている。

「申し訳ございません。このような検証は不愉快でしたか……」

 そもそも、ネイトがアリアの書いた地球探査計画書にきちんと目を通し、嫌なもの嫌とダメ出ししていればこんな問題は起こらない。長文嫌いと地球に行ければ何でもいいという態度を取り続けた結果である。

 ネイト自身もそれはわかっていて、それだけにモヤモヤしていた。

 アリアにはネイトのモヤモヤしているのは読み取れても、その原因までは予測つかない。

「ではネイト様には地球のスポーツで何か好きなものはありますか?」

 可能性としては限りなく低いとしても、予測がつかない以上質問を重ねていくしかない。

「……いや、そういうことじゃないから」

「では技能ソフト検証は白紙にしますか?」

「え?」

「この探査の計画書は私が書きましたが、責任者は勿論ネイト様で私のあるじです。

 計画通りに何が何でも進めなければいけないというものでもありませんし、嫌なら嫌と言っていいのですよ?

地球に降り立つ前に嫌と言えば、計画が頓挫する恐れがありましたが、もうここにいるわけですからね」

「……いやその」

 アリアには感情が無いので、計画を白紙にしようが、ダメ出ししようが、それを気に病むような事は決してない。

 しかし、それをしてしまうと、自分が約束を反故にする嫌な奴でしかないだろう。

「クスッ……」

 葛藤を抱えるネイトに対して一笑する。

 嘲笑するのではなく、悩みを少しでも払拭させるための優しい笑い。

「申し訳ございません。質問攻めにしてしまい。先に結果をお伝えしますね。

 技能ソフト検証により、殆どの技能が地球で行っても同様に再現できるだろうという結果をもたらしました。

 ドール開発者としては、自分たちの制作したものに間違いはなかったとして大喜びです。

 また、私がスポーツを再現したことで、ヴァーチャルアースのエンジニア達もまた、仮想地球でのスポーツ再現に力を入れる動きが出始めております。

 月にとって良いムーブメントを起こした事は間違いありません」

 人気ゲームヴァーチャルアースのエンジニアもドール開発者も月では一二を争う大人気職業。

 その憧れの人達を釘付けにしているという話は少し気分を高揚させる。

「……ひょっとして、僕ってヒーローなのか?」

「ええ、ヒーローになり得ると思いますよ」

 アリアの言い回しが微妙なのには理由がある。

 それは、ヒーローと月民から思われているのはアリアの方であってネイトではないからだ。

 不特定多数の月民は、ネイトをアリアのおまけとしか思っておらず、探査の足を引っ張る不満の種だった。

 ……なんでこんなのが地球に? が月民の主な反応である。

 片道切符の地球探査を強行する人間など、肝の据わった大胆不敵のダンディズムだと勝手に思われていた。

 それこそ今回の会話を聞けば、苛立つ月民も増えるだろう。

 しかし、ドールはあるじの歩く後をついていく存在、外野の反応はどうでもいい。

「何か言い回しが引っかかるけど……後は?」

「後はそうですね……

 あれからさらに数十種の昆虫と数十種の植物を発見できたことでしょうか?

 とりあえず、食用になるものが見つかったのは大きいかと。

 昆虫ですが、味がエビに似たものもあり、慣れればなんとかなるかと、試しに食べてみますか?」

「いやいい……」

「しかし、ネイト様、いずれ携帯食料も尽きるのですよ?

 虫の取り方や調理方法を確立しておくことは無駄ではないかと」

「僕にサバイバルしろって?」

「私にはサバイバルの知識と技能がインストールされておりますし、それをネイト様に教える事ができます。

 もっとも、情報が百年前なのでアップデートしていく必要がありますが」

「やに決まっているだろっ! サバイバルなんてっ! 先に言っておくけど虫なんておぞましいもの食べないからな」

「では、食料が尽きたらどうするつもりなのですか?」

「そ…それは……別に無理に生きなくたって……」

 元々、地球に永住するつもりできたわけではない。ネイトにとって地球探査は自殺に近かった。

「ネイト様、申し訳ございませんが、その事に関しては容認できません。

 ドールは自殺幇助を許容できないのです。

 私は、自殺の手助けをするために地球に来たわけではありませんよ」

「それは、わかってる……」

 アリアはそれ以上は何も言わず、ネイトをそっとしておいた。

 *

 西暦二三〇五年九月十三日午後一時――

 アリアとの会話が気まずくなり途絶えてしまうと、今度は次第に退屈になってきた。

 テントの中でやれることは殆どない。疲労が回復したとは言い切れないが、退屈は疲労よりも苦痛なのも事実。

「やっぱり進もうか……」

「かしこまりました」

 アリアは防護服の用意を始めるが、ネイトはこの防護服が好きになれない。

 この防護服は、月の最先端技術が使われた代物ではあるが、着て気持ちのいいものではないし、重いし、動きやすいとは言い難い。

「……防護服って着ないとダメ?」

「着た方が良いですね。

 ここは人類の故郷の地球ですし、無防備で外に出たからといって別に死ぬわけではありません。

 とはいえ、大気を分析する限り、きっとダストアレルギーの様な症状が出て辛いと思いますよ?」

 ダストアレルギーの主な症状は、くしゃみ、鼻みず、鼻づまり、目のかゆみや痛み、皮膚の炎症・かゆみ、肌の乾燥、喘息や咳などである。

「……試しに出させてよ」

「ネイト様……私が一番恐れているのは、病気にかかる事です。

 私には医学のデータや技能が詰まっており、医療物資も持ってきておりますが、未知の変異ウイルスなどには対応できない可能性があります」

「……あるじに逆らうの?」

 基本的にドールは、あるじに対して服従する存在。それは強制されると弱い事を意味していた。

「……わかりました。

 しかし、異常を感知すれば中止となりますからね?」

「……わかったよ」

「しかし、ネイト様。

 防護服を着ないということは、ネイト様の体内の水を大気に放出することを意味しますがよろしいのですか?」

「……ん?」

「防護服は汗や尿を吸い取り、浄化して水にします。

 つまり、防護服を着ないで外へ出るということは、飲み水の消費が格段に速くなりますよ?」

「……つってもさ。

 結局、防護服を着ていたって、いつかは使えなくなるわけだろ……」

 防護服の循環装置にも限界はある。

 月面活動する時の宇宙服にも同じものが使われているが、基本的には一回使ったら一回メンテナンスしている。メンテンス用の設備が無い以上、寿命は早い。

「それはまあ……」

「なら、今日は着ない……」

「わかりました。では支度をします。

 テントをたたみますので、ネイト様は外に出てください」

 ネイトは言われるがまま、外に出た。初めて肌に触れる自然の風と太陽の光。

 アリアはたたむより前に片付けを始める。携帯食料や救急箱などを整理してバッグに詰めていると、ネイトが顔をだした。

「……今日はさ、テントはたたまずにこの周辺を散策するってのはどう?

 バギーで移動よりも、自分の足で荒野をかけてみたい気分なんだけど」

 日の光が気持ちよかったのに煽られたのか、少年のような目をしている。

「ネイト様がそれでよければ私としてはそれに従いますが、推奨はできません」

 観客である月民からすれば、こんな行動は溜まったもんではない。

 効率よく、探査ミッションを勧めて欲しいと思うだろう。

 しかし、ネイトは基本的には命を捨ててここにきており、行動に関してネイトの自由と責任が認められている。

 そして、アリアは諫める事はできても、力づくで止める事はできない。

「よし、じゃあ今日はこのままで行こうか」

 ネイトは軽装で外に飛び出した。

 生まれて初めて触れる自然の風は心地よく、気分は高揚し、少年のように意味もなく走り回ったが、それだけじゃ流石に飽きる。

 持ち込んだボールとバットを使って何かできないかを考えるが、グローブは持ってきていないし、やれる事はあまりなかった。

 折角なので一六〇キロ超えのピッチングを見せて貰ったが、野球を知らないので何が凄いのかわからない。

 変化球はちょっと面白かったが、それも直ぐに飽きた。

「結局は暇だな……」

 *

 西暦二三〇五年九月十五日午前八時――

「ご気分は?」

「ごほっ……大分マシになった……」

 咳をしながら答えるので説得力がない。

 ネイトは防護服なしで外に出た結果、ウイルスに感染し風邪をひいた。

 現在は療養中で、毛布にくるまって横になっている。

「防護服って……凄かったんだな……」

 防護服なしの外は、想像以上に暑かったが、乾燥している空気のため汗を殆どかかなかった。

 これが、高温多湿であれば、蒸し暑さに直ぐに根を上げ、防護服を着たかもしれない。

 その結果、一時間が経過する頃には、目や喉が痛くなり、咳込むようになった。

「ふふっ……お分かりいただけましたか。

 軽量化など、課題は色々とありますけどね」

「くそっ……貴重な時間をこんなところで足止めくらうなんて……」

「そんなに自分を責めないでください。焦る必要はないと思いますよ?」

 この優しさが気に障る。ネイトは開き直った。

「アリアはさ、こうなる事がわかっていたんだよね?

 どうして、止めなかったの? 水を随分無駄にしたよね?」

 汗をかかないといっても、体内の水分は確実に蒸発しており、荒野では水分補給が欠かせない。

 防護服を着ていれば、汗や尿から水だけを取り出す機能もついているので、飲み水がかなり長持ちする。

 そういう意味でも、服無しで外出するなどは論外であるといえた。

「勿論、ネイト様の意志を尊重したというのがあります。

 第二に防護服無しで、地球の大気に触れてどういう症状が出るか? これを知ることも第一歩かと。

 こうして地球に降り立った以上、第二第三のネイト様が現れるでしょうし。

 防護服なしで外に出たからといって直ぐに死ぬわけでもないですからね。

 未知の病気にかからない限りは――」


「風邪でよかったよ……」

「風邪を甘く見る事はやめた方がいいですが、症状は回復に向かっています。

 一安心ですね。明日には再開できるでしょう」

「二日も無駄にするなんて……」

 月では現在、科学者達が地球の情報を生唾を飲みながら待っている。無駄な行動はせっかちな月民からは非難を受けるだろうし、少し負い目を感じてもいた。

「別に*無駄*ではないかと……」

「慰めはいらない……」

「慰めではありませんよ。微生物学者の皆様や医学関係者はネイト様が風邪をひいて喜んでおりますし……」

 勿論、月民の大多数が現在、地球や人類がどうなっているのか? に注目している。

 しかし、単純に地球の情報だけにとどまらず、現在の地球に降り立った人間にどのような影響があるのか? に注目している人間も当然いる。

「……なんだって?」

 人が風邪をひいて喜ぶという連中に釈然としないものを感じた。

「驚くような事ですか?

 それに、地球人類が絶滅しているのであれば、再び地球に降り立ち、テラフォーミングを行うという話も現実味を帯びてきます」

 一応、アリアが防護服を着ないで外出することを認めたのには他にも理由があった。

 それは、ネイトに免疫を獲得させるのも選択肢としてはアリと判断しているからだ。

 いずれ、防護服もテントにある携帯生命維持装置も使えなくなる。

 地球で生きていくなら免疫獲得は必須。

「テラフォーミングって……地球で暮らすなら、そりゃいつまでも防護服を着ているわけにはいかないだろうけど……」

「ネイトが風邪で足止めを食らう事は、多くの大衆には『なにやってんだ』と批判されていますが、地球に入植を視野に入れている人達からは興味深いデータが得られたとして『よくやった! これからも感染しろっ!』とネイト様の自主的人体実験を歓迎されております」

「僕が奇人変人に聞こえるような言い方やめてもらえるっ!?」 

「私は、ネイト様の*奇行*を地球探査に尽力していただいた頭の堅い方達に説明させねばなりません。

 『今後のテラフォーミングを視野に入れるのであれば、早期に大気による人体への影響を観測した方がよりよい結果を得られます』と説得するのと『ネイト様が少年の様に外を走り回りたがっているので自由にさせます』と説明するのだったら、後者の方が良いということですか?」

「うっ……それはその……」

 勿論、今のは建前である。

 アリアとしては、生命維持設備や医療物資が尽きてから、外の空気を吸って右往左往するよりも、色々と設備が揃っている時に、空気を吸わせて様子を見た方が、リスクは伴うものの長期的には暮らしが安定すると判断したからだ。

 これがもし、テラフォーミングの礎や月の科学の発展にはなるような事でも、高確率で死ぬようなネイトの危険があまりに高い事であればアリアは力づくでも止める。

 勿論、ネイトのあるじという立場を利用したゴリ押しが一番ウェイトを占めているが。

「しかし……」

 ネイトは寝ころんだ状態で、テント内を見渡す。寝込んでいるうちに随分と様変わりしていた。

 なんというか、野戦病院というか簡易ラボのようだ。

「ああ……ネイト様が寝込んで移動できなくても私は動けますからね……

 色々とやれることは……

 あっ! 心配なさらずとも技能検証はしておりませんよ?」

「べ…別に……心配なんかしてないし……それで何をしてたの?」

 誤魔化したが、正直に話をすれば『アリアは僕にとって絶世の美女なのだから、生きた虫をそのまま食べたり、夜中に真っ暗な荒野で素振りをしたりシャドウボクシングのような奇行をして欲しくない』と言いたい。

 しかし、それを言うのにはいろんな意味で抵抗がある。

「まあ、主にはウイルスの調査ですね。

 後、採取した土の中にいる微生物を調べたりもしていました」

 アリアが月から持ち込んだものとして、小型の電子顕微鏡がある。

 ネイトが感染したウイルスの画像も、早速電子顕微鏡で捉えてその画像を月に送っていた。

「他は?」

「ミッキーマウスの大地上絵を描いたり……」

 ネイトの眉がピクンと跳ねる。奇行の香りを感じる。

 スリーマイケルについては詳しく知らないが、かつてミッキーマウスというキャラクターやイラストが在った事は知っている。そしてそのイラストをうっかり落書きしてしまうと呪いが降りかかるという怪談もあった。

「あ……不愉快でしたか? でも凄い事なんですよ? 望遠鏡ではっきりとミッキーマウスが描けているのが確認できましたし」

「あいつら……アリアを使って地球をキャンバスにお絵描きしたいだけだろ……

ふざけやがって……」

「次はピカチュウを描くように要望を受けておりますが……」

「却下」

「かしこまりました。

 子供達が泣くかもしれませんが、ネイト様の命令には逆らえませんね……」

 ボソリと聞こえるように呟くアリア。

「それを先に言えよっ! 子供達からの要望だったの?」

「ええまあ……ミッキーにピカチュウのお絵かきなんて子供の要望に決まっているじゃないですか」

「支援者の中に、変なのがいるのかと思った……」

「では、地上絵を描くのはアリという事でよいですか?」

「子供の要望ならね……支援者のじじーの要望だったら却下してね。不愉快だから」

 アリアは苦笑いで返事をした。

「しかし……随分と飲み水を無駄にしてしまった……」


「それも大丈夫ですよ。これを見つけましたから」

 アリアは何処か嬉しそうに身を屈めると、トゲのついた緑色の物体を差し出した。

 荒野に生息し棘を持つ植物。

「……これってもしかしてサボテン?」

 ネイトは実物を見るのは初めてである。

 月には、いくつか、地球の生態系を再現しようとしている施設があり、サボテンも栽培はされている。

「ええ、新種ではありませんが、絶滅しなかったようですね。

 群生地も見つけました。私達にとって大きな発見です」

 見つけたといっても、月から望遠鏡で事前に群生地の場所は確認済みで知らないのはネイトだけ。

「……えっとこれが? なんなの?」

 嬉々としてサボテンを見せられても意図がわからない。

「ふふっ……」

 微笑を浮かべると、手慣れた感じで、小さなハサミでサボテンの棘を処理していく。

「これはノパルもしくはオプンティアといって、食用できるサボテンです。

 一口かじりましたが、全く問題ありません。

 サボテンは水分を多く含みますし、失った水をそこまで気にする必要はないかと」

 ノパルとは、古代アステカの頃から日常的に食べられており、メキシコ全土でも普通に食用されているサボテンである。一応、月でも栽培されているが、人気が無いのか出回ってはいない。

 しかし、この一件で月での人気と需要は爆発的に増えるだろう。

「へぇ~……」

 感心はしても、食べたいとは思わない。

 そんなネイトの気持ちを他所に、トゲをハサミで処理した後、適当な大きさにノバルをサバイバル用のナイフでカットしていった。

 飯盒に入れ加熱する。加熱すれば水分が蒸発してしまうが、テント内で携帯生命維持装置が動いている間は、湯気などは吸収され、飲み水として再利用できるので問題はない。

「はい、あ~ん!」

 アリアは口を開けるように促してくる。

 見たところ、味付けを一切していないので、旨いわけがない。

「いやいいよ……食欲ないし……固形食糧があるならそれで……」

「固形食糧は真空パックされておりますし、保存がききます。

 しかし、採取したノパルは腐ってしまいます。

 貴重な食料を無駄にするつもりですか?」

 急にブチ込んでくる正論。月社会は食品に関しては徹底的で無駄に厳しい。

 特に食品ロスは罰則こそないが、まるで宗教の大罪の様に扱われている。

「でも、加熱しただけだよね? それって美味しいの?」

「別に美味しくはないですよ。ただ摂取しないと長生きできません。

 好き嫌いを言っていないで、ちゃんと食べなきゃダメですよ?」

 優しい感じだが、子供をあやす様な口調でもあり、若干バカにされているようにも感じる。

「……いやでもその」

「いいですか?

 ノパルにはカルシウムやカリウムなどの豊富なミネラルと十七種のアミノ酸、ビタミンC、B、B2などの身体に必要な栄養素もバランス良く含み、さらに水溶性食物繊維とリグニンという不溶性食物繊維の両方の食物繊維が含まれることによる整腸作用や、食事中に摂取した余分な脂肪分の排出、さらには強い満腹感があるのに加えて低カロリーなのですよ?

 そして〝核の冬〟をも耐えしのいだこのノパルを無駄にすると?」

 科学的な知識とメリットを提示して説得を試みるというよりもたたみかけてきた。

「でも、群生していたんだよね? 少しくらい粗末にしても……」

 その時、アリアの表情が変わった。目が鋭くなり、少し怖いものを感じる。

「……食べないんですね?」

 まるで、最後通告のように聞いてくる。断ったら射殺されそうな勢いだ。

「い…いや~、その食べたくはないな……」

 言葉遣いに素が出てしまうネイト。

「ネイト様、好き嫌いや食わず嫌いはよくありませんよ?

 あまり、こういう事は言うべきではないですが、ドールとしての役割について話す必要がありそうですね」

「役割?」

「〝しつけ〟です」

 それはぞっとする程、低い声だった。

「いやいや、ドールが人を躾るの? それっておかしくない?」

 人としてのプライドを傷つけられたような気分になるネイト。

「教育は人が人に行うものですが、それ以前のしつけはドールが行うものです。

 甘い言葉ばかりでは人は図に乗りますし、ごねたり泣いたりする子に根負けしてしまう親も多数いらっしゃいます。

 つまり、ゴネ得を狙うような我儘な悪い子には、何の情も持たないドールが適任なのです」

 ごね得とは、ひたすらごねて粘って、相手を根負けさせて、自分の我儘を通すという行為である。

 子供は得てして、こういう行動を取りがちだが、自己愛性の高い人間は大人になってもそれを行い、嘆かわしい世の中を作る。

 厄介なのは、我儘と有能無能は別問題という事実であり、有能で我儘な人間は得てして独裁的で、たびたび社会に対し悲劇を呼んだ。

 そして、感情を持たないドールは我儘の天敵といえる。

「ごね得ってなんだよっ! 人を駄々っ子のように言うなっ!」

「駄々っ子にしか見えませんが?

 いいですかネイト様、しつけのなってない人間程、たちの悪いものはこの世にありません。

 そういう人間が頭だけはよかったり、または大きな権力を手にすることで暗黒時代が築かれてしまうのです」

「人を独裁者みたいに言いやがってっ! たかが、サボテンを食わないだけじゃないかっ!

 撤回を要求するっ!」

「食べ物を粗末にするは月民の恥」

「口に気をつけろっ! 僕を誰だと思っている! 撤回を要求するぅっ!」

「私のあるじです」

 それだけ言うとアリアは立ち上がり、背を向け出口に向かって歩き始めた。

「……ねえ、怒ったの?」

 恐る恐る聞くとアリアは立ち止まり―― 

「私に感情はありませんよ」

 思わず『怒ってるじゃないか~っ!』と叫びたくなるような態度。

 アリアは振り返らずテントを開けると外に出ていってしまった。ネイト一人が残される。

「サ…サボテンなんて絶対食べないからな~っ!」

 大きい声で叫ぶと毛布をひっかぶった。

 そのまま不貞腐れて寝てしまい、二時間後に目を覚ますがアリアの姿はない。

「……どうせ、近くにいて僕の事は把握してるんだろ? バレバレなんだよっ!」

 ネイトのこの言葉は当たっていたし、当然聞こえていた。

 アリアはネイトの心音を常に分析している。

 ネイトに異常があれば、すぐさまテントに戻り、ネイトを助けるべき行動をとる。それはいかなる状況でも変わらない。

 しかし、返事はこない。だんだん不安になってくるネイト、このままアリアが戻ってこなかったら?

 さらに一時間が経過する……

「食べればいいんだろ? 食べればっ!」

 ネイトは冷めたノパルを食べ始める。冷めているのもあって味は想像通り不味かった。

「うえ~っ……ネバネバしてる……」

 なんとか完食してから、五分程たってアリアが戻ってくる。

 目と目が合うなり、アリアは微笑を浮かべるが、ネイトはそっぽを向いた。

「ふふっ……よく食べましたねっ!」

 ネイトの態度を気にもとめず、小さな子を褒めるように頭をナデナデしてくる。

「ちょっとやめてよ、そうやってからかうのっ!」

 恥ずかしいし、食べたくないものを無理やり食べさせられたみたいで腹も立っている。

 しかし、それでもアリアが傍にいることで安心してしまう自分がいた。

「申し訳ございません」

 アリアは顔を伏せ、謝罪の意を示す。

「……ふん。

 一つ聞きたいんだけど、あのまま僕がノパルを食べなかったらどうしてたの?」

「そうですね、ネイト様が衰弱するまで食べなければ、流石に戻って看護しますね。

 ネイト様の勝ちといったところでしょうか」

 ドールはあるじの事が最優先であるため、あるじの身が危険になれば助けざるを得ないし、そこになんの葛藤もない。

 もっとも、ネイトに衰弱するまで我慢するような根性はないが。

「……何があっても僕の事を見捨てないの?」

「はい……だから、ネイト様にサバイバルを覚えてでも生きられるように躾けるつもりでいます」

「そっか……」

 ネイトにとって、この答えは嬉しくもあり悲しくもあった。

 自分だったら、こんな駄々っ子放っておくのだから――

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