着陸
西暦二三〇五年九月十二日午前八時四三分。
ネイトは地球に降り立った。
使い捨ての宇宙船は、ソユーズの帰還モジュールの様に小型で釣鐘に窓をつけたようなデザインである。
ソユーズとは、地球にあった国家、ソビエト連邦の一人から三人乗りの有人宇宙船の事で、今となっては〝枯れた技術〟に過ぎないが安全で経済的であるため、アリアはソユーズを模倣して宇宙船を設計した。
三人搭乗するのがやっとの広さであり、搭乗者はネイトとそのパートナードールのアリア。
宇宙船はパラシュートと逆噴射によって着陸。
今現在、地球がどのような状況になっているかは、わからないが、確実に言えるのは社会が文明が崩壊しているだろうという事である。
社会が崩壊している以上、地球に稼働しているロケット発射台などある筈もなく、片道切符になるであろうことはわかっていた。
「これが地球の重力か……」
まず、体感するのは体の重さである。
月の重力は六分の一、つまり地球では体重が六倍となる。
この日のために、重力訓練を行っていたが、それでも困難な旅になることを思い知らされた。
現在、ネイトは防護服で全身を包んでいる。
当然だが、大気汚染が予測されており、放射性物質が飛んでいてもおかしくはないし、地球の病原菌に対する免疫も全くない。いくら人類の故郷といえど、全身を保護しないのは無謀といえた。
一方、アリアは動きやすい恰好をしており、素顔をさらしている。
ドールで病気にかかる心配はないからだ。
「ネイト様、大丈夫ですか?」
「……せっかく、命を捨ててまで地球に来たんだ。
一生分の楽しみを見つけないとね……」
自身を皮肉りながら、眼前に広がる荒野を見た。
正直、地球の景色としては殺風景だが、月で暮らしてきた者としては、まずその広さと明るさに圧倒される。
そして何よりも色がある。薄茶色の大地に青い空と白い雲。僅かだが緑も点在している。
「しかし、凄いな……」
心が震えるというか、言い知れぬ感情を覚えた。
何故か、涙まで流れてくる。
来てよかった……と心の底から感じた。
地球に行ってみたい……と月で暮らすものなら誰もが一度は思うだろう。
しかし、戻ってこれないとわかってて行こうと思う者は少ない。
地球に行くことを決めたのはいくつか理由がある。
それは、月の制度に馴染めないと感じ、歳をとればとるほどそれが大きくなっていたから……
感情を持たないドールに対し嫌悪感を拭えず、そんな自分が嫌だったし、そんな社会が嫌いだった。
とはいえ、ネイト自身は育った月に対して愛国心のようなものを持っている。
地球が今どういう状態なのかを母星に伝えるというミッションには心を震わせる何かがあったのも事実。
打ち震えるネイトとは対照的に、アリアは周囲を見渡し、早速、情報収集に励んでいた。
アリアも呼吸をするのだが、それで大気を分析しているのだ。
「酸素濃度に変化はあまりないようですね……」
月歴元年の時、地球から断交されたので、それ以降の大気データなどは持っておらず、比較対象は月歴元年時のものとなる。
「放射性物質は今のところ感知しておりませんが……」
アリアの目は放射能を可視化できる。
「しかし、月歴元年の時よりも大気が汚染されています」
PM2・5や光化学スモッグなどを低濃度ながら感知。
「じゃあ、この防護服は脱げないのか……」
動きにくいし重い……宇宙服よりマシではあるが。
月で地球に向けて、訓練をしていたとはいえ、直ぐに体力が尽きる事は想像ついた。
しかし、地球に着た以上、少しでも役に立つ情報を祖国に送りたい。
「ネイト様、東に向かって進みましょう」
「……それはいいけどなんで?」
指をさしながら、進むことを促してくる。
ちなみにネイトはこの地球探査ミッションの計画は全てアリアに『丸投げ』していた。
理由は自分で計画書を書いても支援者から承認されないから――
「街があるからです。
今どうなっているかは、わかりませんが、街の状態を見れば得られる情報も多いのでは?」
「それはそうだね……」
何故街があることを知っているのか? という疑問を持ったが、どうでもいいとも思っているので、質問はしなかった。
「ネイト様……
私は別に諦めておりませんからね?」
「……諦めるって何を?」
「『命』をですよ」
自暴自棄になっている自分の心を見透かされ、グサっとくる。
「君には命も生存本能もないだろ?」
ムッとして言い返すが、その言葉に少し罪悪感を覚えた。
「ええ勿論、私に命はありません。
私が諦めていないといったのはネイト様の命の事ですよ?」
「へえ~っ……ここまできて、そんな事を言うんだ」
自分の生還が絶望的なのは行く前からわかっている。政府から散々、念を押されたし、それは覚悟の上。
「いいですか?
ここまで来た以上、世紀の大発見をするだけでなく、月に帰る事を目指しましょう」
「月に帰るって……どうやって?
地球にあるロケット発射台が無傷で残っている可能性は低いと思うけど……」
「まあ、地球にいる人類が滅亡したと決まっているわけではありません。
危機的状況であれば、お互いに助け合えるかもしれませんよね?
街に行けば、まだ使えるものが残っているかもしれません。しかし、動かなければ可能性はゼロですよ?」
「……わかったよ」
「本当にわかりました?」
ネイトは、ドールは自発的に動けない、ドールを引率するのは人間の役割ということを思い出す。
「……じゃあ行こうか」
ネイトはアリアに向けて渋々手を差し出し、アリアは嬉しそうにその手をとった。
「では、ネイト様……移動する前にやるべきことがあります」
「……やる事?」
「宇宙船の解体です。
地球文明は崩壊したというのが定説ではありますが、現存していた場合、無駄にこちらの技術を教える必要はありませんからね」
地球は月にとっての仮想敵国。月の技術がどのレベルなのか? を知られていい事はない。
「ふーん……自爆スイッチでも搭載されているの?」
「いえ、そのような物騒なものはついておりませんので、地道に解体します。
少々お待ちください」
アリアは宇宙船に持ち込んだ工具やガス溶接装置を取り出すと、てきぱきと宇宙船を解体していく。
ドールだけに動きに無駄がなく、ネイトも見ていて飽きなかった。
ニ時間もかからない内に、宇宙船はバラバラになっていた。
「流石に早いな……」
てきぱき動くアリアに対し、ネイトは立っているだけで疲労困憊している。
重力六倍は、それだけでキツイ。
「解体はほぼ終わりましたが、車を用意しますのでもうしばらくお待ちください」
今度はバラバラになった部品や、元々宇宙船に積み込んでいた部品を組合せ、組み立て始めた。
できた車はバギーカーで、アポロの月面車を彷彿させる。
宇宙船に備え付けのコンピューターや座席は、そっくりそのままバギーに移植された。
特徴は、なんといっても軽量化、ソーラーカーの様に太陽電池だけで動く事はできないが、省エネで動けるよう、とことん軽い材料を使っている。
バギーは二人乗りで電気駆動。一応、太陽電池でバッテリーを充電可能だが時間はかかる。
後部には少しスペースがあり、持ち運びできるショルダーバッグを置く。中には、数日分の水や食料、医療物資などが入っていた。
「それでは、出発しますよネイト様。助手席にお乗りください」
「う…うん……」
ネイトは少し恥ずかしそうに助手席に乗った。
*
西暦二三〇五年九月十二日午前十時――
晴れの荒野をバギーカーで進む二人。
防護服を着ていなければ、風が頬を撫でて気持ちいいのだろうが、宇宙服の様に密閉された防護服ではその気持ちのよさはない。
最初こそ感動を覚えたものの、僅かばかりの植物があるだけの大地が延々と続く、ネイトがその風景に飽きがき始めた頃。
気になる物を見かけたのか、アリアは車を止めた。
「……どうした?」
「いえ、あれを見つけたので」
車を降り、立ち止まった先の前にはポツンと雑草が生えていた。
「……それが?」
雑草なんて見飽きているだろうと言いたくなる。
「私のデータベースにない植物ですね。準新種かもしれません」
アリアは移動中も視界に映った全ての植物に検索をかけていた。
月のデータベースにないからといって、新種とは限らないが、少なくても月にとっては新発見ではあるだろう。
アリアは何処か嬉しそうに植物を採取して瓶に詰める。
「……ふん」
ネイトは自業自得とはいえ、蚊帳の外に置かれているような気分になりイライラが募った。
「これが、新種だったら。
植物学者様達は眠れぬ夜を過ごすでしょうね……」
ネイトは白衣を着たジジイが、はしゃいでいる姿を想像するが――。
「若い学者の方々も多数いらっしゃると思いますよ?」
悩むネイトに、ジト目で苦言を呈してくる。
「……いやその、悪かったな。僕は植物の新種なんかに興味ないんでね」
何かと棘のある言い方をするが、モラハラに動じるドールではない。
「ネイト様、この辺りを少々を調査したいのですが、よろしいですか?」
「……好きにすれば」
アリアはバギーの後部をガチャガチャ弄ると、トラックの帆の様なシートを引っ張りだす。
幌馬車の様に、シートを張り日陰を作った。
「それではネイト様は、ここで休んでいてください。
調査の様な地味な作業は私がやりますので。
このシートは太陽光を吸収し、電気に変える事ができます。
つまり、充電が可能なのですね。
今日は晴れてますし、エネルギーも補給できる時にしておきましょう」
「……わかった」
「それでは、吉報をお待ちください」
アリアはウインクすると、地質でも調べるのか、小型のスコップを手に持って歩き出した。
荒野といっても、この辺りはなだらかな丘などがあり凸凹しているところが多く、見晴らしは決してよくない。
アリアはネイトの視界から直ぐに消えてしまった。
「……すぐ、戻ってくるよな?」
いざアリアがいなくなると、急に孤独を感じ不安に襲われる。
「ドールに心は無い……ちょっとモラハラしたくらいで……」
不安と妄想が強くなっていく。
いてもたってもいられなくなり、十分も立たない内にその後を追った。
荒野で広いから直ぐに見つかると思ったが、思いのほかアリアは見つからない。
「アリア~っ!」
名を叫ぶが返事はない。
防護服と六倍の重力、三十秒程走っただけで疲労がピークに達してしまう。
この防護服は二〇〇〇年代の宇宙服に比べれば遥かにマシだが、それでも決して動きやすくはない。
防護服は、内部の温度湿度の調節や送風機能がついていて快適な環境を作り、汗をかきにくくなっているが、それでも重装備で動けば汗をかく。
一時的に密閉された服の内部を水で満たし、体を洗浄する機能もついてはいるが。気持ちよくはない。
また、汗や尿を吸収しタンクに貯め、そこから水だけを取り出す機能もあるが、それ故に重い。
「はあっ……はあっ……」
両膝の上に手をつき、俯いた状態で肩で息をする。
アリアの名を叫んでも、フルフェイスの防護服を着ている状態ではそもそも声が届かないのでは? という疑問が過る。
このまま、アリアと合流できなかったら、自分は……と恐怖を感じたその時――
「大丈夫ですか?」
顔を上げると、目の前に心配そうな表情でネイトを見るアリアが立っている。
思わず飛びつきたい感情に駆られるが。
本当は心配なんて感情はない癖に……と、心の中で悪態をつき自身の感情を抑え込む。
「ふふっ……心配はできなくても。他人の心配をする人と同等の行動はできますよ?」
流石にドールといえど、人間の思考を読めるわけではない、しかし、心理は予測がつく。
アリアは肩で息をするネイトをお構いなしに体をひっつけた。
「……な…何をする?」
ギュッとネイトを抱きしめ、優しく語りかける。
「心配をかけてしまい、申し訳ございません。
もう大丈夫です」
恥ずかしいものを感じるが、不安が解消され、悔しいが心が落ち着いていく。
「あとネイト様……防護服の左腕についたパネルを押せば、私と無線で会話できると説明しましたよね?」
「……っ! そういえばそうだった……」
ネイトは右利きなので、左腕にはスマホのディスプレイのようなパネル機器が取り付けられている。
防護服は顔面をシールドで覆っているので、声が届きにくい設計であり。本来会話にはこっちを使うのが基本。
アリアの聴覚の都合上、使わなくても問題はないが、相手が人だったらまず聞こえない。
なお、防護服には音を拾う機能があり、拾った音をヘッドホンのようにして聞かせるので、外の音が聞こえなくなるということはない。音が聞こえなれば危険を感知できなくなるからだ。
ネイトは軽いパニックを起こしていたことに、負い目を感じてしまう
そんなネイトを他所に、素早く手を取ると背負い上げた。
「うわっ! な…なにを?」
「ネイト様の体力が回復するまで、こうやって進みましょうか……
それにしてもネイト様は私が一体何をすると思ったのですか?」
「い…いや……そ…それは……」
恥ずかしさで顔が熱くなる。
アリアはネイトを背負って歩き出した。
美女が防護服を着た男を背負っている、重量もさることながら、異様な絵面となった。
「う~……」
華奢な女性に背われて進む構図に情けないものを感じてしまう。
一言で言えば、カッコ悪い。それが毛嫌いするドールとなればなおさら。
「誰もいないのですから、恥ずかしがる必要はないのでは?
それとも、女性に背負われることは、男性としてのプライドが傷つきますか?」
「そういうわけじゃない……」
「では、お姫様抱っこにしましょうか?」
「……い…いや……もう好きにしてくれ……」
顔や耳が熱くなるのを感じた。
こういうのを顔から火が出るというのだろうか。
「それにしてもどうして僕の場所がわかったの?」
なだらかな丘のせいで、見晴らしが悪い。アリアにしてもそれは同じだろう。
「ネイト様の居場所は離れていても、常に把握しておりますよ」
ネイトの着ている防護服は、常にネイトの健康状態をデータ化して情報を電波にして発信している。
アリアはそのデータにアクセスできるのだ。
また、アリアの触覚による、振動感知機能はネイトが五〇キロ離れていても足音などの振動を感知できる。
「言われてみればそうか……」
「申し訳ございません。
恥ずかしい想いをさせてしまい……
しかし、私は常にネイト様の健康状態を読み取り、最善の行動をとるように設計されています。
ネイト様の足を使うよりも、私の足を使った方が生存率が上がると判断しての行動です」
「なるほど……僕の体力を少しでも温存した方がいいってことか……」
「不正解です。
移動は少しでも速い方が、得られる情報も増えます。
ですので、ネイト様、しっかり私にしがみついてくださいね?」
そういって走り出す。
正確なスピードは分からないが、時速二〇キロから二五キロは出ている。
何故、アリアを見失ったかを悟った、アリアはネイトの視界から消えた後はアスリート並みの速度で走ったのだろう。
想像以上の速さに、しがみつく力が強くなる。
「ふふっ……ネイト様のエッチ」
「えっ!? いやこれはその――」
「冗談ですよ?」
走りながらも、からかうのをやめない。
適当に冗談を交えながらの走行で、時間が過ぎるのは早かった。
「……どうした?」
「地面を見てください」
言われたとおりに下を見ると、ボロボロに崩れてはいるがアスファルトの道路があった。
「これは道路か……」
休憩もかねて、一旦ネイトを降ろす。
「この痛んだ状態は、やはり社会が機能しているとは言い難いですね。
走行している車に会える可能性は低いと思いますが、ここから先は道に沿って進みましょう」
「……アリアには目的があるように感じるけど?
何処で何をするつもりなのかな?」
地球行きが決まった時、絶対ここに行きたいというのは特になくアメリカ合衆国と寒いところは嫌ということだけを伝えていた。
荒野に着陸したときは『しまった!』と思ったが……
「目的という程のものではありませんが、この道を進めば街に辿り着けます。
そして、その街は、民間の宇宙事業が盛んだった街です。
何かと使えるものがあるかもしれません」
「なるほど……ってここが何処かわかっているのか?」
「ええ……緯度経度は勿論、地球のマップデータも入っております。
月歴元年時のものなのでどこまでアテになるかはわかりませんけどね」
「……民間の宇宙事業の街って?」
「二一〇〇年代の話ではありますが、宇宙旅行をビジネスにしようとしている企業がありました。
地球と断交してからも、地球の観測は怠っておりません。
宇宙旅行や宇宙飛行でビジネスが成功したようには見えませんでしたが、ちょくちょくロケットを飛ばしていたのは間違いないようです」
「使えるロケット発射台がまだあると?」
「まず、ないと思いますが、万が一という事もありますし、確認するだけの価値はあるのでは?
それとも、ネイト様には地球旅行のプランがおありでしたか?」
「い…いや……着陸場所は君に任せるって言ったとおりだ。
最初は、なんで殺風景な荒野なんぞに着陸したんだと疑問に思ったけどね……」
「できるだけ、街に近いところに着陸した方が、移動が楽にはなりますが。
もし、多少なりとも地球の社会が機能していた場合、我々の宇宙船はいわばUFOですから、攻撃を受けるかもしれません。
気づかれないようにするためにある程度、距離を取る必要があると判断しました」
「攻撃って……」
〝核の冬〟が終わってから地球において、電気による光や焚火すらも観測されていない。
このことにより、月政府や科学者達は地球文明が大きく衰退したと判断している。
しかし、そうであったとしても、地球人類が絶滅したとはいえなかった。
「未接触部族がヘリに向けて矢を放ったという記録もありますし……」
「なるほど……その街に生きた人間はいると思う?」
「どうでしょうね……可能性は低いと思います。
とはいえ、ゼロとは言えませんからね、我々が望遠鏡を向けた時にはいなかっただけかもしれませんし」
監視カメラの如く同じ場所を常に望遠鏡を向けられるわけではない。
望遠鏡の数と性能には限りがあるし、地球は自転しているし、月も公転している。
アリアは着陸付近や探査計画の周辺の画像を確認して、人間が観測されていないことを知っているが、絶対とはいえない。
「もしいたら?」
「普通に交流を図ります。
私は確認されている地球の言語のほぼ全てを話せますから」
「ほぼ?」
「例えば、北センチネル島に住んでいた未接触部族の使うセンチネル語などは流石に話せませんね」
未接触部族とは大きな文明と、生活に大きな影響を与える接触を行っていない部族のことでその数は極めて少ない。
センチネル語はインド洋東部のアンダマン諸島に浮かぶ北センチネル島に住む先住民族の言葉であり、センチネル族は外部との接触を拒否しつづけた。先程のヘリを攻撃したのもこの部族である。
「生き残っている人達が、英語なりスペイン語なりを話せたらどうするの?」
「発射台が残っていれば、使わせて貰えないかを交渉ですね」
「いや流石に壊れているだろ……メンテなんてしているわけがない」
文明が衰退した状態で、ロケット発射台なんてものがまともに機能する筈がない。
巨大なジャンク品を見に行くようなものだとネイトは思った。
「私なら、壊れていても直し方がわかるかもしれませんし、わからなければ月にいる科学者の方達に投げます。
月と現地の協力が得られれば、きっとなんとかなりますよ。
時間はかかりますが、生き残った人達に科学を教える事もできますし……」
想像の上をいく行動にあっけに取られた。それを実現するには一体何年かかるんだ? という疑問も当然ある。
地球に行くと決意したのは、勿論、人類の故郷への興味がつきないというのはあるが、一種の自暴自棄とチンケなプライドと成り行きによるものであった。
しかし、アリアにそんな事情は関係ない、例え科学が衰退していようと、自分が教えればいいし、わからなければ月にいる科学者に考えさせればいい。
水や食料が安定して確保できるなら、十年二十年かかろうが問題ない。
「アリアは僕がその……自暴自棄というか、自分の命を諦めている事には気づいているよね?」
「ええ勿論、しかし私は、主の夢と生存を最優先にして動くよう設計されておりますので、ネイト様のある種の自殺願望は、私には関係ありません。
まあ、生きている人間がいる可能性は限りなく低いですけどね」
社会がまともに機能しているとは思えない以上、そんなにうまくいくわけがないというのは予測がつく。
しかし、アリアにとってそれは希望を捨てる理由にはならない。
「地球の街か……」
とはいえ、ネイトも会話をしている内に、地球人類が絶滅したのか、あくまで文明が衰退しただけなのか興味が湧いてきていた。
「それでは、車まで戻りましょう」
アリアは地球の街に興味を示したネイトを見て微笑むと、身を屈め再び背負われるよう促した。
*
西暦二三〇五年九月十二日午後ニ時。
ネイトとアリアは、バギー道なりに進ませある町に辿り着いた。
「ここが、民間宇宙事業で栄えた街か……今は見る影もないな……」
人の気配は全くなく、道路の舗装などはボロボロ。
建物も殆どが瓦礫と化しており、建っているといえる状態のものは少ない。正にゴーストタウンである。
雨が少なく、空気の乾燥した地域のため、植物はあまり生えなていなかった。
殆どの家らしき建物が朽ちているが、鉄筋コンクリート造らしき、石造りの建物はボロボロに傷みながらもまだ形を保っている。
「ネイト様、ここでお待ちください、私が中を調査してきます」
ネイトは本音は傍にいて欲しいので、無視を決め込む。
「ネイト様?」
「勝手に行けよっ!」
「ふふっ……今度は、移動しないでくださいね?」
「わかってるよっ!」
アリアは微笑みで返事をすると、石造りの建物に入っていった。
無人の街で一人残されるネイト。
改めて、街並みを見渡す、街といっても、田舎町といった感じで、高層ビルなどはなく、一戸建てばかりで、瓦礫の量からしてどれも2~3階建てだったのだろう。
移動には車が絶対必要で、不便な町といった印象、空地には、錆びた車らしきもの点在していた。
技術が発展すれば発展するほど、人が増えれば増えるほど、高く巨大な建物が立っていく傾向がある。
それを考えれば、あまり栄えていたという印象はない。
宇宙事業は大して儲からなかったのだろうか……
しかし、ネイトはゴーストタウンとはいえ、過去映像でしか観たことがなかった、地球の街を目の前にして少し興奮している。
しばらくすると、アリアが建物の中から戻ってきた。
「ネイト様……
不自然な点もいくつかありますが、建物の素材の傷み具合からして、ここはもう何十年も前に放置されたようですね……」
「だろうね……」
となると、地元の人間と交流するというのは不可能に近いだろう。しかし、ネイトはそこまで気落ちはしていなかった。
元々、期待していなかったから。
二人は街を出て、ボロボロの道路を走行する。
「……もう、ここはいいの?」
「ええ……町といえば町ですが、ここは通過点みたいなものなので……
この道をさら進めば、先程の町よりももっと栄えた街がある筈ですよ。
そこが、宇宙事業で栄えた街で、今回の探査の本命です。
この分だと、期待はできないとは思いますけどね……」
そういって、アリアは黒っぽい欠片を差し出してくる。手に取って見てみるが、何なのかわからない。
「……何これ?」
「先程の建物で見つけた人骨です」
「わあっ!」
驚き反射的に手放した。
「申し訳ございません。
そこまで驚くとは思っておりませんでした」
表情が驚きを表現している。予想外の反応をしたのは確かなのだろう。
「……いや、驚くだろフツー」
ネイトは醜態晒す事になったのが恥ずかしかったのか、ブツブツと悪態をつき続ける。
「死体がありましたが、白骨化しておりました。
殆ど朽ちておりましたが、少なく見ても、三〇年以上は経過しているでしょうね」
「そうなんだ……」
「社会が機能していれば、死体を放置なんてことは致しません。
腐敗すれば、臭いもきついですが、疫病が流行りますからね」
月では死体は、速やかに分解所と呼ばれる施設まで運ばれ、分解者達に分解させると最終的に土の材料にされる。
分解者達とは、ハエやダンゴムシの様な死骸を食べる虫や、キノコ・カビなどの菌類、バクテリアを指す。
「……そして」
アリアの表情が俯き暗くなる。こういう時は重い話をする時だ。
「死因は銃殺によるものです。壁に複数の弾痕を確認しました。
骨の量からして、殺された人間は十二人。瓦礫をどかせばもっと増えるとは思いますが」
「……銃殺」
銃は勿論しっているが、月では製造されないし、製造すると罰せられるので、銃殺と聞いても実感が沸かない。
「あの建物に広いスペースがあったから、一か所に纏めて銃殺したのでしょう。
惨いことです」
「……戦争?」
「どうでしょうね? 虐殺ではあると思いますけど、戦争ならもっと派手に空爆とかの跡があっても良さそうなものですが……
分析するにしても、情報が少なすぎます」
ネイトは黙り込んでしまった。
怖いというよりは、なんともいえない不安に襲われる。
戦争というものは小説や映画でしか知らない、地球で起きたことなど他人事だと感じていた。
しかし、実際に降り立ち、小規模とはいえ虐殺の現場にきてしまった。
時間がかなり経過しているとはいえ、自分が被害者にならないとは言い切れない。
「大丈夫ですよ?」
アリアが唐突に口を開く。
「……何が?」
「何があっても、私がお守りしますから」
そう言って微笑んだ。
心の籠もってない言葉なのに、何故か安心してしまう。そんな自分を嫌になる。
*
西暦二三〇五年九月十二日午後七時。
銃殺のあったらしき町を離れて、四〇キロ程進んだ頃。
日は沈み、夜が訪れた。遠くには、高層ビルらしきものが見える。
「あのビル群が目的地ですね……発射台はさらにその先ですが……」
「暗くて見えるわけないだろ?」
アリアの眼は、暗視機能があるので、空に星の一つでもあれば十分見える。
ネイトには遠くに大きな影があるようにしか見えなかった。
とはいえ、月とは違う綺麗な星空に少し感動している。
「申し訳ございません。今日はもう休みましょう」
アリアは車を止め、大きなショルダーバッグを降ろし、中からジップロックの中に折り畳まれて入っているビニールシートの様なものを取り出す。
シート違うのは複雑に折りたたまれており袋状、広げるとテントとなった。月で作られた携帯テントでベースキャンプ用のもの。
一見すると薄っぺらいビニールでできた素材に見えるが、防護服と同じ素材で断熱性が高い。荒野の夜は冷え込むが十分に寒さを遮断できた。
このテントは内側から閉じる事ができ、外の空気を完全に遮断できる。
勿論、それだと窒息するので、バッグから出した携帯生命維持装置を取り付ける。
これは高性能のエアコンにして空気清浄機でもあり、人体に有害な物質や菌などを取り除き、外の酸素と中の二酸化炭素を入れ替える事ができる。
テント内の空気を浄化した後で、アリアはネイトの防護服を脱がした。極限まで軽量化しているとはいえ、二五キロの重さがある。
「ふうっ……」
脱衣の解放感を感じるともに、極度の疲労に襲われた。
主に車で移動していたとはいえ、六倍の重力と防護服の重さにより、筋肉疲労が凄まじい。
明日はまともに動けるのかと不安になる。
アリアは、濡れたタオルと手慣れた手つきでネイトの体を拭いていく。
防護服の内部水流機能で、汗を流す事はできても、手袋の部分や靴などの体と密着している部分は当然蒸れる。
アリアは汗疹の予防のため、そこを重点的に拭き取ろうとしていくが――
「そこは自分で拭くから……」
ネイトはタオルを手に取って股間を拭いた。
カテーテルを差し込むわけではないが、尿を吸収するための装置が防護服にはついており、そこも蒸れやすかった。
アリアから差し出された紅茶を飲み、固形物の携帯食料を口にした。
味は不味いが、人間に必要な栄養素が全て入っている。
体に栄養が染み渡っていくような感覚を覚えた。
「はあ~っ……」
大きく息を吐く。アリアは何も言わずにマッサージを始める。気持ちが良く。少しだけ、不安が和らいだ。
「今日はもうお休みください」
アリアは微笑を作り、休むように促してくる。
しかし、頭はまだまだ興奮し活発な状態だ。当たり前だが一日で色々な事がありすぎる。
「……いやその、色んな意味で興奮しているというか簡単には寝れそうにない……」
地球に来た高揚感。
初めて見る朽ちた人骨の衝撃も凄かった、あの場で何があったのか? 疑問は尽きない。
そして、今は食料や生命維持装置が動く状況でしばらくは問題ないが、もって二週間だろう。
その時から始まる生き地獄が、わかりきっていたとはいえ怖いと言えば怖い。
「……あの見つけた人骨は一体なんだったと思う?」
「私は想像するのが苦手です。
分かる事は十年以上前の骨であり、核戦争によるその後の寒冷化を乗り切った人類はいたということでしょうか」
流石に一〇〇億近かった地球人類が核戦争だけで絶滅するとは考えにくい。
とはいえ、四ケタの核兵器の爆発が観測されている。
その後、巻き上がった粉塵で地球は寒冷化し、地質時代区分の『第四紀』は終わったとされている。
いわゆる『ジュラ紀』『白亜紀』といった恐竜でお馴染みの地質時代区分だが、〝紀〟と〝紀〟の間には大量絶滅があり、そこで大きく生態系が変わったとされている。
つまり、核戦争で環境が大きく変わり大量絶滅が起きたので、現在は『第五紀』と定められているのだ。
「でも、人類が生きていたら、流石に電気はなくとも火ぐらいは起こすだろうし……
火を起こせば流石に望遠鏡で見つけられると思うけどね……」
「確かに、今までの探査からも分かる通り、鳥が一羽も飛んでおりませんし、この地域にいたとされる野生動物を何一つ観測できません」
今のところ、見つけた生物は数十種の植物と、数十種の昆虫だけ。
第五紀は、昆虫だらけの世界になるのだろうか?
「……それ? 虫?」
ふと気が付くと、アリアがカナブンの様な甲虫を手に持っている。
「ええ、テントを準備する時に、見つけたので採取しました。
私のデータベースにないので、つまりこれは新種の可能性があります」
「ふむ……」
新種と聞いて、感心したようにカナブンを眺めた。
植物と違って、男の子は何故か昆虫が大好きで、特に甲虫は人気がある。
「もっと、驚いてもいいのですよ? 早速『発見』したわけですし――
私の目を通して、月民はこの映像を見ていますからね」
「なんだってっ!?」
さっき自分が、股間を拭いていた映像も撮られ、見られていたかと思うと恥ずかしくなってくる。
アリアに対し、モラハラ的な態度をとっていることも、問題が無いとはいえ、客観的に見れば非難される行為だろう。
「ああ、お気になさらずに、私が見た映像は私が月に向けて送信する必要がありますので――
勿論、ネイト様の恥ずかしい画像などを送ったりする事はありません」
ネイト胸をなでおろした。
アリアは月政府からすれば優れた探査機でもある。月を視るだけで情報を送る事ができる。
月民は今、アリアの送ってくる情報を心待ちにしていた。
「……そのカナブンってそんなに凄いの?」
「それはもう、この情報を心待ちにしている、生物学者の方は多数いらっしゃるでしょうね。
というより実感がないように見受けられますが、ネイト様が地球に降り立った事自体が、月民にとってはセンセーショナルな事なのですよ?
連日テレビで報道されますし、私が送る情報を全月民が今も待っているのです」
「そんな大袈裟な……」
「決して、大袈裟ではありません。
実感がわかないかもしれませんが……」
その時、指で摘まんで持っていたカナブンをパクっと口に放り込んだ。
「えっ!?」
「ふむっ……思ったよりも美味ですね。
それに毒性はありません」
まるで子供がお菓子を食べるかのように咀嚼する。
「おいっ! いきなり何を?」
「何をって……見た通り、カナブンを食しただけですが? いけませんでしたか?」
アリアは訝し気な表情でネイトを見た。
「ああっ! ひょっとしてはしたなかったですか? それは失礼をしました」
「違うだろっ! いきなり虫を食うからだよっ!」
ネイトは何処かヌケているアリアに少しイラっとした。
「ネイト様……いずれ携帯食料も尽きます。
そういう時でも、食つなぐためサバイバルの情報は必要ですよ?
虫は貴重なタンパク源なのですから、とはいえ、毒性があったら困りますよね?
だから、それを調べているのです」
「そ…それはそうだけど……」
ネイトにとって、理想の美しさを持つアリアが昆虫――それも生で食う姿は衝撃というか、イメージが壊れるので、できれば見たくない。
しかし、それを説明するのも普段の態度もあって恥ずかしい。
「ふふっ……次からは、気づかれないように行いますね」
アリアはそんなネイトの心境を読み取り学習した。
「ふん……」
強がった態度を見せるが、自分なんかいない方が探索はサクサク進むのだろうと思うと、罪悪感が沸いてくる。
そんな負い目を感じ取ったのか――
「ここに私を連れてきたくださったネイト様は偉大な方ですよ。
もっと、自信をお持ちください」
「自信ねえ……」
「私は過去に言いましたよ『ドールは人が通った道しか歩けない』と――
ネイト様が地球に行くという〝夢〟を持ったからこそ、私が今、ここを歩けるのです。
もう、遅いですし、休みましょう」
アリアはネイトの返事を待たず、灯りを消した。
ネイトの地球探査はまだ始まったばかり――