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パートナードール  作者: SFX
4/14

反射感情論

 月歴一〇〇年。ハイスクールの教室。

 月は当然、朝も昼も夜も真っ黒の星空で、月の一日は一か月だが、時間は一日二四時間とし地球を基準にしている。

 そして、教室では今もなお、机と椅子とホワイトボードや黒板が使われていた。

 勿論、並行してプロジェクター等による教材動画や、立体映像を用いた授業も行われているが、全学生にパソコンを用意するという事はしていないし、黒板をタブレット機能のあるモニターにはしていない。

 理由は電力と資源の無駄だから。

 現代でいうスマホの端末タブレットは十五歳になった全月民に支給されており、授業で使う事も多い。

 紙や本は未だに現役、何故なら 真っ白な紙とインクの完全リサイクルを実現しているため、ペーパーレスにする必要がないからだ。半永久的に使いまわせる。

 とはいえ紙の生産量はきちんと管理されており、上限も決まっている。

 また、紙を燃やす行為は違法となっていた。灰になった紙を元に戻す技術は流石にない。

 現在の時間は正午から一時までの休憩時間。

 一つの机を囲んで、同じ学生服を着た三人の男女が談笑していた。

「『そして誰もないなくなった』が、名作で面白いのは認める。

 しかしだよ? あんなじじーに、誰一人気づかれることなく、九人も殺害できるか?

 人が減れば減るほど、警戒心だって強くなるだろうしさ。

 ズバリ、できるわけがない。超能力でも使えるなら話は変わるけど……」

 ネイトの友人であるカナタは、最近読んだ、西暦一九三九年にイギリスで刊行されたアガサ・クリスティの名作『そして誰もいなくなった』について語っている。

 黒髪に黒目の少年であり、背は高く一七〇センチ、歳は同年だが誕生日はやや早い。

 ゲームやアニメ、漫画に限らず、美少女系が好きなので同級生からは陰で〝オタク〟と呼ばれている。

 しかし、カナタ当人は『〝オタク〟とは自分の好きな物が最優先という人間で、自分の嫌いな物を一切認めないという偏屈した存在。俺は他人の好きな物を決してディスらない。

 俺自身はティファ推しだが、エアリス推しを迫害したりなどしない。よって俺は〝オタク〟じゃない』と主張している。

 ネイトはそんな面倒くさい一面が〝オタク〟だと思っている。

「う~ん……別に不可能ではないんじゃない?」

 同作品を読み終えても、その辺を大して気にしなかったネイトは、論理的に可能であればアリと判断する。

「あんなジジーに? ただの殺人じゃないんだぜ?

 詩になぞらえて人を殺していくなんて芸当、無理がありすぎるって……

 事前にリハーサルやるわけにもいかないし、ぶっつけ本番なんだぞ?

 理論上可能と言われても、現実的に不可能だろ。

 失敗する確率九九・九九九九%だ。

 もちろん俺は『そして誰もいなくなった』が名作であることを否定しない」

「つまり、あのじいさんは〇・〇〇〇一%の確率をものにしたってわけだ……」

「……ん?」

「カナタがどういう計算で確率を出したかわからんけど、〇・〇〇〇一%の確率で成功するんだろ?

 くじだって、失敗する奴が多いけど、当たる奴は必ずでる。

 あのじいさんは賭けに勝ったってことだよ」

「それは屁理屈だろ?」

「では、どういう計算で、確率を出したのかを論理的に説明してくれ」

「なんだと?」

「はいはい、下らん論争はこの辺にして……」

 カナタとネイトの会話が無駄にヒートアップする前に、一緒に談笑していたマリーが割って入った。

 髪はおかっぱボブカットで金髪碧眼メガネで同年、生まれはネイトよりもやや遅い。

 ブスか美人か可愛いかでいうと、至って普通。

「下らんって……」

「下らないわよ。作品の解釈なんて人それぞれなんだから。

 よく言うでしょ? 真実はその人の数だけあると。

 なら、作品の解釈もその読み手の数だけあると言っていいわ」

 手を顎に当て、ポーズを決めるようにして言い放つ。

 マリーは俯瞰的に物事を見ようとする傾向がある。

「いやしかし、それは詭弁というか……

 それを言ったらおしまいというか、作品について何も語り合えなくなるだろ?」

 諦めが悪いのか、口をもごもごさせている。

「でも、これ以上は平行線だと思うけどねー。

 犯人が歴史的人物の様な強運の持ち主だったと見るか、ご都合主義の作品と見るかは各自の判断ってことでいいんじゃない?」

「いやだから、歴史的人物の様な強運が、脈絡もなく味方する展開をご都合主義っていうんだよ」

「でも、カナタは『そして誰もいなくなった』が名作であることは認めるんだよね?

 なら、それでよくない?」

「ああそこは否定しない、かの作品が面白い作品であることは確かだ。

 だが、俺は結末に関しては〝納得〟していない。

〝納得〟は全てに優先されるっ!」

「めんどくさい読者ね……」

「でもさ、じゃあ、あのじいさんが超能力者かなんかで、最後に時間を止めていていたのがわかるオチだったらその〝納得〟できるの?」

「それやったら、名作どころか駄作になるだろ~がっ!」

「じゃあ、どうしたいの? 

 一九三〇年代にタイムスリップでもして、作者に書き直させるのか?」

「こうして名作が消え、クソ編集の手が加わった駄作が生まれるのね……

 でも、そう考えると、何年先にいってもタイムマシンは開発されてないってことがわかるわ」

「なんでそうなる?」

「だって、タイムマシンがあったら、今頃〝納得〟はできるけど、クソつまらない作品であふれかえってるだろうし」

「それは極論だろ?」

 このような、話が逸れつつも、不毛でくだらない議論が延々と続くのはこの三人に限った話ではない。

 これは、月の国民性なので、誰もが理屈っぽくそれらしいことを言い、大体はそれに賛同せず突っ込みを入れてくる。

 ちなみに、月では議論をするなら三人以上でやれという、マナーのようなものがあったりする。

 二人ですると険悪になり、暴力に発展するケースも稀にあるからだ。

 一五時になると授業が終了し、ネイトは教室を出ると、自室のある居住区に向かって歩く。

 月では、宇宙服着用の屋外に出ることはまずないため、学校も自宅も同じ巨大な建物の中に存在しているといえる。

 巨大な地下シェルターの中に都市が構成されている感じだ。

「おい待てよ……一緒に帰ろうぜっ!」

 カナタが追いかけてきた。

「いいけどさ……」

 そういって考えこむ。

「ひょっとして、昼休みの件で怒っているのか?」

 『そして誰もいなくなった』はネイトがカナタに勧めた作品である。

 それを否定するような事をいったことが神経を逆なでしたと思い少し後悔した。

「いやいや、そういうワケじゃないけど……う~ん……」

「なんだよ、悩み事か?」

「いやさ、カナタってさ、もうパートナードールが支給されていたよね?」

「ま…まあ……誕生日過ぎたからな……でもそれ言ったら、お前だって……」

「うん、そうなんだ。

 だから、余計気になっちゃってさ……」

 月においてドールが悩みの種になるという人間は珍しく、意外な悩みを持っていることになる。

 何故なら、生まれた時、親の片方はドールであり、いわばドールに育てられているからだ。

 さらに言えば、ストレスの溜まる育児をドールに丸投げする人間は男女問わず多い、従って子供は模範的な育児をするドールにべったりになるケースも多く、カナタはドールの母親にべったりだった。

 カナタは母親を愛しているし、ドールが悩みになったことはない。

「気になる~? 何だ? お前、ドールと上手くいってねえのか?

 基本、ドールってあるじに合わせるように設計されているから、上手くいかないなんてよっぽどなんだけどな」

 ドールは基本的にはその人間の性的欲求を反映させたデザインとなる。

 普通は十八歳の誕生日は楽しみで楽しみで仕方がない。

「そういう君は上手くいっているの?」

 少しムッとして言い返すが――

「あたり前だろっ!」

 力強い言葉で即答されてしまう。

 何故ならカナタは自分のドールが届いたとき、思春期の男を拗らせ、はしゃぎまくっていたからだ。

 あれだけ自身を夢中にさせたギャルゲー、エロゲーをやることは二度とないだろうとすら思ったのだ。

 何故なら、究極のギャルゲーにしてエロゲーが服着てやってきたのだから。

「そういや、お前って確かドール否定派だったっけ?

 俺は元々、肯定派だったし、ドールが来るのを楽しみに待っていたからな~その差かね~」

 そう言いつつ、少し冷静になるカナタ。

 ドールが来る前はドールについても色々と議論したが、ネイトはドールに対して少し嫌悪感のようなものを持っている事を思い出したのだ。

「否定派うんぬんは、あまり関係ないよ。

 正直、想像してたのと随分と違ってたし……」

 アリアを初めて見た時、自分の考えが浅はかなものだと思い知らされた。

 ドールはもっと無機質というか、冷たいものだと勝手に想像していたからだ。

 こんな偏見を持ってしまったことには理由がある。

 それは、両親のどっちがドールでどっちが人間かを知らずに育ってきたから。

 両親は両方とも行動にそつがないと同時にドジだった。今思えば、それは隠してきたという事だろう。

 両親をずっと同じ人間と思って育った少年が、一人暮らしの始まる高校生活の授業で、どちらか片方が人間じゃない事を初めて知った時の衝撃は凄まじかった。

 信じる事ができず、嘘だと泣きながら喚き散らしネイトはクラスメイトの前で大恥をかいたのだ。

 家に帰っても、事実を知ることの怖さから両親に確認を取る事ができず、今まで一度も連絡を取っていない。

 それが原因で虐められるような事もないし、カナタの様な友達もできたが、ドールや両親に対する不信はしっかり芽生えてしまっている。

「……授業でやったし、知っているとは思うけどな……」

 ためらいながら、少し言いにくそうに喋る。

「間違ってもドールを虐待するんじゃないぞ? 虐待したら、二度と支給されねーからな。

 ドールを失った人間は惨めっていうぜ?

 孤独死、待ったなしっていうか……」

「そんなことをするわけないだろっ!」

 カっとなって言い返してしまう。自身があのアリアを殴るなんてのは想像つかず神経に障った。

「ん~……じゃあ、マリーが好きとか?」

「それもないかな、友達としては好きだけど……」

 月では、人間に恋する人間は少ない。男女差がほぼないからだ。

 地球において、ざっくりいえば男は屈強で女は美しい。

 しかし、重力が地球の六分の一の月では、男はよっぽどの努力を重ねなければ屈強にはなれないし、可愛さよりもカッコよさを求める女や恰好に無頓着な女も多い。さらに、パートナードール制度により、異性を惹きつけるための恰好をしようとする男女が極端に減った。

 よって、見た目だけでは男か女かわからないという人間も多かった。

「人間の女に入れ込むのだけはやめとけよ?

 大体の人間が破局するっていうし……

 上手くいっても、先立たれた時の衝撃がとてつもないらしいぞ」

 月社会ではドールをどうしても受け入れる事ができないという人間は男女問わず一定数出てしまう。

 また、学生時代、ドールが支給される以前に恋仲になってしまう男女も稀だがいる。

 月政府は、この事態をある程度は許容しており、恋愛は原則禁止であっても、恋仲に落ちるのは仕方がないという見解も示している、

 なのでドールを手放して一緒になる事を選ぶ男女もいるにはいる。

 しかし、理想的な最期を迎えるケースは極めて少ない、どちらかが先に死ぬからだ。

 勿論、パートナーと破局することなく、最後まで看取った場合に限り、新たにドールを支給される権利は持てる。

 だが、その権利を放棄したり、後追い自殺をする傾向が強い。

 また、パートナードール制度が受け入れられてから、社会に浸透すればするほど、ドールがバージョンアップすればするほど、ドールを持たない人に対する風当たりは強くなる傾向にある。

 そのせいか、月では『先に死ねた方は幸せ』や『残された方は辛い』という言葉がよく使われるようになり問題視されている。

「そこは、大丈夫かな~……

 変に勘繰られるのは嫌だから、正直に言うとね……

 要するに、君のドールが見たいんだけど――」

 この言葉を聞いて、カナタの顔が強張った。

「俺のドールが見たいって?」

「うん」

 視線を逸らして何かブツブツ言っている。

 アリアから言われた事を思い出し、ドールの外見はあるじの人格や性癖の影響がもろに表れることを実感する。

 誰だって、性癖を勘繰られたくはないだろう。

「いいのか、俺にドールを見せるって事は、お前も俺にドールを見せるってことになるんだぜ?

 そうじゃねーとフェアじゃないよな?」

「別に構わないけど」

 ネイトとて、自分のドールを他人に見せるのはなんか恥ずかしい。

 しかし、相手を親友と思える間柄ならむしろ見せなくてはならないという信条もあった。

 信条三〇%、下世話な心が七〇%ではあるが……

 カナタのドールを見てみたい、そのためなら、アリアを見せるという代償は覚悟の上。

「……わかったよ。じゃあ、自室で待っているから、ドールを連れてきな」

「うんじゃあ、四時までには着けると思う」

 時刻を約束し、自室に戻った。

「お帰りなさいませ」

 部屋に戻ると、アリアが部屋を片付けている。

 アリアが来るまでは、男の一人暮らしの典型の如く、散らかり隅には綿埃があったが、整頓と拭き掃除が行き届いている。

 アリアは手にハタキを持ち、掃除用のエプロンと埃を吸わないためのマスクをしていた。

「ドールって……マスクする意味あるの?」

「ええ、ありますよ。勿論、埃を防ぐためではありませんが……」

 妖しく笑う。

 ネイトは性的にそそられたのか、ぐっとくるものを感じてしまう。

 理想の姿をしている以上、男としては、いろんな恰好をしているところ見たくなるだろう。

 つまり、男を喜ばせる演出といえた。

「それでさアリア、今日は友人のカナタの自室に今から行くんだけど……

 君を紹介したいんだよね」

「ネイト様――

 先日申し上げましたよね?」

 真顔に戻り、ずいっと前に詰めてくる。

「いや勿論、アリアを他人に見せるリスクは理解したつもりだけど。

 でもカナタは親友なんだ。生涯をともにするパートナーを見せないわけにもいかないし……」

 七〇%の下世話な心を隠し、三〇%の信条を伝える。

「そうですか……」

 それ以上は何も言わなかったが、反対の意は伝わってきた。

「ドールって、あるじに対しては服従するもんなんだよね?」

 しかし、ここでひくネイトではなかった。

 あるじには基本的に服従するという仕様を悪いかな~……と思いつつも利用する。

「ええ勿論、ご友人に私を紹介するというのはテロや犯罪には当たりませんし、ネイト様がお命じになられるのであれば私はお供します」

「じゃあ、早速――」

「はいそれでは支度をします。

 その前にネイト様! 私は、確かにお諫めしましたからね?」

 ちょっと怒ったかのように強い口調で言われた。

 そんな姿にも見惚れてしまう。

「わかってるよ……」

 気が弱いので小さい声で言い返した。

 もっと従順な存在かと思っていたため、戸惑いを隠せない。

 アリアは長くマントのような黒い布を羽織り、目と手足の先以外を全てを隠した。

 イスラム圏のアバヤを彷彿させる。

 月では宗教についての科目があり、イスラム教、キリスト教、仏教の世界三大宗教をメインに大小、様々な宗教を教えられる。

 月の民は地球から独立を宣言する時、祖国と宗教から決別する誓いを全員が立てた。

 これは宗教を認めないとか弾圧しろという事ではなく、決して我々はいかなる場合においても宗教的な対立をしないという誓いである。

 なので、イスラム教についてもある程度は知っていた。

 意味は逆転しているが、ドールの容姿を隠すというのはその名残かも知れない。

「ここに初めて来るときもその恰好をしていたの?」

 黒い布で、頭と口元を隠し目だけを露出させると中東の殺し屋というかアサシンに見えなくもない。

「ええ、ドールの姿もある意味、個人情報みたいなものですので、基本ドールが単独行動する時は、姿を隠すか、標準服を着るのが原則ですね。

 勿論、あるじが解禁することを望めば、その限りではありませんが――」

 ドールも色々とあるんだな……と感じると同時に、他人から自分のドールを勘繰られたりする行為を想像すると不愉快なのは実感できた。

 学生服を脱ぎ、標準服に着替える。

 標準服とは月政府から支給される、上も下も同じ色した男女兼用の服の事である。

 月政府は月民に衣食住を保証しているので、服も標準服が支給される。地球の人間が見れば、作業服の類に見えるだろう。

 余談だが、西暦一九九七年にカナダで制作された映画『キューブ』に登場する服に似ていることから、一部の人間からキューブ服とも呼ばれている。

 勿論、私服もあるし、お洒落に気を使う人はいるが、逆に標準服さえあればいいという人間も珍しくはない。

 月社会は地球社会と比較すると、圧倒的に支給品が多い、リサイクルや使いまわしが前提で構築されているからだ。

「じゃあ、いこっか……」

「それでは、ネイト様、私の手をとってください」

 そう言って左手の甲を上に向けて差し出す。

「え? 手を繋ぐの?」

 過去に一度も男女で手を繋いだことはない。しかし、地球の映画や漫画は知っている。手を繋ぐとはどういう意味かも理解しているつもりだ。

 正直、恥ずかしくてしたくなかった。

「はい、男女を問わずドールをエスコートするのは人の役割ですよ?

 私達に自由意志はありません。あなた様を生涯支える事が私たちドールの役割なのです。

 ですので、基本的にはドールが人を連れてどこかに行くということはありません」

 例外を上げれば、火災などが起きて、迅速な避難が求められる場合はドールがあるじを連れて移動することはありえるし、あるじが連れていくことを命じた場合も同様。

「そっか……じゃ…じゃあ……」

 心拍数を上げながら、恥ずかしそうに手を取った。

 想像よりも温かく、より恥ずかしい。

「というか、学校で習いませんでした?」

「あまり授業聞いてないから……」

「クスッ……家庭教師もできますよ?」

「遠慮します」

 正直、ドールから物事を教わればプライドが傷つくと思えた。

 部屋を出てから、カナタの部屋に向かう。

 カナタやネイトのいる学生寮ともいうべき、十六歳から十九歳を対象としたマンションの様な居住区には二五〇〇〇部屋が設けられている。

 階層は五つに分かれ、それぞれの層に五〇〇〇もの部屋が並ぶ。

 地球の豪華客船よりも大きく、同じ学生で、同じ建物に住んでいても、それなりに距離が離れていた。

 運搬用のリフトはあってもエレベーターはなく、上下の移動は階段である。

 月においては、節電が原則であった。

 部屋番号の書かれた扉が両側にずらりと並ぶ回廊をひたすら歩く二人。

 天井には、現代日本の地下駐車場のように、パイプやらケーブルなどが通っている。

 現代のタワーマンションなどでは、これらは隠蔽し見栄えをよくするものだが、月では異常の早期発見のため、露出させるのが基本。

 ときどき、知らない学生とすれ違うが、軽く会釈をしてすませた。

 ドールを連れて歩く学生はまずみかけないため、驚く者が多い。改めて、ドールを連れて歩く学生が少ないかが分かる。

 ましてや、同級生に紹介するものはさらに少ないだろう。

 一キロ以上、離れているカナタの部屋にたどりつき、扉をノック。

 表札はない部屋番が刻まれたプレートが付いているのみ、なお、表札をつける事は禁止。ちなみにインターホンはなく、中の人間と会話をする場合は伝声管を使う。

 理由は電力の無駄だから。

「お~い、カナタ~来たぞ~?」

「……今開ける」

 カナタは扉を開けると、廊下を見て誰もいないのを確認してから二人を招き入れた。 

 以前、来たときは部屋が汚かったが、ドールが支給された後からなのか、綺麗に片付いている。

 早速、ドールは何処だと探すより前に――

「いらっしゃいませ。私はカナタ様のパートナードールのエリカと申します!」

 可愛い声が聞こえてきた。

 ドールは特に隠れもせず、部屋の中央に立っていたのだ。

 アリア同様、人の声となんら変わらないが、可愛いアニメキャラの様な声である。

 えへへっ♪ と可愛らしく笑うと、スカートの裾をつまんでお辞儀をした。

 その姿はメイド服を着ているが、メイド服といっても、一九世紀末のイギリスで生まれた服というよりは、二〇世紀頃の日本で魔改造されたタイプに近い。

 そこがいかにもカナタらしかった。

 年の頃は、カナタと同じくまだ二十歳には達していない少女のようで童顔。

 カナタと同じ、黒髪、黒目で身長は一五五センチとネイトよりも少しだけ高かった。

 そして、猫耳なのか犬耳なのか、そういうアクセサリーなのかはわからないが、動物の耳が生えている。

 予想がついていたとはいえ、そのわかりやすすぎる姿を見て噴き出しそうになる。

 その瞬間、ゾクっと背中に悪寒が走り、口をつぐんだ。

 可愛らしい笑顔で出迎えていた筈のその顔が、気づけば殺し屋のような視線で睨んでいたからだ。

 それは『笑ったら殺すぞっ?』と言っているかのようで、蛇に睨まれた蛙という言葉を思い出す。

「だから、お諫めしたのです。

 しかし、ご安心を――私がおりますし、ドールは人に危害を加えません」

 耳元でアリアが囁く。

 確かに、カナタのドールを見るなり爆笑すれば、カナタを深く傷つけるだろう。

 あるじを傷つける対象に対してドールがどう動くのか垣間見た気がした。

 学校の授業において、ドールは基本的に人を傷つけないとはなっているが、あるじを第一に考えるとも習っている。

 あるじを傷つける対象に対しては、まずは睨みを利かせるというのが第一段階なのだろう。

「それで? 約束通り、ドールを見せたぞ?

 お前のも当然紹介してくれるんだよな?」

「う…うん……」

 急に恥ずかしくなってきた……というのが率直な思い。

 姿を隠しているローブを脱ぐように促す。

「かしこまりました」

 ターバンの様な黒い布とマスクを剥ぎ取り、その姿を露わにする。

 首を軽く左右に振り、隠していた紅い髪をなびかせた。

 ふわっとした長く鮮やかな髪が腰まで垂れる。

 カナタは見惚れるというよりはその姿に唖然としてしまう。

「お前……外見で人を選ぶのはおかしいとか散々、俺に言ってたよな。

 思いっきり、見た目重視じゃねーか……

 てゆーか……巨乳好きや、人目を引くために巨乳を利用するやり方を軽蔑してなかったっけ……

 俺が何を言いたいかって言うとな?

 テメーは俺を裏切ったっ!」

「ご…ごめん……」

 凄まれ思わず謝ってしまう。

「しかし、谷間すげーな……」

 カナタは鼻の下を伸ばすというよりは、呆れたようにアリアの谷間を一瞥する。

 ちなみにエリカの胸のサイズはCであり、エロゲー、ギャルゲーの類で巨乳しか出てこない作品は低く評価していた。

 デカけりゃいいってもんじゃねえっ! それがカナタの信条である。

「う…うるさい……」

 笑う事はなかったが、その変わりジト目でネイトを見ている。

「まあ、でも……こういうものですよ。ドールというものは――」

 あるじをフォローするためなのか、アリアが口を開いて語りだした。

「人は皆、最初こそ理想を求め、心の奥底の欲求が強く反映されたドールが設計されますが、年を取るにつれ、落ち着くというか徐々に変わっていくものなのです」

 アリアの言葉を聞き、ネイトはいきつけの食堂で見た、中年夫婦を思い出す。

 正直、どちらも同じような身なりで、同じくらいの歳で、どっちがドールかわからなかった。

「人は年を取り自分だけが老けていくと、ドールが老けない事に対して不満を持ちます。

 ドールが分不相応な外見をしていることが嫌になるのですね。

 ドールは三ヶ月に一回、メンテナンスを受けアップデートされます。

 その時に外見も、些細な範囲ではありますが、アップデートというか修正されます。

 人の心の欲求は変化していくものですから、ドールの姿もそれに応じて徐々に変わっていくのです。

 そして、心の中で折り合いのつくところにきたら、初めて他人に紹介するというのが、一般的な流れではありますが――さて?」

 そこまで言って、チラっとネイトに視線を送る。

 忠告を無視してドールを紹介しあったことを心の中で謝った。

「まあ、何歳になっても変わらず、ドールには理想の姿をしていて欲しいと望む方も当然いらっしゃいますが……

 ネイト様の場合はどちらでしょうね――

 私は、どうであれあるじに尽くすのみですが」

「えらく、ネイトのドールは知性的だな……」

 感心したように呟く……すると――

「え~っ!

 カタナ様は、私が知性的じゃないっていうんですか~っ!?」

 カナタとは対照的に、エリカがその言葉を大袈裟にとらえ叫ぶようにして抗議した。

 まるでその声は、声優が当ててるかのようだ。

 ネイトはアニメキャラが現実に引きずり出されたような印象をうけた。

「いやいや……そういう意味でいったんじゃねーよ。

 エリカはやきもち焼きだな~……

 エリカは可愛いからいいんだよ、エリカは可愛いからっ!」

「え~っ! そんな、可愛いだなんて、えへへへへへっ!」

 急にバカップルというか、デレデレし始める二人。

 正直、その光景にはひいていたが、同時に仲良さそうな二人を羨ましくも思う。

 その後は、四人で談笑して過ごした。

 六時には別れをすませ、カナタの部屋を出る。

「いや~っ……盛り上がったな~……

 睨まれた時は、殺されるって思ったけど……

 結果としては、カナタに早々にアリアを紹介できてよかったと思う」

「良かったですね。ネイト様」

 アリアは微笑みながら、その言葉を肯定した。

 ネイトはその顔に、少し照れながらも会話を続ける。

「しかし、驚いたな……

 ほら、アリアがそうだけど、ドールって精神年齢が高くて当たり前というかさ……

 エリカは見た目もそうだけど、全体的に幼さを感じるというか……

 まあ、ドールにも個性や性格があるということか……」

「ネイト様――」

 ふと気づけば、アリアの表情が真顔になっている。

 こういう顔をする時は、重い話をする時だ。

「申し上げにくいのですが――」

 何処か勿体つけた言い方……

 つまりこれは、心の準備をさせるためということがわかる。

「私達ドールには、性格も個性も感情もありません」

 きっぱりと無表情に、そして、冷たく言い放つ。

「えっ? んなバカな。

 そういっても、エリカとアリアは全く違うよね?」

「いいえ、見た目以外は同じです。

 違うように感じるには理由があります。

 いずれ、習うとは思いますが、私達には反射感情論という理論が使われています」

「反射感情論?」

 初めて聞く言葉であった。

「人工知能は未だ、完璧に人の知能を再現するものではなく――

 現状の人工感情は『笑う』『怒る』『悲しむ』などの単純な感情を表現するだけの子供騙しな代物であり、そして、アンドロイドに感情を導入するのは危険という見解が主流です。

 しかし、感情を持たない無機質なアンドロイドでは、人間のパートナーは務まりません。

 それでは人の孤独を和らげることができないのです。

 ですが、月のような密閉された空間でのコロニーにおいて、心を和らげるパートナードールの導入は急務でした。

 その*落としどころ*として、構築されたのが反射感情論です」

 淡々としたアリアの講義が始まった。

「人は感情を言葉、表情、しぐさで表現します。

 しかし、私達は人間の言葉、表情、しぐさを読み取って、言葉、表情、しぐさで返しているのです。

 私が笑顔になるのは嬉しさや喜びという内なる感情からではなく、貴方の感情を読み取った結果、笑顔で応えるのが貴方の心の安定に繋がると計算し処理したからに過ぎません。

 私たちはアンドロイドで、関係は恋人や主従ですが、実態は道具に近い存在なのです。

 重要なのは人であるじで貴方です。

 私達ドールに感情は必要なく、人の感情を安定させるためだけに、まるで感情があるかのようにふるまい、演技・演出をしています」

 言葉を失った。

 元々、パートナードール制度にどちからといえば否定的な考えを持っていた。

 しかし、いざ出会って見ると欲求が反映された外見効果もあって、アリアの品の良い微笑が好きになりかけていた。

 だが、性格も個性も感情もないという言葉は、自分の想いをどこか否定された気分になってしまう。

 アリアはそんなネイトの気持ちを他所に、淡々と冷たく講義を続けていく――

「私たちに性格も個性もありません。

 私たちが個性的に見えるのは、あるじと定めた人間に個性があるからです。

 反射感情論はあるじ――つまり対象がいないと成立しませんから、私の性格や個性は、私の内に存在するものではなく、ネイト様から授かったものなのです」

 『裏返し』や『反射』という無機質な言葉を使わず『授かった』という相手を立てる言葉を使うのが、あるじの感情を少しでも和らげるための理論かと思うと余計に辛かった。

「ですから――

 例えば、パートナードール同士をあるじに定めた場合、何もしない人形が二体そこにいるだけとなりますね。

 私達には自由意志がなく、自発的に動きません。となれば、微動だにしないドールからは読み取れる情報が何もありませんから、何もできません」

「もういいよっ!

 今は、その話をやめてくれるかな?」

 苦痛に耐えきれず思わず怒鳴ってしまう。

「かしこまりました」

 講義を無理やり止めた。

 心を持たない存在、それが人と同じ姿をして語りかけてくる。その事におぞましいものを感じてしまう。

 ネイトは少し冷静になって言われた内容に思考を巡らせる。

 話からすれば、ドールは対象、つまり自身のあるじの感情が安定するように言葉やしぐさを返していることになる。

 しかし、今の話は明らかにあるじが傷つく話で、それはドールだって読み取れるだろう。

 つまり、あるじの心情よりも優先することがドールにはある。

「……どうして、今の話を僕に聞かせたの?」

「そう設計されているからですね。

 反射感情論やあるじを第一に考えるだけが、私達の行動原理ではありません」

「なるほど……月社会全体を考えての行動ってことね?」

「はい……*設計者の意向*――

 それが何よりも優先されます」

 例えばあるじが、銃を作れとか神経ガスを作れと命じても従うわけにいかない。

 社会にとって悪い結果を生むものは認められないのはわかる。

 しかし、今の話はそれでも疑問が残る……

「ねえ? 今の話がどうして社会全体のためって話になるの?」

「わかりませんか?」

「うん」

「では、この話の答えは今後の課題としましょう」

「なんだよそれ」

「月の理念をお忘れですか?

 せっかく、ご友人がいらっしゃるのですから、皆で話し合ってみてはいかがですか?」

 月の理念の一つとして『正解を知る事よりも、正解について考える事の方が重要だ。何故なら、正解とは神のみぞ知るだから』というものがある。

 理系においては、正解を知る事よりも、どうしてそれが正解となりえるのか? を理解しているかが重要であり。

 文系においては、そもそも正解がなかったりする。

 だから、よりよい答えを得るために、皆で考えましょうね! ということらしい。

 月では『バカ』よりも『考えナシ』の方が罪深いのだ。 

 しかし、釈然としなかった……

 気分が沈み、モヤモヤしていると唐突にアリアが身を寄せ腕を絡めてきた。

 男の悲しいさがなのか思わずドキっとしてしまう。

 「ふふっ……

 そんなことよりも、今は、部屋に戻った後をどうするかを考えた方がよくありませんか?」

 上目づかいで小悪魔の様に囁いてくる。

 いきなり色仕掛けかよ……と、そう思ってしまうのも無理はない。

 強引に話題を変えようしているのは明らかだが、ボディタッチ効果もあるのか、部屋に戻った後に思いを巡らそうとすると――

「ご飯にしますか? それとも入浴? そ・れ・と・も……」

 そこから先は何も言わなかったが、何を指しているのかは想像ついた。

「ご飯にします」

「かしこまりました。

 遠慮なさらず、いつでもきていいのですよ? 私はそのためにいるのですから。

 あまり、無理をなさらずわたくしと――」

 沈んだ気分などなかったかの様に頬が熱くなるのを感じた。

「アリアはさっ! 僕の事をどう考えてもからかっているよね?」

 恥ずかしさを紛らわすために声を荒げてしまうが、心を持たないアリアは全く動じない。

「はい、勿論♪」

 嬉々として即答。

 口元が笑みの形に歪んでいるところが、性悪を彷彿させた。

「感情の無い人形が人をからかったりできるものなのっ!?」

 思わず無礼な言葉を使うが、アリアは涼しい顔で言葉を返した

「そうですね――

 それを説明するには、まず反射感情論について、もう少し知っていただく必要が――」 

 芝居がかかったように目を閉じ腕を組んで、どこか得意げに語ろうとするが――

「あ~い~よい~よ。その話は後で……」

 なんか脱力してしまい、講義を中断させた。

 そして話を聞かなくても答えはわかってしまう。

 アリアがあるじをからかうのは、モヤモヤしている――

 つまりあるじの抱えたストレスを少しでも散らすための行為なのだ。

 しかし、気を紛らわすにしたってなにもからかう必要はあるのだろうか? 

 疑問がよぎり、それを直接本人に聞いてみたくなったが、聞いたらさらにからかわれると予想して口を閉じた。

「ふうっ……」

 大きくため息をついたが、気分は少し落ち着いていた。

 感情が無いことをあえて教える理由か……

 今は知る由もないが、改めて考察しようとは思った。

「しかし、パートナードールってよくできているよね」

「はい、私達は月の叡智の結晶ですから」

 アリアは微笑んで答えた。


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