西暦二三〇五年
西暦二三〇五年十月一日。
「今日はいい天気だな……」
ネイトは大の字に倒れ青空を見上げていた。
雲はなく正に快晴である。
月で暮らしていた時、常々思っていた。本当の青空を見てみたい。
月でもプラネタリウムは建設されており、疑似的に青空や夕焼けを体験することはできた。しかし、それは決して本物ではない。
一面に広がる、綺麗な青に満足していた。
もうすぐ自分は死ぬと悟りながら……
足跡が聞こえてくる。
音の方向へ目をやれば、アリアが飯盒に入った沢山の虫と野草を入れて戻ってきていた。
「申し訳ございません。遅くなりました」
「気にしてないよ」
笑って言葉を返した。
アリアの髪は黒ずみ、肌はボロボロ、服は泥にまみれている。
美しかった面影はなく、まるでホームレスのようだ。
飯盒を置き、食事の用意に取り掛かる。中に入っている虫達は今日の食材だ。
「……ねえ、正直に答えてほしいんだけど、僕は後、どれくらい生きられる?」
ここ数日、喘息の発作が起きて体調が悪い。
降り立った当初は防護服を着ていたが、直ぐに破れて使えなくなった。
地球の空気が合わず、明らかに毒されている。
「まだ、死ぬと決まったわけではありません。
そんなに弱気になられても、死を早めるだけですよ?」
「そうはいっても、望みは薄いだろ。
僕はもう、この空を見れて心は満たされている。
だから、正確な事を知っておきたいんだ」
その言葉を聞いて、少しムッとしたのか、表情が険しくなった。
ドールはコミュニケーションに置いて、様々な表情を見せるが、主に対して怒る表情を見せることは少ないため少し驚く。
「ネイト様が、自分の死期を正確に知る必要はありません。
今は、これぐらいしか言えませんね」
「こんな状況になっても思わせぶりだね……」
「ふふっ……ドールとはそういうものです」
問われた事に対して、ドールは正解を答えることはさほどない。
基本的には、主に考えさせるように仕向けてくる。
「ふむ……僕が自分の死期を知る必要がない理由か……なんだろうな?」
改めて、今の絶望的状況を整理する。
現在、大気汚染のせいなのか、肺を始め、体が毒に侵されているような状態だ。
病院がないこの状況じゃ、まず助からない事が予測される。
月に帰る手段はないし、助けも来ない事は想像つく――
ひょっとしたら自分は悲観的になりすぎているだけで、体調が悪いのも一次的なものであり、まだまだ生きられるのだろうか?
しかし、不安は消えず、思考が堂々巡りする。
考えこんでいると、調理が終わったのか、飯盒のフタを皿替わりに、煮えた虫と野草を載せて傍によってきた。
「体を起こしますよ?」
「うん……」
ネイトの体を起こすと、スプーンで虫を口に運ぶ。煮えた虫と野草は当然不味い。
それでも、虫はエビの様な味がして多少はマシだった。
「こんな状況でも、味の良い虫を探してくれたの?」
「ふふっ、当然です。
不味いものばかりでは、ネイト様の気が滅入ってしまいますから」
微笑を浮かべた。
「相変わらず綺麗だね……」
「恐れ入ります。
ネイト様が、地球に行きたいと言ったのは? この青空を見るためですか?」
「まあ、動機の一つではあるね……
小さい頃から読んだ、作品の殆どが地球を舞台にしたものだったからさ、それの影響の方が大きいと思うけど……
というよりも、つまらなかったんだよね、身近な月を舞台にした小説や映画はさ……」
「変わってますね……」
「そう?」
「戦争を題材にした小説や映画を好む人は多数いますが、戦場に行きたいとか戦争を起こしたいと思う人は少数でしょう」
「う~ん……そうくるか……」
「こういう話は不愉快ですか?」
「いや続けて、会話している方が気がまぎれる。僕が変わり者なのはわかった。
それでアリアは何が言いたいの?」
「変わり者の中にも、やはり大者と小者がいます」
何も言わなかったが、自分が小者と言われているのは想像がつく。
「月の安定した暮らしを捨ててまで、片道切符なのがわかってて、周囲の反対を押し切ってまで地球に来たのです。
それでいて最後に青空を見て満足するのは、いかがなものかと……」
「はいはい、わかったよ。
青空の次は、オーロラでも見に行けって?」
「オーロラ……素敵ですね。
極寒という壁はありますが、不可能と決まったわけではありません」
「……そうだね」
「ネイト様、私にオーロラを見せてくださいますか?」
その懇願は心を少しだけ熱くした。
「……これからはオーロラを目標にして、もう少し頑張ってみるか」
流石にハードル高すぎるという本音はこのさい押し殺す。
「私も力の限り、補佐させていただきます。
さあ、私の手をおとりください」
ネイトはアリアの差し出した手をとり立ち上がった。
アテの無い旅を再開する――