進路
月歴一〇二年。
ネイトはカレッジに進学した。
与えられる部屋も広くなり、1DKから1LDKに変わった、同棲から新婚に格上げされたような間取りだ。
洗濯機が配備され、キッチンの規模も大きくなり、コンロがニつになりシンクも広くなる。
何よりも、洗面所、風呂、トイレが独立したのが嬉しい。トイレには温水洗浄便座が付いた。
普通の月民であれば、新しく始まる生活に胸をときめかせるだろう。
カレッジの授業は、将来を見据え自由に選択できる。
ヴァーチャルアースの影響もあって、人気なのが地球学部で、ネイトも地球学部を選んだ。
正に地球を学ぶわけだが、多岐に渡り、月が独立して一〇〇年経過していても、全然追い付いていないのが現状だ。
常に新しい学科が生まれては消えている。単純に学科を維持するだけの人口が足りないのだ。
よって、月はもっと人口を増やし、月民に様々な研究をさせていきたいが、人口上限の壁にぶつかっている。
議会は人口増加と現状維持で割れていた。
人口増加政策をとれば『進歩力 = ドールの性能 × 人口のx乗』なので、科学の進歩を加速させる事が可能。
分母が増えれば増える程、技術革新のきっかけとなる天才だって生まれやすいだろう。
しかし、急激な人口増加は、環境の安定に負担をかける、今はバランスの取れた環境を保っているが、人口増加によって酸素と二酸化炭素のバランスが狂えば悲惨な結果が待っているだろう。
現在の人口増加のペースは一年で一万人。現在の人口上限は一〇〇〇万人で、現在は九二〇万程。
都市を拡張すればいいと思う人もいるだろうが、そう簡単にはいかない。
何故なら、月には海がなく、水の量が限られているからだ。水の量を増やさない限り、人口上限を増やす事は難しい。
月の地質には氷もあるが、劇的に増やせるような層はまだ見つかっていなかった。
西暦一九四五年から二〇〇〇年にかけて、五四九四万人増えた日本を考えれば非常にゆっくりなのがわかる。
「ただいま……」
「お帰りなさいませ」
授業が終わり、新居に帰ったネイト。
「アリア、早速で悪いけど」
「構いませんよ」
ヴァーチャルアース・エンジニアの試験対策を始めた。
授業は真面目に受け、帰れば試験対策、勉強をしている時が、社会や環境に対するなんとも言えない不安や*怒り*を忘れていられる。
目の前にいるのは、パートナーではなく、人の形をした教材と割り切る。
ハイスクールの時と比べ、アリアはネイトをあまりからかう事をせず、淡々と教えるべきことを教えていた。
そのせいか、ハイスクールの時に比べて、学業の成績は右肩上がりである。
中学の時の成績が微妙だったのは、ドールによる家庭教育を受けられなかったのが大きい。アリアを得て、それを得られるようになれば当然とも言えた。
しかし、それが皮肉というか、なんともいえない不快な感覚を生んでいる。
人付き合いは苦手だが、アリアのアドバイス通り、積極的に現役エンジニアの関わっているサークルに参加したりしていた。
そして、ハイスクール時代の友人達との付き合いも維持している。
本来だったら、リア充と呼ばれてもおかしくないが、その心は黒いモノに蝕まれていた。
「ふふっ……順調ですね」
模擬試験的な、択一問題集をネイトは解いていたが、一〇〇問中九二問正解。
「ああ……うん……」
現在ネイトは、鬱屈した思いに支配されている。当然それはドールに読み取られているだろう。
だから、何かしらの行動に出てくることが予測していたが、アリアは普通にネイトを支援してくる。
これが不気味でしょうがない。
「どうしました? 暗いですね……」
考えていてもしょうがないので、いっそ気持ちは伏せて、本当の事を打ち明ける事にした。
「実はね……大学で地球を学んでいる過程でさ……
そのヴァーチャルアースのエンジニアよりも、やりたい事っていうのかな……
そういうのがでてきちゃって……」
「なるほど……そのやりたい事とは?」
ネイトは言葉に詰まる。基本的にこの事は誰にも言ってない。
言ったら笑われると思っているし、非現実的な話だし時期尚早な気もする。
「……地球に行きたいんだ。
ヴァーチャルじゃなく……リアルアースにね……」
月が地球から独立して一〇〇年、地球に電波を送っても返事はなし、昔かわした条約を守って、地球の周囲に人工衛星も飛ばしていない。
望遠鏡で眺めるだけで、地球に行った者は誰もいない。
つまり、行けるわけがない。
それでも打ち明けたのはいくつか理由がある。
一つは本当に行ってみたいという純粋な気持ち。ヴァーチャルアースエンジニアを目指し、カレッジでは古生物学を勉強しているネイトだが、月の古生物学は現在、数独を解くかの様なフェーズに進んでいる。数独に予め記載してある数字を化石が見つかっている生物とするなら、空白のマスは化石が見つかっていない生物。
見つかった化石を分析し、まだ見つかっていない生物を推測する。
ざっくりいえば、この肉食動物Aがいて、この植物Bがあるなら、Aに食べられてBを食べていた草食動物Cがいる筈だ。
見つかっている化石はあまりに少なく。仮想空間に、その復元を全てを実装しても、スカスカな地質時代にしかならない。従って、予測・推測でいたであろう生物を実装するしかない。
予測・推測ができるなら、その答え合わせがしたくなるのもまた人間。
地球に行き、ここの地質を調べれば、Cの化石が見つかる筈だという仮説。
ヴァーチャルアースのエンジニアを目指せば目指す程、地球に行きたい欲求が強くなる。
二つ目の理由は、月の社会から逃げ出したい。何をどうやったって自分は何者にもなれないし、ドールを受け入れる事ができない。自分の居場所が無い。
最後の理由は、アリアに対する嫌がらせ、ドールは夢を追うように促してきたり、主に尽くす存在。地球に行きたいという無理難題を吹っ掛けて、どんな反応をするか見てやりたくなった。勿論、否定すれば、役立たずと罵るつもり。
これが友人のカナタやマリーに相談しない理由。
「それは、ネイト様の〝夢〟ですか?」
確認するように聞いてくる。
「そ…そう……夢って言っていいと思う」
嘘だった。
純粋な気持ちがあるといっても、もう子供じゃない。政治的な理由が絡む事だって理解している。火星に行く方がまだ現実的、それくらいわかる。
ネイトは帰省したあの日から、月に自分の居場所はないと思うようになっていた。
ドールを手放したい、でもドールを手放せば実質未来はない。
自由に生きたい、それができないなら、生きる意味はない、そんな鬱屈した思いを〝夢〟という言葉で誤魔化す。
どうせ――
「それは、素晴らしいですねっ!」
アリアは破顔したような表情になり、ネイトの手を取った。
「……えっと、反対しないの?」
面食らう……ネイトとしては、どうせ心を見透かされ、説教が待っていると思っていたからだ。
「どうしてですか?」
「……いやだって、無理難題だろ? 正直、友達にはこの話はしていない。
笑われると思うし……アリアは別に笑ったりはしないと思ったけど、否定はしてくるかなって」
「なるほど……確かに、難易度はヴァーチャルアースのエンジニアよりも遥かに高くなったと言っていいでしょう」
「だから、遥かに高くなったっていうかさ、不可能だろ?」
どうしてコイツは素直に否定しないんだと、苛立ちが強くなる。
「いえ、そんなことはないかと」
「だって、地球に行った人間なんて今までいないんだぞ?」
「それが理由になるのですか?
ニール・アームストロング様とバズ・オルドリン様だって、過去に誰も行ったことがない月に行ったんですよ?」
西暦一九六九年七月二〇日、宇宙飛行士のニール・アームストロングとバズ・オルドリンは、人類史上初めて月面歩行をした人間である。
「いやそうだけど……それ詭弁だよね」
ネイトは頭を抱える。
「……そんなに否定して欲しいのですか?」
アリアは訝し気な表情をしてくるが、ネイトはその類の演技を見て虫唾が走った。
「行きたいって言えば、行けるものなのか?」
カッとなり、強い口調で言い返す。
「いえ、流石にそれはありませんが、その道を目指す事自体は、別に変な話でもないかと」
「現実としては行けないんだけど、行くのを目指す事には意味があるみたいな慰めはいらないからな?
じゃあ、現実に地球に行くとして、僕は一体何をすればいい?」
「そうですね、まずは学業にしっかり取り組みましょう。そして、宇宙飛行士を目指す事ですね。
自然科学系の研究、設計、開発などに携わりましょう。学校が終わったら、自然科学系のサークルを覗いて見る事から始めればよいかと。
地球に行くなら、地球の事を学んでいることもプラスになりますし」
「それだと、宇宙飛行士にはなれても、地球に行けるかどうかはわからなくないか?」
「確かに、行けるかどうかはわかりませんね。
とはいえ、月政府に交渉くらいはできますよ? 地球に行きたいっていう交渉は。
勿論、交渉するなら、学業とか日頃の行いとか推薦を貰えるかとか、そういうところが重要になってきますが、外堀の埋め方は私がしっかり尽力します。
国際的な問題もありますが、現在、地球に対して有人探査を行うべきと主張している科学者や議員は約半数いらっしゃいますしね」
実際、有人探査に関しての是非は、議員や世論は真っ二つに割れている。
「……そこまで非現実的ではないと?」
「全然非現実的な話ではないですね。
ハイスクールの時はともかく、今は成績も良いですし先生にも気に入られているではありませんか、月の大学は複数ありますが、基本的にはどれも同じ大学です。
地球社会のように、世界的権威のある大学のようなものは存在しません。
つまり、席がエリートに奪われるようなことはないですし、コネも要りませんよ。
というよりも、心配事はそこじゃなくて、ライバルが沢山いることだと思ってください。
地球に帰る第一号に俺はなるんだって思っている若者は多いですよ?」
言われてみればその通りだろう。
ヴァーチャルアースの絶対的な人気からもわかるとおり、地球に憧れやコンプレックスを感じている人間は多い。
「……つまり、悩んでいる場合じゃないと?」
正に半信半疑、言いくるめられているという感が否めないが、詭弁を並べているだけとも思えない。
「ふふっ……せっかくですから、月社会のドールの目指すところを教えましょう」
「目指すところ?」
「生命・宇宙・過去・未来・高次元・芸術・文化・技能と万物の方向に人類を向かわせる事。ワープマシンとかタイムマシンを作るという意味ではないですよ? 文化を発展させていくということですね」
「それは分かるよ。しかし途方もないような話だね」
「そして私達ドールは、人類の足跡と未踏の境界線までの案内人なのです」
ドールには最先端の科学が常に導入される。ドールが知らない先は人類未踏の領域。
ドールは個人がその境界に少しでも早く辿りつけるようにするための創られている。
「境界線までいったら?」
「ふふっ……いつも言ってますよね? 私の手をとって先に進んでください」
未踏の地に一歩を踏み出すのは人類の役目。ドールはあくまでも人類を助けることしかできない。
「果てまで行ったら?」
「祝杯をあげてから、手を繋いで帰りましょう。文化はあらゆる方向に発展し、やがて一つに収束すると言われています。私は文化の収束点でもあるのです」
アリアはニコっと笑ってみせた。
「収束点?」
「ええ……常に社会の*誰か*が、*何か*を持ち帰っています。
私は、その何かを持って成長し、成長した私達を人類一人一人が共有する。
そして成長した私達が人類を境界線まで案内し、人類がまた一歩踏み出す。その繰り返し……それが、月の目指す社会。
私達は人類を楽させるための奴隷ではありません。
人類と共に発展し成長する――」
「〝パートナー〟か……」
「その通りです。
ネイト様が地球という〝夢〟を持ったということは、それは境界線を見つけたという事です。地球はまだまだわからないことだらけですから」
「夢か……でも地球に行くなんて……」
「ふふっ……*夢*を見つけた以上、そこに向かって走らない意味がありますか?
ドールをエスコートするのは人の役目ですよ?」
嬉しそうに笑うアリアの顔に眩しいものを感じる。ドールに感情はないが熱くなっているように見えた。
というのも、ドールは人間に〝夢〟を追わせるように設計されている。それは、何があっても否定せず協力する事を意味する。
無論、国王や大統領を暗殺するのが〝夢〟といってもしばかれるのがオチだが。
「*夢*があるのならそこに私を連れていってくださいねっ! ネイト様っ!」
ドキっとすると同時に、無理難題を吹っ掛けてやりたかったという自身の小ささにむしゃくしゃする。
「適当な事ばかり言いやがってっ! 本当に地球に行けるんだろうなっ?
もし、本当に行けるなら、何で一〇〇年もの間、地球に行った奴がいないんだよ!」
「行く人がいなかっただけの話ですよ。何にだって〝始まり〟はあります。その始まりがネイト様だったという事です」
「君はいつもそうやって僕を丸め込もうとする」
「それが何か? 人類は缶詰を開発し、缶切りを開発するまで約五〇年かかりました。
缶切りを考えたエズラ・J・ワーナー様だって、何で今までこれを考える奴がいなかったのかと疑問に思った事でしょう。でもそんな事は、永い人類の歴史の中ではよくある話なのです」
「行けるわけがない……」
「ネイト様……」
アリアの表情が一転して真顔になり、声も低くなる。体がビクっと反応した。
「……な…なに?」
「……ひょっとして、本当は行きたくないんですか?」
「そ…そんなワケないだろ、だけど現実的に無理としか思えないというか、政府が承認するわけない」
「わかりました。政府は私が何とかします」
「なんとかって……」
「ふふっ……私には一流ネゴシエーターの技術もありますし、一流のプレゼンテーションもできますよ?」
「でも相手だって、ドール相手に慣れてるんじゃないの?」
「ふふっ……私にはネイト様のくださったこの姿があります。ドールは美男美女が多いですが、私は群を抜いているといえるでしょう。これは有利に働くかと……」
「ハニートラップでもする気なの?」
「ご安心をっ! この体はネイト様の物ですよ。
そんなことをする筈ないじゃありませんか。
それよりもネイト様……」
「な…なんだよ?」
「ネイト様も約束してください。私が政府を何とかしますから、ネイト様も実現に向けて努力すると」
「わ…わかったよ」
「では指切りですっ!」
アリアは嬉しそうに、小指を差し出した。
ネイトは本当に針を千本飲ませる気じゃないだろうな……と不安に駆られながらも小指を絡める、恥ずかしくなり視線を逸らす。しかし、この時は何を〝約束〟してしまったのか実感が持てなかった。
それからは何とも言えない不安を誤魔化すようにして学業に励む。
それからしばらくして……
「……承認が得られた?」
地球探査の法改正に積極的な議員やら著名な科学者に接近し、協力を得る事に成功したアリアは、一枚の誓約書をネイトに提示した。
内容は難しい事が沢山書かれており、地球の調査内容の要望などが書かれている。
この地球探査において、月政府はあくまで承認するだけで、国家がバックアップすることはない。地球探査を認めない議員は半数はいるからだ。
探査は有人が条件で無人は認めない、これを認めると、探査希望者が増え、議員の仕事量が増えて収拾がつかなくなり、探査機という名のゴミを地球に落としまくる事態になるかもしれない。
また政府は、いかなる場合においてもネイトを助けない事が記載されていた。
「これって、片道切符ってこと?」
「そうなりますね……
重力の問題で、月から地球に向かうには発射台が無くても特に問題ありませんが、地球から月へと帰るとなると発射台がないとどうにもなりませんから」
「それもそっか……」
ネイトは考え込んだ。片道切符ということは要するに鉄砲玉ということである。
地球に行きたい、月に居場所はないと思っていても流石に自殺願望があるわけではない。
「う~ん……」
「これで、政府が月民を地球に行かせるつもりがないというわけではない事はご理解できましたか?」
この言葉はネイトの気に障った。私は貴方との約束を守り、政府から承認を得ましたよと言われているようだ。
後は、自分がこの書類に署名するだけだが、さすがに片道切符には抵抗がある。
「……怖いですか?」
書類を凝視し躊躇っていると、アリアが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「こ…怖いわけないだろっ!」
アリアの表情にプチンと来たネイトは書きなぐるようにしてサインした。
その瞬間、ヤバイものに署名したのではないかという不安に駆られる。
いや大丈夫、これはあくまで政府の条件を飲んだだけ……まだ、実現できると決まったわけではないと言い聞かせた。
「ネイト様……顔色が悪いですよ?」
「……ねえ、政府は確かに承認してくれたし、条件もわかったけど……
手伝ってくれたりはしないわけだよね?」
「それはまあ……流石に物理的な支援は期待できませんね……」
「じゃあ、実質無理だよね……宇宙船が無いんだから」
「ああ……なるほど、そのような事を心配しておられましたか……」
「いや別に、アリアを責めているわけじゃ……」
「大丈夫ですよっ!」
破顔するアリア。
「……何が?」
「宇宙船くらい、私が作りますからっ!」
えっへんと言わんばかりに胸を張る。本来の精神状態であれば、谷間に目が行くものだが、そうはならなかった。
「待て待て待て……宇宙船を作るだって? 無理に決まっているだろっ!」
「何を言っているんですかっ!
今は_24_世紀ですよ? 初期のソユーズくらいの宇宙船であれば、大学の設備で十分作れます。昔、行われていた鳥人間コンテストのようなもの……
地球にあるような大層な発射台も必要ありませんし……別に冥王星に行こうというワケじゃないんですから」
実際問題、月のデータベースにはソユーズの設計図やスペーシャトルの設計図もあり、これまで人類が作ってきた宇宙船が全てデータ化されているし、自由にアクセスできる。
月の叡智の結晶であるドールには宇宙船を設計し組み立てるだけの知識も技術もある。
「……本当にできるの?」
「お任せください。それなりに時間がかかりますから、二年後を目安にしますね」
「う…うん……」
まだ、二年ある。地球探査なんて、どこかで頓挫するだろう……ネイトは自分にそう言って現実逃避をすることに決めた。
翌日、ネイトが大学に行くと、通り過ぎる学生が皆ネイトを見てくる。
中には目を輝かせて見る者までいた。過去に一度もそんなことはなかったので気味が悪い。
教室に入るなり、笑顔で先生が駆け寄ってくる。古生物学の先生で一番お世話になっていると言えるだろう。
「な…なんですか?」
「いや~アリア君から聞いたよ。まさか、地球行きの承認を得るなんてね。凄い学生が現れたもんだな~……ハハハ。流石にいきなり地球に行って化石の発掘は無理だろうけど、これは偉大な一歩だ。
安心したまえ、校長先生も全力で君をバックアップするつもりだ」
本来なら喜ぶべきところだが、血の気が引いた。まるで死刑囚になった気分だ。
アリアは宇宙船の制作が決まると、早速、学校に政府からの承認が得られたことを伝え、協力を申請していた。学校側は、学校にある設備を自由に使っていいことを約束した。
話がどんどん大きくなり周囲を巻き込んでいく……
タブレット端末にアリアから、校舎にある空室を借りれたので、今後はそこを中心に活動するとお達しがきた。
ネイトがその部屋に向かうと、早速アリアが学校から借りた高性能PCを使って、宇宙船の設計図を制作している。
「仕事が速いね……」
「それはもう。ネイト様の為ですから……」
笑顔での回答。それが怖い。
「あと、国王陛下からも書簡を賜りました」
「……書簡?」
「まあ、地球に現存している国家が残っている可能性は限りなく低いですが、あった場合は渡せと」
「そ…そう……陛下まで……」
話が大きくなりすぎだろっ……と心の中で叫ぶ。
「それとネイト様……私が宇宙船を作るまでの間、やっていただくことがあります」
少し厳しい表情に変わる。
「やること?」
「重力トレーニングです。
地球は月の六倍、過酷ですよ? 重力加速度を利用してGをかける重力エレベーターの使用許可が下りました。今からその宇宙飛行道場の所在地やトレーニングメニューを送りますね」
端末タブレットにメッセが届く。筋トレの内容や食事の内容まで書かれている。
「今、さらっと言ったけど、宇宙飛行道場って何?」
「宇宙飛行道を指南する道場の事です。宇宙空間は常に冷静である事が求められます。
そして、宇宙に行くわけではなくても、鍛錬や精神修行を目的に入門する方は多数いらっしゃいます。宇宙の心得を習得する場であり、宇宙飛行を生きる道にする人の集う場ですね」
退くに退けなくなったネイトはヤケクソ気味に道場の門を叩くのだった。
よく、顔を合わせる顔見知りの学生たちからは羨望の眼差しで見られ、拍手喝采。
「いや~、凄いですねネイトさんは」
「そ…そうかな……ただ地球に行くだけだよ?」
「そのただ、行くだけが誰もできないことなんですよ。
過去にも地球に行きたいって人はいて 実際、国から承認も得たけど、帰ってこれませんからね、結局怖気づいてしまう」
「い…いや、僕だって怖いんだよ?」
「ですよね~。でもネイトさんなら恐怖に打ち勝てますよっ」
コイツは僕の命の心配はしないのか……ちやほやされるのは嬉しいがなんか釈然としない。
一方アリアは詳細に書いた地球探査計画書を月政府や支援者に提出。ドールが書いた計画書は基本的に完璧なので、あっさりと承認された。第一段階クリアというわけだ。
次に宇宙船の設計で図面などを提出、これも承認され、宇宙船に使う部品や素材の使用許可が下りた。
アリアは、部品や素材の輸送の手配をし、着々と地球探査計画をすすめていく。
死刑執行を待つような気分でいるネイトの元に朗報が入った。
小規模だが、都市で火災が発生し、復興に資源が優先される。
つまり、材料の遅延で、スケジュールがかなり圧縮されることが決定的となったのだ。
「これじゃあ、納期間に合わないよね? ここを借りられる期間も決まっているし……」
「現状ではそうですね……」
「アリアのせいじゃない、運がなかったんだよ。計画は中止だね」
「これでは支援者の方々に顔向けできません。私がなんとかします」
「いやいや、なんとかするってどうやって?」
アリアはネイトを心配させまいと微笑を浮かべてネイトを見る。
「ネイト様……確かに人生は思い通りにはなりません。しかし、交わした約束は必ず守らなくてはならないのです」
その聞こえの良い言葉の前に沈黙した。
材料到着日、拠点にネイトが顔を出すと、カナタとエリカ、マリーとセバスチャンがいる。
「なんでいんの?」
「なんでって……お前の地球探査計画が頓挫しそうだからその助っ人じゃねーか」
「安心してください、ネイト様、ドールが三体いれば、余裕で間に合いますよ。私頑張っちゃいますから~っ!」
「しっかし……アンタやるわね、まさか地球に行こうなんて……
拗らせの極みって感じね……」
「あ…ありがとう……」
ひきつった顔でお礼を言う。
「しかし、お前が地球に行くっつーなら、俺も目指すべきところを目指さねーとな……」
「目指すところ?」
「ああ……俺はドール開発者になる。目指せドール・ディレクター」
ドール好きなカナタは、月の実質の最高職と言われるドール・ディレクターを夢見ていた。
「カナタ様ならなれますよ~っ!」
「ドール開発室って月で最もイカれた連中が集う場所って言われているわよ?
一日二十五時間働きましたって、訳のわからない事を言う人がわんさかいるって……」
「それがどうした。俺はそんな事、気にしない。
それよりもネイト……お前ってやるときはやる男だったんだな……見直したぜ……」
ネイトは漢の顔をしているカナタを見て、泣き言をいうのをやめた。
アリアは圧縮されたスケジュールの煽りを受けて宇宙船の制作にほぼかかりきりになる。
道場での重力トレーニングは地味で孤独で苦行だった。
途中で挫けなかった理由は、引っ込みがつかない心理と、夢中でトレーニングをしていると嫌な事を忘れていられたから。
ただ、最初は怯えていたネイトだったが、道場でしごかれ、体に筋肉がつき屈強になっていくと、自信がつき不安もある程度、和らいでいった。
道場で、過酷としか言いようのない宇宙を探求するとはどういうことなのか? そのような事を指導される。
月において、有人探査最長記録は、海王星の衛星トリトン、往復で約十年のミッション。
そして、パイロット達は行く事はできたが、帰ってくる事はできなかった。
このことをどう捉えるのか? 無人探査機だけを送っとけばいいと笑うのか、それとも人の身で行こうとした勇気を称えるべきなのか。
師範の指導効果なのか、ネイトは地球に行くという事に誇りを持てるようになる。
しかし、心が落ち着けば、同時に冷静にもなっていく。
何故あの時、あんな約束をしてしまったのか? どうして、アリアに対し、地球に行きたい等という、無理難題を軽はずみな気持ちで吹っ掛けてしまったのか?
国が承認しても、どこかで計画が頓挫すると思っていた。
誰だって死は怖い……地球への旅は片道切符、遅かれ早かれ確実に死ぬ。
そして、何を言っても、何があっても、夢の実現に奔走し、嬉々として問題を解決していくアリアが何よりも怖かった。
アリアは心理を読み取れる、当然、自分の感じている不安や恐怖を読み取っているはずだ。しかし、地球探査中止の方向へ舵を切ろうとはしない。
実はアリアには心があって、辛辣に当たった自分を殺そうとしているのではないだろうか? 時々そんな事を思った。
こいつは確実に僕を地球へと送るだろう……ネイトは覚悟を決め、戦場に行くような気分で宇宙船に乗るのだった――