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パートナードール  作者: SFX
10/14

反抗期

 月歴一〇〇年十二月末。

「そろそろ、年末だけどお前は実家に帰るのか?」

 授業が終わるなり、カナタが唐突に話しかけてきた。

「え? 実家に帰るの? 今までそういうことしてたっけ?」

「いや、十八歳の時は別だろ? ドールが支給されているんだし。

 まあ、俺はとーちゃん、かーちゃんが普通に好きだし、エリカは紹介してやらねーとな……」

「……帰省ねえ」

「あ~お前、両親と上手くいっていないんだっけ?」

「う~ん……そういうわけじゃないけど、なんていうか育ててくれた人って感じかな……

 親子の愛情を感じた事はあまりないよ……

 まあ、毎年年末は『ヒューマンの仮装大賞』を一人で見てるかな……」

「なるほどなあ……それとはまた話は別で今度さ……俺とエリカ、お前とアリアさんでダブルデートでもしないか?」

「なんで?」

「俺がしたいからに決まっているだろ。アリアさんにも会いたいしさ……」

「だから、なんでアリアと会いたいの?」

「だって、綺麗じゃん。ドールは大体皆綺麗だけど、アリアさんは群を抜いている気はする」

「はあ? 君にはエリカがいるだろ?」

「いやそうだけど、なんていうかなあ……

 別に恋人にしたいとかはないし、エリカが一番大事だけど……

 美女とお近づきになりたいっていうかさ」

 『ドール嫌いのお前が虐待してないか心配なんだよ』とは流石に言えず、適当な事を言う。

「ダブルデートか……考えておくよ」

 平然を装っているような態度を見て、カナタは絶対実現は無いだろうなと悟った。

「今日はちょっと寄るところがあるから……んじゃ!」

 嘘くさいが詮索はせず、ネイトの背中を見送った。

「あちゃ~……」

「なんだ見てたのかよ」

 マリーが、何とも言えない顔をしてネイトの去った方を見ている。

「順調に拗らせ中ね……」

「ああ……」

 宮廷舞踏会以降、ネイトは自分のドールを誰にも見せないようになったし、その話題を避けるようになっている。

 つまり、カナタはあれ以来、アリアと会った事がない。

 しかし、ネイトは露骨なドール嫌いを見せる事もなくなり、無駄に愛想がよくなった。仮面を被っているというか、殻に閉じこもってしまったようにも見える。

 何があったかは知らないが、やはりドール嫌いは進行中という事だろう。

 二人は気さくに振る舞う友人の行く末を憂わずにはいられなかった。

 *

 ネイトは毎度のことながらモヤモヤを抱えたまま帰宅した。

「……」

 只今とは何も言わずに家に入る。

「お帰りなさいませ……なんだか気落ちされていますね。

 何かありましたか?」

 早速、精神分析を済ませたアリアが、そのモヤモヤを聞いてくる。

 ネイトとしては正直うざいが、アリアとしては放っておくと、誰も僕の事をかまってくれないといじけだすと予測している。

「いや……そのカナタが帰省することを嬉しそうに言うからさ……なんか面倒くさいなって……」

「なるほど、それで自分と比較して、落ち込んだというわけですね?」

「誰もそんな事を言ってないだろ? そうやって感情を読んで予測で答えるのをやめてくれないかな? まあ人形には無理だろうけどさ……」

 嫌味を混ぜて言葉を返す。

 宮廷舞踏会の後、ネイトは見事にひねくれていった。アリアを大事にしようと思ったのは一日だけで、その翌日から前以上にドール嫌いになった。反抗期を通り越して、モラハラ全開だがドールにそれは通じない。

「ネイト様は、ご両親とはうまくいっていないのですか?」

 全く動じず、言葉を返してくる。

 その態度が余計にムカつくが、嫌味に苦しむような表情をされるのはもっとムカつく。 

 一方アリアはネイトの事をネイトが伝えない限り殆ど知らない。

 流石に、名前と住所くらいは国から教えられるが、どんな両親の元で育てられたか? などのデータは一切持っていない。

「さあね? 勿論、虐待とか受けたことはないけど……

 けどさ、ドールって存在をずっと伏せられたんだよね。

 おかげで、ハイスクールに入った時、パートナードールの授業が衝撃でさあ。

 さらに言えば、大恥かいてそれが今でも思い出すと怒りが沸いてくる……

 だから、両親にもドールにも良い印象はないよ、どっちが人間でどっちがドールかもわからないしね……」

 思い返すと、両親には謎が多い……というよりも、両親の事を全然知らない。

「ふむっ……どうせならどっちがドールか確かめに行ったらどうですか?」

 怒気を孕んだ言葉を返せば、人間はその相手と距離を置くか、怒るか、怖がったりするものだろう。

 しかし、ドールは動じず言葉を返す、これが続くと、怒るのがバカらしく無駄に思え、冷静さを取り戻す。

 また、後で爆発はするわけだが。

「……帰省しろって?」

「会ってスッキリさせた方がよくないですか?」

「スッキリするわけないだろ? 嫌な思いをするのがオチだ」

「ご安心をっ! 私が守りますから」

 目を見据え、自信に満ちた表情で言ってくる。

 ネイトが本来うじうじした性格の裏返しなのか、押しが強い。

 ネイトは視線を逸らした。

「……どうやって」

「私は、ネイト様の心理状態をほぼ正確に読み取れます。

 ネイト様が傷ついているなら、ご両親に注意できますよ?

 基本的に、言葉であっても相手の心を傷つけ続ける事は、暴力と同じ扱いになります。

 注意を受けているのに、その行動をやめないというのは考えにくいですし、ご両親のドールの方がそれを許さないかと」

 諭され、反論が難しい。


「……基本年末は『ヒューマンの仮装大賞』や『MGT』の決勝を観て過ごしている……」

「確かに、あの番組は大事ですよねっ!」

 この二つの番組が終わらず、永遠に続く理由は、視聴率の高さというよりも、人間に〝その発想はなかった〟と思わせる番組だからである。

 何かとドールに頼りがちな月社会でドールにできない〝発想〟や〝閃き〟を促す番組といえる。

「でも、移動中に端末タブレットで観るか、録画すればよいのでは? SNSにも誰かしらアップすると思いますよ?」

 著作権が撤廃された社会なので、気に入った番組は出演者の名誉を傷つけるような内容でなければ、自由に編集し、SNSにアップし放題。人気番組は録画の必要すらない、誰かが必ずアップしてしまうから。

「帰省することに僕のメリットは?」

「損得で考える事ですか?」

「アリアは僕に帰省させたいの?」

「それは勿論、私は常にネイト様の事を知りたいと思っております。

 どんな両親に育てられたのか? を知ることはドールとしても重要ですし――

 一度会えば、人間関係を断ち切るべきなのか。続けるべきなのかより正確にアドバイスできるようになるかと」

 ドールがあるじを知れば知るほど、あるじの分析はより正確になる。

 正確になればなるほど、補佐の制度も上がっていく……しかし、ネイトは自分を知られる事を好まない。

「……君は〝説得〟が上手いねえ」

「それはもう、ネイト様のドールですからっ!」

 皮肉を込めていうが、それに動じないどころか満面の笑みで返してくる。

「でも今更だよ。ハイスクールに上がってから、親には一度もメールを送ったことがなくてね……」

「では、私から送りましょうか?」

「……いや、自分でやるからいいよ」

 ネイトはため息をついた。いつも言いくるめられてしまう自分に……

「ネイト様? ご両親のどちらがドールなのかとか気にならないのですか?」

 アリアは、ネイトが暗い考えに陥らないようにするため、脳を疑問に向かわせようと誘導を始めていく。

「……そりゃあ気にならないか? と聞かれれば気にはなるけどね」

「というよりも、未だにわからないのですか?」

「会ってないんだから分かるわけないだろ?」

「そういう意味ではなく、ネイト様もこの前の宮廷舞踏会や、私との生活において、ドールの特徴や人の特徴に対し、理解が深まったと思います。

 ご両親のどっちがドールとか想像つかないのですか?」

「……人間なのに*想像*つかなくてごめんねえ」

 自虐を込めて返すが、刺激されると気になってくるのも事実。

 ネイトの両親は、どっちも特に特徴がなく、どちらも普通であった。

 今思えば、不気味なくらい、同じというか。

「まあ、歳を重ねるに連れ、ドールが人に寄る事は珍しくもないですが。

 ネイト様の面倒を見たのはどちらですか? 統計的には男女問わず、ドールが育児をやることが多いですが」

 これを嘆かわしいと感情的に訴える人と、合理的と捉える人がいてSNSでは対立と議論が今も続いている。

 ドールの育児は愛情の不足が懸念されているが、人間の育児は事故と悲劇が多い。

「……育児に関しては半々だったよ。どっちがどっちってのはないね。愛情はあまり感じなかったけどね……」

「なるほど……確かに妙ですね。

 真意はわかりませんが、意図的にパートナードール制度を隠していたようにも見受けられます」

「……何か、その犯罪の香りがするとか?」

「それはなんとも……

 犯罪者の類は、ドールを買い物などの適当な任務をふって、その隙にやましい事をするので、それならばドールに育児を丸投げするでしょうし」

 ……気にならないと言えば嘘になる。

 ネイトとしては行きたくないのが本音ではあるが、それはそれでモヤモヤするだろうというジレンマに悩み始めていた。

「愛情をあまり感じなかったという根拠はなんですか?」

 正直、この類の質問には答えたくない。だが、それ以上に考えを整理したかった。

「主観だけど、あんまり遊んで貰った覚えがないからかな……物心がついてきてからは、タブレット端末渡されて、好きなように遊べって感じだった……

 ひたすら、地球の小説や動画みて時間を潰したよ。

 一人でね……

 ついでに言うと、学校でわからないことがあって聞いてもあまり教えてくれなかった」

 地球のコンテンツで幼少期を過ごしていた。

 別にその時は、特にどうとも思わなかったが、ハイスクールに入ってから、周囲の話を聞けば聞く程、おかしな家だったと気づく。

 自分以外の学生は皆、ドールの存在を知っていたし、会って話した子の殆どが、ドールと人間の違いを理解していた。

 ドールは歳をとらないし、美形が多いし、お洒落をさせられる。

 人間は年をとるし、ブサイクじゃなくても*並み*が当たり前だし、半数近くがお洒落に無関心。

 しかし、自分の親は、どっちも似たり寄ったりというか、未だにどっちがドールだったかわからない。

「両親はどっちもそれなりにお洒落してたな……」

 月においてお洒落に興味があっても、面倒くさい、自分のセンスを疑われるのが怖い、考えたくないなどにより私服を着ない人間は多い。

「ネイト様もすれば良いではないですか? よろしかったら私がコーディネイトしましょうか?」

「どうせ似合わない……」

「私の腕を見くびって貰っては困りますね。

 私には、超一流のコーディネーターの技能がインストールされているのですよ?」

「……いいと言っているだろ? どうせ、鏡を見て恥ずかしくなるのがオチだ」

「それは残念、気が向いたらいつでも言ってくださいね」

「話を戻すとね、両親のお洒落は、どっちがドールか分からなくするためのものだったのか」

「それは、興味深いですね……

 自分の子に、ドールと人間の違いを悟らせないためですか……」

「そういうことするメリットはあるの?」

「わかりません……

 でもまあ、帰省すればわかるのでは?」

「帰省をすすめるねえ……」

「私はネイト様の事を少しでも知りたいですから」

 遠回しに嫌がっても、皮肉や嫌味を込めて言葉を返しても、アリアはぐいぐいと帰省を煽り勧めてくるだろう。

 相手に心が無い以上、自分が根負けするのを悟る。

 乗り気じゃないのは確かだが、行く以外の選択肢が無い気がした。

「行くだけ行くか……」

 ネイトは一人で不貞腐れた後、ハイスクール生活始まって以来、親にメールを送った。

 *

 両親の家は地方都市にあるので、列車で二日の距離。

 地球と違ってガタンゴトンと鳴らない列車にのり、向かい合って座る二人。

「憂鬱ですか?」

「知っていることを聞くんじゃないよ……

 アリアは僕を見ただけで、大体の心境とかがわかるんだろ?」

「ええ。

 厳密には見ただけではなく、心音とか声のトーンも色々聞いてもいますし、体臭なども分析していますよ」

 普通に受け答えすると、ネイトの機嫌が悪くなる一方と予測し、ドールの機能紹介を混ぜて答えを返す。

「体臭って……」

 体臭を分析されていることに、嫌な感覚を覚える。

 ドールが〝くさい〟と思うことはないとわかっていても。

「この犬を超える嗅覚を嫌がる人は多いのですが、人は内臓の状態によって口臭が変化しますし、ストレスによって体臭も変わってきますからね……

 病気の早期発見のためとご理解いただければ」

 また、嗅覚機能は、落とし物を発見するのに役建つと日常の些細な事から、麻薬犯罪の抑止になったり、空巣に気づいたり、盗品を追跡したりなど犯罪防止に力を発揮する。

「しょうがないか……」

「ふふっ……憂鬱な気分を紛らわすためとせっかくですから、もう少しドールの機能について話しましょう」

 ネイトはドールの心が無いという一点に対し、強い不満を持っているが、ドールに使われている最先端技術などには興味がある。

「今、私の目は、ネイト様の体温を可視化することができます。

 だから、今の体温が三六・五分という事もわかります

 これだけでも、月民全体の健康管理の一つになっているわけですが、現在行われている研究では、この目をさらに進化させようとしています」

「……確かに興味深い話だね、続けて」

「はい、その前に、ネイト様はMRIをご存じですか?」

「病院にある奴だよね? 磁気かなんかで検査する奴だったか?」

 MRI検査とは、強い磁石とラジオに使われているような電波を用いて、体内の状態を画像にする検査である。

 体内の水素原子を磁場と電波の力でゆさぶり、原子の状態を画像化する事が可能。

 体内の様々な病気を発見することができ、特に脳や脊椎、四肢などの病気に高い検査能力を持つ。

「そうですね、磁石と電波を利用して磁場を作り画像化するわけですが。

 要は、月にあるわずかな磁場と私の目だけで、MRIを実現しようというものです」

「それはまた途方もないな……」

「これが、実現すると。

 リアルタイムで脳の動きを観察でき。脳腫瘍など、つまり脳の異常の早期発見は勿論の事。

 医学界に提供される脳や人体のデータが増え、医学が飛躍的に上昇すると言われています。

 また、ドールとしては、より正確にあるじの心理分析と、精神状態がわかかるようになり、コミュニケーション能力が向上するでしょう」

 ドールは月民一人に一体支給されている。

 これは、難病に罹る人や老若男女全てのデータが常にサンプリングされる事を意味する。

 ドールの目が進化するという事は、人体のより膨大な観測データが得られ、医療の進歩に繋がることは誰にでも想像ついた。

 ドールのハード面の開発において、五感の向上は特に力を入れている。

「実現するには、後何年くらい?」

「一〇年以上はかかるとされていますが、実際はもっとかかるでしょうね。

 しかし、諦めなければ、いつかは完成しますっ!」

 ドールに自信も何も無い筈なのに力強く言う。

「いつかって……いつだよ……」

「ガッカリしないでください。

 人類の科学とはそういうものですよ。

 一〇〇年前の誰かが懸命に考えた事が、今になって実現などはよくある話なのです。

 ふふっ! そう考えると、心が躍りませんか?」

 宮廷舞踏会を境に、アリアに対し、反抗的な態度を取るようになったが、それでも微笑みかけられると動揺してしまう。

「そうやって、からかうな……不愉快だ」

 ネイトはそっぽを向いた。

「別にからかっていませんよ。

 ドールにはですね、人間の目を遥か先に向ける役目があるのです。

 私の目は現時点でも、赤外線や紫外線を始め、人の目では見れないものを沢山見れますよ。

 しかし、人の目は遥か遠く、つまり『夢』を見る事ができるのです」

「*夢*って言われてもねえ……」

 急にロマンチックな事を言い出すが、心は動かなかった。

 ここでいう、夢とは寝てみる夢ではなく『新発見』『解明』『実現』などを指しているのはわかる。

 しかし、それらを行うのは、いつの時代も常に優秀で*天才*と呼ばれる人達だ。

 そりゃあ、自分だって優秀になりたかった。しかし、周囲よりも出来なかった。

 親から愛されてないと思う理由に、周囲と差が付き始め危機感を感じているのに、勉強をあまり教えてくれなかったというのがある。

「勿論、遠くという意味ではありません。私の目は望遠レンズにもなりますので」

 冗談なのか、本気で言っているのかがわからない。

「そこはわかるよっ! でも僕なんかが、その……」

 一般人が誰も気づけなかったものを見つけたり、誰もが分からなかったものを解明できたりするのだろうか?

 言葉には出さなかった。出せば余計に暗くなる気がした。

 ほんの僅かだが、得体の知れない不安に襲われる。

「ふふっ……時代は変わりました。

 人類が月に移住することで、失ったものは多数ありますが、得たものもあるのですよ?」

「得たものねえ……どうせ、*君*とか言うんでしょ?」

「その通りです、人類はドールを得ました。

 それは、月民一人一人に最先端の科学が提供されるという社会の実現を意味します。

 そして、ドールがいる事で、ありとあらゆる分野の進歩が速くなっているのです」

「それはまあ……否定はしないけど……

 何か、そこに自分の存在意義が見えなくてね……」

 ふと感じた不安が鮮明になっていく。

 ドールという人の姿をした科学の結晶に対し劣等感を感じているのだろう。

 そして、周りの人間と比較しても自分の良さがわからない。

 自分は月社会にとって必要な存在なのだろうか?

 そんな自分の劣等感に、ドールが共感することは決してない。

「どうしてですか?」

「アリアがいないと何もできないし……

 それでいて、ドールに良い感情を持ってないし……

 学校の成績も別に良くはないし……

 何のために生まれてきたんだろうって……」

 ネイトの成績自体は至って普通であるが、自己評価は低かった。

 というのも、中学から始まる学校のテストは、天才にでも生まれない限り、_100_点を取るのが難しく設定されているからだ。一教科でも_50_点以上取れれば良いとされ、全教科平均_20_点台の人間などざらである。

「それを言ったら、皆そうですよ?

 まあドールを自ら手放す人がいないわけでもないですが……

 『進歩』というものは別に*天才*のみによって起こるわけではありません。

 優秀な遺伝子を持った人間を徹底教育するよりも、全ての人間を平等に教育した方が『進歩』は早くなるのが現実なのです。

 だから、自身の能力を嘆かないでください」

 アリアは、感情を分析し励ますために言っているのだろう。

 しかし、*天才*を否定するかのような発言には疑問を感じる。

「……それ本当?」

 歴史を見ても、あらゆる分野で天才が活躍し、その時歴史が動いたみたいに言われている。

「戦争で例えるとわかりやすいですよ。

 物騒な例えになりますが、ランチェスターの法則というものがあります」

「確か『戦闘力=武器効率×兵力数』って奴?」

 ランチェスターの法則は、イギリスの航空学者、フレデリック・W・ランチェスターが提唱した『戦闘の法則』の事である。

 第一、第二とあり。

 第一法則では、古典的な戦いに適用する法則をさし。

 剣や槍を用いた一騎打ち、局地戦、接近戦における戦闘力の数式が『戦闘力=武器効率×兵力数』となる。

 つまり、兵力数が同じなら武器の性能が高い方が勝ち、武器の性能が同じなら兵士の数が多い方が勝つということ。

 第二法則の法則では、近代的な戦いに適用する法則をさし。

 銃や戦闘機などを用いた広域戦や遠隔戦における戦闘力の数式が『戦闘力=武器効率×兵力数の二乗』となる。

 簡単に言えば、近代的な戦いにおいては兵力数が二乗の効果をもたらし、戦闘の勝敗を大きく左右するということ。

「そうです。

 月ではこれをドール制度に置き換えます。

 『進歩力 = ドールの性能 × 人口のx乗』」

「エックス乗?」

「未知数を使うのはその時代によっての加算が考えられるからですね。

 ざっくり言えば、古代は一乗、近代は二乗、現代は三乗、未来は四乗になるといった……

 また、科学が進歩すればするほど、ドールはアップデートされますから『ドールの性能 = 進歩力 × 時間』となります。

 従って、人口が多ければ多いほど、一人一人にドールを与えた方が科学の進歩は早くなるとされています」

「その論理はわかったけどさ……」

 慰めにはならない。

「人の差は変わんないよね、有能無能、馬鹿天才」

 アリアは少し困ったような顔をした後――

「傷つかないでくださいね。

 確かに個人で見れば『進歩力 =(ドールの性能 × 人の性能 )のx乗』となるでしょう。

 しかし、人の個人差など、全体で考えれば取るに足らない問題なのです」

 言葉が心にグサリと刺さる。

 おそらく、*天才*も*凡人*もドールから見ればドングリの背比べと言いたいのだろう。

「まあ、個人差を考慮する必要はないというか、些細な誤差といいますか……」

「そこから先はわざと言っているよね?」

 アリアは舌を出しておどけてみせた。

「冗談はおいておいて―― 

 私たちの人工知能と人間の知能は全くの別物ですからね、単純比較はできませんが――

 今のドールの性能を一とした場合、十年後は十になり、百年後は千になるやもしれません。

 科学が発展すればするほど、性能は上がっていきますから。

 次に人の性能というか知能といいますか、現在の月でIQは平均で約一三〇とされており、天才と呼ばれる人達で一五〇から三五〇程です。

 西暦二〇〇〇年において、IQは平均一〇〇と言われ、二一〇〇年で一一五、二三〇〇年つまり現在で一三〇まで上がりました。

 生物としての進化は非常にゆっくりですから、ドールの性能が上がっていくことに対し、人の性能はあまり上がらないので計算には含めないようにされています。

 そして、ドールは解明されている科学の全てを説明できる家庭教師でもあります。

 ドールの性能が上がるということは教育の質が上がるということです。

 先程の『M・R・Eye』が完成すれば、脳の動きを観察しながら教えられますから、理解した時の脳の動きと、理解していない時の脳の動きを分析し――

 確実に理解させる効率の良い教育が可能となります」

「つまり、永遠に向上するドールに比べらたら、人の知能の個人差なんて誤差みたいなもの……

 天才を特別扱いする必要はないと?」

 アリアの返答には何処か違和感を感じる。何かを誤魔化そうとしているような……

「そうですね、天才であろうが、凡人であろうが、皆、最高レベルの教育が受けられるのです。

 わざわざ教育を天才だけに絞る必要はありませんし、それは平等に反します。

 進歩力は、先ほどの説明の通り、国家の総合力みたいなものですよ?

 であれば、国民全体を最高レベルで訓練した方が強くなります」

 この主張は間違っていない、誰でも最高峰の教育が受けられるのであれば、天才と凡人を区分する必要はない。

 全月民を教育した方が、知の総合力が上がるのも事実だろう。

「でも、人の脳と電子頭脳は違う、アリアは以前僕に言ったよな? ドールは考えないし『発見』ができないと……

 どんなにドールが高性能、多機能になって支給されたとしても、所詮*凡人*は*天才*に比べて*発見*できない。

 天才はドールから色んな事を学び、どんどん賢くなって、様々な理論を思いついたりするんだろうけど、凡人は、なかなか上達はしないだろうし、理論も思いつかない。

 天才は〇から一ができる。だからドールがどんなに高性能になっても存在意義がある。

 ドールは一から一〇を人に教える事ができるから存在意義がある。

 凡人は一から一〇を教えられても、一から五を理解するのがやっとだ、存在意義なんかない」

 アリアの説明は、天才と凡人を教育において差別する必要はないという意味。

 ドールの性能が上がって行けば、誰だって相対性理論を習い理解できる社会がくるかもしれない。

 そして、月民全員を賢くしていった方が、科学の進歩は早くなる。

 しかし、天才と凡人の差が埋まらないことを嘆くネイトの慰めにはならなかった。

「ネイト様……」

「黙れ……

 確かに、科学が進歩すればするほど、教育効率もあがって、凡人でも相対性理論を理解できる日が来るだろう。

 でもそれは、誰もがアルバート・アインシュタインになれるという意味じゃない」

 所詮、凡人は凡人。

 相対性理論を理解できる人間は秀才、相対性理論を発表できるのが天才。

 いずれドールは凡人を秀才に教育できるかもしれないが、ドールや秀才に天才の代りはできない。

 つまり、アリアはネイトの求める答えを持ち合わせていなかった。

「ネイト様、天才であっても道を誤る事はあります。

 天才であっても、反社会性の人格を持つ人間は生まれます。

 もし、一人の天才によって、最先端の理論が間違った方向へ進んでいる場合、その理論を理解していなければ、その間違いを〝発見〟できませんし〝反論〟できませんよ?

 確かに歴史は天才によって動いてきたのかもしれません、それは集団が天才を止められなかった事を意味します。

 今は、それだけを申し上げておきますね」

 ネイトの求める答えを持ち合わせていないアリアは、慰めにならない慰めをするしかできなかった。

 ネイトは*心無い人形*と、生涯を共にするのは嫌だ。しかし人形の性能は今も向上をつづけ、凡人では既に人形なしでは生きていけない社会となっている。

 *天才*になれない自分が悔しい。

 勉強をあまり教えてくれなかった親が憎い。

 違う社会に生きれたら……無駄とはわかっても、そんな事を考える。

 その夜、寝台車のため、二段ベッドの下段にネイトは寝ていたが、頭が漠然とした不安とやり場のない怒りで眠れない。

 数時間が過ぎた頃……

「……起きてる? 今日の昼は……その……

 ごめん……」

 気まずさを感じながらも、上段に向かって呟いた。

「いえ、寝ておりました。

 昼の件ですが、私は気にしてませんよ?」

 当たり前だが、ドールが怒ったり機嫌を悪くすることはない。

 自分勝手な意見なのはわかっていても、寝ているところを起こされたら怒って欲しい。

 でも、怒る演技はいらない、そんな事をされれば余計にムカつく。

 そんな身勝手な自分が嫌になる。

「眠れないのですか?」

「……うん」

「添い寝しましょうか?」

「寝る」

 *

 両親のいる街に着いた。

 列車での事もあり、気があまり進まない。

「落ち込んでいますね……

 昨日は申し訳ございませんでした。適切な話をできなかったことを深くお詫びします」

 礼儀正しく頭を下げる。綺麗に_90_度まで下げ、正に謝罪の角度というわけである。

「いや……昨日はこっちが悪かった」

 頭を下げてくるとは思ってなかったので、ばつが悪そうにならざるを得ない。

「……ネイト様。

 確かに、私にはネイト様をネイト様のいう*天才*にしてあげることはできません」

 頭を下げたまま喋る。

「ネイト様の脳を改造してクロックアップというわけにはいかないのです」

「怖い事を言うのやめてくれる?」

 クロックアップとは、PCなどのCPUの処理速度を高めるために行われる行為を指す。

 消費電力や発熱量が増えるため、発熱過多による熱暴走のリスクを伴うので良いイメージはない。

 流石にネイトも自分の脳を改造したいとは思っていない。

「それが、できたらどんなによかったことか……」

「だから、悪かったって言っただろっ! 頭を上げろよ」

 その言葉を待ってたと言わんばかりに頭を上げ、素早く鮮やかに、その手をとった。

「ネイト様……」

 切ない表情でネイトを見つめてくる。

「な…なんだよ?」

 頬を赤くしながら視線を逸らす。

「わたくしアリアは、ネイト様のドール。

 ネイト様の『夢』の実現のためにこれからも尽力致します。

 ネイト様の夢は『新発見』をすることですか?」

「いや……そういうわけじゃ……」

「今でなくても構いません、いつか教えてくださいね」

「う…うん……」

 新発見をしたいと言ったら、アリアはなんと答えるのだろうか? 

 また、どういう形で尽力するのか気になったが、今はちょっとこの話題から離れたかった。

 *

 両親の暮らす、部屋の前まできた。三年ぶりの実家だが、別に懐かしさは感じない。

 両親の部屋は、ハイスクールのネイトと違って大きく3LDKだ。

 カレッジスクールに入ると、与えられる部屋は1LDKになり、社会人になると2LDK、子供を育てると3LDKの部屋を与えられる。

 子供を育て終わった後も、3LDKの部屋に住み続ける事ができ、勿論、広い部屋はいらないと考える人は、狭い部屋に住むこともできる。

「う~……くそ……」

 部屋の前に立った状態で五分が経過する。

「暗いですね……」

「見りゃわかんだろ! 憂鬱なんだよ……」

「私がノックしましょうか?」

「いや、いい……」

 ネイトは覚悟を決めて、ドアをノック。扉はすぐ開いた。二人を出迎える両親。

 どちらも年の頃は五〇代前後。標準服を着ており、顔面偏差値は平均という感じで特徴らしい特徴はない。

「お帰りネイト」

「ただいま……」

「初めまして」

 アリアが丁寧に会釈をする。

 ネイトの父親は、想像していたのと大きい乖離があるというか、絶世の美女を連れてくると思ってなかったので、驚く様子を隠せなかった。

「まま、入れよ……」

「うん……」

 ダイニングのテーブルに案内され、母親がお茶を用意し、二対二で向かい合って座る。

 気まずい空気の中、ネイトが先に口を開いた。

「……それでさ、単刀直入に聞くけど……」

「おう、何でも聞いてくれ」

「どっちがドールなの?」

 父親と母親は顔を見合わせた後、二人同時に笑う。

「何がおかしいのっ!?

 僕、学校でドールの事を知らなかったから恥かいたんだよ?」

「いや~それは悪かった」

 父親は頭を掻きながら謝罪するが、詫び入れがあるようには見えない。

「では、ここで問題!」

 父親はカッと目を見開き――

「お父さんとお母さんはどっちがドールでしょう?」

 母親がまるでクイズ番組の司会者のように出題してくる。

「……はい?」

「だから、お前は俺と母さん、どっちがドールだと思うのかって聞いてんだよ?」

「なんなのそれ?」

「いいから答えろっ!」

 有無を言わせぬ強い口調。

「……そんなの、母さんに――」

 と言いかけ、言葉が止まる。

 もし父親がドールだったら、もの凄く悔しい思いをするだろう。

 それだけはなんとしても避けたい。

 しかし、今のところ、自分と率先して会話しているのは父親だし、ドールっぽくはない。

 だが、それがひっかけの可能性も捨てきれない。

 ここは、なんとしてでも正解せねばという想いが強くなる。

「……ねえ、アリア?」

「なんですかネイト様」

「アリアは当然、どっちがドールとかわかるんだよね?」

「ええまあ……」

 あまり答えたくなさそうに答える。

「教えて貰える? どっちがドールなのか?」

「おいネイト、それは汚ねーぞ?」

 父親が慌てだした。

「汚いのはどっちだよ。僕としては、こんな下らない問題に付き合う気はないよ」

「ネイト様……

 せっかく、お父様が面白い問題を用意してくださったのですから付き合ってはいかがですか?

 こんな問題は、一生に一度きりですよ?」

「いやいや、アリアはどっちの味方なんだよ?」

「勿論、ネイト様です。

 しかし、ドールというものは、単にあるじの言うことを盲目的に聞く存在ではないのです。

 このクイズを私が答えてしまうことで、後になって自分が答えればよかったとなるかもしれません」

 父親は安堵を取り戻し、感心したようにアリアを見ている。ネイトは当然それが気に入らない。

「いやいや、ならないよ。

 それよりも、僕が絶対に答えろっていったらアリアは答えてくれるんだよね?」

「ええまあ……どうしてもというなら……」

 心底、嫌そうな態度を取るアリア。

 お前は心が無いだろうがっ! と言いたいが、それを両親の前で言ったらクズにしか見えないだろう。

「どうして――」

 と言いかけたころで、口を止める。

 なんで、すぐに答えないかを考える。心は無い筈だが、一応ドールはあるじの将来を考えた行動をとっている筈――

「ねえ、アリア。答えろとは言わないけど、せめてヒントはくれよ。

 僕は、父さんが人間だと思って、母さんがドールだと思うんだけど。

 それだと簡単すぎる……」

「その問いに答えたら、実質答えを私が言ったことになりますよね?」

「いや、そうじゃなくて。

 父さんを人間と思った理由は、僕と率先して話しているし、場を仕切っているからな。

 ドールにこういう行動ってとれるものなの?」

「なるほど……取れるか取れないかで言えば取れます。

 確かに、ドールにその場を仕切らせるというのはドールに不向きです。

 ドールは基本的に命令を受けて行動するアンドロイドですからね。

 しかし、予め『俺がこう言ったらこう動け』『相手がこう言ったらこう返せ』など、事前にマニュアルを作っておけば先程の内容ならどうとでもなりますね」

 両親がアリアの言葉にニヤニヤし始め、ネイトはイライラした。

 ちなみに、ドールの扱いが上手い人間はドールマスターと呼ばれ、そのドールはまるで自分の意思を持っているかのように行動するという。

「つまり……父さんと母さんと質疑応答をしながら、どっちがドールか見破れって?」

「別に直感で答えても構わんけど?

 相変わらず、無駄に考えこむ性格だな……

 アリアさんも、こんなのがあるじで苦労しているでしょ?」

「いえいえ、そのような事は決して、ネイト様は本当にお優しい御方でして――」

「ちょっとっ! アリアに余計な事を言わないで」

「ネイト様、これは冷静さを失わせるのが狙いです。引っかかってはなりません」

 だったら、妻の様に受け答えするんじゃないよっ! と言いたいところだが、心を落ち着かせることを優先する。

「ほ~う……たいしたもんだねえ……」

 感嘆の声を漏らす父親。その反応に人間らしさを感じ、アリアを見るがアリアは首を振った。

「今の様な反応も、事前に仕込めばできます」

「ちっ……」

 必死に、一緒に暮らしていた時の事を思い出す。

 しかし、どっちがドールでどっちが人間だったという確信を得られるような思い出はない。

 強いて上げれば、母はわりかし無口というか言葉が少なかったというだけ。

 素直に考えれば、母親がドールという可能性が高いが、ひっかけるためにそうさせていたかもしれない。

 再会したときに、この問題を出すために――

「じゃあ、ひっかけのつもりで、父さんがドール?」

「ハズレ~っ!」

 父親は心底嬉しそうで、ネイトは心底悔しかった。

「やっぱり、母さんがドールだったのか、素直に判断すればよかった」

「それもハズれ~っ!」

 母親が笑いを堪えながら手でバツ印を作る。

「え? どういうこと?」

「父さんも母さんも人間だよ。そして、お前は遺伝子的にも俺の子だ。

 つまり俺とお前は血も繋がっている」

 衝撃の事実を聞かされる。

 ハイスクールでドールの存在を初めて聞いたときも衝撃だったが――

「え~と、ちょっと待って……」

 ネイトは思考が追い付かず、アリアの方を見ると、アリアは頷いた。

「ええ……遺伝子は流石にわかりませんが、ご両親はどちらも人間ですよ」

「なんでっ!?」

「なんでって言われても……話すと長いけどいいか?」

「うん、話して」

「話すとなると、俺のお爺さんの話からになるんだけどな……」

 え? そこから? となったが、興味深い話だったので、黙って頷く。

「俺の爺さんはな~、非常に変わり者でな」

 お前も十分変わり者だろとツッコミを入れたかったが、それを入れたらアリアにさらにつっこまれる気がしたので黙って聞く。

「何の根拠もない、疑似科学というか暴論というか*予想*を唱えていてな……

 『どんなに仲睦まじくても、夫婦っていうのは寿命が不老不死なら、いつか必ず破局してしまう』っていう……」

「はあ……」

 真面目に聞くのが恥ずかしくなるくらいのトンデモ理論に聞こえる。

「不老不死なんて実現してないから、証明しようがないって話なんだが。

 それが、周囲に受けちまったんだよな。

 まあでも、永遠に続くなら、そりゃまあいつかは別れるよなって感じでさ……

 始まりはそんな感じで、だんだんこの暴論というか*予想*に尾ひれというか盛る奴が現れて……

 人と人ってのは、磁石でいうSとS、NとNみたいなモンで本来反発しあうもんなんだと。

 そして、人が使う道具こそが、SとN、NとSみたいで関係が永遠になるみたいな。

 まあ、道具を使い込むと手に馴染んでくるし、壊れない道具があれば永遠に使うだろって……

 根拠もないし、ツッコミどころ満載なんだが、当時はドール制度がまだなかったし、離婚する奴が多かったんだよ」

「ひょっとして……」

「おっ! 察しがいいな……

 そう、この予想が『反射感情論』の元になっている。

 心のある者同士は、いつか必ず破局する、永遠を求めるなら心と心が無い物にしろって。

 パートナードールの開発をしていた時、最初は心のあるアンドロイドをなんとか作ろうって話だった。

 でも、開発は難航していたし、できてもいつか人類はアンドロイドにターミネートされるんじゃないかって不安もあったわけだ。

 映画の見過ぎだとは思うが……」

「それって『ターミネーター』?」

 『ターミネーター』は月でも大人気映画の一つで、ジェームズ・キャメロンは映画監督として伝説化され、映画界の『モーツァルト』の様に扱われている。

 ネイトの好きな映画の一つ。

「そうそう。俺も映画自体は好きだけど……

 それで、アンドロイドに『心』は不要って路線で行くようなった。

 アンドロイドが『自ら心を持ち、考えて行動する』のは無しで『人の心を読み取り、行動を返す』ようにしたわけだ」

 僕の曾爺さんが元凶かよ……ネイトは苛立ちというかやり場のない怒りを感じる。

「まあ、正しいか間違いかは置いておいて、例えでいうならナビゲーションシステムってあるだろ?」

「タブレット端末に入っている道案内アプリね、それが?」

「あれって、目的地を教えてくれる便利な物なわけだけど。やっぱりかゆい所に手が届かなかったりする一面はあるよな?」

「まあね……」

 アリアが来てから殆ど使わなくなったのであまり覚えてないが、情報がわかりにくかったりすることはたまにあった。

「そんな時、使えねーナビだな~とか思ったりするだろ?」

「そりゃあ……」

「んでさ、その時にナビが『だったら、もう俺を使うんじゃねえ!』とか言い出したらどうなのか? って話なんだよ」

「……それは」

「ま、*道具*に*心*があったら喧嘩になっちまうし、捨てたくなるよな……

 大工さんが玄翁から、下手くそとか言われたら立場ねーし……

 使えない道具であっても、心が無きゃあ、不満は持っても喧嘩、つまり争いにはならないよな」

「まあうん……釈然としないけど……」

「さらに不思議なことに、生き物って、二次元イラストとか物語のキャラクターを愛せたりするんだよ。

 心どころか、3次元に存在すらしていないのにな……」

 抱き枕やダッチワイフの歴史を考えれば、人は必ずしも性的対象に同じ人間である事を求めない。

「まあ、その予想が想像以上に上手くいって今日に至るわけだな。

 でも、爺さんは得意げだったけど、な~んか俺はそれが嫌というか、納得がいかなくてね……

 ささやかな反抗というか、それで母さんと一緒になったわけ。ドールの事を黙っていたのは悪かった。

 まさかそんなに嫌な思いをするとは思ってなかったんだよ」

「……そうなんだ」

 ネイトとしては複雑だった。

 なんとなく、自分がドールを嫌悪する理由がわかった気もした。

「……ねえ、ドール制度が始まった時ってどうだったの?」

「そりゃあ、最初は不満を唱える奴のほうが多かったぞ?

 例えばさ、服屋の店員とかしているとな、あるじの命令でドールが服を取りにくるわけだよ。その時のドールっていったら、まさに『ターミネーター』みたいな感じで不愛想で機械的。

 だけど、あるじの前では、めちゃくちゃ愛想がよくなるわけ。

 その二面性がホラー映画かよっていうレベルでさ『やっぱりドールは~』って感じで世間体も悪かったわけ。

 だけど、ドール開発者がすぐに修正アップデートしてね。そういうのは直ぐになくなった。

 そして、一部の人間がドールで遊びまくって、大満足って感じでな……

 ドールに自分のさせたい恰好をさせては、SNSで自撮り写真をアップする奴らが急増して……

 モテない連中に革命が起こったって感じだったよ……」

 ネイトは、絶対カナタと同じタイプだと思った。

「それからは直ぐに、ドールマンセーの時代に突入したな。

 今じゃ、ドールの無い生活なんて考えられないって感じだろ?」

「まあ……」

「初めて登場したドールは人間に近い人形って感じだったが、今はもう人間と区別がつかないからな……

 先に予見しておくと、ドールの美しさはその内、人間を超えるだろうな……」

「え!? 何言ってんの?」

 ドールは人間を基準に設計される、ならば人間と同等になっても超えることはないし、美形として作られるという意味ではすでに超えているといえるだろう。

 アリア以上の美女はまず生まれないとすら思う。

「人間ってのはなあ。生物学的な制約を受けるんだよ。髪の毛の色とか肌の色とか、骨格、体格とかな……

 今はまだ、ギリギリその制約内で作ろうとしている。

 だけど、生物学的にありえないけど、こうした方が美しいからその制約をあえて無視する芸術家ってのが必ず現れる。

 アリアさんの髪は染めていないのであれば人にしては赤すぎるし、それは生物学よりも*設計者の美学*を優先した結果だ。

 そういう設計者は今後増えていくだろう……」

 カナタがドール開発者になれば、ガチで動物耳の生えたドールが生産されるということか……

 ネイト的には嫌な未来な気がした。

「ドールの美しさが当たり前になれば、見劣りする人間の異性なんてますます見れなくなるだろうな……」

 人と人が愛し合うべきみたいな考えを持っているネイトからすれば、理屈はわかるけど、不愉快な主張である。

「いやでも、それは見た目の話でしょ?」

「じゃー物理的な話をするとだな、やっぱり世の中には、人と人との性行為に興味を持つ人間ってのが出てくる。

 そういう奴らは、国に申請して許可貰ったり、違法に隠れて行うケースがあるんだが……

 性行為ってのは、昔の男女感の名残なのか、大きく二つに分かれる。

 ムードやシチュエーションが大事で、相手をいたわる『愛』を感じさせるものを求める人と、欲望のぶつけ合いや、どんな変態プレイも待ったナシを求める人。

 ドールはあるじに合わせるから、相手をいたわり、愛を感じさせる演出や、どんなハードなプレイにも耐えたりもする。

 何が言いたいかって言うとな、ドールとの性行為に慣れた人間が興味本位で人との性行為をした結果、求めているうものが食い違っていた場合、極度の異性嫌いになっちまう例があまりにも多いってこと」

「……何が言いたいの?」

「社会を受け入れろってことかな……」

 父親は母親と一緒になって生きてきたことを微塵も後悔していないし、母親を心から愛している。

 しかし、現実的な話をすれば稀有けうな例。ネイトが同じ生き方をできるとは限らない。

 そして、何よりもネイトの事を愛している。

 ネイトの両親は、*愛情のある育児*を行ったが、周囲にいる親となったドールは愛情はないけど*模範的な育児*を行っていた。

 その結果、ネイトは周囲と自分を比較して、自分の両親は自分に愛情を注いでくれなかったと思っている。

 他の子の親と違って、遊んでくれないし、勉強を教えてもくれない。

 その現実が、ネイトに人との恋愛を進めない理由。愛情を注いで育てた子に嫌われることほど辛いものはないからだ。

「よく、そのドール無しで生きてこれたね……」

「意地っ張りだからな……おかげで人生ハードモードだったよ。

 ドールは犯罪行為をしないのが前提だが、人は邪な事を考える生き物ってのが前提だからな。

 ドール無しだと入れないところや、ドール無しだと手順を踏まなきゃいけないところが多くて……

 役所の手続きとかめんどくさい事ばかりでさ。仕事も辛かったぞ。

 ドールがいないってだけで、使えない奴ってわかるからな」

「そうなんだ……」

「まあ、最初はね、ドールも色々と融通が効かないところもあったし、見た目ものっぺりしているっていうのかな、いかにも人形っていうか冷たい感じもしていたけど。

 技術の向上って速いからな……

 凄い勢いで社会問題が減っていったし……

 ドールが有能になればなるほど、人間らしい演技ができるようになるほど、俺は肩身が狭くなっていったよ。

 自分自身としては、人としては有能な方だとは思っているけどよ……」

「良い事なんてないんだね……」

 ここで『無い』と答えた方がネイトは吹っ切れたかもしれない。

 しかし、父親はパートナーに嘘はつけなかった。

「いや、あるよ。

 強いて上げれば、母さんと二人で生きていくことが、俺の生きがいっていうかな。

 大変な分だけ、なんか人生としては、生きている感があったぞ。

 人よりも辛い人生を歩んでいる分、SNSでブログとか書けば、わりと読んで貰えるしな……たまにドール開発者とかからコメント来るし……」

「ここで、そういうこと言うんだ……」

 本来、ネイトにとってドール無しで生きる人間は希望になりえると言える。

 しかし、父親は遠回しだが、ドール無しの人生には否定的だ。

 それでいて、ネイトの憧れる『人と人とのつがい』を体現している。ネイトからすれば、これは矛盾でしかない。

 おそらく、アリアを手放したいと言えば、それを全力で止めようとするのではないだろうか? と勝手に想像してしまう。

 自分の悩みを打ち明けるべきか、この父親には何も聞かない方がいいのか悩んでいると……

「……ところで、そのアリアさんと話たいんだが?」

「なんで?」

「いや、ドールとは事務的な話しかした事ないし……いい機会かなって」

「ふーん……まあいいけど」

 しかし、父親は何も喋らず、じっとネイトを見る。

「なんだよっ?」

「席を外せって意味だが?」

「なんでっ?」

「いや、お前に聞かれたくない話ができないし……」

「やだよっ!」

「ネイト様……ここは、お父様の顔をお立てください」

「……どうして?」

「ネイト様の為です。

 大丈夫、私はネイト様のドール、ネイト様の不利益になるような事は致しません」

 ネイトは渋々、母親と一緒に退室した。

 何を話すか、知らないが、悩みは打ち明けなくて正解と思った。

「それで、私と話したい事とは?

 先に断っておきますが、私はネイト様の事を第一にして行動します。

 内容によっては、口止めできないものがございます。

 それにネイト様のプライバシーについてはお答えできませんよ?」

「あ~いや……口止めとかは気にしなくていい。

 ぶっちゃけ、ネイトとは上手くいっているのか? ってのが知りたい。

 ネイトの前で聞くのは流石に気が引けてな」

「なるほど……上手くはいっていないですね。

 血は争えないというか、ネイト様はドールに嫌悪感を持っています」

「そうか……別に俺は持ってねーけどな……」

 父親はその答えが想像ついていたため、俯いてしまう。

「他は?」

「ネイトはドールを手放して生きていけそうか?」

「生きていけるかどうか? でいえば、間違いなく可能でしょう。

 月政府は月民全てに衣・食・住を保証しておりますから」

 いかなる状況においても、暮らす部屋、標準服、食べ物と*絶対需要*に指定されている家電や電子機器は支給される。

 最低限の生活は保障されるし、誰にでもできる仕事は常にある。

「その言い方だと、辛い生活にはなりそうだな……」

「はい、ドールがなくても仕事で腕を振るえる職もありますが、本人的にそれで満足できません。

 また、人間のパートナーを見つけられる可能性は低いでしょう」

 天才と呼ばれる部類の者であれば、ドールがいなくても重宝されるだろう。

 だが、ネイトは天才ではない。

「……そうか。

 ネイトは君を手放しそうか?」

「今のところ、その可能性はあるかと。できうる限りことはしておりますが」

 ドールを手放した人間の末路は悲惨なものである。

 職場では無能扱いされなくても、無能を実感する事が多く、仕事に行かずに引き籠る者も多い。しかし、食堂やスーパーに食料を取りにいかなくてはならないため外出はする。

 当然、働かない者に対し世間の目は冷たい、それが嫌になって首を吊る者もいる。

「ネイトの事を頼む」

 自分は良い。パートナーに出会えたし、人生に誇りを持っている。

 しかし、父親の本音としては、自分の息子にハードな人生を送って欲しくはなかった。

「勿論、私のあるじですから」

 *

 その夜。

 ネイトとアリアは同じ部屋を用意されていた。ベッドが無いので床に布団が引かれている。

 アリアが父親と二人で話しているので、ネイトは一人で布団に横になっていた。

 自分でも驚いているのが、両親が両方とも人間と知っても、大きな喜びはなかったこと……

 ドール嫌いの自分からすれば、ドールを無しでも今まで生きてこれた稀有けう

な例はむしろ嬉しい筈。

 しかし、そこに驚きはあっても喜びはない。

「僕は、父さんや母さんに一体何を求めていたのだろう……」

 一人呟く……

 きっと、どちらかがドールで、ドール嫌いの自分を説得して欲しかったのではないだろうか? 生きづらさから解放してくれることを望んでいた。

 でも、父も母も、自分以上に生きづらい人生を歩んでいた。

 自分はこの月社会で両親の様に強く生きられるだろうか? おそらくできない。

 そんな鬱屈した思いがネイトの頭を駆け巡っている。

 そもそも、ドールを捨てて自分のパートナーになってくる異性が現れる可能性は限りなく低いだろう。

 パートナーが見つかれば覚悟も決まるし、まだなんとかなるかもしれない。しかし、独りぼっちは絶望しかない。

 そんな負の感情に支配され始めた頃、扉が開きアリアが入ってきた。

「……父さんと何を話したの?」

「別に大した事は、ネイト様を頼むと……」

「それだけ?」

「ええ……他に何を聞かれたと思ったのですか?」

「いや別に……」

 ネイトはもっと卑猥な事を聞かれたのではないかと勘繰っていた。

「ああっ! ひょっとして、肉体関係について聞かれたと思ったのですか?」

「いやいや、ちがうよっ!」

 的の中心を射抜かれ取り乱す。

「それは特に聞かれませんでしたが、聞かれたとしてもネイト様のプライバシーに関わる事は答えませんし……

 実際問題このての質問はハラスメントが発生する場合もありますからお父様もしないでしょうね。

 ドールはあるじの父親だからといって手心を加える事はありませんから」

「それならいいけど……」

 何をどう聞いても、適当にはぐらかされそうな気がする。

「それでですね……実際にご両親を見た私の分析ですが……」

「……分析?」

「ええ……ネイト様、仰っていましたよね? あまり*愛情*を感じなかったと……」

「うん……それで結果は?」

「ご両親は、ネイト様の事を愛していますね……今後も関係は続けるべきかと」

 ネイトは何も答えなかったが、この言葉は気に障った。

 *愛情の無い人形*が、人様の愛情について語るんじゃないと――

 *

 翌朝。

「おはよう、よく眠れたか?」

 父親に起こされる。母親は既に、仕事に向かったとのこと。

「いやあまり……僕は今日の昼にはここをたつよ……」

「はえーな……もう少しゆっくりしていけよ」

「学校が忙しいから……」

 嘘をついたし上手い嘘ではなかったが、父親は察したのか追求しなかった。

 ネイトは実家を自分の帰る場所ではないことを改めて実感した。もうここに来るつもりはない。

 *

 帰りの列車……

 憂鬱な気持ちで座っていると、アリアが唐突に口を開いた。

「ネイト様も、そろそろカレッジスクールに進学されます。

 進路を考えた方がよいのでは?」

 ざっくり、月の教育過程を説明すると――

【プライマリースクール】

 小学校、六歳から十歳まで親元から通う。

 インターネットは親が同伴じゃないとできない。

【ジュニアハイスクール】

 中学校、十一歳から十五歳まで親元から通う。特徴としては、性教育が始まり、インターネットが解禁となるがSNSのアカウントは支給されない。

 中間テスト・期末テストなど、国家が定めるテストが始まる。

 テストの難易度は高く、全教科の平均点が四〇点以下の者が多数を占める。五〇点取れれば、普通に凄く、どれか一教科でも九〇点台を出すと、*天才*の可能性があるとされるが、特別扱いなどはない。

 ネイトは全教科の平均が三〇点を下回り、周囲よりも下だった事に劣等感を感じている。

 赤点をとった者は補習や進学ができなくなるなど、テストの結果でペナルティをつけるシステムはなく、テストの点が低い事をまるで気にしない生徒も多数。

 制限はかかるものの様々なゲーム、映画、小説、漫画などのコンテンツがダウンロードできるようになる。

【ハイスクール】

 高校で、十六歳から十九歳まで通い、基本的に親元を離れて一人暮らし、SNSのアカウントを支給すると共にを授業を通して教えていく。

 必修科目はドールを含めた社会構造について教える科目だけとなり、他は全て選択科目で専門性が強くなる。

 何を専攻するかは、中学の時のテスト結果を参考にするのが一般。

 ネットから何をダウンロードしてどういう作品を好むのか? SNSをどのようにして使うのか? といったデータを収集し、理想のパートナーの設計に使われる。

【カレッジスクール】

 大学で、二十歳から二十四歳まで通う。二十二歳以降は公務にも携わり、公務と学業を半々で行う。

 公務とは*絶対需要*を供給する仕事を指す。月の公務は絶対需要を全月民で割ったもの。

 ここまでこれば、将来どういう職につきたいかを真剣に考えなくてはならない。

 適当に考えていると、それこそ適当な職につくハメになる。

【グラジュエイトスクール】

 大学院で、二十五歳から死ぬまで通う。最低月一で一時間と、通う義務部分は少ないが、自主的に毎日や長時間通うことも可能。

 資格の取得や特定の仕事に就きたいなどの支援を行う場でもあり、私的な研究を行える場でもあり、仲間同士でサークルを立ち上げたり、人間同士の交流の場でもある。

 全ての学校において入学試験の類はないし、休学はできても中退はできない。

「進路ねえ……」

 現在ネイトは十八歳、再来年からカレッジに通う。カレッジは現代社会の大学と違い、公務訓練の役割もある。

 なので、何の授業を選択するか? は、どの職(公務)につきたいのか? の意味合いを持つ。

 そして、ドールは大学進学が近くなると、必ずどのような職につきたいのかをヒアリングするように設計されていた。

「以前、ネイト様は、天才と凡人の話をしておられました。

 学者になりたいのですか?」

 月には人気職業があり、学者は皆の憧れである。

 ただし、学界は天才が集う場でもあり。生まれもった知能と学習意欲が高いレベルで求められる。

 ドールは人間と暮らす過程であるじの知能を分析していき、高い数値が計測された者にはそれとなく学界に進むことを進言してくるが、ネイトにそれは当てはまらない。

「いや別に……」

 自己分析で、学界では通用しない事がわかっている。

 ただし、実力的に及ばなくても、学者の助手みたいな形で学界入りすることは可能。

「ネイト様には就きたい職がありますか?」

 ドールはあるじの性格と能力を分析し、職の適正を常に計っているため、基本的にその人に向いた職業をすすめてくる。

 ただし、その人のやりたい職があれば、適性があまり見られなくても反対はせず、応援と支援を行う。

 何故なら、人に『夢』を追わせるのもドールの役目だからだ。

 また、業界の人手不足や競争率によっては、適正や希望とは関係ない職も進める場合がある。

 今のところ、これが調整弁として上手く働き、人材が特定の業種に偏ることなく流動し、社会のバランスが保たれている。

「う~ん……今のところあまりないかな……」

 別に希望職種がなくても、お役所仕事はいくらでもあり、誰でも入れるというか、病気などの特別な理由がないかぎり実質強制で就かされるので、路頭に迷う事はまずない。

「ドール開発やヴァーチャルアースのエンジニアになりたいとかはありますか?」

 月には人気職業というか人気業界が三つある。

 一つめは学者で学界。理論的ないしは実験的研究を通じて科学知識の探究に努める人々で皆の憧れ。

 二つ目はドール開発者。ドールのソフトウェアとハードウェアより高性能にするための技術者達やドールの顔・体の造形やファッションをデザインする芸術家達。月では最も情熱溢れる人達が集うとされる。

 三つ目はヴァーチャルアースの開発。

 ヴァーチャルアースとは、月の大人気オンラインソフト。仮想地球を探索するシステムで、年代と場所を指定すると、その時代その場所の地球が探索できるという代物。

 ざっくりいえば、グーグルアースのストリートビューに時間・時代を指定でき、なおかつ、街には当時の人や動物、時代によっては車が動いていて、RPGの様に話を聞いたりすることができる。

 話を聞くといっても、会話ができるわけではなく、RPGの村の人レベルではあるが。

 オンラインRPGのようにアバターも歩いているので、同じ文化や時代が好きな人達との交流も可能。


 例えば、一五八二年日本と設定すれば、本能寺の変のイベントを見学できたりするし、信長好きのアバターと会えるかもしれない。

 資料が残っているところは、資料に基づいて正確に再現され、資料が残っていない部分に関しては、歴史学者達が『こうだったんじゃないか?』を元に制作されている。

 歴史は学説が複数あるため、バージョンアップの度に邪馬台国の位置が変わったりするところも面白い。


 四大文明まで人類の歴史を遡る事ができる『人類史モード』と『地質時代モード』、『パラレルモード』の三つがある。

 『地質時代モード』はざっくりとした区分にはなるが、恐竜のいた『中生代』や、アノマロカリスのいた『カンブリア紀』も探索できる。

 地球のイメージCGを探検するだけに過ぎないが、大陸の移動や、生き物の変化、大量絶滅などの経緯を知れて面白い。

 また全モード共通で『調べる』のようなコマンドが存在し、建物に対して行えば、その時代の建物の特徴を書いた記事が表示され、生物を調べれば、その生物の記事が表示される。

 要するにウィキペディアの様な辞書の存在も兼ね、その記事はユーザーが自由に追記できる。

 ただし、学者の資格を持っていない記事はあくまで『非公式』の記事であり、学者の公式記事とは明確に差別化される。

 学者からお墨付きを貰えれば、公式記事として認められる事もある。

 ユーザー側からも拡張可能であり、自分の説に自身のある者達が『非公式イベント』を制作し、ネットにアップする事ができる。

 その『非公式イベント』を組み込むことで、マニアに指示されているだけの珍説も見れたりする。

 よって、ユーザー同士の交流も盛ん。

「競争率高いし……流石にそれは……興味なくはないけどね。

 でも恐竜はそこまで好きじゃない……」

 世紀の大発見をする天才と違い、バーチャルアースは既に分かっていることや定説などを、仮想空間で再現するだけなので、天才の言うことが理解できるならなんとかなる。

 現在『地質時代モード』で、実装されているのは恐竜が人気の『中生代(全体)』とアノマロカリスが人気の『古生代(カンブリア紀のみ)』である。

 無類の恐竜好き達は、他の時代の制作そっちのけで、まずはこの中生代を『白亜紀』『ジュラ紀』『三畳紀』に三分割したがっており、古生物学者達はこれが面白くない。

 それよりも、残りの古生代をはやく終わらせろが総意である。


 『パラレルモード』というのは、核戦争が起こらず『第四紀』がまだ続き、地球人類が文明を保ったままで存続しているというパラレルの地球で行われるオンラインRPGで、様々な国の国民となってプレイするモード。

 特徴としては、地球の社会を体感でき、これに嵌り込む人間も多い。ちなみに*中毒症状*が出始めた場合は、ドールがアカウントを凍結する。

「もしよろしかったら、私が支援しますよ? 何でも聞いてください。

 確かにハードルは高いですが不可能ではないかと――

 それに科学者だって、必ずしも高知能を持ってなければならないという事もありませんし……」

 上記三つであっても、頑張れば誰でもなれるといえる。頑張れる人間であればの話だが。

 とはいえ、競争率が高い以上、ポテンシャルが低ければ、入れても当然辛くなる。

 逆に言えば、辞めてしまう者も多いので、チャンスは常にあると言えた。

 学校のカリキュラムは地方限定の学科などはあるものの基本的には全国一律であり、誰にも最高の家庭教師であるドールが与えられているので、学歴差別、男女差別、年齢差別はない。

 さすがに高齢者など、脳の衰えが出始めていると無理だが、衰えていなければこの限りではない。

「僕に向いている仕事ってどんなの?」

「向いている仕事ですか? そうですね、ネイト様は真面目な方ですし、基本的にはどんな職業についても問題ないでしょう。

 ただし、性格的に向いている仕事はないですね」

「……一つも?」

「はい」

 即答の前に深く落ち込む。

「落ち込まないでください。

 ふふっ! 私がいるではありませんか、仕事なんて私が補佐しますから、最初は見ているだけでもいいんですよ? 私がネイト様の上達が遅いところを見ても怒ったりすることなんてありませんし。

 それにずっとドールと一緒に仕事をして一緒に家事育児をされる夫婦の方も多数いらっしゃしますよ」

「余計に落ち込む事を言わないでくれる?

 それで、そこまで言うからには、僕の性格の何処に問題があるの?」

「そうですね、結果に満足しないというところでしょうか。

 どんな仕事をしても、例え周囲から評価されても、満足できない事の方が多く、自分を追い込んでしまうでしょう。

 他としては、楽しそうに仕事をしている人に対して嫉妬してしまう、他人の仕事の出来に満足できないなどですね」

 例えば、アリアの作る料理は、一流のシェフと同じ技が再現されているので当然旨い。

 しかし、ネイトは*真心*がこもってないと満足しないタイプである。

「それって、仕事そのものが向かないってこと?」

「そうなりますね」

「……救いようない?」

「私がいれば、物理的にはなんとかできますが……

 ネイト様は、ドールに嫌悪感を抱いておりますので。五分五分といったところでしょうか?」

「はっきりいうね……」

「ネイト様は遠回しな表現を好まないため、現状はこうなってしまいますね。

 私が、ネイト様の事をもっと知れば、もっと上手い言い方もできるかもしれません」

「いや別にいいよ、今の言い方で、慣れてきたし……」

「ひと昔前なら、芸術家や作家、競技者という道もあったかもしれませんけどねえ……

 腕さえあればの話にはなりますが……」

 月では、作家や芸術家、スポーツなどにおいて、基本的にプロというものは存在しない。*絶対需要*に指定されていないからだ。

 勿論公営の競技場は存在するし、そこで働く人達も公務扱いだが、そこで活躍する芸能人達は、皆アマチュアである。

 月にも国技はあり、ドーナッツ状の空間に魚雷の様な形状の乗り物に入って、扇風機で推進力を得て進むレーススポーツが存在する。何故これが国技なのかというと、月の重力の低さ故の競技であり、地球での再現が難しいから。しかし国技にもプロ選手はいない。

 理屈としては、国家として月民に自由時間及び、衣・食・住を与えている以上、国家の持続に関係ないものは仕事として認めないとなっており、それらは全て趣味としてやるのが基本。ただし、公務扱いのドールのデザインにおいては高い芸術性が求められるので、優れた芸術家はドール開発者の道が開く。

 実際問題、職種や地域によって例外と違いはあるものの、平均労働時間は三時間から四時間で週休二日であり、一か月分の自由休暇が与えられるため、自由に使える時間はかなり多い。残業が発生することは当然あるが。

 一日中労働させているわけじゃないんだから、好きな事は暇な時間にやれ、国は支援しないが方針である。

 なので、好きになれる仕事はあっても、好きなことで食っていくことはできない。

「いや僕は別に作家に興味はないかな~、地球文化は好きだけどね。

 モーツァルトやシェイクスピアを凄いとは思うけど、別に憧れとかはないし……」

 また、小説などは自分のドールに書かせたものが自分にとって一番面白いという真実があるため、人気作家が生まれにくい。

 ドールはあるじを常に分析しログを蓄積していくため、あるじの好みを科学的に理解し、小説の理論に基づき書きあげるからだ。

 つまり、客観的に判断すれば駄作であっても、自分にとっては名作が手に入るため、万人を感動させるベテラン作家よりも、自分だけを満足させるドールを選ぶ。

 できた作品はSNSを使って自由に発表できるし、発表された他人の作品を自分のドールに自分好みにアレンジさせる事ができたりもする。

 著作権は撤廃されているので、発表しても第一人者になれるだけ。

「後は、ノルマ達成型の仕事などでしょうか……

 これは仕事に向いているとか向いていないではなく、ノルマを達成すれば帰れるものもありますので」

 製造や配送などによっては、一日に定められているノルマを達成すれば終業という仕事もある。ドールと手分けして行い、一時間程で終わらせさっさと帰ってしまう者もいる。

 完全リサイクルが前提の社会のため、壊れやすい物を作りまくって、売りまくって、捨てまくって、ゴミが増えまくるのではなく、必要なものを必要な数だけ作ればいいが基本となっており、必要な量はスパコン畑が計算する。

 勿論なんらかの事情、例えば人災などで不足が発生すれば、ノルマの増加はあり、労働時間も長くなる。

「う~ん……結果的にそういう職につくのはアリだと思うけど、最初からそれを求めるのはなんか違うかな……」

「では、やはり地球文化がお好きですので、バーチャルアースのエンジニアがやりがいのある仕事となるのではないでしょうか?

 競争率の高さがありますから、どう転ぶかは未知数ですが」

 皆がやりたがる仕事なので、そもそも採用されるかわからないし、競争が激しい仕事は求められる成果も大きくなるだろう。

「……バーチャルアースのエンジニアになるには何をすればいいの?」

「一般的には『試験』と『面接』と『論文』に合格すればなれますね」

「試験って?」

「択一ですね。

 かなり細分化されていますので、どの分野で何をしたいのか? で試験内容が変わります。

 例えば、民族衣装を実装したいと思っている人には、民族衣装に関する問題が出題されますし、古生物を実装したいと思っている人には、古生物の問題が出題されます」

「試験会場って何処にあるの?」

「択一試験は自宅で可能ですよ? 帰ったら試しにやってみますか?」

 政府としては、目指す人間が多すぎるので、試験などにいちいち労力を割いていられない。

 ヴァーチャルアースに限らず、人気職業の試験は、殆どがこの形をとっている。

「自宅でできんの? 模擬試験じゃなく?」

「ヴァーチャルアースの公式サイトに繋いで、自分のやりたい分野を入力すれば、試験問題のデータが送られてきます。

 そのデータを自身のドール、つまり私がプリントアウトすれば、ドールを試験官として筆記試験を行うことが可能です。

 私を懐柔や脅迫、泣き落としで答えを聞きだすことはできませんし、ネイト様がカンニング類の事を行えば、すぐさま答案用紙を破り捨てますので悪しからず」

 ドールは不正をしないのでこういう使い方もでき。国としては余計な会場を用意しないで済む。

 そして、応募者のを4分の3をこの筆記試験で落としていた。

「なるほど……

 でも、それって何の制限もないの?

 合格するまで、テストを受け続ければよくない?」

「テストが受けられるのは一日一回ですね。

 テスト用紙に記載されている問題は、公式サイトのデータベースに無数に存在しますし、その中からランダムで規定の数の五〇〇問が出題されるため、毎回違う内容となります」

「五〇〇問もでんの?」

「ええ、数が少ないと運で合格しやすくなるのと、人気職業程、試験の問題数を増やして合格者を減らし調節していますからね。

 スパコン畑は特定の職種に人が偏らないように管理していますから」

 スパコン畑は常にその職の応募数と必要性を分析し、試験問題数を増やしたり減らしたりしているのだ。

 問題も自動生成する事が可能で、一問一問の正解率などのデータも蓄積している。

 つまり、ヴァーチャルアースの人気が高まれば高まるほど、正解率の低い問題ばかりとなり、出題数が一〇〇〇問を超える事もありえるのだ。

「従って、テストを受け続けてゴリ押し合格というのは難しいでしょう、地道に勉強されることをお勧めします。

 ふふっ、私が教えますからどうかご安心を、筆記試験に受かれば面接の案内がきます」

「ん? それっておかしくない? ドールの性能って全部一緒なんだよね?

 月民一人一人にドールが与えられているんだから、皆、受かってしまわない?」

「真面目にドールと試験対策すれば、誰でも受かりますよ。

 しかし、人は誰でも頑張れるわけではありませんからね」

 現在の試験は五〇〇問を5時間で行う。毎日5時間、受かるまでテストを行うことは辛いだろう。

「なるほど、面接は?」

「人の試験官に人となりを見られますね、わかりやすくいえば、好かれそうな人物かが問われます」

「僕って、好かれそう?」

「いえ……ですので猫を被るのが上策かと。

 私は演技指導もできます」

「……傷つくなあ」

「申し訳ございませんが他に言い方が……

 それに受かればいよいよ論文ですね」

「論文って何を書くの?」

「ネイト様がヴァーチャルアースのエンジニアになった時に、実装したいと思っている『何か』について書きます。

 例えば、中生代に生息していた巨大ゴキブリがまだ未実装だとした場合、その巨大ゴキブリについて、俺はこれだけ知っているぞ? というところを見せられればよいかと――

 要は筆記試験では『根気』、面接では『人柄』、論文では『情熱』が問われます」

「ふ~む……なんか想像していたのと違うな……」

「ヴァーチャルアースの開発側が求めているのは、天才でも努力家でもないという事です。

 ヘタレでなければ、誰でも受かりますが、合格者は相当絞られているのが現状ですね

 些細な事で屁こたれず、周囲と上手くやれて、自分の好きなことに関しては誰よりも熱い。そんな人物を求めているのでしょう。

 能力不足は、ドールで補えますからね」

 実際問題、殆どのエンジニアがプログラミングやスクリプトなどの作業をドールにやらせている。

「筆記試験の時点で自信なくなってきたけど……」

「まあ試験で合格してエンジニアになれる人は少数ですね。

 実はもう一つのルートがあります」

「どんな?」

「カレッジやグラジュエイトには、現役のエンジニア達も出入りしますから。

 その方たちと親睦を深め、推薦を貰うことですね」

「なるほど……」

「一目置かれて、議論で勝ったりするとポイントが高いそうですよ。

 気に入られれば、現役の助手となれますし、その助手経験を得て、現役から見込みありと思われれば、正規職員に昇格できます。

 なので、カレッジでは、現役エンジニア様達との、交流を計りながら、試験勉強を平行して行ってはいかがでしょうか?」

 助手になれても趣味の扱いなので、公務としては認められない、学業の空いた時間に行うのが原則。

「まあ、他にやりたいことがあるわけじゃないし、ひとまずその方向で……」

「では、そのように致します」

 こうして、月ではドールによって人の進路が誘導されていく――

 進路が国から強制されることはない、月民は自分の意思で進路を決めているように錯覚するのだろう。

 ネイトは自分の意思で道を切り開くことができず、自由意志を持たないドールに誘導されていく自分が情けなかった。

 中学の時、親は勉強をあまり教えてくれなかった。

 おかげで、周囲に遅れを取り悔しかった。 

 しかし、それは親の片方がドールではなかったからであり、両親は有体に言えば、キャパオーバーしていた。

 ネイトは両親が許せなかった。

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