日波同盟
ちょっと色々あって、投稿が遅くなりました。
あまり良い出来の作品とは言えませんが、どうかよろしくお願いいたします。
「ベルリンが・・・ベルリンが爆撃を受けているだと!?私は夢を見ているのか!!」
ドイツ帝国総統アドルフ・ヒトラーは、眼前で繰り広げられる光景に驚愕していた。
ベルリン上空を低高度で飛行するスマートな双発機。そのシルエットは彼が良く知るユンカースかドルニエの爆撃機に良く似ている。
しかしその爆撃機はドイツ機ではない。なぜなら、今まさにベルリン中心部の官庁街に爆弾を落としているからだ。そしてその胴体と主翼に描かれているのは、赤と白のチェックで描かれた独特の四角型の紋章。
ドイツの隣国、現在戦火を交えているポーランド共和国のものであった。
ドイツ東部の国境から大軍を持って進撃したドイツ軍。その圧倒的な物量でポーランド軍を粉砕・・・すると誰もが思っていたが、ポーランド軍はドイツ軍に比べ遥かに貧弱な装備ながら、善戦していた。
ポーランド軍はドイツ軍に比べ、圧倒的に戦車も装甲車両も少なかった。そのため、攻撃の主な手段は歩兵による肉薄攻撃となり、彼らは果敢にもゲリラ的な攻撃を繰り返していた。
ある地点では、数名の分隊規模の兵士たちが、迫撃砲と火炎瓶で戦車を含むドイツ軍を攻撃し、見事に隊列の先頭を進んでいた二号戦車を討ち取っていた。
「畜生!ポーランドが騎兵だけじゃなく、歩兵まで強いなんて聞いてないぞ!」
「オマケにやつら、夜まで仕掛けて来るじゃないか!」
ドイツ兵を驚かし、恐怖に陥れたのは積極的な肉薄戦術だけではなかった。ポーランド兵が、夜間にも積極的な攻撃を仕掛けて来たことであった。
夜は休息を取るための貴重な時間であるのに、そこを突かれると実際の被害はともかく、精神的にも体力的にも影響が出る。
一方空においても、ポーランド空軍はドイツ空軍に対してゲリラ的な反撃を行っていた。
古めかしいガル翼を持つ国産のPZL11型戦闘機に加えて、それよりも多少なりと洗練されたデザインの単葉機が、その高い旋回性能でドイツ空軍の主力戦闘機Me109を翻弄する。
「畜生!クルクルと、サーカスじゃないんだぞ!」
相手は洗練されたデザインとは言え、固定脚の旧式機とドイツのパイロットたちは思い込んだが、確かに速度差はあるものの、その旋回性能の良さを活かして、ドイツ機を翻弄し続けた。
そして、開戦の火蓋が切られた場所の一つ、ダンツィヒでは。
「目標敵戦艦「シュレスビヒ・ホルシュタイン」!」
「発射!」
ポーランド軍兵営に砲撃を行った独海軍旧式戦艦「シュレスビヒ・ホルシュタイン」に、ポーランド海軍の特殊潜航艇が魚雷攻撃を仕掛け、この内の1発を命中させてこれを大破せしめた。
こうして、ポーランド軍は各方面で善戦していた。
「クソ!ポーランド軍が精強とは聞いていたが、ここまでとは」
侵攻部隊の指揮をとるマンシュタイン大将やグデ―リアン少将も、ポーランド軍の意外なまでの善戦に、苦虫を潰したような表情をするしかない。
そして、彼らの元にある報告が挙げられた。
「敵軍の死体の中に、明らかにアジア人と思しき死体が混じっているとのことです」
その報告は、彼らにとって半分予想どおりのものであると同時に、厄介な事態が起きたと思わせるものであった。
「日本人め!」
ポーランド共和国と大日本帝国の関係は、第一次大戦終結直後、すなわちポーランドと言う国がロシアからの独立を成し遂げた直後の時期から始まる。
ポーランドは国土の面積だけ見ればドイツやフランスに引けをとらず、かつての大国が再び甦ったかのように見えたのだが、その内情はお寒い限りであった。
と言うのも、産業革命を経た1920年代においては、国力を図る尺度は面積や人口の総数ではなく、工業化とそれによって産み出される経済化に重きが置かれる時代になっていたからだ。
ロシアから悲願の独立を果たしたポーランドであったが、産業化は先進諸国に比べ遥かに立ち遅れ、実質的には農業国であった。
一方世界の五大国に名を連ねた極東の新興国である大日本帝国も、明治維新から50年ほどしか経ておらず、工業化と近代化は欧米列強に比べ遅れ気味であった。
そんな大日本帝国は、直接の戦場となった欧州を尻目に、第一次大戦中はドイツの太平洋やアジア方面の植民地や租借地をちゃっかり手に入れつつ、欧州各国が必要とする膨大な量の製品を製造し、その売却によって多大な利益を挙げていた。
しかし、戦争が終わると欧州への直接派兵をしないばかりか、大いに得をした大日本帝国は、欧米各国から睨まれることとなった。特に、同じく直接の戦場とならず、太平洋で他の敵がいなくなり直接相対することとなったアメリカ合衆国との関係は、かなり険悪なものとなった。
そして、大日本帝国も第一次大戦終結後の不景気からは逃れられなかった。むしろ、戦時中に欧州向けに大増産した製品や、その製造のために増設された生産設備などが過剰となり、不良在庫となってしまった。
かと言って、今さら欧米に売りつけることは不可能であるし、かといって国内や勢力圏で売り捌けるレベルではない。
また軍事面で言えば、日英同盟が白紙となり、米国や旧敵国であるドイツなどとの関係が悪化していた。
こうなると、大日本帝国が経済的にも軍事的にも求めるのは、新たな市場と軍事パートナーとなる第三国である。
そこで目を付けたのが、露西亜帝国崩壊後に独立した北欧や東欧の国々、その中でも極北のフィンランドと東欧のポーランドであった。
この2カ国は独立したばかりで国が貧しく、日本製の製品や日本企業が入り込む余地があった。
そして軍事的に見れば、フィンランドは極寒の国であるゆえに、ソ連との戦いを想定する日本陸軍にとっては、兵器や装備を試す意味でも有望な土地柄であった。
一方ポーランドもドイツとソ連に挟まれた地理的な要件から、軍備の整備と軍隊の増強は喫緊の課題であり、日本製の武器を売り込み、軍事顧問として日本軍人を派遣する余地があった。
何より、この両国は露西亜憎しの感情から、日露戦争に勝利した日本への評判が、ヨーロッパ諸国の中では悪くなかった。
こうして、日本から両国への軍民双方からの売り込み合戦が始まった。
とは言え、両国とも国民の数もそれほど多くなく、何より国が貧しい。いくら日本が売り込んだところで、買える量などタカが知れている。
それでも、独立したばかりの両国としても、自国に安価で民生品や武器を売ってくれるのは、有難いことに間違いなかった。
そうして、当初より民生品や小銃や野砲などを多少なりと売り込むことが出来たのと、加えて軍事顧問を送り込めたことで、一定の成果を上げることとなる。
そして当然ながら、その規模は国民数が多いポーランドに対するものの方が大きくなる。
時代が下り1930年代に入ると、日本から輸出される武器の種類が増え、その中には日本製の航空機や戦車、艦艇も含まれるようになった。
いずれも平時の、それも財政的には恵まれない国家への輸出であるから、その数はそれ程多くはない。
それでも、輸出武器市場を欧米列強に独占されている状況で、さらに国内においても大戦後の平穏な時代の中で、採用数が限られる中で、多少なりと輸出によって生産数を稼げることは、決してメリットのない話ではなかった。
また軍事顧問団の派遣も、欧州情勢(特にドイツやソ連)の情報収集や、大戦後の軍縮期において過剰となる人材を吸収する役割としては、決して無視できないものであった。
そして1933年にドイツにおいてナチス政権が誕生すると、ポーランドへの武器輸出はポーランドにとって大きな意味を持ち始める。
ドイツは表面的にはポーランドとの友好関係を継続したが、その軍事力の急速な増強は、ポーランドの警戒心を大きくせずにはいられなかったからだ。
加えて、東で国境を接するソ連も、革命後の混乱を既に脱し、その軍備の増強には目を瞠るものがあった。
こうなってくると、ポーランド(ついでにソ連と接するフィンランド)も必然的に軍備の増強に動かざるを得ない。
農業国で貧しいとはいえ、そんな中でも精一杯の工業化も進めて来た。国内にはいくつかの軍需企業も育っていた。
とは言え、それらが生み出す兵器の量は微々たるものなので、主力は輸入兵器となる。
そんな兵器を、比較的割安で輸出してくれる国こそ、大日本帝国であった。品質は米英のそれに劣るものの、少なくとも使える兵器であった。
そして1930年代後半に入ると、ソ連への牽制の意味合いから、ポーランド(とフィンランド)に対して、大日本帝国陸海軍でも新型に入る部類の兵器が、数は少ないが売却された。
95式軽戦車、97式中戦車、97式軽装甲車、95式小型四輪自動車、96式艦上戦闘機、97式戦闘機、96式陸上攻撃機、97式重爆撃機、97式軽爆撃機、97式司令部偵察機etc
これらは遥々船便で、遠く極東の日本からポーランドやフィンランドへと運ばれていった。
敵対国の軍備増強に、本来であれば独ソともに妨害の一つでもしそうなものであるが、不思議とこの日波軍事協力への干渉はほとんどなかった。
一つには、日本製兵器への侮り。特に航空機は独ソ双方とも関心も薄く、後にドイツがポーランドへ攻め込んだ際の空軍の苦戦へと繋がることとなる。
また総体的な量の少なさもあった。戦車と装甲車は全てひっくるめても100台ほど。航空機も200機程度でしかなかった。
当時の日本の工業力自体が小さく、加えて自国向けの装備を優先した以上、やむを得ないところであった。
ただし、航空機や一部の装甲車両に関してはポーランド国内でのライセンス生産、あるいはポーランド国内での生産に適した改良版が生産され、多少なりと輸入品を補うこととなった。
こうして、ポーランドもポーランドなりに着実に軍備の増強と更新を行っていたのだが、生憎と独ソ両国はそんなポーランドなどお構えなしに、近隣諸国への領土的野心をむき出しにし始めた。
ドイツはそれこそ、周辺のドイツ系住民がいる地域を根こそぎに、ソ連はかつてのロシア帝国領だった地域を、恫喝外交と軍事的威圧を駆使して併合あるいは保護国化する動きを強めた。
そして1939年、ドイツはポーランドに対して第一次大戦で喪ったダンツィヒを要求してきた。もちろん、バルト海への門戸を実質的に閉じられてしまうこの要求に、ポーランドが従う筈もなかった。
この頃、ポーランドは慌ててフランスや英国との軍事条約を結んだが、時すでに遅しであった。
1939年9月3日、ドイツ軍はポーランド軍によるラジオ局襲撃を根拠にポーランド領内へと雪崩こんだ。
この事態にポーランド政府は、ただちに英仏に救援を要請したが、両国の動きは鈍く、救援が到着するまでは何とかポーランドは独力で自国を守らねばならなかった。
もちろん、ポーランド軍は手を拱いていたわけではない。
例えば貴重な海軍艦艇、特に水上艦艇については事前に英国方面へ脱出させる算段をつけていた。また空軍に関しても、第一線機に関してはドイツ軍による空襲を回避するため、後方の飛行場への避難を徹底させていた。
こうして、ドイツ側の一撃を回避すると、ポーランド軍は各所で反攻に転じた。もっとも、ドイツ軍との間には戦力差があるため、必然的にその戦闘は少数の戦力を遊撃戦力として活用するゲリラ戦的なものとなった。
ここで活かされたのが、日本の軍事顧問による指導であった。彼らは特に夜襲や肉薄戦術を教育しており、この教えを受けたポーランド兵たちは果敢な戦闘を行った。
空でも、日本人パイロットとともに研鑽したパイロットたちが、質量でも劣る状況で反撃を行い、ドイツ空軍や機甲師団に痛撃を与えることもあった。
こうした反撃により、ドイツ側の侵攻に思わぬ遅延を及ぼしたものの、やはり多勢に無勢。じりじりと前線はポーランド国内へと押し込まれていく。
とは言え、これによって稼がれた時間は無駄ではなかった。
と言うのも、ポーランドが持ちこたえられるかもしれないと見た英仏軍が、限定的ながら攻勢作戦に出たからだ。
この攻勢は当然ながら西部国境や、或いは北海方面で行われ、ポーランド方面で苦戦するドイツ軍上層部を大いに慌てさせた。
それなりに軍備を増強してきたとはいえ、英仏2国と真正面から戦えば、特に東部に戦力を集中している現状では、どんな結果が起きるかわかったものではない。
そして、この英仏軍の動きに呼応するように、ポーランド空軍は乾坤一擲の作戦に打って出た。
このまま防戦一方では、強大なドイツ軍を押しとどめるのが精一杯。やはり、敵の心臓部を叩く必要がある。
そして、それに適した機体がポーランド空軍にはあった。日本より輸入した96式陸上攻撃機と96式艦上戦闘機である。
この内96式陸上攻撃機は、ドイツ軍の侵攻以降もその長い航続距離から後方の秘密飛行場にまとまった数が温存されていた。その数22機で、そのすべてが急遽搔き集められた。
一方96式艦上戦闘機は、同じく日本から輸入した97式戦闘機と共に積極的に迎撃戦闘に投入されていたが、増槽を装備可能で護衛戦闘機として使用できる。こちらも残存する13機が急遽搔き集められた。
総計35機の攻撃隊が、ドイツ本国攻撃に向かって出撃した。目標は敵国首都・・・ベルリン!
開戦から2カ月余り、善戦しているとはいえポーランド軍は西部の国土の多くをドイツ軍に占領されており、じわじわと敵は首都ワルシャワに迫っている。そうでなくとも、ワルシャワは度重なる空襲で大損害を被っていた。
そんな中で、貴重な戦力を割いて行われるこの作戦は、是が非でも成功させねばならなかった。
払暁の空を飛び立った攻撃隊は、一路西へ!
相手は強大なドイツ空軍。どこで迎撃を受けるかわからない。攻撃隊のパイロット全員が極度の緊張を覚えつつ、敵機の出現に備えた。
しかし、彼らは何の妨害を受けることなく、ついにベルリン上空へと到達した。
運命の女神は、彼らに微笑んだのだ。
この時期、独波国境地帯は既にドイツの占領するところとなっており、ポーランド側からドイツ本土への直接攻撃、それも首都ベルリンへの攻撃が行われるなど、ドイツ側の誰もが予期しないものであった。
西部方面で英仏軍の行動が活発化した影響で、ドイツ東部に展開する部隊が大きく減じていたのも、ポーランド攻撃隊に味方した。
さらに、攻撃隊の中核をなす96式陸上攻撃機のシルエットがドイツ爆撃機のシルエットに比較的似通っていたのも味方した。攻撃隊を捕捉した数少ないドイツ軍部隊も、その機影を味方と勘違いしてしまったのである。
こうして、ベルリン上空に突入した爆撃隊は、官庁街付近目掛けて搭載してきた爆弾を次々にばら撒いた。
完全な無差別爆撃であるが、敵であるドイツ軍はワルシャワをはじめとする各地へ既にやっているだけに、それに対する報復であった。
ベルリンの市街地のど真ん中に、次々と火柱が上がり、轟音が響く。
爆撃隊は強烈な一撃を、ドイツの中心部にお見舞いしたのだ。
だが、爆撃を開始すればさすがにベルリンの防空を担う防空陣地も火を噴き、さらに近隣の飛行場をスクランブルした独戦闘機も飛び上がって来る。
護衛の96式艦上戦闘機も、各爆撃機の防御銃座も必死に抵抗するが、多勢に無勢だ。1機、また1機と被弾し討ち取られる。
その中の1機に、志願して乗り込んだ日本人顧問の操る機体があった。
右発動機に被弾し、さらに主翼を炎が舐め回すをのを見て、彼は帰投も脱出も不可能だと悟った。
ならば、ドイツの中枢部に少しでも打撃を与えてやろう。
意を決した彼は機首を、偶々目に入った建物に向けた。
炎上する機体は、最後まで彼の操縦に従った。
その彼が、建物に激突して意識が吹き飛ぶ寸前に見たのは、自分の方を呆然と見上げている、ちょび髭の人物であった。