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暁部隊  作者: 川崎 有紀 & オアシスグループ
3/3

第三部

第十章 ホワイトハウスの戦い

米国中部時間一九四五年四月十日午前五時三十五分

北条たちは手に入れた作業着に着替えていた。


「よーし、これで大丈夫。どこからみても現場作業員だぜ」

武田が明るい声で言った。


「これも盗んで手に入れたものか。情けないが、仕方ない」

北条も作業着に着替えた。


(もう本当に盗賊部隊だ。大日本帝国陸軍特殊部隊がこんなことをしながら任務を遂行していると知ったら、国民は一体何と思うだろう。末代までの恥さらしだ)

などと心に浮かぶ。


「なんだよ。金は置いていっただろう。盗むというのと違うぜ。夜中に店を開けていない奴らが悪い」

「武田。なんでもいい方に考えられる思考が本当に羨ましいよ」

長尾は髪を編んで、短く結い上げ、帽子を目深に被り男装した。


「うおーっ、良く似合うよ、レベッカちゃん。ブリリアント!」

「動きやすい」

長尾は武田の称賛に素っ気なくそう返す。古びたバンを手に入れ、身なりもどこかの工場か作業場へいく労働者の出で立ちである。


「よし、いこう」

北条がそう言うと、全員車に乗り込み、武田がバンを出した。エンジン音が煩いが、快調だった。ワシントンまでこれで行けそうだ。


「しかしよ。無事にこれでワシントンに乗り込むとして、武器はどうする。もう拳銃くらいしかねえぜ。太田も言っていたけどよ、確かにこの装備じゃ無謀だ」

「補給を受けるしかないな。ある程度の装備が必要だ」

北条は思案気にそう返す。


「中西部より東には日本の拠点が無いと言われていたけどな」

「ああ。草部隊の拠点があるのは西部から中西部までだ。シカゴの拠点が壊滅した以上、もう米国東部で我々が補給を受けられる所はない」


「どうする。一旦西に戻るか? 探せば拠点は残っているだろう」

「西部に? それこそ自殺行為だろう。米国の諜報機関が手ぐすね引いて待っている。前進して状況を打開した方がいい」


「当てがあるのか?」

「どうして当てがあると分かる?」


「そりゃね。北条様がそんなに落ち着いていらっしゃいますので」

「上手くいくかどうかわからないが、考えがある。さっき無電を打った」


「えっ、いつの間に。やっちゃん、やるな!」

「ヤクザとかぶるから、その呼び方やめろ」


「あいあい。で、どうするのよ」

「もう一つの部隊に助けを求める。黄昏部隊だ」


「ええっ!?」

武田と長尾が驚いて、北条を凝視した。


「我々二つの部隊はそれぞれの目的を遂行することに際し、連携することはないって言われましたが」

長尾は北条に確認するように聞いた。


「その通り。しかし連携はしていないが、この二つの部隊はほぼ同時期、同地域において異なる任務が与えられていると言っていた。つまり現在奴らの目的は不明だが、米国に在住している可能性があるということだ。我ら以上に小部隊であるはずがないので、彼らに武器を分けてもらう」

「しかしさ、黄昏が武装部隊かどうか不明だ。奴らの目的について俺たちは何も知らされちゃいねえ。また仮に武装部隊だったとして、俺たちもこの有様だ。奴らもきっと相当やられている。生き延びられているかどうか」

武田はバンを注意深く走らせながら、そう反論した。


「米国に乗り込んだ以上、何らかの武装集団である可能性が高い。いまさら世論工作や買収など迂遠な活動をする部隊であろうはずがない。日本が負ける瀬戸際じゃないか。そして、人員の一部が失われたが、全滅せず、任務遂行中であること。それこそ重要な点だ。ダメで元々」

「我々の要請を無視するという可能性は?」

長尾がさらに聞いてくる。


「彼らが全滅していなければ、何らかの反応はあるはず。我々が引き続き補給を求めて打電をする可能性が否定できない場合は、そこから作戦が漏れる。奴らとしてはどうにかして黙らせる必要があるだろう。よって彼らの取る行動の可能性は二つ。一つ目は武器の提供に応じる。二つ目は、黄昏部隊が遂行中の作戦の邪魔として、我々を永久に地上より消し去ることだ。いわゆる口封じだ」

「なるほどな。どのみち接触してくるという訳か。流石大卒。上手く考えたぜ。よっしゃ。分かった。試してみるんでいいぜ。どうよ、レベッカちゃん」

 武田は長尾に意見を求めた。


「いい考えだと思います」

長尾もうなずいた。


「よし、話は決まったな。早速打電する」

北条は通信機を取り出した。



空港 米国中部時間一九四五年四月十日午前六時二十五分

その頃、フリードマンはシカゴ空港にいた。日本のアカツキ部隊はシカゴを既に離れたと推察し、シカゴでの探索を諦め、一路ワシントンに向かうことにしたのだった。もうすぐ夜が明ける。飛行機を安全に飛ばすことができるのだ。フリードマンは空港滑走路近くの公衆電話から自宅に電話をかけていた。


「ああ、 ハナコ。すまないね、こんなに朝早くに」

フリードマンは申し訳なさそうに切り出した。


「まあ、ロイド。いいえ構わないわ。どうしたのこんなに朝早く」

「君の声を聴きたくなってといったら、気障かな」


「アンを起こしてきましょうか」

「いや、いいよ。寝かしておいてくれ。早朝から娘を叩き起こす非常識な父親にさせないでくれよ」


「けど本当に良かった。元気で。いつ帰ってこれそう」

「もう欧州での戦争は終わりだ。日本も降伏するだろう。すぐだ。もうすぐ帰るよ。僕が帰ったら、お隣のアンバーさんには悪いが、アンにお菓子を頻繁にあげてしまうのは止めさせないとね。ただ絶品のミートパイは貰っておいてくれ」


「まあ、それでは貴方が太ってしまうわ」

「君の前では腹を引っ込める努力をしなくていいと思っていたんだが、そうは甘くないか」


「あら、いつまでも素敵な旦那様でいてね」


「そろそろ時間だ。ハナコ愛している。アンにも愛していると伝えておいてくれ」

「貴方もご無事で。無理をしないでね」

フリードマンは静かに電話を切った。


(必ず帰る。家族の元に)


フリードマンはそう心の中で呟き、空を見上げる。空は薄白い明るさが広がっていた。雲はあまりなく、絶好のフライト日和だ。

その時、スミスが走り寄って来た。


「何をやっていた。もうB17が出発するところだぞ」

自身も家族に電話をしていた事を棚に上げて、フリードマンはスミスを叱責する。スミスは息を切らしていた。


「新しい情報です。たった今管制塔の無電室に入った情報です。悪いニュースといいニュースどちらを先に聞きますか?」

「もちろん悪いニュースだ!」

フリードマンは間髪いれず答えた。


「奴らが無電を使っています」

「何! どういう内容だ?」


「短くて、内容までははっきりとは。しかしどうも救援を要請しているようです」

「暗合解読班がこれまで日本軍の暗合を容易く解読していたのに。どうして今度は解読できないのだ。くそっ」

フリードマンはイライラしながら暫く歩き回ったが、少し冷静になり、自問自答するようにスミスに問うた。


「東部には奴らの武器を供給する拠点はないはずだ。誰が奴らに補給するのだ?」

「皆目見当が付きません」


「それでは、これに対応する君の考えは?」

スミスは少し考えを巡らせ、そして言葉を選びながら言った。


「武器の補給を現地店舗からの調達で行わない可能性がでてきたため、東部の武器店の盗難をチェックしている人員を配置転換、大きな荷物を抱えた車両、人員の探索に変更します」

「結構。実に無難な判断だ」


「あと、女性を伴うグループに注意を払います」

「益々結構。このような戦時中に女性と歩く男性グループなどとんでもない。よし、次にいいニュースを聞こうか」

戦時ではあるが、映画館はカップルで一杯ですよと思わずスミスは言いたくなったが、次の報告に移った。


「陸軍長官より。要望のあった部隊の一部が既にホワイトハウスで配置についたそうです。ただしこの件に関して、スティムソン陸軍長官は大佐と直接話がしたいそうです」

「ふん。いくらでも話をしてやるさ。さ、後は飛行機の中で聞こう。ワシントンまでこいつなら直ぐだ」



米国東部時間 一九四五年四月十日午前十時三十五分

北条たちは快調にバンを飛ばしていた。武田は鼻歌を歌いながら、スピードを出しすぎないよう、また周囲四方に目を配りながら、車を走らせていた時、突然傍らにあった通信機が鳴った。すぐに北条がその内容をチェックする。


「返事が来たぞ。武器補給の件了承す。明日午後十九時、メリーランド州ロックビル、ビール・ドーソンの家付近で受領されたし」

北条は興奮しながら、電文を読み上げた。


「よし、このまま走り抜けてしまうぜ。到着したら腹ごしらえをしてから、ひと眠りだ」

武田はそう言って、アクセルを踏んだ。



同日同時刻。フリードマンとスミスはメリーランド州、アンドルーズ陸軍飛行場に到着すると、そのままホワイトハウスへ向かった。快適なB17での四時間のフライトだった。その間フリードマンは少し仮眠を取った。スミスも同じく仮眠を少し取ったが、到着間際に起き、飛行中に入ってきた無電報告全てに目を通した。空港から乗り込んだ車内でスミスは飛行中に入ってきた重要な案件について選び出し、フリードマンに次々と報告を入れる。


「ヘンリー・スティムソン陸軍長官は既にホワイトハウスに到着しているようです。陸軍長官は警備にあたっている部隊についての事で、至急話がしたいと電報が入っています」

「スティムソンがジャップを嫌いだということは良く分かっている。しかし今度の部隊配置については了承していただかなくてはな」


「それにしても向こうから来る電報は『それ』とか『あれ』とかで、全く部隊名が分かりませんね」

そう言って、スミスは苦笑した。


「口に出すのもおぞましいというわけか。スティムソンらしい。奴は人種差別主義者で、日本人に対する考えは頑なだ。最も今の合衆国でそうじゃない人間を探し出すことの方が難しいがな」

車外の流れゆく景色を見ながら、フリードマンはスティムソンとの協議について思案していた。


フリードマンがホワイトハウスの玄関前に到着するとヘンリー・スティムソン陸軍長官が出迎えた。


「よく来たな。フライトはどうだったかね」

「天候にも恵まれ、快適でしたよ」


「それは良かった。何か飲むかね。酒もあるぞ」

「コーヒーで願います」

スティムソンは使用人にコーヒーを頼むと、部屋から全ての人間を退出させる。


「さて、君の要望通り第442連隊戦闘団の一部をオークリッジから回したよ。現在オークリッジの守備兵は半減しているぞ。当地は守備力が著しく下がっている」

「長官。失礼ですが、大統領以上に守るべきものがあるのでしょうか?」


「模範解答とすれば無いと答えるべきなのだろうな」

「オークリッジの田舎に何の価値があるのです。新たな強制収容所でも作られたのですか?」

皮肉めいた笑いをフリードマンは浮かべた。


「君が知る必要はない。それに君の妻や子供が日系人強制収容所行きを免れているのは、私の恩情だということを忘れるな」

スティムソンは鋭い視線をフリードマンに投げた。その時、使用人がコーヒーを二つ持ってやって来た。二人の目の前にコーヒーカップを置くと、使用人は速やかに退出していった。スティムソンはコーヒーをフリードマンに勧め、自身もコーヒーを飲んだ。


「もう一つある。大統領閣下がジャップに囲まれて息が詰まると仰っておられる。大統領はジャップが嫌いなのは、私以上と言うことは君も知っているだろう」

「第442連隊戦闘団は日系アメリカ人で構成されています。いいですか。アメリカ人です。ホワイトハウスの何処にジャップがいるんですか?」


「子供じみた事をいうな。そうであるなら、私が強制収容所を作るはずは無いだろう」

「最大の愚行と言われなければいいですな」


「君はもしかすると、私に説教をしているのかね?」

スティムソンは鋭い視線をフリードマンに投げた。


「まさか。それでは第442連隊戦闘団以上の精鋭部隊を配備して下さい。私はこだわっている訳では無いのですよ。あれ以上の精強さを持つ部隊がいれば、警備はそれで結構です」

フリードマンはスティムソンの目を見ながら言い放った。スティムソンは暫く考えていたが、やがて意を決したように口を開く。


「君は頑固だね。。まあいいだろう。要望は受け入れよう。警備は遺漏の無いようにしたまえ」

スティムソンは根負けしたように言い、話を終わらせた。



補給 米国東部時間 一九四五年四月十一日午後十八時五十五分

メリーランド州ロックビル、ビール・ドーソンの家。


「そろそろ時間だな」

北条は腕時計を見ながらそう言った。まだ早い夜だが、人気はなかった。気づくと大型のトラックがゆっくり近づいて来ていた。

北条らの目の前で停車する。


「よし。武器を持ってきた!」

北条は興奮して叫んだ。


「何だよ。まだ分かんねぇだろうが! 降りたとたんズドンと撃たれたらどうするんだ」

「俺たちを口封じするつもりなら、あんな目立つトラックで来ないよ。大丈夫だ」

北条は車から丸腰で降りて挨拶をした。中から二人の人間が降りてきた。一人は多米だった。こんなところでもう一度会えるとは。北条はまだ一か月ほどしか経っていないのに、長い年月が過ぎ去ったような気がしていた。

もう一人は武田と同じく筋骨逞しい大男だった。二の腕が普通の人間の太腿くらいある。


「一緒に来たのは大藤 与一伍長だ。大藤、こちらから、北条、武田、長尾だ」

「大藤だ。色々話したいこともあるだろうが、まずは武器の移動だ。任務に必要と思われるものを持ってきたが、相互に確認しながら運び入れてくれ」

大藤がそう言うと、全員が頷いた。

五人で協力して、武器を相互に確認しながら、トラックからバンに積み替える。重火器、手榴弾、バズーカーなどを手際よい作業で移動。わずか数分で全て終了した。


「佐野、今川、太田はどうした?」

作業を終了した後、多米は北条らを見回しながら聞いた。


「殺られました。指揮は現在小官が取っています」

「そうか」

一瞬の躊躇いの後、多米は少し俯き絞り出すような声で言った。


「清水さんは? 富永さんは?」

「清水は殺られた。富永は現在向こうで作戦準備中だ」

分かりきっていたことだが、今は戦争中である。知った顔が次から次へと消えていく。お互い万が一の事を考え、一刻も早くこの場を去らねばならない。最後に多米は北条に右手を差し出した。


「北条。私が先に行くか、お前が先に行くかわからないが、靖国で会おう」

北条は多米の差し出した手を握り、握手した。


「ええ」

北条は多米の温かい手を握り、そしてややあって離した。もう現世では会えることはないのだ。

続いて多米は長尾と握手を交わした。言葉はもう要らない。お互い、お互いの任務を果たすだけだ。


「おい、多米。俺には接吻をしてくれ」

武田がふざけた様にそう言うと、大藤が少し苛ついた顔をした。


「いいだろう」

意外な反応が多米から返ってきて、武田はたじろいだ。多米は素早く武田に近づき、頭を掴んで口づけした。全員があっけにとられる中、多米は表情を変えず、武田から離れた。


「お別れだ、皆!」

そう言うと、多米はそのまま振り返ることなく、トラックに乗り込んだ。トラックはゆっくり走りと出す。その赤いテールランプを北条らは暫く見つめていたが、やがて誰言うともなく、バンに乗り込んで、その場を離れた。



トラックを運転している大藤と多米は暫く無言だった。


「武田って、あんたの良い人だったのかい? 何か言わなくて良かったのか?」

大藤が漸く口を開いて、多米に語り掛けた。


「何を言えばいいというのだ?」

「いや」

大藤は押し黙った。多米は武田の唇の感触を思い出していた。


「大藤。頼みがある」

「なんだ」


「今から、暫く泣いていいか?」

「・・・。いいぜ、泣けよ」


「すまんな」

多米は泣いた。声を立てて泣いていた。大藤がトラックのスピードを上げる。黄昏部隊に再合流すべく、夜の街を静かにトラックは走って行った。



米国東部時間一九四五年四月十一日午後二十時十五分

北条らは武器を受領することが出来、意気が上がっていた。特に武田の饒舌ぶりが止まらない。北条が運転する横で延々と自身のモテ振りを自慢していた。


「いやー、やっぱりモテる男は違うね。俺くらいイイ男になると、知らない間に女を随分泣かしている可能性があるな。しかし、あの多米が俺にぞっこんだったとはね。本当に辛いなあ」

長尾は能面の様な表情を崩さない。北条も今は能面の様な表情となっていた。


(面倒くさい・・・)


北条はハンドルを握りながら、そう思った。


宿泊予定のケントホテルが見えてきた。草部隊と連絡するには、幾つか指定されたホテルの内どれかで宿泊しなければならない。ケントホテルは草部隊と連絡を取るために指定されたホテルの内一つだ。


「よし。チェックインしよう。 長尾と僕は夫婦ということにして、一部屋。そして武田も一部屋。実際には一つの部屋は僕と武田で使い。もう一部屋は長尾で使ってもらおう」

三人は簡単な打ち合わせをし、ホテルのフロントに向かった。武器を車に乗せたままにして置くのは一抹の不安があったが、まずボロのバンを盗む酔狂な奴もいるまいと思い、また嵩張る装備を運べばホテルの従業員、宿泊客などから不審がられる可能性もあるため、そのまま積んでおいた。


「ジミー ウェイドだが。こちらは妻のエリザベスだ。部屋を一つ頼む」

「ジミー ウェイド様ですか。それではこちらの宿泊帳に記載してください」

北条と長尾は宿泊帳に記載をした。


「お待たせいたしました。それではウェイド様五一二号室でございます」

初老のフロントスタッフが武田を見た。


「お次のお客様」

「ああ。ジェイク ロビンソンだ」

武田も上手く話を合わせた。


「それではお待たせしました。ロビンソン様五一三号室になります。あ、そうそう。ウェイド様にはお手紙が届いております。保管してかなりになりますが、ご確認ください」

北条が投函日をみると二週間前となっていた。


「有難う」

北条と武田は五一二号室、長尾は五一三号室へ一旦入った。北条は渡された手紙を開けた。中には電話番号が一つ記載されていた。北条、武田はお互い顔を見合わせた。やるべきことは分かっていた。北条は受話器を取り寄せ、その電話番号にかける。コールを二十回まで待ち、そこで電話を切った。


(違うのか。いや、これは間違いなく草部隊に繋がるもののはずだ)


「どうした?」

武田が訝しげに聞いてきた。


「電話に誰もでない・・・」

 北条は暗い顔で呟いた。

「何だと?」


(もう一度電話すべきだろうか。いや、これで間違いないはずだ)

北条と武田は暫く待つことにした。すると部屋の電話が鳴った。電話を取る。


「ウェイド様。外線が入っておりますが、お繋ぎして宜しいでしょうか?」

ホテルのフロントからだった。やはり繋がった。間違いない。草部隊はこのワシントンにおいても活動しているのだ。


「ああ。頼む」

「草部隊だ。そのまま聞け。いい話からだ。大統領は現在ホワイトハウスにいる。繰り返す。大統領は在中」


「有難う」

北条は狂喜した。これこそ最重要な情報だったのだ。


「次は悪い話だ。先日警備が強化された。現在百名相当の警備兵在中。警備兵は合衆国歴史上最強の部隊だ。歴史上最も多くの勲章を受けている。第442連隊戦闘団。貴様らと同じだ。日系人だけで構成されている」

北条はショックを受けた。なるほど、米国でも暁部隊と同様の考えの元、作られた戦闘集団がいたのだ。


「了解した」

「奴らは半端じゃない。くれぐれも気を付けろ。尚万が一の状況を考え、この電話の後、すぐそこを出立しろ。作戦の成功を祈る、以上」

スミスはそう言って電話を静かに切った。これで自分ができることはもうない。草部隊として、最大の貢献をした。すなわちルーズベルト大統領の所在を暁部隊に伝えることができた。自分の存在はこの一瞬のためだけにあったのだ。

部屋を出て暗い廊下に出た。物音ひとつしない廊下をゆっくり歩く。窓の外には深夜にも関わらず、警備に当たっている第442連隊戦闘団の兵士たちが見えた。廊下のテラス窓を開け、庭にでた。空は雲がなく、月がこうこうと輝いていた。それを見て、煙草を取り出し、ライターで火をつけた。煙を吸い込み、そして吐き出す。外の空気は冷ややかで気持ち良かった。ゆっくり時間をかけて一本の煙草を吸い終えると、再び廊下へ。そしてテラス窓の鍵を静かに閉め、廊下を歩き、一階のホールへ出た。


「貴様がそのような裏切りものだったとはな。スミス中尉」

背後から声を掛けられ、スミスは立ち止った。フリードマン他三名の警備兵が銃口をスミスに向けていた。


「こっちを向くな。手を挙げろ」

フリードマンは銃をスミスに向けてそう言った。


「大佐も夜の散歩ですか?」

スミスは振り向かず、落ち着き払って返事を返す。


「電話を盗聴した。ジャップに連絡を入れたな。我々がスパイを送り込んだと同様に奴らも我々にスパイを送り込んでいたとはな」

「・・・。最初から疑われていましたか」

スミスはあくまでも落ち着いていた。


「貴様だけではない。全ての電話を盗聴している。本来ならお前も用心して、ここの電話機を使用しなかっただろう。しかし任務のためこの場所を離れることはできない。仕方なく、お前は電話機を使った。使わざるを得なかった。たった今ケントホテルに電話したな。会話が短く、電話の内容までは分からなかったが、電話した先はホテルに偽名で宿泊し、尚且つ現在所在不明な男女三名がいた。お前はこれら三人との関係を説明できるか?」

「ふふふ。大佐。流石です。しかしね」

振り向きざまスミスは銃を引き抜いた。しかし警備兵がスミスを銃撃し、打倒する。


「待て! 撃つな! 止めろ! 止めてくれーっ!」

フリードマンは怒鳴って、射撃を制止した。血しぶきをあげて、スミスが後ろに倒れた。フリードマンは走って駆け寄り、スミスを抱き起こす。


「ジョン! しっかりしろ! おい!!」

フリードマンはスミスの手にあった拳銃を見た。安全装置が掛かっていた。驚いて、さらに弾倉をチェックする。

銃には弾は込められていなかった。


「銃に弾は入っていません。流石に長い付き合いの貴方は打てませんよ」

フリードマンはスミスを抱きかかえた。夥しい血が流れ出て、フリードマンを濡らす。フリードマンは泣いていた。涙がスミスに落ちる。

スミスは苦しそうに喘ぎながらも、フリードマンに何か語り掛けようとしていた。


「喋るな! 相棒。今助けてやるからな! お、おい、早く救急車を! 頼む!」

フリードマンは傍らの警備兵に指示を出す。しかしスミスはそれを手で制止した。


「いいんですよ。私の体です。もう駄目だということは私自身・・・良く分かっています」

「何故だ。ジョン! お前は何故こんなことを?」


「せ、正義の尊称は悪徳。悪徳の別称は正義ですよ。大佐。貴方は祖国が、我が米国陸軍航空部隊が・・・日本に対してこれから、な、何をやろうとしているのか知っていますか」

「どういう意味だ」


「は、はやく、早く戦争を終結せねば、多くの民間人が、虐殺されてしまう。悪魔の計画が、す、進んでいます」

「悪魔の計画とは、貴様らが企んだ米国大統領暗殺計画だろう」


「ふふ、貴方は何もわかっていない。何も! このままだと合衆国の歴史に、未来永劫に不名誉が刻まれてしまうのですよ。最悪の不名誉な事態です」

スミスは自身の血でまみれた手を虚空に挙げ、何かを掴もうとしていた。

(何か重要な事を伝えようとしている。)

フリードマンは抱えたスミスに顔を近づける。スミスはフリードマンの襟を掴み、引き寄せ、息も絶え絶えに言った。


「マ、マンハッタン・・・け、計画」

そこまで言うとスミスは絶命する。


「マンハッタン計画・・・」

フリードマンは一人その言葉を反芻した。



米国東部時間 一九四五年四月十一日午後二十一時二十五分

「行け! 行け! 行け!」


六輪駆動トラック三台がケントホテルに横づけされた。トラックの荷台から大勢の武装兵士が飛び出す。驚き慌てる宿泊客のいるロビーやフロントを横切り、一隊はエレベータを、一隊は非常階段を上り、五階に殺到した。


「五一二号室、五一三号室だ!急げ」

M1ガーランド自動小銃で武装された兵士が驚くべき速さで移動し、五一二号室、五一三号室の前に集結。すかさず指揮官らしい兵士が手信号で合図すると同時にドアを蹴破った。


「動くな!」

五一二号室は無人。五一三号室では浴室からシャワーの音がしていた。兵士たちは無言で浴室のドアの前に立った。明りが漏れている。兵士たちはお互い目を合わせ、突入するタイミングを伺った。

ドアを再び蹴破り、シャワーがでているカーテンに向けて自動小銃を乱射した。たちまち湯船にかかったカーテンはハチの巣になった。兵士の一人が自動小銃の先でカーテンを開けた。そこには誰もいなかった。


「ジャップめ。逃げられた!」


フリードマンは兵と共にスミスの遺体を救急車に運び入れると、名残惜しそうにそれを見送った。しかし今は悲しみを振り捨て、理性を働かせるべき時だった。第442連隊戦闘団隊長スズキ ジロウ中尉がフリードマンへ報告に来た。


「残念なニュースです。ケントホテルは空振りでした」

予想していたが、捉えることは出来なかった。


「そうか・・・」

フリードマンは決断を迫られた。第一に襲撃が予想される今夜大統領を移動させるべきかについては再び迷う。明日になれば州兵も動員できる。時間が経てばこちらに有利になっていく。ただホワイトハウスは要塞。これ以上の要害は近郊には無く、また移動している最中に襲われれば目も当てられない。リスクは取れなかった。

 第二に戦力の増強。スティムソンを叩き起こし、今すぐに兵力の増員を願い出る。一つは第442連隊戦闘団という戦力を増強したばかりであるのに、さらに増援を要望することに関してスティムソンが了承するかどうか。それ以上に懸念されることは、兵力の大規模な移動を深夜に行い、その部隊に紛れて、アカツキ部隊がホワイトハウスに侵入することである。フリードマンは第三の策。すなわち現在の守備兵を配備に付かせることにした。


「奴らは今日動く。総員起こせ!」

スミスがアカツキに連絡している。今日は必ず何かある。もうすぐ夜明け。フリードマンは第442連隊戦闘団には直ちに完全武装をさせ、あらかじめ決められた守備位置に付かせた。



米国東部時間 一九四五年四月十二日午前四時四十五分

フリードマンは昨日の事件から一睡もしなかった。奴らは今日来るという確信があった。時間が経つほど我々に見つかる可能性は増す。明日になれば、警察も協力して周囲に虱潰しの捜索が始まる。時間が経てば経つほど奴らにとって不利。すぐにでも行動を起こすはずだ。


「火災だ!」

フリードマンは守備兵の叫びにはっとした。窓の外を見るとホワイトハウスの近傍で停められた車から炎が吹き上がっている。


(来たか!)


フリードマンにはアカツキ部隊が何を考えているのか明確には分からない。しかし間違いない。奴らは来る。ここに来るしかないのだ。しかしこれ程の人数で固めているのだ。正面攻撃は出来ないのに違いない。策を弄しているのだろう。

窓から離れ、フリードマンは自室の机に置いてある巨大な黒いスーツケースに近づいた。今日のためにわざわざ取り寄せておいたものだ。久しぶりに触れる感触を確かめながら、そのケースを引き寄せた。


「待たせたな。今日はたっぷり血を吸わせてやろう」

そう言うと、フリードマンはスーツケースを開いた。



正面から救急車が凄まじい速さで近づいて来ていた。それを見た守備兵たちは火災による負傷者の救助と思い込んだ。しかしそうでは無かった。火災が発生してからあまりに早い到着。しかもホワイトハウスに近づくにつれ、ぐんぐんと速度を上げて、停まる様子がない。そして火災の方向では無く、ホワイトハウスに正門の柵を破って侵入した。救急車は玄関正面で急ターンをして、後方部を玄関に向けると、ドアが開いた。内部には重機関銃を構えた武田がいた。


「暁部隊!見参!」

そう言うと武田の構えた機関銃が火を吐いた。


ダダダダダダダダダダダーッ


轟音と共に玄関近辺にいた守備兵を薙ぎ倒す。庭から駆け付けるその他の兵士たちも次から次へと重機関銃の前に倒れた。北条と長尾が救急車から飛び出て、玄関内に突入した。二人とも多数の弾薬、爆薬を抱えていた。その後に重機関銃、弾薬を抱え、武田もホワイトハウス内に侵入した。


「ここは俺が守る。お前達は先へ行け!」

武田が叫んだ。既にホールにあった家具を片っ端から集め、引き倒してバリゲードを二階に通じる階段の周りに設えている。


「まさか、お前」

「康、短い付き合いだったな。けどお前と一緒にやれて楽しかったぜ。この世ではここでお別れだ」

来るべき時がきたのだ。北条は溢れ出る涙をこらえた。武田はバリゲードを作る手を一旦休め、長尾に向き直った。


「レベッカちゃん。まあ平和な時代だったら、今頃俺は君との夜の生活が激しくて精力が尽きていたろうが。こういう時代だ。本当にすまなかったな」

「いえ。全くそういう風にはならなかったと思いますけど」

長尾は素っ気なく返答する。


「最後の最後まで、意地を張るお前のその女心、有難く受け取っておくぜ」

「いや、全然」

 長尾はあくまで無表情で返答した。

「・・・」

三人の間に一瞬静寂が訪れた。


「それじゃ、武田。行くよ」

北条が武器を持ち換え、そう言った。


「ああ。ここは絶対通さねえ。康、靖国で会おう」

「ああ」

二人が二階に上がるのを見送ると、武田は機関銃、弾薬箱を設置して、敵兵を迎え撃つ準備をした。


「さてと、本塁を守る準備だ」

武田はそう言うと高く積み上げられたバリゲードの中で機関銃を構えた。



北条達が二階に上がると、廊下の奥から守備兵達が数十人現れるた。北条は守備兵達が東洋系の顔立ちをしていることに気が付いた。


「私は鬼になります!」

長尾が叫んだ。


「僕もだ!」

北条がそう返す。


(これが日系人からなる第442連隊戦闘団か。見せてもらおうか、米国陸軍歴史上最強部隊の実力とやらを)


北条は右へ、長尾は左に分かれ、掃討を開始した。北条は巧みに敵の射線を外し、近接していく。そしてガーランド自動小銃およびコルトM1903を使い、敵をある時は射撃で、ある時は打撃で次々に倒していく。北条は頭部あるいは心臓に二発づつ銃弾を打ち込んでいくことで着実に敵兵を仕留めて行った。

一方長尾の動きは流麗で、まるで舞っているようだった。長尾は敵兵に接近すると、敵の銃を跳ね上げ射線を外し、ガーランド自動小銃を鈍器のように振り回して相手を倒していった。多くの兵士が瞬時に倒されていったが、それでも第442連隊戦闘団は退かなかった。屍を踏み越え、北条と長尾に殺到した。日系人からなる第442連隊戦闘団は米国に対する忠誠を示すため、死を恐れぬ勇猛さで知られていた。


(そうだよな。お前達も我々と同じ、退くに退けぬ立場だ)


「悪く思うな! 押し通る!」

北条は高速で回転し、軽快なステップで相手の射線を瞬時に推定、それを悉く外し、たちまち敵兵に近づくと、射撃を加え薙ぎ倒した。


カランカラン。カラララ―ッ。


薬莢が磨き上げられた廊下の床を転がっていった。廊下にいた守備兵を短時間で全て倒していた。二人は何発か銃撃を受けていたが、九十二式防弾衣改により防ぎ止められており、致命傷は負っていなかった。


「し、しまった」

長尾が叫び、倒れている警備兵のところに駆け寄った。


「い、一体どうしたんだ」

「両肩を撃ち抜くつもりが、左鎖骨下静脈を傷つけたらしくて」

長尾は布で出血を押さえていた。


「ここを押さえて。多分この騒ぎで直ぐに救援が来るから、それまで押さえていて」

警備兵は頷き、苦悶の表情を浮かべながら自身の手で傷口を押さえた。


「ま、まさか、今まで敵兵の急所を外して撃っていたの・・・か?」

北条は長尾の才に舌を巻いた。長尾が清水、富永、多米の教官を全て仕留めた、ブラックハウスでの訓練が思い出された。神の気まぐれは意味不明だ。何故こんな女性にこのような才能を与えたのか。


「ええ。両肩、肘。銃撃はその四か所。後は徒手および足での打撃で相手を制圧しました」

長尾は処置をしながら答えた。信じられなかった。こんな事態でも敵を思いやれるものなのか。


「こんな状況で、敵なのに訳が分からないよ」

「傷ついた敵兵はいません。人間だけです」

長尾はそこまで言うと、言い淀んだ様に続けた。


「偽善かもしれません。けど太田さんを最初で最後の人にしたい・・・」

長尾の言わんとする事は北条には良く分かっていた。


「偽善もまた善の内さ」

北条と長尾はその後引き続き二階の部屋の探索を行った。ドアを押し開き、蹴破り、兵が隠れていれば銃撃を加え、倒し、一部屋一部屋しらみつぶしに調べていった。

激しい銃撃戦でとうとう北条は左腕を負傷した。北条はガーランド自動小銃を捨て、コルトM1903自動拳銃で応戦し、敵を制圧していった。


「こちらの部屋は全てクリアしました」

長尾が廊下の端から駆け寄ってきた。二人で長い二階の両端まで調べ尽くしたのだ。二階にはマスターベッドルームなど多くの寝室があったが、大統領はいなかった。

ホワイトハウスは三棟からなっており、通常大統領はレジデンスにいるはずだが、もしウェストウィング、イーストウィングの棟に避難していた場合、下の階に殺到している守備兵を倒して、夜明けまでに大統領を見つけ出すことは不可能だった。


(避難しているとしても、侵入者とすれ違うリスクは取らないだろう。やはり三階だ)


北条の勘がそう訴えていた。


「向こう側の部屋はなしか。三階を調べよう」

「左腕を負傷されたのですか?」

長尾が止血帯を急いで取り出し、左腕を緊縛した。


「浅手だ。心配するな。後はこいつだけが頼りだな」

北条は自身が持つコルトM1903自動拳銃を掲げた。

北条と長尾は廊下を振り返り見た。夥しい米兵の死体、負傷者が折り重なりあっている。全て自分達がやったのだ。この作戦に参加してから覚悟はしていたが、この事実は重い。お互いの祖国のために、お互いの家族のために、そして何より自分が自分であるために、何かに属するために人間として最も遠い行為を続けている。


「よし行くぞ」

北条が言うと、長尾は短く頷いた。北条達は三階への階段へ向かった。



米国東部時間 一九四五年四月十二日午前四時五十七分


ドン!


巨大な扉を蹴破り、北条と長尾は部屋の中に飛び込んで、銃を構えた。西側の部屋、ミュージックホールに二人はでた。ホールの片隅にピアノが設置されていた。磨き上げられた石の床。大きな窓にカーテンが掛かっていたが、弱弱しい光が差し込んでいた。夜は白み始めている。下の階では銃声がひっきりなしに続いていた。武田が守備兵と戦い、二階に上がるための階段を死守しているのだ。


「誰もいないか」

北条は長尾にそう言った時、黒い影が突然現れ、長尾を襲った。長尾はガーランド自動小銃を向けるが、それは直ぐに払われ、蹴り飛ばされた。


「長尾!」

長尾は壁際まで蹴り飛ばされ、ぐったりとしていた。気を失ってしまったようだった。


(あの長尾が一撃で!?)


北条はすぐに銃口を向けた。自身と同じ金髪、碧眼、長身の男が立っていた。大陸間鉄道車内で見た、あの男だ。


「待っていたよ。アカツキ部隊の諸君! 私は米国陸軍大佐ロイド フリードマン」

男は巨大な銃を持っていた。


「貴様らの進撃もここまでだ! 私とこの『ケルベロス』が大統領の元にはいかさん!」

フリードマンの言うケルベロスとは巨大な拳銃であり、まるでそれ自体が何かの殴打用武器のようだった。


「大日本帝国陸軍少尉 北条 康だ。押通る!」

「ふふ、ミスターホウジョウ。貴様にできるかな」


「随分でかい獲物だな。それで僕より早く撃てるというのか?」

 北条はフリードマンに対峙した。

「この拳銃はただの拳銃ではない。試してみればいい」

不敵に笑うフリードマンに対して、北条は自信を持っていた。一対一であれば、例えどんなに優れた敵兵士であろうと、どんなに強力な武器を持とうと、四式究極汎用戦闘術式を身に着けた自分が圧倒的に有利。お互いに睨み合う。暫しの静寂の後、戦いが始まった。


パンッパンパン!


フリードマンは軽やかなステップを踏み、射線を回避、北条が放った全ての銃弾を躱した。それと同時期に一気に間合いを詰め、逆に北条を至近距離から撃とうとした。北条はその腕を払って、銃撃を躱す。


パン!パパン!


銃撃は外れ、壁には大きな穴が開いた。逆に今度はフリードマンの眉間を狙い引き金を引こうとするが、腕を払われ、弾は逸れて壁に穴を開けた。


ガガガ、ガンッ!


数十連撃。互いに必殺の一撃を銃撃により加えようとするが、その射線はことごとく外されてしまう。北条は戦いながら思った。


(間違いない。彼も、フリードマンも究極汎用戦闘術式の使い手だ。しかし、何故!?)


お互い弾が切れる。北条の右手首に巻かれた一式自動弾丸装填器が作動、拳銃にマガジンを自動挿入する。しかしフリードマンの方は大型の拳銃であるためか弾切れがなく、そのまま撃ち続けた。装填する間も北条は巧みに回転しながらステップを踏み、その動きから高速の後ろ回し蹴りを放った。フリードマンはそれをスウェーバックからさらに後方回転して躱した。互いに距離を取り睨み合う。


「何故?」

「ふふふ。私が何故究極汎用戦闘術を知っているのかということかな?」

フリードマンは銃口を向けながら北条に答えた。互いにゆっくりと間合いを取って攻撃する機を伺っていた。


「私が究極汎用戦闘術式を産み出したのだよ」

「!! 貴方はまさか、我々と同じ『間の子』なのか!?」


「大日本帝国陸軍将校だった頃はそう呼ばれたこともあったな。君は究極汎用戦闘術創始者がどうなったか聞いているだろう」

「死んだと・・・。大陸で栄誉の戦死を遂げたと聞いている」


「嘘だ! 大嘘だ! 私は裏切られ、日本を捨てたのだ。君は大陸で日本帝国陸軍がどんな事をやっていたか知るまい。地獄だ。この世の地獄だよ。北条君。地獄とは人間の創造の産物ではない。手を伸ばせばそこにある現実だよ」


「どういう意味だ」

「私は究極汎用戦闘術式開発の命令を受け、大陸へ向かった。必殺の戦闘術式を開発する。それが私の受けた命令だった。しかし当然、どのような技でも実際に人を殺害可能かどうか検証してみる必要があった」

そこまで言うと、フリードマンは不気味に笑った。


「くくく、そこで敵軍捕虜のみならず、老若男女問わず使ったよ。すなわち人体実験だ。殺した! 殺した!! 殺したさ!!! そんなことを命令する糞野郎とは誰あろう、貴様の司令官オダだよ。そして最初の九七式究極汎用戦闘術が完成した。その後一式、二式、そしてお前たちの使う四式と改良、いや改悪が加えられていったのだ」

狂気に満ちたその表情に北条は怯んだ。


「私も最初は軍の為、国の為と思い、研究開発に没頭した。でもそれ以上に、私には日本に協力しなければならない理由があった」

「何故?」


「私の妻が、ハナコも日本人だったからだ。子供も生まれ、祖国を捨てることは簡単にはいかなかった」

 北条は左腕から血が床に滴り、感覚が無くなってきていた。時間が経過すれば戦闘力が削がれていく。しかし、それ以上にフリードマンの話に引き込まれていた。


「しかし、その内殺せなくなった。とても無理だった。私には無理だったんだ。何故なら、私は人間だ。まず人間だったのだ。そして私は祖国を、日本を捨て、一家で米国に渡ったのだ。こんな事を私にさせた奴らは糞野郎だ! 非人道的な命令を下す帝国陸軍、日本を捨て、今は自由の国、米国に忠誠を誓う。私は私の国のため、家族のため、お前たち、アカツキ部隊を討つ!」


(そうか。フリードマンも我々と同じく、間の子だったのだ。日本人だったのだ。何という皮肉だろう。それが米国に渡り、米国民として我々の前に立ち塞がっている)


一瞬の静寂の後、北条は叫んだ。


「僕も国を背負っている。通らせてもらう!」

「言葉は無粋! 掛かってこい!」

フリードマンがそう言うや否や、二人が交差した。先ほどよりも激しく、近接での銃撃戦が繰り広げられた。


二人の動きは激しく、攻防が目まぐるしく変わり、その回転する動きのため、つむじ風のように見えた。そして周りの壁に弾痕が次々と刻まれていった。


パパパパパパ、ガッ、パン、バシッ、パパパパ


彼らは互いに銃撃のみならず、蹴り、突きを繰り出し、相手を制圧しようとしていた。銃撃音と共に打撃音が時折交わる。さらに拳銃弾が切れるたびに弾薬を装填しているのだが、その速度が両者とも早くなり、さらに早くなり、まるで機関銃を撃っているようにしか見えなかった。しかし、次第にフリードマンが圧倒的な手数で北条を追い詰めていく。北条は左腕に銃弾を受け、完全には動かない。巧みな、そして多彩な攻撃に北条は防戦一方となっていった。


(速く、もっと速く! 今負ける訳にはいかない。暁部隊が、佐野大尉、今川さん、太田、武田、何もかも無駄になってしまう!)


「ふふふ。頑張るな、ミスターホウジョウ。君は一体何者だ。君は日本人のつもりか?」

 激しい戦闘の最中にフリードマンは北条に語り掛けてきた。しかも息を全く乱していない。


「僕は日本人だ! 日本を、景色を、人を、全てを愛している!」

北条は言い返す。フリードマンは北条に対する攻撃の手を緩めず、さらにその激しさを増していたが、その口調は淡々としていた。


「いくら君が日本人と主張しようとも、誰も君の姿を見て、日本人とは思わない。どこから見ても君は異端、ガイジンなんだよ!」

「黙れ!」


「気が付かない振りか? 哀れだな」

「喧しい!!」


「これまで何回裏切られた? 何回疎外された? 好奇の目でみられたことは? そして今捨て駒としてここにいる! 目を覚ませ! ミスターホウジョウ!」

「煩い!!!」

北条はフリードマンに一か八か体当たりを食らわせ、怯んだ隙に右ストレートを顔面に向けて放つ。しかしフリードマンが北条の攻撃を潜り、素早く『ケルベロス』銃を回転させ、下から銃床で北条の顎を殴りつけた。


「うがあっ!」

北条は短い呻き声を上げた。

その重みのある銃床による殴打は強烈で、北条の意識が一瞬飛び、膝が折れた。今ここで膝を付くわけにはいかない。


(くっ、まだだ! まだ終わらない!)


フリードマンの髪を左手で鷲掴み、右膝を顔面に叩き込んだ。握りしめた金髪が抜けるほど強力な膝蹴りにフリードマンはわずかに仰け反ったが、口元に笑みを浮かべていた。北条はそれをみて、全身に悪寒が走った。

先ほど北条の顎を下方から打ったケルベロスが北条の頭上にまだあった。伸びあがったフリードマンの腕は、今度は北条の頭部に向けてケルベロスを振り落とした。北条はとっさに自身の持つコルトM1903自動拳銃を翳し、打撃を受けようとしたが、ケルベロスは銃それ自体を破壊。衝撃は多少緩和したが、頭部に打撃が当たり、ダメージは甚大だった。


「ぐあああっ!」

痛みに耐えながらのたうち回る北条を見下ろし、フリードマンはゆっくり近づいた。


「ぬるい! 四式究極汎用戦闘術は改悪だったな。ミスターホウジョウ」

北条はフリードマンの速さ、機転に舌を巻いた。究極汎用戦闘術産みの親。人体実験を大量に繰り返し、その技は円熟の域であった。そして彼の扱う特殊で巨大な銃はまさに凶器。

『ケルベロス』はただの大型拳銃ではなかった。それ自体が格闘戦用の武器であり、鈍器のようなものであった。これ自体を封じなければ、北条に勝ち目はなかった。一方コルトM1903自動拳銃は打撃用の武器ではない。しかも破壊されてしまった。今や北条の武器は腰に付けたKa-Bar戦闘用ナイフだけである。


「アカツキ部隊ミスターホウジョウ。残念だが幕だ」

フリードマンがケルベロスを構え、北条に近づいた。


(考えろ、考えろ、考えろ、まだ死んだわけではない。まだ、まだ、何か無いか)


北条は必死になって考えを巡らせる。これまでの多くの人の死が無駄になる。日本人が今この瞬間にも爆撃で殺されている。止める。止めるんだ! 北条は戦いの意義を自身に言い聞かせた。


(しっかりしろ。数秒後には殺されるんだぞ)


北条は死ぬ前に見る走馬灯というものは、絶体絶命の状況を打破するのに使えるものはないかと検索している脳の働きであるということを思い出していた。どうやって勝つのか。フリードマンは究極汎用戦闘術を使いこなしており、銃を失い、ナイフ一本では北条には勝ち目はなかった。その時、Ka-Bar戦闘用ナイフの傍にあるものが指に触れた。北条は閃いた。しかし、チャンスは一回こっきり。失敗したら、次のプロットはない。


(息を潜めて近づくのを待つんだ。そして彼の位置を把握する!)


北条が頭の中で考えを巡らせている間に、フリードマンは眼前にまで迫っていた。


「楽に死なせてやる」

フリードマンは弾丸を素早く装填し、丁度頭上に立って、ゆっくりと銃口を向けた。


(今だ!)


北条は目をつぶり、腰に付けた閃光手榴弾のピンを抜いた。部屋が閃光に包まれ、真っ白になった。フリードマンは一瞬視界を奪われた。


「うっ!」

次の瞬間フリードマンは北条に抱き付かれ、Ka-Bar戦闘用ナイフを胸骨に突き立てられていた。


「さようなら、フリードマンさん」

北条は耳元でそう囁くと、ナイフをさらに押し込んだ。ナイフは胸骨を貫通。フリードマンの心臓近傍、大動脈起始部をわずかに破壊した。


「うっ、わ、私が」

そう言うと、フリードマンは北条に崩れるように、倒れ込んだ。それを北条は抱き留めた。


「ぐふっ、ふふふ、ついに報いが来たか・・・」

フリードマンは北条に寄りかかり、耳元に自嘲気味にそう呟いた。

北条は何か言おうとしたが、フリードマンは大動脈破損に伴う多量出血のため、既に意識を消失していた。ナイフを引き抜けば即死だろうが、何故か北条はナイフを引き抜けなかった。北条は静かにフリードマンを床に寝かせると、背後から祈りの声が聞こえた。


「貴方の元に召された人々が御子の勝利にあずかり、永遠の国で喜び、貴方を賛美することができますように、私たちの主、イエス・キリストの名によって、貴方の罪は許された」

振り返ると、長尾が痛む腕を押さえながら聖書の一節を復唱していた。北条は安心し、声を掛ける。


「大丈夫!? 良かった、気が付いて」

長尾はそれに答えず、ナイフが突き立てられたままのフリードマンを見ながら呟いた。


「倒したのね」

「ああ。彼は究極汎用戦闘術を産み出したと言っていた。佐野大尉から創始者は戦死したと聞いていたが、どうやら違うようだ」

長尾は一瞬驚いた顔を浮かべたが、自身も瞬時に倒されたため、フリードマンが手練だということは直ぐに理解した。


「行こう。大統領はすぐ上だ!」

北条が立ち上がってそう言うと、長尾は頷いた。



その頃一階では依然武田と第442連隊戦闘団の間で銃撃戦が行われていた。九十二式防弾衣改が胸腹部に命中した銃弾を防いでくれていたにも関わらず、武田は複数の銃創を受けていた。体中から出血が止まらない状況ではあったが、機関銃を連射、敵を防ぎ止めていた。


(くそったれ! こいつら、殺しても殺しても来やがる!)


まさに死を恐れない部隊だった。彼らは米国への忠誠を証明するため、収容所にいる家族のため、自身の名誉のため、戦場で功績を立てる必要があった。米国歴史上最も多くの勲章を得た部隊として知られる最強部隊は死者を乗り越え、次から次へと武田に殺到した。武田はバリケード越しに次から次へと圧倒的な数の敵兵を倒していったが、遂に腹部、右腕に銃撃を受け倒れた。腹部は九十二式防弾衣改が防ぎとめてくれたが、右腕の肉は裂け、骨が露出し、動かない。


(これまでか)


敵の歩兵が銃を乱射して迫る。武田はさらに左大腿部に銃撃を受けた。武田は機銃を取ることもできず、為すがままのあり様だった。体が動かず、とうとうその場に座り込んだ。


(北条、長尾。急げよ。こっちはもう持たねえ)


武田に妹怜奈と母の顔が浮かんだ。皆優しい笑顔を浮かべている。


(いよいよ最後か。妹とお袋の顔が思い浮かぶとは・・・)


爆薬と硝煙の煙で視界が悪い中、ゆっくりと敵兵が様子を伺いながら近づいてきた。武田の生死を確認しに来たのだ。

思いかけず、忘れていた父親の顔が浮かんだ。


(ふふん。次には親父のお出ましか。悪いが、忙しいんだ。お前との思い出に浸っている暇はないよ)


武田は自身の血の海の中、手元にある手榴弾と機関銃弾薬箱を引き寄せた。そして武田は弾薬箱を抱え、手榴弾の留め金を口に咥えた。これで準備良し。その時、ふと多米の顔が浮かんだ。優しく微笑んだ顔。


(おいおい。待てよ。こいつは予想外だよ。ここはレベッカちゃんだろう?)


銃口を向けた敵兵がもう武田の目と鼻の先まで来ていた。何かを叫んでいる様だったが、武田はもう耳が聞こえなくなっていた。


(大体、あいつ俺に笑ってくれたことあったっけ・・・)


多米との最後の口づけの感触を思い浮かべながら、武田はその口で手榴弾の留め金を外した。



大統領の最後 米国東部時間 一九四五年四月十二日午前五時二十分

ルーズベルトは三階の執務室で書類に目を通していた。深夜にフリードマンらがやってきて、緊急事態のため、寝室から三階の執務室へ移動してくれと唐突に言われたからである。何人かでルーズベルトを車椅子に乗せ、急いで三階に移動した。ルーズベルトが訝し気に事情を聞いたところ、下の階に侵入者がいるらしいが、警備員が対応するので、心配はいらないとの事だった。しかし一同緊迫した面持ちだった。移動した後、フルードマンらは直ちに下の階に向かった。その後は眠れず、そうこうしている内に下の階で爆発音や銃声が聞こえてきた。一体何事かと館内電話であちこちに電話するも誰も出ず、また館外への電話も不通となった。

仕方がないので、手元にある書類、手紙に一つ一つ目を通していた。時計の音、時々銃声が散発的に聞こえた。それはやがて少なくなり、気が付くと銃声が止んでいた。

外をみるとすっかり空は明るくなっていた。天気が良く、雲がなかった。ルーズベルトは窓際まで車椅子を動かし、窓を開け放った。朝の澄んだ空気が部屋に入り込み、カーテンを揺らした。

彼は再び執務机に戻ると、引き出しを開け、コレクションの切手が納められたファイルを取り出し、それを眺めた。真珠湾攻撃のあった日もルーズベルトはコレクションの切手を見ながら、側近たちに今後の方向性を語っていたのだった。


コンコン


不意にドアのノック音が聞こえた。騒動の報告に誰かが来たのだろうか。それにしてもおかしい。


コンコン


「入り給え」

ルーズベルトがそう返事をすると、一人の金髪の女が入ってきた。女は部屋に入るなり、銃を様々な方向へ向け調べて回った。


「君たちは一体何だね!?」

ルーズベルトは驚き、不意の侵入者に問いただすが、返事はない。


「クリア!」

そう言うと、男も辺りを警戒しながら銃を掲げて部屋に入ってきた。入ると同時に部屋のドアを閉め、鍵を掛けた。そうして近くにあった本棚や机で入り口を塞いだ。


「なんだね、君たちは騒々しい。下の侵入者は排除できたのかね」

ルーズベルトはかけていた眼鏡をずらして、北条たちを見た。その軍服が大日本帝国陸軍のものであったため、彼はその瞬間全てを察した。


「そうか。そういうことか」

ルーズベルトは低く笑った。


「米国合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトであらせられますか?」

北条と長尾はルーズベルトに銃を向け、問いただした。


「名乗るのなら、君たちが先だろう」

そう言われて、北条と長尾は銃を向けたまま、居住まいを正し、大統領に名乗った。


「失礼いたしました。我々は大日本帝国陸軍暁部隊、北条 康及び長尾 レベッカです。命令により、米軍最高司令長官である閣下を討ち果たしに来ました。貴方はフランクリン・ルーズベルト大統領で間違いないでしょうか?」

とうとう日本の特殊部隊が万難を排し、ホワイトハウスに直接に乗り込んできたのだ。ルーズベルトはこういう日も来るかもしれないと、真珠湾攻撃があった直後から予感していた。


「如何にも。私がアメリカ合衆国大統領だ。君たち、銃を下ろしたまえ。私は見ての通り車椅子の身だ。どこにも逃げやせんよ」

バスローブを羽織り、足には毛布が掛けられていたが、確かに車いすに乗っている。北条らは銃を下ろし、ホルスターにしまった。下の階から大きな爆発音が聞こえた。北条は何が起こったか察していた。


(倒されたか。武田・・・。お前のおかけでここまで来れたぞ。しかし程なく僕たちも逝く)


「君たちは何かね。見たところ日本人の様にも見えないが」

「いえ、大統領閣下。我々は日本人です。爪の先まで、血の一滴まで日本人です」


「ふむ。そうかね」

ルーズベルトはそう言うと、切手のファイルを机の片隅に追いやり、書類を手元に引き寄せた。

「暫く待ってくれないかね。今日私が突然死ぬということになれば、溜まった書類もあり、混乱するからね。手元にあるいくつかの書類だけでも署名しておかないと」

「早めにお願いいたします。ここも後少しで、貴国の兵が雪崩れ込んで来ますので」


「やれやれ。敵国の軍人に仕事を急かされたよ」

そうボヤキながら、いくつかの書面に手早く署名を済ませた。


「よし、署名が済んだ。さあ、どうする」

「何を選ばれますか? 銃か毒か? 毒は即効性で苦しまずに済みます」


「メイドインジャパンの毒か。君の言うことを信頼して、毒にしよう。とっておきのシャンパンがある。それでこの世とお別れとしよう。そこの戸棚にある。とって、注いでくれ」

北条は指示された戸棚からシャンパンとグラスを取り出した。


「君は気の利かない男だねえ。誰がこの世の最後の酒を男に注がれたいと思うかね。そちらのレディー、申し訳ないが別のグラスに注いでくれないか?」

長尾は北条からグラスとシャンパンを受け取り、大統領にグラスを渡すとシャンパンを注ぎ、さらに毒のカプセルを入れた。


「まあまあ、悪くない人生だった。エレノアにはあまり言えないが、多くの女性に愛されたし、多くの女性を愛してきた。そして最後にこんな美女に酒も注いでもらえたしね」

毒が入れられたシャンパングラスを見ながら、ルーズベルトは快活に笑ってそう言った。


「君たちに最後の申し出をしたい。日本はもうすぐ敗北する。そして自由の国になる。新しい国作りには君たちのような人間が必要だろう。ここで投降し、新しい日本で生きてみないか」

ルーズベルトは北条と長尾を見ながら、真剣な面持ちでそう言った。


「申し出有難うございます。しかし我々は大日本陸軍軍人であります。米国軍総司令官であるルーズベルト大統領を討つことが我々に課せられた命令です」

北条はその申し出をきっぱりと断った。ルーズベルトは苦笑した。


「ふん。無駄だったか。それでは一足先にあの世へ行くとしよう。残りのシャンパンは君たちに差し上げよう。それと、これは重要だがコレクションの切手には手を付けないように」

そう言うと、ルーズベルトはシャンパングラスを高く掲げ、病人とは思えない大きな声で叫んだ。


「自由の国、アメリカ合衆国に栄光あれ!」

そういうや否や、シャンパンを一気に飲み干し、グラスを床に叩きつる。即効性の毒であるため、ルーズベルトは一瞬苦悶の表情を浮かべたが、すぐに事切れた。長尾はルーズベルトの目を閉じてやり、それほど乱れていないルーズベルトの服を整えてやった。北条はルーズベルトに向かって両手を合わせた。


「宗派が異なるのでは?」

長尾は北条の姿をみて、訝し気に言った。


「この方が、気持ちが入るんだ」

そう北条に言われ、今度は長尾もキリスト教の祈りの言葉は唱えず、同じく両手を合わせて祈った。もはや形は意味がなかった。人間だ。皆人間なのだ。


「それでは我々も大統領から頂いたシャンパンを飲もうか」

北条は近くの食器棚からさらに二つのシャンパングラスを取り出した。


「あまり入ってなかったけど、僕らには充分だ」

そう言ってシャンパンをグラスに注ぎ、毒薬のカプセルをそれぞれ入れた。空になったシャンパンボトルを床に置き、窓の外を眺めている長尾をみた。朝日がテラスに開かれた窓から差し込み、カーテンが風で舞っている。快晴。そしてポトマック川の桜並木が満開だった。美しい桜色の木。時は巡り、桜舞い散る季節になっていたのだった。日本にある桜と変わらない、祖国の美しい景色がそこにあった。北条と長尾は一瞬米国にいることを忘れた。死ぬ前にこのような美しい景色をみられるとは思いもしなかった。


「綺麗ね」

長尾が朝日を見ながら呟いた。


「ああ」

北条は毒入りシャンパンが入ったシャンパングラスを長尾に手渡す。長尾の両眼には大粒の涙が溢れていた。

その時、突然入り口のドアが激しく鳴った。二人は思わずドアを凝視した。米兵が斧でドアを破壊し、中に入ろうとしているのだ。バリケードが破壊されるまであっという間だろう。北条は長尾に近づき、彼女を静かに抱きしめた。


「えっ?」

不意の行為に思わず長尾は声を上げた。


「大丈夫。怖くない。怖くない。僕が付いている」

そう言われて、長尾も北条の背中に手を廻した。斧でドアの一部が破壊され、穴が開いた。警備兵の怒鳴り声が聞こえる。


「私達これで終わりなのね・・・」

長尾は呟くようにそう言った。


「いや」

北条の意外な言葉に長尾は抱きしめられながらその眼を大きく見開き、息を止めた。


「この一瞬は永遠なんだ」





完結です。

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