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8 アヌシーズ神皇国皇帝ガウディ

あと2日でアヌシーズ神皇国の領海内に入るところで迎えの船に乗り換えた私は快適な船旅に罪悪感を胸に刻まれながら帰国した。


今までなにも感じなかった、なに不自由ない豪華な生活のひとつひとつに私は見えない血を流す気分だった。

皆殺しのなかひとり生き残ってしまったものの罪悪感とでもいうのだろうか。

ひたすら辛く苦しい。


できることならあのときミラと一緒に首を並べて落とされてしまえばこんな思いは抱かずに済んだのだろうか…


「よく帰ってきたわ、アレクサンドル!さっそくで悪いけど父が呼んでるの」


姉が王城に入るなり、私に駆け寄って抱き締めてきた。懐かしい甘い香りに弱くなった私の心が乱されて、またくしゃりと顔を歪めてしまった。


「カッサンドラ…!」


「貴方の大切なミラーシェを守れなくてごめんなさい!」


泣いたことのない弟が己の肩に額を埋めて声を押し殺して嗚咽に震える私に同情した姉が私の背中に回した腕に力を込めた。


「さぁ、まずは父のところに行きましょ…」


こくりと小さく頷く私を促して、姉と2人、長い廊下を歩き出した。


連れて行かれたのは謁見の間でも玉座のある広間でもなく、父の執務室だった。

だとすれば内密な内容を含むのだと理解して、私はほんの僅か肩から力を抜いた。

親子だけの対面だ。


「ガウディ、いいかしら?」


取り次ぎもない。

姉が直接ドアをノックする。


執務室内にも他人はないのだと理解したマールが執務室横の控室で休むと軽口を叩いて辞していった。


「カッサンドラか、入るがいい」


父の声に(いざな)われて中に入れば、やはりそこには父しかない。護衛も執事もなく、完璧なまでに人払いがされていた。


「よく無事で戻った」


野太いが優しさを含む父の声音に私の身体にしつこく残っていた緊張が柔らかく解けていった。


「ただいま戻りました、皇帝陛下」


「誰もない場での他人行儀はやめてくれ。人ではないものになった気がして気分が悪い」


不貞腐れた態度で父が言えば、姉がくつくつと笑う。昔から父はこうだった。教皇であった母が父の温かく人情味溢れる人柄に惚れ込んで乞うて皇帝になって貰うために結婚したくらいだ。

家庭というものを大事にして、公私の区別ははっきりとつける人だけに私が皇帝として扱うと非常に嫌な顔をする。

レディアント王国に行くまではそれが面白くてわざと他人行儀に接していたが、今の壊れかけた私にはその温かみが非常に有り難かった。


「アレクサンドル、ガウディも寂しかったのよ」


姉は誰であろうと愛称では呼ばない。

そして父を名前で呼ぶ。

だから私にも姉さんとは呼ばせず、カッサンドラと名前で呼ばせていた。カッサンドラと言わないと返事もしない徹底ぶりだった。


「ごめん、なんだか混乱してて…」


年相応よりも子供のような拗ねた声が出て、己でも驚いた。気を張ってきたが、まだ18歳の男だったと私はやっと自覚した。またもや熱いものが込み上げてきて、私は耐えようと顔を歪めた。


「マールからの報せも受けているし、アレクがカッサンドラに出していた手紙も把握している。だがなにが起こったのか、できればおまえの口から聞きたい。話せるか?」


私は首肯すると父から手近の椅子に浅く座った。姉も私の傍まで椅子を寄せてゆったりと座る。

父の執務室はソファセットではなくダイニングセットが置いてあった。秘密裏にしておきたい案件などが持ち上がったときに会議室としても使えるように、との配慮だと聞いていたが、その実、家族だけで団欒できるようにわざわざダイニングセットにしたのだと姉からは教えられていた。

今まさにそれに相応しい(しつら)えとしてテーブルの上には軽食と香り高い珈琲が用意されていた。


「まずはキーパーソンとしてキャロル·バーナリー男爵令嬢です」


「現王妃だとかいう阿婆擦れだな?」


父の苛烈な問いに私は深く頷した。


「彼女が学院に現れるまではマハロとミラーシェ⋅フレジエ侯爵令嬢の仲は問題なかったと聞いております。私たちの1学年下のバーナリー男爵令嬢が入学するなり、どういったわけか、彼女の周囲は男子生徒で埋め尽くされました」


「それほどの魅力があるの?」


姉の言葉には首を捻るだけで応えておく。


「マハロがバーナリー男爵令嬢に溺れるまで大して時間は掛からなかったようです。私は群がる令嬢たちから逃げるために図書館に籠っていたので、その辺りの詳しいことはわからないのですが…」


「嫁探しに行って女から逃げるとは変わった性癖に育ったもんだな」


呆れた風に笑って父が珈琲をカップに注いでくれた。


「あれは体験しないとわからないでしょうけど、かなり恐怖を覚えるもんですよ」


唇を尖らせて口答えした私に苦笑しながら姉がサンドイッチを取り分けてくれた。私の好物でもあるクラブサンドだ。塩茹でした蟹の身を解してオーロラソースで和えただけのシンプルなものだが、生タマネギのみじん切りがアクセントになっていて、堪らなく美味しいのだ。


「とにかく私が図書館で勉強していたときに片隅で泣いているフレジエ侯爵令嬢を見たのがはじめての出逢いでした」


それからバーナリー男爵令嬢への嫌がらせの噂が立ち、証人のためにともに多くの時間を過ごすうちにフレジエ侯爵令嬢に惹かれていき、だからこそ彼女の心がマハロにあることを痛切に感じ取って身を引くつもりだったと私は語った。


「卒業記念舞踏会での断罪に陛下暗殺、お膳立てされていたようにスムーズに進んでいってしまい、私の為す術はありませんでした」


項垂れ黙る私の背中に姉の温かい手が置かれた。

また込み上げてくる涙に私は肩を震わせる。


「おまえの懇願に応えたくて何度もこちらから助命嘆願したんだが、馬鹿息子が頑なでな。内政干渉だとか生意気なことを抜かして話し合いに応じようともせん。打つ手為しのところにマールからアガサ殿の崩御とおまえの帰国が報告された。正直、おまえが無事で安堵した」


「それで、アレクサンドルはどうしたい?」


姉の言葉に父が唸った。


「ロックは心配だが、あれは自由にやるだろう。寧ろアレクのためにひと暴れする可能性すらある。だが伯父を助ける名目でレディアントに攻め込むというのならアレクが軍を指揮して好きなだけ暴れても構わない、と私は覚悟してるからな」


つまりは復讐を果たすがいい、とアヌシーズ神皇国の皇帝は仰せなのだ。

親馬鹿にも程があるだろう、と唖然とするが、その心が嬉しくて私はやっと頬を緩めた。


「大伯父の妻はレディアント王族のひとりですからね、大伯父がマハロを潰してレディアントを乗っ取るというなら私はいくらでも手を貸しますよ。でもそれではなんの解決にもならないんです、私には…」


「だけど、ミラーシェはもう…」


姉が諭そうとして言い淀んだ。

彼女がこの世にないのはわかっている。なにせ胴体と首が別々になったところを目撃しているのだから。


「ミラが死んだのは理解してますよ、カッサンドラ。だから私は今度こそ彼女を守ってレディアント王国の未来も守ろうと思うのです」


「アレク、それはどういうことだ?」


「私は過去に飛びます」


息が詰まるほどの静寂がたった3人しかいないアヌシーズ皇家の上に降り掛かった。



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