5 卒業記念舞踏会の惨劇 (前編)
マールがミラに贈るドレスの最終チェックをしながら口を尖らせた。眼の端に捉えていながら、面倒で無視をしていた私をさらにじとりとねめつけてきたので、私は溜め息ひとつ溢してから、己の側近に向き直り、眉を上げてみせた。
「なんだ?」
「いいえ、別に…」
ねめつけた目線はそのままにマールは不貞腐れた態度でドレスをメイドに手渡した。彼女は恭しく受け取ると、手早く綺麗に畳んで箱に仕舞った。
「言いたいことがあるなら聞いてやるから早く言え」
「そうですか?あとで不敬だとかで罰されたら堪りませんよ?」
なにを今更、と呆れてしまう。
マールを不敬罪に問えば、もうすでにいくつもの命が失われただろう。心臓がどれほどその不敬な身体に入っているというのか。
「おまえを罰するほど暇でも愚かでもない」
マールは私の言葉に満足げににんまりと眼を細めると、それなら遠慮なく、と私の向かい側の椅子に腰を降ろした。
「フレジエ侯爵令嬢様のことですよ!お好きなんでしょ?このままこの国に置いておいても彼女は辛いだけですよ、さっさと奪ってアヌシーズ神皇国に帰りましょうよ!」
弾む声が私の神経を逆撫でる。
ムスリと黙ったままの私に被すようにマールは言葉を続けた。
「なんの遠慮がありますか?今までのことを考えてもアホロ殿下が女武器男爵令嬢を手放すことはないでしょうし、アレを正妃に迎えたいと駄々を捏ねて王太子の座まで危うくするような馬鹿をしてるそうじゃないですか!こうなればフレジエ侯爵令嬢様のお立場も危険です。アヌシーズ神皇国皇帝である父君からレディアント王国に申し入れすれば、否やはなくフレジエ侯爵令嬢様とアホロ殿下との婚約は解消、すぐにでもアレク殿下のものとなりますよ!」
レディアント王国国王夫妻は比較的穏便な治世をひく典型的な王族だ。可もなく不可もない彼らの執政は国を豊かにすることはないが、民に貧しさを課すこともなかった。故に彼らへの民からの信望は強い。
穏当な世で平和を享受できれば民などは国が富まずとも気にもしないのだと、つくづく思い知らされた。
だからこそ王妃として相応しい知性と美貌を兼ね添えたミラを王太子の婚約者と定めたのにマハロ殿下が別の女性に入れ揚げたことは今や公然とした国王夫妻の頭痛のタネだった。
致し方なく国王夫妻は側妃としてならバーナリー男爵令嬢を認めよう、と妥協案を申し出た。
しかしすっかり溺れているマハロ殿下は目くじらを立てて怒り狂うと、真実の愛を何度も叫んでバーナリー男爵令嬢を正妃以外には考えられないと宣った。
どれほど無念で衝撃だっただろうか、と先日会ったばかりの国王夫妻を思う。
すっかり憔悴した王妃は一回りも小さく痩せこけていたし、国王陛下の目の下には隠しようもない辛苦が深い隈となって色濃く残っていた。
そして彼らは私に相談したのだ。
マハロ殿下を廃王太子して第二王子に立太子させようかと思うが、その後ろ楯をアヌシーズ神皇国皇帝に願えるだろうか、と。
交換条件にミラの婚約解消と私との婚約誓約を出して彼女を手にしろ、とマールは強く主張したが、私はなんの条件も付けずにレディアント王国国王夫妻の頼みを快諾した。
第二王子の後ろ楯に私も微力ながら力になろう、と。
それでいいと思っていた。
マールは不満そうだったが、ミラの心が私になくては婚約しても互いに辛いだけだ。私が辛いのは構わないが、彼女に今以上の負荷を掛けたくはない。
一年も一緒に時間を過ごして尚マハロ殿下を想い続け、私へは友情しか持たないということはミラにとって私は男ではないのだろう。
それなりにアプローチはしたつもりだったから、私は今回の卒業記念舞踏会を最後に己の気持ちにけりを付けるつもりでいた。
「どうであろうと彼女の気持ちが私にない限りは無理強いはしない」
冷淡に言い捨てて、私は姉から送られてきた書類に眼を落とした。これ以上話をするつもりはない、と明確に表明した私の態度にマールは珍しく舌打ちをしてから足音も荒く部屋から出ていった。
ミラに贈るドレスの箱がなくなっていたので、彼女のところへ運ぶんだろう、と考えて私は苦笑した。
文句は言っても臣下としては忠実な男に心のなかだけで秘かに感謝をする。
このときがミラを救う最後のチャンスだったのだ、と痛烈に実感することになるとは愚かな私は思ってもなかったのだ。
たかが婿入り探しの、もしくは嫁探し目的の留学だと高を括らずに姉の言う通りにアヌシーズ神皇国の影を私に付けるべきだったと心から後悔しても、すでに後の祭りになるとは想像もしなかった。
マハロ殿下がそれほど大胆に動くとも考えてなかった。それほどに私は彼を馬鹿にしていたのだ。
所詮馬鹿がなにをしても馬鹿でしかない。
そんな甘い考えがミラを不幸に陥れたのだから。
馬鹿だからこそなにをするかわからない、と警戒しなければならなかったのに…
私は己の賢さに驕っていたのだとミラを喪って張り裂ける心をもってして痛感することになる。