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2 ミラーシェとの出逢い

レディアント王立高等学院の図書館は校舎の日陰になる場所にあるせいか、常に薄暗い環境だった。陽も射さず、ジメジメと室内の空気は湿気を過分に含んでいたため本が黴ないか、不安になるほどだ。そんな状況だけにやはり幽霊話に欠かさない場所でもある。


しかも辛気臭いと疎まれるところだけあって人の利用もテスト前ですら少なかった。


私としてはその人気(ひとけ)のない図書館は願ったり叶ったりだったが、さすがにほとんど人が近寄らない最奥の書棚から咽びなく嗚咽がか細く響いてきたのを耳にしてはマールと顔を見合わせないではいられなかった。


「殿下、聞こえましたか?」


飄々とした普段の彼からは考えられないほどの怯えを声に滲ませたマールに苦笑しながら、私は興味を持って奥の書棚に視線を送った。


「行くか?」


低く問えば、マールは必死に首を振る。武官としては細身のマールだが、皇国においてその右に出るものはないと謂わしめる剣客でもある。

ところが生身の人相手ならどこまでも勇敢に立ち向かえるが、剣の通用しない相手にはとことん弱い面を持っていた。


せっかく神皇国出身なのだから大神ゼフ様の加護を与えられた剣でも振り回したらどうか、と勧めてみたことがあったが、真剣な顔でマールは通用しなかったときを想像しただけで死ねます、と震えていた。


「ならば私だけでも行こうか」


引き留めるマールの震える腕を振り払って向かった最奥の書棚の前には崩折れるようにしゃがみ込んだ令嬢が一人泣いていた。


圧し殺しても漏れる嗚咽に抗う彼女の下唇は堪えるために噛んだらしく、うっすらと血が滲んでいるのが、薄暗い空間であってもよく見えた。


癖毛らしい藍色の髪をハーフアップにして、拳を床に叩きつけている彼女を眼にして、私の心臓がひとつ、大きく跳ねた。

吊り上がったアーモンド型の双眸には鋭さとは対極にある温かい紅に近いオレンジの瞳。

通った鼻筋の下には官能的な厚みのある唇。

華奢な腰を強調する豊かに膨らんだ胸と尻。

スカートから覗く、床に投げ出された下肢は細いながらも肉感的で、女性らしい曲線を厭らしいほどに主張していた。


なのに彼女から湧き出る雰囲気はとても冷たい。

近寄りがたいほどの鮮烈な高貴が漂い、私は声を掛けるのを躊躇った。


泣いている姿すら誰にも見せたくないからこそ、こんな不気味なところで涙を流すのだろう、と慮って、私はそっとその場を辞した。


「マール、帰ろう」


元の場所で身を竦めて待っていた側近を促して、私は大伯父の屋敷へと帰った。


以来、名も知らない彼女は数日に一度の間隔で図書館に来てはひっそりとひとり泣くようになっていた。

私はそれに気付いたが、一度も見には行かなかった。いつかは彼女と知り合いたい、と願いつつ、それでも声を掛けたりはしなかった。


マールはこの世のものではなく生身の人だとわかってから彼女の嗚咽を怖がることはなくなったが、今度は逆に気に掛けるようになった。

ある日マールは私に彼女の名を告げた。

どうやら気になりすぎて調べたらしいとわかって、私はお人好しにも程がある、と笑った。


「彼女はミラーシェ⋅フレジエ侯爵令嬢様で、レディアント王国王太子マハロ⋅レディアント殿下の婚約者でした」


実に残念そうなマールに、私は首を傾げてみせる。すると彼は憐れみを過分に込めた眼差しを私に向けて、


「せっかくの殿下の初恋でしたのに…」


と肩を落としていた。


「は?」


「気になってらしたんですよね?あ、所詮レディアント王国程度ですし、奪っちゃいますか?」


「は?!」


今度はマールが首を捻る。


「あれ?殿下、フレジエ侯爵令嬢様に一目惚れしたんじゃないんですか?」


マールの言葉に私は紅潮した。

そしてかつてないほどの喉の乾きを覚えた。

だからだろうか、反論しようと口を開けたが、掠れた吐息しか出てこない。


「あちゃあ!気付いてなかったですか?!」


パシりと己の額を片手で叩いてマールは天を仰いだ。心臓の激しいダンスに喘いで、私は俯いてしまう。


「…マール」


「はい、なんでしょ?」


「私は彼女を、その、好きなんだろうか?」


「そのようにお見受けしますけど」


にたりとマールの口が歪んだ。


「見ただけで、話したわけでもないし、視線すら交わしてないのだぞ?」


「それでもフレジエ侯爵令嬢様のことをずっと考えていらっしゃいますよね?」


それには黙るしかない。

気付けば私は床に座り込んだ彼女の姿を思い浮かべては高鳴る心の音に困惑していたのだから。


「それはもはや恋ではないですか!」


これが恋、なのか?


私は求めてはいけない女性に想いを寄せてしまっているのか?


「フレジエ侯爵令嬢様は7歳のときにマハロ殿下の婚約者となりまして、つい最近までは仲睦まじい姿をみせていたそうです」


マールの突然はじまった説明に私は眉根を寄せた。


「最近までは…?」


「はい、ところが今年の結縁月に入ってきたキャロル⋅バーナリー男爵令嬢の登場によって彼らの仲は切り裂かれたと、専らの噂です」


「切り、裂かれた?」


「はい。親しげにマハロ殿下にしなだれ掛かるバーナリー男爵令嬢に苦言を呈していたフレジエ侯爵令嬢様を疎まれるようになったそうです」


「マハロ殿下が?」


マールが目線だけで頷いた。


「しかし婚約している相手に言い寄られたらいい気はしないのが普通だろう?」


「ですよね、だから泣いてらっしゃるんでしょうね」


なるほどフレジエ侯爵令嬢はマハロ殿下を心から大切に想っているのだと私は思った。その刹那、チクリと胸に針が刺さる。感じた痛みに私は己の胸元を強く掴んでいた。

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