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15 お礼の品は私の時間 (ミラーシェ視点) 中編

アレクサンドル殿下という極上の美術品から私の意識を逸らした舌打ちを洩らしたのは床に腰を打ち付けて動けなくなっているキャロル嬢だった。


そのあまりにもはしたない体勢に私は両手で口を押さえた。両手を後ろ手で床につき、両足はかっぱりと開いた状態の彼女は制服のスカートが辛うじて下着を隠しているだけのあられもない姿で私を睨み付けていた。


「バーナリー男爵令嬢様、大丈夫でしょうか?」


素足を晒した令嬢など一時たりともアレクサンドル殿下の眼に触れさせてはならない思いで、私は彼女を立ち上がらせるために手を差し出した。

第一、キャロル嬢はいつまでこの格好をしているつもりなのか、神経を疑う。恥ずかしくないのかしら?


そこへ毎度のことながら 抜群のタイミングでマハロ殿下が駆け寄ってきて、アレクサンドル殿下がいるにもかかわらず、私に怒鳴り散らした。


「ミラ、また貴女はキャロルを虐めたのか?!」


いつもなら諦めの境地なのに、今日はアレクサンドル殿下の手前、羞恥心が酷い。おかげで身体が震え、私は顔を伏せてしまった。


「マハロ殿下、フレジエ侯爵令嬢はなにも悪くない。そこの令嬢が私にぶつかったために転んでいるのだ。悪いのは廊下を走った淑女らしからぬ彼女だろうか、それともフレジエ侯爵令嬢を守るために彼女を犠牲にした私だろうか?」


私を庇うように身体を前に出したアレクサンドル殿下が冷気を放っていた。その気配ではじめて自分より格上の存在に気付いたマハロ殿下が慌てたようにキャロル嬢から眼を上げた。


「これはアレクサンドル殿下!」


マハロ殿下がみっともないほど無様な態度で跪いた。それを冷淡に見遣ったアレクサンドル殿下がキャロル嬢を顎で指し示した。


「そこの令嬢は強く腰を打って暫くは動けまい。殿下が医務室に連れて行くがいい」


「は!すぐにでも!御前、失礼します」


軽く頭を下げたマハロ殿下がバーナリー男爵令嬢を横抱きにすると、すぐさま逃げるようにその場を立ち去った。


彼の背中を暫く見送ったあと、ふわりと瞳を柔らかくしてアレクサンドル殿下は私に視線を送ってきた。それがとても甘くて優しくて、私の心臓が大きく跳ね上がる。


きっと私は間抜けた顔をしてるわ…!


先程とは違う羞恥に頬を染めれば、アレクサンドル殿下が私の手を取り、恭しく私だけの騎士であるように甲に素晴らしく整った唇を落とした。

柔らかな、それでいて重厚な感触に私は夢見心地になる。


「美しいミラーシェ⋅フレジエ侯爵令嬢、どこか痛いところはないだろうか?」


私はさらに顔を赤く染めて首をふるふると振った。国立美術館にすらないほどの美術品のごとく麗しい男性から美しいと言われるなんて、どんな奇跡が舞い降りたのかと思わず天を仰ぎたくなる。


「それは良かった」


ほのほのと浮かべられた笑顔ひとつ取っても私の意識を奪う破壊力。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。アレクサンドル殿下」


なんとかお礼を口にすれば、彼は私の手をぎゅっと一度だけ強く握ってきた。

これだけでも昇天できる!


「ミラーシェ⋅フレジエ侯爵令嬢、どうか私のことはアレク、と呼んでくれ。そしてできれば麗しい貴女をミラと呼ぶ許しが欲しい」


「殿下を愛称呼びなど畏れ多いことにございます!」


この上愛称で呼び合ったら、私は確実に天国に昇ってしまう。慌てて断れば、


「ならば私もミラとは呼べないのか?」


哀しそうに眉を下げてアレクサンドル殿下は上目遣いで私に蕩けるような眼差しを向けてきた。もうダメだ、自然と私の頬が緩む。

この破壊力満点の美しき尊顔に勝てるものなどないに等しい。


「殿下がわたくしをミラと呼ぶのは光栄でございます」


「ならアレクと…」


「殿下、それは…!」


「アレクと…」


これ以上やり取りしては、確実に鼻血を吹いて不必要な恥をかく。


「アレク殿下、ですか?」


恐る恐る聞いてみる。ここで手を打って欲しい、と心底願いながら。しかしアレクサンドル殿下は事も無げに私の心情など気にすることなく、押し通してきた。


「アレクと」


「アレク様でお許しください」


本当にここで手を打って欲しい。

でなければ気を失うか、鼻血を吹くか、二択しか私に残された道はない。


俯いて彼が諦めてくれるのを必死に祈った。


するとフッと笑う声がして、アレクサンドル殿下が私の髪を一房手に取った。

指まで美しい手はさすがに男性だけあって大きく、そして逞しい。剣でできたたこまで見えて、鍛練を怠らないのだと感心した。


殿下の手に見惚れていた私の眼前でアレクサンドル殿下の唇が髪に触れて、


「ではミラ、また会おう」


甘く低い声が去っていった。去り際に肩にふわりと触れていきながら…


あまりの衝撃に私は暫し呆然と廊下に立ち尽くしてしまった。


マハロ殿下への想いを断ち切ろうとする前に私は新たな恋を抱えてしまったのではないか、とそれから毎晩のように自問自答し続けた。


マハロ殿下によって闇に沈んでいた景色がアレクサンドル殿下の登場で急激に色彩を帯びたことで、私の心は浮き立っていた。


キャロル嬢などどうでも良くなったし、それを言ったらマハロ殿下が誰を愛そうが気にもならなくなってしまった。

私もなかなか気の多いことだ、と自嘲しながらもアレクサンドル殿下が気になって仕方なかった。


あの一件以来、アレクサンドル殿下とは図書館でともに勉強する機会が多く、ときにはお茶までご馳走になることもあって、その度に殿下は他の誰にも向けない優しい光を宿した瞳を熱く私に注いでくれた。

きっと私はとろとろに蕩けていたと自覚している。


だって本当にアレクサンドル殿下は素敵な方だったから。


マハロ殿下にもキャロル嬢にも眼がいかなくなった私はフレジエ侯爵当主である父にマハロ殿下との婚約解消を願い出た。もちろんマハロ殿下に過失ありとして、けれども儘ならない感情の上でのことなので互いに非なし、ということで手を打ちたい、と。

すでに2人の関係は王宮内でも噂になるほどで、両陛下は頭を抱えておられるとのことだったので、さしたる問題もなく解消されると私は信じていたのだが、フレジエ侯爵の後ろ楯を失うこと、そして真実の愛などと愚かにも声高に訴えてバーナリー男爵の爵位をせめて伯爵まで格上げしたいとマハロ殿下が主張していることもあって、両陛下がなかなか首を縦には振ってくれなかった。


私を振ってキャロル嬢を選ぶことに高位貴族からの反発が大きいのだと父は困ったように説明してくれた。


そんなときにキャロル嬢からの呼び出しを受けた。


「行く必要などありませんよ、ミラ様!」


ミランダ様が眦をつり上げて私を諭したが、行かなければまたマハロ殿下になにが伝わるかと思うと無下にもできないと思う。


「南階段の踊り場ですって。どうしてあんな人気(ひとけ)のないところなのかしら?一人で、て書いてあるけれど、ミランダ様は来てくださる?」


机に忍ぶようにあった私宛の手紙を途方に暮れたように眺めながら言えば、


「お一人だなんて!あの身体だけ自慢のお馬鹿さんがなにをするか、予測もつかない方なんですから、ミラ様が嫌がってもついていきます!」


とミランダ様は憤慨した。


「心強いわ」


読んだあとは破り捨てろ、と指示のある手紙を万が一を考えて丁寧に鞄に仕舞ってから、私はミランダ様を伴って気が進まないまま、南階段の踊り場に向けて教室を出た。

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