12 猛攻
あっさりとミラと別れた私を怪訝そうに見つめたマールが壁から離れて傍に寄ってきた。
「宜しかったので?ここで証人になるべく話を付けなくても?」
「証人だと友人にしかなれない。私は彼女の心が欲しい」
首を振った私にマールはにかっと破顔した。
「なるほど!アピール方法を変えるんですね!」
「まぁ、とりあえず知り合いにはなれたし、愛称で呼び合う仲だし、あとはタイミングだ」
「悠長にしてる時間はないですよ?」
わかっている、と言わんばかりに深く頷いた私の頭では次の行動がすでに展開されていた。
あと数日もしない内にバーナリー男爵令嬢はミラから突き落とされたと階段から落ちるのだ。
実際にはミラの取り巻きである高位貴族令嬢が勝手に落ちたと証言して、表面上は無罪放免になったが、愚かなマハロは頭からミラを疑ってかかり、2人の関係はさらに悪化した。この事故を切っ掛けにマハロはミラに対する嫌悪とバーナリー男爵令嬢への恋情を隠しもしなくなり、心無い噂が加速して広まった。
このとき私は取り巻き令嬢たちとのお茶会だと聞いて遠慮して傍にいなかった。
仮にいたとしてもどうにもならなかっただろう。
「どうするんです?」
「覚えているか?バーナリー男爵令嬢が階段から落ちたと騒ぎ立てた事故のことを?」
期待もせずにマールに問い掛ければ、彼はあぁ…と口のなかで呟いて額に人差し指をとんとんと当てた。
そしてポンと掌を打ち鳴らすと警戒するように視線を左右に這わせた。
「種月の…29日でしたね、殿下が定期報告書が仕上がらない、と嘆いておられた辺りですから」
急ぎの案件ではない限り、毎月末には姉に定期報告書という名の手紙を強要されていたので私は真面目に送っていた。書くことがある月はいいが、報告すべきことがないと「私は元気です」くらいの内容になってしまい、頭を悩ます。
どうやら今月は書くべきことがなかったのか、書きたくなかったのかは忘れてしまったが、ウンウン唸って悩んでいたらしい。
「ではあと3日後、ということだな。それにしてもよく覚えていたな!」
「殿下のことならすべて頭の抽斗に仕舞っておりますので、取り出すのに多少時間をいただきますけどね」
マールは嬉しそうに胸を張った。老獪にもみえる笑みが顔中に広がり、私は僅かにたじろいだ。
「おまえは私が好きすぎる…」
意図せず私は呟いた。
その呟きを耳聡いにも聞き付けたマールが素早く私から数歩離れた。
「え、ちょっと、気持ち悪いんですけど…」
先程までのご機嫌の良さなど吹き飛んだ蒼白な顔色で私を食い入るように見つめるマールから顔を背けた。
「言い方…!」
「あぁ!これは失礼しました。あまりにも気色悪かったものですから!」
「だから、言い方!」
恐縮するマールを置いて、私は足早に図書館に向かった。
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「キァアッ!」
悲鳴とともに階段の踊り場から落ちてくる身体を私は抱き留めるために階段下に回り込む。
お互いに怪我をしないように彼女の制服が触れた瞬間を狙って私の力を流し込めば、私が抱き留めたように見えるだろうが、実際は彼女の身体は空中で止まっただけ。
重くもないし、衝撃もない。
もっとも…
思って私は微笑んだ。
彼女なら羽根のように軽くて力なんか使わなくても平気そうだけど。
「大丈夫か、ミラ?」
驚きに見開かれた宝石のようにオレンジに輝く彼女の瞳を覗き込んだ。
腕に抱き締めた瞬間に力は解除されて、心地よい重さが私に掛かってきた。
このままアヌシーズ神皇国に連れて帰りたい。
階段の踊り場では落ちる予定だったバーナリー男爵令嬢が唖然として私を見つめていた。
「ヤバ、すぎ…!」
「え?」
気のせいか、ミラの華のような唇から淑女らしからぬ言葉が漏れ出た気がして、思わず問い掛けてしまう。
「いえ、なんか、混乱してしまって、なにが起きたのか、わからなくて、失礼しました!ありがとうございます、アレク様」
「どういたしまして。ミラが無事で良かった。私が傍にいて貴女に怪我をさせたなんて、耐えられないからね」
朗らかに笑ってみせれば、腕のなかのミラは私の胸に額を付けて俯いてしまう。ハーフアップにした髪から覗く耳が真っ赤に染まっているのを確認して、私は満足した。
マールのおかげで階段落ちがいつ行われるのかがわかっていたので、偶然を装ってミラの証人になろうと影から見守ったいたのだが、わざとらしく落ちようとしたバーナリー男爵令嬢を助けるためにミラが手を出してしまい、反対にミラが落ちてきた。
それを目撃したときは肝が冷えた。ミラが落ちる姿がまるでスローモーションのように見えて、私は咄嗟に床を蹴っていた。腕に感じる彼女の温かさに本当に間に合って良かったと今更ながらに実感した。
ミラの取り巻き令嬢たちもバーナリー男爵令嬢の横で呆然と下を覗き込んでいたので、私は彼女たちに念のためミラを医務室に連れていくことを告げた。
「バーナリー男爵令嬢、今回のことは学院に伝えておく」
低くそれだけを言えば、バーナリー男爵令嬢はヒッ、と小さな悲鳴を喉で鳴らした。
私はミラを横抱きに抱き上げると、医務室へと足を向けた。背後から黄色い声援が聞こえてきて、マールが横でくつくつと笑っていた。
私に抱かれ、真っ赤になって俯くミラを見て、証人になるよりも高ポイントを稼ぎ出したのでは、と私は胸のうちでほくそ笑んでしまった。