1 処刑執行
雪狼月14日14時28分
レディアント王国元侯爵令嬢ミラーシェ⋅フレジエの処刑が無慈悲にも執行された。公衆の面前で石を投げられながらの斬首刑。
彼女は凛々しく心折ることもなく、怒りに苛烈に紅く光る宝石のような瞳を己に石を投げつける民に向けて、最後まで冤罪を訴えた。
私のなによりも貴い愛しい人。
呪詛を吐く民衆の隙間を縫うように私はその場を去ると、決意した。
必ず彼女を救ってみせよう、と。
すでに胴体から頭部が切り落とされ、無惨に転がっているにもかかわらず、私は彼女を救うと決めた。
私にはそれができる。
転がったミラーシェ⋅フレジエ侯爵令嬢の燃える眼はただ真っ直ぐに彼女の愛した男へと注がれていた。
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私は神の血が濃く流れるアヌシーズ神皇国の皇子アレクサンドル⋅アヌシーズ。
アヌシーズ神皇国は血筋を尊ぶ宗教国家である。
主神はゼフ。
この世が混沌に血塗られた時代、大神ゼフは荒らされる大地を憂い、飽きることなく戦う人を憎んだ。
己が造り上げた世界が蹂躙されていく様を見るに耐えず、大神ゼフは息子アヌスを統治者として降臨させた。
神の子であるアヌスは人ならざる力をもって世を平定し、父である大神ゼフを奉るゼファ教を国の根幹に据えてアヌシーズ神皇国を建国した。
今から2000年前のことである。
ゼファ教を布教する目的で領土を拡げてきたアヌシーズ神皇国は世界の中心として栄え、強大かつ巨大な帝国と成した。
皇都でもあるアヌスはゼファ教の唯一の聖地として崇められ、その中心に天をも突くほどに聳えるアヌス山の頂点に皇族たちは居を構えた。
煌びやかで華やかと名高いアヌス神殿である。
アヌシーズ皇族は血筋を尊ぶため、皇位継承権は女性にしか与えられない。女性に継承権があれば、誰の子かわからない不義の子でさえ神の血筋であることは確かだ、というのが理由だった。
よって私は皇子であってもアヌシーズ神皇国の皇帝になれるわけではない。継承権をもつ皇女が教皇位に就き、夫を迎えて皇帝が立つ。
私はただの血筋が良いだけの男に過ぎない。よってほとんどの皇子は臣籍降下するか、他国へと婿に行く。
だから適齢期の15歳を迎えると留学と銘打った婚約者探しの旅に出されるのだ。
私の留学先はレディアント王国だった。
アヌシーズ神皇国は近親婚を繰り返す国だったが、血が濃すぎる弊害として奇形の出生率が高まった。そのため血を尊びつつ、健全なる子孫を残すために2等親内での婚姻が禁止され、女系継承となった歴史を持つ。
近親婚による弊害か、はたまた神の血筋のなせる業なのか、皇族のなかには稀に超能力をもつものが産まれることがある。
およそ100年ぶりに能力持ちとして誕生した皇族が私である。
私の姉が現在教皇位を賜っているが、能力持ちである私を皇帝として据えるべきでは、との意見がちらほらと聞こえ始めたため、私はまだ13歳を迎える前から婿入り先を求めてレディアント王国に渡った。
姉と争う気はもとよりなく、健やかにアヌシーズ神皇国を治めるべき夫を恙無く迎えてほしいと心から望んでいたのだ。
15歳になるまではレディアント王立高等学院への入学ができないため、私は大伯父を頼ってレディアント王国に向かった。
国はどこでもよかった。
学ぶのに適当で、婿入り先に適切な貴族のある国であれば、あとは身を寄せる先があるだけでよかったのだ。様々な親族先に打診をして、色良い返事を貰えたのがレディアント王国で領地を能わったロックイン⋅バルバドス公爵だった。
ロックイン⋅バルバドス公爵卿は私の母の伯父にあたる。温厚篤実な性質に堅実な性根のため、彼を侮るものが多いのだが、その実ロックイン大伯父はひと度怒らせれば山をも砕く恐ろしい人物だと母からは聞いていた。
「ロック伯父様のところなのね…」
気の毒そうに眉を下げてベッドから私を見送った儚げな母の最後の姿はあれから4年経っても忘れられない。
実際、ともに生活をしてみてロックイン大伯父の苛烈な性格を目の当たりにしたことは何度かある。まさに眠れる獅子だと驚愕したものだ。
普段は静かに喋る大伯父の逆鱗に触れた瞬間、地を割らんばかりの怒号が降る。
幸いなことに私は比較的大伯父に可愛がられたので、その恐怖体験は未経験のままである。
レディアント王国での生活をはじめて最初の2年間は間諜のようなものだった。言葉を習得することを大義名分に大伯父に付いて歩いては耳目を敏感に情報収集に励んだ。
必要だと感じたものは故国の姉にすぐさま報せた。
15歳になってやっとレディアント王立高等学院に入学してからは勉学にいっそうの身を入れた。
私ほど真剣に留学先で勉強したものはないのではないだろうか。
それほど私はレディアント王国の歴史にのめり込み、毎日のように図書館に通った。
脇目もふらずにひたすら本と格闘するだけの毎日だった。
大国アヌシーズ神皇国の皇子であるだけに、私は注目の的だった。どこにいても貴族令嬢たちに囲まれる日々に嫌気が差していたことも勉学に打ち込む原因だったのかもしれない。
婿入り先を探しに来たのに、私は乙女のように恋愛というものに憧れていたのだ。私の両親は政略結婚だった。決して夫婦仲は悪くはなかったが、どうしても熱を感じない人たちだった。
ある日、母の兄夫婦のところに私は預けられた。
たったひと月のことだったが、伯父夫婦の互いを思いやる姿に、国を継ぐ必要がないなら私はやはり心から愛する人と結ばれたい、と幼心に刻まれた。
心を揺さぶられる、そんな熱量のある想い。
しかし憧れるばかりでちっともそんな女性に逢えないまま、私は17歳になっていた。
「避けては逢えるものも逢えないのではないですか?」
私の護衛として、そして竹馬の友として一緒にレディアント王国に留学した側近であるマール⋅ハドリア枢機卿がいつも図書館に逃げ込む私に呆れたように言った。
「仕方あるまい?あのようにすり寄られては鳥肌が立つ」
「健全な男子なら喜びに表情も弛むと思いますがね」
「……私は弛まない」
ムッとして本から視線も上げずに口答えするが、確かに嫉妬と羨望の入り交じった眼差しを常に男子生徒から浴びれば、マールの言うことが正しいのだろう、とは思う。
そんなときだった。
ミラーシェ⋅フレジエ侯爵令嬢と出逢ったのは………