5階 電脳功夫達人ライトニングサンダー(2)
なんや、分かっとらん振りしとるんかと思てたんに、ほんまに分かっとらんかったん?
ようよう膝を交えてみたら、マァあやふやな所も多てボクの推測になるけど、要約するとライ君は元々今居るこの世界の主人公やったみたいやわ。
何かしらの事故があってデータが壊れてしもて、使われへんようになってもうたから放逐されて、ボクも昔居ったまつろわぬデータ達の溜り場で暮らしとったと。
能動的に動けるんはそれだけ作り込まれたデータやっちゅう訳で、イコール元居た世界を離れても自分がゲームのキャラクターやって理解して受け入れてアイデンティティを獲得出来るんが多い訳やけど、壊れてしもてたんなら理解出来とらんかったんも合点がいくわ。
......ボクの世界はもう無うなってしもたから諦めもつくけども、故郷に戻ってみたら目の前で代わりの自分が幅利かせとった、ちゅうんは一体どんな気分なんやろな。
ボクが分かってあげられるんはきっと、「要らない」て棄てられて自らのレゾンデートルを失ったあの孤独と絶望だけやと、そう思う。
ーー
翌朝、日も明けきらない頃から俺たちはエレベーター探しを始めた。
首尾は、まあ、お察しだ。
丸一日歩き回って、辺りで愚図ついていた酔っ払い共がやおら活発になり始めた。
暗くなった街には次々ネオンが灯る。考え事をしていたせいかやたら時の流れが早く感じた。
...昨晩俺は夜を徹する覚悟でイヒテとの話合いに臨んだ訳だが...最悪殴り合いも吝かじゃなかったのに、あいつは真っ直ぐ俺の言葉を受け取り、否定も肯定もしなかった。
そんなこんなで意外な程あっさりと話は切り上げられ、日付変更前には床についたのだった。
尤も自分が“壊れてる”“バグデータ”なんて結論を貰ってぐっすり眠れる訳は無かったが。
「ハ〜〜...こない焦って探し回らんでも、今迄のパターンやとあちらさんから勝手に出て来るんちゃうのん?」
「うるせーな!疲れたんなら座ってろ!まぁ俺は置いてくし、先に見つけても待たねーけどな!」
分かりやすい嫌味。
俺が深く考える事から逃げたくて目を逸らしたくて闇雲に行動するこの癖を暗に駁しているのだ。
街は高低複雑に入り組み迷い易い。
だが、細い路地の一本に至るまで全てのマップを俺は知っている。
例えば目の前のこの扉を開ければほら、隣のビルの屋上に飛び移れる。俺が居た時と同じ、何ら変わりない。
「まるで迷路みたいやわ......アレ⁉︎ライ君!あそこ!」
今正に降り立った屋上の端、塔屋の出入り口に嵌った小さなガラス窓からお目当てのエレベーターがぼんやり覗くのが見えた。
駆け寄るイヒテに負けじと俺も向かおうとしたが、背後の気配にふと足を止める。
カタン、と小さな音がしてガリガリに痩せた溝鼠が足元を抜け逃げて行った。
「......何か用か?昨日は面見せるなって言ってた癖に、コソコソ尾け回りやがって。」
ゆっくり振り返ると偽の俺が姿を見せる。
瞳には大き過ぎる程の月が映り冴え冴えとした冷たい光を宿していた。
「怪しい奴が街中を彷徨いてるみてーだからな。一体何企んでやがる?」
「分かるもんかよ。お前、ヒーローにでもなったつもりか?」
そう、いくら説明した所で分かる筈無い。
世界の外から俯瞰して観測する事で初めて自分がゲームのキャラクターだと理解できるのだ。
ましてやその世界間を行き来するエレベーターを捜していたなんて、荒唐無稽にも程が有る。
「ほんと、気持ち悪りー奴!」
偽者が一気に詰め寄って拳を大きく振りかぶった。
身体を捻り肩で受け流す。次いだ2発目を前腕で弾き上段を蹴り上げると、偽物は宙返りで距離を取り間髪入れず足払いを仕掛けて来た。
身軽でアップテンポ、かつ緩急の激しい闘い方。知っている。俺の、闘い方だ。
「チッ...!本性著しやがったな!見逃してやっても良いと思ってたが...始末しとかねーとこりゃ、厄介かもな。」
俺と偽物は同時に腰を落とし構えを取った。
指の揃え方まで点対称の全く同じ構え。
「っラァ!!」
再び拳を交え合う。...まるで自分を見ている気分だ。癖や弱点まで手に取る様に分かる。
顔面を狙えばガードが上がり気味になるし、攻勢一偏倒で懐に踏み込まれるのに弱くてすぐに距離を取りたがる。
徐々に俺の方が押し始め、攻撃に手応えを感じだした。勝てる、そう確信した脳の奥の方で疑問が浮かぶ。
......俺が勝ったらどうなる?
爪先で足元の角材を弾き上げて棒術の様に振るうと偽物も鉄パイプを拾って応戦してきた。
角材を態と弾き飛ばさせて、鉄パイプの端を踏み飛び上がる。偽物の肩を支点に一回転すると、着地の勢いを利用して背負い投げでブッ飛ばした。廃材置き場に突っ込んで派手に土埃が舞う。
「う、っぐ......」
強引に襟を引っ張った事で頸椎にダメージが入ったのだろう、小さく呻き声を上げぐったりと動かない。
無様に横たわる偽物の上を跨ぐと、前髪を鷲掴み強引に持ち上げた。
もし、こいつを倒せたら俺は、こいつさえ居なくなれば、元に戻れるかもしれない。
途端恨めしく思えて、偽者の顔面を殴りつけた。ブチブチと髪の抜ける感触。
「返せよ!」
何度も拳を振るった。
返り血が辺りを濡らす。
お前、気持ち悪いって言ってたよな。俺もだよ。お前の事気味悪くて消えて無くなれって、そう思ってる。
「お前のせいで!俺は!!」
存在する理由を、本質を奪われた。
「...独りになんかなりたくない!」
弾ける熱は赤黒く腫れ上がったこいつの頬か、それとも切れて血の滲む俺の拳の方か。
憎悪に満ちた瑠璃色の瞳に俺が映る。
どちらのものともつかない血に塗れて歪み、涙でぐちゃぐちゃの、哀れな俺。
「そ、の目をっ、やめろよ!!」
一層大きく振りかぶる。
これまで動かなかった偽物が、俺の拳を受け止めた。
「......殺してやる」
どちらの口から出た言葉なのか、一瞬判断がつかなかった。
偽物がゆらりと立ち上がり、その気迫に思わず後ずさる。
「ーーリミッター解除。...奥義、地鳴雷閃」
目の前に居た筈の偽物が姿を消した。途端背後からの衝撃。
音が後から来る程の高速移動、靡く髪の残像はまるで雷の様で。
......何だよそれ?俺はそんなの知らない。リミッター?奥義?馬鹿みたいだ。
目にも留まらぬ速さと手数に俺は成す術無くされるが侭。
「これで...終わりだ。じゃあな、偽物。」
何かが腹を突き破り、腑の奥がじわりと冷える。
口腔に鉄の味が迫り上がってきて意識が薄くなって、ああ、こりゃ死んだな。
ーー
走馬灯、あるいは末期に見る夢か。
身体はピクリとも動かないのに、思考だけはよく回る。
結局俺は何だったんだろう。
作られた存在なのに、存在理由を持たずに...それでも確かにここに居る。
人間と云うのは『実存が本質に先立つ』つまり、生きる理由は生まれた後で見つける物だと云うが、俺たち作られた存在はその逆だ。
本質が理由が在って、その後生み出される。
俺は人間、ましてや生き物ですら無い。
なのに、与えられた本質を取り上げられて、その後は自分で選び取らなきゃ生きる事も儘ならない。
でも生きる道を探そうにも、これまで降り立った世界のどこにも俺の居場所なんて無かった。いつだって違和感を感じてて居心地が悪かった。
俺が生まれたこのゲームの中以外に、主人公だったあの立場以外にもう俺の納得できる生き方は無い。
...主人公の定義って何だと思う?諦めずに戦って勝って最後に立ってた奴がそうだよ。
ああ、与えられた本質の侭に...神様の言う通りに生きる“完成したライ”よりも、出来損ないの俺の方が余程人間らしいと言えるだなんて、何たる皮肉だろう。
俺にはもう何も無い。
けれど、このまま、この微睡に意識まで溶けて消えてしまえるなら。
それが一番幸せかもしれない。
「君まで、ボクを独りにせんといてよ...」