3階 (仮題1) !業務連絡!ハーレムものでお願いします! (1)
大きなショッピングセンターの手洗い場で俺は、手にこびりついたゲイリーの血を洗い流している。
清潔そうな白い洗面台に真っ赤な水が幾筋も流れて排水溝に消えていく。
死にゆく彼の、絶望と虚勢入り交じった最後の表情が目に焼き付いて離れない。
堪らず俺は顔中に冷水を浴びせた。
ーー
「あ゛ああぁぁ!!いでェよォ!!死にたくねぇ!死にたくねぇ!しに」
閉じたエレベーターのドアの向こうからゲイリーの絶叫と暴れる音が響いてくる。
俺たち4人は身を寄せ合い耳を塞いだが、しかし音は数秒の内、ぶつ切りにされたCDの様に聞こえなくなった。
ガタンと大きく揺れて、ドアが開く。
恐る恐る顔を上げると、自然光を取り入れた吹き抜けのデザインが開放的な印象のエレベーターホールから化粧の濃いエレベーターガールが怪訝そうに覗き込んで来ていた。
「お客様〜?どうかなさいましたかぁ?」
俺たち4人は豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔をして、茫然とエレベーターを降りた。
振り向けばやはり外観は変貌しており、綺麗なクリーム色のエレベーターはもう一度乗り込んでみても同じショッピングセンターの別の階へ移動するだけだった。
ーー
ふぅ、と息をつく。
...水を浴びたお陰で多少は冷静になってきた。
緊急事態が起こった時は、優先事項を筋道立てて順々に。余計な事は考えるな。
コンビニバイトで遺憾なく発揮してきた俺のライフハックである。
歩みを止める、それは死に至る病だ。
まず、先決すべきはあのエレベーターを見つける事。
これが夢で無いのなら、いや、是非夢であっては欲しいものだが、あの突然消えたり現れたりするゲーセンのエレベーターに乗ると別の場所に繋がるのだろう。
ならば、元いた場所に戻るにも件のエレベーターが必要不可欠のはず。
「...進むしかねー、よな。」
額に貼り付いた薄茶色の前髪を掻き上げると、鏡に映った自分と目が合った。
スカイブルーの瞳は己の不安な心中を滲ませて恨めしそうに見返してくる。
眉根をぐっと寄せて、活を入れるように両手で頬を叩くと俺は手洗い場を後にした。
「わるい。待たせたな。」
「あーっ!おにいちゃん、おようふくでふいたでしょ。いけないんだぁ。」
手洗い場の外で待っていたリィが濡れた服の袖を引っ張り非難してくる。
それを軽くあしらうと、俺は3人にエレベーター探しを提案した。
例に漏れず口数の少ないディーとエルだったが、どうやら快諾してくれた様子だ。
取り敢えず手近なショッピングセンターの中から虱潰しに探す事に決め、俺を先頭に一行は歩き出した。
「...また、さっきみてーな死体が襲ってきたりしねーだろうな?」
キョロキョロと辺りを見回してみると、フロア内には若者向けの服屋がずらりと並び、男女らがキャアキャアとショッピングを楽しんでいる。
ポップで爽やかなBGMがかかり、襲いくる腐った死体とはとても縁遠いように感じる。
「ど、どうでしょう...。アッ、でもライさんお強いので、きっと大丈夫ですね。何か格闘技でも?なんて。フヒッ」
「え?」
「いいいぇ、アノ、何でも。」
「おにいちゃん、てっぽうばんばーん!ってして、あしでえいやー!ってして、かっこよかったよ!」
後ろでエルと手を繋いでいたリィが手足をばたつかせて暴れた。
どうやら死体達と対峙した時の俺を真似しているらしい。
「うーん、あの時は俺も必死だったからなぁ......うわっ⁉︎」
余所見をしていた所為で角を勢いよく曲がってきた女に気付かず、追突した俺は押し倒される形で床に寝そべった。
ぶつかってきた女がピンク色の短いスカートから下着を大顕にして覆い被さり、柔らかい大きな肉塊を鼻と口に押し付けられて、俺は、意識を手放した。
「う〜いたた...。どこ見て歩いてんのよ!...って、きゃぁぁぁ!!変態!!!」
「は、張り手...。ライさん...!しっ...死んでる...。」
目を覚ますと、ディー、エル、リィは倒れた俺の身を案じ3人だけでエレベーター探しを続行すると連れ立って行ってしまった。
「...ゴリラ女...。」
「なっ、何よ!ちゃんと謝ったじゃない!そんなに言うならジュースのお金返してよね!」
「ジュースは詫びじゃなかったのかよっ⁉︎」
ぶつかってきた女、日凪美咲に張り手を喰らわされてジンジン痛む頬をオレンジジュースの缶を当てて冷やす。
気絶したあと、どうやら通路脇のベンチに寝かされていたらしい。
起き上がって美咲の隣に座り直した。
「でも良かった〜。アンタなかなか起きないから死んじゃったんじゃないかって心配したんだから。」
美咲は高い位置で2つに結んだ薄ピンクの長い髪を揺らし、ころころと笑う。
「縁起でもねー事言いやがって...。」
缶を開けて中身を一気に飲み干した。
温まったオレンジジュースは妙に甘ったるく感じる。
「.........なんだよ。じろじろ見んなよ気色悪い。」
「べっ、別に、アンタがちょっと孝司に似てるとか思ってないんだから!」
「誰だよ孝司。」
「孝司ってのはあたしの幼馴染でね、孝司...そう、孝司よ!!!!!アイツ!!あたしとの約束破っておきながら高嶺先輩とデートなんかしちゃってさ!あのデレデレした顔!思い出したら腹立ってしょーがないわ!いつもいつも蔑ろにされて、他の女子に優しくしてんのをあたしがどんな気持ちで見てると思ってんだか知らないけどさ!アイツと1番長く一緒にいるのはあたしなのに、何で気付かないのよあの鈍感っ!!!ね!!!あんたもそう思うでしょ!!?」
勢いよく立ち上がった美咲は俺の鼻先に人差し指を突きつけてきた。
人を指さすんじゃない。
美咲が急に騒ぎ出した事で通行人が何事かと集まってくる。
「お、落ち着けって。みんな見てるし...話ならいくらでも聞いてやるから座れ、なっ!」
何とか美咲を宥めすかし座らせると、観衆も興味を失って散って行く。
おい、痴話喧嘩って言ったのどいつだ。冗談じゃない。
「...ハァ〜〜......つまり、好きな男が他の女とデートしてる所を見ちまって、ショックで走って逃げて、そんで俺にぶつかってくれやがった...って訳ね。」
俺がわざとらしく溜息をついて見せると、美咲は口を尖らせてモゴモゴと言い訳を並べ立ててくる。
「うぅ...。あたし、どうしたらいいんだろ。」
「俺が知るかよ。...ま、指を咥えて見てるだけで良いってんならそうしてれば?現状を変えたいって思うんなら、行動するしかねーんじゃねーの。」
「それって、こ、告白しろって事...?」
美咲は顔を赤らめてクネクネと身を捩る。
一丁前に恥じらっているらしい。
「お前のしたいようにすれば?って事。男寝盗ったその女狐に復讐して欲しいもん勝ち取るのもまた良しってな。」
「高嶺先輩は大和撫子で優しい人なんだから女狐だなんて思ってないわよ!寝盗るとか復讐とか...あんたって結構過激な事言うのね。」
「そうか?で、どうするよ。告白すんのか?」
促すように尋ねると、美咲は拳を握り立ち上がった。
「...する!あたし、孝司にちゃんと好きって言うわ!」
彼女の明るく前向きで少し大袈裟なくらいの身振りは、見ているこっちまで元気になるようだ。
「ああ、その意気だ。頑張りな!」
「...あんたって、無愛想で嫌味な奴だと思ってたけど...そんな風に笑ったりするのね!」
美咲が大きな目を眇めていたずらっぽく微笑む。
元気良く跳ねたツインテールの髪が吹き抜けの天井から差し込む陽の光を透かしてキラキラと輝くのを、俺はとても綺麗だと思った。
「よし!そうと決まれば早速手伝ってもらうわよ!」
オレンジジュースの空き缶ごとギュッと両手を握り込まれる。
「はっ?」
「服選びよ!!」
「はぁ⁉︎何で俺が⁉︎」
そのままぐいぐいと引っ張られ、テナントの立ち並ぶエリアまで強制連行された。
「そういう選択肢が出てんのよ!」
「意味わかんねー!!」
俺の叫びは虚しくも雑踏に掻き消されていったのだった。