2階 “ウォー”キング・デッド2 〜黄昏の天使〜 (2)
「ったく、ゾンビなんて...漫画やアニメじゃあるまいし。」
教会の中、ここは恐らく礼拝堂だろう。
ドーム状の天井は高く、天窓に嵌った幾何学模様のステンドグラスから色とりどりの光が差してくる。
入口の反対側、礼拝堂の奥は一段高くなっていて、石細工の男の像と大きな祭壇が祀られていた。
石像周りに立っている棒状の金属柵を引っこ抜けば槍にできるかも、と壇上に近付くと、嗅ぎ覚えのある腐敗臭が鼻を衝く。
「うえっ......。もしかしてこれ、生贄...て事か?」
長方形の祭壇の上には首から上無い少女の死体が横たわっていたのだ。
「宗教だの文化だのってもんにとやかく言うつもりはねーけど、さすがになぁ...。」
ガリガリに痩せ腐った皮膚には蛆が集り、元は薄い青緑色であったのだろう半袖のワンピースは様々な体液に塗れて黒ずみ見る影もない。
切断された首から流れた血が祭壇の上で乾いており、打ち捨てられていた期間を感じさせた。
あまりまじまじと見たいものでは無かったが、生贄の少女の年恰好が俺たちの探している迷子の少女をあまりにも想起させてくる。
脳から血の気が引く様な感覚に思わず後退ると、何かぐんにゃりとしたものにつまづいて俺は強かに尻を打った。
「...ってぇ〜...!くそっ何だよ...ッ、ぅ、ヒッ⁉︎」
床に突いた手がそのぐんにゃりしたものに当たる。
生首だ。
「う、わあぁぁあ!!?」
指がドロドロの皮膚に沈む。
へばり付いてくる黒い髪を振り解くように薙ぎ払うと生首は祭壇の足元に転がり、眼球の無い目で俺を覗いてくる。
「お、とぅ、さん」
「......!」
掠れた声で、生首が言葉を発した。
だが、そんな事より憂慮すべき事態が起こっていた。
少女の身体が起き上がり、ぐちゃりと音を立てて祭壇の下に落ちたのだ。
生首の毛がざわざわと蠢き、まるで寄生生物が宿主を乗っ取るかのように身体に絡み付いて行く。
首が、上下逆さにくっついた少女が、立ち上がって、俺ににじり寄ってくる。
「おと、さ」
金縛りにあったように動けないでへたり込む俺の額に指先が触れ、顎関節の外れた少女の口が大きく開く。
もう駄目だ。そう思った瞬間、礼拝堂に響き渡る銃声と共に少女の頭が目の前で弾け飛んだ。
続いて2発、3発と撃ち込まれ、遂に少女はピクリとも動かなくなった。
「Damn! よォ坊主、怪我ァねぇか?」
不意に背後からかけられた陽気な声に振り向くと、砂岩のような黄土色の軍服に身を包んだ筋骨隆々の男が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「なんだァ坊主、腰抜かしてんのか!情けねーなァ!」
軍服の男はガッハッハと豪快に笑い、俺を肩に担ぎ上げた。
「うわっ!やめろ!何しやがる!」
「はっはァ!礼はいらねーって!」
「ちがう!おーろーせー!!」
ジタバタと暴れてみたものの、筋肉の塊のような男はびくともせず涼しい顔で俺を運んでいく。
抵抗するのを諦めた頃、教会入口の扉の前にぞんざいに落っことされた。
「でっ!!!...このヤロー...!」
「おにいちゃん!」
無邪気な声が響き、視界いっぱいに浅葱色の布地が映り込んだ。
少女だ。腐ってないし、首もしっかりくっついている、俺たちが探していた少女がそこに居た。
「坊主がリィの兄ちゃんか。良かったなァ見つかって。」
「うん!」
「いや、別に兄妹って訳じゃ...」
「そうなのか?言われてみりゃ髪も目も違う色だしなァ。...マ色々事情もあらァな!」
男は深く考えないタイプらしい。
リィ、と呼ばれた少女の背後からディーとエルが走って来るのが見えた。
「丁度そこの広場で迷子になって泣いてるリィを見つけてなァ、兄ちゃん達とはぐれちまったってんで上から探してやろうと教会の塔に登ってたんだよ。」
男は親指で上の方を指す。
「したらサイレンが鳴っちまって、出るに出られなくなってた所に坊主らが飛び込んで来たってわけよ。」
「そうか...ありがとう。助かったよ。ええと...」
「あァ、挨拶がまだだったな!俺はゲイリー。階級は陸軍大佐だ。よろしくな!」
ゲイリーは胸の階級章を誇らしげに叩いた。
ただでさえはちきれんばかりの胸筋で閉まりきっていないジャケットのボタンが更に悲鳴を上げている。
「よろしく。俺はライ。...こっちはディーとエルだ。」
ディーが軽く会釈をした。
「それで...一体ここはどうなってんだ?さっきのあの化け物は何なんだ?」
ーー俺たちは輪になって座り、ゲイリーから様々な情報を得た。
カルト教団が創り出して『裁きの天使』と呼んでいる動く死体の事。
そいつらは昼夜を問わず人を食う為に徘徊し、ゲイリーの所属する軍部隊が鎮圧に当たっている事。
サイレンは『裁きの天使』の出現を警告し軍が流したものである事。
ゲイリーはこの戦いが終わったら故郷に残してきた婚約者と結婚する事...。
何とも荒唐無稽なオカルト話ではあるが、実際にこの目で見た以上信じざるを得ない。
「や、やっぱり、ここは...」
ディーが何かを言いかけたが、その声は突如襲ってきた轟音に掻き消されてしまった。
入口の扉がダンダンと勢いよく叩かれ、重厚な筈の木の扉に穴が開いたのだ。
突き込まれた腐った腕の隙間からチラリと見えた外の広場は死体...『裁きの天使』で埋め尽くされていた。
「きゃあぁぁぁ!!」
天窓が割られてガラスが降り注ぎ、リィが悲鳴を上げる。
天井からも侵入しようとしているらしい。
「God damn!マズいぞ、あの数に踏み込まれちゃ流石の俺も太刀打ちできん...!坊主!皆を連れて東側の扉へ走れ!塔の上ならここよりは安全なはずだ!」
ゲイリーが礼拝堂の奥にある1つの扉を指し示す。
「あ、ああ!わかった!けどアンタはどうするつもりだ⁉︎」
「心配いらねェ!俺ァ殿で援護する!」
背負っていたライフルを構えると、コイツを使いな、と鈍色のハンドガンを手渡してきた。
「行け!!Go!Go!Go!Go!」
ゲイリーの合図と共に皆一斉に走り出す。
ディーがリィを抱え上げ、俺はエルの手を引く。
扉まであと10m、というところで天井から落ちてきた死体達に行手を阻まれた。
チラリとゲイリーの方を伺い見るとそちらも多数の死体達に囲まれ正に絶体絶命、という態である。
俺は手渡されたハンドガンの撃鉄を起こし、死体に向かって次々と発砲していく。
弾は眉間に命中した...が、少女の姿相手でさえ倒すのにライフルで3発必要だったのだ。
眼前の大人の死体達相手にハンドガンの一丁程度で太刀打ちできるはずも無く、銃弾は呆気なく尽きてしまった。
「クソっ...!!そこをどけぇぇぇ!!!」
役立たずの鉄塊を放りだすと、俺は眼前の死体に向かって駆け出した。
足元を払い、鳩尾に掌底を叩き込む。
その勢いのまま床に手を着いて回し蹴りを喰らわせると、うまいこと周りの死体達を巻き込みながら吹き飛び道が開けた。
「行くぞ!!」
俺は一行を先導し、目的の扉に突っ込んだ。
扉の向こうには、そう長くは無い廊下が続いていた。
廊下の端に見えた物に俺は思わず目を擦る。
「嘘だろ...⁉︎これって...」
格闘ゲームのポスターが貼られた、色褪せたグレーの両開きのドア。
俺たち4人が乗り合わせ、忽然と姿を消したエレベーターだ。
「どうしてこんな所に...」
俺たちは顔を見合わせた。
石造りの教会にはそぐわない、切って貼ったような異様な光景。
しかし袋の鼠のこの状況では乗る以外の選択肢は無いだろう。
ボタンを押すとドアはすぐに開いた。
見知った内装。
あのエレベーターで間違い無いらしい。
「Holy shit!!クソっ!やめろ、ぐがああぁ!!!」
礼拝堂に繋がる扉を押さえていたゲイリーが悲鳴を上げた。
死体達が扉を破りゲイリーの肩や脚に齧り付いている。
「Fuck!!Fuck!!...早く乗れ!乗るんだ!!」
食い千切られた傷跡から鮮血が迸って辺りを濡らす。
錯乱した様子のゲイリーはライフルを乱射するが、無力にも引き倒され床に腹這いになった。
俺は咄嗟にエル達3人をエレベーターに押し込むと、彼の元へ向かった。
群がる死体達を蹴散らしゲイリーの手を掴んでエレベーターまで必死に走る。
ふらつきながらもエレベーターにたどり着くと、ドアを押さえていたディーとエルが迎え入れてくれた。
「ゲイリー!乗れ!!」
振り返ると死体達はすぐそこまで迫って来ている。
不意に背中を強く押されて、俺はつんのめりゲイリーの手を離してしまった。
同時に、俺がぶつかった衝撃でディーとエルも押さえていたドアから手を離す。
「満員だろ、行きな。俺ァ...ここまでだ。あばよ。」
ドアはゲイリーを取り残し閉まって行く。
「最後まで、格好つけさせてくれや...坊主」
咄嗟に手を伸ばしたが、ゲイリーには届かなかった。
代わりに、閉まりきった黄ばんだドアの表面をぺたりと撫でる。
指の跡が赤く残った。
彼の血だ。
刹那、ドアの向こうで生きたまま食われるゲイリーの絶叫が響き渡った。
俺たちには耳を塞ぐ事しか出来なかった。