2階 ″ウォー“キング・デッド2 〜黄昏の天使〜 (1)
ーー石造りの地下室は黴の臭いと、吐き気のする様な腐敗臭に満たされていた。
(今こそ我等が父のお言葉を拝する刻なり)
素朴な綿のローブで全身を覆い隠した男が5人、部屋の中央に積まれた夥しい数の人間の死体を囲む様に立っている。
(処女の血を以てここに請願す)
ローブの男の1人が右手に掴んでいるものを高々と掲げた。
赤黒い液体が辺りに飛び散る。それは年端も行かぬ少女の生首であった。
(我等が父の国を蹂躙す異邦の愚者に)
ローブの男達は各々体を揺すり、ぶつぶつと呪文を唱えている。
(裁きの天使を遣わせ給え!)
すると死体の山が蠢きだし、1人、また1人とよろめきながら立ち上がったのだ。
頭蓋が半分吹き飛んでいる男、腹からはみ出た内臓を引き摺っている老婆、紫色に変色した赤ん坊...。
「成功だ…!」
「勝利は我等に!……オゴッ⁉︎」
動き出した死体達はローブの男達に縋り付くや否や、その生きた肉体に齧り付き、貪り殺した。
「ギャァァァァァ!!!!!」
“ウォー”キング・デッド 2
〜黄昏の天使〜
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「一体全体、どうなってんだよ⁉︎」
信じ難い光景に俺は声を荒げた。
ゲームセンターのエレベーターで1階から2階に上がったのだ。当然、目の前にあるべきはピコピコ画面を光らせるゲームの筐体達であるべきだろう。
しかし、今目の前に広がる光景は荒れ果てた戦場そのものだ。
ゲームの画面なんかじゃ決してない、肌を刺す炎の熱も鼻腔に纏わりつく血腥さもまさしく本物。
「俺たちゲーセンに居たはずだよな⁉︎なあ!」
誰も何も答えない。そりゃあそうだ。俺だって混乱してる。
動けないでいる俺の脇を擦り抜けてエレベーターの外へ飛び出したのは、最後に乗り込んできたあの少女だった。
「おとうさーん!」
「あ⁉︎おっ...オイ!待て!」
咄嗟に腕を伸ばすが、反応がワンテンポ遅れてしまい捕まえる事ができず、少女はあっという間に土煙の向こうへと消えてしまった。
瓦礫の影にでもお父さんを見つけたのだろうか?いや、お父さんとやらはおろか、見渡せる範囲には生きた人の気配さえ無い。
おそらく幼い少女も混乱の末に駆け出してしまったのだろう。
そこら中で火の手が上がり爆発が起こっている。はやく追いかけねば。
「アッ、まっ、待ってくださいぃ...!」
エレベーターの外へ踏み出した俺にサラリーマンが追い縋って来る。左手で女子大生の腕を引いていた。
「あの子を捕まえてすぐ戻るから!アンタらはここで待ってろ!」
服の裾を掴むサラリーマン達を振り返ると、その背後でエレベーターの外扉が閉まるのが見えた。
その瞬間。
瞬きをしたワンフレームのその一瞬で。
「は...⁉︎おい、嘘だろ⁉︎」
エレベーターが忽然と姿を消したのだ。
いや、正しくは姿を変えた、だろうか。
色褪せたグレーだった筈の両開きのドアは蛇腹のように組み合わされた鉄格子の引き戸に変貌し、ひしゃげた隙間からは鉄骨が覗いている。
エレベーター脇の壁は崩れ、元の建物は見る影も無く、俺の目の前にはただ朽ちかけた鉄の箱が瓦礫の中に取り残されているだけだった。
「何だってんだよ...!」
俺は茫然と膝をついた。
「だっ...大丈夫ですか...?」
サラリーマンが恐る恐る声をかけてきた。
大丈夫な訳あるか。何が起こっているのか、俺には全く理解できない。だが、こうなってはまず分かる事からやるしか無いだろう。
少女を保護しなければ。
肩に添えられたサラリーマンの手を払い除けると、俺はふらりと立ち上がる。
砂利に足元をとられて近場の瓦礫に手を着くと、ぬるりと粘ついた黒い液体に触れた。
「...?」
指先についた忌々しいベタベタを瓦礫の乾いた部分になすりつけていると、その黒い液体の出処が錆びて穴の開いた一斗缶である事に気付く。
横文字で書かれたラベルは読めないが、これは。
「まずい!油だ!!」
辺りでは火の手が上がっている。
俺は矢も盾もたまらずサラリーマンと女子大生の腕を引っ掴み、荒野へと駆け出した。
巻き上がる灰と砂煙の中を一体どれ程彷徨っただろうか。
少女を探そうにも名前もわからず、おーいおーいと呼びかけ続けているが、返事をする者はなく虚しく廃墟に響くのみだ。
「なあ、アンタ...ディーだっけ。一体全体、ここは何処なんだろうな。」
「さっ...さあ......。」
サラリーマン、ディーは先導する俺の背後に隠れるように付いて歩く。
女子大生はそんなディーに腕を引かれ、ただ黙って付いてくる。相変わらずの無表情で、相槌一つ返さず、名前を尋ねた時に「わたしはエル」と発して以降は何も喋らない。
「でっ、でも、ここってシャムバラに似て...いっイエ、何でも。フヒヒ」
「シャムバラ?」
「アッ...いえその、何でもないんです忘れてくださいすみません」
ディーは目を逸らし萎縮する。
こちらとしてはそんなつもりは無かったのだが、どうやら俺の目つきは怖いらしい。
「何だよはっきりしねーな!いいから、シャムバラってどこなんだよ!」
「ヒッ...あっあの、シャムバラはですね、(株)DeusEx社が1998年に発売したコンピューターゲーム『”ウォー“キング・デッド』に登場する都市の名前でして、アッ、『”ウォー“キング・デッド』という名前からお分かりの様にゾンビシューティングゲーなのですがね、2Dスクロールが主流だったシューティングゲーム業界に革命を起こした3DSTG『Lost in the echo』通称Lieはご存知かと思いますがそこにFPSでの対人戦闘要素を併せる手法のパイオニアとも言えるゲームでして、特徴としては何と言っても護衛対象として同行する非戦闘NPCをいかに上手く立ち回らせるかという戦略性がですね、......」
これまでの吃り様が嘘のように早口で一気に喋り倒すディーに不覚にも面食らってしまった。
「わかったわかった!もういいって!…要するにアンタって、オタクって奴なんだな。」
だが、今俺の目の前にあるのは紛れもない現実なのだ。興味も無いゲームの話を捲し立てられても苛立つだけ。
「アッ、す、すみません...。」
「別に謝られたい訳じゃねーんだけど...。っと...ここは...?」
いつの間にか風が凪ぎ砂煙が収まってくると、そこそこ建物の形が残ったエリアまで来ていた事が分かった。
火の手こそ上がってはいないが、しかし、そこは不気味な程に静まり返っている。
通りの突き当たりはちょっとした広場のように開けており、一際大きな石造りの教会が聳えていた。
俺たちが広場に足を踏み入れた途端、劈くようなけたたましいサイレンの音が辺りに響き渡る。
音は程なくして止み、何事だったのかと辺りを見回していると、視界の端で何かが動いた。
ガラリと瓦礫を押し崩し現れたのものは、人間の形をした何かだった。
「おいおいおい!!!なんだったんだありゃあ!!?」
咄嗟に飛び込んだ教会の扉を力任せに閉じる。建て付けは悪いが重厚な木の扉に金属製の閂をかけると、やっと人心地ついた気分だ。
瓦礫の影から現れたものは確かに人間の形をしてはいたが、纏ったぼろぼろのローブから覗く肌は腐り頭部はあり得ない方向へ捻じ曲がっていた。
気づけば別の物陰からも同じ様にとても生きているとは思えない人間が沸き出るように現れて、それらは一様に肉だの内臓だのを落っことしながらにじり寄ってきたのだ。
あの光景はまるで...。
「ぞっ、ゾンビ...みたいでしたね......。」
ディーとエルは壁に背を預け膝を抱えて座り込んでしまった。
「冗談じゃねーっつーの!」
すっかり消沈した様子の2人を捨て置いて、俺は武器になりそうな物を探す事にした。