勇者の選択~ある世界の終わりとすべての始まり~
世界樹と一体化し第3形態に変異した魔王も絶え間なく加え続けた飽和攻撃には耐えきれなかった。
魔王細胞が制御を失い暴走を始めるとあっという間に魔王本体への侵食が進んでいく。
断末魔、怨嗟の悲鳴を残し魔王の間の闇色の床に倒れ伏したその巨体は今、漆黒のチリと化し空間に溶けて行く。
『やったか!』
「それ言うなし!」
勇者の鎧専用アシスト 魔導知能Ver.2.0《ニ・オー》のフラグ立てに勇者の突っ込みが炸裂した。
異世界生活 25ね……いや約3年、やっと成し遂げた全人類の悲願。
経験値システム・身体制御コマンド・回復と成長、諸々の理、この世界の仕様を解析し効率的な身体強化体系を確立。
国家・異種族間連携と利益調整が一番時間を食った。
「とりあえず魔王倒してから考えよう!」
を合言葉に問題先おくりしながら無理やり引っ張ってきたのだ。
世界賢者ネットワークによる推論検証を重ね有力なアイテム収集手順計画を作成。
国家横断で編成された“勇者支援部隊”へのアウトソージングによりユニーク・アイテムの高速回収と消耗アイテムの安定供給が可能となった。
同ネットワークにより決戦場所及び魔王の戦闘強度を推定したうえで安全最適かつ確実な攻略プロセスを立案しシミュレーションを重ねた。
魔王城の座標がこの世界を支えるという世界樹の座標と重なった時には世界中の賢者が愕然としたものだが、次元の位相をずらして同時存在させうるとのだとの推測にたどり着けば敵戦力推定の上方修正に繋がり、事前に他次元攻撃を予測できたのは僥倖だった。
『体型変化も2回だけてのは拍子抜けだったな、予備装備・消耗アイテムともに丸々もう一戦分残ってるぜェ』
《ニ・オー》の言葉に勇者も頷く。
ステータス上げすぎて表記が ?抵シ包シ とかなったときは焦ったけど、今となっては些末なこ…。
――――――ゴうっ!ゴゴゴゴぉン!!
強烈な振動と共に魔王城の床が崩落を始めた。
魔灯は不規則な明滅を繰り返し、辺りには土埃とその臭いが舞い漂う。
「計画通り」
たたらを踏みながらも思わず口端がにやりと持ち上がる。
魔王死亡と共に世界樹の免疫機構が活性化し、次元の狭間に魔王城基底部を固定するためにガン細胞の様に擬態していた魔王細胞を正しく異物として認識し始め排除しようとしている。
普通なら魔王城の崩壊は世界樹の破壊と連動し世界の壊滅を招くプロセスを辿るはずだったのだが、対策はばっちりだ。
今、全世界中の魔力保持者たちが各地に分散した核魔導士を通じ、連携魔法陣経由で世界樹の守り手ハイランド・エルフ旗下数万のエルフ達に魔力を転送。
変換された癒しの力を世界樹に注ぎ込み、世界樹の破壊から壊滅を招く一連のプロセスを抑え込んでいる。
世界樹下、エルフ達の頭上に落ちる瓦礫排除はエルダードワーフ王の指揮の元、数十万のドワーフ技師団が突貫で揃えてくれたハイパードローン数万機が受け持ち。
細かい砂礫も守備特化の人類連合騎士団“大楯”と、鎧に装備された魔導知能の自動危険排除システムが操作する汎用戦略ドローン《ウィンネル》が皆を守る。
「完璧だ」
一人でドヤっていると。
『さっさと脱出シークエンスを進めろし』
《ニ・オー》のボヤキが炸裂した。
「はいはいw」
《ニ・オー》が制御する”勇者の鎧”専用ドローン《リィン・ウィンネルGs》は2機あればわたしを無事に地上へ連れ戻してくれる。
1千機も用意して貰ったがそのほとんどを失ったという事実をドワーフ王が知ったらショックで泣き崩れるかもしれないw、ここまで苦楽を共にしたパーティの仲間達を危険に晒さず勇者単独で魔王撃破するためには必要な犠牲だった。
レジスト不可の洗脳魔法に対抗するにはコレが最良だったんだヨ、すまん。
そして今、万感の思いを胸に、魔王の間を立ち去……。
……おぃい。何だろうかこの違和感。
勇者の第六感が何かを告げているる。
最後の状況確認よろしく、再度溶け崩れゆく魔王の残骸に目を向ける。
軽く両手を合わせ、黙祷。
伏せた目を上げた。
見えた。
刹那。
それは
――――少女の亡骸。
世界樹と溶け崩れた魔王の残骸との間に残された。
知っている。
ワタシハ。
アノ少女ヲ知ッテイル。
全身から抜ける力。
膝が地面を打った。
お・う・じょ……さま? 魔王が? 王女…… 何を・ヨミ・間違えタ?
『《ニ・オー》推論:魔王の核に本物の王女が取り込まれ世界樹との融合を実現する触媒とナ?ていタ――――』遠くで聞こえる。
…との隙間から、みるみると溢れいずるる、
くるくうるうる奔流の光渦――――
そのとき世界は、はじけた。
◇◇◇
「なぜこんな終盤まで気が付かなかったんだ? ズレ始めならまだ修正できただろうに」
管理部長は力なく呟くと、自席の床にその巨体を横たえた。
間接照明を灯した管理局の一空間。現場責任者達における緊急対応が進められていた。
同チームリーダーは忙しく鎌の先の前足を動かし、周囲の空間に投射された情報群を取捨しながら有益な情報をピックアップ。
複眼で構成される彼の視覚はこういったとき便利そうだ。
現況の確認と同時にすり合わせ状況報告を始めた。
「この世界の管理者が基本設定の欠陥を隠ぺいするため一人で修復プログラムを当てていたようです、途中から現実逃避していたのですかねぇ……中途で放置されていますね」
きらりと複眼が視線を投げる、部長は片手でこめかみを抑えながら続きを促した。二股に分かれた舌の先が口の端から力なく垂れさがる。
連日徹夜と休日出勤で対応していたらしく、同僚が本日の出勤時に管理端末の前で涙を流している本人見つけた時点でこのトラブルが発覚した。
「世界核へのアクセスコードが変更されており人海戦術でのリアルタイムパッチでの対応が取れない状態でした。
おそらく同僚たちの出勤前に担当世界が自壊していれば初期化の上再構築してログ消去、顛末書提出ぐらいで済む。とでも考えて居たのでしょうか?」
そこから先は医療機関へ搬送された本人に裏を取らなければ事実関係は判らない。
「それにしても今回は世界へ召喚した異世界個体が優秀すぎました、次から次へとシステムの穴を突かれた様子で…」
リーダーは肩をすくめた。流石に少しは同情心もある。
どの道、上層部から叱責を受けるのは管理部長、次に自分だ、必要以上に部下たちのモチベーションを下げてもいいことはない。
「停滞した世界に変革をもたらす為の召還個体だよ、優秀なぐらいが本来はちょうどいいはずなんだがね。
勤怠管理とメンタルケアをもう少し厳密にやるべきかな? そちらは上に掛け合って何とかしよう。
済んだことは仕方が無いとはいえ流石に気は重いな、発生した数千億のもの生命個体を削除してしまうなど何度もやりたいものではないよ。
制御不能世界終息プロセスに基づいて処理を頼む。報告用のデータと再利用可能の素材を回収して…世界を初期化してくれ…」
管理部長は携帯用消化器官補修カブセル、通称”苦虫”をかみつぶしながら言った。
◇◇◇
世界は全ての音を失い。
全ての刻は停まっていた。
「なん……だと……?」
勇者は、その場にへたり込んだ。
ガしゃリと音を立てる勇者の鎧。
兜はうんともすんとも音を発しない。故障なのか? この世界から音というものが消失してしまったのか。
「《ニ・オー》? 状況確認可能か? 《ニ・オー》?」
鎧内臓の魔導知能に問いかけても反応はない。
網膜投射インターフェイスも機能していない。魔素コンバーターによるパワーアシストも、だ。
こうなってしまっては勇者の鎧システムも動きを阻害する訓練重りにしかならない、手動操作で排除する。
システムリンクされたドローン達も全機停止中…空中に静止しながら停止している。
空中から熟れた木の実をもぐように手にとったそれは、質量こそドローンのままではあるものの。
「時間魔法の停止がかかった状態…なのか?」
この世界では取得可能ではあるもののすこぶる燃費の悪さから使わなかった時空系魔法である。
少なくとも、自分の視界の範囲すべての物体を延々と停止させておくための総魔力量たるやべらぼうなものになる。
!
気配。
己の左後ろに何かを感じ聖剣を構え正対する。
?
空間に四角く黒線が染み出し。
扉?
その形、大きさはまるで転移前の世界によくあった自動扉の様ではないか。
ぽん!
軽く乾いた音と共に一段手前にずれた空間の扉は、シュぃ…と横にスライドし。
「あ…」
目が合った。
勇者からは実際には相手の目は見えなかったのだが。
空間の扉の向うから現れたのは頭全体を覆う黒頭巾をすっぽりと被り黒の作務衣に身を包んだ。
「くろこ?」
元の世界での、お芝居の最中“そこに居ないことになっている人”である所の“黒子”が現れた。
黒子はしばし固まり、両手の平を軽く掲げ無手であることを示す。
もちろん、相手が無手だから安全だと考えるほどの阿呆では無い、が。
不戦の意を示す相手にいきなり切りつける程の慮外者でもない。
「えーと…」
互いにどうしたものかと暫くの膠着。
やがて、黒子の背後が賑やかになってきた。
「Hey!マぁーック!面倒くさいからってぇ外部確認手順を端折るんじゃぁ……ね……」
ウェイウェイと、コンビニ前屯集団か?。
黒子の背後からまた黒子。
黒子2号である。
1号の背中越しに黒頭巾と目(?)が合い、同じく硬直した。
まずい、このまま増殖して行くとなると多勢に無勢で押し切られる可能性も……。
ひやりとした汗が勇者の背中を流れる、同時に黒子2号は明かるげに柔らかく語りはじめた。
「KhAaaaa……haaa……Aぁあー――敵対の意思はない。説明すると長くなるんだが、信じてくれる?」
小首を傾げている。
軽っル。
友達と「飯食いに行こうぜ」的なノリで言われても……。
少なくともいきなり戦闘にはなりそうにない。
聖剣の剣先をゆっくりと下す。
――――見る人が見れば、正眼から下段に構えを変えたとも言うのだが。
「オッケ、説明の前にこっちの仕事を先に片づけてもいいかナ?」
視線は勇者へ向けたまま切らず。口頭だけで黒子2号は1号に向けて話す。
「私は世界難民保護プログラムに入る、今回のリーダーは君に一任する…大丈夫…もう何回もサブこなしてるだろ? 管理権限はB+まで許可するヨ? できるな……ってか、やれ…」
最後、少し声が低くなり、1号の体が小刻みに震えた気がするがそれは見なかったことにする。
2号の方が力はあるらしい。技は1号の方があるのかは知らない。
「さぁて…少し河岸を変えよう…」
いくつかの指示を終えた黒子2号は勇者の方へ向き直ると、右手を上げ“パチン”と指を鳴らした。
「ここは…」
勇者は眼だけで辺りを確認した、むろん視界の中に黒子はとらえたまま。
少し洒落乙な喫茶店、流れているBGMは旧世界でベストナンバーだった歌謡曲。
間違えてもアンダースーツ姿に聖剣を構えた人間と地下足袋を履いた作務衣の黒子が相対していて良い空間ではない。
「掛けて、あまり時間は無いけれど。落ち着いて話した方が結果は早い」
示された椅子にあきらめた様子で勇者は腰かけた。
聖剣はテーブルの横に立て掛けて置く。
この黒子(2号)は次元転移能力を自在に操っている。
少なくとも先刻まで勇者システム・フル装備で戦っていた魔王と互角かそれ以上の相手なのだ。
主装備のほとんどをパージした状態で戦って勝てる相手ではない。
「話が早くて助かります」
ふいにコーヒーの香りが鼻孔をついた。
エルフの薬草師に頼んでタンポポもどきの根を炒って作ってもらった代用品じゃなく、旧世界の喫茶店で飲んでいた、ローストした豆から抽出したホンモノだ。
対面に座った黒子は口元にコーヒーカップを傾けながら勇者の卓前を示した。
いつのまにやら、そこは夢にまで見たダージリンとプリン・ア・ラ・モードの世界。
「食べながらで結構。まずあなたが置かれた状況から説明したい」
震える手でティーカップを鼻先へ運び、胸いっぱいに芳香を吸い込む。至福。
「…勘が良いあなたが気付いているとおり、私はこの世界を管理する側の存在です」
目だけは黒頭巾を見つめるもののその下の表情はうかがい知れない、口元はスプーンが運ぶカスタード香るプリンに余念はない。あまい。
「この世界はあと数十分で崩壊し消滅します、我々はその前にデータと有用な資源を回収する任務を負っています。
本来であればあなたもこの世界と運命を共にするはずでした。しかし稀に、その世界の因果律から外れたモノが世界を越えて存在することがあります」
目と耳は黒頭巾に注しながらもスプーンは止めない、最後かもしれないのだ。バニラアイスクリームはひんやりと腔内で蕩けゆく。つめたあまゆい。
「ソレが今あなたの置かれた状況です。ここまではよろしいですか?…異世界からの転移勇者さん」
口直しのウェハースを食み乍ら勇者は何度も頷き、最後のセリフを聞き観念するしかなかった。
最初から、この世界の一員になんかなっていなかったのかもしれない。
3年前のあの日から、ずっと。
「残された時間の中で勇者さんの取りうる選択肢は2つです」
黒子は片手をあげ2本の指を掲げた。
「ひとつめは、我々の“世界難民プログラム”に従い、難民として我々の世界に異動していただき、そこから先のことは後から考える」
1本の指が持ちあがり。
「もうひとつは、この世界と運命を共にする……です」
最後の指が立ちあがった。
頭の中は混乱していたが、精神はそこそこ落ちついてた。
紅茶の香りと幸せのあとあじに包まれていたからか、糖分を十分に補給したからか。
「ウェイ! もう時間切れでーす! 任務完了! 撤収準備も完了です! 急がないと世界消滅に巻き込まれますよ!」
静寂を突き破り、ついでに喫茶店の天井をも突き破り、黒子(多分1号)の上半身が飛び出した。
「な、早いな…」
残りのコーヒーを煽りながら、天井を見上げる2号。
「重要な要件を未回収なのにもかかわらず先へ進める事を制限していなかった設定のミスが致命的だったようっす、そこから辻褄が合わなくなってグッダグダ、パッチだらけのスパゲッてぃましたぁ!」
叫びながら天井から腕を差し出す1号。
2号は勇者の手を取り、言った。
「行きましょう」
手を引かれ、ふんわりと浮かび上がる身体。
天井の穴を潜り、降り立った先は元の魔王城決戦の間。
床面からでなく横手の空中に開いた縦穴からまろび出たのは納得がいかないが、とりあえずは元の場所に戻った。
参った。
仲間が居るであろうことは予測できていたが。
見渡せば、魔王の間に整列している黒子たちの数は300人は下らないだろう。
それも大はオーガ、サイクロプス級、小はネズミ級から不定形っぽいヤツに空飛んでるやつ丸いの細いの…バラエティに富んだetcetc。
魔王級黒子300人と事を構えぬ判断したさっきのわたしグッジョブ!。
心の中でサムズアップ。
「ジャアぁ――ック!」
勇者の傍らにまします2号(多分この集団の長)が300黒子達の一段前に直立した1号(多分同副長)に向かって声を張り上げた。
「……マックじゃねぇのかよ」小声で何やらぶつくさ呟いている1号。
「“繝舌げ”と“繝吶い繝シ繝“が居ねぇじゃねぇかてめぇどういう……」
300人のなかの足りない2人が判るのか???
――間。
1号も声を張り上げた。
「総員! 撤収準備完了です!」
「てっ……「総員! 撤収準備完了です!」」
2号のセリフにかぶせて繰り返す1号。
ぎりっ。
2号の歯噛みの音。
「……了解、したっ……全員に告ぐ、任務中あった事象の全責任は私にあるということを覚えて置け! 総員撤収! 始めっ!」
2号の掛け声とともに300人の黒子達はあるものは揺らぎ、またあるものは回転し乍ら小さく縮み、空中に開いた扉を潜り、思い思いの方法で薄くなり始めたこの世界から退場していった。
「すみません、十分な時間が取れなくて」
2号…改め、黒子隊長がじっと勇者を見つめている。
こういうときは。
深呼吸。
勇者の勘は、行け!と言っている。
あのとき。
転移初日に騙され、奴隷商に売り飛ばされそうになったとき。
指し伸ばしてくれた最初の仲間の手を掴むか掴むまいか……。
あのとき勘を信じてよかったのか、あの手を掴んだのは間違いじゃなかったのか。
うなづき、手を差し出す。
「お願いします……もう少し時間がほしいので」
勇者の手は握り返された。
「了承しました。転移プロセスは訓練を受けていないあなたには耐えられないかもしれません。暫く睡眠状態に……」
手を握られたところから次第に意識が遠のいていく。
なんだか眠くなっちゃった…勇者固有スキルのデバフレジストが効いていない…なんて…光りの奔流の中で…意識が…消える…。
「――――」誰かがささやいた気がした。
◇◇◇
次元の間で時間凍結されている王女救出に関しては魔王討伐プロセスに直接影響無いとされていたし、寧ろ救出後の守護に戦力分断の懸念があるため魔王攻略後でも十分間に合い、安全性も担保できると……。
知らない天井に意識の焦点があう。魘されていたのか呼吸が荒い、苦しい、大きく深呼吸。
じっとりと嫌な汗が薄く全身を覆っている。
天井からの反射で薄くやさしくあたりを照らす明りは極力心理負担を減らそうとの配慮なのだろう。
起き上がろうと試みて、腰が痛い、手探りでアンダースーツのベルトを緩める。
視線を脇に向ければベッド横のガラステーブルの上には聖剣と兜が置かれ、床の一角には分離した勇者の鎧一式が薄暗い部屋の片隅に丁寧に並べられている。
武装解除もされていない。
信用されているのか、取るに足らない……危険だと思われていないのだろうなぁ一応あの世界で最高の武具なんだけどなぁ。
《ニ・オー》は相変わらず停止中なのか反応はない。
おそらくは隣室から細々と漏れる、会話が耳に入ってくる。
片方は黒子隊長? もう片方は。
「……ええ、私も……でしたので」
「そうか、本人が状況を確認した後に詰られるのはキツイからな、その時は一時対応を中止してくれ、上層部と一緒に対応策を検討しよう」
「ええ、でも、本人はまだ行く時ではないと考えていたようですので」
「今回も人員が欠けてしまったからな、こちらとしては協力者が増えてくれるならばありがたいことではあるのだがな」
黒子隊長の上司らしき声は、淡々と話した後にため息を交えた。
「後の手続きはこちらで進めておく、少しでも見知りである君一人での対応の方が本人も受け入れやすかろう、済まんが当初の基本事項説明は頼みたい、終わったら今日はゆっくり休め、頼んだぞ」
「はい、了解です。就労局へは連絡済みで……」
二つあった気配のうち一つが消え、残った一つが近づき、可聴域すれすれの前動作音の後に無音で扉が開いた。突然の来訪に室内の人員が驚か無い様、先触れをしているのだろう。
「気が付いたかい? 今後の話がしたいんだけれど。入ってもいい?」
隣室の明るさから逆光ではあるものの黒子頭巾の隊長のシルエットが見えた。
「その姿が標準何ですか?」
問いには答えず、勇者、いや元勇者か、魔王城での姿のままである黒子隊長に自らの疑問を投げかけた。
「標準?」
隊長は小首をかしげた。
「……ああ、まだ認識が阻害されているのか」
部屋に入ってすぐの壁際に設置されたなんらかの機器を操作していた隊長は紙コップ? に入った紅茶とガムシロップを運んできた。
この部屋では魔法は使えないらしい。
「この世界は直接操作する権限はないんだ」
思っていることが顔に出ているのか。そういえばあちらにいた時も意識を読まれていた気がする。
「まだ、前の世界の属性が意識の中に残っているんだと思う。
隊員にはあちらで現地人に姿を見られても問題にならないように存在を曖昧にして認識させない属性付与、所謂魔法がかけられているんだ。
こちらに馴染めば次第に普通に見えるようになるよ」
黒頭巾の向こうで微笑んでいる気配が感じられる。
ガムは遠慮させてもらい、ストレートティーに口を付ける。
熱いが、おいしい。
思った以上に喉が渇いていた。吹き冷ましつつ、啜る。
飲みっぷりに気が付いたのか枕元に置かれたパックを隊長は薦めてくれた。
ピクトグラムなパッケージはワンタッチで開き、そのまま口を付けようかともと思ったが思い留まり空いた紙コップに注いでからそちらを煽った。ミネラルウオーターらしき。
改めてベッドの横のスツールに腰掛けた隊長へ向き直る。
「まずは、助けてくれてありがとうございました…今後の話というのは?」
元勇者の問いに黒子隊長はゆっくりと話し始めた。
「君が勇者として存在した世界は致命的な障害の発生により破たんした、修復より再構築の方が高効率と判断されため初期化…消滅した」
一言一言区切る様に隊長は続ける。
「君はその世界の理の外側に存在したため消滅した世界からこちら側、世界を管理する世界へ連れ出すことが出来た、ここまではいいね?」
念押しに元勇者が頷いた。
「現在、君は世界難民として世界管理プログラムによって保護されている」
「君が落ち着いたら、専門の担当者が声をかける……すまないが現段階も含めて君は監視下に置かれている、今後の君の希望の聴取も含めて全ての手続きが終われば解放されるのでそれまでは我慢してほしい」
少しかすれた、それでもしっかりとした声で語る黒子隊長に元勇者は言葉を帰した。
「質問、よろしいですか?」
「もちろん、私が話せる内容であれば」
「その……わたしが勇者だった世界には、もう戻ることは出来ないのですよね?」
隊長はうなずいた。
「……ではわたしが元居た、三年前に転移する前の世界へ戻ることはできるのですか?」
軽く目を閉じこめかみに指を当てて暫くの沈黙の後、隊長は重たげに口を開いた。
「ん…正確な言い方をすれば、君が元居た世界が消去されていなければ戻ることはできる。
が、その世界を見つけることはほぼ不可能。ということになるね」
軽くため息をつくと隊長は続けた
「今我々の管理対象世界の数は約10億あるといわれている、しかも一日単位でそのうちの数万~数十万の世界が滅び新たに誕生している。
もちろん私の部署が直接管理しているのはそのうちのごく一部だし、滅びる世界のすべてに知的存在が居る訳でもないんだが、10億の中から君が元居た世界を特定するという作業がどれだけ困難か理解してもらえるだろうか?」
10億……元勇者は体から力が失われていくのを感じた。
「そして……君と同じ境遇の者が、私の部署管内だけでも一万人以上ここで暮らしている。
私もそのうちの一人だ、君一人だけを特別扱いする訳にはいかないということも理解いただけると思う」
頭を殴られた、気がした。
「当局は故郷世界を探す者の邪魔はしないが積極的な協力も期待できない。
この世界の本来の役割は三千大千世界の管理だからね、特定個人のための故郷捜索に割けるリソースは限定的だ、切りがないからね、探すなら自分の力しかあてにはできない」
壁に埋め込まれたコンソール端末に目をやりながら。
「各自割り当てられる部屋の管理端末から検索して、もし故郷世界を見つけることが出来たら当局はきちんと送り届けてくれる。
ただ……私の知る限り、明確に“故郷世界”を見つけて帰ったという人は“ゼロ”だ、少なくとも私の知る範囲ではね」
「故郷に似ている世界を見つけても時代がずれていれば本当にそこが“故郷世界”なのか判らない。知り合いもいない時代に帰ったとしてそれに何か意味はあるのか……」
どこか遠くを見ながら、隊長は言う。
「それでも探すという人も多い“捜索者”という生き方だね、君の今後の選択肢の一つだ」
「あまりお勧めはしないが“何もしない”というのもアリだ、この世界では無理に働く必要が無い、食事も対価なしで好きなとき好きなものが食べられるよ? まぁ君ならすぐ気づくと思うが、この世界では本来食事をする必要が無い」
「商業区へ行けば食堂も商店もあるし配送もしてくれる、公園にホームレスも居るが、みんな“趣味”でやっているだけで正直意味はない、結婚して夫婦生活を営む者もいるが、残念ながら子供は生まれない、年少な難民を迎えて家族を造り暮らしている人たちもいる」
「死ぬこともないし、年も取らない、同じ年齢で何年も家族生活を繰り返し、映像コンテンツとして他の世界に供給することを楽しんでいる人たちもいるね。
ゲームや映像・音楽コンテンツを他の世界からダウンロードして日がな一日プレイし続けるのもいいかもしれない、ネットワークゲームでは“廃人”とか呼ばれている様だけど。
特定世界の“SNS”に入り込んで間接的にコミュニケーションを取っている人たちもいる。
ただし、ネットワークコミュニケーションを取れるほどにまで発展した世界に対して、改変するほどの影響を与えるような干渉をすると、その世界の担当管理者から“BAN”されるので要注意だね」
「あの…」
元勇者はそっと手を挙げた。
「それって、わたしのいた世界では“極楽”とか“天国”って呼ぶ様な気がします」
頭巾前垂れの向うに黒目勝ちの瞳が笑った様な気がした。
「同意者同士での殺し合いを好む集団の住む区画もあるし、無制限な肉体関係におぼれる集団、ハーレム的集団を作る者もいる。
基本的に他人が嫌がる事を好む者は同好の士だけのエリアへ集められていて他へは不干渉というのが鉄則だ」
「“修羅”も“地獄”もあったか」元勇者が笑った。
「で、大概のことをやりつくすと…最終的に管理局の職員になるケースが多い…まぁ私がやっている仕事だな」
すこし、照れくさそうに黒子隊長は言った。
「大概の事はやりつくしたんですね」
口元を抑え笑う。
「今説明できることはこんなところかな、とにかく暫くはのんびり……」
元勇者の笑う両の口の端が釣り上がった。目は笑いながら、それでも真正面から黒子隊長を見据えている。
「――――嘘。ついてますよね?」
黒子隊長の笑みが凍った。
「嘘、というか、何か大事なことを話していない、そんな空気を感じました……」
黒頭巾の口元が尖っているかのようだった。
「カァーーっツ! こわいなぁ……ぜひウチのチームに来てもらいたいなぁ……」
黒子300人の隊長は腕を組み、天井を見上げ喉の奥でクツクツと笑った。
「そうだね、ひとつ伝えていないことがある」
黒子隊長の黒い瞳だけが元勇者を見据えた。
「さっき、元の世界“故郷世界”に帰る方法は無いと言ったね?」
元勇者を目線が射る。
「すまん、あれは嘘…でもないんだが、まことしやかに言い伝わる“帰還の方法”の噂がある」
“ゴクリ”
喉元がなった。
「それは、“世界が消滅するとき、その世界の中に居る“という方法だ」
――――300人の中の2人。元勇者の脳裏をよぎる、黒子達の。
「ただし、本当に”帰還“できたかどうか確認された事例は一件もない、確認する術もない、世界と共に消えた者がどこかで再度観測されたという報告も私の知る限り、無い」
「ただ、存在が消えるだけなのかもしれない、新たな輪廻の輪の中に生まれ変わるのかもしれない。
それは、だれにもわからない、少なくとも私が接触できる範囲では明確な回答を持っている者は居なかった」
「だから……すまない、もしかしたら私は君の帰還の邪魔をしたのかもしれんのだ、もしそうなのだとしたら、恨んでくれても……」
「恨んでなんかいません!」
「もしかしたらあの世界と一緒に消滅していたのかもしれないんでしょう?だったら、確実な時間をくれたあなたに、わたしは感謝します」
「わたし、あなたがくれた時間を使って物語を綴ります。
あの…わたしが3年間を暮らした世界もその前にいた世界にも、みんなが居たんです。
仲間も、そうでない人たちもいたけど、あの世界でみんな生きて居たんです、直接顔を合わせていなくても、助けてくれた人たちが何千も何万も居たんです、それを…誰かの、都合で、失敗で、世界が消されたからって、無かったことにしていいはずがありません」
――――救えなかった人たちも。
一人の少女の笑顔が脳裏をよぎった。
終りの方は、声が微かに奮えていた。
「でも、今の私の力ではそれを覆せないというのなら、せめて彼らの生きていた証を物語に残したいと思っています」
◇◇◇
引き継ぎを済ませ、私服に着替えると勤務先を後にした。
振動が耳骨を揺らす。
斜め上に視線をずらすとモーションに反応したセンサーが角膜ディスプレイにメッセージを浮かばせた。
同僚の呼び出しだ。
足を伸ばし馴染の居酒屋の縄暖簾をくぐる。
店の奥に陣取った大小の角を生やしたマッチョゴリラと目が合い、その隣に座ったタツノオトシゴが上側の両腕を振りながら下側の右手でビールジョッキを傾けている。
片手を軽く挙げながら、空いている席へ尻を滑り込ませた。
座ると同時に”キンッキン”に凍ったジョッキin悪魔的生が提供される。
「アレック、人の到着時間を読むんじゃねぇ、ドンピシャじゃねぇか。」
タツノオトシゴに向けてニヤリと笑う。
「一度も正しい名前を呼ばれていない件について」
タツノオトシゴはフンスと鼻息を吐いた。
誰とはなしに杯を掲げ、無言で煽る。
――――“帰還者”たちに幸運を。
瞬く間に生を吸い込んでいく黒い嘴。
「カあーァっ!」沁みる、思わず声が出た。
空のジョッキをテーブルに置けば我が副官殿の指先は空中に浮かんだメニューを叩く。間髪を入れずアルコールアンコールだ。
完璧じゃないか、トレック(仮)。
「疲れているわねクロウ、彼女、大丈夫だった?」
隣に座る漆黒の長顔の美女が話しかけてくる。
二号徳利から蕎麦猪口へ手酌で熱酒を注ぎながら。
「ああ、まずは“標す者“として、失われた世界の記憶を残す道を選ぶ様だ」
美女は口を“O”の形にして呟いた。
「なら、彼女、いつか“世界を紡ぐもの”に届くのかしら?」
「ああ、多分、素養はあると思う」
少なくとも、あの世界を消さねばならぬ因を成した彼よりは……。
紫の肌に三つの瞳を持つ、複数の異世界を跨いだ勇者“ヤポーネ族のサイレン”の希望に震える微笑みを思い出しながら。
中隊長クロウ・ホーガンは、濡羽色の翼を繕い。
黒顔の美女、ピーシャ10042SSは大皿のから揚げにレモンを絞った。
異世界転移/空想科学(SF)
2021/3/3 日間55位ありがとうございます!
2021/3/4 日間49位ありがとうございます!