第72話 無駄骨
「助けて…殺される !」
オミガは這うようにリングから降りて、周りを囲っている鉄の柵へしがみ付くと、跪き半狂乱になって助けを求める。しかし、緩やかな足取りで接近したリリスによって間もなく後頭部に蹴りを入れられてしまった。彼女のブーツがめり込み、そのまま鉄の柵へと顔面を強打したオミガは低い声で呻きながら床へ倒れる。
「どしたよ ? さっきまでの威勢は、ん ?」
彼女の髪を乱暴につかんで顔を引き揚げさせると、半笑いな様子でリリスが語りかける。オミガは朦朧としているのか、口が僅かに動いて小さく呟いているばかりであった。ハッと嘲ってからリリスは勢いよく彼女を放し、床に突っ伏した彼女を確認してリングへと戻る。血で染まったリングの上には、折れた足や腕を庇う者やピクリと動く事すらできなくなった者達で溢れかえっている。
「ば…化け物だ…ヒィッ !」
控室でリリスと話をしてくれた選手は、リングの隅でへたり込んだまま呟く。そのまま彼女の首を掴み、無理矢理引き起こした。
「バカだよね。大人しくタイマンしてくれたら見せ場も作ったのにさ」
リリスは少し残念そうに言った。
「こ、殺さないで…」
「大丈夫、アンタは親切にしてくれたから。悪いようにはしないって、ほらリラックス」
怯える彼女にリリスは肩を叩きながらへつらう。そして気が抜けた隙を狙い、目にも止まらない速さでパンチを打つ。拳は顎を捉え、選手の脳を揺らすと一瞬にして彼女をリングに沈めた。
「…よっしゃあ、私の勝ち」
両手を上げ、呑気にガッツポーズをするリリスの言葉を合図にゴングがなって試合が終了する。速攻で片が付いた先程の試合と違って、流石に今度は楽しめたらしく歓声も上がった。そしてリリスが得意気な顔をしつつ、リングから降りて花道を戻ろうとした時だった。
観客席の奥でライフルを準備していた警備員が彼女へ照準を向け、頭部に狙いを定めると躊躇う事なく引き金を引いた。発砲音と共に弾丸が飛来し、顔に命中すると同時にリリスは大きくのけぞってしまう。音と異変に気付いた人々はたちまちパニックとなり、出口へ向かって逃げ出してしまった。スタッフも含めた警備員達は観客を誘導する事すらせず、隠し持っていた武器を取り出す。そして弾丸を食らったまま立ち尽くし、天井を見上げているリリスを包囲しようと動いた。
「…嘘だろ」
一人が呟き、手の震えを感じながら慄いた。リリスがゆっくりと顔を前に向け直す。そんな彼女の口には、確かに発射したはずの弾丸が受け止められていた。掌へと吐き捨て、リリスは物珍しそうに眺めた後にそれを上へ放り投げる。そしてデコピンでもするかのように中指を折り曲げて力を込めると、目の前に落ちてくる弾丸を弾き飛ばした。放たれた弾丸は最後列の席を貫通し、そのまま壁へとめり込む。威力に関しては銃火器のそれを遥かに上回っていた。
「ちょっと数が足りないんじゃない ?」
敵に囲まれている中、屈伸をしてから肩を回しつつリリスは脅しをかけるように言い放った。
――――壁越しにリングで起きている騒動を耳にしていたジョージは不安を感じながらバックヤードを歩いていた。警備員達が身に着けていたサングラスをかけ、帽子も深く被っている。マジマジと見られない限りはバレやしない。いざという時は拳銃もあると自分に言い聞かせて廊下を急ぎ足で進んでいた時、突き当りの方から別の警備員が走って来た。だが、間もなく彼の背後からオレンジ色に輝く業火が広がり、あっという間に消し炭へと変える。
「マジかよ…」
自分の方にまで迸った熱気から顔を隠したジョージだったが、ゆっくり腕を下げると残り火を踏みつけながらイフリートが姿を現す。そしてこちらを睨んで歩幅を広くしながら歩き出した。
「待て待て待て待て ! 俺だ !」
慌ててサングラスと帽子を外してジョージが叫んだ。
「ジョージか…何だその服」
「こうした方がバレないかと思って。誰かさんのせいで全部台無しだけどな」
イフリートが不思議そうに見つめて来たため、嫌味ったらしくジョージは変装した理由を明かす。
「何でこんな目立つ事を…」
「控室で中継を見てたら急に襲われてな。金が貰えるとかどうとか言ってた」
「俺もさっき口を割れって脅された。バレてたんだ俺達の事」
イフリートは試合から戻った後に何があったかを簡潔に話した。自分も似たような経緯があったと伝えた上で、ジョージは相手側には全部お見通しだったと険しい表情をする。
「さっき地図を見つけた。ここから先に運営をしているオーナーの執務室があるらしい…一回来た道を戻って、そこから反対方向の通路へ行こう」
ジョージが説明をして歩き出すと、イフリートも後に続いた。火によって焼け焦げた廊下を曲がり、黒焦げになった死体や壁にめり込んでいる死体を見ている内に、焦げ臭さと血の臭いが鼻に入り込む。
「まさかとは思うんだが…」
ジョージはイフリートがここまでどうやって来たのかを想像し、思わず話しかける。
「安心しろ、出会った奴らは全員始末した。誰も追いかけては来ない」
「…羨ましい生き方だこと」
なぜか若干誇らしげに語るイフリートの残忍さにジョージは呆れかえる。これだけ単純な思考で生きられれば毎日もさぞ楽だろうと心の中で悪態をついている内に、一際落ち着いた色合いの高そうな扉が目に入る。静かに歩くよう手で合図を送り、ジョージは慎重に忍び寄った。
「銃を構えておく。扉を蹴破ってくれ」
ヒソヒソ声でジョージが囁き、面倒くさそうにイフリートは扉の正面に立つ。そして足で扉に蹴りを入れた。蝶番ごと破壊された扉は床を転がり、執務室が丸見えになる。仕事に使う書類や雑多の資料を飾る本棚、そして応接用のソファとテーブルが置かれていた。奥の机では卑しそうな老人が慌てるようにして立ち上がる。この闘技場のオーナーである。
「背中を向けて壁に手を付けろ ! 早く !」
ジョージは一発だけ違う方向へ発砲すると、再び銃口を向けて威圧するように怒鳴った。オーナーは言われるがままに壁へ手を付き、「話し合わないか」などと言っていたがジョージから指示をされたイフリートによって机の前に連れてこられる。型式の古い無骨な形状のコンピュータとモニターが置かれている。アンティーク調な雰囲気を持つ執務室には似合わない代物だった。
「IDとパスワードを入れろ。妙なマネしたら頭を吹っ飛ばすからな」
頭部に銃を突き付けられた老人は、ジョージの言う通りに震える手でキーボードを叩く。やがてアクセスが承認されたと通知が入るや否や、ジョージは彼をイフリートに引き渡して抑えておいてくれと頼んだ。抵抗したら首と胴体を泣き別れさせてやると脅すイフリートを尻目に、ジョージは雑に配置された画面中のファイルへ目を付ける。
「何だこれ… ?」
意気揚々と調査を開始するジョージだったが、探っていく内に見つけた情報を前にして困惑を隠さなかった。




