第40話 ワガママ
「…ちっ、ホント嫌になる」
突然発生した戦闘から数日が経過した。次々と重なる事態への対応を迫られていたルキナは、舌打ちをしながら栄養剤のタブレットやカプセルを過剰に手の平へ転がす。そしてそれを水で流し込んでから簡素な造りを出て行った。イフリートとの戦闘が勃発した直後、彼女を始めとした上層部はいち早く屋上の発着場から避難を完了していた。
彼女達がいるのは緊急時に使用される予備棟であり、本社に戻るまでの間はここで業務を行う事となっている。一応、最低限に必要な環境は整っているが死傷したスタッフの補充や近隣への被害、その他山積みになった問題への対処に日夜追われる羽目になっていた。
「よう、調子は?」
「今から他人のケツ追いかけるしか能が無いクソどもを相手にしなきゃならないってのに、良くそんな事が言えるわね」
「落ち着けよ。カルシウム剤の分量足りてるか ? 」
付き添いのために訪れていたアーサーが通路で挨拶をするが、彼女は苛立ちを隠さずに対応する。面倒くさい奴だと思いつつアーサーはあしらい、彼女が待たせている記者団の元へと案内した。シェルター内外問わず多様な情報を発信する複数のメディアがノースナイツには存在するが、揃いも揃って今回の騒動に対する釈明を求めてきたのである。
「ベクター…もうあいつはいい。絶対に潰す」
「はいはい、それが出来るならとっくにやってるよ」
いきり立つルキナに対してアーサーは冷静だった。平気そうに装ってはいるが、服の下は包帯やガーゼなどで処置を済ませており、本来ならば安静にしておくことを推奨される程度の怪我も負っている。彼女に余計な心配を掛けたくないと自ら仕事に赴いたが、自身もまた体の具合を不安視していた。
そんな彼の状態を知る由も無いルキナは、会見が行われるまでの間中ひたすら愚痴を零し続ける。そんな上司の相手をする一方で、アーサーはベクターの安否と所在について気にし続けた。
――――ベッドで目が覚めたムラセは、汗で濡れたシャツが酷く体に纏わりついているのを気持ち悪がった。それを脱ぎ捨て、貧相な自分の上半身を鏡に映しながら顔を洗う。あの二人に振り回されながら仕事やトレーニングをこなしているせいか、以前に比べて身体が引き締まっている様な気がした。
ふと顔を拭き終わって鏡を見ると、人間としての証である茶色い瞳を持つ眼球と視線が合う。写真で見た母に似ていると微笑みかけた頃には、片側に付けられている異形の眼球によって興醒めしてしまった。母が死んだ日の事が夢の中で鮮明に映し出される度に、こんな最悪な形で朝を迎える羽目になる。
両腕に目をやると、以前には無かった血管の様に枝分かれしている赤黒い烙印が全体を覆っている。タトゥーにも見えそうだが、自分の体に起こっている異変を知っている以上は笑い話にもならない。生まれつきであるという母の証言から、彼女はいつも父親が何者なのかを尋ね続けたが、彼女の母親はいつも困った顔をして誤魔化していた。やはり父親が関係しているのだろうかと、彼女の中に残っている疑問はさらに大きくなる。
「…ふぅ」
少し深呼吸をして拳を握り、あの時の様に強く念じてみるが何も起こらない。色んな意味でもう少し調べる必要があると溜息をついて洗面台から離れた直後、履いていたブーツの近くで小さな影が動いた。黒い塊のようなそれは、一瞬だけ部屋の灯りによって光沢をもつ自身の羽を輝かせる。そう、ゴキブリであった。
「…うおわっ‼」
こんな世紀末のような世界でもしぶとく生きているその虫を、彼女は咄嗟に踏みつけようとする。ビビッて逃げるという選択肢が浮かばない辺り、ベクターとの杜撰な生活が確実に影響を及ぼしていたが、異変はその時に起こった。踏み潰す直前であの時と同じような稲妻が足に走り、閃光が迸った。
「え」
驚いた瞬間、部屋の床が破壊されて一階に破片や洗面台ごと落ちる羽目になる。床が抜けてしまった事に呆然としながら体を起こすと、椅子に座ってエロ本を読んでいたベクター、朝食を運んでいたタルマン、そして奥で鎖によって拘束されているイフリートがいた。ベクターは何が起こったのかイマイチ分かっていないのか、ひとまずカップに入った飲み残しの温いコーヒーを啜る。分量をケチったせいか酷く薄味だった。
「朝から賑やかだな」
驚いたタルマンが抜けた床を見上げながら呟き、起き上がろうとする彼女へ手を貸す。
「この間のアレ、足でも使えたみたいで…」
「ほお。まあ事情は後で聞くからひとまず食おうぜ」
尻を擦って皆に事情を説明するムラセだったが、ベクターはまあいいやと食卓へ誘った。そのままエロ本を床に放り投げ、茹でられた不気味な色合いの野菜にフォークを刺して貪る。
「…いや、まず片付けしろよ」
部屋の傍らで遠慮がちに立っていたジョージが思わず突っ込んだ。
「あ、まだいたんですね」
「仕方ないだろ。行く当てがないんだ」
ムラセが気づいたように話しかけると、彼も事情があるのか首を横に振りながら答えてソファへ座り込む。
「まあ別にいいけど、食うか ? …言っとがデカブツ。お前のは無いからな」
そう言ってからベクターは自分が嫌いな野菜だけ残した皿をジョージに向ける。ついでにイフリートへ彼の分の食事は無い事を報せた。
「…フン」
イフリートも施しを受けるつもりは無いのか、そっぽを向きながら鼻で笑っている。
「そんな意地にならなくても良いじゃないですか。たくさん買い込んでますから」
「やだね。こいつには水の一杯でもやりたくない」
「じゃあ、勝手にしますよ ? …これ良かったらどうぞ」
散々な目に遭わされたことを根に持っているのか、ムラセからの注意にもベクターはへそを曲げていた。仕方ないとムラセは席を立って、近くに置いていたパンを一切れだけ持って行く。
「ひとまず口に合うかだけ試しましょう。どんな食べ物を買えば良いか選べるようにしたいですし」
「じゃあ肉を寄越せ」
ムラセが差し出しながら伝えるが、イフリートは図々しく食材を指定し始めた。背後からは「殴って良いぞ」と声が聞こえるが、ムラセは言う通りにせず面倒そうな顔をして戻って行く。そのまま雑談に花を咲かせる三人だったが、異様な光景を前にジョージはひたすら困惑していた。




