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第17話 気に入った

「馬鹿な…!?」


 想像の斜め上を行く防ぎ方を前にして、アーサーは思わす声を上げる。


「花火は空に向けて打つ物だろうが」


 ベクターはそうして話しかけながら近づいていく。一度だけ無線で誰かと連絡を取っている様子だったが、そこについては最早どうでも良かった。こちらへ向かって来る彼に対し、逃げる事は出来ないとアーサーは覚悟を決める。同様に歩き出し、ある程度の距離を置いて相まみえた。


「確か前にも会ったよな。名前は ?」

「フン、お前に名乗る義理はない」


 姿を現したアーサーに対してベクターは尋ねてみるが、当然の如く冷淡にあしらわれた。何か恨まれるような事をしたのだろうかと、ベクターは心の内で自問自答する。


 一方でアーサーも心臓の鼓動がいつもより大きく、速くなっているのを体感していた。上級のデーモンであるラ・ヨローナを単独で倒すなど聞いたことが無く、それを難なくやってのけたらしいベクターへ一抹の恐怖さえ抱いていた。


「…聞いた話によれば半魔を匿っているそうだな」


 ベクターの物だと思われる装甲車に目を向け、ムラセについて話を切り出したアーサーだったが、直後に場の雰囲気が変わったのを感じた。歩みを止めたベクターは、首を鳴らして戦う意思がある事をアピールしてくる。間違いなく自分の事を快くは思っていないとアーサーは身構えそうになったが、出来る事ならば交渉で済ませたいと考え、凛とした態度を崩さずに話を続行する。


「匿ってたらどうするんだ」

「半魔の身柄を引き渡せ。報酬は弾んでやろう」


 警戒心を抱いて不敵な態度を貫くベクターだったが、報酬は弾むという言葉に反応したのか暫く黙りこくった。


「内容次第だな。何をくれる ? 」


 決して掌を返そうとしているわけではない。報酬の内容からムラセを狙っている存在の強大さを確かめたかったのである。高値であればあるほど、強力なパトロンが目の前の敵に付いていると推測が出来る。


「言い値だ。好きな金額、欲しいブツを言ってくれれば取り揃えてやる」

「ほう…」


 想像以上に都合の良い条件を提示され、そう来たかとベクターは思った。明日の食事に困る人間がいる事など珍しくも無い時代において、これほどの条件を出せるとなれば一気に限られてくる。犯罪組織、企業…少なくとも個人で出来る範疇には無い。


「随分と羽振りが良いんだな…何者だお前ら ? 」

「仕事柄、信頼できる相手にしか話せない事項だ…つまり話に乗るという事で良いんだな ? 」

「あーごめんごめん、今の質問は無しで」


 こちらの質問に答えてくれない点から、身元を明かすのは彼らにとって都合が悪いという事が分かり、ベクターは増々怪しんだ。


「じゃあ目的を教えてくれ。半魔が希少とはいえ、それだけの財力があればまた探せるだろ ? なぜあの子に執着する ?」

「悪いが答える筋合いは無い。望むだけ報酬を払ってやるんだ…何を不満に思っている ? 」


 どうにか他の情報を聞き出してみようと、ベクターは質問を変える。しかしアーサーは頑なに答えようとはしなかった。これから組んでくれるかもしれない相手にサービスくらいしてやろうとは思わないのか。そういったアーサーが絶対に改めてくれないであろう部分を不満に感じたベクターは、一つ賭けに出てみる事にした。


「タルマン、ムラセを連れて来てくれ」

「お、おい…本気か ? 確かに嬢ちゃんは――」

「さっさとしろ」

「分かったよ…怖えぜ何か」


 その無線による会話から少しすると、ベクターに気圧されたらしいタルマンがムラセと共に装甲車から現れ、不安げな様子でこちらへ近づいて来る。要求を呑んでくれるにしては呆気ない上に、彼らの表情もやけに暗い。アーサーは嫌な予感がすると直感で察し始めていた。


 やがて自分の背後までやって来たムラセにベクターは近寄る。直後、彼女を無理やり跪かせ、左横に立ってからオベリスクを首筋に向けた。ほんの少しでも動かせば確実に皮膚を切り裂かれるだろうというギリギリの間隔である。


「質問に答えないんならコイツを殺す。命令しているのは誰か、目的は何かを言え。すぐにだ」


 突然脅迫を始めたベクターに、アーサーはただ困惑するばかりであった。


「お目当ての女を連れ帰ると信じていたのに、匿っている相手の機嫌を損ねて見殺しにしましたなんて報告されたら…どう思うだろうな。お前の上司は」

「落ち着け。俺達は別に――」


 ベクターの脅し文句を前にして、アーサーは必死に宥めようとしていた。しかし言い終えるよりも前に、彼はオベリスクの刃を更にムラセの首へ食い込ませる。流石にエンジンは起動していなかったが切れ味自体は凄まじく、小さい悲鳴や呻きと共に彼女の首筋から赤黒い液体が流れ始めていた。


「人の話を聞いてなかったのか ? 答えろって言ってんだよ」


 ベクターがこの様に脅している間、ムラセは首筋に伝わる痛みと、血が皮膚の上を流れる事による痒みに耐えていた。「少し痛い事をするが、良いか ?」という彼の無線での会話に安請け合いをしてしまった事を、今になって彼女は後悔する。思わず一度だけ彼を見たが、当のベクターは目配せすらしてくれない。遂には更に首へ刃を食いこませてきた。


「タルマン、動かれると面倒だ。少し体を抑えとけ」


 そんな声が聞こえたかと思うと、タルマンが腕や体を抑えてくる。「すまねえ…すまねえ…」と必死に呟いていた。まさかとは思っていたが、もし相手が要求を飲んでくれなかったら本当に殺すつもりなのかとムラセの内側で不安が膨れ上がってくる。


 そう、冷静に考えればベクターが自分を庇うメリットは無いに等しいのである。彼の腕っぷしからして、デーモンを狩っていれば金銭面は困らない。あの風俗店を始めとした支援も豊富な筈であり、自分という食い扶持が増える事に対して良く思っていないと考える事も出来る。或いは自分を差し出して気に入られようとしているのかもしれない。


 反論が出来る考えではあったが、苦痛に苛まれている彼女は冷静に考える事など出来なかった。「このままじゃ自分は殺される」という疑念がいつの間にか確定事項に変わり、とうとう股の辺りが生暖かい何かで濡れて来るのを感じる。生まれて初めて体験する失禁であった。


「きったねえな…」


 心配する様子すら見せない。ベクターのそういった呟きが尚の事ムラセを追い詰めた。アーサーもまた、脅迫を真に受けるべきかどうかに対して葛藤を続けていた。先程の無線による会話からして、彼らと手筈を整えていたという可能性は十分にある。怪我も覚悟のうえで演技をしていると疑う事は出来た。


 そんな折に思い出すのは、かつて戦場で生き延びた自身の友人による大剣を背負うハンターについての記録であった。経緯は不明だが、命乞いをしていた仲間達が全て彼によって殺害されたという彼の証言は、その迫真さと恐怖に引きつった姿によって鮮明に覚えている。


「人間の屑などといった生易しいモノではない。あいつは人の皮を被った何かだ」


 友人が言い残した言葉であった。その言葉が脳裏をよぎった瞬間、アーサーはベクターが持つ死神という異名の理由や、彼がハッタリ程度のために「殺す」という言葉を使う人物ではないという事を再び思い出してしまう。


「待て ! …出来る限りで良ければ答えよう…」


 アーサーは本当に標的が殺されてしまうと案じ、とうとう根負けしてしまう。彼の返答を聞いたベクターは、意外そうに見た後でオベリスクをムラセから離して肩に担いだ。


「じゃあ言え。お前を雇っているのはどこの誰だ ?」

「…シアルド・インダストリーズ。聞いた事はあるだろう」

「確か、最近になって色んな事業に手を出してる所だな。広告を見た事あるぜ」


 ベクターが尋ねると、素直にアーサーは白状を始める。ギルドを創設した点についてベクターが知っていた事もおかげで、すぐにどのような組織なのかは把握できていた。


「じゃあ次だ。この女を狙う理由は ? 」

「…詳しくは分からないが、奴隷にするだけでは勿体ない程の価値がある。何に使う気かは知らんがな」


 奴隷以上の価値。ベクターはそこが引っかかってしまう。重要な事項であるというなら教えて然るべきだが、部下にすらそれをしてないという点から相当な機密か、知られたくない暗部であるという事が推察できた。その秘密を守りたいとしているのがシアルド・インダストリーズの上層部であるというなら、これは寧ろ好都合である。


 連中がムラセを狙っている間は、彼らに対して首輪を付けさせる事が出来るかもしれないとベクターは期待に胸を躍らせた。彼女を人質にしてこちらに有利な取引を行うか、または仕事にあたって協力をして貰える様にかもしれないと勝手に考えた。そのためには、こちら側の意見をシアルド・インダストリーズに伝えてくれる存在が必要になる。そして幸いな事に、それは目の前ににいた。


「奴隷以上の価値か…興味深い」


 タルマン達から離れたベクターはガスマスクを外し、脅しに使っていたオベリスクを背負う。そして素顔を露にしながら笑顔で言い放ち、アーサーへ握手を求めた。


「俺の名前はベクター。どうした、握手しないのか ? 互いの信頼を築くための基本だろう ? その話、気に入ったよ」


 突然豹変した彼の態度に警戒心を抱いていたアーサーだったが、恐る恐る手を出すとベクターはガッチリとそれを掴む。そして優しく彼を抱き寄せた。


「これから、よろしく頼むぜ」


 その言葉で僅かに警戒心が揺らいだ瞬間だった。ベクターは抱きしめるために彼の背中へ回していた左腕に凄まじい力を込め、装甲ごとアーサーの首を掴む。そしてそのまま遠くへと投げ飛ばした。アーサーは抵抗する間もなく壁に叩きつけられ、彼がこちらへ攻撃をしてこない間にタルマン達に避難を指示する。タルマンはすぐに応じて、泣きべそをかいているムラセを半ば強引に連れて行った。


「…何のつもりだ!?」


 態勢を整え、めり込んでいた壁から再び戻ってきたアーサーは叫んだ。首部分に当たる装甲には、深くめり込んだ手形が付いている。


「俺がいつ取引してやるなんて言った ?」


 嘲笑う様にそう言ったベクターは、背負っていたオベリスクを再び握りしめていた。得物を肩に担ぎながら歩き、ガスマスクも同様に身に付け直している。もう交渉の余地は無いと遠回しに言われている気さえした。

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