第164話 逆襲への兆し
次から次へと、まるで蛆の様に湧き出すデーモン達を殲滅しつつ、ムラセ達はセフィロトの深部へと潜る。内部は空洞になっており、血管の様に張り巡らされた触手や岩を足場にしつつ、時折立ち寄った雑魚の縄張りを始末していった。そして魔界へと近づくにつれ、敵の数や強大さもエスカレートしていくばかりである。
「あれは ?」
とある穴ぼこから一気に飛び降りた先でムラセが気づく。飛び降りた先には広大な地表があり、そこには無数の柱が立てられていた。二本の柱の間に魔方陣が浮かび上がっているせいか、まるで門の様な佇まいである。それも一つではない。ありとあらゆる場所に柱が生やされ、その数に応じて魔方陣が柱の間に浮かび上がっていた。
「簡易的な通り道を作ったというわけか。随分と雑ではあるが…確かにこれを使えば低級の雑魚だろうが、魔界から容易にこちらへ来る事ができる」
柱に書かれている術式を読み、材料として使ったのであろう塗りたくられた血を触ったザガンが分析をする。
「どれかが”深淵”に繋がってるかもね。探す ?」
「無茶だ…いくつあると思ってる」
リリスは提案するが、無数に存在する魔方陣を見て億劫になっていたイフリートが愚痴を零す。そんな時だった。一同の背後にあった少々小さめの二本の柱、そこに浮かび上がっていた魔方陣が光り出す。思わず身構える一同だったが、そこから出て来たのはレクイエムだった。ベクターの左腕に擬態していた姿とは違う、四足歩行が出来る姿のままこちらへ向かって来る。全身が傷だらけであり、後ろ脚を引き摺っていた。
「な、何だこいつは ?」
初めて見たらしいザガンは思わず困惑しながら、少し後ろへ下がる。対照的にムラセは駆け寄ってレクイエムに触ろうとするが、彼は目玉を使って彼女を見ると足に擦り寄った上で後ろから押し始める。
「あっちに行けって事…?」
自分の足を押す力の弱さからして、レクイエムにはまともな余力が無い事がすぐに分かった。同時にどこへ向かえば良いのか、そしてベクターに危機が迫っているという事もレクイエムの必死さからすぐに読み取る。そのまま自分が現れた魔方陣の方へ向かったレクイエムをムラセは追いかけ、彼を抱き上げてから迷わず飛び込んで行った。
「おいムラセ !」
「ちょっと⁉」
イフリートとリリス、そしてファウストも慌てて追いかけようとするが、ザガンだけは違った。何かの気配を感じ取り、思わず体を翻してから刀を生成する。
「お前達は先に行け」
「は、どうして ?」
「ガミジンについて少し調べたい事がある。それに――」
唐突なザガンの対応にリリスは疑問を呈し、それに対してザガンも答えようとしていた直後、他の魔方陣からデーモン達が現れる。上に向かって這い上って行く者もいれば、ザガン達に対して唸りを上げる猛者もいた。
「魔方陣を壊しておけば援軍も現れんだろう…行け !」
「…気を付けろよ」
彼女がそう言うと、ファウストはすぐに決断した様に言った。
「無論だ」
そう言って彼女も他の仲間達を送り出してから、彼らが魔方陣を潜った直後に手をかざす。地中から能力を使って生成したらしい鎖がいくつも現れ、魔方陣や柱を保護するように覆い隠してしまった。これならば取り逃がした敵がムラセ達の後を追う心配もない。
「さあ、誰から死ぬ ?」
魑魅魍魎を前に鉄の仮面を被ってからザガンは言うと、刀を構えて静かに構えを取った。
――――話は、ムラセ達がレクイエムと合流する少し前にまで遡る。深淵の果てに待つ玉座の前では、相も変わらずオルディウスとベクターによる戦いが繰り広げられていた。しかし一方的に攻撃を食らう事もザラでは無く、ベクターは自分と彼女の間に大きな隔たりがある事を感じてしまう。なりふり構っていられる状況ではない。
「ちょっと呑気だが考えついたぜ…”混沌潮流”」
ベルゼブブを倒して事で手に入れた形態に名前を付けたベクターは、すぐさまそれを使って大量の虫に似たデーモンの群を呼び寄せる。そしてオルディウスの四方を囲ませると、一気に襲い掛からせた。
「くだらん」
オルディウスは呟き、一度だけ小さく足で地面を踏み鳴らす。次の瞬間、辺りが吹雪に見舞われ、デーモン達が瞬く間に凍り付いてしまった。魔力によって衝撃波を放ち、自分の周りに屯していたデーモン達を粉々にして見せたザガンは、浅はかな小細工だとベクターの方を睨もうとする。だが、いつの間にか姿を消していた。
「…”爆噴壊突”」
背後から声が聞こえ、すぐに危険を察知したザガンは障壁を作り出す。ギリギリの所で間に合い、ベクターの攻撃は障壁によって阻まれたかのように見えた。しかし、次の瞬間、”爆噴壊突”が叩きつけられた箇所にヒビが入り出す。
「なに――」
オルディウスが反応を示そうとした頃には障壁が破られ、”爆噴壊突”の強固な拳が彼女の顔面を捉える。一気に吹き飛ばされた彼女だが、すぐに体勢を立て直して着地をした。
「嘘だろ…」
息を荒らげながらベクターが慄く。ようやくまともに食らわせる事が出来たかと思いきや、致命傷になるどころか口を切っているだけで済んでいる彼女の耐久力が恐ろしかった。ゆっくりと自分の方を見るオルディウスだが、満面の笑みを浮かべている。
「よくやった」
「…は ?」
まるで手柄を自慢してきた子供を褒めてあげるかのように、優し気な表情でオルディウスは話しかけてくる。
「不完全な体でありながら、ここまで張り合ってこれるとは思わなかったぞ。何より、私の障壁を真正面から破ったのはファウストを除けばお前だけだ」
「何言ってやがる… ?」
「褒美をやると言ってるんだ。お前に敬意を表し、今からは敵として相手をしてやる。王である私が全力を出すに値すると認めたんだ…誇れ」
今から全力を出す。彼女のその言葉は、ベクターを絶望のどん底に突き落とした。必死に食らいついて来たというのに、当の相手はお遊びとしか思っていなかったのである。既に体力も消耗している中でどうしろと言うのか。
そんな彼の内心を窺おうともせず、オルディウスは血だまりに手を当てる。間もなく、深淵の地面を覆っていた血の全てが彼女に吸収された。そして強烈な閃光と衝撃波を放ってから、オルディウスはその姿を変えていく。角のある頭部の甲冑のせいで素顔の全貌こそ分からないが、辛うじて見える三つ目と思わしき眼孔には、これまでのデーモンの中では決してお目にかかれなかった紫色の瞳が見える。
体は玉座へ座れる程の大きさにまで成長し、頑強な且つ禍々しい棘で覆われた鎧を身に着けていた。そして背中には六枚の黒い翼が生え、オルディウスはストレッチをするかの様にそれを大きく広げると、上を見上げて一呼吸入れる。上空にはぽっかりと穴が空いており、そこから魔界の瘴気が舞い降りている。彼女はその瘴気を自らの肉体へと吸い込んで行った。
「さあ我が子よ、続きをやろう」
彼女は呼びかけるが、ベクターは呆然とするばかりであった。もはや勝つというよりは、生き延びる事さえ出来れば良いという心情であったが、状況を打破するにはどうすればと思っていた矢先、魔界の瘴気が降り注いでいる穴に目が行く。もしかすればあそこからなら逃げる事が出来るかもしれない。
「どこを見ている ?」
そんな言葉が聞こえた直後、瞬間移動でもしたかのように高速で接近したオルディウスが彼を殴り飛ばした。地面を転がされたベクターはすぐに立ち上がるが、オルディウスは既に背後へ回り込んでいた。先程まではスピードさえも手加減していたのである。
「躱せるか ?」
オルディウスはそう言うと小さな火球を無数に繰り出し、それらを操ってベクターの周りを囲ませる。すぐに”時流超躍”を使って抜け出すが、時間がキレた瞬間に火球は間もなく巨大な爆発を引き起こし、それによって大きく吹き飛ばされてからベクターは玉座に叩きつけられた。
「おい…よく聞け…上にある穴からお前を逃がす。他の奴らを見つけたら、ここに連れて来い」
何とか耐えたベクターは、立ち上がりながらレクイエムへ語り掛ける。そうしている間にも、オルディウスは容赦なく責め立てて来た。今度はファウストの様にオーラで大量の剣を作り出し、四方八方から襲わせつつ、自らもベクターへ攻撃を仕掛けていく。レクイエムを傷つかせながらも応戦するが、もはや殺されるのは時間の問題であった。
「…”時流超躍”」
体中を剣で貫かれる中で僅かな隙にベクターは再び発動し、急いで玉座へ上ってから更に大きく跳躍する。そしてオベリスクを仕舞ってからレクイエムを自らと分離させ、穴に向かって全力で投げた。穴に向かって投げられたレクイエムは姿を変えつつ暗闇に消えていく。それを見送ったベクターは地面に着地をして、オベリスクを右手に握り直した。間もなく”時流超躍”は時間切れとなり、オルディウスはベクターの左腕が無くなっている事に気づく。
「考え無し…というわけではないな。味方でも呼び寄せるか ?」
「使える物は使う主義でね」
ボロボロになっているベクターだが、怪しむ彼女に対して軽口を叩く。
「なあ、俺はよくやった方かな ?」
「ああ…私が産んだ中では、文句なしの最高傑作だよ。つくづく惜しい」
「そうかい…じゃあな」
少しだけやり取りをした後、まともに抵抗できないと分かっていながらベクターは走り出して行った。レクイエムが無い以上、何の能力も使えない。オルディウスもそれを分かっていたのか、立ち止まったまま自分の方へ向かって来るベクターを見ていた。そして彼が飛び掛かって来た瞬間、剣を生成してから彼の右腕を切り落とす。
痛みが走った直後、急に軽くなった自分の右腕にベクターは目をやり、全てを諦めたかのようにほくそ笑む。そして吹き飛ばされた後に地面へ仰向けに倒れた。オルディウスは静かに近寄り、摘まむようにして片手で彼を持ち上げる。
「楽しかったぞ」
虫の息になっているベクターへ満足げに言った後、空いているもう片方の手に意識を向ける。するとたちまち指先が変形して細い針の様になり、オルディウスはゆっくりと彼の胸元へそれを突き刺した。
「ふむ…ここか」
結晶の様に固くなり、コアと化しつつあったグレイルを刺した指の感触でオルディウスは探り当てる。そしてゆっくりと力を込めていった。
「うああああああああああああ‼」
小さく音を立て、ヒビが入って行く中でベクターは苦痛のあまり叫ぶ。その直後、上空の穴からムラセ達が飛び降りて来た。
「ベク――‼」
叫び声に反応したムラセは呼ぼうとするが、付近に転がっている右腕付きのオベリスクと、オルディウスによって体を弄られ、悲鳴を上げ続けるベクターを目撃してしまう。
「下がってな…‼」
その光景に絶句し、立ち尽くしていたムラセの肩を叩いてからリリスが走る。すぐさま変身して巨大な獣の姿になると最高速度で突進し、オルディウスの顔面を迷わずぶん殴った。頭部の兜が吹き飛び、一切の肉や皮膚を纏っていない髑髏が露になる。それこそがオルディウスの素顔であった
「お前か…」
「私だけじゃねえよ」
少しだけオルディウスは仰け反ってしまい、それと同時にベクターの拘束を思わず解いてしまう。直後、追いかけて来たイフリートが預かっていた召喚機を起動しつつ、彼女の足元へ投げる。地面に魔方陣が現れ、オルディウスがそれに驚いた直後にリリスは彼女の体を掴んだ。
「ちょっと私らと遊んでくれる ?」
鎧の棘が体に刺さるが、リリスは間髪入れずに怪力でオルディウスを掴んだまま地面に現れている魔方陣へ突進した。間もなく二人の姿が消え、イフリートもまた後を追いかける。一度ベクターの方へ駆け寄るムラセとファウストも呼ぼうとしかけたが、すぐに思い留まって魔方陣の中へ消えて行った。
「そんな…何で…何でこんな事に…」
泣きじゃくりながらムラセがベクターを抱きかかえる。痙攣をするベクターだが、切り開かれた胸の奥に残っているコアは大きく損傷しており、もはや死を待つのみであった。
「いや、まだ完全には破壊されていない…修復は出来るかもしれん。だが…」
ファウストは様子を確認し、一瞬だけムラセの方を見たがすぐに顔を俯かせる。
「どうすればいいの ? ねえ ! 早くしないとベクターさんが…‼」
必死に縋るムラセだが、すぐに彼が以前話していたある事を思い出す。
「父さん…待って…」
「デーモンは自身の血さえあれば、完全に破壊されていない内ならコアの修復も出来る。私の体内にある血を戻し、ベクターの力を完全に取り戻させる以外に方法はない」
「でもそんな事したら父さんが――‼」
「ああ。この子の血が私にとっては生命線だった…恐らく死ぬだろう」
「やだよ…‼他の方法を――‼」
「無いんだ ! 何も !」
ファウストが唯一の方法を示すが、それが何を意味するかを理解したムラセは必死に止めようとする。だが彼女をファウストが一喝すると、反論をする事も無くすすり泣いた。
「何で…いっつも皆いなくなるの…」
本音を吐露し、ムラセは泣き崩れた。そんな彼女の肩をファウストは静かに触る。
「だが今なら、ベクターは生かす事が出来る…私は親としてお前達に何も残してやれなかった。だからこそ…たとえ死ぬことになっても、お前達のために何かしてやりたいんだ。私がそうしなければ、全員が死ぬことになる。そうなってしまえば今度こそ本当の終りだ…頼む…‼」
必死にファウストは語り、そのままゆっくりとムラセの顔を触る。彼女もまた涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら彼を見た。
「……うん」
やがて静かに決意したのか、ムラセは小さくそう言った。そしてすぐにファウストと抱擁を交わす。ファウストもゆっくりと彼女を抱きしめ、そして頭を撫でながら「すまない」と涙ながらに何度も謝り続けた。
「……さよなら」
やがて彼女は立ち上がり、そのまま振り返る事も無く走り出す。ファウストはそんな娘の後姿を見送り、魔方陣の中へ消えた彼女の惜しみながらもベクターの蘇生に集中し始める。
「これが…せめてもの償いだ」
そう言ってからファウストは、自らの力で短剣を生み出して掌を傷つける。そして仰向けに倒れているベクターの傷口に向かって、静かに掌を押し当てた。稲妻が迸り、血がベクターの中に戻って行くにつれて意識が遠のきそうになる。近くで様子を窺っていたレクイエムも、回復の兆しが見えたと思ったのかベクターの左腕として元の箇所へ戻って行った。
「うおおおおおおお !」
ファウストは叫び、苦痛や衰弱してく意識を何とか持ちこたえさそうようとする。着実にコアが修復されていく傍らで、ベクターの切断された右腕にも変化が表れていた。レクイエムと同様に新たな異形の腕が生え始めていたのである。