第151話 アンサー
人々が寝静まった深夜、指定された待ち合わせ場所へファウストは出向く。ホテルから少し離れた路地にある閉店したバーの前には、関係者以外立ち入り禁止と書かれた小さな看板が置かれていた。それを無視してドアを開けると、少々埃っぽい店内とある男の後姿が彼を出迎える。男が座っている席の近くにはオベリスクが立て掛けられていた。
「客の入りが悪いもんなんで閉めるんだとさ。この店」
カウンターの椅子に座ったまま、ベクターは振り向いてからファウストに言った。
「こっち座れよ……大丈夫だ、何もしない」
ベクターに促されるまま、ファウストはカウンターに近づいて彼の隣に座る。空のグラスが目の前に置かれており、続けざまにベクターが酒の入ったボトルをテーブルの上で滑らせた。目の前まで滑ってきた所をオルディウスはキャッチし、ラベルをゆっくりと眺める。何やら仰々しい書体で漢字が書かれてた。
「ジードが気に入ってた銘柄だ。知り合いに高値払って確保までさせて…成人する時が来れば、二人でボトルを空にしようなんて言ってた。もういないけどな」
話をする最中、約束を守らずに死んでしまった誰かに対する皮肉なのか、それともそんな彼を見捨てた自分に対する嘲笑なのか分からないが、ベクターは少しだけ笑った。警戒心を持っていたオルディウスだが、そんな彼の姿を見て戦意がある訳じゃなさそうだと思ってそのまま酒をグラスに注ぐ。ピートの強烈な香りが鼻に残る。
「なぜ私を呼んだ ?」
中々酒に手に付ける気になれなかったファウストは用件を尋ねた。
「一人で酒飲むのも寂しいもんでな。かといって他の奴らと飲む気分じゃねえ。つーわけで消去法だ。ついでに色々話がしたかった」
「話 ?」
「ああ。よく考えてみれば、あんたの事についてまだ分からない事が結構あるんでな。そこからどうするかは全部聞いてから考える」
ベクターは一気に呷ってから目的を打ち明ける。暫く空になったグラスを眺めていると、何を言うわけでも無くファウストがボトルを差し向けた。ベクターは無言で酒を注いでもらい、ある程度注がれたところで再び自分の手元の方へグラスを戻す。
「オルディウスとかいうのが俺の母親だって話は本当か ?」
最初の質問をベクターはぶつけた。ファウストは覚悟が決まらず、酒の力に頼ろうと結構な量を口に入れる。そしてアルコール特有の臭いや舌に来る刺激に少し顔をしかめつつも飲み込んだ。
「私が穏健派という派閥にいたのは知っているな ?」
「ああ。オルディウスみたいな過激派とバチバチだったんだろ」
「私は彼女の側近でありながら、陰でそういった者達と手を組んでいた。実力が無い…武における才が無いというだけで虐げられ、迫害され、殺される…それを当たり前だとする魔界の環境をどうしても受け入れられなくなってしまった。穏健派というのは、そういった魔界の状況を憂いていた私やバフォメットというデーモンによって作り上げられていった派閥だ。尤も…誰もオルディウスに勝てないせいで絶望的な状態だったがな。奴が子供を欲しがったのも、後継者や部下欲しさというのもあるが…自分の血を受け継ぐ者なら少しはやりがいのある奴に育ってくれるだろうという勝手な思い付きという部分も大きい」
穏健派が出来る過程や、オルディウスがとにかく自分中心で物事を考えるタイプだという事は説明によって良く分かった。一方で、新しく出たデーモンの名前にベクターは疑問を抱く。
「バフォメットってのは ?」
「ああ。魔界で賢者として崇められていた女だ。自身に眠る潜在能力の解放や魔力の出力を強化できる方法、魔界の空間にいかにして魔力が充満しているのか…それが植物によるものだと突き止めた事で有名だった。それ以外にも、魔界や現世で伝えられている魔術の大半は彼女が生み出したと言って良い」
ファウストから告げられたのは、更なる協力者と思わしきデーモンの名前であった。一息ついていたファウストだが、どこか憂鬱そうにしている事からバフォメットとは親しかったことが窺える。
「さっきから過去形で話しているって事はつまり…」
「ああ。お前が生まれるより少し前にオルディウスに殺された。見せしめとして公の場で一本ずつ骨をへし折られ、四肢を引き千切られ、目玉を抉られ、最後には火あぶりにされたよ。だがバフォメットはオルディウスを恐れようとはしなかった。予言者としての側面も持っていた彼女は死ぬ間際、自身の占いによって導かれた予言をオルディウスに言い渡した」
「予言 ?」
「”暴虐を司りし覇王が罪亡き者を蹂躙する時、呪われた因縁と怨嗟を背負いし若き狩人現れ、覇道を往く王に戦いを挑まん”…そんなバフォメットが言い残した予言をオルディウスは恐れているようだった。アイツの占いは良く当たると評判だったからな。現にお前が生まれてから、明らかに奴は焦っていた」
予言の意味は分からないが、少なくともそれがオルディウスを凶行に走らせた原因の一つである事は間違いない。ベクターはそこを把握してから次の質問に入る。
「俺の左腕のコイツや…他の魔具について教えてくれ」
「魔具はお前の力の一部を移し、その上で三つに分けて兵器として利用できるようにしたものだ。自分にとっての危険は排除しなければならないが、お前を殺すのは惜しいとオルディウスは感じたんだろう。だからザガンにお前の体をバラバラにするよう命じたんだ」
「だが、あんたは手遅れになる前に俺を助け出した…なぜだ ?」
自分を助けた理由やレクエイムを始めとした魔具の正体についてベクターは尋ね、ファウストは魔具の正体迄は迷うことなく語ってくれた。しかしベクターを助けた動機については中々言い出そうとしない。後ろめたい理由がある事が容易に想像できた。
「…本音を言うべきか ?」
「ああ、構わない。続けてくれ」
正直に聞いて来た事は意外だったが、心にも無い綺麗事を言われるよりはましだとベクターは思い、そのまま打ち明けるように頼んだ。
「最初の頃は…ハッキリ言って私も兵器としてお前を利用するつもりでいた。だからこそ奴の手が届いていない現世へと逃げおおせることにしたが、お前が狙われない様に身柄と魔具を隠し、そのまま現世で私自身も奴から隠れ羽目になった。逃げる際に深手を負ったせいだ。それから少しして人間達によって封印していた筈のお前が遺跡から連れ出されたという話を聞き、すぐにジードとという男と連絡を取った。そして彼には真実を伝え、処分するべきだと忠告したが…『自分の子供をそんな風に扱う様な奴は信用できないし、渡したくない』と言って断られたよ。そこで私も条件を出した…何が何でもお前をデーモンとの戦いに巻き込まず、そのような職業に就かせるような事もしないでくれとな。そうすればもう手を出さないと」
ファウストからの言葉にベクターは少し思い当たる節があった。ジードはどんな時でもなるべく銃を握らせようとはせず、兵士にはならない方が良いといつも自分に言い聞かせていた。元々傭兵として従軍していた経験もあっての事だろうが、今にして思えば自分がなるべくデーモンと関わらない様にしなければならないと思っていたのかもしれない。
「…あの襲撃の夜は何があった ?」
いよいよ自分が聞きたかった忌々しい過去の真相についての話題へと移る。顔色一つ変えないベクターとは対照的に、ファウストは更に酒を呷っていた。
「お前の存在や魔具が現世に存在すると勘付かれたんだ。あのままじゃ攫われ、オルディウスの管理下に置かれるだろう。そうすれば魔界は確実に奴によって支配される…現世だってどうなるか分かったものじゃない。だから――」
「少しでも穏健派や現世を延命するために俺を殺そうとしたって事か」
「…ああ。だからあの農園にいた見張りを買収した上で彼らの手筈通りに入り込んだが、オルディウスの一派に私の動きは読まれていた。尾行をしてきたデーモン達が手当たり次第に襲い出し、私も応戦したがそのせいで農園が壊滅しまったんだ…」
ファウストは謝りながら事の経緯を話し続けるが、ベクターはあの日の出来事を思い出してしまい、穏やかな気分ではいられなかった。やはりお前のせいだろうが。そう言って突っかかろうとしたが、まだ他の質問が残っている。
「俺の親父と最後に何を話していた ? あの日以降、どうして俺を殺そうとしなかった ?」
「”予定が狂ってしまい、こうするしか方法が無くなった”と私は説得しようとしたが、ジードは必死に止めようとしていた。”アイツはお前の子供でもあるんだぞ”と…自分を簡単に殺せてしまう様な相手にさえ臆することなく噛みつき続けた。そして奴は床下や建物に仕掛けていた爆弾を起動し、私を道連れにしようとして来た。自分の命と引き換えになろうと、お前が逃げ延びてくれれば良かったんだろうな。私は何とか生きていたが、ジードはダメだったよ。だが黒焦げの焼死体になっても尚、私の体に掴みかかったまま離そうとしていなかった」
ジードが最後の最後まで自分のためにその身を賭していた事をベクターは知らされると、改めて彼への感謝で胸の内が一杯になる。ジードこそが自分にとっての恩人であり、一人前に育ててくれた親なのだという考えが揺るぎない事実とだった事が何より嬉しかった。
「幸か不幸か分からないが、あの爆発のせいでオルディウスの一派はお前を死んだものと最近まで思っていたらしい。私も襲撃のせいで再び各地を逃げ回る事になり続けてしまい、それ所では無くなってしまっていた。つまり存在を知らなかったお陰で、お前は蚊帳の外に置かれていた状態だったんだ」
「フン、結局俺の事なんざどうでも良かったわけだ。オルディウスを何とか出来ればな」
そのまま顛末をファウストは語るが、ベクターは皮肉っぽく彼に言い返した。何も言い返そうとすらしなかったファウストは、そのままからのグラスを見つめてから話を続ける。
「…そうして彷徨ってる内に、私はユキ・ムラセという人物に出会った。物資を運んでいる彼女をデーモンから助けた事で、恩返しにと彼女はシェルターに招待してくれた上に、住む場所を貸してくれた。そこから…そのだな…」
「痴情のもつれで、うっかりガキ作っちまったんだろ。名字で何となく分かるよ」
「…ああ…そうだ」
言い淀むファウストだったが、ユキという人物の苗字からその後の事をなんとなく察したベクターが結論を言い当てる。
「言い訳になってしまうが、彼女が生まれた子供を抱えてあやしている姿を見た時、私はそこでようやく自分の犯した過ちに気が付いた。いかにオルディウスを嫌っていようが、血が繋がっているという理由だけでお前の事を放置し、危険に晒す理由にはならないのだと。だが、既に捜そうにも居所が分からなくなっていた上に、オルディウスが現世への侵攻を考え始めているという情報を掴んで後回しにするしか無かった。そこから私はユキと、幼かったアキラにも別れを告げて、オルディウスから寝返るつもりだったザガンと手を組み、魔具の回収に急ぐことにした。三つの魔具が揃いさえしなければ、お前が完全に力を取り戻す事も無いからな」
ファウストはそのまま懺悔じみた言い訳をベクターに伝える。ベクターは黙ったまま話を聞いていたが、やがてファウストの方に顔を向けて彼の目を見据えた。
「ムラセは ? 俺と同じように放ったらかしていたアイツの事はどう思ってる ? ジードについては ? 今でも後悔してるのか ? それとも仕方のない犠牲だったで割り切ってるのか ?」
「…何もかもだ。何もかもに罪と責任を感じている。自分でも…何をどうすれば良いのか分からなくなってしまっていた。罰を与える必要があると言うなら、私はそれを喜んで受け入れるさ」
ベクターが更に追及をするが、ファウストは全て自分に非があると言い切った。もう既に迷いなど無く、一度だけオベリスクを見てからベクターの方へ改めて視線を戻す。
「今なら誰もいない。お前の気がそれで済むなら…私はどんな罰でも受けよう」
そんなファウストの言葉を前に、ベクターは暫く動かずに黙ったまま座っていた。やがて一息だけ小さく漏らして立ち上がり、オベリスクを手に取ってファウストの方を見る。そしてそれを背負ってからそのまま歩き出すと、彼の肩を軽く叩いた。
「分かった。もう帰っていいぞ」
殺意や憎しみなどを微塵も感じない。それ程までに気の抜けた返事をベクターはしてから店を出ようとする。
「殺したかったんじゃないのか ?」
完全に覚悟が決まっていたファウストは、自分の感情が収まらなかったのかベクターを引き留めようとした。
「『テメェの親父の事なんか知るか』とか『殺される様な奴が間抜けだ』とか…そんな風に開き直った態度取ってくれてれば、俺も喜んでそうしたよ」
「だが私は…」
「勘違いすんな、見逃したわけじゃねえ、全力でぶん殴りたい奴の優先順位が変わっただけだ」
どうしても裁いて欲しいらしいファウストに対し、決して後ろを振り返らずにベクターは言ってから勢いよく店から出て行った。