第15話 やめとけ
「あ、あんた達もハンターか !…うっ…」
中年の男性らしい声で話しかけてくるが、怪我が想像以上に堪えるらしかった。呻き、息を荒げながらこちらへ近づくハンターに向かって、ベクターはオベリスクを向けて牽制する。
「待て。その傷は ? 」
「安心してくれ…噛まれたり、傷つけられたわけじゃない。デーモンと戦っている時に叩きつけられて、その拍子に剥き出しだった瓦礫が刺さってな…」
ベクターは怪我を怪しんでいたが、彼は怒る事なく経緯を語る。
「叩きつけられた ? そんな力自慢がいたとはな」
ここまでの道中に遭遇した雑魚の事を思い出したベクターは、本当にそこまで骨のあるデーモンがいたのかと疑っているらしかった。笑っていたベクターだったが、対照的に怪我をしているハンターは真剣だった。
「本当さ… ! もしかして、”ヤツ”と遭遇しなかったのか… ?」
「いいや全く。ヤツっていうのは ?」
「あんなの、俺も見たことが無い…とにかく、すぐに離れるべきだ…」
何かを恐れているらしかったが、てんで見当のつかないベクターは聞き返す。怪我をしているハンターは、彼の答えから”ヤツ”が近くにいない事を察し、今のうちに逃げるべきだと言って歩き去ろうとした。
「じゃあ、一緒に行きませんか ?怪我も酷そうですし…ベクターさん、良いですよね ?」
「まあ、ほっとく理由も無いからな。オッサン、仲間に連絡して車を持ってこさせるから一緒に行こうぜ」
すると身を案じたムラセが協力を提案し、ベクターも快く彼女に同意する。
「本当か… ! かたじけないな。じゃあ、少し待っててくれ…荷物を持ってくるよ」
「いや、一緒に行こう。無茶すると体に響くぜ」
そう話しながら荷物とやらを取りに三人で歩き、従業員用の出入り口を開ける。ムラセが背負っている物と同じバックパックが二つ、そして頭を撃ち抜かれた死体が転がっていた。よく見れば脚や腕が奇妙な形に変異している。
「…っ !」
ムラセは硬直し、殺した犯人が目の前にいる中年のハンターであると悟った。ベクターは大丈夫だと言う様に彼女の肩を叩いてから、少し前に出る。そして死体の前でしゃがんでから様子を見ていた。
「さっきの銃声はあんたが ?」
「ああ…見ての通りさ。先に怪我をした俺を庇ってな。そのせいでデーモンに齧られちまったらしい…そのまま放っておけば、デーモンに変身してしまうだろう ? もしかすれば半魔とかいう化け物になる可能性もあるだろうが、そうなれば待ってるのは迫害だ…嫌な二択だよな。こいつの方から『失う物も無い以上、そこまでして生き永らえたくない』って言われた…だから…」
背景を察したベクターが彼に尋ねると、中年ハンターも気を重くしながら言った。しかし半魔について彼が語った際、ムラセとベクターの二人は少し機嫌を悪くしながら彼を睨む。気持ちは分かるのだが、そこまで言わなくても良いじゃないかという当事者側としての考えがそうさせた。
「…そうか」
こちらの考えを悟られない様、ベクターは無難に反応を示す。そして近くに会ったバックパックに取り付けられていた持ち手を掴んだ。
「結構な量が入ってるな。持って行く荷物は二つだけで良いか ? 」
「ああ、ありがとう。先に扉の向こうで待っててくれ。少し一人になりたいんだ…」
荷物を持ってくれているベクターに礼を言いながら、中年ハンターは再び注文をして来る。ベクターは何も言わずにムラセを連れだし、そのままエスカレーター付近の手すりに寄りかかってから無線で連絡を取った。
『悪い悪い。用を足しててな』
「おせーよ。俺達以外の怪我人がいるんだ。すぐ車を出して欲しい…たぶん大通りを真っすぐ行った先にY字路がある。そこのど真ん中の、デカい建物の近くまで来てくれ。看板やらポスターやらが沢山あるから分かると思うぜ。焦らず慎重に来い…とてつもない大物が辺りをうろついているらしい」
『よしきた、任せとけ』
ベクターはタルマンと連絡を取り合い、予定を決めた後に通信を切ってから物思いに耽っているムラセへ近づいた。
「おいおい、落ち込んでいるのか ? 」
バックパックを降ろして座り込んでいた彼女の頬を軽く叩き、ベクターは気丈に振舞った。
「化け物だなんて…あんな言い方…」
「半魔は確認された数が少ない上に、環境が原因で悪事を働く事も多い。だから根も葉もない噂で溢れかえってる…ああいう認識になるのも仕方ないさ。半魔が悪いんじゃなくて、悪さをする奴が偶然半魔だった…それで済むのにな」
こちらの気も知らないで好き勝手に言われた点が、ムラセはどうしても受け入れられずにいたらしい。ベクターはどうしようもない事だと彼女に伝えるが、彼も気に入らなかったらしく愚痴をこぼした。
そんな話をしている内に、中年ハンターも折り合いがついたのか扉を開けて出て来た。
「待たせて悪かった。出来れば死体も一緒に――」
詫びを入れつつ彼らの元へ急いだ中年ハンターだったが、それが最期の遺言となってしまった。直後、巨大な青白い腕が天井を突き破って来たかと思うと、そのまま彼を掌で叩き潰す。凄まじい衝撃と共に血が周囲に飛び散った。
「クソ」
ベクターが呟く一方で、ムラセは状況をすぐに理解できずにいた。ベクターは彼女に荷物を持たせ、咄嗟に左腕を鉤爪に変形させてから近くの手すりにしがみ付く。そしてムラセを抱きかかえたまま腕を伸ばして一気に降下していった。
一方、中年ハンターを叩き潰した腕は、ゆっくりと動いて天井に空いた穴へ引っ込められた。それから間もなく、腕の持ち主が巨大な顔を出して来る。顔を出したそれは痩せこけた女の様であり、ぎょろりとしている目を見開いていた。
「参った…さっきの騒ぎで引き付けちまったか ? 」
一階にまで降下した後、変形していた左腕を戻しながらベクターは言った。しかし、モタモタしてられないと再び無線で通信を行う。
「タルマン、少しマズい事になってる。そっちはどの辺りだ ? 」
『出発したばかりだぜ』
「ひとまず車を停めて動かない方が良い。さっき言ってた大物だが、たぶん今出くわした」
『おいおいマジか…』
ベクターが少し早口になりながら状況を告げると、タルマンも狼狽えている様子だった。
「そのまま聞いてくれ。俺が奴を引き付けて建物から距離を取らせる。安全だと思えたら連絡を入れるから、すぐに近づいてムラセと荷物を回収してくれ」
『お前はどうするんだ ? 』
「なあに、お仕置きをしてやるのさ」
会話を終わらせたベクターは通信を切ってから、へたり込んでいるムラセへと近づく。そして呆然としている彼女を揺すり、ようやく自分の方へ向かせた。
「良く聞け、少しの間だけ別行動だ。お前はここに残ってどこかへ隠れてくれ。俺が外に出て囮になる…タルマンが迎えに来てくれるからそのままアイツと一緒に動いてくれ」
「で、でも…ベクターさんは… ? 」
「デカブツの尻を蹴飛ばしたら戻って来るよ。じゃあ後でな」
ムラセに事情を説明し、彼女へ指示を飛ばしてからベクターは建物の外へと出て行く。彼に従い、ムラセは両手に荷物を携えながら死角になりそうな瓦礫の近くへと身を隠した。
外に出たベクターはガスマスクを少しだけ外し、わざと指笛で大きな音を出す。建物の屋根にしがみ付いていた女性の顔を持つ大型のデーモンは、すぐさま反応するように顔をベクターへと向けた。再びガスマスクを被り、目が合ったデーモンに向かってベクターは「掛かって来い」と手で挑発をする。
間もなく跳躍をして飛び降りたデーモンは、その顔に似合わない逞しい腕を叩きつけてこようとする。ベクターはのんびりと半歩下がってそれを躱した。拳が道路へめり込み、陥没や亀裂を作ったがベクターは大して驚く事もなく敵の観察をする。
筋肉によって大きく膨れ上がった両腕、全身にある夥しい量のツギハギ、女性的でありながら不気味な顔立ち、体に所々巻かれている白い布。不気味ではあったが、何より気持ちが悪いのは、腹や骨に響いてくる様な不快さを持つ鳴き声だった。
「アアアア…」
女性の泣き声にエッジボイスを混ぜた様なその声が、時折背筋をゾクッとさせた。
「ラ・ヨローナ…確かに太刀打ちできないわけだ。俺じゃなければの話だが」
ベクターは笑いながら言うが、そんな事はお構いなしにラ・ヨローナと称されるデーモンは顔を近づけて来る。ただでさえ不気味な目が、さらに間近に迫ってくるのは流石のベクターも嫌だったらしく、数歩程後ずさった。
「 確かに身長デカい子は嫌いじゃないが…顔がちょっと俺の趣味じゃ――」
ベクターが揶揄い終えるより前に、ラ・ヨローナが腕による攻撃を再び繰り出して来た。
「コンプレックス刺激しちゃったか ? まあでも、縁が無かったって事にしといてくれよ !」
次々と躱しながらベクターは左腕を鉤爪に変形させて、建物の屋根へ向けて伸ばした。そのまま腕が元の長さに戻る勢いを利用して屋根に昇ったが、すぐにラ・ヨローナも跳躍によって追い付いて来る。上半身と比べれば決して逞しくはない下半身だというのに、恐ろしいジャンプ力だとベクターは感心した。
「案外、体重軽いのか」
ベクターが呟いた瞬間、ラ・ヨローナが叫びながら追いかけてくる。そのまま様々な建物の間を飛び交いながら逃走を続けることになったベクターだが、やがて脆そうな工事中のビルへとジャンプして飛び込んだ。当然、ラ・ヨローナも後に続いて壁を破壊しながら侵入してくる。
衝撃によって建物が揺れ始め、床や剥き出しになっている骨組みが震え始めいる。背後からまだまだ元気そうに鳴いて追いかけてくる敵の存在を感知し、ベクターは再び走り出した。無茶苦茶に暴れながら進んでくるラ・ヨローナによって、建物は次第に音を立てて崩れていく。間一髪で外へと飛び出したベクターは、そのまま目と鼻の先にある広場へ着地した。暫くすると先程までいた建物が崩壊し、土煙を巻き上げさせる。
「…やったか ? 」
微塵にも思ってない事をのたまいながら、ベクターは崩れた建物の残骸へ近づいていく。案の定、ラ・ヨローナは瓦礫の中から姿を現した。明らかにこちらを睨んでいる。
「ですよねー」
ベクターが苦笑していると、跳躍したラ・ヨローナが自分の背後へと着地した。完全に狙いを自分に定めてくれているんだとベクターは理解し、無線のスイッチを入れる。
「後は頼むぜ。ついでに俺の居場所は…えーと、バカでかい鉄塔が良く見える広場だ。まあ適当に探してくれ」
無線で告げたベクターは返事を待たずに切断した。そしてオベリスクを掴んでから肩に担いでみせる。
「自分で誘っといて言うのも何だが…不細工、泣き虫、ストーカー気質、おまけに乱暴って救いがねえな」
悲鳴の様な鳴き声を上げて威嚇をするラ・ヨローナにベクターは言い放ち、オベリスクのエンジンを始動させた。